ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

11/08/20 第9回亀治郎の会「芦屋道満大内鑑」達筆な曲書きに大満足!

2011-08-29 23:59:54 | 観劇

昨年初めて「第8回亀治郎の会」を観て実に面白かったので、ラスト宣言されている第10回までしっかり観る決意を固めている。
昨年から「亀治郎の会、面白かったよ~、第10回までしかないよ~」と観劇仲間に吹聴し、8/20昼の部を4人で観劇し、その後は四ツ谷お岩稲荷などを散策する企画となった。

国立劇場大劇場のロビーでまずは筋書売り場に直行。あれあれ面白い企画もあるようだ。直筆サイン入りのものは5000円で通常版は1500円でということで、昨年の一律2500円からするとメリハリの効いた配置になっている。私は通常版にしたが、サイン入りの宣伝看板を撮影しておいた。「走り続ける勇気2011かめじろう」と書いてあるようだ(冒頭の写真がその看板)。

しかしながら「葛の葉」という演目選びには、昨年の演目「四の切」(今年5月の明治座でも)に続き、またまた狐ものかぁという感じももっていた。ところがそれを裏切ってくれるのがやはり亀治郎だ!

【芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ) 葛の葉】
Yahoo!百科事典の「芦屋道満大内鑑」の項はこちら
私が文楽デビューしたのが国立劇場小劇場2005年9月公演のこの演目の「葛の葉子別れの段」で、さらに今年の2月公演ではその後の景事の「蘭菊の乱れ」の上演もあった(いずれも感想未アップm(_ _)m)ので、それを踏まえて観ることができたのが収穫。
今回の主な配役は以下の通り。
女房葛の葉/葛の葉姫=亀治郎
安倍保名=門之助
信田庄司=段四郎 妻柵=竹三郎
            
陰陽師安倍保名の家に信田庄司夫婦が葛の葉姫を伴って訪ねてきて、保名に助けられた信太森の白狐が姿を変えた女房葛の葉が機を織っているところに遭遇してびっくりする。そのあたりの二役の早替りがまずは見せ場だが、亀治郎贔屓には実に楽しめる。門之助の安倍保名はニンに合っているし、信田庄司の段四郎といい、脇役に猿四郎をはじめとして澤瀉屋の一門が揃うのが嬉しい。
本物の葛の葉姫があらわれたことから葛の葉狐は身を引く決心をして、のちの安倍晴明となる童子との子別れの場になるのだが、子役がまた可愛いので一層切ない。

眼目の障子に書置きの一首を書きつける場面への転換が実に贅沢。保名の家の舞台装置が回って外廊下を葛の葉が文箱をもって急ぐ。侘び住まいのイメージだったのでちょっと立派なお家すぎる気もするが、そこはつっこまないでおこう。
「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」
最初は右の手でさらさらと書きだしたのを見て溜息が出る。これまで見た誰よりも達筆だ。寝ていた童子がすがりつくと抱き上げて空いている左手で続ける。これも素晴らしい!さらにむずかる幼子を両手にしっかり抱くと筆を口にくわえて「うらみ」からの一行を書き、最後に「ら」の字の点を手で入れて完成!!
松嶋屋の若旦那のブログで「亀治郎くん、本当に達筆」と書いていたのを読んだが、本当だと思った。もうこの字を書く場面だけで大満足してしまう。

その後、お定まりの真っ白な狐の衣装に変わることがないのも意外だったが、「四の切」とかぶる演出をしないというこだわりを貫いたように思える。
子別れの様子を陰から見ていた保名が、たとえ狐でも子までなした女房をそのまま行かせはせじと追っていくのを見て、書置きの一首はよく言われるように子どもにあてて書いたというよりも、愛する保名への想いを込めていることがよくわかった。

信田の森へと帰っていく葛の葉狐の旅姿に合点がいった。2月文楽公演の「蘭菊の乱れ」の場面の衣装(ポスター画像参照)と同じようなのだ。舞台の方を振り返りつつ、花道を引っ込んでいくというところに、かなりのこだわりを感じた。「蘭菊の乱れ」では、その後に引き抜いて舞台の上で狐としてのフライングの場面があるのだが、そこはなし。あとから筋書きをみて、この旅姿の連続写真が見開きページで入っていたことからみてもこだわりの強さがよくわかった。
まいりましたm(_ _)m

筋書には、日テレのドラマ「ブルドクター」の撮影の合間を縫って、日帰りで「信太森葛葉稲荷神社」にも行ってきたレポが掲載されている。

8/30写真追加:グッズ売り場にあった亀治郎の押し隈。「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」の時のもののようだ。

後半の「博奕十王」の感想はこちら

11/08/27 お墓まいり+日帰り温泉+与野駅前通りのお祭り

2011-08-27 23:59:40 | つれづれなるままに

急遽、妹2夫婦の車で実家の母を連れて父のお墓参りのため、さいたま市営霊園「思い出の里」に行ってきた。猛暑の中の墓参りでダウンしても仕方がないし、お盆やお彼岸にはこだわらないのがウチ流。娘は寝違えて背中の痛みに耐えかねてお留守番だ。
その後の時間つぶしに近くのショッピングモールに行こうかという妹2の提案に私が難色を示す(^^ゞ、それじゃ道路際の看板が何か所も目に入ってきた日帰り温泉に行こうということになった。
「見沼天然温泉 小春日和」のサイトはこちら
北本の妹の家に遊びに行ってもよくスーパー銭湯などに行くのでその延長のノリだ。行ってみて正解だった。玄関から温泉のエリアにいく途中の廊下は庭に沿っていて、池には鯉も泳いでいる。

お風呂も中も露天風呂も広々としている。見沼田んぼだったところにある施設なので露天風呂から見える景色に近くのビルが目に入ることもない。源泉が38℃ちょっとの湯温なので、そのかけ流しの露天風呂に半身浴をしていると実にのんびりできる。そこにはTVもあるのがご愛嬌。先日の24時間TVの子どもの長縄跳びのギネス挑戦をやっていた。
今現在は、午前中なら半額キャンペーンをやっているということで、午前中は混むのだと聞いたが午後だったのでけっこう空いている。安全性のためということで5歳児以上でご利用ということになっていて、小さい子どもが騒ぐことも皆無であり、アラフィフ以上の私たちにぴったりだということになった。入ってすぐのところに足湯のコーナーもある。屋外の喫煙場と隣り合っているので、これならスモーカーの妹1夫婦と一緒にきても大丈夫だと妹2が言っていた。私は嫌煙家なので愛煙家への配慮が行き届かないが、なるほどねぇと思った。ただし、やぶっ蚊が出るので要注意。さっそく一箇所刺されてしまった。

足湯コーナーの奥、庭に続く境のところにはお稲荷さんの祠もあって、母がしっかり拝んでいた。

これからのお墓参りは「見沼天然温泉 小春日和」とセットできまり!!

実家に母を送る車からJR東浦和駅前で降ろしてもらって帰宅。与野駅西口の駅前通りでは毎年8月末の終末恒例の「納涼の夕べ」が開催されていた。何年か前には埼玉大学の学生グループのストリートダンスを見たっけなぁ。ちょうど小中学生の「与野鴻沼太鼓」の演奏中だった。バチさばきもなかなかで見応え聴きごたえ十分だった。父母会やOB・OGたちの指導で子どもたちも頑張っていた。こういう取り組みが地域であるのはなかなかいいものだ。
冒頭の写真が「与野鴻沼太鼓」の演奏風景。

11/08/13 花形歌舞伎第一部「花魁草」「櫓のお七」

2011-08-26 23:58:51 | 観劇

8/13(土)は第一部と第二部を通して観た。順は後先になるが、第一部の感想を書く。冒頭の写真は、新橋演舞場の3階通路の物置台に置かれていたミニ飾り皿。直径は7㎝くらいかな。可愛かったので思わず携帯で撮影(^^ゞ

【花魁草(おいらんそう)】作:北條秀司
あらすじと主な配役は公式サイトより引用、加筆。
江戸時代の終わり。安政大地震を生き延びた女郎のお蝶(福助)と大部屋役者の幸太郎(獅童)は、百姓米之助(勘太郎)に助けられた縁で、栃木にある米之助の家で間借りして生活をするようになる。米之助は二人に所帯を持つように勧めますが、昔、身も心も尽くした男に裏切られ、暗い過去をもつお蝶は、夫婦になることを躊躇していた。そこへ、猿若町の座元勘左衛門(彌十郎)や芝居茶屋の女将お栄(扇雀)がやってきて、幸太郎に芝居へ復帰することを勧める。二人は江戸へ旅立つが...。
他の主な配役は以下の通り。
米之助女房=芝のぶ お糸=新悟
五兵衛=市蔵 客孝吉=亀蔵
小料理屋女房=歌江 お八重=高麗蔵

獅童の地味な顔の拵えは、大河ドラマ「新選組!」の捨助を彷彿とする。大部屋役者役の時もそうだが、百姓家で達磨づくりの内職をしている時もそんな感じだ。さらに大人しく誠実そうな人物も実に可愛い感じになり、年上の女が惚れ込んでしまう男に無理なく見える。
女郎の年季の明けているのに行くところがなくて吉原で暮らしていたお蝶が福助。幸太郎と一緒に暮らして惚れているのに一線を引いていることを知った米之助が驚くと、過去に騙された男を殺してしまったことを打ち明ける。

それでも幸太郎の方から夫婦になろうと言われ、気持ちが動いた矢先に二人に訪れた転機。震災後に芝居町も復興し、お参りにやってきた一行の中で、大部屋時代の幸太郎に目をつけていたお栄(扇雀)が彼を目ざとく見つけ出す。若手の役者で代替わりをさせて華やかに興行を打ちたいと思っている座元をその気にさせて、幸太郎に声をかけさせたのだ。
もちろん幸太郎はお蝶と二人で幸せになるつもりで江戸行きを決めるが、お蝶は幸太郎が出世するのは嬉しいが、浮気でもしようものなら悋気のあまりに自分が過去と同じことをしてしまうかもしれないというおそれから密かに身を隠す決意を米之助に語り、実行する。

数年後、看板役者になった幸太郎が地方巡業の興行先に栃木を盛り込み、昔お世話になった人々に晴れ姿をみせようとする。江戸時代の物資輸送の中心は船であり、栃木の町にも掘割が走り、船乗り込みがある。それを人影から見守るお蝶。
「きっと観に行くからね。会いたいよ、幸ちゃん・・・・・・。幸ちゃ~ん!」と福助のお蝶が痛切に叫ぶ幕切れはしかし心の声なのだろう。

愛する男を思う故に身をひく、いじらしく切ない女を抑制を効かせて演じていて福助好演。獅童も前半と違って立派になった幸太郎が一途にお蝶を思う気持ちをみせて、実らない二人の愛の結末にちょっとホロッとさせられる。米之助夫婦の勘太郎・芝のぶコンビも面白く、脇役も揃ってけっこう面白く観ることができた。
タイトルになっている花魁草が途中で祠の傍に植えられるが、開花を楽しみにしていた二人が揃って見ることができないというのが哀しさを際立たせているのだろう。
「花言葉」のサイトで「花魁草」の項はこちら

【伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ) 櫓のお七】
2006年12月に文楽で観た「伊達娘恋緋鹿子~火の見櫓の段」の感想はこちら
「櫓のお七」は「松竹梅湯島掛額」で吉祥院お土砂の場と続けての上演で観ている(2006年演舞場2009年歌舞伎座)。この場面だけ単独で観るのは歌舞伎では初めてだと思う。
今回の主な配役は以下の通り。
八百屋お七=七之助 下女・お杉=芝喜松

二人が客席に降りて、いろいろとしゃべる歌舞伎の入れごとの大サービスありだが、なかなか舞台での芝居にかからない。早く肝心のものを見せてくれ~という感じか(^^ゞ
お杉はお嬢様の恋の取り持ちもしていて、お七の思い人のお家再興に必要な宝剣天国の在処を知らせ、さらに隙をみて盗み出して渡してくれるという脇役でも実に美味しい役だ。七之助は成駒屋のお七を継承しているのだろう。芝喜松のお杉との息もぴったりで、実に美しくて魅力的なお七を見せてくれる。
文楽人形の動きをなぞる「人形振り」。七之助の硬質な美しさと細身の身体が生きて、命をかけて恋を全うする娘の激情をほとばしらせるようで、ビジュアル的にもけっこう見応えあり。
そうか、第二部の人形を使う芝居とここでイメージをつなげているのかもと思い当った。

8/13花形歌舞伎第二部

11/08/13 花形歌舞伎第二部のG2新作はB級ホラー?!

2011-08-24 23:59:37 | 観劇

お盆も特に休みのない職場で、けっこう気合を入れた資料作りをしていたら本格的な眼精疲労となり、目が辛くてブログアップがなかなかできず(T-T)少しずつ書いていこうと思う。
まずは、八月花形歌舞伎第二部のG2作・演出の新作歌舞伎から。橋之助とG2がタッグを組んでの新橋演舞場芝居は、2006年の「魔界転生」と、2007年の「憑神(つきがみ)」を観ている。
さて、初の歌舞伎作品はどんなものか?

【新作歌舞伎 東雲烏恋真似琴(あけがらすこいのまねごと)】
あらすじと主な配役は公式サイトより引用、加筆。
御家人、藤川新左衛門(橋之助)は、堅物で廓に足を踏み入れたこともなかったが、初対面の花魁小夜(福助)に心奪われ、ひょんなことから身請けすることになる。小夜には、新左衛門の親友で、関口多膳(扇雀)という間夫がいたが、新左衛門に惹かれた小夜は、多膳に愛想尽かしをする。多膳は、吉原の大火事から逃げてきた小夜を、怒りにまかせて殺し、川に沈めてしまうが、新左衛門は小夜が死んだことを信じようとしない。そんな新左衛門のもとに、人形師左宝月(獅童)が作った小夜そっくりの人形が届き、新左衛門と小夜の人形との奇妙な生活が始まり...。
他の主な配役は以下の通り。
新左衛門母・お弓=萬次郎
弟・秋之丞(高橋家に養子)=勘太郎 
伊勢屋徳兵衛=亀蔵 お若=七之助
潮田軍蔵=彌十郎 人形師弟子・宇内=巳之助

日光東照宮の眠り猫でお馴染みの名工・左甚五郎の作った人形が生きているように動き出すという話は、歌舞伎の「京人形」や落語などでも下敷きにされている。それをさらに踏まえたのが今回の物語。
左甚五郎の子孫である宝月に潮田軍蔵が惚れ込んだ花魁小夜の人形製作を依頼したことから話が始まる。獅童の総髪の人形師左宝月が実に胡散臭そうでよい。その宝月の作品の等身大の人形ということで、お馴染みの女形のお役の扮装でお弟子さんたちが二段になってせり上がってくる舞台装置は見応えあり。舞台装置に凝って、回り舞台でスピーディな場面転換を図るところはG2新左衛門は小夜らしいと合点がいった。多くの脇役さんたちにも見せ場をつくるところも今風の新作歌舞伎らしい。

扇雀の多膳は、昔から馴染みの小夜の間夫であることに胡坐をかき、妻子があるのに小夜に執着を持ち続ける嫌らしさが面白い。素朴で誠実そうな新左衛門に小夜が心を移すのも無理はないが、そのことで小夜は殺されるはめになる。
吉原が火事と聞き、新左衛門は小夜を助けようと探しにいくが見つからない。そして思いつめて狂気に陥る。宝月が作った小夜の人形を小夜と思い込んで一緒に暮らし始める。
母・お弓は息子の狂気に家族や家来がつきあうことで、出仕してくれるようになったため、お家のためにみなで人形を嫁として扱う暮らしを強いる。
小夜人形は、ホリ・ヒロシの人形と思われるもので、橋之助の新左衛門と添い寝をする場面などはけっこうホラー喜劇っぽい。
新左衛門に想いを寄せる伊勢屋の娘お若は、父のゆるしも得て藤川家に住み込みで奉公を始めるが、新左衛門は一向に正気にならない。その姿が健気で観ているうちになんとか幸せになって欲しいという思い入れが湧いてくる。

小夜人形は不気味な動きをするようにもなり、途中で福助が人形っぽく入れ替わったりしてホラー喜劇っぽさを増幅させる。
多膳はお役で江戸を離れていたが、戻ってきて自分が殺したはずの小夜と新左衛門が睦まじく暮らしていると聞き、真相を突き止めにやってくる。二人のやりとりの中で多膳は小夜殺しを自白し、目の前にいるのは人形だと指摘されて激怒した新左衛門に多膳は殺される。

ホラー的悲喜劇は終わり、正気になった新左衛門とお若が結ばれると思いきや、新左衛門は家督を放り出して出家するという。
その旅立ちを花道スッポンで待っているのは・・・・・・福助の小夜!!なんと、やっぱり小夜人形に憑りついていたのは小夜の亡霊で多膳に復讐し、惚れた新左衛門と添い遂げる一念を貫いたのだった。
己が技量をふるった人形に魂が憑りついたことを誇るように、獅童の左宝月が舞台中央で二人の道行を満足そうに見送る幕切れ!
これって、結局B級ホラーになっちゃったんじゃん!!やっぱり夏芝居は怪談話が相場なのかと思いつつ、あまりの見応えのなさに少々がっかりさせられた。
実は「魔界転生」も「憑神」も3階B席で一回観れば十分という感じだったが、今回は休日でチケット確保が難しく3階A席で鑑賞。正面1列目だったので、お弟子さんたちの人形姿は堪能した。まぁ、新作歌舞伎応援で奮発したと思えばちょうどよさそう。
現代作家による新作歌舞伎ということでは、野田秀樹がやはり抜きん出ていることを今回も痛感させられた。

【夏 魂まつり(なつ たままつり)】
以下、公式サイトより引用、加筆。
 京の加茂川べり。如意ヶ嶽の山腹で焚かれる大文字の送り火を見るために、若旦那が芸者たちを連れ立ってやってきます。まるで幻のように夜空を焦がす炎を眺めながら、故人の精霊たちを思い、過ぎゆく夏を惜しむのでした。
 明治、大正時代に活躍した歌人九條武子の遺作で、今回上演されるのは、舞踊詩『四季』の「夏」の部分。京都の晩夏を彩る大文字の送り火を描いた季節感溢れる舞踊を、芝翫が子息や孫とともに情緒豊かに舞います。
若旦那栄太郎=芝翫
芸者お梅=福助 芸者お駒=橋之助
太鼓持国吉=国生 舞妓よし鶴=宜生

やはり日本俳優協会会長として東日本大震災後初めての旧盆ということで、亡くなった方の鎮魂の演目をきちんと入れて、ご自身も舞台をつとめられたのだろう。実際の「五山の送り火」は被災地の伐採木材の使用が放射能汚染で見送られる騒動があったが、舞台の上では次々に「大」「妙法」「舟形」と赤く文字が浮き上がった。
たった12分の舞踊だったが、橋之助の芸者姿を楽しめる(これで2回目)。末の息子の宜生くんの舞妓姿も可愛らしく、B級ホラーの口直しもできてよかった(笑)
冒頭の写真は、公式サイトより今公演のチラシ画像。                            


11/08/18 今年は私のエアコン厄年か?職場でも不具合発生(T-T)

2011-08-18 23:59:06 | つれづれなるままに

【その1:自宅】
6月に自宅のエアコン3台をまとめて業者さんにクリーニングしてもらった
その直後から居間のエアコンを動かすとブワンブワンとかキュルキュルとか変な音がするようになり、業者さんにクリーニングとの関係があるか調べてもらったがすぐにはわからず。業者さんからメーカーの修理受付に連絡してもらい、メーカーの修理担当に来てもらうようにして、私からも直接に状況を詳しくあらかじめ伝えておき、点検してもらったところ、ロール状のファンの付け根がはずれてしまっていて、丸ごと部品交換で修理完了!
通常使用ではこのような故障は起きないということで、クリーニング業者さんに費用負担してもらうことになった。しかしながら、買ってから丸々7年ぶりにクリーニングしての故障ということで、カビが部品に悪さをしていたような気もしないではないので、少々恐縮。まぁ、まとめて3台お願いしたし、次回以降は定期的にお願いしようということで割り切らせてもらうことにした(^^ゞ

【その2:実家】
一人暮らしの母親の寝室のエアコンが動かなくなったと夜中に電話が入って、振り回された事件が7月に発生。名古屋の妹1の家でも居間のエアコンが壊れて買い替えたという話の後だったので、その経験から、北本の妹2を含めて3人で夜中にメールやら電話やらで協議の末に私が急遽買いにいくことにした。ところが母にそれを言うと強硬にストップがかかり、すったもんだの末・・・・・・、その数日後には北本の妹2が人工透析日の間の日に本人を連れて買い替えということになった。
すでに猛暑に入って在庫が品薄の中、チェーン内の他の店から回してもらったが、工事の予約がいっぱいで10日間くらい待つハメになった。その間は猛暑が落ち着いていたので、実家から愚痴の電話がくることもなく助かったが、大変な騒動だった。

【その3:職場】
8/15(月)、職場の入っているビルはお盆で営業していない中、震災で歪んだ窓枠の工事が前日から続いていた。うちの職場自体はお盆の休みはないので、職員は交代で代休年休で夏休みをとっている。私は土曜日に指定休や年休をとるために夏休みはとる習慣がないために出勤。
出勤してから1時間半以上たっても私の執務スペースはエアコンが効いてこない!このところ、なかなか冷えにくくなっている気がしていたが・・・・・・。
もう我慢できない~!!

管理室に管理人さん(ビル管理会社のスタッフ)は出勤しているので見に来ていただく。やはりおかしいということで、ダイキンさんの点検を要請すると、このビルの担当者はお盆で休んでいるとのこと。急遽、ピンチヒッターがお一人で夕方5時半過ぎにようやく到着。屋上の室外機も含めて点検をしていただくが長引き、私は7時半に退勤。
翌日、管理人さんから報告をお聞きしたら、ガス圧が下がっていて、冷媒のガスが三分の一ほど抜けてしまっていて、5㎏ほど補充して様子見をすることになったとのこと。配管が大きく破損していればすぐにガス圧が下がってくるが、そうでなければ微細なもれが続いているのだろうとのこと。
もれの箇所の調査というのは小さい個所をみつけるのほど大掛かりになるらしい。うーん、原発の放射能もれ、汚染した冷却水の漏れ出した場所の特定が遅れたのと同じようなものか?!

ガスを足したら、さすがに冷えるようになってはきていた。2日後に、他のフロアのエアコンの不具合もあって、ダイキンさんがくるのでついでに点検してもらうとガス圧はほとんど変わらないとのこと。これでまぁ様子見ということになっている。
管理人さんがダイキンの担当者(お盆もあけて本来の担当)と一緒にきて説明を受けた際に質問。

私「冷媒のガスって何を使っているのですか?」→ダイキン「フロン22です」→私「それって地球温暖化の問題物質ですよね。代替がすすんでいるんじゃないですか」→ダイキン「業務用は今でもほとんどフロン22です。こちらの設備も13年前のものですからフロン22でした。代替のフロン4いくつ(聞きとれず)にするには設備ごと入れ替えることになるので大変なことになります」→私「問題物質だけれど、すぐには別のものにできないということですね。わかりました」

確かに問題物質ではあるけれど、社会的には許されている範囲内ということのようだ。
自宅でも娘の部屋のエアコンでガス漏れで冷えなくなってガス補充をしたり、結局買い替えたり、の経験があるので、今回の不具合の説明もよくわかった。
フロンガスが漏れているのを放置しているということをきちんと自覚はしておきたかったので、しっかりと確認をさせていただき、本部の総務部にも報告しておいた。
自宅でガス漏れ箇所がわからないくらい微細だからとガスを補充して使っていた時も、なんとなく罪悪感があって嫌だった。今回も同じ気分に陥ってしまう。まぁ、だからといって自宅のようにすぐに買い替えるわけにはいかないのが現実だ。

そこで、フロンについてネット検索でいろいろと種類があったり、規制がどうなっているのかがわかるところを見つけた(→こちら)。なるほどねぇ、規制も段階的にすすめていくというのがよくわかった。

脱原発もきちんと計画的にすすめるようにしてほしい。今止まっている原発は再稼働させずになんとかすすめてほしい。それでも全体を廃炉にして放射性廃棄物をきちんと処分するのにどれくらいかかるのだろう。溜息がでるが、しっかり監視をしていかなければという思いもあらたにする。

さて、冒頭の写真は記事とは直接関係ない(笑)職場でのランチも最近はおにぎりを買ってきてフリーズドライのスープですませることが増えてしまった(^^ゞ
しかしながら、たまにはこんな五目野菜炒め定食をしっかり食べなくちゃと食べた次第。
今日がこの夏一番の酷暑!東北と北陸で豪雨が降っているのが心配だ。この雨が過ぎると一転してしのぎやすくなるらしい。

11/08/13 演舞場八月歌舞伎一部も二部もアフターはデニーズ(笑)

2011-08-14 23:58:44 | 観劇

八月歌舞伎は三部制なので、一部二部を通しで観ることが多い。ところが例年、お盆の辺りで観ることにすると一部二部の間の1時間休みの間に食事をとる店が少なくて困ったりする。歌舞伎座の頃は裏手の小諸そばが閉まっていて、何年かぶりの吉野家で牛丼の並サイズを生玉子かけで食べるはめになったこともある。さて今年は・・・・・・。

震災後の節電の影響は、演舞場内の飲み物の自販機にも及び、以前は1台の中で冷たく冷やしたものと温かいものの両方の扱いがあったのに、今は効率重視で冷たいもののみになってしまった。夏でも温かい缶コーヒーを買ってアンパンをパクつくのが好きだったのに困ったことになってしまった。そこで先月からは自宅でレギュラーコーヒーを落としたものをステンレスマグボトルで持参するようにしている。

一部の幕間はそのコーヒーで自宅から持っていったカステラ菓子を食べ、終演後は近くのカフェへ。ところが満席だし全面喫煙状態だったしということで即ギブアップし、結局アフターでいつも利用するデニーズ銀座店へ。
冒頭の写真が最近お気に入りの「翡翠麺」。以前から夏の冷たい冷麺では知っていたが、デニーズの翡翠麺は温かく、たくさん野菜が入っているのがよい。一日に必要な量の野菜の三分の一がとれるというキャッチコピーつきだが、さらにこの時は野菜がいっぱいすぎて緑色の綺麗な麺が写っていないのが残念。スープも多すぎず、汗をかく夏場はスープの塩気も大事なので全部飲み干してしまう(^^ゞ
マグボトルにコーヒーがまだまだあるので翡翠麺だけで我慢して劇場へ戻る。

二部終演後は上野の博物館に来ている玲小姐さんと待ち合わせ。デニーズ銀座店ということにしていたので、昼夜2レンチャンでデニーズという我ながら呆れるくらいの常連ぶり。
今度はご飯ものにしようと、次にお気に入りの「8種野菜の冷たいクッパ」にした。以前はレモンが忘れられていて、食べ終わるまで気づかずに隣のテーブルで同じものを頼んだ方の器にレモンがついてきたのでそのことがわかったということもあった。

こちらも一日に必要な量の野菜の三分の一がとれるというキャッチコピーつき!朝も野菜スープを食べてきたので、充実の野菜たっぷりの食生活ができたという満足感(笑)

上野の博物館では辛亥革命100年の孫文と梅屋庄吉の展示を観てきたそうで、ジャッキー・チェンの「辛亥革命」の映画も観ないといけないねぇと盛り上がる。
私も八月花形歌舞伎一部二部の感想などを話してけっこう長くしゃべっていたので、当然スイーツもということになる。桃のデザートのシリーズの最高峰?「桃のスペシャルパフェ」に初挑戦!甘すぎずに美味しゅうございました。

お支払いの時に店長さんに歌舞伎観劇の後、昼も夜もこちらに来てしまったとお話ししたら、御礼の言葉とともに「歌舞伎って昼も夜もチケット別なんですよね」と聞かれてしまった。「演目も別ですからそうですよ」と答えたが、銀座で働いていても知らない人は知らないのだなぁとガッテンした。わかってもらってよかったと思う。いろんな人に宣伝しなくっちゃと勝手に宣伝活動にも力を入れているのでありました(笑)

8/14は、実家の母と待ち合わせして近くのシネコンでスタジオ・ジブリの映画「コクリコ坂から」を観る。さすがにお疲れモード・・・・・・。
いずれの感想もまた、後日あらためて。

11/08/10 暑気払い前に散髪してすっきり→明日も暑気払いレンチャン予定(^^ゞ

2011-08-10 23:34:07 | 観劇

猛暑お見舞い申し上げますm(_ _)m
職場で暑気払い企画があるとの連絡が前々日の月曜日にあった。けっこう直前だなぁ、翌日も勉強会の暑気払いだからレンチャンになるなぁと思いつつ、特に予定もなかったので参加することにした。
ただし今日は元々、月一回の渋谷でのカウンセリングの予定が夕方に入っていたので、終了後に四ツ谷に戻って会場に向かうことになる。
今日は各地で37℃を超す猛暑になるとの天気予報が出ているので、職場の冷凍庫においてある保冷剤をハンカチでくるんで首に巻き、日傘をさして往復した。

それと髪が伸びていて暑苦しいこと甚だし!
そうだ時間があれば、渋谷のマークシティのところにあるQBハウスで散髪しようと思いたち、午後5時15分頃に立ち寄ってみた。時間が時間だけにすいていて、私が1000円でチケットを買うのを待ち兼ねているようにすぐに案内されて、女性スタッフが手早く刈り上げてくれた。
ここのQBハウスを利用するのは今回で2回目。開店してすぐに行ってみたら通常のお店よりもはるかにお洒落なつくりになっていてちょっと驚いたものだ。こういうシステムの店では散髪後にお湯で流すということを省いている。すぐに帰宅できない時は避けてきたのだが、とにかく暑くてたまらないし、明日も暑い中で飲み会に行かないといけないので、時間がとれる時にやってしまおうと判断して正解だった。
すっきりした~!

2時間の時間制限で食べ放題の中華料理だったが、職場の公式飲み会参加は、昨年の春に出向の位置づけになってから初めて。7月にマネージャーが交代してそのマネージャーの隣の席でいろいろ話せたのもよかった。また仕事の話もいろいろ聞いてもらえそうで、職場の環境はよくなる兆しを感じる。
無理せず、私なりのこだわりも生かしつつボチボチ頑張ろうという感じかな。




11/06/21 新国立中劇場でようやく井上ひさしの「雨」を観た。名作だ!

2011-08-07 23:58:17 | 観劇

「血の婚礼」で降り続けた雨つながりというわけでもないが、ずっと書きかけになっていた6月の新国立中劇場「雨」の感想もきちんとアップしておきたい。
井上ひさしの初期戯曲「雨」。1990年に私が大阪から戻ってきてからでも、こまつ座での公演は3回もあったのにめぐりあわせが悪く未見。職場での観劇企画に参加するようになって辻萬長主演の舞台を観た方から本当にいい作品だと聞き、絶版の戯曲の文庫をブックオフで入手してあまりの緻密さに感嘆。冒頭の写真はその表紙。紅花を中心に雨の字を踏まえたデザインに初演時の名古屋章さん眉毛の徳が描かれている。ようやく栗山民也演出で新国立中劇場での「雨」を観る。アリスさんとご一緒した。
【雨】
脚本:井上ひさし 演出:栗山民也 音楽:甲斐正人 美術:松井るみ 演奏:山田貴之
あらすじを一言で説明するのに、プログラムにあった小森陽一氏の解説の冒頭が一番わかりやすいので、以下に引用。
江戸の金物拾いの徳が、外見がそっくりだと言われて、羽前国平畠藩の紅花問屋の当主である紅屋喜左衛門に「成りすまそう」として、逆に仕掛けられていた罠にはめられてしまうのが『雨』の物語です。
「CoRich 舞台芸術!」サイトの新国立劇場の公演「雨」の情報はこちら
主な出演者は以下の通り。
市川亀治郎、永作博美、梅沢昌代、たかお鷹、花王おさむ、山本龍二、石田圭祐、武岡淳一、酒向 芳、山西 惇、植本 潤、金 成均、ほか

幕開きの江戸の場面は登場人物もそんなに多くなく、劇場が大きすぎたかもと思っていたが、徳が平畠に入って紅花問屋の当主が戻ったと祝う紅花百姓の祝いの餅つき歌「紅花口説」からはまさに群集劇となり、中劇場でよかったと実感。紅屋の一人娘おたかと喜左衛門が結ばれるまでが歌に乗って語られる。物語の歌によって一気に話をすすめてしまうのが音楽劇の面白さでもある。井上ひさし創作の方言は東北人の辛抱強さ、土に生きる人間の持つ生命力にあふれ、言葉を選びつくされた台詞は音楽に乗るとさらに力強さを増す。

親孝行屋の言葉に乗せられて平畠まできた徳は、別人になりすますというで天罰を受けるかもしれないというおそれをもっていた。さらに土地の言葉をしゃべれないから無理だと自分を納得させて引き返そうとするところを、天狗に攫われて言葉も脳みそも抜かれたのでおかしくなっているという助け舟の言葉にまた乗ってしまう。
さらに連れてこられた紅屋でおたかと引き合わされて、「紅花口説」で状況を一気に把握するともう帰れなくなってしまう。あとは、夜の褥で偽物とばれなければ大丈夫だと運を天に任せる。

偽物とばれると一番恐れたことをやり過ごしただけでなく、鈴口の疣をもって本人と主張する妻のおたかと浮気したとされた女の証言で喜左衛門に間違いないと太鼓判を押される徳。ここで徳は誤解したのだろう。おたかは本物でなくても自分という男に情が移っていると!徳は土地言葉の修練、紅花栽培の知識の習得にさらに身を入れることになる。

鈴口の疣をもってそれをおびやかす人物があらわれる。一人目は江戸から徳をおっかけてきた男娼のカマ六(山西 惇)。徳に口止め金を強請りとろうとするのを殺害。次は江戸から流れてきた芸者花虫(梅沢昌代)で、誰にも知られないようにして喜左衛門が囲ってきた女だ。この時代の夜は暗かったのだろうか、会っていてもわからないので触ったら見破ってしまったというのがこの女の不幸で、やはり徳に殺される。
そこからたどって徳は本物の喜左衛門が姿を隠しているところを突き止め、毒を盛る。

ようやく紅屋喜左衛門として生きていけると思う徳を待っていたのは皮肉な運命。平畠藩の藩財政を救うために紅花の凶作と偽り幕府を欺いたことがばれ、偽りの申告をした紅屋喜左衛門にすべての責めを負わせての幕引きをするためのスケープゴートにされたのだった。
幕府をさらに欺いて平畠の藩だけでなく紅花百姓たちまでも無事に生き残っていくため、喜左衛門によく似た男を探し出し、身代わりにする藩をあげての企みに嵌められてしまった徳!

江戸の言葉を捨て、金物拾いの習性も矯正し、本来の自分のアイデンティティをなくし、喜左衛門として殺されていくしかなかったという徳の最後。それでもひとかけらの救いはおたかが徳の亡骸を抱きしめて送ったことだろう。
「徳様(とくさ)、おら胸の底の底さあんだのごどは一生刻みつけておぐ。なんつってもあんだは、あんだはおらの御亭主(ごて)にはちげぇねがったんだもの。」
永作博美は2007年9月に「ドラクル」のエヴァで舞台女優としての資質を見せつけられたが、今回のおたかも実によかった。白い死装束の徳を胸に抱きしめて優しく髪を撫でるおたかはまるで、民のために死んだキリストを抱くマリアのようにも見える。バチカンにあるミケランジェロのピエタの像のようでもある。いや、マリアはマリアでもキリストが愛したという説もあるマグダラのマリアの方かもしれない。藩をあげての企みに身を呈して男を受け入れて死なせるという業の深い役回りを引き受けたおたかという女。本物の夫には隠し女をつくられていたことで、徳に対する情の深まりは思った以上のものになってしまったのかもしれない。本物の喜左衛門が戻ってきても以前のような思いを抱くことはできないのではないか。そういう女の哀しみを永作博美は実に奥深く沈めた思いをのぞかせながらもさらりと見せてくれた。

これまでの徳の役者は名古屋章や辻萬長といった大ベテランだったが、原作には20代後半という設定が明記してあり、亀治郎の徳は原作のイメージ通りになっていると思う。そして俳優陣の中に歌舞伎役者一人、江戸弁も着物の所作も本格的で時代劇の主役としての存在感が抜きんでている。かといって周囲から浮くこともないのは、他流試合の積み上げの成果だろう。そういえば永作博美もNHK大河ドラマの出演経験もあるどうしだし、バランスもよいコンビだったと思う。とにかく亀治郎は井上ひさしの作品と格闘し、新しい徳像をつくりあげてくれたことは間違いない。

美術の松井るみは、同月に観た「盟三五大切」のプログラムにあったコクーン歌舞伎の17年の振り返りのページを読むと、2009年の桜姫の美術を担当している(他は全て串田が美術も担当)。特に現代劇版の方の美術の記憶と重なってなるほどと思えた。舞台装置を盆回しすると起伏や階段がいろいろに見立てがきいて面白かった。

最後に冒頭で徳を騙す親孝行屋(これも実は藩の人間だったことがわかるのだが)について一言。年寄りが若者の人形を腰にくくりつけて老親をおぶって親孝行するお金をめぐんでくれという芸を見せながら物乞いをする稼業だが、映画「やじきた道中 てれすこ」で人形のふりをさせた小泉今日子の女郎をくくりつけて柄本明の喜多さんが足抜けの手伝いをする場面で見たことがある。面白いのでよく考えていたらひらめいた。平畠のためのスケープゴートになる人間を操るという謎かけかなと思い至る。そうだとしたら唸るしかないではないか!

(追記)
NHKBSプレミアムシアターのオンエア情報あり。ご覧になれる方、是非おすすめです。
9月24日(土)午後11時30分~午前3時30分
その後も10/1(土)は「たいこどんどん」「父と暮せば」と井上ひさし作品のオンエアが続くようです。
(9/25追記)
オンエアを見ていたら、一箇所思い込みによる間違いに気が付いた。おたかは本物でなくても自分という男に情が移っていると誤解をしたと書いたが、そのタイミングはもっと後だった。花虫と喜左衛門を殺して安心した後に、おたかが嘘をついてくれたと感謝している。その直後に身代わり切腹に追い込まれていくのだ。本物の喜左衛門になりきったと思えたら、喜左衛門であればこそ切腹をと迫られ、拾い屋の性分を押さえこんでいたせいで拾わなかった五寸釘を腹につきたてられて死ぬことになる。
自分で自分であることの証明を消していってしまった男の悲劇。亀治郎が海老反りを使った絶命シーンを見せた後、永作博美が抱いて徳の死が必要だったわけを述懐する場面が素晴らしい。永作の涙が亀治郎の顔の上に落ちていた。

11/08/06 映画づく最近+今月の観劇などの予定

2011-08-06 23:59:49 | 観劇
原田芳雄さんの追悼記事アップの翌日7/20、仕事帰りに「大鹿村騒動記」もしっかり観てきた。続いて月末は「ハリー・ポッター最終章part2」を2日連続で観てしまった。さらにその翌週は外交官黒田康作シリーズ「アンダルシア」と最近は映画づいている。

映画の3Dは「アリス・イン・ワンダーランド」で体験済みで、私の好みではない。ところが久々に3Dで観るはめになった。
「ハリー・ポッター最終章part2」を娘と一緒に観る約束をしていたのだが、7/30(土)に北本の妹2と急遽観ることにした。妹2は体調の関係で映画館で映画を観たいと言い出すのは珍しいのでせっかくだから付き合うことに決定。娘はネットゲームのイベントとかで外出できないというので一足先に観てしまうことにした。
さいたま新都心で待ち合わせ、通常版の日本語吹き替えバージョンで観るが、ハリポタの吹き替え版は初体験だった。始まってすぐ声の違和感にさいなまれた。内容的には面白かったのでもう一度観てもいいやという気分になってしまった。

翌日31日も特に予定が入っていなかったところ、2週間ほど引きこもっている娘が「ハリポタ観たい!」と言い出したので、2日連続ではあるが、同じシネコンへ今度は娘と二人で観に行った。通常版の英語バージョンの上映がないので3D版で観るしかなく、まぁいいかとそれで観た。
前日にも観ているので余裕で3Dメガネをつけたりはずしたりして映像をチェックしたら、全てが3D画面ではないことがわかった。3Dになるところは少しずつ二重になっていくのもわかってなるほど~などとストーリーとは別の部分で楽しんでしまった。しかしながら如何せん3Dは映像が暗くなってしまうのが好みではない。
それに今一つ立体感がずれる場面もあるのは、私の目に乱視があるからだと後から友人の指摘でわかった。それとメガネが以前よりもずっと軽くはなっているものの、鼻が低いのでずれてきて根元にずれると鼻呼吸が少々苦しくなるという欠点もあった。私はやっぱり映画は3Dでは基本的には観ないでいいやと再確認した。

これで映画のハリー・ポッターシリーズは10年かかって全作品を観たことになる。子ども向けのファンタジーという感じからどんどん大人でも楽しめるような深みが増し、最終章は永遠の愛の切なさに胸キュンし、主人公たちの成長も見守れたことに満足した。
娘と妹2は原作も全部読んでいるので今回の最終章part2では隣の席で何か所かで涙腺を決壊させていた。読んでいない私も共感はできたので2日間連続で観ても満足度高し!しかしながら我ながらお疲れさんだった(笑)

以下、今月の観劇などの予定です。
13(土)新橋演舞場:八月歌舞伎第一部と第二部を通しで
20(土)国立劇場大劇場:亀治郎の会昼の部
→四ツ谷お岩稲荷散策→新橋演舞場:八月歌舞伎第三部とハシゴ企画
ご一緒する皆様、よろしくお願いしま~す(^O^)/

11/07/29 あばれ梅雨の中、特設劇場に「血の婚礼」が還ってきた

2011-08-02 23:59:11 | 観劇

蜷川幸雄演出の舞台は極力観ることにしている私だが、この作品は今回が初見。観劇を見送った寺山修司の「血は立ったまま凍っている」で気になった窪塚洋介の舞台も初めて観ることができる。
清水邦夫がガルシア・ロルカの「血の婚礼」にインスパイアされて書き、1986年に蜷川幸雄演出で初演され、今回は12年ぶりの上演とのこと。そして上演中ずっと本水での雨を降らせるという伝説の作品。その手法を使った「オレステス」はダメだったが、本家本元の舞台はどうだろう。ブログ仲間さんたちの記事を読むと、特設劇場の蒸し暑さ対策が必要そうなので、保冷剤をハンカチで首に巻いての観劇。

【血の婚礼】
Bunkamuraの公演情報はこちら
今回の主な配役は以下の通り。
窪塚洋介:北の兄 中嶋朋子:北の女ふね
丸山智己:ハルキ 田島優成:トランシーバー少年
近藤公園:北の弟 青山達三:喪服の男
高橋和也:兄さん 伊藤蘭:姉さん

舞台に走り出てきたトランシーバー少年が交信相手に「こちらX1(エックスワン)地点」と名乗り、「あばれ梅雨」と雨の状況を報告する。時おりしも7年ぶりの新潟・福井豪雨と重なり、5つの河川が決壊して死者も出ている。太平洋側ではそれほどでもないが、ここのところ猛暑がやんで肌寒かったりもする変な天気だ。そのおかげか特に蒸し暑いこともなく冷静に観ることができた。
そこに路地の奥から走り出た北の兄の窪塚洋介が転んで全身ずぶ濡れとなり、トランシーバー少年とのかみあわないやりとりとなる。映画「ピンポン」での窪塚しかじっくり観たことがない私はあまりの美しさに目を引き付けられた。髪をだんごにして結い上げた長い首筋、スレンダーな長身。細面の中の大きな目は現実を見ていないようで妖しい。あぁ、これは蜷川さん使いたいよねと納得!

北の兄が結婚式から連れて逃げた女が中嶋朋子。「オレステス」でも姉のエレクトラをずぶ濡れで熱演していたっけ。花嫁を奪われた花婿のハルキや親戚一同がその二人を探し出して決着をつけにくるというのがロルカの作品を踏まえた物語。そこにいろいろな彩りがされたのが本作品のようだ。
名前に「北の」とつくのは北国の出身の兄弟の兄の方ということらしく、女の名前に「ふね」とあるからは、東日本大震災の被災地のあたりから二人は東京の下町あたりに逃げてきたというイメージだろうか。北の兄とハルキとふねは幼馴染みらしく、元は兄の恋人だったふねをハルキが結婚しようとしたら土壇場で逃避行されたらしい。人にとられそうになったら惜しくなって取り返したけれど、やっぱりすぐに色あせて破局ということか。女も元の恋人への未練があったろうし、結婚してしまったらつまらない人生が続きそうと思うとそれからは逃げ出してみたかったのじゃないだろうか?
源氏物語の「浮舟」などもそうだが、三角関係とか不義密通だとかの色恋のもつれを描く作品は、人間の情念が渦巻いているのが面白い。文楽の「鑓の権三」で「妻敵討」(めがたきうち)という言葉を知ったが、妻を寝取られた男は姦夫を殺さなければならないということも洋の東西を問わずにあったということだろう。

舞台となっている路地のコインランドリーにいる姉さんと隣のビデオショップの兄さんは、長年の腐れ縁だが、まさに関係は膠着状態のよう。三角関係のもつれのドタバタを傍観していたはずが、巻き込まれていく。
また、青山達三の喪服の男とその教え子たちのやりとりが大きなテーマ性をもっているようだ。妻に死なれ、葬式からふらふらと迷い出てきて嘆き悲しんでいる男。かなり妻に精神的に依存していたらしい。しかしながらその男を恩師と慕う生徒たちが連れ戻しにくる。よほど生徒たちに慕われる「金八先生」のような教師なのだろう。さらにその妻も同志のような関係だったのではないかと思われる。妻と二人三脚で理想の社会をめざしていたらしい喪服の男。
その喪服の男は「電車がくるぞ」と教え子たちが轢き殺されないよう警告する(していたと思う)。音と怯えながら通り過ぎるのを避ける人たちの芝居で表現される猛スピードで通り過ぎる電車。これは権力者がふるう暴力の象徴であり、その暴力的なしくみを疑わずに乗っかっている人たちがいるというイメージなのではないだろうか?

冒頭から何回も登場する幻の鼓笛隊は何を表しているのだろう。雨に打たれても姿勢もくずさずに太鼓を打ち鳴らして通り過ぎていく。どんどん人数も増えるような・・・・・・。ここで、今は卒業してしまった大好きだった「レ・ミゼラブル」の「ピープルズ・ソング」が重なる。(以下、こちらのサイトからコピペさせていただいた)
♪「戦う者の歌が聞こえるか、鼓動があのドラムと響き合えば、新たに熱い命が始まる。明日が来た時、そうさ明日が!列に入れよ、我らの味方に。砦の向うに世界がある。戦え!それが自由への道!
戦う者の歌が聞こえるか、鼓動があのドラムと響き合えば、新たに熱い命が始まる。明日が来た時、そうさ明日が!悔いはしないな、例え倒れても。流す血潮が潤す祖国を。屍越えて拓け、明日のフランス!
戦う者の歌が聞こえるか、鼓動があのドラムと響き合えば、新たに熱い命が始まる。明日が来た時、そうさ明日が!」♪♪
そうか、血潮を高鳴らせて闘うもしくは闘った人々のイメージの幻影だろうと思い当る。

この作品の上演は「たいこどんどん」とともに3/11の東日本大震災の犠牲者への鎮魂歌としたいという蜷川さんの思いがあるらしい。暗闇になった舞台に懐中電灯でキャストがお互いを照らしあったり、ロウソクの灯を教え子とともに持ち、遠くにある希望を見ることはやめないというような台詞を言う場面(台詞を覚えていられないのが悔しいが二度繰り返された台詞あり!!)に鎮魂の思いと、清水邦夫の熱かった時代の終焉の挫折感の中でも希望は捨てないという強い思いを感じ取った。

そしてこの作品の中でロルカの作品の台詞だときちんと説明しながらしゃべるというスペシャルな台詞が「血を流して死ぬ方が血を腐らせて生きるよりもましだ」。
「ガルシア・ロルカはどうして殺されなければならなかったのか?」(教えてgooより)
スペイン内戦初期にフランコ将軍派に殺されたロルカに対する清水邦夫の鎮魂歌ともなっているとわかる。高校時代に宝塚で鳳蘭主演でヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を見て、スペイン内戦で共和制を守るために戦って死にゆくインテリゲンチャの主人公に思い入れたのを思い出す。

「血を腐らせて生きる」=惰性に流されてただただ生きるだけの今を否定して、自分の本当に貫きたい思いの実現のために「血を流して死ぬ」ことを選ぶ。女のことで決着をつけなくてはいけなくなった二人の男は、幼い頃の思い出を共有したのちにお互いを刺して相討ちとなる。そして、それに触発された姉さんと兄さんは男たちの死体からナイフとアイスピックを手にとって、二人の腐れ縁に決着をつけて心中。

二者択一の末に「血を流して死ぬ」ことを選んだ人たち。美しいとも思えるが、みなが選べる生き方でもないように思える。
では、そうしなかったら即、「血を腐らせて生きる」ことになるのか?
そうではないだろう。「先に希望を見続けながら」「血を腐らせないようにしながら生きて」「やれるだけのことをやる努力をする」という道もあるんじゃないのか?
そもそも「血を腐らせる」という言葉は何を象徴しているのか?一人一人が時代と社会の中で自分というものを自覚せずに流されて生きていくことだと思う。

雨を降らせ、主役の窪塚には着替えてきたのにまた転ばせて2回も全身ずぶ濡れにさせたのは何故か?「血を腐らせる」ような、全身の肌にまとわりつく気持ち悪い感覚を観客にも強く体感させるためだろう。その感覚を役者がどれだけ伝える芝居ができるかも問われているのだと思う。
いやぁ、実に気持ちが悪い感じが伝わってきて、蜷川幸雄のねらいにうまく乗れた私は今回の雨は嫌ではなかった。「オレステス」の時と違って小さい劇場だったし、前から4列目というのも台詞が聞き取りにくいこともなく、この比喩的な作品の世界にたゆたってしまえたのもよかった。

寺山修司は苦手なのだが、「あゝ、荒野」も頑張って見てしまおうかな?大丈夫かなぁと考え始めた。