ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/01/27NODA・MAP『走れメルス』

2005-01-31 22:42:51 | 観劇

昨日のブログで七之助を誉めたばかりだったが、警察官を殴って逮捕されたと知ってびっくり。父の勘三郎襲名に水をさした感じになったが、仕方がない。じっくり反省していただこう。『ラストサムライ』での天皇役からちょっと天狗になっていたんじゃないかな。まだまだ21歳の若者だ。今、しっかり自分を見つめなおして大成してほしいものだ。なんて偉そうなことを言える私でもないのだが。

さて、兄の勘太郎。十二月歌舞伎で勘九郎がアドリブのような台詞で「上の息子は野田屋に奉公に行っている」と言っていたが、その野田屋の芝居を観てきた。
野田秀樹関係で見たことがあるのは、実は『野田版鼠小僧』と先日の『マクベス』だけなのだ。さて今回、期待をいっぱいにチケット発売初日に手に入れた最前列で観た。

開幕前に1970年代の歌謡曲が次々と流れている。野口五郎や「イルカに乗った少年」などなど。舞台の上には戦争の跡の廃墟のようなセット。冒頭で勘太郎の久留米のスルメが「おとうちゃ~ん」と叫ぶ。ややしばらくするとその舞台セットが天井に上がっていってしまい、今度は向こう側の世界。
久留米のスルメの反対読みのメルス・ノメルク(河原雅彦)がステージで歌い踊る。メルスをさらった零子(小西真奈美)がTVでのほあ~んとしたイメージを吹き飛ばしたようにガンガンまくしたてる。行方不明の彼を追っかける評論家桐島洋子(野田秀樹)と3人の娘たちと七人の刑事(筆頭が古田新太。この日ひとり休演で六人の刑事だった)。かなりのドタバタ。フィルムの逆回しのような演技が3回もあった。とにかく、かなりのスピードの台詞の洪水。ダジャレの連発でクラクラする。
こちらの世界ではスルメが下着泥棒をしているところを手鏡で見ている芙蓉(深津絵里)。彼女の方から声をかけて二人のやりとりが続いていく。スルメが芙蓉をだんだん好きになっていくのに、芙蓉はただ自分の世界を語っていく。芙蓉に惚れるのは大地主(古田新太の二役)と大奥様(野田秀樹の二役)の息子百太郎(小松和重)も同だが、芙蓉は百太郎のプロポーズはきっぱりと断る。しかし、スルメにはどっちつかずの態度が続く。
しかし、そこに向こう側の世界からメルスがあらわれると芙蓉はすっかり惚れてしまう。これが私の最後のチャンスとばかりにメルスにかけると意気込む。スルメはあんな男にとられるくらいならと芙蓉を刺し殺してしまうという話なんだが・・・。

鏡のこちらとあちらとかはパラレルワールドとか多次元の世界のようだし、次元を超えてやってくる反対読みの名前の男は好きな女を奪う男で自分は奪われる男。正反対の存在が出会ってしまうと本当は消滅するのではなかったっけ??とかいろいろと目まぐるしく感覚や考えが錯綜する。そういうのを楽しむ芝居なのかな?

どうももう少し落ち着いてストーリーを追っていく舞台の方が私の好みのようだ。パンフレットにも初期の作品はかなり多次元の世界のお話が多いとあった。最近の作品の方がフラットな世界を描いているという。次に野田秀樹の作品を観る時は初期の作品ではないものを観てみよう。

勘太郎は下着泥棒をしては下着に名前までつけて大事にする青年=そういう奇行をする原因があるらしく、そういう屈折を本当に生真面目に演じていて真に迫るものがある。大河『新撰組』の兵助といい、彼の持ち味が生きている。
深津絵里はTVや映画よりも遥かに目が輝いている。女優陣、みな生き生きとしている。その中にいても女装の野田秀樹はあの高い声でハイテンションでさらに上を行っている。
古田新太も初めて舞台で観たが、大汗をかきかき、大親分なんてすごい迫力で演じている。
今回は芝居そのものはあまり好みではなかったが、役者たちの大熱演を目の当たりにしたのは大変刺激的でおもしろかった。写真はパンフレットの表紙。

といったん、記事をアップした後で、ハタと思いついた。サブタイトルは「少女の唇からはダイナマイト」だった。そうか、芙蓉がメルスにかける意気込みを語るところがダイナマイトなんだ。それがスルメの中で大爆発して殺してしまうのか。う~ん、歌舞伎の「籠釣瓶」のようじゃないかあ。とひとりで勝手にエキサイトしてきた。こういうのが野田芝居の麻薬力なのかもしれないなあ。
追記
メルス・ノメルクを当初メルク・ノメルクって書いていた。そうだよ、「走れメルス」なんだから。うーん、結局わかってるようでわかってなかったんだとまたまた恥じ入るばかり・・・・・・。

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