7/25に歌舞伎座昼の部を観に行き、後半をご一緒したsakuramaruさんから急遽お声がかかり観ることになった「サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ」。(このあたりのことは
こちら)
歌舞伎座が建替えになるまでは毎月欠かさず観るし、演舞場の歌舞伎も文楽も全部観るし、蜷川幸雄演出の舞台も優先。そうなるとミュージカルはついついご無沙汰状態の昨今。
ソンドハイム×宮本亜門のミュージカルの舞台は過去2つ観ている。
「Into the Woods」の記事 「スウィーニー・トッド」の記事
劇団四季退団後1年たった石丸幹二が活動を再開。その主演の舞台だなぁくらいしか予備知識がない。sakuramaruさんから画家のスーラの話だと聞いても、ハテどんな絵を描いていたかなぁとピンとこないまま(^^ゞ
画家の話は
ゴッホを主人公にした「炎の人」を6月にやはり観ている。やはりsakuramaruさんとご一緒していたので、これも縁かなぁと思いつつPARCO劇場へ。
劇場入り口でポスターを見て「この絵なら知ってる知ってる。点描の絵だよね!」ちょっと身近になってひと安心。その絵からインスパイアーされたスティーヴン・ソンドハイムのミュージカル。
冒頭の写真は今回の公演の宣伝画像だが、この絵がスーラの「グランジャット島の日曜の午後」。
開幕するとその絵がふんだんに出てきてくるので、わりとすんなりと入っていけた。
【サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ~日曜日にジョージと公園で~】
作曲・作詞=スティーヴン・ソンドハイム
台本=ジェームス・ラパイン
演出=宮本亜門 翻訳=常田景子
今回の配役は以下の通り。1幕→2幕の役名
石丸幹二=ジョージ・スーラ→スーラの曾孫のジョージ
戸田恵子=恋人ドット→娘のマリーの晩年
諏訪マリー=老婦人(スーラの母)→ブレアー・ダニエルズ
山路和弘=ジュール→ボブ・グリーンパーク
春風ひとみ=イヴォンヌ→ネイオミ・アイゼン
畠中洋=フランツ→デニス
野仲イサオ=ボート屋→チャールズ・レイモンド
花山佳子=看護婦→ハリエット・ボーリング
鈴木蘭々=セレステ2→イレイン
冨平安希子=セレステ1→ウエイトレス
岸祐二=兵隊1→アレックス
石井一彰=兵隊2→カメラマン
岡田誠=ミスター→リー・ランドルフ
南智子=ミセス→美術館アシスタント
中西勝之=ルイ→ビリー・ウェブスター
堂ノ脇恭子=フリーダ→ベティ、ほか
話も思い出しながら書いていこう。
1幕は19世紀末のパリ。英語読みのジョージでジョルジュ・スーラが登場していることに違和感を抱きつつ観るが2幕で納得。スーラの子どもを身籠ったまま彼と別れて別の男とアメリカに渡った恋人ドットの孫のジョージの時代の21世紀が舞台になるからだ。どうせアメリカで上演されたのだからジョージで通したのねと苦笑。しかしフランス人はジョルジュであって欲しかったな。
スーラが描く「化粧する女」のモデルとして恋人のドットを設定。どうも生まれた境遇が違うらしいふたり。デートの約束をとりつけて彼女は喜ぶが、大作の点描画の制作に気をとられるとその約束もないがしろにするスーラ。点描の画法は仲間の画家たちからもあまり評価されていないが、その描き方への確信はスーラの情熱となっている。
大きなキャンバスが透けて向こうで筆をふるうスーラの石丸幹二の早口の歌。劇団四季時代の「壁抜け男」を思い出させる。こういう軽い歌い方ってフランス風なのかとも思うが、相変わらずいい声でかろやかに歌う石丸幹二を堪能(笑)
恋人ドットの戸田恵子は舞台では初見。ドットもよかったが、2幕のマリーおばあちゃんが可愛くて魅力的。アンパンマンの声もつとめているが、七色の声だなぁと感心。
スーラの母役の諏訪マリーがどっしりとした存在感。山路和弘と春風ひとみの夫婦役もいい。鈴木蘭々が2幕ではジョージの別れた妻イレインで落ち着いたところを見せるが1幕のセレステ2の生意気な女の子という感じがハマっている。
スーラは公園でスケッチし、そこにいろいろな人物が登場して1幕の幕切れに「グランジャット島の日曜の午後」の絵を登場人物がその配置で固まって絵になって見せるのが面白い。舞台全体が額縁で縁取られた絵に見えるという装置もなかなか見ごたえあり。犬も影絵で見せたりして芸が細かい。
まさにいろいろな人の人生が交差することで生まれるハーモニーの素晴らしさを謳いあげるのだが、そのアンサンブルの歌声はさすがの歌い手が揃った満足感あり!
2幕はその絵が飾られるシカゴ美術館で曾孫のジョージの作品のプレゼンテーションが行われている。CG映像も駆使するポップアーティストで盛会のようだが、実はどうやら行き詰っている様子。そこに祖母のマリーや別れた妻のイレインやらが登場してという展開になり、マリーおばあちゃんはそこで大往生。
心機一転、曽祖父の絵の原点のグランジャット島を訪ねるが、描かれた頃の面影はすでにない。そこにマリーおばあちゃんが大切にしていたその母親=ドットの手帳を持ってきていたが、現れたのは曾祖母ドットの幻で、その手帳の中の言葉がヒントになり、ジョージは新たに一歩を踏み出していく。
・・・・・・といったところだったと思う。最後は記憶が薄れていて違っていたらごめんなさいm(_ _)m
1幕は絵の中の人物を総出演させてそれぞれの人生を見せるのが楽しいけれど、少々煩わしい感じもあった。幕切れよければ全てよしなのだろうが(^^ゞ
石丸幹二は1幕の髭面のスーラよりも2幕のTシャツ姿のジョージが若々しくてカッコイイ。アーティストをめぐるいろいろと大変な状況がポップに描かれる2幕の展開の方が楽しかった。「芸術家は大変だ」というような歌も説得力あり。
この明るく楽しい舞台の印象で、
「亜門版ファンタスティック」を彷彿とする。そういえば山路和弘もこの舞台で初めて観て贔屓になったのだっけと思い出す。
宮本亜門の舞台は中劇場より小さい劇場での上演の方がいいみたいだ。今回もその成功の舞台を増やしたようで、よかったねぇと応援モードになって打ち出されてきた。
後からプログラムを読んだり、ネットで調べたりしてスーラについてもいろいろとわかった。
Wikipediaの「ジョルジュ・スーラ」の項はこちら
ブルジョアの家に生まれ、内縁の妻との間に子どもを一人儲けていたことを31歳で亡くなる直前に母親に明かしたというくらいプライベートは秘密主義だったのだという。そういう家だったら結婚も親の気に入る家のお嬢さんとではないとできなかっただろうとか、子どもにも財産をやるやらないで認知するとかしないとか面倒だったのだろうなとか、いろいろ推測してしまう。
しかし、それだからこそ、スーラの描いた絵からいろいろと想像してこういう虚構のお話も生まれたわけだ。そうそう、大体ドットという恋人の名前もおかしい。点でしょう?まぁ、衣裳にも点々という色が入っていて絵になる時に点描に見えるような衣裳デザインも面白かったし、とにかく遊び心いっぱいの舞台だったと思った。
それと、
「ピューリッツァー賞」に輝いたとあった。この賞はジャーナリズムの賞だとばかり思っていたので音楽部門もあるのかと、今回ようやく認識。