2015/07/24 自宅マンションに「自衛官採用説明会」のポスター!→撤去してもらいました


自宅マンションの掲示板に「自衛官採用説明会」のポスターが掲示されていました。撤去を申し入れようとしていたらなくなったので、どなたかが先に申し入れてくれたのだと安堵していたら7/23に再掲示を確認!証拠写真を撮った上で翌朝、私が剥がして管理人室に申し入れに行きました。
マンションには管理組合があるから自治会結成は投票で否決されたので自治会はないのですが、地元の自治会に入っている方が掲示をするように言われたということで持ってこられたということです。
戦後、戦争協力の組織として町内会はGHQによって禁止されていた歴史があります。こういうことがあると、政権の末端として再び町の自治会が機能させられようとしているのがわかります。

さて、今回の私の主張は以下の通り。
「全ての公務員の募集のチラシが掲示されるのであればよいですが、自衛隊だけというのは許せません。撤去してください!」
今のところ、再再掲示はされていません。
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2015/07/19 何十年かぶりの中学時代の同窓会に感謝m(_ _)m


6/13(土)に中学時代の友人との2年ぶりの会食とその後のサプライズもあって、何十年ぶりかで会えた同級生や、その方のリクエストで仙台にいて年賀状のやりとりしかできていなかった同級生の10年前の年賀状にあった番号で電話がつながったりと、奇跡のようなことも起きて1か月。
その際に話題にして、出席の決意が固まっていなかったメンバーにも一緒に出ようとお誘いして、何十年かぶりの中学時代の同窓会を迎えた。

6/13に何十年かぶりにあった彼女はピッチャー、仙台の彼女はキャッチャー、私はレフトという小学校6年生時代の関係があった。地域ごとに少女ソフトボールチームがあって、対抗戦が盛んな時代だった。(だから女子ソフトのオリンピックでの活躍もけっこう嬉しかったりする。)その同じチームにいた3人だった。
その3人で同窓会の前に集まってファミレスでプレミニ同窓会のおしゃべりの場をもった。そこで早くも盛り上がり、テンションが上がったまま、同窓会場に移動。

同窓会は30歳になった年に初めて開催されて、その時は大阪の事業所で勤務していたので小さかった娘を連れてきて実家に預けて参加したものだ。生徒会長だったAくんが幹事を代表して挨拶したし、先生方も多くご参加くださって思い出や近況報告をしてくださった。

今回は先生方はご高齢だしご招待していないという。330人を超える同窓生のうち90数人が参加してくれたけれど、20人ぐらいはもう亡くなっているとも聞いた。卒業から40年の月日というのはそういうことなんだなぁと痛感。

9クラスあった学年で8組のメンバーが地元に残って飲み会をする仲間が多く、しょっちゅうクラス会を開いていてそれを学年全体でというノリでやってくれたのだという。
生徒会長だったAくんは今回も名簿のリスト作成など中心的役割を果たしてくれたが、今は校長になっていて林間学校の引率で参加できずに挨拶なし。私が副会長だったので挨拶が回ってきたらちょっと困るなぁと思ったが、ついにご指名なしで終わって安堵した。幹事のリーダーだったSくんが簡単な司会進行をして、最初はランダムなグループ分けでの歓談だったが、途中でリクエストもあったのかクラスごとにテーブルの番号で分かれ直しての歓談。

卒業アルバムを拡大してカラーでコピーしてくれたものを壁に貼りだしてくれていて、それを見ての話題も盛り上がって、あっという間に一次会は終了の時間になる。
そこで幹事のSくんからの発表があり、5年後の60歳になる年の同じ7月の連休の中日に同じ会場で同窓会を開催したい、その後は10年ごとに開催したいとのこと。今回は100名を超したかったが欠席連絡も20名ほどあったし、連絡がとれなくなっている方も多いので、今回の参加者が自分のつきあいが続いている同窓生に声をかけて、幹事につないで欲しいとのこと。次回も元気で会えるようにしようと、実に体育会系の爽やかさで締め括られた。これはよかった!!

同じ建物の半地下の中華レストランで二次会、駅前の居酒屋の三次会も参加して、武蔵野線帰宅組3人で終電の何本か前に帰った。

名前がパッと出てこない人もけっこういたが、当時の呼び名やら何やらで記憶回路が瞬時につながることも多々あった。やっぱり若い頃の3年間を一緒に過ごしたみんなは懐かしい。頑張って10年分の年賀状をひっくり返して電話番号を探して電話して説得して仙台から来てもらった彼女は人気者だった。ご本人のためにも私たちのためにも頑張ってお声をかけて参加してもらった甲斐があった。
とにかく、5年後には私も元気に参加できますように!!
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2015/07/16 We shall overcome someday!


近況報告もなしで恐縮だが、今日を忘れないための記事アップ。
冒頭の写真は2012年12/16の総選挙の時の自民党のマニュフェストの表紙。その時も怒って画像をつくってはいたが、ブログへの使用は自粛してしまっていた。
アジア・太平洋戦争をしたこと自体は悪くなくて、敗けたのが悪かったという程度の歴史認識だからこそ、戦前の「日本を取り戻す」などと言えるのだろう。

国内での論議よりも先にアメリカの議会で約束してきて、参議院で通らなくても衆議院を通過させた後60日以内の再議決で通すことができるようにムリムリ会期を延長させ、集団的自衛権発動を可能にする周辺法をまとめて制定できるようにした安倍政権。なんとしても倒すしかない!

その想いを抱きつつ帰宅の道をいそぐ時も頭の中をよぎっていくのは「We shall overcome」。
アメリカでの公民権運動で歌われたが、歌詞の内容は様々な民衆運動で歌うことができる民衆の戦いの歌。「レ・ミゼラブル」のピープルズソングと並んで大好きなのだ。

We shall overcome, we shall overcome,
We shall overcome someday,
Oh, deep in my heart, I do believe,
We shall overcome someday.

以下、省略。
「プロテストソングの傑作集」のところにあるこの記事が詳しい。
「We Shall Overcome / 勝利を我らに」
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