12/06/26 姜尚中の青春総決算の本を読む


2008年7月に「姜尚中の本を読む」という記事を書いた。
2007年12/13の夜、新宿サザンシアターで姜尚中×小森陽一トークショー&サイン会「2008年、日本はどうすべきか」のトークで、あぁ本当に金大中氏を尊敬しているんだなぁという話しぶりだったことをよく覚えている。大学時代に韓国の民主化を求めて運動に明け暮れていた姜さんにとって、金氏は「たった一つの青春のシンボル」とでもいうべき存在だったという。

6/24(日)、久しぶりにゆっくりした私はBOOKOFFの105円コーナーで掘り出し物はないか探していると、姜尚中著『リーダーは半歩前を歩け──金大中というヒント』(集英社新書)を見つけた。字も大きいので一気読み終了。
2005年5/23、東京大学は金大中元韓国大統領を安田講堂に招いて講演会を開催。金氏の招聘に一役買った姜さんは、2009年2月に思い切って面談を申し込んだところ念願がかない、4/7にソウル市内の金氏の自宅で1時間半ほどの対話が実現したという。その記録が第4章だが、出版準備をすすめている中、金氏は体調を崩されて8/18に逝去された。この本はその翌月22日に出版されている。
以下、ウェブでの紹介の文章を引用。
政治も経済も未曾有の混迷期にある現在、私たちは「リーダーシップ」という古くて新しい問題を、問い直す必要がある。安全保障の激変期における政治家とは? 金融崩壊後の市場で持続可能な成長を実現し得る経営者とは? 明確なビジョンを示す上司とは? 本書は、古今東西の政治家や歴代の日本の首相に言及しつつ、悩める時代を突き抜ける「7つのリーダー・パワー」を提言する。韓国元大統領にしてノーベル平和賞を受賞した金大中氏との対談も収録。指導者不在が叫ばれる日本社会で、現代を代表する政治学者が思い描く、理想のリーダー像とは?

金大中氏との対話の中で、ここはと思ったところを以下、抜粋してご紹介する。
姜 先生のお話の中で私がいつも感銘を受けるのは、「フランス革命」と「イギリス名誉革命」の比較についてです。先生はこの2つの革命のうち、「イギリス名誉革命」の方を評価していらっしゃいます。というのもフランス革命では、ロベスピエールによって、王をはじめとする旧体制の人びとが粛清されました。これに対して、名誉革命は妥協的だったけれども、新旧の勢力が歩み寄ろうとしました。先生は「革命とは血が流れるものである。しかし、どんな場合でも、流血はできるだけ避けて、新旧双方が宥和する道を探るべきである」と一貫しておっしゃってきたように思います。そのようなお考えは、いつごろからお持ちなのでしょうか。
金 先ほどあなたが名前をお出しになったトインビーの『歴史の研究』を読んで多くを学んだと思います。
(中略)
姜 先生から日本の政治家に、──韓国の政治家に対してでもよろしいのですが、歴史に学ぶときに何がいちばん重要かということを提言していただけませんか。
金 いちばん重要なのは、長い歴史とよく対照して、自分たちがやった誤りを見つめることです。そして、反省して、それによって新しい歴史を再生していくことです。ドイツはそれをやりましたよ。敗戦ののち、世界に謝り、ユダヤ人に対していろいろな償いをしました。ドイツの学生は、子供のときから過去に対する教育を受けます。ドイツはあちらこちらにあるユダヤ人虐殺現場や収容施設を遺跡として保存しました。そのような反省をしたから、周辺の国々もドイツを信頼するようになったのです。
 ドイツはいまEUの一員として活動しているでしょう?北大西洋条約機構(NATO)の加盟国です。東ドイツが西ドイツと合併すると言って立ち上がったとき、かつては「ドイツの統一など、ぜったいに許さない」と言っていたイギリスやフランス、それからソ連も賛成しました。それは、ドイツの戦後の反省態度を認めたからです。
 同じように、日本も歴史に学んでください。そうすれば、われわれも日本をもっと愛するようになるのではないでしょうか。いまでも中国や韓国ではときどき反日デモが起こりますが、そういうこともなくなると思います。過去に日本に侵略されたアジアの国々には、いまだに日本に対する恐怖が、多かれ少なかれ残っています。不信感を拭いされていないから、日本がこれ以上強くなるのを恐れて、国連安保の常任理事国入りにも反対しているのです。
(中略)
姜 日本では過去と向き合うことがなかなかできづらい面があるようです。その根っこはどこにあると先生はお考えでしょうか。
金 そうですね。日本の民主主義はマッカーサーが来て、プレゼントしてくれたようなものではないですか。だから民主主義の基盤が、いまひとつはっきりしないのかもしれないですね。風が少し吹いただけで揺らいでしまう。日本の人たちは、私たちのように「民主主義を勝ち取るために、血を流して闘った」という思いがないのではありませんか。何となく手に入れてしまったから、あまりありがたいと思わない。だから「昔もよかった」などと言う。昔を懐かしんだり、戻ろうとしたりする。そのせいもあって、あんなに経済的に貢献しているのに、国際的にはあまり評価されないのです。歴史をきちんと見ないからです。損ですよ。
 民主主義はタダではないのです。民主主義を勝ち取っても、それを守るために積極的に努力していかないと、逆戻りすることがあります。ですから、私は日本の友人として、どうぞドイツに学んでくださいと、重ねて言いたいですね。そうすれば、私たちも日本を信用して、本当の友人になりたいと思うでしょう。私は一度、小渕首相と話し合って、ずいぶんとよい雰囲気になったのです。ところが、それからいくらもたたないうちに、また過去を美化するような動きが出はじめてしまいました。
 いま、戦後64年です。日本人の中でも、終戦時に10歳以下だった方は、当時のことをよく知らないはずです。ですから、教育で教えていかないと、彼らの子供、孫の世代は過去にどういうことがあったのか理解できないでしょう。とくに、いまの若い人などは、悪意があるわけではないのだと思います。意味がわかっていないのです。なぜ戦後何十年もたっているのに、いまだに罪人みたいに言われるのか、わからないのです。もう謝ったじゃないか、なぜいつまでもしつこく言うのか──と、たぶんそういう気持ちなのでしょう。彼らを悪いとは言えません。なぜなら、ちゃんと教えられていないからです。
 日本は、国民に対してきちんとした教育をしてください。過去の歴史に対して、真実を学んでください。そうすれば、日本は世界から愛される、偉大な国になる。私はそう思います。
(中略)
姜 それでは、そのようにグローバル化が進んだ世界になるとすると、その中でのリーダーはどうあるべきでしょうか。
金 政治家は、目の前の状況をよく見ながら、国民とコミュニケーションをとらなければいけないでしょう。
(中略)
 だから、リーダーは国民と一方では手を握りながら、その手を離さないで半歩前に行く。もし国民がついてこないようなら、ちょっと立ち止まって、手を離さないで説得をする。そして国民の声を聞く。そうして意見を合わせる。そのようなやり方が、いま、成功する秘訣ではないかと思います。

金大中氏は、軍事政権によって死刑宣告を受け、長く刑務所に入れられたり軟禁生活を送らされたが、その中で多くの読書をしたのだそうだ。それが理念や思想を形づくったと語っていることに感銘を受けた。

日韓両国で歴史教育の内容を検討する機関をつくろうということになって、ようやくドイツが周辺国と取り組んできたことに日韓は手をつけることができたという思いを抱いたものだが、それは確か小渕首相と金大中大統領が会談した時の合意ではなかっただろうか?

私が子どもの頃の韓国は軍事独裁政権の時代だったが、それがいつの間にか日本よりも民主主義が進んだ国になっている。やはり国民的な運動で闘って勝ち取ったという歴史的経験のためかと納得する。韓国の経済危機が深刻になり、現在も若者の失業問題は日本よりも深刻だと聞いているが、そこへの対応の試みは、日本よりも進んでいる面がかなり見受けられる。アジアで初の「社会的企業育成法」をつくったことなどに注目しているところだ。
それに関わる記事はこちら
また、私は『ベルサイユのばら』以来、フランス革命が好きだったが、ミュージカル『M.A.』(マリー・アントワネット)では、革命の理想と流血の問題が心にのしかかってきたものだ。民主主義の模索の道について、イギリスの状況について、少し真面目に追及してみようかという気持ちが強くなってきた。ちょうど同じく105円コーナーで山口二郎著『イギリスの政治日本の政治』(ちくま新書)も買ってきたので、しっかり読もうと思う。

(追記)
今日、衆議院で消費税増税案が可決されてしまった。この間の消費税増税が企業減税や金持ち減税とほぼ同じ規模であり、後者を元に戻すのが先だと思っているが、そういう勢力は小さいままだ。マスコミ報道はすぐに政局問題に流れてしまうのが問題だ。
この年になって、仕事も観劇も読書も忙しい日々となってきた。しっかりと自分の頭で考えて声を上げていきたい。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


12/06/23 澤瀉屋の団体襲名披露公演夜の部観劇前後にオフ会


6/23は「ヤマトタケル」観劇前にオフ会。
ADK松竹スクエアビル(松竹大谷図書館の入っている建物)2階にある「串焼・炭火焼肉 yagura(やぐら)」でランチ会。
ぐるなびの店舗情報はこちら
食べログの店舗情報はこちら
観劇のお仲間であるさちぎくさんの親戚の方がオーナーさんということで、一度行かせていただこうということになっていたので、夜の部観劇前ならちょうどよいということになった。ご一緒したのは、さちぎくさん、玲小姐さんと娘さん、北西のキティさんと私の5名で小さな個室でランチメニューをお願いした。平日ならともかく、ランチメニューを週末でも出していただける(日替わりランチは除く)のと、松竹歌舞伎会カードの提示で10%オフしていただけるのは嬉しい。

私は黒毛和牛すき焼き御膳1010円を注文。幹事のさちぎくさんおすすめのカマンベールチーズの紫蘇巻き焼きと鶏ももの七味焼きも単品で少しずつ食べられるように追加。美味!料理の写真は撮影しはぐったが、最後のデザートの「塩キャラメルピザ」が冒頭の写真。バニラアイスも含めて5人で分けやすいようにしてくださった。胡桃の味もマッチしてこれもおいしかった。
店長さん、気をきかせていただいて有難うございますm(_ _)m

午後1時に集合したが、3時過ぎまで個室でゆっくりできたのが有難かった。澤瀉屋の団体襲名までのいろいろな情報も交換。亀治郎最後の期間、精力的にTV等のマスコミ出演をけっこうみんな見ていてあれこれ話に花が咲く。香川照之の歌舞伎界入りの威力も大きく、7月公演が一般前売り日に完売したのも無理がないねぇと納得至極。

スーパー歌舞伎は初めてというさちぎくさん、玲小姐さんの娘さん、北西のキティさんにも満足いただいたようで、幕間も話が盛り上がる。
あいらぶけろちゃんさんは、帝劇で「エリザベート」観劇後にハシゴでいらしたが、なんと偶然にも隣席!松竹歌舞伎会ゴールド会員でほとんど同時にチケとりしたってことね(^^ゞ
幕間でお会いできたミーシャさんも終演後に時間があるということで、夜はメンバーが入れ替わってのオフ会をデニーズ銀座店で(^^ゞ

お仲間みんなで澤瀉屋の新しい時代の始まりを祝う気持ちが共有できて、楽しかったです。皆様に感謝!

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


12/06/17 映画「道 白磁の人」見果てぬ夢であってもそこに向けて行動することに意味がある!


玲小姐さんの娘さんのおすすめということで映画のチラシをいただき、ご贔屓の新猿之助も出演(撮影時は亀治郎)ということもあり、有楽町スバル座に観に行った。
【道 白磁の人】
映画.comの「道 白磁の人」から以下、「解説」を引用。
日本統治時代の朝鮮半島で植林事業に勤しみ、民族間で争いあう中でも信念を貫いて生きた実在の青年・浅川巧の半生を描いたドラマ。監督は「光の道」「火火」の高橋伴明。浅川役に吉沢悠、浅川と親交を深めた韓国人青年チョンリムにペ・スビン。1914年、朝鮮総督府の林業試験場で働くことになった23歳の浅川は、京城(現ソウル)に渡り、そこで出合った朝鮮の工芸品・白磁の美しさに強くひかれる。職場では同僚のチョンリムから朝鮮語を習い始め、研究に没頭。チョンリムとも友情を育んでいくが、その一方で、朝鮮の地で横暴に振る舞う日本人の現実を知る。
さらに詳しい解説・ストーリーは、cinematopicsの映画作品紹介「道~白磁の人~」が参考になる。
公式サイトはこちら

監督=高橋伴明
製作総指揮=長坂紘司
原作=江宮隆之「白磁の人」
主な配役は以下の通り。
浅川巧=吉沢悠 李青林(イ・チョンリム)=ペ・スビン
浅川伯教=石垣佑磨 浅川けい=手塚理美
朝田みつえ=黒川智花 朝田政歳=市川猿之助(撮影時亀治郎)
園絵=近野成美 大北咲=酒井若菜
柳宗悦=塩谷瞬 小宮=堀部圭亮
町田=田中要次 野平=大杉漣
チョンス=チョン・ダヌ ジウォン=チョン・スジ

浅川巧は、山梨県北巨摩郡甲村(今の北杜市)に生まれた。1914年、兄伯教が渡った朝鮮に自分も林業試験場技手として渡ることになり、故郷の緑の山野で親友の朝田政歳に別れを告げる場面から始まる。大きな木の下に寝転んで土の匂いをいっぱいに吸い込む巧の顔は下向きなのでよく見えない。話しかける猿之助の政歳の顔の方がまともに映り、さらに「木や土が一番で俺はその次か」と愚痴る台詞はキーワード。贔屓としてはここだけで観に来た甲斐があったとニンマリ(^^ゞ政歳の妹みつえと巧が相思相愛で、兄としては身体が弱い妹を朝鮮には嫁がせたくないが、本人が強く望むので仕方がないという。
そして山梨の山並みがぐるっと回っていくと朝鮮の山並みに続いていく転換!これは映画ならではの手法で素晴らしく、のっけから舌を巻いた。

兄伯教の友人が柳宗悦で、二人の朝鮮民族美術の収集研究を手伝ううちに、高麗の「青磁」に比べて当時は価値を認められていなかった日常使いの「白磁」の魅力に気づく。巧は朝鮮の自然と人間と文化を愛し、朝鮮の人々に敬意を払って対等につきあう。1910年の日韓併合以降、日本が植民地支配をしている状況で、巧のような日本人は少なかった。大河ドラマ「平清盛」で関白藤原忠通役の堀部圭亮が、今作に憲兵の小宮に出ていて、何度も巧を傷めつける。原作では最後に改心するらしいが、映画では最後まで憎々しく、解放後の朝鮮人民に報復を受けているのが象徴的な存在となっている。

バスの中で朝鮮人の老人に席を譲った巧が小宮に見咎められた時がチョンリムとの出会いとなり、老人の感謝の言葉がわからなかった巧はチョンリムに朝鮮語を教えて欲しいと頼む。チョンリムは巧の職場の工員であり、熱心に作業に取り組んでおり、二人は朝鮮のはげ山に木を植えて緑にするという共通の夢に一緒に向かっていく親友となる。
日本の支配に抵抗する運動も起こり、1919年の「三・一独立運動」の場面も入っている。チョンリムと一緒に働いている工員のチョンスは抗日運動の中で射殺されてしまう。その葬列を見て「アイゴー、アイゴー」と大きな声で泣いて嘆く人々に露骨な差別意識をひけらかすのは兄弟の母のけいだ。巧に娘の園絵が生まれて祝いにかけつけたチョンリムにも嫌な顔を見せる。

相思相愛の妻のみつえは兄政歳の心配が的中、朝鮮の厳しい気候で体調を悪化させてしまう。幼い園絵に父を守っての願いを込めた白磁のかけらを託す夕景の中、渡り鳥の群れを追っていくと日本の山梨へと転換、ここも素晴らしい。故郷に帰って闘病するがとうとう亡くなってしまう。山梨の山野を歩くみつえの弔いの葬列。両国の葬列の対比が効いている。

チョンリムの妻ジウォンや息子は抗日運動に身を投じ、チョンリムにも参加を迫る。チョンリムは一線を画し、信頼する巧とともに植林の仕事に励み、白磁等の収集にも協力している。日本人に協力するチョンリムへの同胞の目も厳しい。巧は「日本人と朝鮮人が理解しあえるなんて、見果てぬ夢なのだろうか」と絶望するが、チョンリムは「夢であったとしても、それに向かって行動することに意味があるのではないですか」と答える。二人は苗を育て木を植えていくことを続け、友情が深まっていく。ここで涙腺決壊(T-T)

民芸収集の集大成となる朝鮮民族美術館開館の日、なんとチョンリムの息子が総督府の要人へのテロリストとしてやってくる。その爆薬を取り上げて逃がしたチョンリムは不発だったためにそのまま捕えられて獄中の人になり、面会に行った巧に心を閉ざしてしまう。
柳宗悦は大北咲に「白磁のような人物」として巧との結婚をすすめ、巧は再婚。咲には死産の不幸が襲うが、なついていた園絵が「死なないで」「お父さんを守って」と咲に実母から託された白磁のかけらを託す。子どもを喪った悲しみの中でなさぬ仲の母と娘の気持ちはしっかり結ばれた。

巧は急性肺炎で倒れる。死期を悟った巧は兄に最後に2箇所に連れていって欲しいと願う。刑務所でのチョンリムと面会し、チョンリムの家の庭に埋めたチョウセンゴヨウマツの木を見る。40歳での早世。
その葬儀の日に、これまで巧が親身に接してきた朝鮮の人々が「棺をかつがせてください」と大勢押しかけてくる。朝鮮式の葬儀の中、母のけいは堪えきれず隠れて声を上げて泣く。そこに朝鮮服の女が肩を抱き「泣きたいだけ泣くといい」と朝鮮語で声をかけて慰める。民族を超えて気持ちがつながったと思わせ、ここも泣ける。巧の亡骸はついに朝鮮で埋葬され、その墓は朝鮮の人々に大事にされ続けている。
やがて時が過ぎて日本の敗戦イコール朝鮮の解放の日、それまで自分たちを苦しめた日本人を襲う暴徒が咲や園絵の家にもやってくる。「ここは浅川巧さんの家だ」と一喝したのは解放されたチョンリムだった。かくして母娘は「お父さんは私たちを守ってくれた」と巧に想いを馳せる。

予想以上に感動的で、これまで浅川巧のような人がいたことを知らなかったので、この映画を観て本当によかった。しかしながら、巧はなぜこの時代に民族差別意識にとらわれないでいられたのだろうと少し疑問に思った。そこでネット検索して納得。巧はクリスチャンでもあったのだ。
Wikipediaの「浅川巧」はこちら
浅川伯教・巧兄弟が学んだ「北杜市立高根西小学校」のHPにある浅川兄弟のコーナーは、年表や写真が充実しているので参考になる。ただし、クリスチャンだったことには触れていない。日本の行政は宗教をその人の思想形成の要因としてきちんと言及することに変に遠慮するためだと思われる。
チョンリムは青林であり、あまりにもぴったりすぎる名前なのでもしやと思ったら、史実の人ではなく原作のオリジナルキャラクターだった。それでも浅川巧が理解しあい、ともに生きた朝鮮の人々の象徴であり、二人の友情を縦軸にすることでよりドラマが魅力的になっているのだと思う。

浅川巧役の吉沢悠も大河ドラマで藤原家成の嫡男で後白河帝の側近の成親を演じている。またチャンリム役のペン・スビンが韓流ドラマ「トンイ」に出ているということだったので、この日の夜に最終回のオンエアに間に合って見てみたら主人公トンイの兄役だった。この日韓の二人の若い俳優は、撮影の中で親友になったということで、その気持ちがスクリーンにもあふれていたように思われた。

映画の中の二人が語っていたように、両国の人々が不幸な歴史を踏まえながらも乗り越えて、理解しあい協力しあえるようになりたいと思う。そのためには、日本人があまりにも歴史を知らなすぎるので(これはあえて教えない政策をとっているという問題がある)、両国の不幸な歴史も義務教育の中できちんと教え、前向きな関係を築いていくことが大事だと考えている。そのためにやれるだけのことはしていきたい。

高橋伴明監督は、高橋恵子の夫ということ以外にあまりよく知らなかったが、当初の映画化の動きが頓挫してもう一度立ち上がった時に監督を打診されたとのこと。道元を主人公にした2009年の「禅 ZEN」もよかったし、過去の作品も機会があったら見てみようかと思っている。
コメント ( 13 ) | Trackback ( 3 )


12/06/18 外濠公園の毒性の強い植物を撤去してもらった


昨年だったと思うが『ビッグイシュー日本版』の連載「ノーンギシュの日々」で筆者の滝田明日香さんがチョウセンアサガオの毒で息子さんが大変なことになったと書いていた記事を読み、ネット検索したところ、毒性の強い植物だということがわかった。
Wikipediaの「チョウセンアサガオ属」の項はこちら
なお、チョウセンアサガオの項の方には名称について以下の説明があるのも付記しておく。「和名のチョウセンは特定の地域を表すものではなく、単に海外から入ってきたものの意味とされる。また、アサガオの名を冠してはいるがヒルガオ科ではない。単に花がアサガオに似ていることによる命名である」。

さらに近種にナス科キダチチョウセンアサガオ属というのがあり、園芸名で「エンジェルストランペット」としてとして見たことがある植物だと思い当った。以前住んでいた家のご近所の家の庭で大きな花が下がっていたものだ。
今のマンションのご近所の家の庭にも植えられていたが、花の時期だというのに道からは触れないように大きな布で囲いがつけられていた。やっぱり毒性が問題になっているのかなぁと推測していた(今年になってそのおうちは建て替えられ、庭のその植物も撤去された)。

そうしたら、昨年の初夏に職場の近くで「エンジェルストランペット」の大きな株を発見!JR四ツ谷駅麹町口を出て、左手の外濠公園の石垣の切れ目になっている端の部分にあった。高架の道を線路を越えて行くと新宿区になる区の境だ。どうしたものかと思っていたら花が終わってしまったので、公園の植え込みの伐採などでなくならないかと様子見させてもらっていた。

さて、今年の梅雨入り前、帰宅する途中の暗がりの中、その大きな株にラッパ状の黄色い花がたくさん開花して垂れ下がっているのに気づいた。近づいてみるとかなりな刺激臭があった。近くには「雙葉学園」などがあって、子どもも多く通るところだし、これは放置するのはまずいと決意。いよいよ区役所に電話して撤去を頼もうと思って帰ったら、もう次の日は忘れている。アチャーっ(^^ゞ

6/14の昼に買い物に出た際に気づいて撮影したのが冒頭の写真。
午後には区役所に電話した。しかしながら勘違いして新宿区にかけてしまい、外濠公園は千代田区立であることと公園事務所の電話番号を教わり連絡したら、現場ではそういうことはわからないとのことで、公園スポーツ課に連絡して欲しいと言われてしまった。その番号にかけたら「現在使われていない」とのアナウンスが流れる。

結局、千代田区のHPで公園スポーツ課を調べて電話したが、現場のおじさんに担当名を聞いていた職員は若い女性の方でテキパキと対応してくれた。区の方で植えた植物ではないとのことで、自然に生えてしまったのでしょうから、確認して撤去するとのこと。匿名も失礼なので携帯電話の番号をお伝えしておいたら、場所の確認で折り返しの電話があった。

これなら大丈夫かなぁと確信!
さて、週明けの本日、出勤前に駅前の石垣の植え込みを見たところ、根こそぎに撤去されていた。これで安心だな。

しかし、それにしても園芸種で人気だった頃から私には疑問がある。
この花って綺麗なの?

私にはどうにも下向きに咲く花は好きになれない。スズランなどは小さいからまだ可愛いが、ある程度の大きさになる花が下向きなのはどうにも嫌いなのだ。最近人気のクリスマスローズも壁面に吊り下げのポットに植えられているのならまだしも、地面に植えられて花が下向きなのはどこが可愛いのか理解に苦しむ。
エンジェルストランペットとか名前は可愛いけれど、下向きに垂れ下がっているのはなんともだらしがない印象しか受けない。伏し目がちな美女もたまに上目使いになるから可愛いのであって、下向きに咲く花でも花弁をもっときちんと反り返して内側の綺麗な色を見せてくれなくっちゃねぇ。
と、花の好みにまで言及してしまったが、今回はあくまでも毒性があるから撤去してもらった次第。いくら私がうるさい方だからといって、嫌いな花だからではないです、ハイ。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


12/06/05 澤瀉屋の団体襲名披露公演初日昼の部(3)新猿之助の狐忠信が愛おしい「四の切」


澤瀉屋の団体襲名披露公演初日昼の部の最後は「四の切」。2010年の亀治郎の会2011年5月の明治座で観ている。
「四の切」の舞台装置は今年のGWの「渋谷亀博」で展示され、装置に上がっての見学がOKという嬉しい企画で私も実際に上がって触っての体験済み
いよいよ、四代目猿之助襲名公演の「四の切」を観る!
【三代猿之助 四十八撰の内 義経千本桜「川連法眼館の場」】
 市川猿之助宙乗り狐六法相勤め申し候
今回の配役は以下の通り。
佐藤忠信/忠信実は源九郎狐=亀治郎改め猿之助
駿河次郎=門之助 亀井六郎=右近
川連法眼=段四郎 飛鳥=竹三郎
源義経=藤十郎 静御前=秀太郎

冒頭、鎌倉からの義経詮議についての川連法眼夫婦のやりとりからして、新猿之助の父段四郎と竹三郎で見応えあり。竹三郎は黒髪で飛鳥の拵え。そういえば、義経と静も藤十郎、秀太郎だし、上方の役者で固めてきた配役だと気づく。
藤十郎の義経という配役は襲名公演に大きな花を添えるものだが、登場しただけでぱあっと華やぐのはさすがだ。初日ということもあって台詞がちょっと怪しいところもあったが、見慣れた脇息がないやり方とのことで本行にのっとっているのではないかと思う。
本物の忠信で登場した新猿之助は、やはり華奢なせいで生締物らしさが不十分なように思う。それでもまぁ贔屓には、きりっとしていてけっこう楽しめるのだが(^^ゞ
秀太郎の静御前は初役ということだが、藤十郎の義経とのバランスがよいだけでなく、赤姫姿や声も実に若々しい上に、静が正妻ではなく白拍子上がりの愛妾という控えめさと色気が漂っていて、こんな静御前を観るのは初めてで感心至極だった。古風な女形の芸というのはこれかとあらためて感じ入りながら観ていた。

門之助の駿河次郎、右近の亀井六郎に詮議の場に引かれていく忠信が、早替わりして静の打つ鼓で黒い階から狐忠信で出てくるところでは、ドキュメンタリー映像や舞台見学の体験から裏での様子もイメージできるのでワクワクと楽しい。
秀太郎の静の詮議は実にはんなりとしていて、それを受ける新猿之助の源九郎狐の声も動きも柔らかい。鼓に引き寄せられて我を忘れかかる源九郎狐の本性が垣間見え、その隙をみた静が刃を抜いて斬りかかり、源九郎狐の声が一層高まってと、詮議の場がこんなに面白かったことはない。
新猿之助の狐言葉には磨きがかかり、カンの声が安定しているだけでなく伸びたり早口になったりの緩急が自在で長台詞も聞き惚れてしまう。今回、途中で喉の奥でカッ、カッという音を出した時にはゾクッとした。

親狐を雨乞いの鼓にされて孤児になった狐は、仲間の中で親に孝行していないからと蔑まれてきた悔しさ、孝養をつくしたくても親の鼓は宮中にあり八百万の神に守られて会いたくても会えなかった悲しさを長い年月噛みしめてきた。平安京を開いた桓武天皇の御代から鎌倉時代に入るころまで約400年も待ったわけだ。「千年功ふる牝狐牡狐」の子であり、自らも通力をもつようになっている。その鼓を義経が賜ったために忠信に変化して鼓に近づくことができたのに、ついに本物の忠信が現れて別れなければならない。400年待って得たここしばらくの年月の幸せが早くも失われようとしている辛さ。親子の情愛が通う一時の幸せを得たために、その別れは親にも子にもつらいというドラマが浮き彫りになっている。

新猿之助のしなやかで敏捷な動きが達者な台詞とあいまって源九郎狐のドラマが前回よりもさらにバージョンアップして迫ってくる。上手の小窓で本物の忠信で姿を見せて早替りで上に登ると大道具の欄間部分が揺れるのがわかると心が躍る。いよいよ欄間抜けで舞台中央に着地した時に勢い余って舞台の縁にぶつかって木の枠が外れてしまった(3階からだとよく見えてしまった)のは初日のご愛嬌か(^^ゞ
狐の親子の情愛に強く打たれる義経の身の不幸を嘆くという悲劇の構造が、藤十郎、秀太郎の共演でさらに深くなっていて、今回の舞台は見応え十分だ。葵太夫の竹本に演者がみなうまく乗って、本格的な義太夫狂言としてのコクも味わえたのも嬉しい。

その義経から鼓を与えられた源九郎狐の歓喜は爆発的だ。狐手で鼓にじゃれついて転がす時に思わぬ方向に転がってしまい、戻す動作がまたご愛嬌になった。
夜討ちにくるはずの荒法師どもを通力で呼び込んでの立ち回りの動きもよく、早替りの身代わりも使って宙乗りの装置を着込んで再登場。下手で荒法師が囲んでワイヤー装着というのもうまい演出だとつくづく感心。鼓を得た喜びを炸裂させる。新猿之助のクールな芸風とのギャップが大きいはじけるような笑顔を目の当たりにして、観ている自分も心が躍るように嬉しくなってしまった。3階左席の鳥屋近くの席で観る幸せを噛みしめた。

さて、冒頭の写真は、初日口上の記事でもご紹介した福山雅治に制作を依頼したという口上特別ポスターの画像。6/13の日本テレビの「NEWS ZERO」では、福山雅治が今回の襲名公演の祝幕とポスター制作を依頼される様子、制作現場、出来上がったものを劇場で観る様子などを特集でオンエアしていた。高校時代からファンだった「ましゃ兄」に対する時の亀治郎は本当に大好きな人に会える喜びを満面にあらわした男の子のようだった。ポスターの撮影で裃の衣装をつけてワイヤーで釣られている時にカメラをもった福山雅治に向ける満面の笑顔は、源九郎狐の宙乗りの時の笑顔を同じだったので、妙に納得してしまった次第(^^ゞ
                 
6/5の澤瀉屋の団体襲名披露公演初日昼の部の他の記事は以下の通り。
(1)涙、涙の「口上」
(2)新中車堂々の主演「小栗栖の長兵衛」
夜の部の「ヤマトタケル」は23日に観劇予定。
(追記)
冒頭の口上特別ポスターとヤマトタケルの特別ポスターはJR駅頭で並べて貼りだされて大宣伝に使用されたようで、ネット検索したら渋谷駅での掲示の様子をアップされている「雅治氏な日々」さんの記事を発見したのでご紹介させていただく。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


12/06/05 澤瀉屋の団体襲名披露公演初日昼の部(2)新中車堂々の主演「小栗栖の長兵衛」


6/5の澤瀉屋の団体襲名披露公演初日昼の部の「口上」の記事はこちら
その前の昼の部の最初の演目は、九代目襲名の中車主演の「小栗栖の長兵衛」。香川照之の舞台は、藤山直美が与謝野晶子で主演した「妻をめとらば-晶子と鉄幹-」の夫鉄幹役で観ている。映像では大活躍の香川が舞台ではどうか一度観たくて行ってホクホクになって帰ってきたものだ。妻への想いを語る最後の長台詞が堪能させてくれた。だから歌舞伎転身にも全く心配していなかった。

【小栗栖の長兵衛(おぐるすのちょうべえ)】
以下、あらすじ、みどころ等を「歌舞伎美人」から引用、加筆。
小栗栖村の長兵衛(中車)は、博打や酒、喧嘩に明け暮れて、村人には嫌われ、父長九郎(寿猿)にまで見放される乱暴者。今日も馬を盗んだ疑いをかけられ、怒って暴れ廻ったため、村人たちに簀巻きにされてしまう。しかし、村に現れた秀吉の家臣堀尾茂助(月乃助)の尋ねによって、長兵衛が謀反の大将明智光秀を竹槍で討った手柄者だと分かると、皆の態度は一変。長兵衛を村の英雄だと褒め称える。長兵衛は英雄の証である竹槍を手に、秀吉の陣のある京へと向かう。
山崎の合戦の後、明智光秀が農夫に襲われ命を落とした史実を背景として、岡本綺堂が浅薄な人間の姿や大衆心理に風刺を込めて描いた新歌舞伎の名作。大正九年に初代市川猿翁(当時猿之助)が初演して以来の澤瀉屋の芸に、中車が挑む。
<その他の出演>
妹おいね=笑三郎 七之助=門之助
馬士弥太八=右近 巫女小鈴=春猿
僧法善=猿弥 庄屋=欣弥
猟人伝蔵=弘太郎

開幕すると小栗栖村の人が幹線道路(笑)沿いの茶店の前。大勢の登場人物が延々と長兵衛の悪口大会を繰り広げる。親不孝の総領息子をもった父親を心配するという風で村人たちが延々と長兵衛の悪行を並べ立てる。妹おいねと婿の七之助が孝養を尽くしていると誉めたてて、父親も長兵衛のことはあきらめているといった態をみせる。馬士弥太八からは、馬を盗まれて隣村の者に売られてしまったという抗議までくる始末。
そんなところに庄屋と僧法善がやってきて山崎の合戦の状況や権力をとった秀吉が百姓が足軽の真似事をすることを禁じたことを村人に伝えにやってくる。猟人伝蔵は落武者に向けて鉄砲を撃ってしまったが弾はそれ、獲物と間違えたということにして不問に付すことにする。けっこう、ここまでが長い芝居になっているが、澤瀉屋の一門の芝居がよくて飽きさせない。

そこに花道から新中車の長兵衛が登場。村の八幡神社の巫女の小鈴を無理矢理連れてきて自分の酒の相手をさせようと茶店の床几にどっかと座りこむ。みなの非難にも悪びれず、一旗揚げようと山崎の合戦にかけつけたと言い放ち、親きょうだいや村人たちを見下してこけにする。
新中車は、大河ドラマ「龍馬伝」の岩崎弥太郎がこれでもかというくらい汚く因業だったので、長兵衛のような汚くて破壊的な悪党役での襲名も全く違和感がない。明快な台詞が小気味よく、台詞が下手な役者よりよほど芝居を堪能させてくれる。

村人たちは怒り狂い簀巻きにして川に放り込もうと庄屋に息巻く。父親も早く勘当すべきだったと言い、法善も黙認する(仏罰が当たるってことで慈悲の対象にはならないらしい)ので、みんなで寄ってたかっての大乱闘の末、ぐるぐるの簀巻きにしてしまう。大勢での立ち回りの中での新中車の動きはよく動いて頑張ってはいるが、舞踊の動きが身についていないせいか、歌舞伎の立ち回りの所作になっていない。ためをきかせたり緩急をつけたりができないと長丁場の立ち回りはどうしても飽きてくる。これからの修行に期待しよう(^^ゞ

そこに秀吉の家臣堀尾茂助がやってきて状況は一変する。敵の大将明智光秀が百姓の竹槍で刺されてついに自刃をしたということで、手柄を立てた者の詮議にやってきたのだ。尋ねても皆は知らぬ存ぜぬを決め込むが、長兵衛が名乗りを上げる。
簀巻の中から放たれて、どうも自分が竹槍で突いた切っ先を斬り落として去った武将が光秀だったのではないかと言う。堀尾が示した光秀の血糊のついた竹槍の切っ先と長兵衛のそれの切り口が一致し、秀吉の恩賞をもらえることが判明。身支度をしてから京の秀吉の陣に赴くことになる。
段治郎改め月乃助が颯爽としていてよい。こういう役ができる役者はこの座組みでは貴重だ。

そこから村人たちの態度がころっと変わる。長兵衛は村の英雄扱いになり、父親も自慢の総領息子と持ち上げ始め、娘夫婦を貶める。小心な俗物たちがいともたやすく心変わりする様子を皮肉いっぱいに描いている。
馬士弥太八の馬を差し出させ、竹槍をかついで堂々と京に向かうということで花道を引っ込むが、客席からの拍手喝采は大きかった。歌舞伎のお目見え初狂言で堂々たる主演をつとめたといえよう。既成概念をぶちこわして新しい世の中に旅立つ主人公のお役というのも、新中車の46歳での異例の歌舞伎役者人生のスタートにふさわしい。

新猿之助と新中車、主役ができる澤瀉屋の二枚看板が大きく掲げられた。三代目猿之助が病に倒れて以来、玉三郎や市川宗家をいただきながら結束を守ってきた一門が、新たな大看板を二つ得て歌舞伎界の中で新たなスタートを切った芝居を観ることができた。
歌舞伎というのは座頭役者が新旧交代をしながら、その真価をつないでいくものなのだと、長く観続けて体感できた。そのことが実に嬉しかった。

冒頭は、今月公演のチラシ画像より上の方をトリミング。右端の汚いのが新中車の長兵衛。
次はいよいよ新猿之助主演の「四の切」を書く!
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


12/06/09 五反田→池上散策+オフ会(2)予想を遥かに上回る立派な池上本門寺!


清泉女子大学内の旧島津公爵邸の見学の後、ランチのお店を探しながらJR五反田駅前に戻ってきたが、予算オーバーだったり満席だったりして、結局は駅ビルの中のイタメシ屋さんでランチ。リーズナブルでフリードリンクのセットで美味しかったし、同じビルの4階から東急池上線に乗ることができたしでラッキーだった。

短い車両の東急池上線に乗って池上まで(昼間は2両、朝夕は3両編成)。駅から本門寺までの参道を歩くと葛餅を売る店が何軒もあって、帰りにお土産を買おうと盛り上がる。途中に「火消しの纏」のミニチュアを売る店もあって、思わず立ち寄って見学。「め組の喧嘩」の「め組」の纏もちゃんともあった。飾るところがないから買わないけれど(笑)

いよいよ、石段の下に到着!鬼平犯科帳」シリーズの「本門寺暮雪」の斬り合いの場所となった長い石段だ。慶長年間に加藤清正が寄進したもので、「此経難持坂」という。築城名人と言われた清正がヒト・モノ・カネを出して作らせた石組みだろうから、堅固さは折り紙付きだろうと確信がもてる。
冒頭の写真は、帰る時に上から撮影したもの。先を行く人の黒い傘が入って遠近感が出た。午後5時の街の時報が響いていたが、土曜日とはいえ雨の中で本当に参詣者はまばらだったことがこれでもおわかりいただける(帰宅したら関東エリアも梅雨入り宣言が出ていた)。

Wikipediaの「池上本門寺」の項はこちら
池上本門寺の公式サイトはこちら
下の写真は「大堂」。中に入ってすぐの天井画は川端龍子の未完の龍。遺族が奥村土牛に相談し、未完のまま土牛が点睛を加えて完成としたとのこと。黄金の天蓋はあまりにも派手でびっくりする。堂内には祈願をお願いした方一人が正面に向かい、若い僧侶が厨子の脇から祈祷をしていた。あとは私たち5人のみ!

広い境内にはバスで参詣にきた一行に行き会ったくらい。案内板によると五重塔、総門、経蔵、宝塔を除く堂塔が戦災で焼失したという。鐘楼堂の鐘も戦火で割れてしまったため、その後に新しいものがかかっているとのこと。なるほどねぇ。雨は途中から風が出てきて横なぐり状態になるも、めげずに墓所の中の探検にも繰り出した。

宝塔はここで入滅した日蓮上人の遺灰が中に奉安するためにつくられたという。ちょっと真っ赤に塗られ過ぎと思うのは、塗りのはげて地味な色になったままの堂塔を見慣れているからだろう。
続いて著名人の墓所探索へ。下の写真は紀伊徳川家の墓所で、江戸にいた歴代の藩主の正室や側室の墓が並んでいた。

狩野探幽の墓があるらしいのだが、父とかの墓はみつかったのだがご本人のものは見つけられずに残念。幸田露伴や娘文子の墓もあった。おそらく昨年の地震のせいだと思うが五輪塔状態の墓がくずれたままになっている墓所もあった。
奥へ奥へとすすんでいくと、弥生式住居の集落跡の発掘現場にうまく手を入れて公開した場所と古墳跡が並んでいるところに行き当たり、古代から小高い丘になったこの周辺は人間が暮らすのに適して早くから開けていたのかと納得。古代から現代までの人間社会の歴史に想いを馳せた。

日蓮上人の大きな像も建っていて、ある人が「誰かに似ているよね」と言い出して笑われる。えっ、私のこと?うーん、昔の私には似ているかもしれないと認めようかな・・・・・・(^^ゞ

五重の塔を撮影しようとしたら横なぐりの細かい雨で白くけぶってうまく撮影できず!徳川秀忠の乳母の願いで建立されたという説明に「大河ドラマで加賀まり子がやったあの乳母様ね」と言ったら、みんなに大うけ(笑)玲小姐さんからは、大奥では日蓮宗を信心する方がけっこういたという話も出て、史実とTVドラマで盛り上がる一行であった。
掲示によると、境内スタンプラリーがあって5つを集めると小堀遠州作庭の「松涛園」の拝観が無料になるというお楽しみもあることがわかった。しかしながら天気も悪いし、時間もないしで次の機会にはしっかりとスタンプを集めて庭園まで見学したいということで、秋などに再訪問してもいいねぇということになった。鎌倉の「覚園寺」を中心にリピート企画したこともある私たちなので、これは実現しそうである。

塔頭も目の前で門扉が閉められ、参道を戻っていくと、駅前に近い葛餅を売る甘味処は店じまいしていて、みんなガッカリ。駅前の「欧風菓子エノモト」池上本店でケーキセットにして7時過ぎまでおしゃべりして散会。お土産にちょうどよい「池上ふわわ」を娘に買って帰った。
玲小姐さん、さちぎくさん、あいらぶけろちゃんさん、北西のキティさん、お疲れ様でしたm(_ _)m
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


12/06/09 五反田→池上散策+オフ会(1)清泉女子大学内の旧島津公爵邸


ここのところ、毎週月曜日夜のBSフジで「鬼平犯科帳」シリーズのオンエアを録画してはじっくりと観ている。吉右衛門もみんなも若くてよい(^^ゞその中の「本門寺暮雪」の回最後の斬り合いの場所となった長い石段を見て、歴史散策幹事の玲小姐さんに今回の行先をリクエストした。

JR五反田駅に5人集合。すぐに東急池上線に乗り換えず、雨の中をまずは玲小姐さんの娘さんが卒業した清泉女子大学へ。守衛室で説明リーフレットをいただき、見学者証を首から下げて学内にある旧島津公爵邸の外観を見学する。
Wikipediaの「清泉女子大学」の項はこちら
清泉女子大学のサイトの「旧島津公爵邸案内」はこちら
Wikipediaの説明文から以下、引用。
本館として使われている建物は、大正時代に島津公爵邸としてイギリス人建築家ジョサイア・コンドルにより設計されたイタリアルネサンス風の西洋館、趣のある重厚な雰囲気は手入れの行き届いた庭園と共に清泉女子大学を象徴する建物。2012年3月21日、東京都指定有形文化財として指定された。指定名称は「旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館(清泉女子大学本館)」。
*キャンパス内にふうの木が植栽されており、これは旧仙台藩の藩邸時代から島津公爵邸の時代を経て今日に至る。幹周りおよそ3メートル、高さ20メートル、樹齢およそ200年と推定される品川区指定天然記念物。

ルネッサンス様式の建物で、正面のベランダの柱頭飾りは1階が地味なトスカーナ様式、2階が派手なイオニア様式。建物の外壁は光沢のある白タイル貼り。これなら汚れが落ちやすそう(笑)
ふうの木は、葉がカエデに似ているので「楓(ふう)の木」というのだそうだ。伊達藩の藩邸時代からあったということで立派な大木だった。冒頭の写真はふうの木の梢の緑色の葉が入るように旧島津公爵邸の正面を撮影したもの。
ちょうど花が終わって芝生の上に実が落ちていたが、梢を見上げると実がついているのも見える。その実は芯から細長い針状の突起が出ている変わった形をしていて、みんな気に入って一個ずつ拾ってきた。我が家で飾ったところをアップで撮影したものを一番下につけておく(下に敷いてあるのは平成中村座で秋に拾ってきた桜もみじ、上には築地散策の時の獅子頭!)。

今日は、生涯学習講座市民大学ラファエラ・アカデミアが開催されているためか内部を見学している人もいるのが見え、内部見学を申し込んでいない私たちも電気が点いていたので部屋の中を見ることができた。部屋ごとに違う室内装飾がそれぞれ美しかったが、マントルピースの上は2部屋とも鏡になっていた。その煙突が屋根の上に出ているのだが、携帯での撮影ではうまく写らなかった。廊下の向こうには聖堂になっている部屋もあるようだった。なかなか素敵な建物に一同、満足!

説明リーフレットを後からじっくり読むと、島津家が第二次世界大戦で大邸宅の維持が困難となって日本銀行に売却。戦災を免れた建物は、戦後GHQ管理となり将校宿舎として使われた。接収解除後に清泉女子大学が日本銀行から購入し、横須賀から大学を移転してきたとのこと。
なるほど、大学もイメージのよい建物を本館に据えて発展をはかったわけだ。実にうまい経営戦略だとも感心した次第。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


12/06/03 浦和駅近くの短時間散策+ミニオフ会


6/3(土)は、大阪からさいたまスーパーアリーナにライブ遠征されてきたかずりんさんをお迎えして、玲小姐さんと3人のミニオフ会。
昼の12時にJR浦和駅の改札に集合。冒頭の写真は、西口のロータリーにある「浦和うなこちゃん」の像。何年か前にアンパンマンでおなじみのやなせたかしさんによるキャラとして作られたものだ。おにぎり娘のように見えるが、鰻の三角っぽい頭の裏側に胸びれがついている(この写真ではわかりづらい)不思議なデザイン(笑)ちょうど、さいたまスタジアムでワールドカップサッカーの予選の試合があるという日で、応援の団扇を持たされている。下の説明書きには「さいたま観光大使」としても活躍中と書かれていた。
もうひとつ、浦和のキャラには恐竜のヌゥもあるが、駅前の自販機に描かれていたのは残念ながら後ろ姿だった。

まずはランチということで、鰻屋さん・・・ではないお店へ。伊勢丹の裏手に回り、ヨーカドーの前を通って「裏門通り」を歩き、玉蔵院そばの「良菜倶楽部 まるしん」に到着。漬物屋さんがランチと夜は串焼の居酒屋をやっているお店だ。
「うらわ朝日WEB 編集室日誌 blog版」にも紹介記事があった。
ランチの中でも焼魚御膳(もちろん漬け魚!)にし、定番メニューでなく「キングサーモンの新物入りました」の方は工場ではなくお店で漬けたものということで3人とも即決で注文。

さすがに漬物屋さんのランチということで右側に写っているサラダのように盛りつけられた野菜の漬物がどれも美味!知らずに口に入れて辛くて生姜だと気づいたのも旨~い。私は写真の切り身ではなく、かずりんさんにしっぽに近い方と交換してもらって食す(笑)脂ののっていない魚の切り身が大好きな私です(^^ゞ
中央に写っているのは豚汁の大きなお椀。最後に白いお豆を甘く煮て白玉にかけたデザートまでいただくとかなり満腹になった。予約しておいてくれた玲小姐さんに感謝m(_ _)m

せっかく玉蔵院そばのお店に来たこともあり、「玉蔵院」の境内も通っていくことになった。3月にも新春狂言観劇企画とあわせた歴史散策で浦和を歩き、その時に「玉蔵院」に言及した記事を書いているので、そちらのリンクをご参照のこと。
旧中山道を歩いて南下。浦和宿があった道沿いには、古い造りのお米屋さんお茶屋さんが見受けられる。このお茶屋さんは奥の土蔵の1階を喫茶室、2階をギャラリーにしている(前にこの「楽風」に行った時の記事はこちら)。
そして今回の散策のメイン、「調神社(つきじんじゃ)」に到着。玲小姐さんと私の母校の敷地はここの境内と近接していて、高校時代、放課後などに行ったことがある。別称の調宮(つきのみや)の方で呼んでいたっけ。以前「調神社」の散策を書いた記事はこちら
Wikipediaの「調神社」の項はこちら
狛犬ならぬ、狛兎が左右で一対並んで出迎えてくれるが、上記にいい写真があるので、私の方は省略。今回のおみくじは「末吉」(笑)
以前、中浦和に住んでいた頃、初詣にきて、その年の干支の大きな絵馬があるのは知っていたが、今年の龍の絵は迫力十分だった。今回はよくみると彩光舎製とあって納得。彩光舎(画材屋と美大受験の予備校)も旧中山道沿いにあって、同窓生の何人かも通っていた。「楽風」に行った時の個展も彩光舎のギャラリーが会場だった。

近くの母校の正門からちょっと覗き込む。正門を入って正面にかつては大正時代に建てられた校舎があった。今期のNHK朝ドラの梅ちゃんが通った城南女子医専のロケで使われた佐倉高校(佐倉散策で行きました)の木造校舎に負けない建物だったのに、建て替えられてしまってもうないのが悔しい。私の1年生の時の教室も我らが生徒会役員室もそのハトポッポ校舎の中にあったのにさ(T-T)

正門には文化祭まであと6日というオブジェが取り付けられていた。次の週末なんだねぇ。正門からJR浦和駅までの通称「あひる坂」のアップダウンの道を通って、駅に到着。かずりんさんをライブに送り出して散会。かずりんさん玲小姐さん、お疲れ様でした!

ひとりでぶらぶらとヨーカドーに行ったら、浦和うなこちゃんとヌゥの撮影会に遭遇!携帯で撮影してお二人にメールで送ったのが下の写真。子どもに混じってポラロイドカメラでも記念撮影してもらったけど、明るさの調整が失敗していたよ。ダメじゃん、ヨーカドーの店員さん。買い物の時に奥のレジで聞いたのは、ヌゥの方には若い女性副店長が入っていたとのこと。だから、店員さんたちのテンションが高かったのかもとガッテン(笑)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


12/06/05 澤瀉屋の団体襲名披露公演初日昼の部(1)涙、涙の「口上」


澤瀉屋の団体襲名披露公演の新橋演舞場「六月大歌舞伎」が6/5に開幕。初日昼の部に仕事を休んでかけつける。まずは「口上」から記事アップ。
冒頭の写真は、福山雅治よりと書かれた祝幕を3階左席から撮影したもの。左端は三猿紋の下に小さく五代目市川團子丈江とあるが、手すりに隠れてしまった。白地に隈取からのデザインというのが目新しい。この祝幕と特製口上ポスターの企画は亀治郎がましゃ兄に頼んで実現したらしい(中日スポーツの記事はこちら)。そうそう、このポスターは1階ロビーにあるモニター画面に映し出されていたのが目に入ったっけ。

【初代市川猿翁 三代目市川段四郎 五十回忌追善 二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車襲名披露 五代目市川團子初舞台 口上】
今や歌舞伎界の最重鎮である坂田藤十郎が進行役となる口上は初めて観たが、折りたたんだ紙に筆書きをしたものをきちんと読み上げるようにしたのはあまりにも読み上げるべき名前が多すぎるので間違えないようにするためか、古い型なのかはわからない。新猿翁と月乃介の姿がないのが気になった。
続いて、段四郎、彌十郎、門之助、寿猿、竹三郎、秀太郎、ここで下手に渡り、右近、猿弥、春猿、笑三郎、笑也。彌十郎は安徳帝で初お目見えした際に抱いていて腕が痺れたエピソードを語り、猿之助一門にいた人だよなぁと再認識。古参の弟子の寿猿は、三代目猿之助襲名披露から50年・・・と語っていて、10倍の双眼鏡で見ているので赤い紙に口上を書きつけて一生懸命だなぁと思っていたら涙が落ちるのまで見え、私の涙腺も一気に緩んでしまった。
秀太郎は中車の今からの歌舞伎入りは本当に大変だろうと言いつつ温かく応援のメッセージを送り、右近以下の一門の弟子たちの短い口上が続く。
いよいよ襲名する面々の口上となる。
四代目猿之助は、「歌舞伎のために命を捨てる覚悟」と言い切った。各方面への感謝を語る中で「目に見えるもの、目に見えないもの、お世話になった方々、亡くなっているお世話になった方々に感謝申し上げ」という表現でスピリチュアルな物言いも飛び出した(ふっと亡くなった雀右衛門がよぎってしまった)。この間のTV出演等で亀治郎という名前への強い愛着を語っていたが、「今日、猿之助を襲名いたしまして嬉しさ100%になった」と笑わせる。梅原猛先生にも相談したら「ニーチェの運命愛」のようにあなたの運命を受け入れて愛しなさいと言われたとも語った。ユーモアたっぷりに時には煙に巻くようなことも織り交ぜつつの口上に何度も客席が湧いた。それと段治郎が月乃介となった名披露目の挨拶もここですべきところ、膝が悪いので列座できないと触れてくれ、配慮が行き届いているなぁと嬉しかった。この間いよいよ座頭の顔になってきたなぁと思ってきたが、さらにその思いを強くした。

中車が顔を上げた瞬間、あまりにも必死な形相をしているのでびっくりした。大汗をかいているので化粧もかなりくずれてしまっている。口上でこんな顔を見ることは後にも先にもないだろうと思えた。「この年で歌舞伎の舞台に初お目見えとなりますが、これから先の生涯をかけまして精進し、九代目中車を名乗る責任を果たしてまいりたい」という言葉にもぐっときてしまった。涙で目の周りのメイクもくずれてしまっていたが、万感の思いが伝わってきた。息子が生まれてからずっとこの日に向けて頑張ってきて、これから先も息子が歌舞伎界でやっていける目星がつくまで、気を抜ける日は来ないのだろうなぁと、「父親としての責任」を重く背負ってしまった彼の人生も思いやってしまった。
その息子くん五代目團子は、「猿翁のおじい様よりずっと立派な俳優になることが私の夢でございます」と大胆な夢を語ったが、その声が通って立派だったことに感心。猿翁の本名政彦の一字をとって政明と名づけたと思われ、この祖父と孫は顔もよく似ている。九代目中車も三代目段四郎によく似ていて、DNAの隔世遺伝を強く思わせる。

そのおじい様が最後に登場。藤十郎の声で背景の澤瀉模様の襖が開き、猿翁が乗った台を弟子たちが押し出して登場。脳梗塞で倒れて以来の舞台復帰であり、「いずれも様も相変わらぬ御贔屓のほど隅から隅までずずずぃーとこい願い上げ奉りまする」という言葉も「あ~げ奉りまする」しか聞き取れず(帰宅後のTVの字幕でわかった)。しかしながら、最後に鳴り物にあわせて首を振るという型をしっかり見せたのには往年の「車引」でのこの所作が立派だったんだろうなと思わせた。

三代目猿之助が病に倒れてから約8年ぶりの舞台復帰、4つの名跡の襲名披露公演初日はマスコミの取材もたくさん入り、口上の中継オンエアも各社であったようで、TVカメラクルーがものすごかったようだ。客席の雰囲気も熱気にあふれ、涙をすする音もあちこちから聞こえ、笑い声や大きな拍手で劇場全体がどよめいて、これまで私が観た口上の中でも忘れられないものとなった。
仕事を休ませてもらって観ることができたことは、本当に有難かった。

「歌舞伎美人」の開幕のニュース記事はこちら
その記事の中で、澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは"わかんむり"ですとあったが、知らなかった(^^ゞまぁ、なかなか出てこない字なのでこちらのブログでもこれからもお許しいただこう。

帰宅して、NHKの7時台と9時台のニュース、日本テレビの「NEWS ZERO」での報道を見た。のNHK7時台では眺めに時間をとって猿之助、中車、團子、猿翁の口上と昼と夜の舞台映像が流れたが、9時台は短くされていた。「NEWS ZERO」では香川照之の歌舞伎進出ということに重点を置いた報道ぶりだった。やっぱり映像の世界では香川照之の方がビッグネームだからなぁ。

さて、幕間、終演後の出来事を。
3階席の左のロビーの長椅子に大向こうさんたちが情報交換をしているのをお聞きするのはけっこう楽しい。その中で「亀ちゃんのお母さんが来ているから挨拶にいこう」というのを耳にして、何気なく私も離れてついていった。1階ロビーの澤瀉屋の受付のところに、先客さんとお話をしている着物姿の女性の近くで大向こうさんが順番待ち。その時に初めてお母さんがわかった。着物には流水模様に澤瀉があしらわれたデザインがあちこちに描かれていて、まさに澤瀉屋さんの女将さんだった。そして、そのお顔が亀ちゃんによく似ていた!お母さん似だったのね!!それに明るい人あしらいがうまそうな雰囲気も似ていると思えた。
「(三代目)猿之助さんってお母さんの方の顔だから昔は女形が綺麗だったのよ」と聞いていたので、実は前日にネットで「高杉早苗」で検索したところ、見つけた写真がまさにそうだと確認していた。猿之助は二代続きでお母さん似という遺伝になっているのかと納得。
あと、私がわかったのは扇千景さんくらいだったが、浜木綿子さんもいらしていたようだ。

終演後、玄関前で私の目の前で記者たちをふりきって車(後ろがシャドーガラス)に茶髪の男性が滑り込んだ。すぐに誰かわからなかったが、記者さんたちの話でサッカーの中田ヒデさんとわかった。なるほど~。
ここであらためて澤瀉屋の由来の植物もネット検索しておく。お正月に食べるクワイもその仲間だったのね。

Wikipediaの「オモダカ科」の項はこちら
コメント ( 6 ) | Trackback ( 1 )


« 前ページ