ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

13/11/30 御朱印が増えてます(今月は泉岳寺、愛宕神社)

2013-11-30 23:59:57 | つれづれなるままに

先の記事で、書棚を買ったことを書いたが、その場所を確保するため、長年放置していた修理済みのデスクトップパソコンの入った箱2つを処分することにして、ネットで「PC 廃棄」で検索したら、けっこういろいろの業者さんがあることが判明。
我が家と同じ埼玉県内にある業者さんが、ヤマトの宅配便の着払いで「送料無料キャンペーン」をやっていて、ちょうど11/30までということで、これは間に合わせなければならないと頑張ってしまった。

パソコンが不具合になって、修理の手配をしてもかかる手間ひまに見合わないというのがわかってからは、買い替えばかり2回も続けてしまった。データ消去してから処分しようと思っているとついつい面倒くさくて放置していたが、データ消去の証明書も発行してもらえるとのこと。
娘もデータ消去を自分でやることにこだわって古いノート型PC2台を放置していたが、証明書ももらえるからと誘ったら乗ってきて、デスクトップPC1台、ノート型PC3台に、プレイステーション2なども詰め込んで、2箱にまとめる作業が29(金)から30(土)にかけての夜なべ仕事となってしまった。

集荷受付の朝8時を過ぎたころにお願いし、昼には出かけてしまうからと早めの集荷手配をしていただいたら、9時過ぎには来てくれたので、一気に片づいた。
当時の保証書やら領収書やらも出てきて、なんとPC4台あわせると80万円くらいの物だったが、廃棄する時は処分にいかにお金をかけないですむようにするかという次元になってしまうのが可笑しい。

朝4時に寝て、8時過ぎに集荷依頼の電話をして9時過ぎには集荷があり、10時過ぎには起きたので、やはりちょっと強行軍だったかな。

30(土)はNPOのボランティア参加で事務所のある愛宕山へ。12/14の企画の打合せ終了後、同じ職場の後輩で業務で参加してきた若いお兄さんに愛宕神社の「出世の階段」のところで解説したら、「それは登らないといけないでしょ」と即決。
10月に港区歴史散策仲間と来た時は、「出世の石段」を上らなかったので、今回はお兄さんと一緒に登った。私は右端の手すりを頼りになんとか登り切った。
10月に港区歴史散策(1)愛宕神社の記事はこちら

今回はしっかり御朱印帳も持ってきたので、社務所でお願いし、境内を散策。前回、しっかり記事もアップしているので神社についての解説もできた。御朱印も初めて見たという。散策の中で、企画の日が彼の誕生日だと言い出して、私と同じ12月14日生まれだと言ったら二人の奇遇さにお互いビックリ!31歳違いかな?!12/14生まれながら「忠臣蔵」のドラマなども見たことがないという。歌舞伎座で11・12月とも「仮名手本忠臣蔵」をやっているからよかったら一回観てみてとおすすめしておいた。

とにかく私の娘より若い。私が就職した年には生まれてもいない若手が多くなっているのを痛感する。そういう若い方たちと世代を超えて一緒にやれるというのがいいなぁとつくづく思える。12/14の企画もいいものにしたいなぁ。

冒頭の御朱印。右側が11/24の「忠臣蔵」夜の部観劇前に行ってきた泉岳寺のもので、実に立派。「奉拝 四十七士廟所」とあって大石内蔵助の家紋の二つ巴が赤く押されている。
左側は本日の愛宕神社。「伏火之総本社」とあるが、実にシンプル。泉岳寺の立派なものの対照的で面白い。

13/11/25 リサイクルショップを3軒めぐって書棚を買いに行ったら売約済み(^^ゞ

2013-11-25 23:58:05 | つれづれなるままに

娘の部屋の片づけをヘルパーさんに応援していただくことにしたため、早急に居間にも書棚を買わないといけなくなった。私はがっしりした木製書棚2本を学生時代に愛用していた。それを実家からどこかのタイミングで引き取るつもりでいて、娘に話したところ、「古すぎてカビが移りそうで嫌!」と即刻拒否されてしまった(T-T)
私は家具屋さんやホームセンターにすいすい行けるような状況にない。大体、運転免許も持っていない。妹2が連れていってくれるようなことがない限り、そういうところとはご縁がない。

困り果てて玲小姐さんに相談したところ、「リサイクルショップという手もあるよ」とのこと。それ、妙案!!

お天気のよかった11/23(土)、精神的にまいっている気持ちを奮い立たせ、場所がわかっているリサイクルショップを自転車で3軒めぐった。
私が絶対条件としているのはガラスの扉がなく、シンプルでたくさん入れても棚板がたわまなさそうなタイプ。そう言ってスタッフさんにお聞きしながら探したが、「そういうタイプは入るとすぐに売れてしまうんですよ」とのこと。
なるほど~。

夕方、最後に行った旧中仙道沿いのお店は3階まである立派なショップで、3階が家具フロアになっていた。そこで居間用ではなく自分の寝室用に気に入ったのが冒頭の写真の真ん中の木目調の書棚。しかしながら、娘の書棚を買いにきたのに私の書棚を先に買うのは気がひけたし、サイズの確認ももう一度したかったので、そのまま帰ってきてしまった。

夕食の後で娘に話をして写真もみせたら、「買ってもいいんじゃない」と賛同してくれたので決意が固まった。売れてしまわないかと心配しつつ、日曜日は泉岳寺→歌舞伎座夜の部で行けなかった。
そして月曜の本日の仕事帰り、ちょうど雨の合間に20時の閉店時間ぎりぎりにかけつけた。スタッフさんに一緒に3階に上がってもらったら、「売約済み」のピンクのカードが見えてしまった。「今日、売れてしまったんですよ」という。なんと・・・・・・・。

悔し紛れにあたりをぐるっと見渡すと、土曜日にはなかった居間の方によさそうな118㎝幅の書棚が目に入った!聞いてみると「今日、奥から出してきたんです」とのこと!
組み立て式ではあるが、いくつも細かく分かれていて、棚位置が調整しやすく、たわみにくそうなものだった。娘に電話して相談し、即決!
配送は日曜しかやっていないし、時間指定もできないが、前日に大体の時間の連絡がくるというし、期日も私の予定が入っていない12/8で合致した!!

ま、こういうことで気を取り直していくしかないかな!・・・・・・と。

13/11/23 来年度から隔週土曜日が仕事になりそう(T-T)

2013-11-23 23:59:44 | つれづれなるままに

私の職場は、隔週土曜日を2シフトで出勤するというのが就労条件。ところが娘の不登校が始まって土曜日にメンタルクリニックへの通院介護をするために土曜出勤の週も指定休や年休等を使って休むようになった。
その時の部署はメーカー対応がメインだったので、代休消化なども土曜日をあてる人が多かったので特に問題がなかった。私自身も心身ともに弱ってしまい、成人喘息を発症して半年の休職となり、その後復帰した今の部署の資料室は土曜営業していないという特殊な部署だった。
私の職場では土曜出勤をするのは正規職員のみで、嘱託やパート職員は月~金の週5日勤務。正規職員がいなかった部署だったのでそういう営業日になっていたということだ。私の前に2人ほど正規職員が配置されていた時、今の私同様にして休んでいた。
たまにどうしても土曜日に閲覧対応の相談があった時は、休日出勤にならない日に出勤して対応してきた。
ところが、来年度から「資料室の掲示板」(電子掲示板)を開設して全職員向けに公開し、利用喚起を図る提案をすることになった。しかしながら、そのことの条件に土曜営業をすることをセットにするという方向性が出された。

2名体制で1名しかいない土曜日を平日同様の営業にすることに、私は「土曜日は予約制」で開始して欲しいとずっと要望してきた。利用がどのくらいあるかが不確定な状態なのだから予約が入っていない土曜日は休ませて欲しいと言ってきた。
これまでは営業していなかったのだから、利用喚起のために一歩踏み出す姿勢はきちんと示せるものだと思う。

娘の不登校が始まってから十数年の間、土曜日に仕事をしてきていないのだから、労働環境の激変といえる。「予約制」にして利用が一定量あることがわかれば、土曜出勤をしていくことに自分でも納得していけるだろうという覚悟を固めて、こちらから「予約制」を提案していたのに、膠着状態だった。
来年度の事業計画提案の時期になり、火曜日の定期面接のフォローの時間にそれを切りだされ、二人がかりで説得されて膝詰め状態にされてしまった。
「1人なのでなるべく予約をしてください」とは入れるが、飛び込みの来室や問い合わせにも対応できるようにすることが「掲示板」開設の条件だという。「掲示板」開設はかねてよりの私の念願であり、まるで人質のようにされてしまったら、泣きながらでも飲まざるをえなかった。
1年くらい様子をみて利用が少なければ「予約制」にしてもいいし、体調が悪かったり急用が入ったりして休む場合は「臨時休業」情報を職員向けの電子掲示板に出すということだったので、そうしていただくことにして、遠慮せずに休ませてもらうと宣言しておいた。
その直後に胃痙攣を起こしてしまい、胃腸用の痛みどめも常備薬として持ち歩いているのでそれを飲んでしばらく横になって落ち着くまで動けなかった。

大学卒業後イタリアに長くいらした方で就職が同じ年だったために私の同期の方がいて(当然年長者)、相談したところ、不確定な業務のために労働者に負担増を強いるというのは「労働者の権利」に対しての日本の労使関係のレベルが低いからだと言ってくれた。実態を踏まえて見直させればいいとも助言もいただいた。

やっぱり私の権利感覚は狂っていないと確信!ただし、日本の多数派にはなっていないが、私は多数派に流されるような感覚にはなりたくない。譲歩はしても、いつでも押し戻すことができるような姿勢でいたい。

風邪が抜けていなかった今週、この打撃でさらに精神的にまいってしまい、思考が必要な仕事に手がつけられない。
家では娘のテンションがあいかわらず乱高下していて、浮上できない。
勉強会の報告書もまとめなければいけないのに、集中力が続かない。テレビドラマの録画をみるくらいで毎晩が過ぎて行く。

「風立ちぬ」に続いて高畑勲監督の「かぐや姫の物語」が今週末に封切りになった。2つの作品とも二人の監督の若い頃からアニメ作品に込めてきた「この世は生きるに値する」というメッセージを伝えるものだという情報を何かで読んで、それだけで泣けた。
「誰も皆生きていくのに必死なんだよ」とよく聞く。それが今の日本社会の現状。
私も、もがきながらでも日々を生きなければと思いつつ、涙腺が緩んでいる更年期の私は毎日泣いてしまう。睡眠導入剤で全ての悩みを断ち切って寝ることができているので、なんとかまだなるだろうと思いつつ・・・・・・。

冒頭の写真は、駅前のマンションの生け垣の山茶花。向かいにあるローソンの照明で夜なのに綺麗に撮れた。

13/11/17 風邪をひきました+近況報告

2013-11-17 23:59:00 | つれづれなるままに

ちょっと無理をしすぎて風邪をひいた。11月に入って急に寒くなってそちらには注意していたつもりだったが、やろうとしていることをなんとかやろうとして寝る時間を削る日が多かったのがやっぱりいけなかった。

北本の妹2の11/11(月)の通院日に合わせて、先の週末に名古屋の妹1が妹2の世話にやってきた。車の運転を代わって一緒に行って手術後の検査結果を一緒に聞いてきた報告の電話でホッとした。検査結果は転移なしで予想より良い結果だった。
妹1も張りつめていた気持ちが緩んでどっと疲れが出たと言っていたが、私も同様。
翌火曜日は妹2は夕食を透析クリニックでとるからと、妹1から誘いがあり、仕事帰りにさいたま新都心の居酒屋で一緒に食事をした。大学の授業後の娘も合流して3人でいろいろ話せてよかった。

冒頭の写真は、名古屋土産の坂角総本舗のさくさく日記<海老>。戦国武将だるまの家康バージョンのパッケージが可愛い。私も坂角のゆかりせんべいを土産の定番にしているが、さくさく日記は初めて。小さくて丸いエビせんが食べやすくあっという間に小袋は空になる。

しかし、その前後も睡眠不足となり、11/14(木)の職場有志の学習会も鎮痛解熱剤を飲みながらしのいだ。
そして今週末に風邪が本格化した次第。土曜日にかかりつけのO耳鼻科で受診してから実家の母の顔も見に行って・・・・・・。ということをやっているからいけないんだろうなぁ。

下の写真は、先週末にイオンで「リラックマ10周年」ということで伊藤園とのコラボのランチボックスをみつけて撮影。伊藤園の500mlPETボトルのお茶4本を買えばもれなく1つもらえるという。


「リラックマ」大好きの娘に3タイプあるけどどれが欲しいかと携帯で聞いたところ、そういう時こそ写メールしてよと言われてしまい、並べて撮った1枚。娘の好みは真ん中のクリーム色だった。ピンクはリラックマがでかすぎてさすがに恥ずかしく、水色はデザインが細かすぎるということらしい。
大学に弁当をつくっていくと宣言した娘だが、後期はまだ一度も弁当を作ったことがない。リラックマランチボックスで喝を入れたつもりだが、結局まだ一度も出動させていない。
妹1が言うようにやっぱり私は娘を甘やかしすぎているんだろうなぁ。

ハイ、早く風邪を治すように努力しますm(_ _)m

13/11/06 娘が学祭カラオケ大会で準優勝+11・12月の観劇などの予定

2013-11-06 23:59:13 | 観劇

冒頭の写真は、11/2(土)に娘が大学の学園祭のカラオケ大会で第2位になっていただいてきた賞品の目録。あとから実行委員会に5000円のクオカードと交換にいくようだ。本当は第1位のアイポッドタッチが欲しかったらしいが、惜しくも3点差で優勝を逃したとのこと。確かに優勝した人はうまかったが、悔しいようで来年も出ようかなぁなどと言っている。ひとまずは、よかったよかったということで、写真をアップ。

以下は今月の観劇などの今のところの予定。
11/2(土)NPOシンポジウム
11/4(月)歌舞伎座こけら落とし顔見世大歌舞伎昼の部
11/7(木)NODA・MAP公演「MIWA」
11/14(木)職場有志の勉強会の定例会=元上司のお話を聞きます!
11/24(日)歌舞伎座こけら落とし顔見世大歌舞伎夜の部
11/28(木)浅草公会堂:前進座の「赤ひげ」公演

12月の予定も決まっている分は書いておく。歌舞伎座の分は明日のボーナス会員先行予約日にチケットをとるように頑張ります!
12/14(土)NPOのつどいシンポジウム
12/15(日)国立劇場:歌舞伎公演昼の部
12/21(土)歌舞伎座こけら落とし十二月大歌舞伎昼の部
12/22(日)歌舞伎座こけら落とし十二月大歌舞伎夜の部

ご一緒する皆様、よろしくお願いしま~すm(_ _)m
(追伸)
学祭あけの今日、娘は登校できず。うーん、一進一退・・・・・・。先月末に後期の学費は払い込んだので、どぶに捨てさせないでくれよ~。

13/11/04 歌舞伎座昼の部観劇後、大手町の将門首塚詣で

2013-11-05 23:59:24 | おでかけ、旅行

九月花形歌舞伎夜の部は夢枕獏作の新作歌舞伎「陰陽師 滝夜叉姫」。将門討伐の後、うちとられた首級は平安京まで送られて晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとという伝承がある。その伝承地は数か所あっていずれも平将門の首塚とされているが、その中でも最も著名なのが大手町にある首塚らしい。

11/4歌舞伎座の昼の部はさちぎくさん、あいらぶけろちゃんさん、happydragonさんとご一緒だったが、事前に相談がまとまっていて観劇後に大手町までタクシーで将門の首塚詣でに行った。歌舞伎座前からすぐに乗って「大手町の三井物産本社ビル近くの将門の首塚まで」と頼んだが、知らないということでカーナビ頼みとなった。まぁ、そんなにメジャーなところでsもないし、仕方がなかろう。

Wikipediaの「平将門の首塚」の項
タクシーから降りてしばらくしたら雨が降り出して傘を開く。降ろされた場所から三井物産本社ビルの敷地を四分の三周ほどして、入り口が見つかった。まわり道は我がグループの常とするところなので今回もかと可笑しくなる。
すでに午後4時を過ぎていて雨も降りだしたのでかなり暗く、肉眼では案内の説明文がようやく読めた。板碑を携帯で撮影したものが冒頭の写真だが、かなり暗かったので画像編集ソフトで明るい方向で修正を入れている。
平将門の首塚近くの住民が怨霊に苦しめられたということで、時宗の遊行上人2世の他阿真教が徳治2年(1307年)、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、かたわらの寺院日輪寺を時宗芝崎道場に改宗して鎮めたのだという。時宗といえば、8/10に藤沢の遊行寺(清浄光寺)詣でに行っているので、関連性を感じて面白い。

その日輪寺が将門を神として祀った神田明神の別当となって将門信仰をともに支えたとのこと。祟る力が強い怨霊は鎮護することで守り神になるとされる。
これはもう一度、神田明神に行かねばなるまい。
Wikipediaの「神田明神」の項

さて、その前に祟りがあったということでもないが、歌舞伎座昼の部の幕間にやけどしてしまった。3階ロビーの自動販売機で買ったカップコーヒーを喫煙室の隣の長椅子コーナーで飲もうと運んでいたら、喫煙室から出てきたおじさまと鉢合わせして、カップを落としたら絨毯を汚してしまうと思って熱いのを我慢してカップを投げ出さずにいたら手の甲と腕にけっこうかぶってしまった。
すぐに3階の受付にいたスタッフさんに冷やしたいので何か持ってきてほしいとお願いした。トイレから出たところにある温水ではなく水が出る流しに連れて行かれたのでそこでずっと冷やしていたら、タオルと保冷剤を持ってきてくださり、それを手の甲から肘まで巻いて、下の写真のような状態で観劇中も冷やしていた。痛み止めの常備薬も持っていたので1錠飲んで、次の幕間に保冷剤を変えてタオルをもう一度冷たく濡らして巻きつけて終演まで冷やしながら観劇。
終演で受付ではずしてみせたら、少し赤みがあるところもあったが、大丈夫そうだった。最後に救急箱が登場し、オロナインの新しいのを使って塗ってくださいということになった。軟膏をちょっと乱暴にのばしたらさすがにヒリヒリして後悔した。慎重に、慎重に・・・・・・。

そんな騒ぎがあったので、将門の首塚に到着するのが遅くなってしまって暗い中で一生懸命に案内板を読む羽目になったという次第。
大手町まで出てしまうと何か食べようということになっても、スイーツも食事もできるという店がない。地下街を探しまくり、ようやく「丸の内オアゾ」(丸善丸の内本店には行ったことあり)の神戸屋レストランを見つけた。他の店は客席が狭くてどこも満席だったが、ここは広くて奥の方でちゃんと座れた。
そこには18時までOKのアフタヌーンティーセットもあったので、4人中3人がそれを注文。今日もしっかりとしゃべりタイムを楽しんだ。


翌日も少々赤みが残り、多少のひりつきはありましたが、たいしたことにならずにすんだ。ご一緒した方にご心配をかけたお詫びと御礼を申し上げますm(_ _)m
歌舞伎座のスタッフの方に感謝申し上げます。それとぶつかったおじさま、私も不注意だったのにパニくってしまって、そのお詫びをしはぐりました。これで嫌な思いをして歌舞伎観劇から遠ざかることがないようにお祈りしています。

13/10/27 我が母校の近所、つきのみや「調神社」詣で

2013-11-03 23:34:55 | おでかけ、旅行

「調神社」は別称つきのみやともいい、女子高時代の放課後、寄り道散策などをしたものだ。桜の季節はお隣の公演スペースともどもお花見に最適だった。
冒頭の写真にあるように、入り口の左右には狛犬ではなく狛兎がいる。柱には「県社 延喜式内 調神社」とある。そして神社なのに鳥居がない。
その謂れは入り口近くの案内板に書かれていた縁起書にあった。
Wikipediaの「調神社」の項はこちら
そこにもある社伝によれば、「崇神天皇の時代に伊勢神宮の斎主・倭姫命が参向し、境内に神宮に献る調物を納めるための倉を建て、武総野(武蔵、上総・下総・安房、上野・下野)の初穂米・調の集積所と定められた。この際、倭姫命の命により調の運搬の妨げとなる鳥居や門が取り払われ、現在に至るまで建てられていない。」

斎宮の直接の起源となったこの倭姫命は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の叔母の倭姫命と同一人物のようで、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」では笑三郎の倭姫命の美しさを彷彿とする。
Wikipediaの「ヤマトタケル」の項はこちら
「調物」は「みつぎもの」とも読み、「調」は「つき」→「月」になり、月待信仰と結びついて狛兎がいるということだ。


拝殿の賽銭箱の上に下がっていた「鈴緒」が廃止になったという看板が出ていた。「文化財保護のため」とあったが、ガラガラ鳴らすのに鈴を吊った横木が傷んだりするせいかなぁと推測。この日はお宮参りのご家族と3歳の女の子と七五三参りのご家族が参拝されていた。

御朱印帳に記帳をお願いしたところ、「時間がかかるので境内を散策してお待ちください」と番号札を渡された。拝殿の手前右奥にあるのが下の「神楽殿」。角の柱にかかっているのは「十二日まち」の縁起物の熊手。
大きな絵馬の額に干支の巳年ということで白蛇の絵が描かれていて、「彩光舎」の方が描かれたと名前が出ていた。「調神社」の近くにある「彩光舎」は、私の女子高3年時の担任の美術のT先生も設立に関わっていらしたという話を聞いている。その先生もとうに亡くなられてしまったので、私たちのクラス会というのは卒業後一回しか開かれていない。この近くを散策するとT先生のことを思い出す。私が母の薦める教師になる大学進学をしなかったのは、T先生が私の性格からして反対されたからなのだ。先生は私の性格をよく見抜かれていたなぁとつくづく思う。



何やら臭いなぁと思いながら地面をみると、銀杏の実がつぶれている。あぁ、そういうシーズンだったっけと秋の季節を思い出す。
奥にある旧本殿である稲荷社に回ってみたら、何やら工事中で周囲を幕が覆っていて近づけない。多くの兎の彫物で装飾されているらしいので、また次の機会に拝見したい。

さて、御朱印の記帳はできたかなぁと戻って行き、「御朱印をお待ちの方~」と呼び出す声に窓口に行ったら、4冊広げられていた。ところが私の番号の「1」がない。違う方たちの分だった。受け取りにいらしたのはなんと4人家族で、お父さん、お母さん、男の子と女の子の御朱印帳は全部違う色だった。子どもさんも小学生くらいで、きっと途中から「僕のも欲しい」「私のも欲しい」ということになったのだろうと、このご家族の神社仏閣めぐりのこれまでを想像してしまった。

「十二日まち」には何回も来ているが、夏越しの大祓の茅の輪くぐりには来たことがないので、一度来てみたいなぁと思っている。
(1)御朱印の記帳を始めた経過について
(2)前後の散策について

13/10/27 「調神社」詣での前後の散策

2013-11-02 23:59:03 | おでかけ、旅行

10/27の「調神社」詣で関係であと2本記事アップしておこう。

自宅から浦和方面へは自転車で中仙道を行く。埼玉県庁の裏手で左折してJR浦和駅方面に向かい、旧中仙道にあたると右折してその旧道沿いにて南下すると左手に「調神社」にたどり着く。
冒頭の写真は、埼玉県庁の脇道を走っていた時に気がついたので撮影した耐震補強工事後の庁舎。奥まった棟の耐震補強はいかにも鉄骨を筋交いに外から加えて補強しましたという外見だったが、表玄関に近い建物の方にはその鉄骨をくるんで見栄えをよくしているのが可笑しかった。この日の台風一過の青空に「彩の国 さいたま」のカラフルなポール看板が映えていた(笑)

「調神社」については次の記事で書く。
帰途は旧中山道を浦和ロイヤルパインズホテルまで北上し、そこを左折して中仙道に入ってというルートをとる。
その旧中山道沿いには古民家カフェ「楽風」もあり、入りたい誘惑にかられたが、出かけた時間が遅すぎるため、日の暮れないうちに家に到着するために断念。
県庁通りを行きすぎて、ユザワヤ脇のスペース(県立図書館の東側だと思う)に古本市が出ていてひっかかった。

こういうところに足をとめると何か買ってしまいそうだ。
「亀治郎ギャラリー」の書架にもあった『歌舞伎名舞台』という大きな本を買ってしまったのは2005年だったっけ。
風は強くなり、また冷たくなってくる。ちょっとだけと思いながらぐるっと見ていく。

結局、100円均一コーナーから文庫本を3冊買った。そのうちの1冊が岩波文庫の『新訂 海舟座談』。パラパラめくったら、江戸弁でペラペラしゃべっている様子がわかって面白そうだった。字は小さいけれど、『植木枝盛選集』を読めたんだから大丈夫だろうと、えいっと買った。
先日の港区散策で西郷隆盛と勝海舟の会見の碑を見てきたばかりだし、これもご縁ということで。

(追記)
10/27(日)の大河ドラマ「八重の桜」で、勝海舟に新島襄が同志社大学設立支援を頼む場面があった。生瀬勝久の勝は軽い感じでペラペラっとしゃべるのがいい(今回の大河は各役ナイスキャスト!)。オダギリジョーの新島襄の「人民が愚かなままの方が政府は国を操りやすい」という台詞に考えさせられた。
うーん、まさに今現在もアベノミクスで騙され、原発政策で騙され続ける日本の人民は明治時代よりましになっていると言えるだろうか?
支配者の側の統治がより巧妙になっているのに、人民の世論のレベルが追いつくどころか低いまま、それを反転させる力が育っていない。悔しい限りだが、とにかくやれるところからやっていくしかないだろうと覚悟を固めている。