05/01/27NODA・MAP『走れメルス』


昨日のブログで七之助を誉めたばかりだったが、警察官を殴って逮捕されたと知ってびっくり。父の勘三郎襲名に水をさした感じになったが、仕方がない。じっくり反省していただこう。『ラストサムライ』での天皇役からちょっと天狗になっていたんじゃないかな。まだまだ21歳の若者だ。今、しっかり自分を見つめなおして大成してほしいものだ。なんて偉そうなことを言える私でもないのだが。

さて、兄の勘太郎。十二月歌舞伎で勘九郎がアドリブのような台詞で「上の息子は野田屋に奉公に行っている」と言っていたが、その野田屋の芝居を観てきた。
野田秀樹関係で見たことがあるのは、実は『野田版鼠小僧』と先日の『マクベス』だけなのだ。さて今回、期待をいっぱいにチケット発売初日に手に入れた最前列で観た。

開幕前に1970年代の歌謡曲が次々と流れている。野口五郎や「イルカに乗った少年」などなど。舞台の上には戦争の跡の廃墟のようなセット。冒頭で勘太郎の久留米のスルメが「おとうちゃ~ん」と叫ぶ。ややしばらくするとその舞台セットが天井に上がっていってしまい、今度は向こう側の世界。
久留米のスルメの反対読みのメルス・ノメルク(河原雅彦)がステージで歌い踊る。メルスをさらった零子(小西真奈美)がTVでのほあ~んとしたイメージを吹き飛ばしたようにガンガンまくしたてる。行方不明の彼を追っかける評論家桐島洋子(野田秀樹)と3人の娘たちと七人の刑事(筆頭が古田新太。この日ひとり休演で六人の刑事だった)。かなりのドタバタ。フィルムの逆回しのような演技が3回もあった。とにかく、かなりのスピードの台詞の洪水。ダジャレの連発でクラクラする。
こちらの世界ではスルメが下着泥棒をしているところを手鏡で見ている芙蓉(深津絵里)。彼女の方から声をかけて二人のやりとりが続いていく。スルメが芙蓉をだんだん好きになっていくのに、芙蓉はただ自分の世界を語っていく。芙蓉に惚れるのは大地主(古田新太の二役)と大奥様(野田秀樹の二役)の息子百太郎(小松和重)も同だが、芙蓉は百太郎のプロポーズはきっぱりと断る。しかし、スルメにはどっちつかずの態度が続く。
しかし、そこに向こう側の世界からメルスがあらわれると芙蓉はすっかり惚れてしまう。これが私の最後のチャンスとばかりにメルスにかけると意気込む。スルメはあんな男にとられるくらいならと芙蓉を刺し殺してしまうという話なんだが・・・。

鏡のこちらとあちらとかはパラレルワールドとか多次元の世界のようだし、次元を超えてやってくる反対読みの名前の男は好きな女を奪う男で自分は奪われる男。正反対の存在が出会ってしまうと本当は消滅するのではなかったっけ??とかいろいろと目まぐるしく感覚や考えが錯綜する。そういうのを楽しむ芝居なのかな?

どうももう少し落ち着いてストーリーを追っていく舞台の方が私の好みのようだ。パンフレットにも初期の作品はかなり多次元の世界のお話が多いとあった。最近の作品の方がフラットな世界を描いているという。次に野田秀樹の作品を観る時は初期の作品ではないものを観てみよう。

勘太郎は下着泥棒をしては下着に名前までつけて大事にする青年=そういう奇行をする原因があるらしく、そういう屈折を本当に生真面目に演じていて真に迫るものがある。大河『新撰組』の兵助といい、彼の持ち味が生きている。
深津絵里はTVや映画よりも遥かに目が輝いている。女優陣、みな生き生きとしている。その中にいても女装の野田秀樹はあの高い声でハイテンションでさらに上を行っている。
古田新太も初めて舞台で観たが、大汗をかきかき、大親分なんてすごい迫力で演じている。
今回は芝居そのものはあまり好みではなかったが、役者たちの大熱演を目の当たりにしたのは大変刺激的でおもしろかった。写真はパンフレットの表紙。

といったん、記事をアップした後で、ハタと思いついた。サブタイトルは「少女の唇からはダイナマイト」だった。そうか、芙蓉がメルスにかける意気込みを語るところがダイナマイトなんだ。それがスルメの中で大爆発して殺してしまうのか。う~ん、歌舞伎の「籠釣瓶」のようじゃないかあ。とひとりで勝手にエキサイトしてきた。こういうのが野田芝居の麻薬力なのかもしれないなあ。
追記
メルス・ノメルクを当初メルク・ノメルクって書いていた。そうだよ、「走れメルス」なんだから。うーん、結局わかってるようでわかってなかったんだとまたまた恥じ入るばかり・・・・・・。
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05/01/23『新春浅草歌舞伎』第二部

お正月の3日から第一部を観てきたが、なんかすごく欲求不満状態になっていた。一部二部とも観た友人から是非第二部を観て口直しをとすすめられ、オペラに引き続きヤフオクのお世話になって3等席で観てきた。大正解である。

「御所五郎蔵(ごしょのごろぞう)~仲之町出逢いの場」
御所五郎蔵を中村獅童、星影土右衛門を片岡愛之助。ふたりとも堂々としていてのバランスがよい。黙阿弥の七五調の台詞を交代にしゃべった締めくくりをふたりが揃ってしゃべる時=「・・・・・おもしれえながめだなあ」(だったかな?)などがうまくハモる。3箇所くらいあったかな。そこが決まるとすごくきいていてカタルシスを感じてしまう。うう~、気持ちいい。
獅童は素顔は二枚目ではないが歌舞伎の化粧が映えること(宝塚とともに濃いメイクの場合はこういうふうに化けられるのかとまたまた納得)。映画『阿修羅の如く』の探偵や大河ドラマ『新撰組』の捨助のようなかっこよくない役も味わい深く演じたり、『ピンポン』の主人公のライバルをストイックに演じているのを見て注目していたが、こういう歌舞伎のかっこいい立役もきちんと演じられることをあらためて認識した。
愛之助は目の使い方がいい。もちろん本当に二枚目顔なのだが、伏し目でいる場面がけっこうあり、それもなかなか美しいのだが、ここぞと大きく目を見開く場面になるとドキッとするくらい効果的。
留め女の亀治郎、堂々としてよい。

「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」
亀治郎の小姓弥生は年長者がつくった可愛らしさだったけど、七之助の小姓弥生はもう本当に少女そのもの。身体の華奢さも若々しさもまさに今が旬という感じ。下がり眉毛の化粧でも、突然の踊りの指名に本当に困っていったん引っ込んでしまうところの説得力が増している。手に持った獅子頭に魂がこもり、その獅子にひきづられて退場するところもしかり。勘九郎のもとで稽古が行き届いている感じで、踊りもきびきびと決まっている。
後半の獅子になってからがちょっとどうだろうと思っていたが、心配は無用だった。堂々とはいいかねるが、若獅子という感じで要所要所をびしっと決め、カシラを振るときもしなやかに身体のバネをきかせていて感心した。このシーンのブロマイドはほとんど売り切れ状態。人気高し。
国生・宗生の従兄弟二人の胡蝶も可愛い。同じ舞台で七之助にいさんの獅子を見てふたりもしっかりと育っていくに違いない。

ここの幕間で窓から外を見たら雪がちょうど降り始めるところだった。今年は暖冬で始まったがちょこちょこ雪が降ってくれる。

「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)~封印切」
第二部は、忠兵衛=愛之助、梅川=亀治郎、八右衛門=男女蔵。
愛之助ってすごい。八右衛門のときの声と全く違う細くて高い可愛らしい二枚目声で忠兵衛やってくれた。しぐさも可愛いいったらない!!(これで三月の本朝二十四孝観ないといけなくなった)
亀治郎も梅川はよかった。久々の逢瀬で「忠さん、忠さん」「かわ」とお互いに寄り添うところ、惚れあった男と女の微笑ましさにこっちまでにんまりしてしまう。こういうしぐさや台詞の情感は七之助にはまだまだ及ばない。
男女蔵の八右衛門は愛之助よりもはるかに憎憎しげ。おえんに「げじげじの八っつぁん」と言われるのがぴったり。友人も言っていたが愛之助はそれにしては美男すぎたから。
上方和事の同じ作品なのに第一部の成駒屋型=雁治郎直伝と愛之助の松嶋屋型では舞台のつくりから台詞からかなり違うことに驚いた。松嶋屋型の方が筋の運びも自然だし情感が出てよかったと思う。
亀鶴の治右衛門。けっこう気に入った。役不足はやはり否めないがあの顔つきが好みなのかも。上方歌舞伎では大事な若手だと思う。
おえんの市川門之助が冒頭の挨拶だったが、その挨拶も大学の先生みたいで理路整然と優しくお話していたのに好感をもった。松嶋屋型のおえんはより熟女のやさしさが出ていたし、夫とのかつての恋模様を語るところも可愛らしかった。

写真は、この公演「封印切」の絵看板。歌舞伎座と違って鳥居派ではなく、新しい雰囲気の絵。

光文社知恵の森文庫の小山観翁著の『歌舞伎、「花」のある話』を読み終わった。何冊か入門書も読んだが、「もはや手引書ではあき足りないという人向けの伴侶をめざした」と著者が書いているがイヤホンガイドのベテランキャスターの話は本当におもしろかった。
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05/01/20野田秀樹演出オペラ『マクベス』

昨年上演された野田秀樹演出オペラ『マクベス』は、私の観劇仲間の間でも評判だった。再演されたら観たいものだと思っていたが、ヤフーオークションのチケットのところでお手ごろな値段で入手できたので、期待ふくらむ中でついに観てきた。
マクベス役(バリトン)はカルロス・アルヴァレス。新国立劇場初登場らしい。歌いだしてその声量と声のよさにのっけからうっとり。ともに歌いだしたバンクォー役(バス)の大澤 建も渋くていい声。オペラはやっぱりいいなと最初からウキウキしてしまった。
マクベス夫人(ソプラノ)のゲオルギーナ・ルカーチはなんて美人で素晴らしい声だろうと感心。マクベス夫妻が並んでのシーンは圧巻。演技においても歌においても気持ちの表現が濃厚。とても満足度が高い。観にきてよかったとじわ~んと喜びをかみしめる。

お芝居の『マクベス』と大きく違っていると感じたのはマクベス夫人の夫とともに国のトップに上り詰めたいという意欲の強さがかなり強調されているなということ。最初のダンカン王殺しの後の邪魔者を消す過程にも積極的にかかわっている。第3幕のフィナーレでの夫妻の二重唱ではふたりをたきつけてここまで悪事を重ねさせた魔女の予言に復讐をと歌い、毒を食らわば皿までという感じですべての邪魔者を殺す決意が歌われ、ベルディのこのマクベス夫人の造形にすご~いと感心した。シェイクスピアの戯曲ではそこまで強い女性ではなかったから。ここまで強い女性に描くことでソプラノの女性歌手の魅力を大きく引き出すことができるのだろう。

マクベスに妻子を殺され、復讐を果たすマクダフ(テノール)の水口 聡の独唱もきかせてくれた。しかしながらちょっと太りすぎていて残念。
指揮はリッカルド・フリッツァとのことだったが、まだ私には指揮のよしあしがわからない。
野田秀樹の演出は評判なだけあって、楽しめた。
舞台装置が王冠を被った男の顔の目より上の部分を金属細工で模したようなもので、王の座への執着が生み出した悲劇を象徴している。その装置が回っていろいろな場面に変わるのもおもしろい。
オペラでは魔女たちはもともと大人数登場するようになっているらしいが、黒尽くめの衣装に髑髏をつけ、手には骨の腕をもつが、血塗られた場面では真っ赤に染まった腕に持ち替えるのがとても印象的。第3幕の冒頭、大釜で地獄のシチューを煮込んでいるシーンなど、しっかり邪悪な感じは漂ってくるのにグロテスクではなく、動きもコミカルなのがよかった。
その魔女たちが持ち運んでくる王座の椅子がまた真っ赤に塗られていて舞台が花がいっぱいになったところに置かれていたりするのもまた印象深い。
最後はマクダフに擁立されたダンカン王の息子マルコム(テノール)の内山信吾がその真っ赤な王座について幕。
新国立劇場でのオペラは初めてで、劇場の立派さにも感心した。今回はランク5で2階のドアサイド席だったけど、いい席だった。

これからも少しずつ、オペラを観ていきたい。
参考書も買ったしね。いつもの一冊でわかるシリーズだけど。
(成美堂出版『一冊でわかるオペラガイド126選』)
写真は新国立劇場のウェブサイトから。
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05/01/17NHK朝ドラ『わかば』から阪神・淡路大震災10周年

今回のNHKの朝ドラは、阪神・淡路大震災で建築家の父を亡くした主人公が小さい時に父に「お父さんのつくる家に緑いっぱいの庭をつくる」と約束し、それを実現するために造園会社に勤め、草むしりからたたき上げて頑張っているガテン娘の話である。
父がなくなった神戸を離れて母親の実家の宮崎の焼酎の醸造元に母子3人が身を寄せていたが、主人公わかばは大学卒業とともに神戸の建築会社に就職内定をしていたのに会社の倒産でパアになり、それでも神戸に住む祖父の紹介の造園会社で見習いから始めるという、不況の現在をしっかり踏まえた設定になっている。ただし、今から数年前の設定になってはいる。
1月17日に合わせて物語は進行し、今朝の話は主人公が7周年だったかな?の1月17日朝の慰霊祭?に参加し、会社も休んで父親の墓参りに行き、夕方、いきつけの焼酎バー(父親にそっくりな男が開いているという設定なのだが・・・)で今、強引につきあいを余儀なくされている親友の兄である雅也にその思いを話しながら泣いてしまうというところ。

そこで私がちょっと驚いたのは、雅也が「いつもみたいに笑顔、笑顔(わかばの口ぐせ)って言わなくていい、今日は泣いていいんや。俺が受けとめたる」っていいながら、涙を滂沱と流していたところ。若い二枚目があんなに滂沱と流す涙は初めて見た。そしてそれがさわやかなのだ。いいなあ。

今日の夜の『報道ステーション』では倒壊した阪神高速の手抜き工事を疑う裁判の話を報道していた。あんなに大きな事故だったのに政府よりの学者で固めた調査委員会の報告書だけ残して全ての資料は廃棄されていた。お役所は自分のミスの隠蔽は得意ですからね。大補修をして使えるようになった高速道路、大丈夫なのかと心配になった。
海にかける橋やあまり役にたっていないODAに使うよりも防災とかにもっと予算を回して安心してくらせる街づくりこそ、政治の大きな仕事だと思う。私たちの声を大きくしないと実現しないね。やれるところからやっていこう。
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05/01/16シネマ歌舞伎第1弾『野田版鼠小僧』

シネマ歌舞伎第1弾ということだが、今年松竹が110周年を迎える記念事業として演劇部門と映像部門の共同事業で制作したとパンフレットにあった。なるほど大きな会社だし、一大プロジェクトとしてすすめたのだろう。劇場のない地域でも映画館で歌舞伎を見てもらえることも大きな意義だ。ぜひ、こういう意欲的な取り組みはすすめてもらいたい。
第1弾として選ばれた『野田版鼠小僧』は、中村勘九郎時代の意欲作で2003年8月の歌舞伎座公演で撮影し、映画にされ、勘三郎襲名の年に公開されるというのはなかなか画期的である。

歌舞伎座公演は3階席から観たが、幕間のトイレが混んでいて冒頭を見逃してしまっていた。今回は冒頭の劇中劇から見ることができた。
TVの劇場中継よりもいろいろなところにカメラを据えて撮影していたのだろう。これは舞台で観る時とは大きな違いだ。大体、同じ公演を席の位置を変えつつ何回か観ることができる場合もあるが、できない場合もある。この作品は人気公演だったし、やっととれた席で1回だけしか舞台を観られなかった。この映画では自分が見たことのないアングルから観ることができて、さらに楽しめた。

封切り直後だし、あまりネタバレにならないようにする。
ストーリーは、ドケチでエゴイストの棺桶やの三太(勘九郎)がひょんなことから義賊の鼠小僧をまねして盗みを働くようになり、最後はいろいろな悪をあばこうとするが、敵役の大岡越前(三津五郎)にその証言をひっくりかえされ、越前にそそのかされたくそ真面目な岡っ引き(勘太郎)に殺されてしまうというお話。もうひとりの三太=親から見捨てられた子どもへの情がエゴイストの三太を変えてしまい、情にあふれた人間として死んでいく。しかしその情は子どもの三太へは届かない。子どもの三太は最後は自分で納得して力強く生きていくことが暗示されてThe End!三太のおじさん=サンタクロースをかけているのも駄洒落で最後は「きよしこの夜」が流れるんだけど・・・。

野田秀樹らしく社会風刺がきいた内容である。それはなかなかおもしろい内容だった。かなりドタバタなのだが、舞台で観た時も感じたことだが、歌舞伎役者が真面目にドタバタコメディをやるところがおかしい。動きもきれいだから、全く見苦しくならない。
ただし、駄洒落連発シーンが多く、それも楽しいがややクドイ感じが今回もした。観る人の好みかもしれないが・・・。
また、舞台装置がいい。屋根づたいに移動するシーンも多く、家並みの上の屋根の並ぶ装置がいい。三太を裁く奉行所シーンではその装置が反対に回ってお裁きを見守る住民全員がその屋根部分に上がってお白州を見下ろすのだが、これがまた大胆でいい。

[主要キャストへの感想]
勘九郎=棺桶やの三太
ドケチぶりやひょんなことから義賊になりすますことになり、それで盗み出した千両箱を間違って屋根からばらまいてしまい、それを回収するために盗みに入るという姑息な男を魅力的に演じる。「愛嬌」の勘九郎だから憎めない。しかし最初の盗みを見逃してくれた爺さんが大岡越前に殺されたことを知り、悩み始めてその孫にあたる三太のために「絶対人にほどこしをしない」というポリシーを破る決意をするまで悩み苦しみまくる姿もほほえましく牽きつけられる。

三津五郎=大岡越前
女を囲ったりして浮気する役が嫌らしくない。今回、男で白塗りは越前だけで、お面のような顔で妾に甘える姿は可愛らしく、外で権威的に振舞う時のいかめしさとのギャップを楽しくみせてくれる。ホント、今回の越前は「ワルよのう!」。

福助=貞女の鑑とよばれている後家お高、実は大岡越前の妾で興吉を間男でもつ
こういうあだっぽい年増女の役は絶品。間男といるところにまず旦那の越前に乗り込まれ、続いて正妻(孝太郎)に乗り込まれた時のあわてふためきぶりも可笑しく可愛い。

橋之助=三太と同じ長屋で善人と大評判の男・興吉でお高の間男
福助と腐れ縁の世話物のカップルをやらせると本当にぴったりと息があう。12月の「たぬき」でもそうだった。ヘコヘコする時とすごむ時のメリハリもきいている。今回の映画で特に感じたのは悪戯っぽい顔をする時の目の可愛らしさだ。愛嬌たっぷりの目をしている。いいぞ。

獅童=三太の兄、辺見勢左衛門で死人の役
最初から経帷子を着せられて頭に三角巾、死に顔メイク。獅童だからの存在感か?

扇雀=三太の兄の妻おらん、夫が死んだ後店の番頭とすぐに再婚
七之助=三太の兄の娘おしな
このファミリーもよくよくドケチで婚約していた娘の婚儀と父親の葬儀を一緒にすませるという。遺言状で遺産が全て善人の興吉にいくと知り、三太とともに興吉におしなを娶らせようと猛然とアタックする。そのシーンが抱腹絶倒。あっさりことわられると元の婚約者のところにさっさと嫁に行く。扇雀、後家の身持ちをめぐってのお高との対決シーンは見もの。七之助はこういう現代っ子のような町娘の役ははまっている。アタックシーンのえびぞり、笑える中にもすごい。

勘太郎=くそ真面目な岡っ引き
真面目一本やりの役柄はまさにぴったり。去年の大河ドラマの兵衛助もそう。この役しか歌舞伎で見ていないので、これから楽しみに観たいものだ。

観終わった後の印象で前回と今回で大きく違ったのは、最後のシーン。鼠小僧が空から小判を降らせてくれる約束を信じて待つ子どもの三太が降らなかった時に雪が降っているところに朝日がさしてきて光っている。このことだったのかとひとりで納得するシーン。前回はなんか釈然としなかったのだが、今回は前向きに受けとめることができた。
けっこうネタバレバレだけど、おもしろいし、新・勘三郎応援のためにぜひ、これを読んだ方も観に行ってあげてください。一見の価値はあります。

写真は映画のポスター。
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05/01/15ヤフーオークションで初落札!

野田秀樹演出のオペラ『マクベス』、ヤフオクでずっとチェックしていたが、またなんとか行けそうな日のチケットが出ていて、終了時間間際をねらって入札し、初落札!!
1/20木曜日の夜の公演だ。オペラシティのコンサートホールも初体験だし、うれしい。

まだ譲ってくれる人からのメールがこないのだが、早く連絡がこないかなあ。
→連絡きました!月曜日の夕方に手渡してもらうことになりました!

今日は雨。明日は雪になってしまうかも。でもシネマ歌舞伎第1弾『野田版鼠小僧』に明日行く予定なのだ。歌舞伎座でも3階席から観たが、トイレが混んでいて冒頭を見逃していたので、楽しみ楽しみ。

感想を明日書けるように頑張りたいなあ。
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05/01/09『ハウルの動く城』星ふたつです?!

正月に母がこの映画は観たいと言っていたがひとりではなかなか行けないようなので、隣の駅前に昨年秋にできたショッピングセンターにあるシネコンに誘って見にいくことにした。チケット売り場は大行列でディズニーランドの乗り物乗り場前の行列のようだったが、幸い次の上映会で観ることができた。
ただし、4列目の左端席だったのでかなり斜めから見たわけで、映画はやっぱり二次元だなあと苦笑した。

さて、感想はひとことでいうと「元気なのは女だ」という映画だった。主人公ソフィー、荒地の魔女、宰相サリマン・・・。
人間と魔法使いが共に存在することを人々が当然と受け止めている、年代は不明だがヨーロッパのような街が舞台。若い娘の心臓をねらうという魔法使いハウルの動く城がのっけからグロテスクだが愛嬌のある姿で移動している。それを見ても人々は気をつけなくちゃというくらい。隣の国との戦の準備があちこちですすめられている。
ソフィー(声:倍賞千恵子)は自分が本当は何をやりたいのかがわからないけれど、亡き父の帽子屋を支えて真面目に働いている18歳の女の子。美人の母に似た妹と違ってかなり自分にコンプレックスをもっている。街中を歩いている時に突然ハンサムな魔法使いハウル(木村拓哉)が追っ手から逃れるのに巻き込まれて恋に落ちる。その夜、ハウルをつけ狙う荒地の魔女(美輪明宏)が店にきてもへりくだらないソフィーは呪いをかけられて90歳にされてしまう。
この呪いをといてもらうために家を出て魔法使いを探しに行く途中でカブ頭のかかしを助けてやると気に入られてしまってついてくる。寒さから逃れるため動く城に飛び込んだソフィーが最初に出会ったのは城を動かしている火の悪魔カルシファー(我修院達也)だった。ハウルとの契約で暖炉に縛り付けられているらしいがその秘密をといて自由になりたがっている。ソフィーにその秘密を見破ることで元の姿に戻すよう取引をもちかける。
ソフィーは城の中のあまりの汚さに掃除婦をかって出る。ハウルの弟子マルクルのお行儀の悪さにもあきれてちゃんとしつけてあげようと決意。掃除というものをしたことのなさそうな城の中を磨き上げ、マルクルと本当はいくじなしのハウル、カルシファーの面倒をみる中でイキイキとしてくるソフィー。
戦争には魔法使いも総動員され、ハウルは王の招請を受けるが、応じない。ただ無為に生きている。ある日、正式にことわるためにソフィーはハウルに代理を頼まれて王宮に向かい、途中で一緒になった荒地の魔女とふたり階段をのぼっていくが、毎日身体を動かすソフィーと魔女では上りきるまでの姿も対照的。
王宮には王を補佐する魔法使いの宰相サリマン(加藤治子)がいて荒地の魔女には実年齢に戻す魔法を使い、ソフィーは人質にされそうになるがハウルが救いにくる。ソフィーはよぼよぼになった荒地の魔女まで一緒に連れて戻る。サリマンはハウルの師匠だった。期待されていた彼はある時からそのもとを離れてしまった。力が強すぎるのを警戒するサリマン。
戦の戦闘機などは『風の谷のナウシカ』や『紅の豚』などのようかなり凝ったつくり(おなじみの甲虫のようなデザインもあり)で描きこまれている。ただし、なぜ隣国と戦争になっているのかの説明はない。街が破壊され焼かれるシーンもあるが、人が死ぬリアルなシーンはない。総じて戦争の描き方は観念的。
ハウルは守るべきもの=ソフィーを見つけてやっと生きる目的を見出したようだ。一緒に暮らす仲間(よぼよぼの魔女まで)を家族とよび、それを守るために戦うハウルだが、傷つき倒れる。
彼が心=心臓をカルシファーに預けて生きてきたことにソフィーが気づき、それを取り出してハウルに戻し、ハウルもカルシファーも解放する。ところが自由になりたかったはずのカルシファーは今度は自分の意思で皆と一緒にいたいと戻ってくる。この家族の中心にソフィ-がいるのだ。
かかしも大活躍し、お礼にソフィーがカブ頭にキスすると魔法がとけ、隣国の王子様に戻る。ソフィーに惚れていたのだが、あきらめて自分の国に戻る。それで戦争をやめさせるという。サリマンも「この馬鹿げた戦争を終わらせましょう」といい、平和が戻るようである。隣国が王子の誘拐をしたとか疑って戦争をしかけてきたのかなあ。

とにかく、宮崎監督の「反戦平和」のメッセージは今の世の中だから痛切に響く。しかしながら、どうしたら今の戦争をやめさせられるのかのサジェスチョンはない。自分で考えなさいということね。
男は元気がないが、それを生き返らせるのも女だというメッセージも感じた。確かに経済優先で考えると戦争は続くよね。それを人間としてどうかと問い直すのは女の方がより向いているというのが今の社会だと思う。
倍賞千恵子と木村拓哉のキャスティングはよかった。人物がより人間らしくくっきりと浮かび上がっていた。
作品的にもまあ、『千と千尋の神隠し』よりはわかりやすかったと思う。母は大きな画面だとやはり迫力があったと喜び、ただ城が少しちゃちだったと言っていたけど城なら『天空の城ラピュタ』だ。そっちを大きな画面で見せたかったな。私が家でビデオなどでも繰り返し見たいのはナウシカとラピュタとトトロかな。

次の映画は『オペラ座の怪人』で決まり。宣伝文句の現代のモーツァルト=ロイド・ウェバーはいいすぎだと思うけどね。
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05/01/09NHK大河ドラマ『義経記』なかなかよさそう。

今日は『ハウルの動く城』を観に行ったが、それは明日書くとして、夜見た標記ドラマについて少しだけ書くことにする。

昨年の『新撰組』も予想以上に面白かった。香取慎吾の近藤勇もスタート当初は硬いし台詞もうまくないしで脇役のよさで見ていたところがあったが、最後はなかなかのレベルになっていた。脚本の三谷幸喜も現代もののドラマを見た時は、つまらないダジャレなどが多くて好きになれなかったが、司馬遼太郎の原作がいいせいか多少のダジャレも苦にならなかった。現代的なセンスの時代劇になっていてむしろ楽しめた。
さて、今年の『義経記』である。宮尾登美子の原作のうち『平家物語』は週刊朝日連載中にある程度読んでいた。母の愛に恵まれなかったコンプレックスが強い清盛という描き方が女性作家の細やかな筆で書かれていた。
平清盛の渡哲也も後白河上皇の平幹二朗も昔はかなりアクが強かったが今はそれがとれてきてなかなかの雰囲気。清盛は継母の横槍で源義朝の嫡男頼朝を生かすことになってしまうが、それとともに常磐御前を3人の子どもともども生かしてしまう。彼に情報をもってくるお徳(白石加代子)が常磐御前を彼の実母に似ていたとか言うからだが、稲盛いずみの常磐御前に魅かれる姿がかなりの年なのになかなか可愛らしくてよい。
頼朝の子ども時代を演じた市川男寅の面構えがよかった。父の男女蔵にそっくりだ。祖父の左団次が金売り吉次役で出ているが、そちらも楽しみだ。(さっそく男寅くんは安徳天皇役だというコメントをいただきました。すみませんm(_ _)mご指摘ありがとう。土曜日の再放送を録画してもう一度配役確認しよう→ビデオで確認、池松壮亮くんでした(´∀`)ノ)

最後に主役のタッキーだが、今日は冒頭の一の谷のひよどり越えシーンと次回以降の予告編くらいだったが、上半身肌脱ぎになった時の身体のきれいなこと!かなり身体を鍛えていると噂にきいていたがさすがだ。今日の本編の義経は赤ちゃんシーンがほとんどだった。その赤ちゃんの子役も目が大きくてとても可愛かった。

今年も毎週日曜日の夜は楽しみになりそうだ。
写真はNHKのウェブサイトから。
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05/01/05『夏目家の食卓~文豪漱石のハチャメチャ人生・・・』


昨日は友人たちとの新年鍋パーティを我が家で開催。そのためにビデオ録画をしようと思っていた向田邦子ドラマ『冬の花火』だった(冬の運動会でした。ご指摘ありがと!)が、うっかり開始時間を30分もすごしてしまい、あきらめてしまった。今日、仕事初めで職場で何人も絶賛して話をしてくれたが誰も録画していないとのこと。誰か録画してませんかあ??貸してくださあい。
それと本日ヤフオクでねらっていたオペラ『マクベス』チケも入札をうっかり忘れて気づいた時には手遅れ・・・。高い席しかなくなってしまった。まずい、最近どうも忘れっぽい。これからは目覚ましを使おうか??

今日は新春ドラマ特別企画ということでTBSが標記のテレビドラマをやっていたのでしっかり観た。明治のホームドラマということで演出は久世光彦。漱石を本木雅弘、妻鏡子を宮沢りえだから観ないわけにはいかない。昨年話題になったTVCMでも夫婦役でいい雰囲気を出しているが、今回も息もぴったりでいい感じだった。
久世光彦の昔の『時間ですよ』シリーズをパロッっているシーンもたくさんあって、笑えた。漱石の家は当時の遊人たちのたまり場と化しており、樹木希林なんてなぜかその場にいる漱石のファンの役でちゃんといるのである。母屋と離れをつなぐ上げ下げできる渡り廊下なんていうのもあり、通行を妨害してしっかりとひもで上げて人物を滑り落とさせるなんていうシーンもちゃんとある。
実際の妻と娘の回想記録に基づいた作品ということでもちろんかなり誇張してはいるのだろうが、妻の鏡子もまた変わった人だったようで、その妻が支えた漱石の半生の話は今までの私の漱石のイメージをひっくり返した。
漱石はかなり大食漢で食い意地がはっていて、料理が得意でなかった妻は大変だったらしい。しかし食べっぷりが気持ちいいので苦にはならなかったとのこと。確かに本木の食べっぷりはあきれるほどだ。書生とのお代わり合戦なんて笑ってしまう。

ところが国の命令で行ったロンドン留学で神経症を病み、一生苦しみ続けることになる。その気晴らしに書き始めた小説があたってしまい、次第に創作の苦しみが神経症を悪化させる。家族にあたりちらして妻は娘たちを連れて実家に帰ってしまうが、夫が食を細らせるほど落胆していると聞き覚悟を決めて夫のもとに戻る。収入のためには教員を続ければ東京大学文学部の教授になれる、その道を選ぶか職業作家としての道を選ぶかを妻に相談するが、妻は好きな方を選べという。そして死ぬまで書き続けるわけだ。
神経症→胃潰瘍をおこして御粥ばかりの生活を強いられたため、家族の不在時に卵かけごはんを大盛り3杯も食べ、その後七転八倒で苦しむ場面があったが、前半の食いっぷりの良い場面との対比でその辛さがよく伝わってくる。
食卓とタイトルにつくのだから食事のメニューも具体的に示されたり、漱石の食へのこだわりの強さ、それを制限されてもなお食べることへの執着の強さは、人間漱石の大事な一面なんだなと思った。食へのこだわりは生へのこだわりだ。生きている中で感じたことをそのまま写しとるという写実主義の文学をつらぬいた漱石の根幹を貫いていると思った。
国からいろいろいただく称号も全て断ったというところも、権威からの評価を欲しがらず、ただの漱石という自分というものを大事にしたいという頑固さ(漱石もそういう意味らしい)を通すという、見上げた人だったのだと再認識した。
夫を愛して支えた妻役の宮沢りえもよかった。この人は自分の人生の紆余曲折を肥やしにして本当にいい女優さんになった。これからも注目していきたい。
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05/01/03『新春浅草歌舞伎』第一部

昨日観にいった『新春浅草歌舞伎』第一部(昼の部)の感想。

「御所五郎蔵(ごしょのごろぞう)~仲之町出逢いの場」
因縁のある2つのグループが吉原仲之町の店先で出逢って言い合いになり、茶屋の女将が留め女になって幕というたわいのない話。それぞれの4人ずつの手下が左右対称に並んでの動きとか、河竹黙阿弥の七五調の台詞を手下がリレーでしゃべる(渡り台詞という)とかが面白い。35分くらいの一幕上演ですごく短い。
侠客の御所五郎蔵を中村七之助、剣術師範の星影土右衛門を市川男女蔵。
男女蔵は父・左団次の得意の役をつとめていて若いがニンもぴったりだしよい。七之助の父・勘九郎もここ浅草でつとめたということで、負けん気の強い彼らしく頑張っていたが、やはり細面すぎてまずビジュアル的にだめ(昔昔、宝塚の『ベルばら』の新人公演で本役が初風淳のマリー・アントワネットを北原千琴がやったときのことを思い出した)。やはり細すぎると合わない役もあるのだ。私が観ている範囲でいうと七之助は12月歌舞伎座の白井権八のような若衆が一番いいと思う。
留め女の中村亀鶴は出てくる場面は短いが、きりっとした女将の風情が出ていてよい。

「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」
昨年、海老蔵襲名でも演じられたおめでたい演目。9代目団十郎が決めた新歌舞伎十八番のひとつという。今回昼の部は、市川亀治郎。
前半の大奥小姓弥生は丸顔で可愛く登場(夜の部の七之助の細面と対極にある)。お茶の練習中に上様の前に連れてこられたので恥ずかしがってすぐに退場、またすぐに連れてこられてと舞い始めるが、お茶のふくさを使ったり扇子を使ったりシンプルに手だけを使ったりの女形の踊りも可愛い。鏡餅のところに飾ってあった獅子頭を片手で持つと蝶が2匹現れ、それに影響されてか獅子に魂がこもり、弥生が獅子にひきづられて退場。
後半との間をふたりの胡蝶の連れ舞で繋ぎ、いよいよ亀治郎が獅子に着替えて花道から登場。出てきて七三の位置で後ろずさって引っ込んでしまい、また一気に舞台に出てくる。白いたて髪の獅子の舞も勇壮な中に途中で眠ってしまい胡蝶におこされて舞い始める。こういう変化にとんだ舞踊なら舞踊が飽きてしまって苦手な私でも楽しめる。最後はカシラをふるという獅子もののお定まり。亀治郎、踊りは達者だときいていたが本当にそう。もう少し表情が出てくるともっといいと思う。

「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)~封印切」
この作品は「封印切(ふういんきり)」と「新口村(にのくちむら)」がそれぞれ単独上演されることが多い。「新口村」は昨年三月歌舞伎座で仁左衛門と雀右衛門コンビで観たところだ。また、蜷川『近松心中物語』新演出版も観ている。それで興味をもって見てみようと思った次第。
今回昼の部は、忠兵衛=亀治郎、梅川=七之助、八右衛門=片岡愛之助。
浅草歌舞伎で上方和事の作品の上演は珍しいそうだが、愛之助の演技は上方和事がしっかり身についている。亀治郎、頑張っているがやはりちょっと苦しい。でも声は父・段四郎に顔はおじの猿之助にそっくりなのには驚いた。
愛之助の八右衛門がかなり憎憎しげなのにはびっくり。『近松心中物語』ではもっと忠兵衛の友達的な優しさを持った人物だったから、ギャップが大きかった。その八右衛門と忠兵衛の預かり金の封印を切るまでのやりとりがかなりコミカルなのも違った。あとからパンフレットを読んだら近松の浄瑠璃の原作よりも歌舞伎にする際にそのへんを大きくアレンジしているとのことで納得した。
上方和事の色気とおかしみというのはこういうことなのかと少し見えてきたような。雁治郎さんあたりで上方和事の作品を見てみようかな。
中村獅童の槌屋治右衛門は、梅川の抱え主で親代わりのような存在としてはやはり役不足。若い立ち役を見てみたい。
舞台になっている井筒屋の女将おえんの市川門之助は全体が若い中で年長者の重石の役目をしっかり果たしている。酸いも甘いもかみわけた熟女のやさしさがにじみ出ている。

こうして書いてくると、役代わりで演じられる夜の部も安い席でだったら観てもいいかと思ってきてしまう。これがいけないのかもしれない。
写真は、新春浅草歌舞伎の役者名の幟(この公演のパンフレット表紙=表が金で裏が銀色から差し替えました!)

『SHIROH』の幕間に流れていたQEENを『QEEN JEWELS』を浦和の古本屋で手に入れたのでずっと流しながらこれを書いている。前半期のベスト盤は持っていたが後半期の曲はもっていなかったのでやはり買ってよかった。「I WAS BORN TO LOVE YOU」最近TVCMでも使われているけれど、フレディのソロアルバムの中の曲を彼の死後、声の録音を生かして残ったメンバーがQEEN版をつくったとか!いいです!!

今日で正月休みは終わり。明日から仕事だあ。
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