ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

2014/08/31 疲れすぎ?!バスで病院前を寝過ごす(T-T)

2014-08-31 23:59:44 | 医療・介護・福祉など

ブログの更新が滞っているねとご指摘を受けました。返事コメントもその方のブログの方へのみでこちらには入れずという失礼千万状態で恐縮の極みです。おゆるしくださいm(_ _)m

母の手術立会いから2週間は仕事もボランティアも散策も観劇も娘の面談への同行などなど、スケジュールがぎっしりとつまり、必死にこなすのが精いっぱいだった。

職場では人事制度改定の改定申し入れに労働組合で2年がかりで要求をまとめ、団体交渉をする日が台風で1ヵ月延びてしまい、ようやくお盆明けに開催された。私も久しぶりに参加してシビアに発言。根本的に見直して欲しいがそれができないならせめて労組要求のレベルをという最も過激な内容でビシッと話をしたら、胃が痛くなってしまった。

終了後、ロビーで休んでいたら知らない男性職員から声をかけられた。「さっきの発言、すごくよかったです。そうだって声を上げたかったけれど言えなかった」。ゆっくり話もしたかったけれど時間がなかった。それでもこれで私がやるべきことはやれたかなと思えた。

8/30-31の週末は久しぶりに大きな予定なし。8/30(土)は午前に待ちに待った歯科の治療日で大宮へ。7月半ばから応急処置でしのぎ、それでも痛いのを痛みどめを飲みながらずっとしのいできていた。麻酔をかけて掘り進んだところ、神経の炎症までいっているとのこと。歯の根のところの神経にダメージを与える薬を埋め込んで次回に神経を抜くとのこと。やっぱりなぁ。右の方は神経を抜いた歯のはずだから、本当はそっちの方が重症かもしれない。怖いなぁ。

昼には戻って娘とサイエスタへ。ランチ後に娘は若者サポートのNPOのたまり場へ楽しそうに出かけて行った。臨床心理士さんも驚いているが、同じような状況の仲間で支え合える実感があるのだと思う。

私はどうにも身体がしんどくて午睡。そうしたら途中で発熱してきた。微熱だったがとにかく寝た。疲れすぎなのだと思う。

夜のテレビで「大人の虫歯が本当はコワイ」というような番組をやっていた。「大人虫歯」は、歯茎がやせてきて歯の根元から虫歯になることが多く、ひどい時には折れてしまうのだとか?!今回は違うが、ちょっと前にそれで一本治療するハメになっている。「成人喘息がコワイ」ということも私は該当するので、大人になっての病気に次々とやられていることにがっかり。これはこれで受け入れないといけないね。

翌日曜日は午後から母の病院へ。久喜の駅から乗ったバスで思わず寝入ってしまったらしい。気がついたら見知らぬ景色の中だった。前の席の年配の女性に聞いたら「とっくに過ぎてしまいましたよ」とのこと。その人が次の停留所で降りたのについて出て、反対側のバス停を教えていただいた。感謝m(_ _)mかなり離れた反対車線の停留所まで歩いてじきに来たバスで折り返した。

やはり田舎の病院という感じで、休日の見舞客も少なく、カフェはお休み。売店近くのロビーに人がいると思ったら母だった。杖をついてここまで歩いてこれるようになっていた。前日に妹2が来て車椅子でロビーに連れ出されて歩く特訓をされたので今日はここまで歩けるようになったという。
ややしばらくして妹2とツレアイくんがやってきて合流。5階の病棟の談話室で差し入れの鯛焼きでお茶をした。カフェが休みなので今日はベンダーマシンのコーヒーで我慢。

左右の足の骨の湾曲状況が違うので、今回は骨を切る角度も違い、周囲の筋肉にも手が入ったようで出血も多く、痛みが長く続いたので足が動かせず、筋肉が固まってしまい、それをほぐすリハビリが痛くて仕方がないらしい。
それでもこんな調子で階段の上り下りができない状態で退院させられてしまえばショートステイ施設にいくしかないよと少々おどすと、それは嫌だから頑張るという。病院のケースワーカーさんからケアマネージャーに連絡をとってもらうことになっているというので、無理やり退院させらることはないと思うが、まぁあと2週間後くらいかな?

10/11には名古屋の姪っ子2の結婚式があるのだが、本人は「行けない」と言うばかり。前から積極的に行きたいという気持ちがない母に、私がその気にさせようとずっと説得してきたが無理強いはできない。少々情けない母である。こういうババもいるっていうことだね。

冒頭の写真は、母の主治医の金子先生も加わった症例報告を貼りだした紙を撮影したもの。

2014/08/14 母の右膝の手術、無事成功!病院も気に入ってよかったよかった

2014-08-14 23:59:49 | 医療・介護・福祉など

お盆も関係なく母の右膝の手術の日。仕事を休んで朝から立会いに行ってきた。3月の左膝の手術は実家の近くのD大学附属病院だったが、3月末で主治医の勤務先ではなくなってしまい、今回はその先生について久喜総合病院での手術となった。
JA埼玉県厚生連の病院。幸手総合病院だったのが移転してきたので建物も設備も新しく、水田の中にあるので母の病室からは稲の緑が綺麗で、白鷺が飛んできていた。D病院は看護師さんたちがすれた感じの人が多く、ナースコールをしてもなかなか来てくれなくて、母も見舞いにいった私たち姉妹もひどい病院だという見解で一致していたが、こちらはしょっちゅう覗きにきてくれるので母はすっかり安心できていた。
若い男性の主治医は気さくで私がいろいろ質問しても丁寧に応えてくださり、左右のどちらを先にするかについても私が2月に意見を述べたことを踏まえて見直してくださった柔軟な方。高脂血症で軽い脳梗塞もしたことがある母でも血流改善薬を止めないままで手術する方法もとってくださった。
今回は北本に住む下の妹2もツレアイがお盆休みで車で連れてきてもらって、一緒に手術の結果をお聞きするのに間に合った。看護婦だった妹は気になるデータの質問もして的確に応えてくれるし、やりとりの感じがいい先生だとのこと。母は運がいいと意見が一致した。
2回目の手術の後は、最初の時よりも気を抜いたリハビリになってしまう患者さんも少なくないので頑張ってもらってくださいとのことだったので、麻酔から覚めた母にしっかり伝えておいた。

D大学附属病院では食事がひどくて完食できたことがなく20日間で7㎏も痩せるほどだったが、今回はご飯もおかずも美味しいとベタ誉め。D病院で朝食に出てきたパンはお皿に6枚切りの食パンがそのまま出てきて食べられたものではなかったけれど、こちらでは8枚切りが2枚、袋に入って温かい状態で出てきたしキャロット味で美味しかったとのこと。

一人暮らしで介護保険で半日の通所リハビリを週3回利用しているため、D病院で長くいるよりもと、リハビリを頑張って退院を繰り上げてしまった母。娘3人も長くいなくてよいと支持したものだった。
久喜の病院にはリハで顔なじみの先生もいらっしゃるし、今回はゆっくり入院していようというつもりになっている。3週間ぐらいの予定。


久喜総合病院のサイトはこちら

2014/08/08 渋谷で夜9時半まで仕事、月曜日締切の宿題あり

2014-08-08 23:59:13 | つれづれなるままに

私はこの間、歴史ものの原稿手直しへの協力をずっと続けてきたが、渋谷の本部へ4時半に集合がかかって、冊子編集のための監修をお願いしているOBの方も加えて関係者4名の打合せ。
入稿前に出版の部署のマネージャーに確認してもらいながら、修正個所をすり合せる。読み物にするのでその内容を語れる人物を登場させていて、顔ぶれのバランスもチェックが入る。年代ごとにエピソードやら歴史の証言コーナーやら枠をつくって埋める作り方にしていたので、どうしても重複が出てきてボリュームが出てきてしまっている。
重複のあるところは枠をとっぱらって合体させたり、このエピソードはなくてもいけるとか、大ナタをふるって刈り込んでいく作業をしていった。

最終の文章整理もやりながらの作業で、1960年代以前のページからから2000年代以降の分まで一通り終わったら夜9時を過ぎてしまった。何か所か、月曜日締切で宿題が出た。
それは週明けということで、もう燃焼切れ。
途中で差し入れのお菓子や飲料をいただいていたのでそこまでなんとか頑張れた。

終了後は、それぞれ後片付けで忙しく、私は一人でジョナサンへ。
韓国で食べた冷麺は麺の色やスープが店によってさまざまでそれぞれ美味しかった。ジョナサンの冷麺はスープも具もそれなりに美味しい。私は辛くない白スープにしてコチュジャンを足すぐらいがちょうどよかった。なんかオクラを入れるのが流行りだが、彩りは綺麗になるし簡単だからじゃないかな(笑)

冷麺は麺がそれなりに硬いのでそれを噛みしめる力が必要だが、今は左右とも上の奥歯が痛いので食べている途中に痛み止め薬を飲む羽目になってしまった。

明日は実家に母の手術の同意書にサインに行く。先日のサインは入院の書類だったとのことで、二度手間になってちょっと負担感あり。
先週末の熱中症騒ぎから立ち直って2回目の自己血採決も8/7に成功し、いよいよ来週8/14に左ひざ人工関節置換手術が実施される予定。仕事を休んで対応する予定。

2014/08/06 被爆69年目の夏の日に・・・

2014-08-06 23:59:29 | つれづれなるままに

8/6の広島市原爆死没者慰霊式のテレビ中継を見てから出勤。就職して数年後の大阪勤務の時代に若い労組員の仲間で、地元の実行委員会で借り切った夜行列車のピーストレインで行ったことがあるが、後は留守番で若い人を代表派遣していたっけ。

今年は、7/27(日)に「第29回埼玉県原爆死没者慰霊式」に参列してきた。さいたま市に住んで10数年になるが初めてのことだ。
1986年に被爆40周年を記念して県知事、全市町村、2000名を超える県民有志からの浄財により当時の県立別所沼公園に建立された慰霊碑のところで毎年開催されているとのこと。私は被爆証言の聞き取りのボランティア活動をするようになっていて、地元埼玉の皆さんともお会いしたくて初めて参加してきた次第。
冒頭の写真は、被爆証言をリレー朗読される皆さんと設営されたテントの中でそれを聞く参列者の皆さん。テント脇の木陰に座っていらっしゃるのは埼玉県原爆被害者協議会の名誉会長の92歳の肥田舜太郎さん。

4人の代表による献水があり、参列者人員による白い菊の花と折り鶴を献花台に捧げたのも印象的だった。

被爆者運動のシンボルともいえる折り鶴だが、夏には集まり過ぎて困るという話を昔は聞いたものだった。現在では、ささげられていて古くなった折り鶴を回収して再生紙としてリサイクルするしくみができていることを、7月末くらいに京浜東北線の車内のトレインビューのCMで知って安堵した。これなら安心して折り鶴に願いを託そうと胸を張って言える。
ユーチューブにあった「折り鶴が再生紙に生まれ変わるまで」の動画はこちら

7/31(木)は職場有志の勉強会の今年度第1回例会だった。昨年度第1回も平和をテーマにした例会にしたが、今年は被爆者の方3人のご証言を少人数のグループに分かれてお聞きし語り合う企画にした。ご証言者を含めて27名の参加で真剣に平和を考える場にできたと思う。
さて、報告書をしっかりまとめなくちゃ。
きな臭い今の時代を生きる私が、後世の人たちのために果たすべきこととして、自分にやれることをしっかりやっていくことだろうと思っている。

2014/08/03 猛暑!母からSOS→日曜日だが熱中症で休日診療医療機関へ連れていく

2014-08-05 23:59:50 | つれづれなるままに

7/30(水)AMの臨床心理士さんとの面談で、娘の今年度後半の休学の継続を確認。当面は近くのNPO若者サポートネットさんのたまり場に顔を出すことが課題になり、8/2(土)になんとか二人でのぞきに行った。その後、映画「超高速!参勤交代」を観たり、10月の姪っ子2の結婚式に着るワンピースを買ったりと、娘の相手で土曜日は終わった。
日曜日は久しぶりにゆっくりするぞ~っと思っていたら・・・。

朝8時に母からの電話で起こされた。
「助けてよ・・・」
昨晩から始まった下痢で一晩中眠れなかったとのこと。腹痛なし。水を飲んでいるのに尿は出ない。これは行くしかない。

実家のある越谷市の休日診療の医療機関をネットで調べてメモ。朝食後に用意をして時間を見計らって北本の妹2に電話。看護師だったのでこういう時のアドバイザーで頼りになる。先日も私が指先を包丁でぐっさりやった時にも知恵を借りたばかり。
「それは熱中症だと思うよ」
やっぱりね!
スポーツドリンクとレトルトのお粥の在庫を持って、10時半に実家に到着。途中でメモをしておいたM病院に電話をしたら、断られはぐった。
「内科の専門医がいないので、まずかかりつけの内科のお医者さんに行ってください」との常套句。
「かかりつけの内科はないし、腹痛がないので消化器の病気ではなく、熱中症だと思うのでタクシーで連れて行きます」と言ったら、ようやく受け入れOKとなった。(母のかかりつけは整形外科と心療内科と脳神経外科)

タクシーに一人で乗るのを怖がる母親はタクシー会社の電話番号を把握していない。私が実家から徒歩3分の最寄駅までタクシーを拾いに行って、歩いて駅に向かっている母を拾って病院へ。

日曜診療を常にやっている病院なので待合には人がいっぱい。それでもそんなに待たずに診察を受けることができたが、院長先生だった。母は昔、この病院に包丁でスパッと手を切った時に院長先生に診ていただいていたのですぐにわかったが、先方では母のことなんか覚えている様子はなかった。まぁ無理はないでしょう(笑)
やはり熱中症だろうとのことで、スポーツドリンクでも経口保水液でもいいから杯1杯くらいずつ飲むようにとのことで終わりになりそうになったので、なかなか飲めないのでできれば点滴をしてほしいとお願いしたら、それではということになった。
ところが点滴があっという間に終わってしまったので、母に聞いたら100ccだけにするので20分くらいで終わるからと言われてやったとのこと。うーん、これなら診察の回転がいいわけだと妙に納得。さらに下痢が続くとどうしても「ち」に点々の症状がひどくなり、それも痛くてつらいというので薬をお願いしたのだが、病院には座薬しかなかったのが残念。

タクシーで家まで帰って、病院でもらえなかった「ち」に点々の軟膏薬を私が買いに行っている間に母はうとうとできたので元気を取り戻した。
よくなるまで食事はとらないように言われたとしょげていたので、毎日飲む薬もあるし、私が持ってきたおかゆを少しだけ食べて薬を飲めばと言ったら、さらに元気が湧いたようだった。
そこで私も帰宅したのだが、後から私が持って行ったレトルトのおかゆがおいしかったので、今度はまとめて買ってきてと頼まれた。いつものレトルトのおかゆは薄いので残り御飯を足しているけど、今回のはご飯の量が多くて美味しかったという。アヲハタブランドの白かゆなんだけど、母はきっともっと安いのを買ってるんだろうなと思い当った。
それと「軟膏薬を3回使ったら痛みがやわらいだ」と喜んでくれた。亡くなったお父さんは常備していたんだけど、しょせん他人事だったようで威力を知らなかったようだ。軟膏薬には局所麻酔剤が入ってるんだよね。これ、常識(苦笑)

翌月曜日は脳神経外科で併設している半日リハビリの日だったので、そこの院長先生に連絡をとってもらって事情を話して点滴をしてもらったら、前日の100ccはないよなとのこと。500ccの点滴をしてもらって復活!
8/14(木)の膝の人工関節置換手術に向けて、7/31(木)に400ccの自己血を採血されてから体調をくずしていた上での熱中症騒ぎだった。3月に右膝の手術をしてから貧血のために左膝の手術が延び延びになっていて、これでまた延びると困ると母は必死の気持ち。私もそうだねぇ。

8/7(木)にも2回目の採血があるので、そこでアウトになりませんように、なんとかお盆にうまく母の手術がすみますようにと、祈るばかり!!

土曜日は娘の相手、日曜日は母の相手で、またしてもゆっくりできる週末は幻になってしまった・・・。
さぁ、次の土曜日には休みがとれたのでそこまでなんとか頑張ろう!!!