ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

11/04/30 5年遅れの受験生の母(^^ゞ

2011-04-30 23:54:38 | つれづれなるままに

GWの連休に入っているが、昨日29日に女子高時代のお仲間とのランチ会で浦和に出た。娘も全日制と定時制の違いはあれ同窓生だし、この間、しょっちゅうご一緒させていただいているので今回もランチに同席させた。受験生の母経験を積んだメンバーから、娘にいまどきの大学受験のノウハウを教えていただこうということもあった。母たちはのんびり話を続けていたが、娘は一人カラオケへ。
散会後に再び娘と合流し、アドバイスを受けて書店の須原屋本店へ。センター入試の過去問題集や英熟語の早覚え本などを買う。

そして、今日は家にこもって納戸の片づけをしながら、娘の勉強を促すが、なかなかその気にならない。娘の部屋の小さな机はでっかいネットゲーム対応PCで占拠されているので、とても勉強には使えない。居間に鎮座する大きなダイニングテーブルの一角を勉強コーナーにして、ようやく本を広げさせることに成功。
隣の部屋で片付けていると、どうにも不安らしく、勉強の仕方をいろいろと聞いてくる。病気ではあっても、この不安をうまく制御できるようになると、学生生活が送れるようになると思っているのだが、どうだろうか。

明日は、GWで唯一、実家の母の相手をする予定。母のリクエストで久しぶりにさいたま新都心に映画を観に行く予定。ちょうど映画の日だし、つきあいで観る映画でも1000円ならば惜しくない。「豆腐小僧」を母と娘と三世代で並んで観てくる予定。

(5/1追記)
JR武蔵野線が短時間ではあるが止まってしまうほどのひどい強風。実家からの母の到着が「豆腐小僧」最終上映に間に合わず、急遽「ガリバー旅行記」に変更。
娘と私は予想以上に面白くて満足したが、母は「ちっとも面白くなくて寝ていた。アニメの方がよかった。何しにきたんだかわかんない」とブーブー不満をもらす。そんなこと言ったら映画を観たいというので無理無理つきあった私たちの気持ちはどうなるのさ!「私たちに会えたんだからいいでしょ」とピシリと言ってやったら少し気を取り直した。せっかく連れてきてもこの憎まれ口をたたくから娘たちに嫌がられる。
こうやって親孝行している姿を娘に見せることも大事だと思っている。理想の親や祖母はいないという現実と向かい合うのも、人間の修業だろう。

11/04/24 今日も家の片づけを優先(^^ゞ

2011-04-24 23:59:33 | 住まい・地域を考える
NODA・MAPの「南へ」の感想も書きたいと思いつつ、なかなか手が回らずにあせり気味。実家の母と放射能疎開から帰ってきた娘に対応しつつ、震災以来、散らかっている家の片づけを優先させている。
週末の土日のどちらかは寝だめをするため、11時くらいまで寝ていることが多い。今朝は食パンなし、残りご飯なし、ホットケーキを焼くにも牛乳なしと、朝食向けの食材が切れているため、ソフトせんべいとお茶でまず軽く食べて、近くのマルヤに買い出し(^^ゞ
昨晩のトマトスープの残りにジャガイモとマイタケを足して増量してチーズトーストと一緒に食べてブランチ。
大学に行きたいという話をしてきた娘はいっこうに何もすることなく、1ヵ月以上触れなかったマイPCでいろいろと遊んでいるか、寝っころがっていて、本気で受験する気があるのかどうやら信じがたい。放置!

今のマンションで一人暮らしを始めて一年たらずで娘が転がり込んできた時に、玄関わきの納戸になっていた洋室を娘の部屋にした。そのため和室が納戸になってしまっている。以前、実家の母をその和室に泊めたことがあるので、さいたま新都心で映画を観た後に泊めて欲しいとさんざん言われている。元気に遊びに来られるうちに願いをかなえてあげたいと、この震災で一念発起した私。人間、いつ死ぬかわからない。親孝行などもできることをなるべくしておかないといけないと思ったので、納戸状態の和室を片付けているのだ。
私はあまり捨てるのがうまくない人間で、なんでもとりあえず放り込んでおいてしまうのが悪いのだ。捨てる前に活用できないか考えたり、再資源化するの最もよい処分方法を考えているとけっこう判断するのが大変なので、余裕がある時にしようと先送りしてしまう。
あっさりとなんでも捨てられるようになると、生きるのももう少しラクになるのかもしれないが(苦笑)

冒頭の写真は、震災後、貯めこんでいた防災用品を整理した時に出てきた「非常災害用保存飲料水」の缶詰。販売者は東洋水産株式会社になっていて、大きさは果物の缶詰(桃の2つ割り缶詰とか)の大きさ。PETボトルのなかった昔々の物なので自分でもあきれた。ことほどさようなくらいだから、積んである書類もとんでもなく古いのも多いんだよな。
さてさて、メドがつくのはいつのことやら、ハァ(^^ゞ

11/04/23 襖の木製引手が割れ続けるという不具合に終止符?!

2011-04-23 23:59:54 | つれづれなるままに

今住んでいるマンションの住み心地はけっこうよい。何かあったら責任をしっかりとってもらうつもりで旧財閥系の会社のものを買った。
ところが、この間、駐輪場の問題についていろいろと不満があったので、やりとりはしてきている。
もう一つ困っているのが和室につきものの襖の木製引手が割れ続けるという問題だった。冒頭の写真がその不具合を携帯で撮影したものだ。よくある金属の丸いデザインの引手と違って一見お洒落なのだが、開け閉めの頻度が高い2箇所の手の指をかける部分が縦に割れてしまう。そうなると指にとげが刺さりそうで怖くて襖の端の木の部分に指をかけて開け閉めするしかなくなる。また、大きく割れたところからは中のダンボール素材が丸見えになった。やはりマンションの建具だけあって、軽さを優先したのかとも思うが、やはり安くつくれるからだろうなぁと推測。
保証期間の間は定期的に点検もあったし、建設会社の担当Sさんが実にまめな方で、割れるとすぐに交換対応してくれていた。ところが、無料で修理してくれる保証期間が過ぎると、パッタリである。私も寝に帰るだけの家という感じなので放置してしまっていた。

普段はカーテン締め切りの部分を、年末年始にカーテンを洗うために脚立に上がって開いてみると、窓枠の上の石膏ボードがずれて壁紙が裂けてしまっているだけでなく、窓枠の桟の上にけっこうな穴が開いているのをみつけ、正月明けにアフターサービスセンターに問い合わせを入れてみた。そこから管理人さんに連絡が回って、現状を確認してもらったらこれは構造上は特に問題なしという説明を受けた。
一応デジカメで問題個所を撮影されていたが、あまり旧式のカメラで画像の悪さに驚いて私のカメラで撮影したものをマンションの営業担当に送ることになった。
そして、その画像データをメールで送る際に、襖の引手も何度も交換してもらったが、今も2箇所が割れたままなので修理と金属製のもので交換を頼めないかということもついでに相談してみた。

そこから、アフターサービスの会社につないでもらって、営業担当とアフターサービスの会社の担当に一度、不具合箇所を見に来てもらった。過去の経緯をるる説明。何度も建設会社の担当の方がこの引手の部品は他の家でも割れによる交換が多発しているもので、デザインはいいが、強度に問題があるとおっしゃっていたことを説明したが、建設会社のSさんは定年退職してしまっていて、履歴データには定期点検時の交換1回分の記録しか残っていないと言い張る。そこで思い出して、Sさんから何枚か木製引手のスペアを預かっていて残っていた最後の1枚を見せたら、それが証拠になった。
保証期間が過ぎているから無料にしろとは言わないが、経過もあるのだから、半額にするとかの落としどころを検討して欲しいと提案。それでうまくいくと思いきや、見積もりがきてびっくりした。2箇所で25000円もする!それを今回限りで半額にする、金属の四角い引手が廃番になるので今回で最後となるという。

頭にきて、生協のサービスセンターで小口リフォーム業者の紹介をしてもらい、そこで見積もりをとったら、元の値段が先の会社の半額の値段だった。そこで、そちらにお願いすることにして、話をすすめていたところで、大震災となってしまっていた。

そろそろ被災地以外では普通の生活をして、経済を盛り立てようということにもなっているので、再起動をかけた。
そこで、本日、業者さんが職人さんと一緒にきてくれて、苦労の末に金属製の四角の引手に無事交換してもらうことができた。
その苦労とは、やはり襖の基材がダンボールだったことによる。金具の引手は釘で一箇所固定をするのだが、ダンボールには釘がきかない。それでボンドでつけることになるのだが、最後の修理が職人さんではなく点検の建築士さんが素人くさくボンドでべったりつけてしまったのがアダとなり、裏側の引手と一体化してしまって両方をとることになってしまった。それに関しては最後のスペアが活用できてクリア。さらに通常の襖より薄いのも災いとなった。用意してきた金具の引手の厚みが半分より厚いという!。それでもなんとかスペアと金属製の引手を裏表にして目立たない範囲で収めるように頑張っていただいた。感謝至極!!

作業をしながらいろいろと話をしたら、なんと越谷からいらしたということで、私の実家が越谷だということでローカル話で盛り上がった。さらにお友だちネットワークでUターンで気仙沼に帰っていた友人たちが被災しているのをみんなの協力で4家族をこちらに移ってくるようにして、住むところや仕事もあわせて確保したのだという話もお聞きして感激してしまった。単発でなくずっと支援できることをこれからもみんなで考えたいと話をされているとのこと。嬉しい気持ちでいっぱいになってしまった。
生協の紹介で、昔住んでいた一戸建て住居の庭の手入れに来ていただいた庭師さんもいい方だった。生協は紹介業者さんとの間でしっかりチェック機能を果たしてくれるので安心なのだ。今回は、安心の上にこんな元気の出るお話まで聞けたことが実に有難かった。

このご縁で、ピクチャーレールをつけていただくのもお願いするつもりである。父や妹2の絵をもらったり貸してもらったりしてきてから正式にお願いすることになる。

それと、あまりにひどいアフターサービスの会社には正式に断るついでに、こういうことにしたからと釘を刺して記録に残すようにしてもらうつもり。私を怒らせると徹底的にやりますからね、そのつもりでね。○○会社さん!!

(追記)
職人さんから木製の引手が割れる原因と思われることをお聞きした。木材から引手の形にカットする際にほんの少しだけ深く切り込みが入ってしまった線が残っていた。そこの強度が弱いのだろうということだった。やっぱり初期不良品がかなりの比率で混じっていたということだ。
それと、交換後のステンレス製の引手の写真もアップしておこう。元のものより少し大きく少し厚みがある。

11/04/19 放射能疎開していた娘が戻ってきて・・・・・・

2011-04-19 23:59:02 | つれづれなるままに
福島第一原発の放射能もれを恐れる父親の厳命で娘は伯母さんの家に疎開させられていた娘。16日の土曜日に約一か月ぶりに戻ってきた。長居しても目途のつくような状況でもなく、首都圏の状況をみていた父親が帰ってきてもいいとOKが出たのだった。
私はその一ヵ月をマイペースに過ごしてきたので、娘が帰ってくると負荷が増えて少々ストレス増(笑)食事の支度やら何やら気になってしまうのだ。
伯母さんは週に3日、午前中のパート勤めに出ていて、食事の用意は一緒にしたり、家事も手伝っていたようだが、帰宅した途端に何もやらないでとにかく寝ている。まぁいい子にしていて疲れたのだろう。
しかしながら、私の方がダウン気味になる。

17日の日曜日は新橋演舞場の昼の部から北本の妹2の家へ直行。名古屋の妹1のオツレアイが福島県伊達郡霊山町の農家の二男坊なので、その実家や親戚に震災見舞いの帰りに立ち寄ったのに合流したのだった。金曜の早朝から名古屋を出て3泊4日の車での強行軍で、最後の一泊を北本で身体を休めて月曜日に帰る。従来から福島への帰省でよくやっているパターン。お姑さんは早くに亡くなっていて、長男のお嫁さんが妹1に辛くあたるので妹1は帰省に同行するのを毎回嫌がっている。帰省が近づくと体調が悪くなる=身体が拒否してしまうくらいなのだが、亭主関白のツレアイ君に従うしかないのが実態。夫婦の関係は姉妹でもそれぞれだが、私にはとうてい無理である。

毎回の福島帰省の帰りには実家の畑でとれた野菜の土産をいただくノルマが発生する。今回も水菜とかき菜、キャベツに長ネギをもらった(申告して少し減らしてもらってはいる)。福島で隣のエリアは出荷できないという産の野菜だがハウス栽培だから問題ないという。
ハイ、喜んでというか支援だと思っていただきます!
というものの、水菜は娘が嫌いだと言うので一回しか買ったことがないし、かき菜に至っては我が家に初デビューの野菜。妹1・2に料理の方法のアドバイスを受けて、頑張って下ごしらえで茹でておいたり、スープに入れたりと奮闘中。

ダウン気味でもあり、娘に伯母さんの時と同様に手伝えと厳命!自室のパソコンから引きはがして茹でたりスープの味付けをさせたり、今日は炒めたりもさせて手伝わせた。今日からは食後の後片付けもやってもらうと昨日から宣言してやってもらった。

さて、その中で「お父さんには言ったけど、私、大学に行こうと思ってるから」と事後報告があった。び、び、びっくり!!
うーん、英語の勉強がしたいという話があって、福井に辞書や英検のテキストやらを宅配便で送った時から予感はあったけれどねぇ。心理学をやりたいけど難しそうだから比較文化あたりはどうかと思っているという。
まぁ、23才だけどいいんじゃないかいな。人生、回り道もありだよね。
5月くらいからオープンキャンパスに行くことをすすめておいたが、どのあたりが通いやすいかなぁ。少々テンションが上がってしまった私だった。

11/04/17 物資提供ボランティア活動の転載情報(4)ふんばろう東日本支援プロジェクト

2011-04-17 09:31:24 | 住まい・地域を考える
4/16土曜日は、実家に行って両親がためこんでいたタオルを整理して物資提供ボランティア活動。友人が役員をしている障害者の共同作業所等を運営している社会福祉法人へ宅配便で送った。
今朝、mixiニュースで物資提供ボランティア活動「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の情報があったので、転載させていただく。ネットを通じて物資の支援を呼びかけ、現地の受け入れ担当者へ送ってもらうというもので、「現地の前方支援と全国の後方支援を連携させ、必要なところに必要な分だけ無料で届ける画期的なシステム」とのこと。すぐキャパオーバーになってしまう行政を介さずにネットワークしていて、実情を踏まえて小回りがきくものになっているのがいいと思う。以下、毎日の記事をご紹介する。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110417ddm012040168000c.html「ふんばろう東日本支援プロジェクト」のホームページは以下の通り。
http://fumbaro.org/

それでは、今日は新橋演舞場歌舞伎の昼の部に行ってくるので、取り急ぎご紹介まで!

11/04/13 ヒノキの花粉に負けて苦しいです

2011-04-13 23:59:15 | つれづれなるままに

ここ数日の息苦しさ、眠気などの身体のつらさは半端ではない。おそらくヒノキの花粉に負けて喘息症状がひどいのだと思う。
スギはもう何年も減感作療法を続けていて、スギ花粉を薄めたものを毎月1回注射をしてもらっている。スギ以外のアレルゲンの注射はないのだそうだ。スギの季節のつらさは減感作療法の効果が上がっているようで、今年の飛散量の多さでもなんとか我慢の範囲内になってきている。
しかし、TVの気象情報の花粉情報のコーナーでヒノキの花粉が多いという話が出た頃から肺のあたりが腫れているような気がする。
9日の日に女子高時代の友人たちと歴史散策を楽しんだが、私ひとり息を切らしていた。運動不足もあるが、やっぱり花の季節は花粉の季節だからと春には参加しないメンバーもいるくらいだ。

その散策の記事も書きたいのはヤマヤマだが、もう少し身体がラクになってからにさせていただこうと思っていますm(_ _)m

11/04/08 ついにFacebookにデビュー!

2011-04-08 23:59:33 | つれづれなるままに

Facebookは映画「ソーシャルネットワーク」でも話題になっていたが、mixiですら使いこなしていないのに、私がFacebookなんておそれ多いことだと思っていた。
はてさて、4/5に仕事のご縁のAさんからFacebookへの招待が届いた。どうしたものかと放置する。4/7、Aさんの娘さんも私の職場の入っているビルの2階下にいて、昼休みにロビーでばったり出会った。その話題となって、娘さんにもお母さんからFacebookへの招待が届いたそうで、自分はともかく、「是非登録してやってください」と背中を押すひとことをいただいた。

えいっ!
まぁ、わけはわからないが、夜中にともかく登録し、「Facebook」のホームをお気に入りに入れてみる。「知り合いかも」という一覧に知っている方が出てきて、なるほどなぁと思ってそのまま終了。
4/8、帰宅して一応のぞいてみる。まだよくわからないが、芋づる式に何人かに友達リクエストを送信。そのうち何人かから承認が返ってきた。メッセージも送らずにリクエスト送信だけだから、承認が返ってこない人がいても仕方がないと思う。
この間、「Facebook」をすすめてくださっていたYさんからは承認とともメッセージが届いて恐縮。

私はネット上でのフットワークが軽くないので、「Facebook」を使いこなせるかどうかは未知数。
とりあえず、「Facebook」デビューのご報告まで!
(4/9写真を追加)
JR与野駅から出かける時は、近くの市営の駐輪場に自転車を預ける。その駐輪場の手前に岩谷産業(株)関東支社があり、社屋に沿って3本桜の木が並んでいる。花咲く季節には毎年楽しませてもらっているが、今回初めて自転車を降りて携帯のカメラにて撮影。

11/04/06 今月の観劇などの予定+ソフトバンク「白戸軒ラーメン」など

2011-04-06 22:51:38 | 観劇

冒頭の写真は、先月の最初の週末に実家近くのソフトバンクショップに行ってもらった「白戸軒ラーメン」2袋。袋の裏面に「白戸軒ラーメンはマルちゃん製」とあり、抽選で白戸軒どんぶりも2000名に当たると宣伝あり。「オレもほしいぞ」と言うお父さん犬のイラストがあるだけでなく、注意表示に「このラーメンは犬など動物には与えないでください」と赤い文字で書いてあるのが可笑しい。
母が要介護2の認定になっているので、基本料金が無料になるかもという情報があって確認に出かけたのだった。調べていただいたところ、障害者手帳保持者であれば無料になるようだが、介護認定を受けているということでは無料にならないとわかった。前回対応してくれたスタッフの勘違いだったのだが、今回の担当者が窓口まで問い合わせてくれて確認してくれたので母も納得した。携帯料金は私が負担しているので、母としてはその負担を軽くしてやりたいとこだわっていたのだった。私はおそらく無理だと推測していたが、母の気がすむように確認に行った次第。
ソフトバンクは会社としても義援金を10億円、孫社長が個人として100億円寄付をするという。いちはやく表明したユニクロの柳井社長の10億円もすごかったが、その10倍ということで孫社長は世の中を驚かせた。「ノブレス・オブリージュ」ということもあるが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という名著の精神も思い出す。
資本主義というのは資本の論理(当初の論議は間違い)が暴走するおそれを内包しているが、その暴走をさせないのが社会的な規制でもあるし、経営者の倫理観でもある。創業リーダーはその倫理観を発揮しやすいのだと思うが、賞賛に値するとやはり思う。

3月の観劇の方は震災で中止になった公演もあったが、リピートの日だったり、当日券で観劇できたりということで結局は全ての舞台を観劇できて有難かった。
以下、今月の観劇などの予定です。
9(土)=玲小姐さんの「がんばれ日本協賛お花見企画」。大河ドラマがらみで増上寺などを散策予定。
15(金)浅草公会堂:劇団若獅子公演=亀治郎の客演を楽しみに新国劇デビュー!さちぎくさんによみうりカルチャーの企画をお誘いいただきトークショー付き!!
17(日)新橋演舞場:四月大歌舞伎昼の部
25(月)新橋演舞場:四月大歌舞伎千穐楽夜の部

今月の観劇は3回と少なめだが、5月が歌舞伎が2劇場、文楽も襲名披露公演、井上ひさしがらみ公演2本という悩ましい月になるので、バランスをとりたい。震災疲れもたまっているし、体調を整えることを優先するつもり(^^ゞ
ご一緒する皆様、よろしくお願いしま~す(^O^)/

11/04/05 被災者支援活動へのカンパ(4)「ビッグイシュー」→「仙台夜まわりグループ」

2011-04-05 23:50:25 | 住まい・地域を考える
これまでにも『ビッグイシュー』についてご紹介する記事を書いている。
2007年10/13の記事はこちら 2008年8/15の記事はこちら
我が家や実家にあるもので物資支援ボランティアをしてきたが、買った時の袋に入ったままの亡父の下着があるのを役に立てたいという話が出た。妹1のツレアイのお父様にも着ていただくようにしたが、まだまだ残っている(戦時中の世代のせいかストックがある程度ないと落ち着かない習性があったのか、ストックがあるのを忘れてまた買う「モズの早贄」状態か?)。

そこでいろいろと考えていたところ、『ビッグイシュー』のサイト「東日本大震災とビッグイシュー」というトピックス記事をみつけ、そこにリンクされていた「仙台夜まわりグループ」に行き着いた。
「NPO法人 仙台夜まわりグループ」のサイトはこちら
【支援物資のお願い】
そこで、さっそく家にあったものをかき集めて送ることにし、仕事帰りにスーパーに立ち寄ってダンボール箱を確保。カセットコンロ用のボンベ3本やカレールー、インスタントコーヒー、ふりかけ等を詰めあわせた。
佐川急便やヤマト運輸の営業所止めにして、ひきとりにいってもらうという形で救援物資を送ることができるとわかったので、コンビニに走った。

しかしながら、セブンイレブンのスタッフによると営業所止めの荷物はコンビニで扱えないとのこと。若い二人の女性店員さんに「それならどちらに持っていったらよいかを教えて欲しい」というと「ヤマト運輸のセンターか営業所へ」というので、最寄の場所を教えて欲しいとたたみこんだ。そうしたらセンターの場所をいろいろな地図をひっくり返して調べてくれたが、近くに営業所があったことを思い出したらしく、道路の向かいにあるはずと時間はかかったが順当な答えをひねり出してくれた。

営業時間は終わっているらしかったが、場所だけでも確認して帰ろうと行ってみると灯りがついている。そこで入っていって聞いてみると「明日の扱いでいいなら」と受け取ってくれた。事情を話して厚くお礼を述べて出てきた。
さらにセブンイレブンに戻り、先ほどの女性のひとりに「時間外だけど預かってくれたから」と事情も加えてお礼を言うと実に嬉しそうな顔をしてくれた。キャンペーン中の肉まんも1個買って、もうひとりの女性の姿も見えたので「彼女にもお礼を言ってたと伝えてね」と頼んできた。こうして支援の気持ちを広げる努力も積み重ねるべく、頑張るのだ。

こうして荷物を送るだけでは申し訳ないので、【カンパ等のお願い】のところにあるように、郵便振替でカンパを送るつもり。明日の昼休みにでも郵便局に行ってこよう。

11/04/03 父の墓参り合宿と母の短期強制疎開(^^ゞ

2011-04-04 23:57:31 | 医療・介護・福祉など
2008年4/10に父が亡くなり、春のお彼岸か命日前後に娘たちが集まって母を連れて墓参りに行く恒例行事。名古屋の妹1が来られない時は妹2と二人は揃って母を連れていく。
今年は3月に来る予定だった妹1のツレアイが指を骨折、手術となって延期。その回復と仕事の都合もにらみながら、4/2~3の一泊二日で車で往復することになった。
4/2(土)の早朝に名古屋を出て、実家の母親を拾う。私が北本の妹2とJR高崎線の宮原駅で待ち合わせして午後3時半頃にさいたま市営霊園思い出の里で合流。一時納骨堂の前で墓参り。
その後、買い物をして北本の妹2の家へ。妹2のツレアイが仕事から帰宅。今日は珍しく私も料理を手伝っての夕食。
まだちゃんとした墓がないとか母がグズグズ言うので、昨年のことを思い切って報告。9月に私が市営霊園の立体墓地の分譲に応募したのだが抽選にはずれたのだった。今後の募集にかけることにして、当選するまで母には黙っていることになっていたが、何もしていないわけではないことをわかってもらうことため、3人で相談の上で知らせた。
最後まで粘って全部ダメだったらまた考えるということに。娘が3人、孫も女の子ばかり3人で、そのうち2人が名古屋圏を出ることはなさそうなので、こちらでお金をかけたお墓をつくっても将来的に長く維持するかどうかわからないので、無駄なお金を使いたくないと説得。私なんかは海に散骨してもらってもいいのだし、実にお墓問題は悩ましい。

合宿の晩、私が母と並んで寝たが耳栓を忘れたのが大失敗。睡眠導入剤を飲んでそれが効いているうちはよかった。不眠症の母が夜中に起き上がって「身体が痛くて寝られやしない」とか大きな独り言を言ったり、浅い眠りの時の大きないびきで目が覚めてしまい、3時半以降、あまりよく眠れなかった(T-T)

4/3(日)の午前中には母を妹1たちのワゴン車に乗せて短期強制疎開(^^ゞ
計画停電ですっかり生活のペースが狂わされてしまい、精神不安定になって電話で話をしても言うことがコロコロと違うので娘たちは振り回されて大弱りだった。そこで1週間ほど名古屋で預かると妹1が言ってくれたのに甘えることにした。
ハイ、行ってらっしゃーい!!であった。

(4/6追記)
当初は4/6(木)あたりに帰ってきて金曜日の午後のリハビリには行くと言っていた母。父が好きだった名古屋の桜の名所に連れていってもらえたし、いろいろとみんなが甘やかしてくれるので、居心地がよくなって逗留が長引いている。どうやら躁状態のようなハイテンションになっているらしく、名古屋の妹1一家はそうとう我慢しているらしく、そろそろ限界のようだ。
母は娘の妹1の後追いを執拗にするので、妹1もげんなり。内弁慶の典型で、外でいい子にしている分、家族には自分が一番という高圧的にしゃべる。相手がどう思うか斟酌せずにしゃべりまくるので、慣れないと辟易してしまう。今晩は娘2人とツレアイが家で夜ご飯を食べないで避難しているらしい。
土曜日に新幹線で帰ってくるが、まぁ一人でも大丈夫だろう。日曜日にでものぞきにいくのが私の仕事になるだろうと覚悟している。