ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/04/29 涙の鹿賀版「ジキル&ハイド」東京千穐楽(T-T)

2007-04-29 23:58:39 | 観劇

鹿賀版「ジキル&ハイド」ファイナル東京公演の前楽、楽と続けて観て完全にやられています(T-T)
昨日の前楽で買ってきたプログラムを読んで記事をアップまでして夜なべ(その記事はこちら)。予定時間に起きられずに朝食抜きでご一緒する北西のキティさんと待ち合わせ場所へ。軽く腹ごしらえして常よりは余裕を持って着席。今回は奮発して一階のS席。
冒頭のおなじみの雷鳴だけでなく、今まで気づいていなかった馬車の音などの夜の街の音にもあらためて心を動かされる。本当にこれで最後だという思い入れたっぷりに目も耳もフル稼働が始まる。
舞台は全キャストから日生劇場千穐楽という緊張感が伝わってくるようだった。父の病院の場面の静かな「闇の中で」から「嘘の仮面」での盛り上がり。アターソンとダンヴァース以外は主要キャストになっている人も男Aとかで歌うこの場面(プログラムを読んでいたから狂気の父から執事プールになる丸山さんが歌に加わるところも初めて発見できて早変わりに感心できたのもあり)。レミゼ初演キャストが繰り上がったようなアンサンブルで始まり、ずいぶん入れ替わりがあるというのにレベルの高さがキープされているというのも伝説のひとつとなること間違いない。

宮川浩ストライド。がっしり体育会系という感じで鹿賀ジキルと火花を散らすときのエマにふさわしい男として互角に思っている感じが強く出た。エマへの未練も可愛さがあったし、恋敵として憎憎しさが前回公演よりも増している。鹿賀ジキルにぶつかっていく感じが好ましい。逞しい感じのマリウスや「回転木馬」のビリー、「蜘蛛女のキス」のヴァレンティンを思い出しながら観てしまう。
戸井勝海アターソンは生真面目な感じがいい(インテリ風マリウスの頃を思い出す~)。それなのにパブ“どん底”で見せるスケベさにまたギャップがあって憎めない。尊敬する鹿賀さんに一生懸命くらいついて数少ない貴重な友人役を演じているのだ。これもずっと見守ってきた者として嬉しくてたまらない。
鈴木蘭蘭エマ。前回公演では声量のなさを口元までのマイクで補っていたが綺麗な声で一生懸命歌っていて好感を持った。今回も襟位置にもっと細いマイク使用だった。今回は声量は増していたが、前楽では音をはずしたまま歌っていて、おいおいどうしちゃったのさ状態。千穐楽ではまたちゃんと音が合っていたのでその辺の安定性はやっぱりないんだなと思った。娘は発音の悪さを指摘。結局エマ役では満足できた人がいないで終ってしまったが、蘭蘭エマはやっぱり雰囲気が可愛い。鹿賀ジキルが本当に可愛いと思っているなぁという感じがしたのでファイナルはやっぱり彼女でよかったと思う。
浜畑賢吉ダンヴァース卿は鹿賀ジキルと同様に初演よりもぐっと年をとられた感じ。同じような世代だから仕方がないか。年輪とともに娘を思う老いた父の感じがグッと強くなっていてしみじみした情愛が増していた。
鹿賀ハイドに殺される理事の面々は初演からのメンバー(大須賀さん、小関さん、荒井さん)はもちろん、途中入れ替わった石田さん、中西さんも冒頭の理事会での「ノーノー絶対ノー」と鹿賀ジキルの提案を否決する場面から全開モード。ここの場面がCDにないのが惜しい。

ハイライト録音盤しか出されずに終ってしまうのが惜しい。ジキル、アターソン、エマ、ダンヴァース卿の四重唱もない。ファイナル盤でCDかDVDつくって欲しかったな。

マルシアのルーシーは一層痩せていてちょっと心配になったが、薄幸な女の感じが増したとも思える。初演の頃は台詞回しの日本語がかなりあやしかったがずいぶんとうまくなった。今回はちょっとしたことに喜ぶ表情やしぐさに可愛さが増し、そのことが不幸な運命との落差を大きくしていたように思えた。

さて、鹿賀さまである。もう完璧に「様」づけである。
以下、公式サイトで鹿賀丈史のインタビューの冒頭にあったところをちょっと引用。「ハッピーエンドで盛り上がるわけでもないし、それほど華やかなわけでもない。人の心の叫びを華麗なる旋律に乗せてつづっていく、官能的で濃密なミュージカルだと思っています。」
彼の濃い芝居は大好きで、レミゼのバルジャンで出会ってから20年ずっと追いかけてきた。そしてその声に官能性を感じてきてはいたが、今回ほどその魅力をはっきりと自覚したことはなかった。前楽を観た後の声フェチ母娘の会話は鹿賀さまの声には濃いフェロモンを感じるという内容。ふたりとも同じようなレベルの男優を他には思いつかなかった。

一方、子どものように無邪気に嬉しそうな顔をするところも魅力である。「時がきた」では、ついに未来が開けそうな喜びをはじけるような笑顔で歌う。この可愛さにも女心は揺さぶられる。
「罪な遊戯」は原題のDangeraous Gameの方がぴったりする。キーワードとして他にもゲームという言葉が出てくるが、ブロードウェイ盤を聞いてより強く思ってしまった。Dangeraous Gameの方がより官能性を増すが、「罪な遊戯」という日本語にしてしまうと言葉的にはあやしさが弱く感じてしまう。とか思いつつ、今回のこの場面は歌詞よりもふたりの表情としぐさとともに声自体の官能性を強く感じた。ハイドのマントというもの自体、ここでは半分密室を作り出すような効果がある。ルーシーの肩に触れるハイドの指を見せたり、指と歌いながら背中に舌を這わせるハイドやとろけきった表情のルーシーの顔が見えたり(最後にはナイフも出てくるが)、官能性をここまで表現するというおそるべき仕掛けになっている。ここの場面の官能性も最高レベルになっていた。観ている方もとろけるしかない。

「人の心の叫びを華麗なる旋律に乗せてつづっていく」ということについても首をブンブン縦に振るしかない。CDをきくとその段階では歌ってくれていて十分聴き応えがある。しかし今回の2公演では、まさにジキルとハイドとして生きていてその言葉としての台詞だったりメロディに乗った歌詞だったりする感じだった。以前は特にジキルの方の台詞に嘘っぽさを感じたこともあるが、今回は科学の力を過信した青二才の生真面目青年の言葉にちゃんと聞こえた。以前の公演で「狂気」のところで涙ぐむところを見た記憶があったが、今回はそこまではいかなかったように思う。けれどその後の女ふたりの「その目に」をしょいながら「狂気に」の悩み苦しむ様子の続きの表情の百面相にも目が釘付けになった(前楽でふたりは見たので楽は鹿賀さまに集中)。

鹿賀さまのハイドは魅力的だ。ルーシーがハイドの魅力に勝てないことに共感してしまう。ルーシーへのストーカーぶりがいとおしいし、嫉妬をつのらせてのルーシー殺しもいとおしい。そしてそれを自覚したジキルの絶望もいとおしい。

そして、そのいとおしい男の二つに分かれた人格の「対決」の場面。千穐楽では鹿賀さまの目がみるみる潤んでいく。そして鼻をすすりながらふたつの人格が相争う歌が続いていく。ついに落涙。鼻水まで光って見えた。ハイドまでが泣いている不思議な対決場面。今回のプログラムで初めて知った鹿賀丈史自体の格闘がぶり返してきたし、泣きながら闘う二つの人格の共存の苦しみを思うと双眼鏡の手前で泣いてしまった。

そして結婚式の場面でも鹿賀さまは涙した。戸井アターソンに「自分を撃て」と迫るあたりから目が潤んできて、つづけざまに撃たれて倒れ「エマ、エマ」と名を呼びながらの最後も涙の筋が光っていた。
ここまでの高揚感を見せるという公演はなかったのではないだろうか?東京千穐楽ではあるが、マルシアのルーシーはこれで最後。初演からともに一緒に走ってきたヒロイン、それもハイドが殺してしまったマルシアのルーシーへの思いを鹿賀ジキル&ハイドがここまで募らせてくれたように思えてしまった。

千穐楽のカーテンコール。カテコでしゃべることの少ない鹿賀さまだが、やはりご挨拶してくれた。
(詳細のレポはおふたりの方のブログの記事が詳しいので以下にご紹介させていただきたい。)
「pippiのおもちゃ箱」さんの記事 「観劇☆備忘録」さんの記事
燃え尽きたようなお声でしゃべり出されたので、それだけで胸がつまってしまった。「本当にこれで一区切りつかれたんだなぁ」と思った。その満足感と脱力感に満ちた挨拶で、私も私の「ジキル&ハイド」観劇を封印する気持ちを固めた。
最高の芝居と歌を聞かせてくれた鹿賀丈史に感謝の気持ちでいっぱいである。マルシアにも感謝。
鹿賀さまも香寿たつきルーシーと組む大阪・名古屋の公演はまた仕切り直して取り組まれることだろう。私は遠征できないが、大阪・名古屋の方でまだ観る予定のない方は是非是非観ていただきたいと思う。バトンタッチをお願いしたい。

前回公演の千穐楽のレポはこちら
写真はチケット購入サイトからの宣伝画像。
終演後はharumichinさん、真聖さんとも合流してお茶会。お疲れ様でした~m(_ _)m
追記
この間読んだ丸谷才一の「遊び時間2」(中公文庫)というエッセイ集に「ジキル&ハイド」について記述あり。ヴィクトリア王朝時代の社会は偽善が蔓延していたのでスティーヴンスンのこの小説はかなり売れたのだという。そういった時代に「偽善者め、偽善者め」と憤ってバッタバッタと殺していく話は今の日本の「必殺シリーズ」のような人気があったのかもしれないと思った。

さらにちょっと追記!「時が来た」の場面について
♪「時が来た 逃すな 振り返ることはもはやない
この日を忘れないぞ、この時にすべてかけ すばらしい時へ」♪
ここの歌詞にハッとした。まさに鹿賀さまの千穐楽にかける気持ちを乗せるにふさわしいではないかと!この場面、ハイド登場の直前の気合が入るところのはず!!千穐楽の気合に圧倒されていた。薬を飲んでおかしくなっていくところのコミカル場面の後、ついにハイドが潜在意識の殻を破って出てきての「生きている」も最高~。って、2日たっても反芻しての余韻からなかなか逃れられない。BGMにライブ盤を流しながら書いている。♪「欲望のままに 突き進め~」♪
3日たっても余韻の中でちょっと追記してます(^^ゞ(コメント欄にもけっこう追記あります!)
公式ブログもご紹介→「ジキル&ハイド」ブログ。千穐楽の様子もアップされてます!