ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/04/30 こちらも最後の日!

2010-04-30 23:58:33 | つれづれなるままに

仕事の日のランチに週一回は通っていた「お豆腐料理米永」が4月いっぱいで店じまいになった。歌舞伎座と「米永」が同じ月に私の前からなくなってしまう。
昼休みに職場からJR四ツ谷駅を越えてしんみち通りまで足をのばし、ひがしん(信用金庫)の向かいにある小泉豆腐店のある小泉ビルの地下にお鮨屋さんと並んでいた。
冒頭の写真は地下への入り口にあった「米永」の布の看板?!

テレビ朝日のグルメ情報バラエティ番組「裸の少年」(毎週土曜日午後5時より)のランチ紹介でも紹介されたことがある。ジャニーズJr.と食の七賢人が毎回テーマの沿った店を紹介するのだが、和食の神田川俊郎が訪問していたオンエアをしっかり見たものだ。豆乳を加えた和風の「麻婆豆腐定食」(800円)が紹介され、それからしばらくは日替わりランチメニューが麻婆豆腐つづきになって、ジャニーズファンも含めてランチが忙しそうだった。ずらしお昼の私はレディスランチばかり食べていたっけ。
ネット検索したら2009年4月25日のオンエア情報が見つかった。

夜は、実家の法事(=父の100日祭で駒込の神社でやってもらった)の後の親族の食事会をお願いした。それと以前の上司だった女性の先輩の有志送別会もお願いしたし、今年になってあるテーマの歴史年表を作成する作業の慰労会と打ち上げ会(この時の鯛の兜煮)の2回、予約を入れてお願いした。女性の友人と2回ばかり夜に食べたこともある。

ランチの記事を書いたこともある。
今年の1月27日の記事
お店の名前を間違って「米長」で書いていることもあり、両方検索しないと過去記事が揃わないのことに恥じ入る。
ひとめで美味しそうと思った時は記事にしなくても撮影した写真もあり。 
4月に入って今月一杯と聞いたので、それからは週2回ランチに通い、最終週は3回通った。今のご時勢では、単独で飲食店の経営を安定して続けるのはなかなか厳しいということだった。確かに夜はお豆腐料理だとコンスタントにというのが難しいと思う。良心的すぎる品揃えも経営的には厳しかったのだと思う。お刺身は養殖物は使わないということだったし・・・・・・。
マスターは来月から単身赴任で総料理長の仕事につくそうな。お昼のパートのWさんもお菓子づくりが上手で豆乳を使ったデザートを度々出してもらったっけ。
遅番の日にいくと基本の料理が出てしまっていたりして、「ぴかちゅうスペシャル(実名だけど(^^ゞ)」でよく食べさせていただいていた。
最後の日もすごく遅くなってしまったので、やはりスペシャルランチに!刺身に「焙りほうぼう」を出してもらった。初めて食べたなぁ。

4年くらい毎週通ったお店がなくなるのは、すごく寂しい。こちらのママさんの親戚さんがWさんの前にお昼に手伝いにいらしていた関係で、フィレンツェ在住の娘のAさんに旅行に行った際にお世話になったこともある。Aさんには男の子が今年生まれたそうな。

すごくいろいろと思い出をつくってもらったので、けっこうつらいものがある。人生にはいろいろな人との出会いと別れがあるなぁとまたまた痛感。
新天地での活躍を祈るばかりである。
私のこれからのランチは、給料が上がらないせいもあるが、「米永」がなくなると、いっそう粗食になりそうな気がする。

10/04/28 御名残四月大歌舞伎(6)「実録先代萩」千穐楽

2010-04-29 23:58:26 | 観劇

いよいよ千穐楽で第三部を観て歌舞伎座本興行観劇の最後となる。冒頭の写真は、観劇前に歌舞伎座正面を右の方から撮影したもの。11月の顔見世狂言のみに掲げられる青い櫓が4月まで残されたのもさよなら公演の特別な扱い。さらに通常、千穐楽の終演時には垂れ幕が下げられてしまっているが、今回だけは撮影者が多いだけにしっかり残されていた。

【実録先代萩(じつろくせんだいはぎ)】
以下、公式サイトよりあらすじと今回の配役をほぼ引用。
奥州伊達家では、お家乗っ取りを企む江戸家老の原田甲斐一味が、幼い藩主の亀千代(千之助)の命を狙っているため、伊達の一門、伊達安芸が一味の反逆をくいとめようと闘っている。安芸の娘である乳人浅岡(芝翫)も父と心を合わせ、忠臣松前鉄之助(橋之助)とともに亀千代を日夜守護している。
ある日、御殿に籠りきりの亀千代を、局の沢田(芝雀)、錦木(萬次郎)、呉竹(扇雀)、松島(孝太郎)らが慰めるところ、家老片倉小十郎(幸四郎)が、甲斐一味の連判状を持参して出府。一味の悪事の証拠が手に入って喜ぶ浅岡に、小十郎は国元から連れてきた子をお目見得させたいと申し出る。この子こそ、離れ離れに暮らしてきた浅岡の実子の千代松(宜生)。わが子に会いたさにちぢに乱れる浅岡は、それでも主君への奉公が第一と会わずに帰そうとする。ところが亀千代の命で召し出された千代松。浅岡はお家の危機を語り、お家安泰となった時には親子と名乗ろうと話すと、千代松もそれを受け入れる。

この「実録先代萩」は芝翫のための演目のようだ。祖父の五世歌右衛門の頃は人気狂言だったらしい。芝翫は1958年の東横ホール、1997年のこんぴら歌舞伎、そして歌舞伎座の最後を飾るという。成駒屋三代のうち、福助の方の孫の児太郎が片倉小十郎の来訪を告げる腰元梅香で出て、橋之助、宜生の父子ともども揃う。
原作は黙阿弥の明治期の作品で「伽羅先代萩」を実録で書替えた狂言。「仮名手本忠臣蔵」と「元禄忠臣蔵」との違いのように、徳川幕府の規制がなくなったので大名家のお家騒動も伊達藩という実名を出して芝居にしてもよくなったわけだ。これまでの上演台本に今回手を入れているとのこと。
「伽羅~」と同様に浅岡も政岡同様に黒地に雪持ちの笹の衣裳。しかし「伽羅~」と違って実の子は死なず、お家のために乳人となった母親が子が別れて暮らすというになるという〝子別れ物〟になっている。重の井も重なるが、お家騒動が治まれば一緒に暮らせる希望があるのが明るいので全く泣かなくてすむ。
さらに黙阿弥のお遊び気分があふれているのか、先行作品のいい場面や台詞をどんどん盛り込んでいるようで、観ながら、「この台詞、別の狂言から持ってきているな」「これも何かで聞いたな」と思い当たる面白さがあった。こうやって先行作品を踏まえて次々に新作狂言を出していったのだろうなぁというイメージが湧くという、予期していなかった楽しみを感じてしまった。そういうパロディものだと思ってみれば十分楽しめる。

さらに千之助と宜生の千代ちゃんズが仲良くなって力を合わせて乳人の心を動かす芝居が立派で、芝翫の芝居をさらってくれている。千代松がけなげではあるけれど我慢できずに泣いてしまう子役の泣きの芝居が繰り返されたり、若君の亀千代が賢く乳人から一本とったりすると客席が湧く。芝翫が立女形として立派な芝居をするというよりは、存在感を歌舞伎座最後の日に刻んでくださればそれで十分である。

と思っていたら、前日まで芝翫休演で福助が代演していたというのを幕間でさちぎくさんからお聞きして初めて知った次第。やはり一ヶ月の長丁場をつとめるのは大変になってこられているようだ。
まさに、歌舞伎座建替えの3年の間に代替わりがすすむと予想しているのだが、今月に芝翫・富十郎の舞台をしっかり見せてもらえたことは貴重だなぁとあらためてかみしめる。

25分の幕間はロビーは混みすぎだったので川端龍子の「青獅子」の下でさちぎくさんとおしゃべり。売店でアイスを買った時に助六キャラの看板が可愛かったのもしっかりチェック。いよいよ最後の演目「助六」へ。

4/24御名残四月大歌舞伎(1)「御名残木挽闇爭」
4/24御名残四月大歌舞伎(2)初めて堪能できた「熊谷陣屋」
4/24御名残四月大歌舞伎(3)菅原伝授手習鑑「寺子屋」
4/24御名残四月大歌舞伎(4)中村屋の「三人連獅子」、藤十郎の「藤娘」
4/24御名残四月大歌舞伎(5)團菊吉の「三人吉三」の恍惚

10/04/24 御名残四月大歌舞伎(5)團菊吉の「三人吉三」の恍惚

2010-04-29 18:07:08 | 観劇

「三人吉三」の通し上演は、まず福助×橋之助×勘三郎の2007年コクーン歌舞伎が初見。2009年11月に菊之助×愛之助×松緑の花形歌舞伎も観たが、歌舞伎座での上演は未見。話題の玉三郎主演の公演はまだ歌舞伎の本格観劇前だった。
菊五郎のお嬢吉三は10年前の通し上演以来ということで、大川端の名場面だけでもその時の三人が揃って歌舞伎座さよなら公演の最後に出してくれたのが心憎い。
【三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)】
 大川端庚申塚の場
今回の配役は以下の通り。
お嬢吉三=菊五郎 お坊吉三=吉右衛門
和尚吉三=團十郎 夜鷹おとせ=梅枝
金貸し太郎右衛門=菊十郎 研師与九兵衛=松太郎
駕籠かき=吉六、辰巳           
冒頭に金貸し太郎右衛門と研師与九兵衛が名刀「庚申丸」をめぐって争う場面があるが、ここと駕籠かきには長年のお弟子さんを配役していると思う。敬意を払って上記に全員書いておく。

夜鷹おとせの梅枝がいい。梅枝の進境著しさは今年の国立劇場初春歌舞伎で目の当たりにしたが、今回の大顔合わせに抜擢されても遜色がない。台詞回しにも所作にも存在感が出てきたし、夜鷹の儚げな風情がある。
梅枝の綺麗な声に対抗してか、菊五郎のお嬢さまに化けている時の声が3月の弁天の時よりも可愛らしい。
菊之助で観た時と同様、人魂に怖がってから財布に手を伸ばして本性をあらわすまでに手順が少ないのは音羽屋の型ではないかと推測。
おとせを大川に蹴込み、通りかかった与九兵衛から庚申丸をとりあげて白刃をきらめかせていると、通り過ぎようとした駕籠かきも駕籠を残して逃げてしまう。大川端の杭に片足をかけて客席側を見込んでの名台詞の場面には「待ってました!」の大向こうがかかる。
「月も朧に白魚の~」、黙阿弥の有名な七五調を菊五郎が節をつけながらもあっさりと聞かせてくれるのを聴くのが至福。肩の力が抜けて身についたものが流れ出るような芝居ができるようになるのが「至芸」ということなのだろう。
Wikipediaの「三人吉三」の項に名台詞あり
駕籠で全てを聞いていて姿を現すお坊吉三。吉右衛門のお坊吉三がすっくと立ち上がり、これから二人のやりとりがあると思うだけでゾクゾクする。
武家のお坊ちゃまがぐれたという屈折感が強く漂う吉右衛門のお坊吉三の名乗りにクラクラする。お嬢さま姿の生意気な年下格の吉三から百両を巻き上げようとするのだが、蛇のようにからみつく暗い粘っこさを感じる。二人は白刃を交し合うのだがその後の二人の男色関係につながる官能の予感がここにある。
團十郎の和尚吉三が喧嘩の仲裁に割って入る。実に堂々とした兄貴分の貫禄だ。それが命を捨てずにすんだ代わりに争いの元の百両を半分ずつ俺にくんなというちゃっかりした申し出をするのが笑えるが、和尚に義侠を感じた二人は執着をさっぱり捨てる。その上で義兄弟になってほしいと頼みに応えた和尚の主導で血杯を交わすのだが、ワルたちであっても江戸の「粋」の美学を貫く名場面。

「寺子屋」の重苦しさをふっとばし、短いながらも気分すっきりの名場面。江戸歌舞伎の大御所三人の舞台にしびれまくり恍惚に浸った一幕だった。

写真は当月の筋書の表紙の鏑木清方の「さじき」という絵。今の歌舞伎座では1階の桟敷席デビューができないで終ったけど・・・(^^ゞ
さて次からは、いよいよ千穐楽の第三部の感想へ突入する。

4/24御名残四月大歌舞伎(1)「御名残木挽闇爭」
4/24御名残四月大歌舞伎(2)初めて堪能できた「熊谷陣屋」
4/24御名残四月大歌舞伎(3)菅原伝授手習鑑「寺子屋」
4/24御名残四月大歌舞伎(4)中村屋の「三人連獅子」、藤十郎の「藤娘」

10/04/28 ついに歌舞伎座本興行最後の日!

2010-04-29 02:59:45 | 観劇

勘三郎襲名披露興行から本格化した私の歌舞伎座通いも本日をもってピリオドが打たれる。雨の日も雪の日も嵐の日も通ったなぁと思い出す。
歌舞伎会にも入って財布と相談しながらの制限つきで、ほとんど3階席ではあったが毎月観るようにしてきたため、一般会員→特別会員→ゴールド会員と昇格してきた。歌舞伎座さよなら公演については全公演を制覇することにして、相当気合を入れてきた。義太夫狂言を深めるために文楽にも通うようになり、人形の芝居と役者の芝居のそれぞれの面白さもわかって両方楽しんでいる。宝塚から始まった観劇ライフもここまで到達したかと感慨深い。

おかげさまで苦手な役者がいないので苦にもならない。やはり子どもの頃からの修練を積んだ役者ぞろいだし、研修所出身者も熱心な役者が揃っているし、子役から人間国宝級の役者まで揃っていて、安心して芝居を観ていられるのが有難い。
昔のようにどんな下手な芝居をする若手でも長い目で観てあげようという気持ちの余裕がないので、観なくなってしまった分野の舞台もある。同じ人間でもその時その時の状態で楽しめる舞台が変わっていくということだろう。

さて、さすがに御名残と銘打った3月4月の歌舞伎座のチケットとりは大変だった。いつもはチケットウェブ松竹の携帯サイトからとることが多いのだが、2月もけっこう大変だったので、3月から午前中の半休をとって自宅のPCで早めのログインで頑張った。
4月には娘のPCまで動員して娘の方でとれた。ゴールド会員先行予約日に各部2枚ずつしかとれないプラチナチケットということで、第二部は玲小姐さんと第三部はsakuramaruさんとご一緒する予定だったが、第一部は未定でとりあえず2枚とった。やはりご褒美ということもあり、娘と一緒に観た次第。

そしていよいよ歌舞伎座本興行最後の日、千穐楽の第三部。ウイークデイで仕事帰りに行くつもりだったが、土曜日に一部二部を観て、翌日も早起きしてという強行軍に更年期の私はさすがにグロッキーし、一日休みをとってしまって昼まで寝て、お昼のTVニュースで「歌舞伎座最後の日」の取材報道で徹夜行列組や第一部を観て出てきた観客へのインタビューが流れているのを見ながら、ブログも書いていた。

前の晩からマイミクさんの行列レポなども見ていたし、どんどん実感が高まっていて、本当は早く出てデジカメであちこち撮影しようなどとも思っていたが、雨模様の天気で身体の動きがなかなかテンポアップしない。
昼夜逆転で寝ている娘の分も御飯をつくって私だけ食べて出かける。結局ギリギリになってデジカメも忘れてしまった。けっこう悔しいが仕方がない。携帯で頑張ろうということに。

開演直前のロビーには役者の奥様集団もたくさんいたし、奮発した一階二等席上手2列目に着席するとその通路の右端と左端にはTVカメラが林立。
客席の熱気が立ち上る中、大勢の大向こうさんの声もかかり、歌舞伎座全体が昂揚した雰囲気の中で過ごすという一生に一度の体験となった。

30日の歌舞伎座閉場式があるためにカウントダウン時計はあと3日の表示になっている。夜10時近くに終演した後の食事のあとで戻って撮ったために真っ暗闇に電光掲示板が浮き上がった真っ黒の写真になってしまった。開演前に撮ればよかった(^^ゞ
ブログのお仲間やマイミクさんもたくさんいらしていたと思うが、あまりの大混雑に見つける余裕もなかった。
さちぎくさんとsakuramaruさんと終演後にデニーズへ。楽しいおしゃべりにあっという間に11時半になり解散。有難うございますm(_ _)m
ひとり歌舞伎座前に戻って撮影し、東銀座から上野乗換えで帰宅。京浜東北線がなぜか遅れていて帰宅したら夜中の1時半を回っていた。

30日の歌舞伎座閉場式のチケットはゴールド会員先行もなく、会員と一般の2日間の前売りだった。
携帯で頑張ってアクセスしたが、いつものような「ただ今、大変こみあっております。恐れ入りますが、しばらく後に再度ご入店ください」表示ではなかった。さらに凄い表示の「応答が得られませんでした。しばらくたってからもう一度操作してください」が画面に出る。
チケットウェブ松竹のキャパオーバー状態になっていたようだ。

まぁ、儀式中心の企画だろうし、歌舞伎座通いも浅い私なので、もっと長く愛された皆さんに参加していただくのが筋だと思うのであっさりあきらめた。
ブログ仲間の皆さんでチケットGETされた方もいらっしゃるので、レポアップを楽しみにさせていただくことにしよう。

次は第二部で残っている「三人吉三」の感想をアップ。

10/04/24 御名残四月大歌舞伎(4)中村屋の「三人連獅子」、藤十郎の「藤娘」

2010-04-28 15:32:34 | 観劇

第一部の「三人連獅子」と第二部の「藤娘」をまとめてアップ。
【連獅子】長唄舞踊
2007年10月に新橋演舞場での中村屋親子の「三人連獅子」を初見。その舞台がシネマ歌舞伎になっているのだが、そちらは未見。筋書の上演記録をみると、8年前から3人で踊っていて今回で本興行では7回目、うち歌舞伎座では2回目。まさに歌舞伎座さよなら公演での連獅子といったら中村屋しかないだろう。
今回の主な配役は以下の通り。
狂言師後に親獅子の精=勘三郎
狂言師後に仔獅子の精=勘太郎、七之助
僧蓮念=橋之助、僧遍念=扇雀

三人の狂言師として登場する前シテの踊り。勘三郎の表情が終始厳しい。師匠格の狂言師として弟子ふたりに厳しい指導をしているように見える。親獅子が仔獅子を千尋の谷へ突き落して待つが、なかなか上がってこないので「あら育てつる甲斐なしや」と八の字眉の表情で落胆する様子。子育てや弟子育成の真摯さと落胆の感情にも見える。「わかるわかる」という気持ちになるのは私も今の年になっているからかもしれないなぁと思いつつ観ていた。

谷底にみたてた花道で休んでいた仔獅子たちが水に映った親獅子の姿に勇み立って駆け上がり、三人揃って舞う姿の美しさ。勘太郎のしなやかな身体の動き、七之助のきびきびした動きに見事に対抗する勘三郎!
胡蝶に誘われて花道に引っ込んだあとが間狂言。時宗の僧遍念と法華の僧蓮念の宗論を今回は睡魔にも教われずに楽しめた。やがて獅子の出現の気配にふたりの僧は山を下りる。
いよいよ後シテの獅子たちの花道の出。3階1列目でも見えない~。これは舞台写真で補った(^^ゞ
舞台に出た親獅子と仔獅子の精の足拍子が見事に揃う。髪洗いから毛振りへ。これも見事に3人が揃う。前回観た時は七之助が最後にくずれてきたが、今回はしっかり最後まで揃う。40回でテンポアップ、50回でもテンポアップしていくが60回までしっかり揃った。観ている方もテンションアップ!!
腰でしっかり回している勘三郎と勘太郎に比べれば、七之助は身体全体を使って回しているのがけっこう目立つが、まぁ揃っているからご愛嬌か?!

中村屋親子の頂点を極めたような「三人連獅子」は、歌舞伎座の最後の公演に実にふさわしい一幕だった。

【藤娘】長唄舞踊
「藤娘」は2008年10月に芝翫が傘寿で踊ったのを観て以来。
一部二部を通し、「寺子屋」「三人吉三」を観た後なのでさすがに睡魔との闘いとなる。
大津絵に描かれた藤の精が抜け出して踊るという「藤娘」。藤十郎の「藤娘」は、年齢を超越した、まさに人間離れした可愛さである。近江の大津にふさわしく、上方らしいはんなりした風情も好ましい。
踊りの動きは大したことがないと思ったが、松の大木の裏手に引っ込んでは衣裳を次々に変える。地色は黒色→橙・緑→藤色→引き抜いて赤色へ。帯ともどもに大きな藤の花の模様がとりどりに描かれている。着替える度に眠気から覚めて感心して見てしまう。ここぞというところで次々に絵になって極まるのが実に可愛いのだ。

歌舞伎座の最後の公演で「藤娘」で藤十郎が踊ったということが大事になるだろう。とにかくまいりました!と感心しきりの幕切れだった。

写真は、お土産コーナーの歌舞伎座グッズから「かぶきっこ」シリーズのクリアファイル。
4/24御名残四月大歌舞伎(1)「御名残木挽闇爭」
4/24御名残四月大歌舞伎(2)初めて堪能できた「熊谷陣屋」
4/24御名残四月大歌舞伎(3)菅原伝授手習鑑「寺子屋」

10/04/24 御名残四月大歌舞伎(3)菅原伝授手習鑑「寺子屋」

2010-04-27 23:59:30 | 観劇

今月の第一部の「熊谷陣屋」ともどもに子どもをお身替りにして首を差し出す悲劇つながりということで、「寺子屋」の感想を続けてアップする。
「寺子屋」は5回目。2006年の秀山祭「NHK古典芸能鑑賞会」2007年の12月歌舞伎座、2008年11月歌舞伎座(未アップ)と観てきた。
今回の「寺子屋」は、先月の「菅原伝授手習鑑」の半通し上演を踏まえて観ることになる。

【菅原伝授手習鑑 寺子屋】
今回の主な配役は以下の通り。
松王丸=幸四郎 千代=玉三郎
武部源蔵=仁左衛門 戸浪=勘三郎
園生の前=時蔵 菅秀才=金太郎
涎くり与太郎=高麗蔵 百姓吾作=錦吾
春藤玄蕃=彦三郎

冒頭の寺子たちの手習いの自習中に、涎くり与太郎が菅秀才にたしなめられ、他の子どもたちにも馬鹿にされて苛められるというチャリ場は実は重要。そこに戻ってきた武部源蔵の不機嫌至極な様子の対照が、これからの悲劇の幕開けを印象づける。
仁左衛門の芝居が実にわかりやすいので、冒頭から「寺子屋」の世界にしっかり入っていける。勘三郎は第一部で喉を使っていないためか女方の戸浪の声がいつもよりはかすれ具合がましなのがよい。源蔵の恐ろしい計画を聞いてたじろいだものの、菅丞相への恩義のためと割り切って夫への協力を約束する。普通は共感しにくい設定なのだが、先月の「筆法伝授」で源蔵夫婦と菅丞相の関わり、菅秀才を背負って落ち延びさせた件を観たばかりなので、寺子はわが子同然なのにその命を奪って忠義をつくさなければならないと嘆きつつ決意を固める源蔵夫婦の姿に気持ちが寄り添っていきやすい。義太夫の「せまじきものは宮仕え~」が重なっていく場面はすごいと思った。

毎回「筆法伝授」つきで観るのは退屈しそうだが、「寺子屋」だけで観る場合、役者の台詞だけで想像しなければならない。前段の物語を観客が承知していることでドラマを深く味わえるわけで、見取り上演中心の時代ではあっても通し上演企画もうまく盛り込んでもらいたいと思った。

幸四郎の松王丸は百日鬘に病鉢巻をしめて黒地に雪持ちの松の衣裳で登場。貫目があっていい。赤っ面の彦三郎の春藤玄蕃と並んで寺子の顔あらためも退屈しない。
源蔵内に入っての対峙の緊張感も素晴らしい。松王丸にプレッシャーをかけられて、源蔵が一気に小太郎の首を打つ覚悟を固めるところの仁左衛門の気持ちのため具合、その反動の効いた瞬発力の大きさがメリハリのはっきりした芝居が堪らない。
奥で源蔵が首打つ気合声が聞こえた時の松王の切ない表情も要チェック。首実検の場面は幸四郎の見せ場でもあるが、全身を張り詰めて見守る仁左衛門の源蔵とのバランスが絶妙。

首実検を乗り越えてホッとして喜ぶ源蔵夫婦に次の試練がやってくる。小太郎の母の千代が迎えにきたのだ。玉三郎の千代は登場から凛としていて美しい。仁左衛門の源蔵が隙をみて斬ろうとし、「ハハ」「ホホ」とお互いを諮る場面もゾクゾクもの。源蔵が振り上げる刀を文庫でしのぎ、手習い帳やら紙などを投げつける場面は、桜姫が清玄の出刃包丁に経文を投げつける場面を彷彿とし、歌舞伎ならではの絵になる演出だなぁと感心。また千代に戻って「若君菅秀才のお身替り、わが子はお役にたちましたか」「まだか、それが聞きたい」と極まる立女形の見せ場。文庫に入った経帷子に南無阿弥陀仏の六字の旗を示して握り締めながら覚悟の仕儀だとのくどき。

源蔵の門口から短冊の結ばれた松の枝が投げ込まれ「倅はお役にたったぞ」と松王が登場。敵と思っていた松王の本心が吐露される。仁左衛門と対峙する幸四郎の口跡はあきらかによく、松王丸の悲劇がくっきりと浮かび上がる。
三つ子の兄弟に生まれながら自分だけ時平に仕えたための菅丞相の敵方として憎まれた苦しい心情を「なにとて松のつれなかるらん」と思いやってくれた丞相の恩に報いるために小太郎を身替りに差し出したという。丞相流罪の責めを負って切腹した弟の桜丸の悔しさを思いやって泣き、「その叔父御には小太郎が会いまする」という千代の慰めの言葉!この松王夫婦の背負う悲しみの大きさに胸がつまる。こういう悲劇の松王には幸四郎は実にニンだと思う。

源蔵夫婦がわが子同然の寺子をお身替りにするつらさを嘆いたが、実の子どもをお身替りにした松王夫婦のつらさ悲しさの比ではない。ここに忠義を貫く二組の夫婦の悲劇を同心円で増幅させるという作劇の工夫の凄さにも感心至極。

自分のために犠牲になった子どもがいたことを菅秀才は嘆いてくれ、そこに松王が探し出してきた園生の前を菅秀才と引き合わせる。二組の夫婦に目がいっているとついつい忘れがちになるのだが、永久に別れ別れとなった松王親子との対照がきかせてあったと今回ようやく気がついた。時蔵の園生の前に存在感があって、玉三郎の千代との対照が浮かび上がる。
「熊谷陣屋」の相模と異なり、夫とともに覚悟を決めた千代。二つの狂言の母親の対照も浮かび上がる。これだから歌舞伎の世界は奥が深い。

夫婦2組の主の母子による小太郎の野辺送り。「いろは送り」の義太夫にのせて「菅原伝授手習鑑」の世界がしめやかに締め括られる。
歌舞伎座さよなら公演の中での「加茂堤」「車引」「賀の祝」「筆法伝授」「道明寺」を思い出す。やはり名作狂言だなぁという思いつつ、今回の「寺子屋」が歌舞伎座での上演締め括りにふさわしかったと大きな満足を得られたのが有難いと思う。

写真は、公式サイトより御名残四月大歌舞伎のチラシ画像。
4/24御名残四月大歌舞伎(1)「御名残木挽闇爭」
4/24御名残四月大歌舞伎(2)初めて堪能できた「熊谷陣屋」

10/04/24 御名残四月大歌舞伎(2)初めて堪能できた「熊谷陣屋」

2010-04-26 23:59:53 | 観劇

義太夫狂言の「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」は、「熊谷陣屋」だけでなく「組討」なども観ているのだが、これまではどうにも感想を書く気が起きなかった演目。
Yahoo!百科事典の「一谷嫩軍記」の項はこちら
今回初めて感想を書く意欲が湧いたので、しっかりアップ!

【一谷嫩軍記 熊谷陣屋(くまがいじんや)】
以下、公式サイトよりあらすじと今回の配役をほぼ引用、加筆。
熊谷直実(吉右衛門)が自らの陣屋へ戻ってくると、堤軍次(歌昇)と国元にいる筈の妻の相模(藤十郎)が出迎える。熊谷は妻を叱り、一子小次郎の働きや平敦盛を討ちとったことを告げると、敦盛の母、藤の方(魁春)が熊谷に斬りかかる。これを止めた熊谷は、敦盛の最期の様子を物語る。
そこへ源義経(梅玉)が亀井六郎(友右衛門)、片岡八郎(錦之助)、伊勢三郎(松江)、駿河次郎(桂三)を引き連れて敦盛の首実検にやって来る。熊谷が敦盛の首を差し出すと、驚く藤の方と相模。義経は敦盛の首と言うが、実は小次郎の首。義経は「一枝を伐らば一指を剪るべし」という制札に託して後白河法皇の落胤である敦盛を救うよう熊谷に命じていた。ここへ梶原平次景高(由次郎)が現れ義経が敦盛を救った事を頼朝へ言上すると駆け出すところへ、石屋の白毫弥陀六(富十郎)が石鑿を投げ、梶原は絶命。弥陀六が平宗清であると見抜いた義経は、救った敦盛を預ける。そして義経の前に進み出た熊谷が兜を脱ぐと...。

今月の第二部の「寺子屋」ともどもに子どもをお身替りにして首を差し出す悲劇なのだが、母の相模はそのことを事前に知らされない。原作(人形浄瑠璃では今も)では夫婦して出家するのを九代目團十郎が熊谷のみが剃髪、出家というようにしたらしい。→All Aboutの「熊谷陣屋」の記事はこちら
これまで観た熊谷は、吉右衛門の時も幸四郎の時も時代物の台詞回しが口にこもるので聞き取りにくく、どうにも物語りに入りにくかった。今回はようやくなんとか聞き取れたのと、藤十郎の相模とのやりとりが実に大芝居で、ぐいぐいと引き込まれた。藤十郎の相模が小次郎への思いに引かされて、夫の戒めを破ってはるばる東国から京の都の陣屋まで来てしまったという母親像を浮かび上がらせる。さすがに藤十郎だと思った。

実はここがこの芝居のポイントになるということに今回初めて気がついた。「寺子屋」の千代のように夫が子を身替りに死なせるということを聞き分けるような女ではないのだ。だから熊谷は一人でこの悲しい計略をすすめてしまうし、陣屋に押しかけてきた妻を罵倒するまで不機嫌になるのだ。
宮中の官女だった相模は熊谷と不義密通して身ごもってしまい、後白河院の寵愛を受けている藤の方の口添えで東国で一緒になることができたという過去がある。熊谷もいくら主の義経が命じたこととはいえ、恩ある藤の御方の産んだ院のご落胤を助けるためだからこそ、自分の子どもを身替りにする決断をしたのだと思う。
しかしながら事前に相模を説得することはしなかった。そのことを心苦しく思う熊谷の心持ちを今回ほど感じ取れたことはない。藤の御方に首を見せよと相模に命じ、首桶の蓋を開けるまで相模を息をつめたようにじっと見つめる吉右衛門の熊谷の思いつめた姿に驚き、一気にこの男の悲しみ苦しみに打たれてしまった。それからの藤十郎の相模の驚きと煩悶にも心を揺さぶられる。

身替りの計略を頼朝に注進しようとする梶原を成敗した白毫弥陀六の富十郎の芝居も堪能。さよなら公演の大顔合わせで「熊谷陣屋」の面白さが一気にわかってしまって嬉しさをかみしめる。

最後に、暇乞いをゆるされた熊谷が一人で出家の姿に変わり、黒谷(浄土宗)へ向かうのだが、相模はただただ打ちひしがれている。熊谷は相模には合わせる顔がないので、顔をそむけ、ただ一人この世の無常さを嘆き、悲嘆の涙にくれながら、走り去っていく幕切れ。

吉右衛門の抑制を効かせた悲嘆の熊谷は実に大悲劇の主人公にふさわしく、鼻をすすりながらの泣き顔に私もついついもらい泣き(T-T)
しかしながら、舞台の上に取り残された妻の相模の悲劇にも今回はあらためて焦点をあてて観ることになり、子を失うことで夫婦がそれぞれの悲しみを共有することもなく別れていくという「男の独りよがりの美学」的な演出の功罪を感じることにもなった。
九代目團十郎に言いたい!「熊谷の悲嘆振りが際立つけれど、その分やっぱり相模が可哀想すぎるよ~」

写真は歌舞伎座正面の御名残四月大歌舞伎の垂れ幕。手前にカウントダウン時計が見える。
4/24御名残四月大歌舞伎(1)「御名残木挽闇爭」

10/04/24 御名残四月大歌舞伎(1)「御名残木挽闇爭」

2010-04-25 23:59:45 | 観劇

歌舞伎座さよなら公演もいよいよ最終月。父の三回忌で親族で集まってということがあったので、今月もリピートなしで各部1回ずつの観劇。終盤の24日に一部二部を通し、千穐楽の三部と、2日のみで本当に現歌舞伎座とはおわかれになる。
【御名残木挽闇爭(おなごりこびきのだんまり)】
以下、公式サイトよりあらすじと今回の配役を引用、加筆。
冒頭、團蔵の半沢民部がこの場の仕儀を語り、浅黄幕が切って落とされる。
霊鳥鳳凰が晴海ヶ浜に舞い降りる霊夢を見たという頼朝公の命により、木挽町に八幡社が勧請され、新たに舞台造営の柱立てが行われるという晩のこと。奉行を命じられた工藤祐経(染五郎)に、工藤を仇と狙う曽我十郎(菊之助)と五郎(海老蔵)兄弟が、小林朝比奈(勘太郎)、片貝姫(七之助)、鬼王新左衛門(獅童)、秩父庄司重忠(松緑)、大磯の虎(孝太郎)、小林舞鶴(時蔵)らとともに対面を果たします。更に、悪七兵衛景清(三津五郎)、典侍の局(芝雀)が現れ、一同は源氏の白旗、重宝友切丸、絵面図を互いに探り合う。

歌舞伎座が建替えられて、3年後の新劇場もご贔屓にという御名残公演にちなんで若手を中心に曽我物仕立てで見せる「だんまり」の一幕。
時蔵の小林舞鶴が女だてらの大力ぶりを発揮して柱立てを見せ、その後「おお恥ずかし」とやるのは先月の「女暫」と重なって心憎い。女方では時蔵、立役では三津五郎が芯になって花形が並ぶという、これからの世代への期待を誘う一幕だった。
現歌舞伎座の横長の舞台に綺麗な衣裳で花形が並んだところは忘れがたい美しさ。いやぁ、眼福、眼福といったところだ。

第一部はチケットとりで頑張った娘と並んで3階1列の花道の真上席で観る。第二部は玲小姐さんと並んで3階1列目ほぼセンター。大阪から遠征のかずりんさんと一部と二部の間はプロントでお茶会。幕開きのだんまりで誰に目が引きつけられたかという話題でまず盛り上がる。かずりんさんとわが娘は、全く別の話題(二人ともあるバンドのファンということ)で年齢差を越えて盛り上がる(笑)30分の短時間がこれだけ充実すれば文句なし。
第二部終了後は、玲小姐さんの娘さんと待ち合わせして、わが娘も秋葉原で時間をつぶしてきて合流。タクシーで築地場外へ鮨を食べに行く。

「築地 すし一番」というカウンターのお店で娘は10貫セット、私は白物・光物8貫セットを注文。その後、一品ずつ注文。娘はしっかり大トロも注文。私は脂がきつくて苦手なので、端っこを少し千切って一口食べたが、やっぱりダメだった。安上がりの私であった(^^ゞ
おつきあいいただいた皆様、楽しい時間を有難う。

写真は、歌舞伎座正面のカウントダウン時計。24日であと7日!

10/03/28 歌舞伎座御名残三月(7)菅原伝授手習鑑「道明寺」千穐楽

2010-04-23 23:59:28 | 観劇

「菅原伝授手習鑑」の通し上演が少ないことについて考えたことを先に書いてみた。第三部は千穐楽の観劇。順不同になったが「道明寺」で締め括ろう。
【菅原伝授手習鑑 道明寺】
2006年3月の「道明寺」の感想はこちら
今回の主な配役は以下の通り。
菅丞相=仁左衛門 覚寿=玉三郎
苅屋姫=孝太郎 立田の前=秀太郎            
宿禰太郎=彌十郎 土師兵衛=歌六             
奴宅内=錦之助 贋迎い弥藤次=市蔵
判官代輝国=我當

今回の「道明寺」は13代目仁左衛門と14代目勘弥の追善狂言と銘打たれ、玉三郎が覚寿を初役で出ることが話題となった。私がリクエスト投票で書いた時は玉三郎の苅屋姫を想定していたし、予想外。玉三郎は歌舞伎座さよなら公演で六世歌右衛門がつとめたお役をつとめるということを何かで書かれていた。三婆のひとつ覚寿をつとめるという覚悟に立女形の集大成の時期に入ってきたのだなぁと深い感慨を抱いてしまった。

「加茂堤」でも書いたが、孝太郎の苅屋姫が押し出し良くなってきて赤姫が似合うようになってきた。秀太郎の立田の前との姉妹のやりとりも情感があってよい。そこに玉三郎の覚寿が登場しても、先月の「ぢいさんばあさん」で見慣れているからか老女姿の玉三郎に違和感なし。「杖折檻」で前回は芝翫の台詞がききとりやすいものではなかったのだが、玉三郎はしっかりと語ってくれて実の母と娘のドラマが立ち上がってきてここぞ見せ場なのだとよくわかった。

歌六の土師兵衛と彌十郎の宿禰太郎の父子による謀議を物陰から聞いてしまい、思いとどまらせようとする秀太郎の立田がいじらしい。彌十郎の太郎がなかなか愛嬌があるので立田の前が夫への愛情をにじませるのも無理がないと思わせる。しかしながら父の指示を優先させる太郎に殺される立田は実に哀れだし、最後に覚寿に成敗される太郎もちょっと可哀想な感じがしてしまう。
大宰府に向かう前に伯母の覚寿に暇乞いにきた菅丞相。自らの姿を写した木彫りの坐像は、今回見ると北陸で飾られる像にそっくりだとあらためて思った。その像に魂がこもったことから何度も起きる奇跡。贋の迎えに応じて輿に乗る菅丞相を演じる仁左衛門の人形の動きにも目が釘付け。人間の時と人形の時の演じわけも。仁左衛門贔屓はしっかりチェックしてしまうだろう(笑)

立田の前の姿が見えなくなって家来たちが探し回り、奴宅内が池の渕の血糊を見つけて池に潜る。この宅内を錦之助がというのが意外で嬉しい。濡れ衣を着せられての情けない顔もキュート!(^^ゞ
一転、覚寿が真相を見抜き、太郎を成敗。覚寿の気丈さを立女形の芝居で玉三郎がしっかり見せてくれた。本当の護送役の判官代輝国の我當が堂々としていい。三兄弟と孝太郎の松嶋屋が揃って立派な追善狂言となった。

出立の前の仁左衛門の芝居。前回は上手の部屋の障子があいて池を見込んでの思い入れで落涙という感じだったが、今回はその前の台詞から涙があふれる。自分が暇乞いにこなければ伯母は娘も婿も失わずにすんだろうと嘆いて涙するのだ。

そして今回幕切れで初めて気がついたこと。覚寿が苅屋姫を隠した籠に小袖をかけて丞相に餞別と渡したのは、最後に二人に別れをきちんとさせようとしたのだと思っていた。しかしながら姫は斎世親王のもとには行けないのだし、丞相に姫を伴わせようとしたのだ!
その気持ちも受けとめながら、丞相は老いて姉娘を亡くした伯母御の側にこそ妹娘を残すことにした。親と子の別れだけではなく、伯母と甥の別れの情が通い合いが重なる幕切れなのだとわかった。当代仁左衛門と玉三郎のコンビの芝居でこそ見えてきたことだ。

学者にふさわしく理性で自らを制し、娘ではあれ罪を犯した者を見ないで行くのだというふうに頑なに姫と顔を合わすまいとする丞相。しかし、顔を隠した檜扇を娘に形見として与え、その見せない顔は涙に濡れている。最後の最後、顔の表情の見えるぎりぎりのところでついに振り返ってしまい、道真の感情が理性をふりきるところを見せる。その別れがたい思いを振り切るように、袖を巻き上げて去っていく。
双眼鏡で仁左衛門の涙につられて私も滂沱の涙があふれてしまう。神のようで人間味が垣間見える仁左衛門の菅丞相。歌舞伎座での最後という思いもこめて忘れることはできないだろう。
写真は、歌舞伎座のロビーにあった13代目仁左衛門17回忌と14代目守田勘弥37回忌の追善の供養台を携帯で撮影。2階ロビーの展示コーナーにあった勘弥が着た覚寿の被布はこちら。女方の舞台写真で玉三郎が驚くほど似ていると思えたものもあった。
3/22御名残三月大歌舞伎(1)菅原伝授手習鑑「加茂堤」
3/22御名残三月大歌舞伎(2)菊吉の「楼門五三桐」
3/22御名残三月大歌舞伎(3)玉三郎の「女暫」
3/22御名残三月大歌舞伎(4)菅原伝授手習鑑「筆法伝授」
3/22御名残三月大歌舞伎(5)菊吉の「弁天娘女男白浪」
3/28御名残三月大歌舞伎(6)天王寺屋父子の「石橋」千穐楽

10/03/28 歌舞伎座御名残三月(6)天王寺屋父子の「石橋」千穐楽

2010-04-22 23:58:43 | 観劇

千穐楽第三部の先の演目「道明寺」の感想は明日ゆっくり書く(→アップ済!)として、先に「石橋」を書く。
【文珠菩薩花石橋 石橋(しゃっきょう)】長唄舞踊
以下、公式サイトよりあらすじと今回の配役をほぼ引用。
宋の時代、寂昭法師(幸四郎)が中国の清涼山に至り、石橋の目前で、樵人(富十郎)と童子(鷹之資)に出会う。二人が石橋の由来を詳しく語るので、寂昭法師が何者か尋ねると、樵人は自分は文珠菩薩の遣いの獅子の精であり、童子は自らが文珠菩薩であると言って姿を消す。そこへやってきた諸国廻行の修験者(錦之助)が近くに住む男某(松緑)に呼び止められ、石橋の奇瑞について話していると俄かに山々が鳴動するので逃げだす。
やがて文珠菩薩(鷹之資)と獅子の精(富十郎)が厳かにその姿を顕し、咲き誇る牡丹の花に舞い戯れた獅子は、やがて獅子の座へと戻る。

富十郎の子息・鷹之資は読売新聞の広告で「僕が継ぐ」というようなキャッチコピーで舞台化粧中の白塗りの丸顔のアップが日本人形の童子のようで実に可愛かったという印象が強い。父子で踊った「五條橋」「鳥羽絵」を観ている。
昨年5月の矢車会の「勧進帳」の時は富十郎が傘寿ということもあって、TVで特別番組が組まれて父と子が公演までをどう取り組んだかというドキュメンタリーをちょっとだけ見た。録画もしたのだが、ビデオテープが不調でちゃんと観ることができないでいるのが残念。
そのちょっとだけ見た中でも鷹之資を連れて富十郎が能楽師のところで能の子方の仕舞のすり足を教えてもらいにいっているところを見て感心したものだ。能では義経を子方が演じるが、それを踏まえて父子で共演したのだ。

初世富十郎より「獅子物」をお家芸としてきたということで、歌舞伎座さよなら公演でも父子で「石橋」を踊るという。能の「石橋」がもとになってはいるものの歌舞伎舞踊としてさまざまな作品が生まれている。
今回は松羽目の舞台で能のようにでかなり動きを抑えた舞踊劇になっていた。後シテになっても衣裳もシンプルで動きもシンプル。富十郎が激しい動きが難しいのだろうとも思う。獅子の毛振りもないし、所作台を足で踏み鳴らすのも鷹之資が頑張っていた。これはこれで仕方がないだろうと納得した。

それよりも瞠目したのは、鷹之資がしっかり踊ってくれていたことだ。仕舞をきっちり習っていたことが身についているのだろう。リズミカルに踊るよりもこういうぶれずにゆっくりと極めるところはちゃんと極めてという踊りの方が難しいのではないかと推測。
父と子の歌舞伎座での最後の舞踊として立派なものだったと思う。
「道明寺」で泣かされてしまった後だけに、こういう明るい舞台で打ち出されるのもいい気分になっていいものだ。

写真は、1階下手売店で買ってきた歌舞伎座グッズ。実は、私の目の前でお母さんらしき人と一緒にグッズを見ていて小学生くらいの女の子が買っているのを見て、私もいいなぁとつられて買ってしまったもの。隈取デザインの入った巾着袋は2サイズで何色かあったがピンク色の地に赤い隈取が綺麗。定式幕の色の歌舞伎座の建物のデザインと隈取が入ったハンカチもけっこういいかも!と反応してしまった。「おやこ」つながりでこちらにアップしておこう。
3/22御名残三月大歌舞伎(1)菅原伝授手習鑑「加茂堤」
3/22御名残三月大歌舞伎(2)菊吉の「楼門五三桐」
3/22御名残三月大歌舞伎(3)玉三郎の「女暫」
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