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「時今也桔梗旗揚」は、2006年の演舞場花形歌舞伎で松緑主演の舞台を観ている。作品的にあまり面白い話で、小田春永がとにかく気持ちの悪い人物としか思えなかった。
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【時今也桔梗旗揚】作・鶴屋南北
饗応の場、本能寺馬盥の場、愛宕山連歌の場
秀山祭とは銘を打たないでも、この演目には「秀山を偲ぶ所縁の狂言」とついている。光秀を得意とした初代吉右衛門を偲び、当代吉右衛門が光秀をつとめるのを観ると作品もまた違って見えるかもという期待があった。
初代同様の「饗応の場」からの上演。そのあらすじは以下の通り。
武智光秀(吉右衛門)は太政大臣に任ぜられる小田春永(富十郎)に勅使饗応の役を命じられた。饗応の仮屋で妹桔梗(芝雀)がその準備をしていると、山口玄蕃(歌昇)が言い寄ってくる。光秀が見咎める所へ、春永が森蘭丸(錦之助)、力丸(種太郎)を始め家臣らと現れる。春永は、武智家の家紋を使った幔幕を見て怒って幕を引き剥がす。光秀の準備を華美に過ぎるとますます激怒し、増長した光秀の額を蘭丸に鉄扇で打たせる。眉間を割られた光秀にさらに蟄居を命じて去っていく。
「本能寺馬盥の場」と「愛宕山連歌の場」のあらすじは前回書いたので省略。
その他の今回の主な配役は以下の通り。
園生の局=吉之丞 矢代條介=友右衛門
長尾弥太郎=桂三 浅山多惣=由次郎
皐月=魁春 安田作兵衛=歌六
連歌師丈巴=家橘 丹羽五郎=男女蔵
三村次郎=亀寿 鈴木草太=宗之助
四王天但馬守=幸四郎
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「饗応の場」があると光秀と春永の人物像がよりはっきりするので、ドラマがぐっと深く味わえる。
勅使饗応役のため、武士の正装姿(「忠臣蔵」の桃井若狭之助と似た水色の大紋で袴は長くない)で登場した光秀。古来の礼法をきちんと踏まえた勅使饗応をしようとしているのが春永の気に入らないということが二人の価値観の大きな違いを表している。
足利将軍を利用する際に召抱えた光秀は伝統を守ろうとする人間。既成の価値観をぶち壊して権力を握り、新しい世の中を作り出そうとしている春永という主人を理解してうまく振舞うことができないようだ。
その春永という主人をよく理解して仕えているのが真柴久吉だということが、次の「本能寺馬盥の場」の活花でよくわかる。今年の大河ドラマ「天地人」でもその辺りがよく書き込まれていたっけ。
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前回のあらすじの解釈的なところで、春永はいろいろな嫌がらせをして光秀を成敗する機会をうかがっていると書いたが、どうやらそういうことではないらしい。春永は、自分という主人の価値観を把握せずに、ぶち壊そうとしている既成の社会のしきたりを当然のように押し付けてくる光秀に、ただただいらだっていると解釈できた。春永が「いらざる諫言ごと!」だとエキセントリックに、また陰湿な仕打ちでそのいらだちにぶつけているのだと思い当たった。
「馬盥」の前に「饗応」があるからこそ、春永の人物像について深く思いをめぐらすことができ、さすがに南北の劇だと納得。江戸時代の観客にも明智光秀の謀反で織田信長が殺された史実は常識で、南北はシニカルな感覚を盛り込んだドラマをつくる作者なわけで、この相反する方向を向いた二人、それも主人と家臣のものすごく怖い心理ドラマなのだと理解できた。
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光秀は今でいう「空気の読めない」家来なのだ。武士のあるべき姿できちんと主人に仕えているという誇りを、主人が不当に踏みにじっているとしか思えないのだろう。何をされてもぐっと我慢をしている光秀。
それが越前の不遇時代に妻の売った切り髪を間者を通して手に入れた春永が哀れんで家来にしたと、他の家来たちの前で暴露されて、堪忍袋の尾が切れた。
切り髪を入れた箱を手にしての花道のつけ際での「箱叩き」の極まりが実に見事だった。3階B席からもしっかり見えたのが有難い。
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富十郎の春永も実に立派。本能寺では厚い座布団に座っての芝居となるところを椅子に腰掛けての芝居にしていたが、織田信長のイメージの春永役であれば不自然ではない。膝のつらそうな富十郎にも無理なくつとめてもらえるいい演目選びとキャスティングだと思った。変な隈取をいれる春永の顔も富十郎にはしっくりきて、実に贅沢な敵役配置になっていると感心至極。
吉右衛門の光秀をぐいぐいと富十郎の春永が追い詰めていくこの重々しい緊張感が堪らない。
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ここまでしっくりとドラマにハマれた後の「愛宕山連歌の場」は実に堪能できる。覚悟の切腹と見せかけて、拝領を希望していたのに他の家来にさらわれた名刀をうまく使って上使を斬る場面もうまくできたものだ。
注進役の四王天但馬守で幸四郎が並んでくれて、初代吉右衛門の孫が揃う贅沢さ。
謀反の決意を顕わにしたした幕切れで、この重圧感が吹き飛ばされるのだが、すっきりするわけではない。春永もそれを斃す光秀をも待つ運命の暗さという余韻が漂うのだ。やっぱり南北って怖い作品を書いているなぁ。
スケールの大きな芝居としてきちんとみせてくれたのは吉右衛門と富十郎が組んだればこそだと痛感。九月歌舞伎で一番の見ごたえのある演目となった。
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写真は歌舞伎座ロビーにあった「時今也桔梗旗揚」の特別ポスターを携帯で撮影したもの。ちょっとピンボケなのが残念。
9/23昼の部①「竜馬がゆく-最後の一日-」
9/23昼の部②「名残惜木挽の賑 お祭り」