先月の現代劇版と2ヶ月連続企画としてまとめて捉えると先月のイライラは解消。
コクーン歌舞伎「桜姫」初日の簡単報告はこちら。
【桜姫】作・鶴屋南北 演出・串田和美
今回の主な配役は以下の通り。( )内は6月の現代劇版で相当する役名。
七之助=桜姫(マリア)・白菊丸
勘三郎=清玄(セルゲイ)
橋之助=権助(ゴンザレス)
彌十郎=残月(ココージオ)
扇雀=長浦(イヴァ)
亀蔵=入間悪五郎照門(イルモ・イルノルト)
笹野高史=見世物師因果勘六、ほか
あらすじは、
[歌舞伎]All About「桜姫東文章」の記事がわかりやすいのでご紹介。
2005年の公演とは演出が全く異なっていて、冒頭から先月の現代劇版と連動させる台詞もあり、2ヶ月連続企画の工夫というか実験の意欲がうかがえる。
今月は先月は途中で動いた客席も最初から奥の三方にあって、常に舞台を四方から客席が囲む形。正方形の舞台に丸盆が切ってあって上方には大相撲のように四角い屋根が吊ってある。冒頭の心中の場面は奥にある客席で勘三郎初役の清玄と七之助の白菊丸の芝居となるのが追加発売席でもS席分楽しませるということかと納得。なお、私はコクーンシートでの観劇だったが俯瞰的に見えてよかった。
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さらにここで死に遅れた清玄の情けない感じがいかにも勘三郎ならではという感じで見せてくれたのが、後々の清玄の白菊丸→生まれ変わりの桜姫への妄執にうまくつながって説得力を増した。
今回の狂言回しの役は笹野高史。「淡路屋」という掛け声をあびながら飄々とした話芸で笑いをとりながら、ぐいぐいと物語をすすめていく。
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新清水寺の場面は2005年も黒衣が押してくる小さい箱状の上での芝居があったが、今回はさらに身分の高さによる高さの違う台で役者が自分の足で漕ぐようにして奥の客席の下から登場するという演出。桜や社殿は串田和美得意の手づくり小道具を手に持って何人もの人が脇でアピール。わざと猥雑な感じを出しているのかしらとも思うが、どうにも安っぽく見えてしまうのが惜しい。
そういう台の上に乗ってではあるが七之助の桜姫が登場すると、姿といい声といい時分の花の桜姫という風情でまず溜息が出る。もうここで今回の「桜姫」は見応えありと極まったようなもの!
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桜姫の許婚・入間悪五郎の亀蔵が白塗りで出てきたのは赤塗りの荒若衆姿というイメージを覆して予想外だった。先月のイルモ・イルノルトが白いスーツ姿だったのと符合すると思ったが、赤塗りという役柄の設定への理解をした上で見るという歌舞伎の約束事なしで観てもらおうという演出なのかと解釈してみた。
残月・長浦カップルは前回と同じ彌十郎・扇雀だったが、扇雀の長浦が前回にも増したはじけっぷりで思いっ切り笑いをとっていたが、私はちょっとやりすぎのような気がした。最後は権助に身ぐるみ剥がれた惨めな姿で退場といういつものパターンだったので安心してみていられた。粟津七郎と葛飾のお十のエピソードはぐっと省略しているが、これはまぁ特に問題なし。
今回の2ヶ月連続企画の共通性は一人の役者が二役替わって清玄と権助を演じるところを二人の役者にきちんと分けながらも、桜姫をめぐって存在する男として、ある時は対照的にある時は一体的な存在として描いているところにあると思った。
橋之助の権助は桜姫が一回でぞっこん惚れ込むのが納得のセクシーぶり。初心な姫君に身体先行の色恋が燃え上がることを無理もないと思わせる色気がたっぷりだ。この男と添い遂げたくて清玄の献身的な愛情を退け、言われるがままに女郎にまでなっても構わないという桜姫の恋への一途さにあきれながらも劇的な生き方がまさにドラマのヒロインにふさわしい。そして男は可愛いが産んですぐに里子に出した我が子への愛情は明らかに薄い。母性愛なんて自然に備わるものではないことを鋭く描いている。
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かたや勘三郎の清玄の桜姫への妄執ぶりは情けなさが極まっているのが実にいい。岩淵の庵室で残月に毒殺されかかっての仮死状態から雷鳴で復活し、桜姫と再会しての無理心中のもみあいから殺されても哀れに感じないくらいなのがまたいい。阿闍梨という高位まで上り詰めた修行も結局は愛人への妄執でくずれさるというのは南北の皮肉が効いているようにも思える。
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権助内に女郎になった姫が幽霊つきだからと返されてくるが、つきまとっているのは清玄の亡霊で、「こわかねぇよ」「消えちまいなよ」と言われながらもしつこく付いてくる。ここまで姫を連れてきて権助との因縁を教えるためだったのだろうか。
勘三郎が権助の姿に代ってちょっとだけ出て台詞をしゃべり、また橋之助の権助に戻るのがオヤと思ったが、権助の過去の悪行を洗いざらい姫にしゃべってしまう場面の演出の効果を上げるためだった。通常の歌舞伎では姫に問われた権助が酒に酔った勢いでべらべらしゃべってしまうのだが、串田和美はそれはおかしいと思ったのだろうか。清玄の霊が権助について無理やりしゃべらせたというように勘三郎の声で橋之助が苦しそうにしゃべる真似をするのだ。まぁその方が権助は女房にも過去は隠し続けようとしている男として描かれる。自分の全てを投げ打って愛している姫には裏切られた感が強くなるだろう。
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かくして姫は悩み苦しみながらも、色恋に終止符を打って父と弟の仇を討つべく権助を刃で刺し殺す。ところが赤子は殺さない。憂いの表情のまま、通常の歌舞伎の御家再興の大団円の場へと変わっていく。その腕に生きた赤子を持たされて憂いの表情で桜姫は幕切れを迎える。
さらにその両脇には地獄に落ちるだろう清玄と権助が宙吊りになってもがきながら降りてくる。2006年4月の
「四ツ谷怪談」北番の伊右衛門と直助が
無間地獄に落ちる幕切れを彷彿とする。
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2005年版の幕切れとも違い、まぁこれくらいなら違和感はあまりなかったが、女への願望と男のしょうもなさという串田和美の男と女の描き方のパターンの踏襲を感じた。私の好みではないが、まぁこれもありでしょう。
先月の現代劇版も含めてふりかえると、「桜姫」の世界を多面的に楽しめたのはよかったと思う。
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今回のコクーン歌舞伎は七之助の桜姫が七難を隠した。台詞回しもずいぶんと頑張っていておかしくはない。ただその頑張った感じが表に出てしまっていてちょっと力みを感じる。玉三郎の桜姫のように淡々としゃべると高貴な姫君の鷹揚さが滲むのだ。しかしながら玉三郎に役の気持ちを教えてもらっていて演じたというその成果が十分に感じられる。七之助がタイトルロールを演れる女方に成長したことが一番嬉しかった今公演だった。
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写真は公式サイトより今回の公演のポスター等のデザイン。
(追記)
今月の筋書の解説にあった先行浄瑠璃の挿絵に清玄の桜姫への煩悩が蛇体になったところが描かれていた。岩淵の庵室で桜姫が清玄に投げつける経典が蛇腹状に飛び交う様がそのイメージに重なった。