07/02/18 歌舞伎座昼の部「仮名手本忠臣蔵」大序


歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」通し上演を初めて観るので、雨の中を口上人形に間に合うようにいつもより早めに家を出た。第一回東京マラソンの交通規制があるということだったが、地下鉄東銀座駅から出てすぐだから影響はなかった。それでもギリギリかと思ったら余裕があった。今回から11:00開演後に始まるようになったらしい。慣習も知らない人が多くなれば最早変えざるを得ないということだろうか。

関容子さんの『芸づくし忠臣蔵』にも登場されていた中村仲太郎が定式幕の前に黒衣姿で出て人形を遣って口上を述べる。
主だった配役を昼の部だけでなく夜の部まで読み上げるのだが、重要な役の前にはエヘンエヘンエエッヘンとわざと咳払いをして注意を引きつけて役者の名前を二度読み上げる。咳払いあり一度読み上げ→咳払いなし一度読み上げ、と扱いの大きさが耳からもわかって面白い。
おかるの名前は「腰元おかる」「女房おかる」「遊女おかる」とよびわけているのもなぁるほどだった。

幕開きもいつもと違って大げさだ。「天王立下り端」というおごそかな鳴り物の中で柝が間隔をあけて47回打つことになっている。定式幕はいつ開き始めたのかわからないくらいの感じで開き始める。最初はゆっくりゆっくり、真ん中以降でスピードが上がっていく。心地よい鳴り物に身を委ねて柝の音を数えてみたが、途中でわからなくなった。ゆっくり数えるって苦手だ。
幕があくと下手から役者が「人形身」になって目を閉じて頭を垂れて静止しているのが見えてくる。幕が開ききったあとでも、人物はすぐには動き出さない。竹本は出語りではなく御簾うちで語る。誰の語りであるかをイヤホンガイドで聞いて知る。竹本が主だった役の名前が呼ぶと初めて首をクックックッと上げていき目を開き、正装の大きな袖をふわっと浮かせて居住まいをただして人間としての命が入って動き出す。歌舞伎の方で人形浄瑠璃を意識した演出をしているようだ。
大序というのは時代物浄瑠璃の第一段のことで、それがきちんと残っているのはこの「仮名手本忠臣蔵」だけとのこと。このかなり大げさな厳かさを味わえるのがこれだけというのは貴重である。特に人形から人間になるところはゾクゾク感が走った。この幕開きは何年かに一回は観たくなりそうな予感がした。

【大序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場】
文楽の「鶴ヶ岡社頭兜改めの場」の感想はこちら
今回の主な配役は以下の通り。
高師直=富十郎 塩冶判官=菊五郎
桃井若狭之助=吉右衛門 足利直義=信二郎
鷺坂伴内=錦吾 顔世御前=魁春
信二郎の直義は気品があって美しい。4月の錦之助襲名が楽しみだ。陪臣の礼服である素袍大紋を身につけ烏帽子を被った姿も色とりどりで美しい。
文楽で遅れて観ていなかった冒頭部分。師直と若狭之助の言い争いとその仲介に入る判官のやりとりを観て、実録では短気な浅野内匠頭のイメージがこの狂言では若狭之助にわりふられ、判官はおっとりとした好人物にしたのだなぁとあらためて思った。『太平記』にあったという高師直の塩冶判官の妻に横恋慕したエピソードとつなげていったというあたりも作者たちの工夫に感心する。

さらに顔が佳いから顔世というネーミングにしたらしく、顔世御前には大事件を起こす横恋慕の対象となる色っぽい美しさが必要らしい。魁春は品格はあると思うのだが残念ながらそこまでの色っぽさを感じることはできない。お元気ならば雀右衛門、そうでなければ芝雀あたりの配役で観たかったというのが本音。

富十郎の師直がとにかく立派!若狭之助をいびるところは憎憎しさたっぷりだし、懸想する顔世を登場からずっと見つめ、言い寄るところなど恋するおじさんの可愛げがあふれていた!!富十郎のお年でこれだけ元気にいじめ元気に女に言い寄る役ができるというのはすごいことなのではないだろうか。
吉右衛門の若狭之助もとにかく若い。正義感が強く気が短い小大名を演じていて可愛さを感じてしまった。富十郎とのやりとりも気合十分で見ごたえあり。菊五郎の塩冶判官がとにかくいい人なので、この3人のバランスが見ていて心地よかった。

写真は今月の「耳で観る歌舞伎」表紙の富十郎師直。
以下、この公演の別の段の感想
2/18歌舞伎座昼の部「仮名手本忠臣蔵」三・四段目
2/18歌舞伎座昼の部「仮名手本忠臣蔵」道行旅路の花聟
2/25歌舞伎座千穐楽夜の部「仮名手本忠臣蔵」11段目
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07/02/25 歌舞伎座千穐楽夜の部「仮名手本忠臣蔵」11段目


昨年9月、文楽の「仮名手本忠臣蔵」通し上演を国立劇場小劇場で初めて観た。
その時の感想はこちら)。

歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」通し上演は今月初めて観た。あちこちのブロガーさんおすすめの関容子さんの文春文庫『芸づくし忠臣蔵』もアマゾンで在庫1冊とあったのを買って目を通してから観劇。
昼の部は18日に観たが感想アップが遅れた。そしてもう今日は千穐楽で夜の部観劇となってしまっていた。充実感あふれる夜の部を打ち出されて帰ってきた。
今日は一番短い最後の討入りの場の感想を書く。そこから大序に戻って書いていこう。

【十一段目 高家表門討入りの場】
《同 奥庭泉水の場》
《同 炭部屋本懐の場》
討入り決行は12月14日。塩冶の浪士たちは47士ということで「いろは」の文字を一文字ずつ書いた札を背に刺した揃いの火事装束に身を包み、高師直の屋敷の前に勢揃いし、暗い中での敵味方の区別のための合言葉「天(あま)」「川」を確認。由良之助率いる表門組、力弥の裏門組に分かれ、由良之介の陣太鼓を合図に討ち入る。
これまでの様式美あふれる芝居と異なり、この場面は実録風といわれるリアルな演出だった。11段目は上演のたびにけっこう違った演出だったらしい。今回の立ち回りも歌舞伎で見慣れた様式的なものではなく、時代劇風のチャンバラ風。
ついに炭部屋に隠れていた師直を見つけ、呼子笛で全員が集まる。由良之介は判官が切腹した九寸五分で切腹をせまるが、師直が手向かいするので首をはねる。首級を槍に掲げて勝どきを上げて、大団円。
今回の主な配役は以下の通り。
大星由良之助=吉右衛門  原郷右衛門=東蔵
小林平八郎=歌昇  竹森喜多八=松江
磯貝十郎左衛門=種太郎  大星力弥=児太郎
高師直=幸右衛門

浪士の竹森喜多八と高家の剣豪小林平八郎との立ち廻りが圧巻だったが、菊五郎劇団系忠臣蔵の名物だという。昭和27年の立師八重之介が振付けたものらしい。互角すぎて剣を投げ捨てて柔道の巴投げのようなものまで入った殺陣だったが、歌昇と松江が気合十分に見せてくれた。
討ち取られる師直を本役の役者がつとめることは珍しいらしく、立派に見える名題さんが選ばれるということで、今回は幸右衛門だった。
夜の部の大星力弥は児太郎で、前の段などでも子どもの台詞回しすぎた。御曹司の子だからとキャスティングの際にどの家のお子をということでバランスをとるのだろうと推測している。しかしながら若手での上演ならよいが、あまりに周りとのバランスがとれていなかったので、私にはかなり物足りなかった。
イヤホンガイドによると、実際の討入りの時に鎖帷子を下に着こむということはされていたが、揃いの装束ではなく、それぞれの自前の着物に暗い中に目印になるように袖口に晒布を縫い付けたのだという。それが黒い着物の袖口の白い雁木模様というようになっていったのだろう。

それにしても敵討ちまでのつらいつらい日々を描いた後で、揃いの衣装で討ち入って本懐をとげるというのはドラマの終幕として観客側にもようやく胸のすく思いをさせて絵にもなる。舞台の終幕としてはここの場面や橋のところの引き上げの場面がふさわしい。浪士の切腹の場面までつきあうとなるとちょっと厳しいものがある。私が「元禄忠臣蔵」を観なかったというのは、そういう場面での終幕を観たくなかったという心境があったのも本音。

文楽といい、歌舞伎といい「仮名手本忠臣蔵」は周期的に通し上演を観たいと思える作品だった。

写真は、今月の筋書の表紙の討入りの錦絵より由良之介部分のアップ画像。
以下、この公演の別の段の感想
2/18歌舞伎座昼の部「仮名手本忠臣蔵」大序
2/18歌舞伎座昼の部「仮名手本忠臣蔵」三・四段目
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07/02/24 「アカドクロ」VS「髑髏城の七人」97バージョン


「髑髏城の七人」は1990年初演、1997年再演、2004年アカドクロ版、アオドクロ版と7年ごとに上演を繰り返してきた劇団☆新感線の人気作品。作・中島かずき、演出・いのうえひでのり。
「SHIROH」のDVDを買う時に送料を無料にするために合わせて買った1997年再演版のDVDを持ってはいた(DVDで「ドクロBOX」が出る位の作品なので全く知らないのはいけないと思いつつ、一番安かったバージョンにした)。娘とともに一度観ようとしたが冒頭の歌の場面でつまづいて挫折したままだった。
  
そこで新宿バルト9のオープニングを飾るゲキ×シネ4作品一挙上映の中でアカドクロ版、アオドクロ版を観て我が家のDVDと合わせて制覇する計画をたてた。
2/22に新宿バルト9で「アカドクロ」を観た。面白かった。DVDも2/24土曜日に観た。
両方の配役は以下の通り。( )内が97バージョン。
玉ころがしの捨之介と天魔王の二役=古田新太(同じ)
無界屋蘭兵衛、実は森蘭丸=水野美紀(栗根まこと)
ぺてんの沙霧=佐藤仁美(芳本美代子)
極楽太夫=坂井真紀(高田聖子)
抜かずの兵庫、実は兵六=橋本じゅん(同じ)
裏切り三五=河野まさと(同じ)
贋鉄齋=梶原善(逆木圭一郎)
兵六の兄・磯平=磯野慎吾(同じ)
斬光の邪鬼丸=山本亨(同様の役回り、きらくいんがまる:右近健一)
狸穴二郎左衛門、実は徳川家康=佐藤正宏(こぐれ修)
服部半蔵=川原正嗣(同じ)

物語の舞台は織田信長の死後8年たった関東。信長の影武者だった二人の男を二役で古田新太が主演。そのひとり髑髏党を率いる天魔王は関東を支配し、秀吉に対抗する北条家も裏で操っている。天魔王は刀も銃弾も通さない髑髏の頭の兜と鎧を身につけている。このダースベイダーのような姿だから二役の対決場面も楽しめるわけだ。
天魔王の髑髏城をつくった城づくりの一人の沙霧が絵図面を持って逃げ出す。追っ手の髑髏党の邪鬼丸たちから沙霧を捨之介や二郎左衛門が救い、無界屋蘭兵衛が仕切る色里に隠す。遊女の頂点にたつ極楽太夫にぞっこんで通い詰めるのは関八州荒武者隊を率いる抜かずの兵庫。そこに髑髏党が襲ってくるが、極楽たちが戦乱を逃れてきた鉄砲衆という正体をみせて応戦。
蘭兵衛は天魔王に300梃の鉄砲を無界屋の女たちの命を引換えろと売り込みにいくが、天魔王に森蘭丸だと見破られ、薬を飲まされてしまう。信長の代わりに自ら天下をとろうという天魔王の持つ野望に引きづりこまれてしまうのだ。秀吉軍を関東に引き寄せて英国艦隊に大阪を襲わせようと8年がかりですすめた陰謀は番狂わせで実現しなくなると、を自分の身替りにして逃げ延びようとする。
髑髏城を舞台に7人は闘い、天魔王を倒してそれぞれの未来に旅立っていって幕。

「アカドクロ」は期待以上に楽しめた。戦国時代の最後に関東を舞台にしたフィクションの物語をエンターテインメントにして十分面白い舞台になっていた。新国立劇場中劇場の奥行きのある舞台を活かした演出もよかったと思う。
しかし.......。古田新太、太ってしまったのは彼については許容範囲内だからいい。一番の問題は髪型だ。DVDで見た捨之介の写真でも髪が黄色だったから色はいい。問題はヘアスタイル。上がスポーツ刈りのように短くて襟足が長いあの髪形。あれが嫌いなのだ。娘が小さい時に同じくらいの子どもにもあれをさせているのを見たことがあったが親の顔が見たいと思うくらいに嫌いだった髪型。あれで一気に冷めてしまった。客演の女優を含めて女性陣の熱演はよかった。しかし物足りない。ワハハ本舗の佐藤正宏も狸イメージを生かして狸親父の家康で好演だと思った。東宝ミュージカルのテナルディエやヴァンパイヤの宿屋の亭主よりよほどいい。しかし、物足りない感が強く残った。

そこで1997年再演版のDVDを観たら.......。
「髑髏城の七人 1997 DVD」の詳細はこちら
前回つまづいた冒頭の歌の場面を我慢するとそこから先は面白ワールドに一気に入っていく~。当時の技術での撮影ということで音響などの状態があまりよくないために冒頭の歌が聞き苦しいと推測した。こちらではカマイタチの術を操るきらくいんがまるが右近健一になっているくらいで歌の見せ場も多い。QUEENのパロディが多いのも私として嬉しい限り。右近健一の声が「SHIROH」以来大好きなので、「アカドクロ」での禿頭の犬神泥師という役は物足りなかった。
古田新太、チラシ写真より太っていると舞台でもみんなにチラシを示されてからかわれていたのは笑えた。それでも今よりかなりスリムでカッコいい。にわかファンの私でも今のおデブ古田でも好きなのだから、この頃に熱烈ファンになった人は今の彼にもさらに深い愛情を注がせるのだろう。そして気になる髪型はこっちの方がはるかにカッコいい。でも今の彼には似合わないのかもしれない。
沙霧は佐藤仁美も元気でいいが、芳本美代子がとにかく歌もうまいしカッコいい。極楽太夫はやっぱり高田聖子!芳本美代子とともに歌う場面などもいい!!

それに大きな違いは無界屋蘭兵衛を水野美紀か栗根まことというところ。前髪の美しい小姓だったイメージの強い森蘭丸だったという設定でいえば、女優の水野美紀の方がいいのかもしれない。しかし実は信長の骨を拾ってつくった大型算盤をしょっているところといい、薬を飲まされて蘭丸に戻り、敬愛する?信長を殺された恨みをメガネをはずした目に宿しながら思いを吐露する場面などの迫力に、栗根まことの魅力を気づかされてしまった。

1997年のサンシャイン劇場での録画だが公演日は多分10月18日。黒板に贋鉄齋が字を書く場面に年月日と当番いのうえと書かれていて毎日書き換えていると思われた。
ライティングも派手で美しいし、壁際に仮設した花道も効果的に使われていたのも面白かった。「アカドクロ」よりも荒削りだが、劇団メンバーの魅力がより楽しめるし、ロックバンドの音も目立つしというところで、97バージョンに軍配を上げる。

染五郎が「現代の歌舞伎の誕生」と絶賛したことで劇団☆新感線に出演するきっかけともなった作品ということだが、むべなるかなと納得した。
写真は公式サイトより ゲキ×シネ「アカドクロ」の宣伝画像。
ゲキ×シネ「アオドクロ」は3/1に観る予定(→観てきた。感想はこちら)。
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07/02/23 盛り上がった定年退職者激励会+カラオケ

職場の労組女性部でのグループ活動の勉強会にずっと参加しているが、そのメンバー3人がこの春で定年を迎える。そしてコンプライアンスという観点でこの春から定年延長制度がスタートし、皆さんその一期生になられる。
その皆さんへのグループによる激励会が2/23に開催された。一次会はグループでおなじみの大地亭を貸切にして20人以上が参集。女性部の全国役員だった面々が多いので札幌と博多からのメンバーも手弁当で参加してくれた。
ちなみに私はそのグループの最年少メンバーなので、私の定年の頃はどなたもいないというのがツライところだ(T-T)
参加者全員が各自3分以内で各自のこれからの抱負を語ることでエールを送り、主賓からも抱負を語っていただいた。三人で話し合って、これから最低一年は嘱託で頑張るとたのもしい決意も語られた。

一人一言の名刺大のミニカードがあらかじめ届いていたのを書き込んだものを持ち寄って名刺フォルダーにセットし、花束とともにプレゼント。さおり織のストールをお正月返上でつくってプレゼントした方、手焼きの焼き物をプレゼントした方もいた。
それぞれの先輩のこれまでの人徳によりこんなに慕われていたことの現われというものだろう。大盛会だった。

二次会のカラオケは参加申し込みの際に激疲れ状態のために失礼するとしておいたが、ある方に「オペラ座の怪人」を歌えと拉致された。カラオケ店の一階の一番大きな部屋に入って皮切りに「オペラ座の怪人」。怪人とクリスティーヌを一人二声で歌うのはけっこう大変だった。♪ア~アア~アア~アア~ア~♪のところがないバージョンだったのでなんとかなった。

あと歌った曲は「時代」「勝手にしやがれ」「ねらいうち」「愛の賛歌」。毎日持って出かけている帽子とストールを小道具として活用できて好評をいただいた。
最後に皆で「翼をください」「遠い世界に」を歌って打ち上げた。

結局は終電近くなっての帰宅となった。
したがって土曜日一日はほとんで寝ているといたという次第。
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07/02/19 文楽公演第三部「妹背山婦女庭訓」四段目より


【第三部】『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』
近松半二・松田ばく・栄善平・近松東南の合作の全五段の時代物。蘇我入鹿を藤原鎌足らが倒した大化の改新を題材にしている。2003年7月歌舞伎座で初上演だったという「蝦夷子館の場」を右近の入鹿で観たのみ。入鹿が父の蝦夷子を死に追いやり巨悪の本性を現す段だ。橘姫の春猿の赤姫姿が気に入って写真を買っている。
今回は三輪山の苧環伝説を踏まえた四段目からの上演。この公演はTVカメラが入っていたので小劇場だとけっこう雰囲気が違っているように感じた。第三部は上手の床に近い席。今回に比べて一部二部は床が遠くて物足りなかったとつくづく自覚した。

《道行恋苧環》
幕開きは橘姫が三輪の里での求女との逢瀬から戻るところから。そこに求馬が追いついて姫に名前をきくが、せつながるばかり。求馬と恋仲の杉酒屋のお三輪が追いつき、二人の女が一人の男をめぐっての争いとなる。夜明けの鐘に驚いて逃げる姫の袂に求馬は赤い糸を縫いとめて跡を追う。お三輪はその求馬に白い糸を縫いとめて追うが、糸は切れてしまって悔しがる。
橘姫=呂勢大夫×喜一朗×清之助
求馬=咲甫大夫×龍璽×和生
お三輪=津駒大夫×寛治×蓑助
主な配役3組にさらに大夫三味線が加わる五梃五枚は超豪華。男をめぐる恋敵どうしの女の闘いは激しかった。高貴な姫も庶民の娘に負けていなかった。「恋はし勝ち」とまで張りあうのには意外性を感じてしまった。求馬は女の方から寄ってくるようないい男だが、二人の女に同時に手を出しているのは罪な男だ。

《鱶七上使の段》伊達大夫×清友
三笠山に新築なった蘇我入鹿の御殿では祝宴の最中。玉女の遣う鱶七がやってきて入鹿に追われた藤原鎌足が降伏の印の書状と祝酒を届ける使者だという。命をねらわれながらも豪胆な鱶七のふるまいが気持ちいい。その勇猛な肉体美あふれる男ぶりに色恋ご法度状態の日々を送っている官女たちが言い寄ってくる。欲求不満ぶりがぶちまけられた義太夫の内容がたまらなく楽しい。持ってこられたお酒の毒見に庭の花にかけるとたちまち萎れるところの仕掛けが不思議。これもどんななのか知りたいものだ。→藤十郎さんの情報によるとお花に針金が入っていて介錯さんが下から抜き取るとのことでした。なぁるほど!
伊達大夫は初めてかもしれない。愛嬌あふれる表情にやられたm(_ _)mここの官女たちは黒衣姿で遣われている。入鹿の家来の白塗りの弥藤次を遣う幸助はメトロ文楽でしっかりと覚えたので、コワイような真面目なお顔につい目がいく。

《姫戻りの段》英大夫×宗助
御殿に戻ってきた姫を出迎えた官女が着替えさせようとする。袂の糸に気付いて手繰り寄せると求馬が釣れてしまった。無理やり御殿に招き入れられた求馬は姫が入鹿の妹橘姫だと知る。そして姫も求馬が兄の敵方の藤原淡海と知っていると告げる。求馬は姫を斬ろうとするが、覚悟の上で討たれようとする姫に兄から三種の神器の一つの十握の剣を奪ってくることを条件に夫婦になると約束する。
英大夫が姫を語る時の可愛らしさといったらなかった。

《金殿の段》嶋大夫×清介
この段が切り場で通常はここで終わることも多いらしいクライマックスシーン。
嶋大夫は前回の公演は体調をくずして休演されていたので今回は楽しみにしていた。床に座られてすぐに鼻をかまれたので大丈夫かと心配になる。また床の向こう側に若手の大夫がずっと見守っている。これは途中で語れなくなった時のために控えているのかしらとさらに心配になった(→すりょんさんに「白湯汲み」ということでコメントいただきました。感謝です)。清介がムンっというような気合の声を入れながら三味線を弾き始める。それに乗って語り始めるが音程がおかしい。えっ?えっ?と思うがしばらくすると乗ってくる乗ってくる。そのうちに怒涛のような語りになって顔を真っ赤に大汗をかいての大熱演。床が近かっただけに大迫力だった。

入鹿の御殿にお三輪がやってきて「豆腐の御用」の下女に年の頃は二十三・四のいい男が来なかったかを尋ねると「姫様の恋男でみんなで寝所に押し込め布団を被せた」とか「宵のうちに内証の祝言があるはず」とか答える。この下女の語りの内容もかなりすごい。義太夫では御殿づとめの女性たちの色恋への欲求不満の様子がしっかりとからかわれている。姫様の恋をかなえようというのも姫様大事というよりもその模様を垣間見ては自分たちもしっかりと楽しみたいということなのだろうと邪推してしまう。
嫉妬に燃える心を押し隠しながら御殿の奥にすすんで求馬を取り返そうとすると、さきほどの4人の官女たちに見つかってしまう。御殿の祝言を拝ませて欲しいと頼むと求馬に縁の女と気づかれてさんざんに嬲られる。ここの官女たちは出遣い。注目の玉勢はお三輪の右について嬲る(梅の局と思われる)。酌を覚えろとか舞を舞えとか歌えとか言われ、ついに馬子唄を歌えば大笑いされる。そこで大儀と追い払われ、取縋ればひきづられ、「お姫様と張り合うとはかなわぬことじゃ」「女の躾をしよう」とつめられ叩かれ引き倒され......。ここでお三輪の誇りはズタズタにされる。
泣いているうちに悔しさが爆発し、袖や袂を食いちぎり身を震わせ髪をさばいて荒れ狂い、求馬のいる奥へと突き進んでいく。奥から出てきた鱶七へも退けと言い、すり抜けていこうとするが裾を踏まえられてしまう。そしてたぶさを掴まれて脇腹を刺されてしまう。
「女悦べ。......命を捨てたる故により、汝が思う御方の手柄となり、入鹿を亡ぼす術の一つ」と鱶七。入鹿の魔性を打ち消すために「疑着の相」ある女の生血が必要だったというのだ。鱶七は鎌足の家来金輪五郎であると正体を明かす。玉女の遣う大きな人形が歌舞伎の引き抜きのように変身するのもまた見ごたえがあった。お三輪は求馬の役に立つことを喜び、やがて疑着の相も消え、生きているうちに一目求馬に会いたかったと言いながら苧環を抱きしめながら息絶える。最後は鱶七がお三輪を抱き上げて弔おうとするところへ花四天が打ちかかるのでそれを蹴散らして華々しく幕となる。嶋大夫はしっかり語り終えられそうになるところで若い大夫も退場し、私もホッと安心した。そこに「大当たり!」の掛け声!

蓑助の遣うお三輪が嬲られる場面は本当に可哀相でそれを爆発させる場面には共感。疑着の相を呈する場面の迫力は人間では絶対に体現できない。このパワー最高時の生血ならまさに魔性の力を封じ込める力がありそうと説得力あり。最後はまた恋する可愛い女に戻って死んでいくのがまた哀れ。蓑助が途中で大きな声で掛け声をかけたのをこの段と前の段とで2回聞いたが、とても力強くて驚いたし嬉しかったということも書いておこう。

《入鹿誅伐の段》咲甫大夫×龍聿
大詰は橘姫の活躍がある。祝宴で今様を踊って入鹿を油断させて御剣を奪う。ところが入鹿はそれを偽物だと言い、本物の御剣で妹に斬りつける。そこに生血をかけた笛の音が響き、入鹿の力は抜けてしまう。御剣も自ら龍に姿を変えて飛び去っていくのを手負いの姫が水に入って追っていく。
その飛んでいった御剣を手にした鎌足が御殿に現れる。家来たちが神鏡を入鹿にかざせばさらに力が萎えてついに鎌で首を切られる。その首は火を吐きながら宙を飛ぶがついには淡海に祈り伏せられる。
この段は若手のホープ咲甫大夫・龍聿コンビ。いい声で最後をしめてくれた。

このお話、結局は求馬を愛するふたりの女が犠牲になり、その力で入鹿の征伐がなっている。橘姫もその後の消息が語られていないが、御剣を追う中で落命したに違いない。女が死ぬことで大きな力を発揮するという考え方のルーツはどこにあるのだろうかということも考えてみたくなった。

ウェブ検索で見つけたサイト『作品研究』の「殺されることで救われる」という文章がとても参考になったのでご紹介しておきたい(→こちらへ)
写真は『あぜくら』1月号の表紙のお三輪のアップ。
以下、この公演の別の演目の感想
2/12第一部「奥州安達原」
2/12第二部「摂州合邦辻」
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07/02/17 『芸づくし忠臣蔵』を読んで通し上演昼の部へ

関容子さんの文春文庫『芸づくし忠臣蔵』が書店や古本屋でさがしても見つからず、業を煮やしてアマゾンで注文。明日18日の歌舞伎座「仮名手本忠臣蔵」通し上演昼の部の観劇を前に、前半までは目を通した。
さあ大序の前の口上人形に間に合うように出かけたい!
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07/02/12 文楽公演第二部「摂州合邦辻」

【第二部】『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』
この演目は全くの初見。菅専助と若竹笛躬の合作の上下二巻の時代物。世話物が得意だった菅専助ならではの構成という。継母の継子への不倫の恋というモチーフは古くから伝承があって、説経節「しんとく丸」などがある。
歌舞伎では下巻の切の「合邦庵室の段」以外の上演は稀だという。文楽では今回のように「万代池の段」もあわせての上演が多いとのことで、やはり文楽と歌舞伎の両方を観ると作品の鑑賞がより深く楽しめそうだ。あらすじは以下の通り。
《万代池の段》
高安家の俊徳丸は邪恋をしかける継母玉手御前に飲まされた毒酒で顔のくずれる業病にかかり失明し、天王寺の万代池の畔の乞食小屋に身を隠している(一部の袖萩の小屋と同じ物!)。その往来で合邦道心が閻魔堂の勧進をして昼寝を始める。ここに浅香姫がきて姿の変わった俊徳丸に許婚の行方を尋ねるが西国巡礼に出たという。奴入平ともども様子を窺って俊徳丸本人とわかって再会を果たす。
そこに俊徳丸の妾腹の兄次郎丸が横恋慕する浅香姫を追ってきての立ち回り。昼寝から目覚めた合邦が二人を助け、閻魔の牽き車に俊徳丸を乗せて逃げろといい、次郎丸を池に投げ込む。
《合邦庵室の段》
俊徳丸と浅香姫は合邦の家に匿われた。その庵室では合邦とその女房が娘のお辻=玉手御前が不義の罪で成敗されたものとして大勢での念仏供養を頼んでいる。そこに人目を忍ぶ黒ずくめの頭巾姿の玉手御前が帰って来る。両親は幽霊が帰ってきたものとして家に入れてやった。出家をすすめるが突っぱねる玉手。「年寄った左衛門様より美しいお若衆様なら惚れいで何とするもの」と継子への恋心を口にし、匿われた俊徳丸を見つけると口説くは、連れ添う浅香姫には蹴りを入れるは、の乱行。
父合邦がこらえきれずに玉手を刺す。虫の息の下で玉手は本心を明かす。次郎丸が家督をねらって俊徳丸を殺そうとする陰謀を知ったが、継子のふたりとも死なさずにことをすまそうと、俊徳丸に邪恋をしかけ毒酒を飲ませて家から出した。その毒酒を飲ませた同じ杯で、同年月日刻生まれの女の肝の生き血を飲ませれば毒を消すことができ、寅で揃う自分の血を飲ませるために追いかけ回していたと告白。そして覚悟の鮑の杯をみせる。もう助からぬ玉手のため、合邦は居合わせた皆に百万遍の数珠を回し念仏の輪に玉手をすえる。継母の真情に感謝する俊徳丸に自らの鳩尾を短剣でえぐって肝の血を飲ませた玉手。果たして俊徳丸が目も開き元の美しい顔に戻ったのを満足して絶命。一同、玉手の極楽往生を願う中で幕。

「万代池の段」の義太夫は合邦の英大夫がメインで役によって太夫が入れ替わる。英大夫のお人柄が語る合邦にあらわれているような感じ。「合邦庵室の段」は中・切を3組がリレー。一部の『奥州安達原』と同様でこれが普通なのかなと今頃気づく(^^ゞ綱大夫・清二郎父子→住大夫・錦糸の切の素晴らしさ。欲張りの末にへばりながらもよくぞ聴きにきたと自分が報われた気がした。

吉田文雀は淡々と遣う中で玉手の抑えに抑えた激情を感じた。吉田文吾の遣う合邦も元が侍だったという気骨と娘への深い愛情に揺れる男のつらさが伝わってきた。
そして人形での注目場面の第一、俊徳丸の頭がいつかわるのかというところをちゃんと見ていたはずだったの......鮑の杯を煽ったら綺麗な頭に早代わり!アレレレレ?どういう仕掛けになっているの??どなたか教えていただけると有難いですm(_ _)m
→戸浪さまにコメントで「面落」という仕掛けを教えていただきました。感謝です!!

さて、この作品の中心的テーマ、玉手御前の俊徳丸への想いはどのようなものだったのかについて考えてみる。恋愛感情か否か、どちらともとれるように描かれてはいるが、私はやはり恋愛感情だったと思えた。ただし、究極のプラトニックラブだ。
玉手は腰元奉公した先の主人に乞われて後妻にはなったものの、二十歳前後の若い女である。継子の俊徳丸が美しければ恋心を抱いても何の不思議もない。さらに命の危機が迫っていることを知ったことで、自らの命を犠牲にしてでも男の命を守りたいと恋心はさらに深くなる。俊徳丸を救って自らが死んでいくことこそ玉手の愛情表現そのものなのだと思う。

親元に戻って出家を迫られた時、親の前でも「継子に懸想しているふり」をしたとは言うが、実際のところは本心が無防備に出てしまったのではないかなと思った。親に対しての甘えもあるだろう。どうせ死ぬことは決めているのだから、その真情の発露が乱行になったのだ。最後は立派に義を通して死んでいく玉手が哀れで可愛くて仕方がない。表立って愛したと言えない男への愛に殉じた玉手は、女としての一念を通すことができて幸せだったのではないかと思う。
これは歌舞伎であれば立女形の資質を問われる作品なのだろうと思いながら、住大夫×文雀の玉手に見入っていた。

写真は公式サイトより今回の公演のチラシ画像の玉手御前。
以下、この公演の別の演目の感想
2/12第一部「奥州安達原」
2/19第三部「妹背山婦女庭訓」四段目より
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07/02/12 文楽公演第一部「奥州安達原」


国立劇場小劇場の二月文楽公演は三部制なので全部観ようとすると体力的にも経済的にもけっこうきついが、観始めて面白くなってきている私は欲張って全部観る。
二月の三連休が結局は3日連続観劇になってしまった最終日に一部二部と続けて観た。
【第一部】『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』
近松半二・竹田和泉・北窓後一・竹本三郎兵衛の合作の全五段の時代物で今回は「朱雀堤の段」「環の宮明御殿の段」ということで三段目全部の上演のようだ。
昨年1月歌舞伎座で「環の宮明御殿の段」を観ているが、今ひとつ感動しなかった演目(感想はこちら)。さて文楽ではどうだろうか。
奥州の安倍一族が源氏によって討伐されてしまった後の話という設定。皇弟環の宮の守役平仗直方にはふたりの娘があった。妹娘の敷妙は源氏の八幡太郎義家に嫁し、姉娘の袖萩は素性のしれない浪人との不義のために勘当されていた。
《朱雀堤の段》
袖萩は行方がしれなくなった夫をさがして放浪の末に盲目となり、都の朱雀堤で娘のお君とともに物乞いをしている。義家の家来志賀崎生駒之助は傾城恋絹と逃避行の途中でこの堤にさしかかると義家の妹八重幡姫が追ってきて、仗とも出会う。未来は姫を生駒之助に添わせることを誓って恋絹は祝言をあげてもらおうとする。そこに小屋の中から袖萩が声をかけて娘の誕生祝の振舞酒のために用意した酒を三々九度の酌をお君にさせる。そこに恋絹に横恋慕する瓜割四郎が追ってきて袖萩はふたりを小屋に隠す。は乞食女が娘と知っても声をかけられず、四郎を追い払って二人を逃がす。仗が去った後で周囲の人が話すのをきいた袖萩は、父の大事を知る。そしてお君とともに父のいる環の宮御殿に急ぐ。
《環の宮明御殿の段》
何者かに誘拐された環の宮の行方が知れず、守役の仗は責任をとって切腹しなくてはならないこととなっていた。そこに上使として敷妙が現れて義家からの上意を伝える。さらに義家も現れて宮を拉致したのは安倍貞任・宗任兄弟だという証拠になる書状を見せる。そこに桂中納言が勅使として現れ、庭に引き出された義家の鶴を殺した南兵衛という男と持参した白梅をめぐってやりとりをする。その白梅に事寄せて仗に切腹を迫って奥に入る。(このあたりは歌舞伎では省略されていた)
雪道の中、袖萩がお君に手を引かれてようやく御殿の枝折戸のところに着く。仗はそれに気づくが勘当を解いておらず声もかけない。浜夕も気づくが迎え入れることができない。浜夕は三味線を持った乞食女がなぜ祭文を歌わないとうながす。袖萩は祭文にのせてこれまでの身の上を話し、孫に免じて赦しを乞う。夫の素性を明かす書状には安倍貞任の署名があり、敵と夫婦になった娘とは尚更ゆるしてやることができなくなった。
雪が激しくなり癪を起こして苦しむ袖萩。お君は自分の着物を脱いで母にかけて介抱し、袖萩は親不孝な自分に親孝行な娘が育ったと泣いて抱きしめる。そこに南兵衛が縄から抜け出して現れて宗任であることを袖萩に明かし、仗を討てと懐剣を渡す。去ろうとする宗任に義家は関所の手形となる金札を渡して逃がしてやる。
仗がついに切腹すると、門の外で袖萩も懐剣で喉をつく。仗の亡骸の懐から書状を奪って立ち去ろうとする中納言を呼び止める義家。貞任と見破り、白梅のやりとりは弟と源氏の白旗を血で汚し、源氏を調伏したと糾弾。
正体を明かした貞任に、袖萩は死ぬ前にひと目だけでも夫の顔がみたいとお君とともに縋りつく。男泣きする貞任だが袖萩はついに息絶え、お君は祖母のもとへと預けられる。
弟宗任も正体を明かして現れるが、義家はこの場での対決は見送り、戦場での再会を約して絵面に決まって幕。

「朱雀堤の段」は袖萩の呂勢大夫がメインで役によって太夫が入れ替わる義太夫。呂勢大夫の語りはけっこう好き。「環の宮明御殿の段」は中・次・切・奥とリレーする義太夫。段によって変化がついて面白い。

お君を遣う桐竹紋吉が12月の「恋女房染分手綱」の三吉を遣っていたのを思い出した。ご自身が童顔なので子どもの人形を遣うと本当に可愛い。桐竹紋寿が遣う袖萩との母娘の情愛に泣かされる(こういう親孝行な娘が私も欲しい)。吉田玉也の仗と吉田和生の浜夕に、娘を赦したくてもできない武家の親のつらさにせつなくなった。
そして圧巻は桐竹勘十郎の安倍宗任と吉田玉女の安倍宗任が正体を現した人形を遣って大きく動いた時だった。いやぁ、でっかいでっかい!!いくら歌舞伎で役者がぶっかえっても、こういう立役の人形の大きな人形の顔や手足、大きな動きの誇張には目を見張らされる。同期のお二人の火花も散るようで観ている方にも気合が入る。
この演目は物語の筋を追うだけでも緊張を続かせるのがけっこう大変だった。けれど最後のこの場面は無条件にカッコいい。歌舞伎だとどうしても袖萩とお君母娘の場面が一番の眼目に思えるが、文楽では弟宗任の見せ場もきちんとあるので兄弟揃って暴れるような最後のこの場面が盛り上がる。義家との絵面引っ張りの見得のように決まる最後もよかった。

こういう話だと把握できた上で次に歌舞伎の見取り上演を見たら、もう少し気持ちがのるかもしれないとも思った。
写真は第二部観劇後に伝統芸能情報館1階の展示コーナーにあった「奥州安達原」安倍貞任の飾り人形。幕間に芸能資料展「人形浄瑠璃から歌舞伎へ」を案内するアナウンスがあったので第二部終了後閉館時間の6時まで短時間で見にいった。「18世紀に行われた人形浄瑠璃と歌舞伎の交流を取り上げ、義太夫狂言の誕生と発展を紹介する」内容。小さいコーナーなのでささっと見てこの人形を見つけて喜んで撮影。3月25日までやっているとのこと。

以下、この公演の別の演目の感想
2/12第二部「摂州合邦辻」
2/19第三部「妹背山婦女庭訓」四段目より
追記
桐竹藤十郎さんのブログの「東京公演」の記事のコメント欄のやりとりに触発され、袖萩の死について考えてみた。
袖萩は自分を勘当した父の敵に夫がなってしまったことにどうして詫びようという気持ちだったと思った。父の死の後を追うことで死後に再会して詫びて赦しを乞うつもりだったのではないか。さらに息子の千代童も死んでいるからその子にも会える。娘のお君は自分の死後は母に託すことができる。そんなことを反芻しながら考える。歌舞伎で観た時はそこまで思い至らなかった。今回、作品の味わい方が深くなったようで嬉しい。
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07/02/14 本日お休みして休養+諸手続き


三連休に3日連続観劇のあげく、最後の晩に娘と大バトルになってしまった。バイトで疲れがたまったり嫌気が募ったりすると私に対して滅茶苦茶な態度をするので切れてしまったのだった。
絶不調なまま仕事に行ってちゃんと頑張ったが、なんとか休めそうだったので相方に頼んで水曜日一日生休をもらうことにした。

途中で二度起きたが寝直して12時まで寝ることができてラクになった。
昨日、仕事帰りに医者に寄ってお願いしてあった「意見書」をもらってきて、帰宅後の娘に「申請書」を書かせておいた。
娘がバイトに出かける前に入っている風呂の隣の台所で、娘のおにぎりを私がつくってやることに今日もなる。服も用意しろと騒ぐ。こうして甘えられるのがけっこう負担なので最近は日曜日も出かけてしまうことが多いのだ。
バイトに送り出した後で私は市役所へ。娘の「自立支援法」の医療費補助の更新手続きに行く。雨が降りそうで嫌だがせっかく休みをもらったのだから頑張ろう。タイヤに空気を入れて気合を入れて、自転車で2駅先くらいまで遠出。
窓口で提出書類の確認の後で書類を送ってもらったことに御礼を言ったら、「書類さえ揃っていれば郵送でいいですよ」と言ってもらえた。控えの用紙は送り返してくれるとも言っていただいた。これはいいことを聞いた。来年からはそうしようと思う。
明日はバイト先が棚卸しで朝9時出勤という。明日の朝が思いやられる。
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07/02/11 アヌイ×蜷川×松の「ひばり」


ジャンヌ・ダルクのお話は子どもの頃の少年少女版で読んだのと、リュック・ベンソン監督の映画を観た。ミラ・ジョボビッチのジャンヌがとても気に入っている。
ジャン・アヌイの「ひばり」というと劇団四季で野村玲子主演のチラシが頭をよぎるが未見。ジロドゥとアヌイという劇団四季が大事にしてきた作品は実は両方まだ観たことがない。フランスもの=ウィット・ユーモア・エスプリがきいた洒落た作品という先入観が邪魔をした。チラシも松たか子の写真が大きすぎて気に入らない(ジャンヌがこんな髪型のはずがないし、松たか子を前面に出せばいいと思っているのか~と反発)。しかし蜷川幸雄が演出するならばとようやく未踏の世界に踏み出す決心をした。

よく知られたジャンヌ・ダルクの物語をジャンヌの異端審問の法廷での再現劇としてすすめていく。ギリギリに着席すると四角い舞台の上では役者たちが大勢登場して動いたり着替えたりしていて準備中の雰囲気。そうしてウォーリック伯爵がなかなかすすまない法廷にかみつくところからスタート。裁判の傍聴席が四方を取り囲むリングのような法廷が舞台。左右と奥の三方を劇中の傍聴席、手前の客席も傍聴席となって私たちも裁判の進行を見守っていくのだ。
益岡徹の聖母教会の司教コーションが法廷での審問を続ける。神の声を聞いたと信じているジャンヌがそれを悔い改めなければ、教会を守るために異端者として火刑にしなければならない。ジャンヌを目の前にして彼女の純真さにふれてどうにかして教会に従わせて命を救いたいという立場で説得するように審問する。益岡徹の舞台は初見だがこの役はぴったりだったと思った。
ウォーリック伯爵の橋本さとしは「ベガーズオペラ」で教養のある乞食戯作者の演技が目に焼きついているが、紫色の衣装の裾を翻し、ピンクの薔薇をもてあそびながら尊大な貴族をカッコよく演じてくれて○。
このふたりが対峙する場面など背も高くて見栄えがするのも嬉しい。

ジャンヌが子ども時代のことに回答すると両親の二瓶鮫一・稲葉良子らが出てきてジャンヌとやりとりするという風に舞台はすすむ。親たちは娘のいうことを信じずになぐったり嘆いたり...。それを説得し、塾一久の近くの軍隊の隊長を説得し、ようやくシノンにいる王太子シャルルとの謁見までこぎつける。シャルルは周囲の貴族たちにも心を許せず、自分を守るために馬鹿なふりをしている小心者。山崎一の小柄で痩せて目ばかりが大きい容姿をうまく活かしてコミカルなキャラクターになっていた。
そのシャルルの説得の場面が一幕目のクライマックス。ジャンヌは相手を持ち上げてその気にさせて多くの人を説得するという「人たらし」の術にたけた人物として描かれていた。これは予想外で新鮮。「人たらし」の場面がコミカルでこれがフランス劇のよさなのかもしれないと思い当たる。
松たか子はチラシにあった長い髪をバッサリ切って、少年のような髪型で登場してくれてまず安心。子どもの頃から聞こえてきた神の声と何度もやりとりしている時の遠くを見る目はきらきら光っている。その声に抗い続けながらもついに立ち上がる強さ、それも恐怖や不安を抱きながらも振り切っていく心の強さを凛として表現する。ジャンヌの声と神の啓示の声の低音の使い分けも頑張っていた。このタイトルロールは今の彼女にはまさにハマリ役といえる。当たり役になると思った。長く再演されていく時に芸の力でこの少女の役を演じ続けられるかどうかが問われてくるだろう。

二幕目の審問は戦いの勝利やランスでのシャルルの戴冠の頃をすっとばし、捕まるあたりから。
異端審問官の壤晴彦との審問のやりとりの緊迫感も見事だった。そしてこのやりとりの中で「人間観」が問われていたのが興味深かった。教会は原罪思想から人間を罪深い存在として捉えるので教会で正しく指導を受けなければならないとする。ジャンヌが人間には素晴らしい面もあると主張することがもう異端だとされるのだ。最後にいったん受け入れた異端信仰を悔い改める誓書への同意をとりさげることを決意する場面にもその考え方が貫かれた。神の声が聞こえなくなっていたことに苦しんでいたジャンヌは「神の声がきこえない時は神は人間を信頼されているのだ」と確信をもって自分の生き方を否定したことを覆す。「人間の尊厳」を高らかにうたうこの基調はジャン・アヌイの主張のようで、この戯曲のよさをかみしめた。
それと最後は火あぶりのシーンのままで終わるのかと思ったら、さにあらず。火刑台も何もかも取り払われて、ランスの大聖堂でのシャルルの戴冠式の場面で絵のように決まって終わる。ジャンヌの幸せの絶頂を再現しての幕切れ。こういうのは洒落ていて観終わった感じが暗くなくていい。

王太子の家族の女性たちもなかなかよかった。王妃が月影瞳、愛人が小島聖、王妃の母の王太后が阪上和子。特に小島聖が色っぽさ全開。この愛人は王太后が選んで婿に与えたのだというから後宮による男の操縦のおそろしさというのもドラマに奥行きを加えていたと思った。
いつもの蜷川作品へのベテラン出演者に加え、今回はさいたま芸術劇場で養成コースができて話題になっていたゴールドシアターのメンバーも傍聴席で出演していたのだという。人生経験の豊かなメンバーに囲まれての稽古場はいつにもまして熱かったそうだ。
プログラムで「俺なんかまだまだだな、じゃあ年に11本やって勉強していいんだ」などと書いてあって、蜷川幸雄氏のハイペースな仕事ぶりにまた唸ってしまった。70歳を超えてこのパワー!この熱さをなるべく追っかけていきたいという想いがつのった。

写真は公式サイトより今回の公演のチラシ画像。
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