東日本大震災は日本の演劇界にも激震を走らせた。影響を受けたエリアの劇場の当日や翌日の公演は中止となり、その後も大きな影響が出ている。
当初12日の夜の部で観る予定にしていたNODA・MAP「南へ」も中止となり、28日に当日券で観てきた。先に16日の夜の部で職場の観劇企画を決行した時のご報告からアップしたい。
余裕があまりないのと、職場の皆さん向けに書いた緊迫感もわかっていただけるように、労組の電子掲示板に掲載された報告書よりほぼ抜粋の形にさせていただく。
【日本人のへそ】
こまつ座第九十三回公演 テレビ朝日共同主催・Bunkamura提携
井上ひさし・作 栗山民也・演出
小曽根真・音楽 謝珠栄・振付
冒頭の写真は、縦に開く今回の公演のチラシの内側のデザイン。
<観劇企画のご報告 井上音楽劇の原点『日本人のへそ』>
1.実施方法
渋谷東急Bunkamuraシアターコクーン公演を3/16(水)夜の部で観劇。終演後、感想会も実施した。
2.企画について
お正月の国立劇場歌舞伎公演の観劇企画を参加者に喜んでいただき、今回は8人参加で企画。ところが3/11の東北関東大震災で状況が一変した。物流関係の方から「泊まり込み体制になっていてとても行けそうにない。代わりにどなたか観てください」というメールを皮切りに、「○○の物流センターに徹夜の応援要請を受けた」「計画停電の混乱で電車が動いていない区間なので出勤できない」と連絡がきて幹事は大混乱。
影響のあるエリアの演劇興行は、国立劇場が3月の公演は全て中止となったが、商業演劇全般は震災当日と翌日の公演は中止になったものの以降の公演は続行されている。こまつ座も同様だが、相談しようにもいつもの営業部と電話がつながらずにどうしようかと逡巡。こういう時だからと何事も禁欲的になるのは違うと判断し、代わりに観てくれる方を探して企画を成立させる努力をしようと決断した。その結果、ぎりぎりの時間にピンチヒッターのお二人を含めて5人でなんとか労組の自主交流企画として成立。
終演後、食事をしながら交流し、初めての顔合わせという同士も含め演劇鑑賞歴の長短はあるものの、演劇という文化のもつ力をあらためて認識できる機会となったと思う。
3.参加 5名
4.感想(5名全員分の中から私の分だけ以下に抜粋)
1969年という70年安保で世の中が高揚した時代、井上ひさしが34歳で舞台用の戯曲を初めて書いたのがこの作品。井上作品は初期のものから音楽という要素が重視されている。生前最後の作品となった
「組曲 虐殺」(小林多喜二の評伝劇)でジャズピアニストの小曽根 真が初めて作曲・演奏で組んだが、今回の「日本人のへそ」再演は小曽根が全曲を書き下ろした話題の舞台だった。
私はこの戯曲をかなり以前に読んでいる。初期の作品は猥雑なストーリーをものすごいテンポで展開していくものが多く、近年は蜷川幸雄も好んで演出しているくらいだが、この作品もストリッパーが主人公ということで妙に納得した記憶がある。栗山民也演出の今回の舞台は、小曽根 真の起用や日本の演劇界から幅広く実力魅力のあるキャスティングで贅沢な舞台になることは予想していたが、一幕から三幕までワクワクさせられっぱなしだった。いつもながら、井上ひさし戯曲の言葉を最大限に活かしきる舞台になっていて、実に満足した。
先月は同じシアターコクーンで三島由紀夫の対になった戯曲の二本立て
「ミシマダブル」を観た。三島という人間は大嫌いだが、戯曲の素晴らしさは痛感したところだった。日本の現代演劇の二大作家が井上、三島であり、価値観は正反対の人間が作品としてはそれぞれが素晴らしいというのがまた実に興味深い。人間というものの奥深いところだと思う。
人間というものは愚かなところも素晴らしいところも多面的な存在であるということに、近年になって気が付いて人生がより深く味わえるようになったと思う。私にとってそのための重要なツールが演劇なのだ。職場のお仲間とまた何か機会をつくってご一緒させていただけると有難いと思う。
今回の報告書は「企画について」という部分をあえて加えた。その中にもあるように、流通業関係の職場でもあり、震災直後から職場全体は臨戦態勢となった。その中であえて観劇の企画を中止せず、観に行ける人をまとめて決行したという気持ちをわかっていただきたかったからだ。日頃お世話になっているこまつ座さんとの関係もあるが、こういう事態の中で禁欲的にすべてを自粛するムードに染まる必要はないのだと胸を張りたかった!
震災直後から、私の資料室の業務として「阪神・淡路大震災の時の対応」「チェルノブイリ原発事故の時の対応」等についての当時の資料の問い合わせが相次ぎ、後方支援をつとめている。
持ち場持ち場で役割を果たすこと、身体が動く人は現地支援にも行くこと、私のように持病もちは皆さんの足を引っ張らないこと、地域のボランティアへの協力、募金への参加、等々、被災地の皆さんに気持ちは寄り添いながら支援のあり方は多様でいいのだと思う。
私も無理せずに自分でやれることをやり続けていくつもり。