08/03/28 蜷川版「さらば、わが愛 覇王別姫」


「さらば、わが愛 覇王別姫(はおうべっき)」は1993年にカンヌ映画祭パルムドール受賞した頃から気になっていたが、あまりの3時間近い大作ゆえに見逃していた。それが蜷川幸雄の演出する舞台となるからには観なければならない!

玲小姐さんに映画のプログラムをお借りして観劇前にしっかり予習して開演を待つ!!
ウィキペディアの「さらば、わが愛/覇王別姫」の項はこちら

原作:李碧華(リー・ピクワー) 脚本:岸田理生
演出:蜷川幸雄 音楽:宮川彬良
主な配役は以下の通り。    
小豆子(シャオ・トウツー)→程蝶衣(チョン・ティエイー):東山紀之
小石頭(シャオ・シートウ)→段小樓(トァン・シャオロウ):遠藤憲一
菊仙(チューシェン):木村佳乃
關師傳(クアン師匠):沢竜二
袁四爺(ユアン):西岡馬
小四(シャオスー):中村友也

カーテンが風に揺れ、小豆子が母親に追いかけられ、奇形の6本目の指を鉈で切り落とされ、京劇の劇団に入れられ、子どもどうしのいじめから小石頭に守られてその二人に絆が結ばれるまでがスピーディに展開する。「エレンディラ」のカーテン、「オセロー」のカーテン、そして今回もカーテンがうまく使われていると感心しきり。

京劇の大スターになった主役二人が「覇王別姫」の舞台で登場。虞姫のヒガシくん綺麗~。項羽の歌はこの間の評判通り全く聞き取れないが、ストーリーには影響があまりないので気にしないことにする。遠藤憲一の低いハスキーボイスは台詞の時はまだいいが、歌を響かせるのは無理な感じだし、さらに髭を垂らしたあの扮装では絶望的に無理。プログラムの予習によると段小樓という男はカッコイイ男ではなさそうなのでこれくらいで十分なんだろうと解釈。
小樓は、蝶衣の自分への思いを知りつつも、娼館でなじみになった菊仙を現実世界の虞姫として選ぶ。
2時間で休憩なしの舞台はスピーディに進行。日本軍に支配された様子は大きな日の丸の旗を吊って表し、権力の移行はその旗を引き摺り下ろして晴天白日旗に変えられ、さらに中華人民共和国の赤旗へと変えられていくことで表される。
小樓は短気で血の気が多く思慮も足りずに時の権力に反抗して捕らえられたりするような男で、菊仙は恋敵の蝶衣に夫を救い出すよう頼む。蝶衣は京劇界の権力者である袁四爺を頼り、その思いのままになることで小樓を助ける。
蝶衣の楽屋には若い頃に拾って親方に育ててもらった捨て子の小四がやってきて、あなたのような役者になりたいと言う。「私を母さんと呼んで」という蝶衣にすがりつく小四。母に捨てられた傷を母になることで癒そうとする蝶衣。妊娠できた菊仙への対抗意識でもあるのだろうなぁと思いながら見ていた。

兵隊から夫をかばったために流産した菊仙。袁四爺に覚えさせられた阿片に溺れ禁断症状で暴れる蝶衣を小樓・菊仙は必死に看病する。幻を見る蝶衣を生まれてくるはずだった子どもへの子守唄で慰める菊仙。
不思議な三角関係が長い年月続いていく。
それを壊したのが1960年代後半から吹き荒れた文化大革命の嵐だ。紅衛兵は批判の対象とされた人々に自己批判を強要。袁四爺、小樓、蝶衣も首に批判の対象だという象徴の名札を下げられて引きずり出される。小樓は菊仙のためにと蝶衣を告発するが、その裏切りに憤った蝶衣も小樓は娼婦だった菊仙と結婚していると告発。「娼婦だった女を愛しているのか」と聞かれて保身のために「愛していない」と言ってしまった小樓。

カーテンの向こうには菊仙の首吊り死体。それを引きずり降ろして泣きじゃくる小樓の前で虞姫の最後の剣舞を舞った蝶衣は袁四爺が贈った古代の真剣で喉を掻き切る。
二人の愛する者の死体を前に小樓は自らの愚かさにただただ泣くばかり・・・・・・・。

そのカーテンの向こうに冒頭の場面が繰り返され、2時間に濃密にまとめられた舞台が終わった。

カーテンコールで現実に戻り、赤い提灯と中国の京劇の舞台を模した劇場空間を愛でつつ引き上げた。コクーンシートの左席だったので手すりのところに提灯を吊る赤い紐も見えているし、出口は中国の赤い柱状態だし、2階の最前列の手すりが邪魔だと見る席よりもいい感じだった。

岸田理生の脚本で宮川彬良作曲の音楽劇としての舞台化だったが、特に違和感はなく、面白く観ることができた。岸田理生がどんな人かも知らず、今回ネット検索して初めて女性の脚本家とわかった。原作も女性、脚本も女性だからこその感性もしっかり感じ取れた。
プログラムを読んで気になったこと。ヒガシでこの作品をやろうという企画でヒガシが女形の蝶衣を希望したことに蜷川幸雄が驚いている。「ヒガシはもっと違う自分に出会いたいんだな」と。当初は小樓あたりを考えていたのだろう。それでは蜷川氏は誰を蝶衣に考えていたのかなぁと楽しい推測をば。月川悠貴じゃないかなぁとニンマリ。そういうキャスティングで再演してくれないだろうかとまたまた楽しい想像をば!

(ちょっと追記)ユアンの西岡馬が素敵だったことを書くのを忘れていた。というか、今回の舞台で一番カッコよかったのだ。若い美しい男を愛する金も地位もある男の役といえば、「ヴェニスの商人」の時のアントーニオ役と重なるが、今回もとっても魅力的!
スケジュールがきつかったのに短期間の稽古でもなんとかと蜷川幸雄がくどいたという。確かに蝶衣と菊仙の二人が愛した小樓という男が器が小さい人物なのに、ユアンは蝶衣の心まで手に入れることはできないとわかりつつ愛し支える人物の大きさがあってこそ、このドラマが面白くなったと思えた。このキーパーソンに西岡馬がいてくれたからこそ、楽しめたということも大きかった。

(追記その2)京劇のある場面で程蝶衣が歌った内容から「牡丹亭」だと気づいた。この3月は京都では玉三郎が、東京ではヒガシが「牡丹亭」を舞台に乗せている。昆劇→京劇と「牡丹亭」も引き継がれていると納得。また東西で京劇がらみの舞台を上演しているのは、北京オリンピックイヤーだからだろうとも気づいた。無事に開催できるといいけれどね。

写真は今回公演のチラシを携帯で撮影。
Bunkamura連動企画の映画版のル・シネマの上映企画も4/10に観る予定。
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08/03/30 名古屋の妹たちが春休みでやってきた!


3/26から名古屋の妹1が娘たちの春休みということで埼玉にやってきた。実家も我が家も3人泊められる状態ではないので、北本の妹2の家に4泊。
北本の妹は週3日の人工透析に通っているので、出迎えにしても、滞在中の行動もそれに合わせての調整が必要。私は平日は仕事を休む余裕もなく、週末だけ合流した。娘はバイトもしていないし、27日にディズニーシーに同行。
その日は一番天気もよく、本当にラッキーだった。娘や姪っ子たちから仕事をしている私に「アリエルのマーメイドショー」が楽しかったとかメールで報告が入った。まぁ楽しんでくださいなという感じ。私も花粉喘息の季節でなければ一緒に行きたかったよ~。

29日の土曜日は我が家は通院があるので、それが終ってから実家の方で合流。若者3人はまたまたカラオケに行った。両親とは昼を一緒にしたということで若い2世代でデニーズで夜ご飯。姪っ子がお誕生日月だったので、4人までおかわり自由ドリンクが無料というラッキーに遭遇!

30日は連日動いてダウンの娘を家に残して私が北本へ。外食続きに音を上げた妹2のために妹1が腕を振るっての家庭料理。私はいつも「食べる人」のおねぇちゃん。姉妹3人の中では洗い物を得意としていた(笑)それも最近は妹1の長女がやってくれるので私は写真担当かな。

3/20~21の熱海の一族旅行の時の写真を今回に間に合わせて焼き増し。半日の観光バスツアーで撮影された1000円の大判集合写真を私が代表して買っておき、それはカラーコピー。妹2の情報で一番画質がいいセブンイレブンでコピー。それぞれの家の分を配った。
私が東京駅まで3人を送る。家族全員で来る時はいつも車なので、東京駅の大混雑に驚いていた。春休みの日曜日の午後はやっぱり混み混みだよ。お土産買いも手伝って改札までお見送り。
姉妹3人の会話はもちろん姪っ子たちとの話も盛り上がるし、週末だけだったけど楽しかったよ。遊びにきてくれて有難うm(_ _)m

夕方から毎年の恒例イベント、sakuramaruとの千鳥ヶ淵のお花見は雨で取りやめ。四ツ谷で合流してPAULでお茶をした。ケーキセットもポットティーにするとおかわりできてお得なのだ。結局、名古屋組より帰宅が遅くなったという次第(^^ゞ

写真は熱海旅行の時に梅園でようやく撮影できた遅咲きの紅梅のアップ画像。梅園全体で数本しか残っていなかった。
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08/03/25 定年の先輩の送別会が続く弥生月


3/14にお一人、今日25日にお一人、職場の女性の先輩職員の定年の送別会に参加。
私の職場でも女性が定年まで働き続けるのは大変で、5年くらい前に東京と大阪の事業所で同時に女性の定年退職者第一号が生まれた。それから団塊の世代の先輩たちの退職が毎年続いている。
今年は特に先日の部内報で男女計20数人のお名前を見て、「2008年問題」と言われる団塊の世代の定年退職の多さをあらためて痛感していたところだ。
コンプライアンス経営の重視ということで、定年後再雇用制度をとにかく導入しようということで今年度からパートナー嘱託制度(労組が改善を申し入れても見切り発車という難ありの内容)がスタート。それで再スタートしていただいている先輩あり、定年を区切りに次の目標めざして巣立っていく先輩あり。
定年で巣立つ方でも、私の印象では女性の方の方が明確に前向きな目標を持たれている方が多いような気がする。

今日の先輩が一番好きな言葉を書かれたカードをいただいた。いい言葉なのでご紹介させていただく。
「ありがたし 今日の一日(ひとひ)もわが命 恵みたまえり 天と地と人と」
さらに「出会っていただいてありがとうございます」と書き添えてあった。
こちらこそ、本当にいろいろとお世話になったことを感謝している。

こうした先輩たちの努力があったからこそ、女性でも働きやすい職場になってきたのだと思っているし、そういう歴史を後輩たちに伝えていかなくてはと決意を新たにする。
私も職場であと12年間、自分にできることをしていこうと思っている。

写真は先日の熱海一泊旅行で行った梅園で美しく咲いていた馬酔木の桃色の花。梅はほとんど散って遅咲きの数本しかなかったが、馬酔木の大きな木が白い花の株と桃色の花の株が並んで見事な花房をつけていたのは見ごたえ十分だった。
明日は歌舞伎座千穐楽夜の部観劇予定。千穐楽の特別のご馳走として仁左衛門丈が清元の三味線を弾かれるというのが楽しみだ。
皆さんのコメントへのお返事はもう少々お待ちくださいませm(_ _)m
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08/03/22 スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」!


前回のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の感想はこちら
今回、私が観た公演の主な配役は以下の通り。
小碓命後にヤマトタケル/大碓命(ダブルキャスト):段治郎で
タケヒコ(ダブルキャスト):右近で
ヘタルベ(ダブルキャスト):猿紫で
兄橘姫/みやず姫:笑也 倭姫/帝の使者:笑三郎
弟橘姫:春猿 老大臣/尾張の国造の妻:寿猿
ヤイラム/伊吹山の山神:猿弥 皇后/伊吹山の姥神:門之助
帝(ダブルキャスト):猿弥で

3年ぶりに「ヤマトタケル」が演舞場に帰ってきた。ダブルキャスト制はタケルとタケヒコの2役からヘタルベと帝もそうなって4役へ。これからもこういうのが面白いと思う。右近主演の公演も観なくてはと思ったが、今月は記録映画「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」6本全部を観ることを優先してしまった。演舞場で2ヶ月やってくれれば3月と4月で両方観ることができたんじゃないかと勝手なことを書いてみる(^^ゞ
3年前の公演は初演からはかなり削り込んだバージョンだったが、今回は元の脚本に戻したという。前回も一回、今回も一回だけの観劇だからどこがどう違うかについてはあまりわからなかったが、最後にタケルが伊吹山の山神の化身の白猪に噛まれた傷が悪化して死の床についている場面が大きく違っていることには気がついた。父帝の夢の場面、鱗模様の下着に鳥のデザインが入った上着で寝込んでいる場面など、前回とは違うように思えた(記憶がいい加減かもしれませんが)。
ミュージカルの「レ・ミゼラブル」が短縮バージョンになって、各場面から少しずつ台詞がカットされてしまい、ストーリーは通るのだが私には深い味わいがなくなったように思えた。今回の上演で猿之助が元のバージョンに戻して欲しいと強く要望したというのも、梅原猛とともにじっくり練り上げた脚本へのこだわりと、それを強く主張できるくらいに気力体力が回復されたためだと思った。

梅原哲学が前回よりも丁寧にきちんと伝わってきたと思う。大和朝廷の支配が全国に及ぶということは、熊襲や蝦夷といった土着の勢力をつぶしながら、それぞれの文化圏に住む人々の誇りもつぶしながらのことだったということが明確に伝わってきた。
段治郎の小碓命は、素直でおっとりとしていて思慮深くない王子という造詣がいい。兄の大碓命と違って父の後妻の皇后の陰謀にも気づかないし、気づいても認めたくないという現実逃避の姿勢も垣間見える。海神への貢物として入水して死んだ弟姫を悼みながらも、すぐに気に入ったみやず姫を后に迎えるというあたりも、育ちのいい王子の脳天気さも納得できてしまうキャラになっていた。はずみで兄を殺してしまったことを父である帝に許されたい、命令に従って成果を上げたことを誉められたい一心で戦っている。叔母の倭姫をはじめ、出会う女たちが放っておけない魅力のある男というのも美味しい人物設定だ。そういう女たちの助けや支えで戦っていく中で、敵からも新しい視点を得て少しずつ成長していくという物語に思えた。

右近のタケヒコは安心して観ていられたし、大抜擢の猿紫のヘタルベが初々しい美少年なのもよい。この二人に支えられてのタケルの長征だ。ふと気がつくと場面によって衣裳が変わっていってもタケヒコには蝶のデザイン、ヘタルベには蝙蝠のデザインが使われていたりして、鳥のデザインのタケルとともに空を飛ぶ生き物というイメージでデザインされたんじゃないかなぁと思い当たる。

猿弥の帝も貫禄があってよい。帝と皇后、伊吹山の山神と姥神という敵対関係の両方の夫婦を同じく門之助とコンビを組んでいるのが面白い配役だと思った。猿弥はヤイラムも入れて3役の大活躍。動きもいいし台詞回しもいい。澤潟屋の貴重な存在だ。

女形の3人もそれぞれ魅力炸裂だった。笑也は容姿も台詞回しもスーパー歌舞伎の立女形にふさわしい。ここまできりっとした女の役は純歌舞伎には少ない。兄姫の落ち着いて気丈な女、みやず姫のおきゃんな娘の両方が際立っていた。
笑三郎の倭姫は甥の小碓命を女としても憎からず思っていたのだろうとその大人の女の可愛さが濃厚に漂っていていい。
春猿の弟姫は、姉の夫を愛してしまい、その姉よりも強い愛を死を持って示したことで気高く死んでいくという、魔性的な愛の激しさを秘めた可愛い女ということでよりバージョンアップ。玉三郎の指導で「夜叉ヶ池」で主演をつとめてさらに大きくなっている。

最後にタケルの墳墓の塚がくずれて白鳥になって飛び立つ宙乗りの場面の音楽が謡いになっていることが、今回特に新鮮に思えた。「天駆ける心、それが私だ」という台詞の具現化した衣裳といい、翼をはためかせての宙乗りといい、この場面は魅惑的で幸福感に酔いしれることができる。しあわせだなぁ。
段治郎のタケルは前回よりもさらに主役としての自信にあふれ、それなのにクセがない素直なニンが好ましい。やっぱり贔屓度高いなぁと自覚(^^ゞ

写真はこの公演の公式サイトよりチラシの画像。

終演後は、玲小姐さん、かつらぎさんと充実したおしゃべりタイム。観劇後に語り合える友がいる幸せもかみしめる。
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08/03/20 一族9人熱海一泊で五月歌舞伎先行予約ぶっとび


母親の喜寿祝いという名目で、名古屋から妹1の一家と埼玉県内3ヶ所から、一族9人が熱海で一泊するという企画が2月末に突然持ち上がり、すったもんだの末に当日を迎えた。北本市に住む妹2と私と娘が湘南新宿ライナーで一緒に行くことになり、赤羽駅で合流することにした。朝からけっこう雨が降っていて、約束の列車にギリギリになり、ようやく間に合った!

3/20は新橋演舞場五月歌舞伎のゴールド会員先行予約日。前の晩まではその車内で携帯からウェブ松竹でチケットをとろうと思っていた。当日、朝から娘をせかしてせかしてなんとか飛び乗り、座席指定なし早い者勝ちのグリーン車が満席しばらく立ち、降りる人も多い池袋で座り、新宿で妹の近くの席に移動し、とやっていたら、ウェブ松竹のことなんてすっかりどこかに行ってしまっていた。

小田原で東海道線に乗り換えて熱海に到着。新幹線のこだま自由席でくる両親が予想の列車で到着しないので、30分後を待つことにして時間つぶし。
熱海の駅に最後に降りてから10年以上が経っている。駅前の汽車のオブジェの所に温泉が湧き出ているのは昔からだと思うが、「家康の湯」という無料の足湯コーナーができている。
タオルの自販機などもあってけっこう人気のスポットのようで、雨の上がった翌日などは座る場所はゆっくり足を浸す人でいっぱいだった。20日は雨が降っていたので写真のようにガラ空き。私と娘と3人で交替で足を浸してそれぞれ写真撮影。写っている足は妹2の足。

時間を見計らって改札前にいくと、車で来て一番遅くなるはずの妹1が先に来ていた。なかなか姿を見せない両親だったが、ようやく改札に到着するのが目に入った。しかしその歩き方のあまりのヨタヨタぶりに驚いてしまった。父の体調が悪くなってしまい、キャンセルしてほしいという連絡があったということだったが、直前になんとか行けそうとなっていたのだ。それにしてもあまりの急速な弱りぶりに驚いてしまった。駅ビルの2階のレトロな食堂街に行くにも手すりでようやく階段を上がった。

こんな調子で一泊二日。娘3人とそのツレアイが1人、孫娘3人。ちゃんと観光もしたい私と妹2、カラオケにも行きたい孫娘3人(22歳、20歳、18歳)。それぞれの要求も満たしながらの2日間。
初日の午後は娘3人と孫娘3人だけで「起雲閣」へ行ってお茶もしてきた。ホテルでの食事の後に若い3人は駅前でカラオケもしてきた。あまりの値段の高さに1時間で戻ってきたからいい具合か。

興奮しすぎで夜更かし組と、不眠症組もいる。翌日は朝から伊豆箱根鉄道熱海バスの「貫一号」という半日のバスツアーで十国峠まで行き、雲をかぶってはいたが富士山も半分見えた。

昼ごはんの後のお土産タイムが長すぎると母親が怒り出したりしてもう大変。確かに仲見世通りとか回ってたから時間かけすぎだったなぁ。若い芸妓さんたちと一緒に写真をとってもらったのはよかったけどね。

ようやく家に戻ってハッと気づいてPCに向かいウェブ松竹にアクセス。土日の昼の部3階B席は花道の見えないサイド席しか出てこない。ようやく右列が出た日を確保。平日夜の部は正面を確保。
2年後は両親の金婚式と妹1夫婦の銀婚式ということで、また一緒にどこかに行こうという話も出ていた。実現できることを祈るばかりだ。
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08/03/09 「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」 5・6【孫右衛門の巻】【登仙の巻】


第5部【孫右衛門の巻】(86分)
1989年(平成元年)10月歌舞伎座での「恋飛脚大和往来」の稽古と舞台のドキュメンタリーで独立した1本。歌舞伎座のロビーでの稽古の様子がいい。今は東劇にちゃんとした稽古場ができたらしいが、いつもの歌舞伎座のあのあたりねぇという感じがいい。
13代目は孫右衛門。梅川の4雀右衛門が若々しい。「新口村」でお世話をする場面など、贅沢な顔合わせだ。忠兵衛が孝夫、八右衛門が我當、おえんが我童と松嶋屋勢揃い。孝夫と我當に稽古をつけながら、太夫にも三味線にもいろいろと注文。座頭だ~。兄弟で二枚目と敵役ができるのも貴重だ~。

舞台稽古で13代目の本舞台への誘導のために花道の端に目印の赤いランプがセットされているのを我當が父に見えているか確認。けれど見えていない。視力がほとんど無くなっているのがせつない。
10/5の本舞台を収録。たっぷり芝居を観て、13代目の孫右衛門に涙腺が緩む。当代の孫右衛門も観たが、やはり父の域にはまだないというのがよくわかった。
収録の翌日、13代目は花道から落ちてしまったが、その日は終わりまで演じ通したと字幕が出る。その後は我當が代役。次の公演の大阪中座では13代目の孫右衛門は舞台の上手から登場したという。
6本のうち、時間があればこの【孫右衛門の巻】だけでも観たいと思った。

第6部【登仙の巻】(158分)
1991年(平成3年)、改装なった南座では初役で「楼門五三桐」の石川五右衛門をつとめた13代目。鷹がくわえてきた文の血文字を逆さに持っているのに気づかないところもせつない。真柴久吉は梅幸。今年1月の雀右衛門の女五右衛門もそうだが、動けなくなった大看板向けにはぴったりの演目が歌舞伎にはちゃんとあるものだ。

1992年(平成4年)2月、南座での「荒川の佐吉」の相模屋政五郎で3度目の真山青果賞。授賞式の場面で真山美保が表彰していたが、彼女もここで初見。
同年10月の「御浜御殿網豊卿」では新井勘解由役。網豊卿が4梅玉、お喜世が松江。「芸談をきく会」で13代目が梅玉を褒めていたが、私もなかなかいいと思った(昨年の国立劇場の3ヶ月連続元禄忠臣蔵公演は観ていないのだ(^^ゞ)
1993年(平成5年)2月、明治座の新築開場の柿落とし行事で「寿式三番叟」の翁を舞う。翌月「口上」と「寿曽我対面」。工藤の役は座って登場、ずっと座って演じた。同じ役もこの6本の中で演じ方がどんどん変わっている。動きをどんどん少なくし、要所要所で見せていく。
11月南座の「鬼一法眼三略巻」では滅多に上演されていない「奥庭」を復活し、鬼一法眼役。途絶えていた狂言の復活という作業に13代目の使命感のようなものも感じ取れた。自分では読めなくなった台本を夫人に読ませて覚えていく。

同年12月南座の「八陣守護城」の佐藤正清。これも滅多に上演されない演目。これが最後の舞台となったが、最後の最後まで後進に伝えるべきものを伝えていく姿勢が貫かれていたと思った。

夫人も老いて弱り、静香とその姉の二人がかりで両親を支えていた。自宅で椅子の背もたれに身体を預け、夏だというのに膝掛けをして目を伏せてじっとしている。13代目の最晩年の姿だ。
最後の舞台から94日後の1994年(平成6年)3月26日、13代目は享年九十で永眠された。映画の最後には東京に建てられた13代目のお墓参りの様子もあった。
こうして静かに6部作は終るのだ。名優13代目仁左衛門の晩年の姿とそれを追い続けた羽田澄子監督の仕事にただただ感謝を捧げるのみだった。

3/8 第1部【若鮎の巻】はこちら
3/8 第2・3部【人と芸の巻(上・中)】はこちら
3/9 第4部【人と芸の巻(下)】、当代のビデオレターはこちら
この映画で下北沢デビューしたという記事はこちら
写真はトリウッドロビーに掲示されていたポスターを撮影したもの。
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08/03/09 「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」 4【人と芸の巻(下)】、ビデオレター!


「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」の今回の上映企画に寄せられたという当代仁左衛門のビデオレターが毎回の上映前につく。私は2日連続で通ったので6回も観てしまった。
楽屋に座って映画を観る観客へのご挨拶という内容になっている。13代目も家族もみんな自然な姿で映っているのは羽田監督の素晴らしさということだった。13代目の生前に5部作上演があった時、長すぎると思っていたのに評判がよくてびっくりしたということもおっしゃっていた。足を運んでくださった観客への感謝の気持ちの表現も、13代目と同じように沁みてくるなぁと何度見てもその度に思えた。
そして、父のことを言う時に一瞬ためらった後に、「はっきり申しまして尊敬する父です。宝でございます」と言い切った姿に溜息が出た。さらに「母も逝きました。父も母も残された者の自慢でございます」と言われてしまうと、松嶋屋の一家の素晴らしさがほのぼのと伝わってくる。当代の素顔の笑顔も最高だ~。

第4部【人と芸の巻 下】(105分)
「芸談をきく会」で父である11代目仁左衛門を語る時に「おとうさん」と呼ぶのが気になっていたが、自分の生い立ちを話されて納得した。11代目はお子さんを実子も養子も次々に亡くし、13代目を大事に大事に育てたのだという。「この人=喜代子夫人がくる前まで川の字になって寝ていた」とのこと。そうか、本名の千代之介って、千代に生きて欲しいという願いがこもった名前だったのだろうと思いついた。それなら「おとうさん」でも合点がいく。
昭和30年代に上方歌舞伎の火が消えそうになり、家を売ってでも自主公演をやりたいという13代目に家族が賛成した時の話も感動的だった。その動きをマスコミが報道した時に「仁左衛門歌舞伎」という名前が生まれたのだという。花柳流の家元のお嬢さんだったという喜代子夫人はおっとりとしながら芯が強い女性という感じがした。家が無くなってもいいから夫のやりたいことをやらせてあげたかったし、子どもたちも賛成してくれたというエピソードに家族の結束力の強さが窺えた。
長男5我當・二男2秀太郎・三男孝夫が父を囲んで父との思い出を語るところに、孝太郎、進之介、愛之助も同席していたと思う。内容もそれぞれにしみじみしていてよかった。五女の片岡静香は演劇集団「円」の公演の楽屋で鬘をとった羽二重姿でのインタビュー。さっぱりした気性の面白い女性だなぁと思った。目の不自由な父が癇癪も起こさずに素直に世話をされている姿に「可愛いなぁ、もっとお世話してあげたくなっちゃう」というような話もされていて、そういう13代目の人間的魅力もきかせていただいて嬉しかった(お世話されるようになったらそういう態度がとれるようになりたいものだ)。

1988年(昭和63年)11月に脳梗塞で倒れた13代目は、12/23に京都南座の顔見世で復帰。こうして南座顔見世連続出演の記録を延ばしていく。出し物の「堀川波の鼓」のところの記憶がない(^^ゞ
翌平成元年2月の名古屋の御園座「荒川の左吉」。孝夫の左吉を諭す相模屋政五郎が13代目。その年の南座顔見世興行で「菊畑」の鬼一。孝夫の智恵内。これで南座は改築に入る。翌年の京都の顔見世は祇園の歌舞練場(アレ?映画「舞妓Haaaan!!!」の最後の舞台もここかもとか脱線(^^ゞ)「寿曽我対面」の工藤。五郎が我當、十郎が秀太郎、大磯の虎が我童と松嶋屋が揃う。

3/8 第1部【若鮎の巻】はこちら
3/8 第2・3部【人と芸の巻(上・中)】はこちら
この映画で下北沢デビューしたという記事はこちら
写真は、トリウッドの入り口に飾られていた「仁贔屓会」の皆さんが送った盛花。当代への深い愛を感じますなぁ。映画を観た感想を書き込める芳名帳も用意されていて、松嶋屋の皆さんに読んでいただくのだという。しっかり私も書かせていただいた。
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08/03/08 「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」 2・3【人と芸の巻(上・中)】


84歳から88歳までの13代目仁左衛門の舞台、芸談、生活の記録は、「人と芸の巻(上・中・下)」として3本にまとめられている。芸談の多くは13代目の長年のご贔屓の女性グループ「芸談をきく会」での話を撮影している。
上と中までを初日で鑑賞。

第2部【人と芸の巻 上】(94分)
<出し物>1987年(昭和62年)6月「伊賀越道中双六」の沼津の平作。今回の6本の中では一番最初に撮影されたという大阪・中座での舞台。こじんまりした小屋という感じがしていい雰囲気。大阪にいた頃に道頓堀をよくブラブラしたが、中座に行ってみればよかったなぁと今更ながら思う。孝夫が初役の重兵衛とのことだがそうは思えない出来。秀太郎のお米も若々しい。今年の初芝居中継の我當の平作と脳内でだぶらせて観てしまうが、13代目の平作のよたつきぶりは自然だし可愛らしい。沼津でもう泣ける(13代目の平作を褒めているサイトもみつけたのでご紹介)。
10月国立劇場での「紙子仕立両面鑑」大文字屋の助右衛門。父の11代目が人形浄瑠璃から歌舞伎に移して初演したという演目だが、馴染みがないのでここで睡魔に襲われてどんな話かは覚えていない。しかし舞台稽古の場面で實川延若片岡我童の動く姿を観ることができたのが大きな収穫。この間に読んだ本で写真は見たことがあったが映像はやはり有難い。「河内屋は・・・・・・して」とか13代目が座頭として芝居をつけていく様子も興味深かった。

12月南座での「寿曽我対面」の工藤祐経は座頭役で立派。五郎を富十郎、十郎を扇雀。この時13代目は京都南座顔見世連続35年出演で表彰され、私が今あるのもご贔屓の皆さんが私を可愛がっていただいているからで有難いというような挨拶をされていた。「可愛がっていただく」という表現がとても13代目に似つかわしい気がしたし、この笑顔が本当に魅力的。昨年亡くなられた松竹の永山会長の動く姿もここで初めて見た(^^ゞ

第3部【人と芸の巻 中】(101分)
1988年(昭和63年)2月の歌舞伎座百年記念公演「通し狂言 菅原伝授手習鑑」。歌舞伎の「筆法伝授」はまだちゃんと観ていないのでそこも興味深く観た。13代目はかなり目が見えなくなってきていて、歌舞伎座の舞台の大きさを身体に刻み込むために介添えなしで歩き階を降り、大道具に階の幅の調整を頼んでいた。そうして演じた菅丞相は秀太郎の苅屋姫との別れの場面など、娘との永久の別れを覚悟した深い悲しみの姿にすごく人間味を感じた。もっと神様的な演技かなぁと予想していたのだが、そのあたりはよくわからず。ますます「菅丞相片岡仁左衛門」の記録映画を観たい気持ちが募る。他の配役は以下の通り。覚寿(7梅幸)、輝国(8福助)。
5月歌舞伎座「妹背山婦女庭訓」の花渡しの場面。吉右衛門の大判事と芝翫の定高を恫喝する13代目の入鹿の公家悪の立派なこと。

6月には朝日新聞社から写真集「風姿」が出版された。楽屋に届けられ全てのページをめくっていくが、どんな写真なのかはご自身ではわからなくなっていて喜代子夫人の解説にうなづく。とても嬉しそう。

京都嵯峨の片岡家での8月のお盆の様子が興味深かった。13代目は信仰深く、神仏、祖先に毎朝祈りを捧げており、その様子の映像もあった。お盆の墓参り時にご先祖様に迎え火の時間まで伝えているのには驚いた。特別な祭壇を設け、夜7時には玄関で迎え火を焚き、一族が皆集まっての法事。13代目の子どもは3男5女ということで、母の指示で娘たちが台所では特別の料理の用意。おはぎの大量のあんこづくりにびっくりした。小豆からつくるのだという。

それともっと驚いたのは祇園のお座敷で太棹三味線を弾く13代目の姿。浄瑠璃を語っているのは秀太郎。「役者が花柳界に行く時は芸妓さんたちに楽しんでもらわなくてはいけない」とさらりと言ってのけられていたのが、こういうことだったのねと納得。しかしここまで義太夫を本格的にやっている役者さんはもういないだろうなぁ。何を語っていたのかはオフ会でマイミクの「すの字」さんに「卅三間堂棟由来」だと教えていただいた。感謝m(_ _)m
この映画にふれた秀太郎さんのお話が載ったサイトもご紹介しておこう。

写真集の表紙写真画像を見つけたのでアップしておく。「夏祭浪花鑑」の三婦のようだ。この笑顔がいいなぁ。
【人と芸の巻 下】までまとめてアップするつもりだったが、花粉も黄砂も飛散多しで気力体力続かず。記憶も薄れてきてしまうのが悔しい。ボチボチ続く・・・・・・。
3/8 第1部【若鮎の巻】はこちら
3/9 第4部【人と芸の巻(下)】、当代のビデオレターはこちら
この映画で下北沢デビューしたという記事はこちら
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08/03/08 「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」 1【若鮎の巻】


上の写真は下北沢トリウッドの公式サイトから、記録映画「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」6作品上映企画のチラシ画像。
初日に3本続けて観た。そもそも13代目仁左衛門にここまで興味を持ったきっかけは、ご贔屓の愛之助が部屋子になっていた13代目を尊敬を持って語っているのを聞いたり読んだりしたからだ。木挽堂書店で絶版となっている松島まり乃著『歌舞伎修業―片岡愛之助の青春』も手に入れてしっかり読んでいる。松嶋屋の雰囲気もある程度把握していたので初めて観ても合点できることもあって良かったと思った。


ウィキペディアの「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」の項はこちら

自由工房のサイトの羽田澄子監督の説明のコーナーはこちら

第1部【若鮎の巻】(102分)
<出し物>「一条大蔵譚」奥殿、「傾城反魂香」吃又
上方の若手歌舞伎俳優たちは「若鮎の会」をつくり(後に「上方歌舞伎の会」に継承される)、勉強会を続けていた。
若鮎の会の自主公演記録はこちら

1987年(昭和62年)夏の第8回公演における13代目の演技指導を記録。京都嵯峨の仁左衛門邸の広間での稽古から始まる。義太夫が身体にしっかり入っている丈は若手に口三味線をしながら義太夫にのった台詞回しを指導。一条大蔵卿役の若手は公家言葉に不可欠の‘が’の鼻濁音を直され、「いなしゃませ」(去れということを“いね”と言い、その公家言葉)の音使いとリズムを何度も直されるが、ちっともできないので客席からも笑いがもれるほどだった。公家言葉の難しさ、義太夫狂言のためには浄瑠璃を勉強しないといけないということを何度も繰り返している。

おとくは千次郎時代の吉弥と確信を持った(公式サイトでも確認)が、吃又役がわからず、家でネットの歌舞伎俳優名鑑を検索して照合すると片岡當十郎とわかった(この人が最晩年の仁左衛門丈にずっと付いていることが後の巻でわかる)。この二人のコンビはまずまずの感じ。
板敷きの広縁には部屋子の千代丸時代の愛之助がしっかりと13代目の指導を見つめていた。
劇場の稽古場で稽古をつける様子。前日の稽古の指摘どうりに直っていないという丈の指摘に長男の我當が出てきて、前日の稽古の後に自分がみた稽古でどうしてもできないので今のやり方にしたと説明にきている。大先生と小先生みたいだなぁと思った。我當が父の指導をきちっと補佐しているのに感心してしまった。その補佐のタイミングのよさ。まさに息が合っている。

仁左衛門丈は三味線の弾き方、義太夫の語り方にも自分で語って合わさせている。上方歌舞伎専属の大夫三味線がもういなくなっていて、東京から来てもらっているので昔ながらの上方歌舞伎の演奏が継承されていないという。三味線も江戸弁風に訛ってしまっているという。

公演本番は最前列でジッと見守る様子を舞台とともにカメラがしっかりとらえている。問題の箇所は本番でもできていなかった。丈も挨拶にたち、「お目まだるい舞台でございましたが・・・・・・」という出来。それでも若手に乞われて稽古をつけてきた経過や、年に一度こういう大きなお役で舞台にたてるこういう機会を大事に支えていただきたいというようなことをお話していた。

84歳のこの頃の13代目は目もまだ見えていて、自宅の中を歩くときもゆっくりとだが一人で歩いていた。若手に対する指導もご自分の中にあるものを全てぶつけていて、それを受けとめきれないでいると、いかにもじれったいという表情としぐさに情熱がこもっている。ご自分でやって見せるその台詞回し、しぐさに13代目の舞台のイメージが広がる。
淡々とした記録映画なのに、こんなに面白いとは予想以上だった。この1本目で残り5本をしっかり観る決意が固まった。

花粉と黄砂でヘロヘロで、ここまで書くのに2日がかりになってしまった。マイペースで2以降に続く・・・・・・。
3/8 第2・3部【人と芸の巻(上・中)】はこちら
3/9 第4部【人と芸の巻(下)】、当代のビデオレターはこちら
この映画で下北沢デビューしたという記事はこちら
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08/03/10 TBS「東京大空襲」に泣く(T-T)


全くのノーチェックだったが、TBSで『シリーズ激動の昭和 3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』という番組をしっかり見ることができた。
TBSの公式サイトの「みどころ」より下記を引用。
「一晩で十万人もの死者を出した東京大空襲。しかしながら広島、長崎、沖縄などに比べて、報じられる機会は少ない。空襲の様子を地上から撮影した唯一の男、石川光陽を主人公としたドラマを軸に、アメリカ取材や東京大空襲の被害者の証言などのドキュメンタリー部分とあわせて、東京大空襲の知られざる真実に迫る。」
警視庁警務課写真係だった石川光陽(いしかわこうよう:仲村トオル)は坂警視総監(竜雷太)から「危険な任務だが空襲の現場をすぐに撮影すべし」という特命を受けての行動だった。
軍の指揮下にある憲兵隊が警察のくせにと撮影を阻止しようとしてくる場面もあり、あらためて警察は憲兵隊と社会の中の位置がかなり違っていたのだと思った。だから気骨のある特命を出す警視総監もいたのだろうなぁと納得。

仲村トオルも気迫のこもった大熱演で、ぐいぐいと引き込まれてしまった。仲のよかった警官刑部役の原田泰造もよかった(大河ドラマの大久保役もいいし俳優業が本格化している)。
ドキュメンタリー部分のナビゲーターは筑紫哲也。闘病中であり帽子を被って頑張っている。被災して生き残った方々の証言に関連の映像も組み合わせた力作の番組。言葉をつまらせ涙する被害者の高齢の女性男性の姿、石川の撮った写真、ドラマとたたみこんでいく。
アメリカは日本軍の中国での無差別爆撃を非難していた。そのアメリカが大戦後の主導権をソ連などに渡さないためになりふりかまわず従来の正義感もかなぐり捨てての空襲作戦を展開し、8月の原爆投下まで至ったことにあらためて気づく。上品な顔の司令官が更迭され、悪名高いカーチス・ルメイに変わったこと=作戦の路線変更ということだった。ルメイの人相の悪いことに驚く。

それとアメリカ取材で入手された無差別爆撃の研究準備過程の映像。焼夷弾の開発、日本家屋を燃やす爆撃方法の実験、東京での燃えやすいエリアの研究(関東大震災で被害が大きかったエリアと重なる)・・・・・・。ここまで周到に研究しての爆撃だったのだ。

米軍は占領後、日本の軍部が地上での被災状況の記録をしていなかったことに驚き(アメリカのレベルとの差が大きいわけだ)、石川の写真をつきとめ、提出に圧力をかける。それに命をかけて提出を拒む場面も圧巻。呼び出されたGHQのテーブルで茶菓に出された粉砂糖をかけた菓子。「こんな豊かな国と・・・・・・・」と菓子屋の息子だった刑部の「菓子をつくれなくなるような戦争はおかしい」の一言を思い出して涙する石川。
その命をかけた拒否の姿勢にGHQもあきらめ、石川は自宅に戻ってきた。愛用のライカで撮影されたネガフィルムは甕に入れて庭に埋められた(実際は缶だった?)。

米軍のB29同窓会を訪れた取材班は石川の撮った写真を見せる。驚き涙ぐむ老いた退役軍人たち。「亡くなった方にはすまない。でも任務だったんだ」
軍隊では爆撃する先に起きることをイメージさせないようにしているだろうし、国民には映像も許可した範囲しか見せないものだ。マスコミがその情報統制と闘いきれるかどうかも問われるのだが。
東京で使われた焼夷弾のクラスター方式とナパーム弾は今も進化して使われているのだという。原爆だけでなく、現代の戦争に使われる爆弾の実験は日本戦で使ったわけだ。クラスター方式は国際的に廃止の動きがあるのに、自衛隊も必要な武器と配備しているのだという。まぁアメリカの指揮下にある実質軍隊だからそうなるだろう。

私の母親が疎開先から親戚の家に泊まりにきていて3月10日の空襲で被災している。反対方向に逃げていたら死んでいたとか目の前にいた人が焼夷弾で首が飛んでいたという話を聞いている。母の実家も焼けてしまい、気力をなくした祖父が疎開先に引っ込んでいるうちに先にバラックを建ててしまった人に土地を全てとられてしまった。他人事ではないのだ。
たった63年前のことなのにどんどん風化してしまっている日本。かたや日本から受けた被害を歴史として公式に語り継いでいる国々がある。近隣の国々と公式の歴史の共有認識をつくる作業は最近始まったばかりだという。ドイツでは大戦後すぐに始めているというのに・・・・・・。
いつまでも近くで遠い国のままにしないこと、世界の中での日本のあり方をアメリカの顔色を見ないで決めていけるようになること、これが課題だと思う。

途中までは一緒に観ていた娘はあっさり切り上げてネットゲームにいってしまった。最後までいてくれるようになるともっと嬉しいのだが、なかなかそうもいかない。
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