ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/04/29 涙の鹿賀版「ジキル&ハイド」東京千穐楽(T-T)

2007-04-29 23:58:39 | 観劇

鹿賀版「ジキル&ハイド」ファイナル東京公演の前楽、楽と続けて観て完全にやられています(T-T)
昨日の前楽で買ってきたプログラムを読んで記事をアップまでして夜なべ(その記事はこちら)。予定時間に起きられずに朝食抜きでご一緒する北西のキティさんと待ち合わせ場所へ。軽く腹ごしらえして常よりは余裕を持って着席。今回は奮発して一階のS席。
冒頭のおなじみの雷鳴だけでなく、今まで気づいていなかった馬車の音などの夜の街の音にもあらためて心を動かされる。本当にこれで最後だという思い入れたっぷりに目も耳もフル稼働が始まる。
舞台は全キャストから日生劇場千穐楽という緊張感が伝わってくるようだった。父の病院の場面の静かな「闇の中で」から「嘘の仮面」での盛り上がり。アターソンとダンヴァース以外は主要キャストになっている人も男Aとかで歌うこの場面(プログラムを読んでいたから狂気の父から執事プールになる丸山さんが歌に加わるところも初めて発見できて早変わりに感心できたのもあり)。レミゼ初演キャストが繰り上がったようなアンサンブルで始まり、ずいぶん入れ替わりがあるというのにレベルの高さがキープされているというのも伝説のひとつとなること間違いない。

宮川浩ストライド。がっしり体育会系という感じで鹿賀ジキルと火花を散らすときのエマにふさわしい男として互角に思っている感じが強く出た。エマへの未練も可愛さがあったし、恋敵として憎憎しさが前回公演よりも増している。鹿賀ジキルにぶつかっていく感じが好ましい。逞しい感じのマリウスや「回転木馬」のビリー、「蜘蛛女のキス」のヴァレンティンを思い出しながら観てしまう。
戸井勝海アターソンは生真面目な感じがいい(インテリ風マリウスの頃を思い出す~)。それなのにパブ“どん底”で見せるスケベさにまたギャップがあって憎めない。尊敬する鹿賀さんに一生懸命くらいついて数少ない貴重な友人役を演じているのだ。これもずっと見守ってきた者として嬉しくてたまらない。
鈴木蘭蘭エマ。前回公演では声量のなさを口元までのマイクで補っていたが綺麗な声で一生懸命歌っていて好感を持った。今回も襟位置にもっと細いマイク使用だった。今回は声量は増していたが、前楽では音をはずしたまま歌っていて、おいおいどうしちゃったのさ状態。千穐楽ではまたちゃんと音が合っていたのでその辺の安定性はやっぱりないんだなと思った。娘は発音の悪さを指摘。結局エマ役では満足できた人がいないで終ってしまったが、蘭蘭エマはやっぱり雰囲気が可愛い。鹿賀ジキルが本当に可愛いと思っているなぁという感じがしたのでファイナルはやっぱり彼女でよかったと思う。
浜畑賢吉ダンヴァース卿は鹿賀ジキルと同様に初演よりもぐっと年をとられた感じ。同じような世代だから仕方がないか。年輪とともに娘を思う老いた父の感じがグッと強くなっていてしみじみした情愛が増していた。
鹿賀ハイドに殺される理事の面々は初演からのメンバー(大須賀さん、小関さん、荒井さん)はもちろん、途中入れ替わった石田さん、中西さんも冒頭の理事会での「ノーノー絶対ノー」と鹿賀ジキルの提案を否決する場面から全開モード。ここの場面がCDにないのが惜しい。

ハイライト録音盤しか出されずに終ってしまうのが惜しい。ジキル、アターソン、エマ、ダンヴァース卿の四重唱もない。ファイナル盤でCDかDVDつくって欲しかったな。

マルシアのルーシーは一層痩せていてちょっと心配になったが、薄幸な女の感じが増したとも思える。初演の頃は台詞回しの日本語がかなりあやしかったがずいぶんとうまくなった。今回はちょっとしたことに喜ぶ表情やしぐさに可愛さが増し、そのことが不幸な運命との落差を大きくしていたように思えた。

さて、鹿賀さまである。もう完璧に「様」づけである。
以下、公式サイトで鹿賀丈史のインタビューの冒頭にあったところをちょっと引用。「ハッピーエンドで盛り上がるわけでもないし、それほど華やかなわけでもない。人の心の叫びを華麗なる旋律に乗せてつづっていく、官能的で濃密なミュージカルだと思っています。」
彼の濃い芝居は大好きで、レミゼのバルジャンで出会ってから20年ずっと追いかけてきた。そしてその声に官能性を感じてきてはいたが、今回ほどその魅力をはっきりと自覚したことはなかった。前楽を観た後の声フェチ母娘の会話は鹿賀さまの声には濃いフェロモンを感じるという内容。ふたりとも同じようなレベルの男優を他には思いつかなかった。

一方、子どものように無邪気に嬉しそうな顔をするところも魅力である。「時がきた」では、ついに未来が開けそうな喜びをはじけるような笑顔で歌う。この可愛さにも女心は揺さぶられる。
「罪な遊戯」は原題のDangeraous Gameの方がぴったりする。キーワードとして他にもゲームという言葉が出てくるが、ブロードウェイ盤を聞いてより強く思ってしまった。Dangeraous Gameの方がより官能性を増すが、「罪な遊戯」という日本語にしてしまうと言葉的にはあやしさが弱く感じてしまう。とか思いつつ、今回のこの場面は歌詞よりもふたりの表情としぐさとともに声自体の官能性を強く感じた。ハイドのマントというもの自体、ここでは半分密室を作り出すような効果がある。ルーシーの肩に触れるハイドの指を見せたり、指と歌いながら背中に舌を這わせるハイドやとろけきった表情のルーシーの顔が見えたり(最後にはナイフも出てくるが)、官能性をここまで表現するというおそるべき仕掛けになっている。ここの場面の官能性も最高レベルになっていた。観ている方もとろけるしかない。

「人の心の叫びを華麗なる旋律に乗せてつづっていく」ということについても首をブンブン縦に振るしかない。CDをきくとその段階では歌ってくれていて十分聴き応えがある。しかし今回の2公演では、まさにジキルとハイドとして生きていてその言葉としての台詞だったりメロディに乗った歌詞だったりする感じだった。以前は特にジキルの方の台詞に嘘っぽさを感じたこともあるが、今回は科学の力を過信した青二才の生真面目青年の言葉にちゃんと聞こえた。以前の公演で「狂気」のところで涙ぐむところを見た記憶があったが、今回はそこまではいかなかったように思う。けれどその後の女ふたりの「その目に」をしょいながら「狂気に」の悩み苦しむ様子の続きの表情の百面相にも目が釘付けになった(前楽でふたりは見たので楽は鹿賀さまに集中)。

鹿賀さまのハイドは魅力的だ。ルーシーがハイドの魅力に勝てないことに共感してしまう。ルーシーへのストーカーぶりがいとおしいし、嫉妬をつのらせてのルーシー殺しもいとおしい。そしてそれを自覚したジキルの絶望もいとおしい。

そして、そのいとおしい男の二つに分かれた人格の「対決」の場面。千穐楽では鹿賀さまの目がみるみる潤んでいく。そして鼻をすすりながらふたつの人格が相争う歌が続いていく。ついに落涙。鼻水まで光って見えた。ハイドまでが泣いている不思議な対決場面。今回のプログラムで初めて知った鹿賀丈史自体の格闘がぶり返してきたし、泣きながら闘う二つの人格の共存の苦しみを思うと双眼鏡の手前で泣いてしまった。

そして結婚式の場面でも鹿賀さまは涙した。戸井アターソンに「自分を撃て」と迫るあたりから目が潤んできて、つづけざまに撃たれて倒れ「エマ、エマ」と名を呼びながらの最後も涙の筋が光っていた。
ここまでの高揚感を見せるという公演はなかったのではないだろうか?東京千穐楽ではあるが、マルシアのルーシーはこれで最後。初演からともに一緒に走ってきたヒロイン、それもハイドが殺してしまったマルシアのルーシーへの思いを鹿賀ジキル&ハイドがここまで募らせてくれたように思えてしまった。

千穐楽のカーテンコール。カテコでしゃべることの少ない鹿賀さまだが、やはりご挨拶してくれた。
(詳細のレポはおふたりの方のブログの記事が詳しいので以下にご紹介させていただきたい。)
「pippiのおもちゃ箱」さんの記事 「観劇☆備忘録」さんの記事
燃え尽きたようなお声でしゃべり出されたので、それだけで胸がつまってしまった。「本当にこれで一区切りつかれたんだなぁ」と思った。その満足感と脱力感に満ちた挨拶で、私も私の「ジキル&ハイド」観劇を封印する気持ちを固めた。
最高の芝居と歌を聞かせてくれた鹿賀丈史に感謝の気持ちでいっぱいである。マルシアにも感謝。
鹿賀さまも香寿たつきルーシーと組む大阪・名古屋の公演はまた仕切り直して取り組まれることだろう。私は遠征できないが、大阪・名古屋の方でまだ観る予定のない方は是非是非観ていただきたいと思う。バトンタッチをお願いしたい。

前回公演の千穐楽のレポはこちら
写真はチケット購入サイトからの宣伝画像。
終演後はharumichinさん、真聖さんとも合流してお茶会。お疲れ様でした~m(_ _)m
追記
この間読んだ丸谷才一の「遊び時間2」(中公文庫)というエッセイ集に「ジキル&ハイド」について記述あり。ヴィクトリア王朝時代の社会は偽善が蔓延していたのでスティーヴンスンのこの小説はかなり売れたのだという。そういった時代に「偽善者め、偽善者め」と憤ってバッタバッタと殺していく話は今の日本の「必殺シリーズ」のような人気があったのかもしれないと思った。

さらにちょっと追記!「時が来た」の場面について
♪「時が来た 逃すな 振り返ることはもはやない
この日を忘れないぞ、この時にすべてかけ すばらしい時へ」♪
ここの歌詞にハッとした。まさに鹿賀さまの千穐楽にかける気持ちを乗せるにふさわしいではないかと!この場面、ハイド登場の直前の気合が入るところのはず!!千穐楽の気合に圧倒されていた。薬を飲んでおかしくなっていくところのコミカル場面の後、ついにハイドが潜在意識の殻を破って出てきての「生きている」も最高~。って、2日たっても反芻しての余韻からなかなか逃れられない。BGMにライブ盤を流しながら書いている。♪「欲望のままに 突き進め~」♪
3日たっても余韻の中でちょっと追記してます(^^ゞ(コメント欄にもけっこう追記あります!)
公式ブログもご紹介→「ジキル&ハイド」ブログ。千穐楽の様子もアップされてます!

07/04/28 鹿賀版「ジキル&ハイド」ファイナルプログラムで!

2007-04-28 23:59:14 | 観劇

鹿賀版「ジキル&ハイド」が4演でファイナルと銘打たれた。大阪、名古屋と回ってこのバージョンでの上演は封印される。
今回の観劇は東京公演の前楽夜の部と千穐楽の2回のみ。前楽は娘と2階の最後列の前列のセンターで並んで観てきた。前日からの天気予報で雷をともなう雨ということだったので、途中で娘と買い物などをして雨をやり過ごせるようにして出かけることにしていたが、家を出る時にはもう雷が鳴り始めていた。幸い傘を全く使わないですんだが、まさに雷鳴とともに始まる「ジキル&ハイド」観劇日にこそふさわしい激しい雷雨だった。

今回のプログラムは過去の出演者の写真とメッセージもついた総集編のような内容。ずっと観てきた者にとっては封印の友だ。
主催3社のご挨拶ページで、「今回の公演で封印をいたします」と書いてあった。だから本当に封印だ。鹿賀丈史の他にもこの役をやりたいという俳優がいるようだが、すんなりと継承はできないわけだ。上演権の獲得からイチからやり直す必要があるだろう。

前回公演の千穐楽(レポはこちら)で「あともう一回くらいやろうかな」という決意表明を聞き、大変な役だということはうかがいしれていた。
しかし今回のプログラムの中の「ファイナル公演がファイナルであるゆえんは」と題した対談ページで鹿賀丈史がこんな発言をしていて驚いてしまった。
「今振り返っても、想像以上に大変な作業でしたね。キャラクターの演じ分けだけじゃなく、音楽的にも音域や歌い方と、人間の限界まで挑むようなところがあるんですよ。初演では肉体的にも精神的にも少々やられてしまいまして・・・・・・こんなに負担が大きいものなのかと思い知らされました。......(中略)これはもう、俳優の持っている技術や表現力という枠を超えたところに、この作品の面白みがあるんじゃないかと思いましたね。今回で4回目になりますが、自分をうまく制御して、ジキルやハイドのようになってしまわないようにと思っていますが(笑)」

鹿賀丈史のジキル&ハイドはいつ観ても怪演を堪能させてもらっているが、こんなに役との格闘をされていたのかと、思わず唸ってしまった。だからこその前回公演の千穐楽のカテコでの「あともう一回くらいやろうかな」という言葉が決意をこめて語られたのだ。
初演時から、アンサンブルまでレミゼで鍛えられた人が揃っていて、第一幕冒頭の「嘘の仮面」、二幕目冒頭の「事件、事件」も見事というしかなかった。主要キャストにもどんどんレミゼメンバーが抜擢されてきて、鹿賀丈史との共演を心から喜んで頑張っている姿が本当にまた魅力的な舞台だった。マリウスだった石川禅、宮川浩、戸井勝海も参加できた(戸井さんが間に合ってよかった)。
帰宅してブロードウェイオリジナルキャストのライブ盤を娘と聞いていたが、アンサンブルの歌は日本の方が勝っていると思えるくらいだった。

マルシアは大阪・名古屋には出演しない。前楽の今日も大熱演で明日の千穐楽で彼女は最後の日となる。
さぁ、私の封印前に明日の千穐楽を堪能してこよう!!終演後はブロガーさんたちとお茶会で盛り上がってきたいと思う。
写真は、4演全部のプログラムの表紙。今回の表紙には初めてフラスコのデザインまで登場。内容とともに気合が入っていた。

翌日のファイナル公演東京千穐楽の感想はこちら

07/04/26 歌舞伎座千穐楽夜の部①「実盛物語」

2007-04-27 23:59:17 | 観劇

夜の部は千穐楽。「実盛物語」は以前TVで菊五郎丈の実盛で一回観たことがある。
そして一昨年の4月にTVで「松栄祝嶋台 片岡千之助初舞台」を観た。ニコニコ顔でご挨拶する千之助ちゃんにいっぺんで贔屓になってしまった。今回初めて仁左衛門との共演を舞台で観ることができるのが楽しみだった。

1.「源平布引滝 実盛物語」
今回の配役は以下の通り。
斎藤実盛=仁左衛門 太郎吉=千之助
瀬尾十郎=彌十郎 葵御前=魁春 小万=秀太郎
九郎助=亀蔵 小よし=家橘
郎党=猿弥、宗之助
あらすじは以下の通り。九郎助と小よし夫婦は、娘小万の主筋の木曽義賢が落命した後、その妻で懐妊中の葵御前を匿っている。九郎助と孫の太郎吉が琵琶湖に漁に出ると網には白旗を握った女の片腕がかかった。その腕は太郎吉が指を開くとようやく白旗を放す。そこに甥の訴人により、平家方の斎藤実盛と瀬尾十郎がやってくる。葵御前が産む子が男なら殺すためだ。はたして葵御前が産気づいた様子。その産室から小よしは白旗を握っていた女の片腕を錦にくるんで赤子だと差し出す。実盛は中国の故事をひいて腕を産むこともあろうと言い、瀬尾が清盛に報告に向かう。しかし瀬尾は実盛の二心を疑って隠れて様子をうかがっていた。そこに近くの漁師が浜に打ち捨てられた片腕をなくした小万の死体を運び込んでくる。実盛が腕を身体についでみよと言い、白旗を掲げると息を吹き返す小万。葵御前から旗が無事に届いていると知ると安心して息絶える。
葵御前が実盛にいろいろと感謝すると、実盛は今は平家方についているが源氏に仕えていた者として源氏再興を願っているという本心を明かす。また先ほどの片腕は自分が湖で若い女から斬り落としたというので、小万の息子の幼い太郎吉は母の敵と刃を向ける。実盛は太郎吉の頼もしさを褒め、将来潔く戦場で討たれようと約束し、その仔細を物語る。そのやりとりの中で葵御前が本当に産気づき、玉のような男の子が産まれる。その源氏の嫡男の第一の家来に太郎吉を推挙するが、葵御前は手柄をたててからと条件をつける。
そこに盗み聞きしていた瀬尾が飛び出してきて小万の亡骸を蹴って辱める。太郎吉は小万が身につけていた刀を抜いて瀬尾に斬りかかると、瀬尾は自らの腹につきたてて名乗りを上げる。昔不義をして産ませた娘を捨てた時にその刀を身の証にしたというのだ。平家方の自分を討って孫に源氏の若君の家来になれというのだ。太郎吉に刀を持たせて瀬尾は自刎して果てる。実盛はその刀の銘から太郎吉に武士らしい名前を与え、瀬尾の首を持って主従の固めをさせて去ろうとする。太郎吉は尚も実盛やらぬと迫るので、将来白髪首になっても髪を黒く染めて面差しがわかるようにして討たれてやると確約し、馬に乗って引き上げていく。

太郎吉と実盛の可愛い見せ場のひとつが、男子誕生を白旗に祈願する実盛の後ろを太郎吉がそおっと産室にのぞきにいくのを見つけては大人しくせよと何度か繰り返すところ。それと武士になる決意を固めた太郎吉が実盛が馬に乗ったところに自分も乗りたがるところ。座頭役者と子役の見せ場である。まさに仁左衛門と孫の千之助の情愛の通いあった心があったかくなる見せ場!馬に入っている役者さんも息をあわせての名場面。しっかりと舞台写真を追加!!

仁左衛門の実盛の台詞回しと身体の動きが義太夫にのっていて聞き惚れ見惚れる。義太夫への勉強が並大抵でないことが活きているのだと思う。長身、手足の長い身体をいっぱいに使って見得や決まり、その間の緩急をつけた動き。瞬きをするのが惜しいくらいに双眼鏡に目をくっつけて観るしかない。
秀太郎の小万もほんの少ししか出番がないのに、存在感がある。千之助は祖父と大叔父と一緒に舞台に立ち、身体中でその芝居を体感していることだろう。千之助ちゃん(やはりちゃんづけ!)は7歳とのことだが、少し台詞回しもふらつくけれど、本当に全身で一生懸命やっているのがわかるし、何より本当に嬉しそうなのがいい。馬上のふたりの笑顔で見つめ合うところなど、観ているこちらも幸せな気持ちにさせてもらった。顔が孝太郎よりも仁左衛門に似ている隔世遺伝だと思ってしまうのは贔屓のせいだろうか。これからの松嶋屋もますます応援したくなってしまった。

「先代萩」の勝元の颯爽とした捌き役のイメージを思い出しながら、今回の仁左衛門の実盛も堪能した。それに子どもへの愛情あふれる様子も本当に魅力的~。これだから贔屓度がますます上がってしまうのだった。

写真は歌舞伎座正面の千穐楽の垂れ幕。

「作品研究」さんのサイトが参考になったのでご紹介させていただいておく(→こちら)。
今月の他の演目の感想は以下の通り。
4/21昼の部①「當年祝春駒」「頼朝の死」
4/21昼の部②「男女道成寺」「菊畑」
4/26千穐楽夜の部②「口上」「角力場」

07/04/26 歌舞伎座千穐楽でミニオフ会+GW後半は名古屋へ

2007-04-26 23:59:39 | つれづれなるままに

歌舞伎座千穐楽観劇後、マイミクの傾亭さんの「近くで軽く飲りましょう」に参加させていただきました。傾亭さま、すの字さま、Hirokoさま、風知草さま、マダムバタフライさま、楽しい時間を有難うございましたm(_ _)m
歌舞伎座の夜の部は平日に行きます。千穐楽に行くことも多いです。ブログ仲間の皆様、私はひとりだと難しい顔をしていることもありますが、お気にされずに是非お声をかけてくださいませ~m(_ _)m

さて、GWの後半は名古屋の妹のところへ遊びに行くことにした。2年前に半年ほど休職して復職して1年半、遠出していない。新幹線に乗るのも2年ぶりだ。のぞみとひかりが半々になって同じ値段になっていて、こだまの本数が減って自由席は安くなっているという話を聞いて驚いている。その間、歌舞伎ばっかり観てました~(^^ゞ
さて、久しぶりの名古屋だが歌舞伎もミュージカルも何もめぼしいものをやっていない。ゲキ×シネももう「アカドクロ」とか見たやつだし、さて何して遊ぼうかと思案中。姪っ子からのカラオケリクエストには応えることにはなっているが、あとはどうしようかなぁ。
名古屋方面でこのブログを読んでくださっている方で、お茶でもご飯でもおつきあいくださる方がいらっしゃったら、コメントやメールなどでご連絡いただけませんでしょうか?遊んでやってくださいませ~m(_ _)m

07/04/21 歌舞伎座昼の部②「男女道成寺」「菊畑」

2007-04-25 23:58:48 | 観劇

3.「男女道成寺(めおとどうじょうじ)」
道成寺物の二人で踊るバージョンのひとつ。道成寺の鐘の供養に現れた二人の白拍子が奉納舞いを舞ううちに、実は桜子が男だとわかってしまい、そのまま狂言師左近としての姿のまま男女で踊るというもの。ひとりが女方で踊り、ひとりが立役で踊るのが面白い。
獅童が「聞いたか聞いたか」と言いながら先導してきた所化には「當年祝春駒」で並んだ勘太郎、七之助、種太郎が。台詞回し抜群の猿弥や若手の宗之助も加わって楽しい所化のやりとり。

道行はなし。いつもより鐘が舞台中央に吊られている。紅白の幕が落ちると白拍子桜子の仁左衛門と花子の勘三郎が金の烏帽子姿で鐘をはさんで静止している。ふたりとも美しい~。それだけで溜息もの。仁左衛門は「先代萩」の八汐もコワイけど綺麗だったが今回はもっと綺麗~。鐘を睨むところは八汐さながら凄みがあるけど、まぁ一応は白拍子ですからねぇ。勘三郎の花子は頬が「鏡獅子」の時よりほっそりしていてびっくり。ダイエット継続成功のようだ。襲名披露の道成寺の花子よりも綺麗になっていて嬉しい。

烏帽子をとるあたりで股をひらいた裾捌きになってしまい(というかわざとそうして笑いをとり)、所化たちに見破られて囲まれる。それに隠れて鬘を狂言師のものに取り替えてという算段(筋書きにあるようになるわけないと思った!)。
赤い桜子の着物姿で野郎頭になってニコニコ登場するともうすっかり場をさらってしまっている。こういう愛嬌いっぱいのところが仁左衛門の魅力だ。

愛嬌の部分を仁左衛門に任せて、勘三郎の花子はひたすら神妙に踊る踊る。これがまた観ていて気持ちがよい。仁左衛門は男姿になった後は黒い袴を履いているが、上には花子と同じ柄の着物が出ている。ふたり並んで踊る場面はけっこう少なく、分担して踊ることが多い。
左近が踊る鞠歌のところ、鞠をつきながらしゃがんで回るところも長身を小さくしているのが可愛いと変に反応してしまう(^^ゞ二人が持つ小物にそれぞれの紋が入っているだけでなく、鈴太鼓など仁左衛門の方が一回り大きいのではなどとしっかり比べて楽しんでもいた。
最後に鐘の上に登るのは勘三郎だけ。白と銀の鱗模様ではなく赤と金の鱗模様にぶっかえって下を見る見得。そして仁左衛門は鐘の下で黒と金の鱗模様で立役のぶっかえり姿で黒衣さんが裾を大きく広げる。そこから鐘の上の花子を見上げる見得。これはかなり派手に美しい。
「当代人気役者ふたりの「男女道成寺」で目が覚めた。「頼朝の死」でドーンと暗くなっていた気分がパアーッと華やかになって、いよいよ錦之助襲名の演目「菊畑」につながる気持ちの準備もできたというもの。
舞台写真は最初の女方姿で並んだところと狂言師姿になってから並んだところを各一枚購入。これははずせないでしょう。

4.「鬼一法眼三略巻 菊畑」劇中にて襲名口上申し上げ候
「菊畑」は昨年の秀山祭千穐楽夜の部で初見(感想はこちら)。
今回の配役は以下の通り。
虎蔵実は牛若丸=信二郎改め錦之助
智恵内実は鬼三太=吉右衛門
笠原湛海=歌昇 腰元白菊=隼人
皆鶴姫=時蔵 吉岡鬼一法眼=富十郎
うーん、今回の舞台を観てしまうと前回の「菊畑」がかすんでしまった。吉右衛門の智恵内と富十郎の鬼一のやりとりは台詞回しも耳に心地よく、お互いを見合って決まるところも息が合っていてさすがだった。
錦之助の虎蔵は花道の登場から客席がどよめく。正統な二枚目がよく似合う。台詞回しも安心して聞いていられる。染五郎は歌舞伎ではいつも声が裏返らないかハラハラしながら聞いている。このへんがやはり錦之助がそれよりも若い世代と違うところだ。虎蔵が皆鶴姫を出先に残して先に帰ってきたのを鬼一に咎められているところに時蔵の皆鶴姫がやってきて、隼人の腰元白菊が歌昇の湛海の来訪を告げて、一門が揃う。そこで「狂言なかばではございますが」と劇中にて襲名口上申し上げ候となった。ちょうど眠くなる頃なのもちょうどいい。
錦之助の師匠の富十郎が仕切っての口上。富十郎は膝を痛めたとかで高合引にかけたままでの口上を詫びていた。これまでの口上の冒頭に「松竹永山会長のご賛同をいただき」という言葉があったのが無くなったことに寂しさも覚えた(永山氏にはもちろん会ったことはないわけだが)。
後半の義太夫は葵太夫。そのいいお声に乗って義太夫狂言のクライマックス。錦之助の虎蔵と吉右衛門の智恵内とのやりとりもいい。しかし、本当に心地よいやりとりに眠気が襲ってきた~。気持ちよすぎてもダメなのかしら。「男女道成寺」でテンション上げすぎたかも(^^ゞちょうどいい頃に最後の絵面の見得で幕切れとなった。でも虎蔵、ホントによかった~。
若衆姿の虎蔵役の錦之助の舞台写真、花道の出のところを買った。「十二夜」でも同様の花道の出の写真を持っている。というかそれしか持ってなかった。同じように後ろが暗い中で浮かび上がるお姿、文句なしに二枚目!

錦之助襲名前に芸談を聴く会に参加した記事はこちら
写真は二代目中村錦之助襲名の祝幕を3階から撮影。
追記
勘三郎の花子の出来がいい日とよくない日があるという話もきいていたが、先日のお弟子さんの四郎五郎さんの訃報を知って合点した。ずっと心配していたのではないだろうか。お声に特徴があって助五郎、四郎五郎と同じ時期に覚えた脇役の名優さんだ。お二人続けて先代のところへ逝ってしまわれた。小山三さんは長生きして欲しい。
今月の他の演目の感想は以下の通り。
4/21昼の部①「當年祝春駒」「頼朝の死」
4/26千穐楽夜の部①「実盛物語」
4/26千穐楽夜の部②「口上」「角力場」

07/04/21 歌舞伎座昼の部①「當年祝春駒」「頼朝の死」

2007-04-24 23:58:08 | 観劇

もう明後日が千穐楽で夜の部を観るのに、昼の部の感想に未着手もなんだしなぁと歌舞伎座の感想を書くことにする。今月は二代目中村錦之助襲名披露公演だ。

1.「當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)」
襲名公演ということもあってか、「祝」という字の入った曽我物舞踊で幕開け。
これまで書いた曽我物の感想はこちら→昨年10月の「寿曽我対面」 昨年3月の「吉例寿曽我」
今回のバージョンの概要。曽我五郎と十郎兄弟が、春駒=馬の頭部を付けた跨り棒(若君がハイシハイシと遊んでいるおもちゃだと思う)の行商人に姿を変えて、小林朝比奈の妹・舞鶴の手引きで工藤の館に入り込んで対面を果たす。祐経は二人に狩場の切手を与え、またの対面を約して引っ張りの見得となって幕。
今回の配役は以下の通り。
曽我五郎=獅童  曽我十郎=勘太郎
工藤祐経=歌六  茶道珍斎=種太郎
舞鶴=七之助
要は、襲名する錦之助の一門萬屋の歌六と息子・種太郎の見せ場なんだと気づく。それを浅草歌舞伎の面々が寿いでいる。獅童の顔が荒事に似合ってなかなかよく頑張ってくれているので応援したくなってくる。勘太郎の十郎ともども外郎売のような衣装が明るくっていい。力持ちのはずの舞鶴なのに七之助はちょっと細すぎて舞鶴には見えないのがご愛嬌か。種太郎がなかなか凛々しくってこれからが期待できて嬉しい。歌六も渋かった。
         
2.「頼朝の死」
真山青果の傑作新歌舞伎。あらすじは以下の通り。
「源頼朝の三回忌供養の寺の門前。群集が現将軍の頼家が姿を見せないのは親不孝者だと騒いでいるのを隠密の中野五郎(東蔵)がやっと鎮める。女の二人連れが墓前に卒塔婆奉納にやってくるが、五郎は女人禁制だと追い払おうとする。それをとりなした覆面の武士は、畠山重保(歌昇)。頼朝の御台所政子の侍女小周防(福助)が政子の命令でやって来たのだ。重保は頼朝の最期に居合わせた人物だが、その後の様子がおかしく法要にも姿を見せなかったために他の大名たちに怪しがられている。
悩み苦しむ重保は、幕府の重鎮大江広元(歌六)に心中を吐露。落馬が原因とされている頼朝を斬ったのは自分で主殺しの罪の重さに耐えかねているのだ。その死の真相はこの二人と政子以外に知る者はいない。小周防は重保を慕い、お付きの女(芝のぶ)にも応援されて思いを伝える。重保はその思いに応えられないと言い、その原因は小周防にあると話す。頼朝は小周防への思いを募らせて屋敷に忍び込もうとし、正体を知らずに重保が斬り殺してしまったというのだ。小周防は、その宿業に泣きくずれる。
そして父の死を不審に思い、真相を知りたいと願いながらつきとめられないことに悩む続けてきた頼家。頼家の政への取組みはいかにも気儘。社寺の領地争いの訴えにもあきれるようなやり方で裁断してしまう。その頼家に出家を願い出る重保。父の死後おかしくなっている重保に真相を問い詰めても何も話さない。諌めるために尼御台政子(芝翫)が出てきて、広元と3人が揃うが誰も口を閉ざすばかり。ついには小周防をよびだして真相を聞きだそうとし、話せば重保と添わせてやるとまで言う。その言葉に小周防が心を動かされたのを見た重保は小周防に自分の思いを語った上で一刀両断にしてしまう。小周防は重保の思いを知って満足そうに死んでいく。
自分が苦しむ様をみて母は平気なのかと問い詰める頼家に「人は一世、家は末代」と答える政子。頼家が自分の存在の小ささを狂ったように嘆くところで幕切れ。

暗い。なぜ襲名公演でこの演目なのか。4月だから六世歌右衛門の追善なのではという話もきいた。しかしここでもハタと思いつく。これは萬屋の歌昇の見せ場をつくるための演目なのだ。それに歌六も重い役だ。梅玉や芝翫が持ち役でつきあっているのだろう。

重保の歌昇は抑えに抑えた役柄だが、思いがあふれて最初から涙がとめどなく流れている。昨年5月の演舞場の「ひと夜」の幕切れの表情を思い出してしまう。こういう役柄は歌昇が活きるのだと納得した。
愛する人に斬られながら満足そうに死んでいく小周防の福助の表情がまたすごかった。これは女方でないとできない気がする。女優では無理だろう。だから新歌舞伎なのかも。なかなか難しい役だなと思ってしまった。
政子の薙刀をもって決まりながら「家は末代、人は一世」と答えるところ、さすがに芝翫だと思った。

そうそう、「修善寺物語」で政子に廃嫡されて幽閉された頼家が出てきたことを思い出す。結局は北条一族に攻められて死ぬんだった。やっぱりこの息子では幕府を任せられないというような器量の将軍だったということになっているんだと納得。
しかし、ホントに話がクライ。照明も暗い。居眠り者、周囲に続出。私も目を開けているのが必死。

ここで気を変えて一気に明るくしてくれるのが次の「男女道成寺」というわけだ。
写真は、公式サイトより今月公演のチラシ画像。
追記
筋書読んでいて、「頼朝の死」は芝翫丈が初代錦之助の頼家で共演してよかったからだと初めて知った。なぁるほど、ちゃんと錦之助襲名ゆかりの演目だった!ちょっと暗い話だけど納得。
今月の他の演目の感想は以下の通り。
4/21昼の部②「男女道成寺」「菊畑」
4/26千穐楽夜の部①「実盛物語」
4/26千穐楽夜の部②「口上」「角力場」

07/04/23 「M・A」の国は投票率85%!

2007-04-23 23:59:39 | つれづれなるままに
ミュージカル「マリーアントワネット」(以下「M・A」)の感想を書く予定だったが、週末に盛り上げすぎて月曜日からヘロヘロしている悪いヤツですm(_ _)m
そうしたらすごいニュースが!フランスの大統領選で投票率が85%だったという。素晴らしい~!

「M・A」でもフランス革命の混迷が描かれていたが、それにしてもそういう迷走の中で犠牲になった方々の命の代償なのか、フランス国民の政治意識は高い。ファシズムに対してもある程度の規模のレジスタンスが組織された国だ。労働組合も強いし、労働者の声を代弁する左派の政党が力を持っている。それに今回の左派の候補者は女性だ。さすがだ~。

上位の2名に対する決選投票が行われる。こういうしくみも素晴らしい。アメリカの大統領選挙の茶番のような制度と比べ物にならない。まぁ多党制の国だから一回の選挙で一番得票が多かった人にしないというところが、より民主的だ。四分の一強で多数派といえるしくみをつくろうとしている日本は見習わなくてはいけない。
一回目は与党勢力の候補者の方が得票率が高かった。中道派の候補に入った票を左派が引き寄せればまだまだ逆転の可能性もある。左派が負けてもそれでもこの投票率で選ばれたのだったらと納得がいくというものだ。
今の日本の社会でコワイのは無関心と「誰がなっても同じでしょ」と深く考えない人が多くなっていることだ。「誰がなっても同じ」なわけがない。それで投票に行かなくて「お上が決めたこと」に唯諾々と従うだけでは、自分の首が少しずつ絞まっていっても相当苦しくなって気づいても遅い。
まるで、お馬鹿なマリー・アントワネットが革命が起こるまで自分たちの失敗に気づかなかったのと同じことだ。

投票した結果も投票に行かなかった結果も、どちらも自分にふりかかってくるのなら、投票に行って選んだ候補や政党がすすめた政策の結果を自分でも引き受けて、いい目にあったりつらい目にあったりして、次のステップにすすんでいく方がいいのではないだろうか。
マルグリット・アルノーが自分たち民衆の迷走の結果をきちんと見据えてきちんと引き受けようというのと同じことだ。

プログラムの中で作者のクンツェ×演出家の栗山民也の対談が興味深い。政治や社会と切り離さずに人間の多面性を描いたミュージカル「M・A」は、まさに政治的な成熟度が高いヨーロッパの作者による作品だなぁと痛感した。

07/04/08 「魔笛」でMETライブビューイングにデビュー!

2007-04-22 23:58:13 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

昨年末に歌舞伎座で見た「METライブビューイングが始まる」というチラシ。オペラも楽しめるようになりたいという願望を持っている私にはぴったりの企画のような気がした。第一弾の「魔笛」は大晦日だし、「朧の森に棲む鬼」のプレビューとレンチャンになるので見送ってしまった。しかしずっと気になって、アンコール上映の機会をねらっていたのだ。
そして自宅に近い隣駅のシネコンMOVIXさいたまで4/7~8アンコール上映があったので、「筆子その愛」の翌日の朝行ってきた。
昨年、さいたま芸術劇場の映画上映会でベルイマン監督の映画「魔笛」を観ているので初めてではない。だからわかりにくいのではという不安はない。
松竹の公式サイトより「METライブビューイング」のコーナーはこちら
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:ジュリー・テイモアー
出演:イン・ファン(パミーナ)、エリカ・ミクローザ(夜の女王)、マシュー・ポレンザーニ(タミーノ)、ネイサン・ガン(パパゲーノ)、ルネ・パーペ(ザラストロ)
第一弾というためなのか、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場=METの支配人による挨拶と劇場のガイドがあった。舞台で使う道具を運び込むような準備過程も映し出され、開幕となった。そういう導入部も面白かった。

演出は3回観た「ライオンキング」のジュリー・テイモアー。彼女の得意なアジアンテイストの衣装や影絵や人形劇の手法がとても面白い。「ライオンキング」の敵役スカーが身につけていた籐を編んだようなパーツを今回はパパゲーノが身につけているようなのが親しみやすい。夜の女王の侍女たち?3人のマスクが頭に乗るような形になるのも「ライオンキング」でおなじみ。人形劇の手法で襲ってくる魔物たちをあらわしているのも興味深く、飽きなかった。3人の不思議な子どもたちの場面の演出も凝っていた。最後の火と水の試練などの装置も布と照明をうまく使っていて感心。とにかくジュリーの演出が素晴らしかった。

前回のベルイマン監督の映画は、出演者も映画向けの自然なメイクだったのもあって、あまり美女ではないパミーナとか童顔すぎるパパゲーノとかも今ひとつだった。今回は写真にある王子タミーノもちょっと太りすぎだったが、中国風の衣装と髪型と濃いメイクで補われてそんなに気にならなかった。パミーナはアジア系の人だったのでそれもアジアンテイストな演出にぴったり。

音楽も今回が二回目だったのでじっくり聞くことができたし、それぞれの歌手の歌も素晴らしかった。
ストーリー的には、とにかく父の権威がすごいことに感心。モーツァルトのファザコンが端的に現れた作品なのかもしれないとか思いながらザラストロの場面を観ていた。母の夜の女王なんて夫を恨んで恨んで娘に父を殺させようとするが、ついに退けられてしまう。地獄に落とされたのかしら。夫に従わない女は否定されるということ?などとも考えながら見ていたが、まぁ昔の話だからねぇと割り切って観た。
とにかく今回は面白かった。値段も通常だと4000円だがMOVIX会員価格の3000円で観ることができた。しかしながら劇団☆新感線のゲキ×シネだって2000円なんだから、そのくらいまで値段を下げて欲しいとアンケート用紙に書いてきた。会員価格で2000円というくらいの設定でもいいけれど、とにかく映画なんだから4000円はやっぱり高い。

しかしとにかくオペラ初心者にはよさそうだということを確信。次は何を観ようかと今後の上映予定を観て「セヴィリアの理髪師」あたりにねらいを定めたが、東京での上映は日程があわない。またまたMOVIXあたりにきてくれるのを待つとしよう。

「セヴィリアの理髪師」って「フィガロの結婚」の前の話にあたって、作者はボーマルシェ。そういえばミュージカル「マリー・アントワネット」の狂言回しで冒頭の台詞でも言っていたなと思い出す。と、ここで「M・A」につながったところで、次は4/22に観た2回目の「M・A」を書く予定。

写真は松竹の公式サイトよりタミーノが歌う場面の画像。

07/04/21 本日9万アクセスの御礼m(_ _)m

2007-04-21 23:08:18 | つれづれなるままに

本日9万アクセスを突破したようです(8万アクセス到達が3/4)。読んでいただいている皆様に御礼申し上げますm(_ _)m

今日は歌舞伎座昼の部観劇後、近くのファミレスで5人でオフ会で盛り上がってきた。かつらぎさんのパリオペラ座の歌舞伎公演の報告をおききするのがメインだった。海老蔵=弁慶、團十郎=富樫の公演をご覧になっていて、そのご報告に胸を躍らせたのだった。
写真もたくさん見せていただいた。オペラ座ガルニエ=従来のオペラ座の建物の壮麗さに唸る。オペラ座バスティーユというバレエ上演の新劇場もできていて(私が20年前に行った時はなかったように思う)、そちらやルーブル美術館の写真も面白かった。楽しく有難いオフ会だった。

さてここで友人のチケットSOSのお願いも書かせていただいた件。
「ジキル&ハイド千穐楽=4/29の昼の部のS席チケット1枚救済について書かせていただいた分、友人ルートで引き受け手が見つかりました。有難うございましたm(_ _)m

07/04/07 心が洗われる「筆子その愛~天使のピアノ」

2007-04-19 23:58:56 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

玲小姐さんから大宮ソニックシティホールでの上映会に誘われた。知的障害児の施設をつくった女主人公を常盤貴子が演じる「筆子その愛~天使のピアノ」。
映画の公式サイトはこちら
すぐに「行く行く」と返事したのは、NHKの『その時歴史が動いた』で「小さき者のともしびは消さず~石井筆子・知的障がい児教育への戦い」(番組の概要はこちら)を先に見ていたからだ。
現代ぷろだくしょんの作品だが、プログラムを買って読んだら以前「賀川豊彦物語」を生協の上映会で観たことがあるのを思い出した。監督が山田典吾で、製作が山田火砂子だった。今回の映画はその彼女が監督していたのだ。

主な出演者:常盤貴子、市川笑也、渡辺梓、加藤剛、小倉一郎、星奈優里、ほか
あらすじは公式サイトを読んでいただくとして、キャストへの感想を中心に書く。
主人公の筆子の常盤貴子。昨年観た「タンゴ・冬の終わりに」では綺麗だけど台詞まわしは硬く、やっぱり舞台向きじゃないなぁというのが率直な感想。ところがこの映画では素晴らしい存在感をみせる。明治時代の才媛という役柄がぴったりだ。そして芯はしっかりしながらも、あくまでも上品でおっとりした感じが出るのは、彼女の目の魅力によるところが多いと思う。

その筆子に仕える藤間サトの渡辺梓。子どもの頃に奉公にきて優しくしてくれた主人の娘を尊敬し、結婚もしないで一生つくすのだ。筆子の知的障害をもった娘幸子にもわが子のように愛情を注いだ。地味めなキャラが役にぴったりハマっていた。筆子の父が許さない再婚を一命を賭して許しを乞う直訴をする場面はすごい迫力だった。さすが無名塾出身である。

その筆子の父を加藤剛。TVの「大岡越前」でおなじみだったが、だいぶ年をとられたようで痩せていた。明治維新を担った士族で華族になったという明治の気骨のある父親そのものだった。
さて、一番のお目当ては澤潟屋の市川笑也。筆子が再婚する石井亮一の役だ。育ちがよいのにクリスチャンとなり恵まれない人々のために私財も投げ打って身を粉にしている人物を好演していた。藤間紫主演の「西太后」で腹心となる宦官の役がすごくよかったので、笑也が男の役をやるのはけっこういいと思っていた。今回の役も彼の品のよさ・物腰の柔らかさが二枚目ぶりともども本当によかったと思う。そして高額の寄付と引き換えに美女の誉れ高い筆子に取りに来させようという俗物の申し出をきっぱり断ってきたのを筆子がやんわりからかう場面。彼女をキッとにらみながら「あなたは私の妻なのですよ」と言った場面の男の可愛さあふれる表情。またまた見直してしまった(^^ゞ

亮一もサトも惚れこむ筆子という人物。常盤貴子が演じたことで説得力がある映画になっていたと思った。そしてこの映画を支えたのは知的障害を持つ子どもたち。難しい役は健常児の子役がやっていて、幸子役はなんとミュージカル「モーツァルト!」のアマデで評判になっていた黒沢ともよちゃんが頑張っていた。そして、実際に障害を持つ子どもたちの存在感が映画を底支えしている。“天使のような”という表現がまさにふさわしい!そして子どもたちも綺麗な常盤さんとの共演を心底喜んでいたのが表情にもあらわれていた。

山田火砂子監督にも知的障害を持つ娘さんがいて、この作品にも出演されている。同じような人たちがこの時代には「白痴」とか「痴愚」とか言われて人間として扱ってもらえなかったことの説明の場面で、座敷牢に入れられている娘さんの役。
山田監督が同じ立場の人々への応援のためにつくった映画だということが、よく伝わってきた。現代ぷろだくしょんの映画は社会的弱者にスポットをあて、同じ人間として温かく支えあっていくというテーマの作品が多いようだ。「賀川豊彦物語」にも共通するものがあったのを思い出す。

さて今の日本。社会的弱者にどんどん冷たい国になってきている。「受益者負担」という言葉をかざすようになってずいぶんたち、ついに「自立支援法」の名のもとに支援を受けるのを「受益」ということにして利用料を一律に徴収するようになってしまった。これは「受益」という概念が正しいのだろうか。まやかしだと思う。そもそもの考え方のめざしている方向が間違っている。「公平性」の概念をごまかして使っているだと思う。それを打ち破るために、社会的弱者を包み込んでいける社会のあり方、ひいてはそこに生きる人間の心のあり方を見直していく必要があると思う。この作品はそのために大きな役割を果たしてくれると思えた。「心が洗われる」、そんな言葉がぴったりだ。

また、筆子に関しては「無名の人~石井筆子の生涯」という映画もあるようで、そちらはしっかりと生きた女性ということに焦点があてていると思われる。上映会一覧を見ると全国のお役所の男女共同参画推進企画っぽいところがほとんどだった。お役所ウケするような視点になっているのかもしれない(そちらの映画の公式サイトはこちら)。
写真は映画のチラシの画像。