ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/04/29 実家の屋根裏収納の片づけ決行!!

2012-04-30 01:11:28 | 住まい・地域を考える

GW前半のメイン課題、実家の屋根裏収納の片づけを決行した。4/21、22で二日連続観劇、23日は職場の労組の懇親会、25日は歌舞伎の千穐楽観劇もしつつ、上司との会議や面接など、緊張感あふれる一週間の疲れがどっと出た。
金曜日の夜に喉が痛くなってきて、4/28(土)の連休初日は、天気もよいというのにしっかりと寝込んでしまった。まぁそれも仕方がないか(^^ゞ

そしてついに、29(日)は業者さんによる片付け決行日。実家に10時過ぎには到着し、GW後半のメイン課題の納骨についての打合せをすませた。そうこうしている間に約束の12時ちょっと前に業者さんが先に二人ワゴン車で到着。見積もりの時よりも母が頑張って自分で捨てられる分を減らしたことを報告。さらに見積もりから1ヵ月の間に気持ちの整理をつけて処分に踏み切った応接間の絨毯の追加を頼んだら快諾してもらえた。

2階の仏間を中間点にして屋根裏収納からどんどん荷物を下ろす。大方は両親と母の実家がそれぞれに商売をやっていた時の未処分の荷物なのだが、母の実家が戦争で東京から栃木に疎開した時の荷物もあった。元々はミシンの輸入業と縫製業をしていたので、貨物列車3便で疎開させたのだが、あとの2回は駅留めになっている時に米軍の襲撃で焼かれてしまった。反物と最初の家財を運んだ1便だけが無事だったということで、その時の桐箪笥(通常より幅広)や母のお雛様などは80年物だという。
疎開先で確保していた家が二重売りの詐欺にあい、村の公会堂に仮住まいして一生を終えてしまった祖父のところで、私たち姉妹が水遊びをした時の楕円形の木製のたらいも出てきた。

茶箱を買ってはいろいろと物をしまっていたことも覚えている。階段下の収納部分にあった足踏みミシンの最後の一台の奥にもさらに2箱あって、それも追加で出させてもらい、中を見たら私たちが子どもの頃に着たオーバーコート類が入っていてびっくり。40年近く前のものだ。
さらに、冒頭の写真は、名古屋の妹1が娘2人の後に、男の子がもう一人欲しいと言っていた頃、社宅は狭いからと実家に預けた荷物だ。マタニティ服、新生児服、幼児服やおもちゃ等が出てきた。もう一人産むのはあきらめたので不要になったのに引き取り忘れてしまったようだ。

屋根裏部分に加えて、一階の納戸部屋にあるものも処分対象で、父のステンドアートの下地となるガラス板もたくさん残っていたが、それも一気に片付けてもらった。一部割れていたのは地震のせいもあるだろう。父が趣味的に集めてしまった工具の入った小さい物置も中身ごと持っていってもらうことにし、さすがにこの分は追加料金が発生したが、家の周りもすっきりするし、当日になって処分の決断をしたものも車に乗る限りはお願いできたのがラッキーだった。
車は午後2時頃到着し、外に運び出した荷物を2tロング車の天井までぎっしり積み上げてかなりいっぱいにして引き上げていった。

さらに、応接セットの下の絨毯を剥がした後、「ワックスがあればかけておきますよ」と声をかけていただいたので、スプレーをお渡ししたら丁寧に拭き上げてくださったことに母も私も感謝感激!!
20万円はかかったが、こんなに気持ちよくお仕事をしていただいたことに感謝至極。本当に有難かった。

3月末の見積もり後、実はあらたに風呂場のタイルが浮いてくる問題が発生。おそらく地震で壁に亀裂が入っているのだと推測されている。屋根裏収納がかなり重かったのもよくなかったのだろうという話も出ていた。
その屋根裏が軽くなったら、家全体が軽くなったような気がするねぇと母と私がしみじみしてしまった。確かに耐震的にも安心さが増したと思う。鼠の襲来がきっかけだったが、地震対策という観点も大きかったと後から気がついた。

さて、GW後半のメイン、5/5の納骨には三人姉妹が揃う。その時に妹たちに母を誉めてくれるように頼んでおいた。「今回はこんなにまとまって荷物を処分することを思い切ってくれてえらかったねぇ」って言うんだよってね。

それがすんで、落ち着いたら次は風呂場の修理!次から次へと課題が出てくること!!

12/04/22 演舞場昼の部観劇後の歌舞伎座建築工事現場

2012-04-29 23:59:06 | 観劇

歌舞伎座建て替え中に一気に役者の世代交代がすすむだろうと思っていたが、富十郎、芝翫、雀右衛門と次々と亡くなられ、予感が現実のものになってしまった。
しかしながら、若手がどんどん力をつけてきているのも頼もしく、四月花形歌舞伎は「仮名手本忠臣蔵」の通し上演!大顔合わせの通し上演から3年ということで、口上人形→大序からしっかり観るはずが、目覚まし時計のセットの時間を間違えて大遅刻(T-T)
前日の蜷川シェイクスピア「シンベリン」で泣かされて、昂揚感の中で記事アップしてしまった反動だろうとも思い当る。連日の観劇は気力体力が続かなくなってきたということだろうか(^^ゞ
それでもなんとか大紋姿の松緑、菊之助、獅童が極まるところから滑り込み、若手の楷書の舞台もなかなかよいなぁと喜びつつ、歌舞伎座建築現場をチェック。
3/26の時よりも後方のビル部分が高くなっているだけでなく、前方のファサードの大屋根の上に瓦が並べられているのもしっかりわかった。さらにその瓦は、先日浅草寺の寺宝展で見たチタン製の瓦と同じようだということにも気がついて、なるほど、これで屋根部分も耐震強度の高い劇場に生まれ変わるのだなぁと感心至極。それにしても昨年の3.11が歌舞伎座の建て替え前だったら崩れてしまったかもしれないとつくづく思えてしまう。

一人観劇で時間がある時は木挽堂書店に立ち寄ることが多いが、店主さんとのおしゃべりを楽しんで古本を2冊購入。講談社文庫版の『松緑芸話』を早速読み始めたが、『きのね』を読んだ後だけにどんどん読み進むことができるのが嬉しい。「仮名手本忠臣蔵」の芸談もあり、実にタイムリーな一冊となった。

JR有楽町まで歩いていくが、不二家銀座店でひっかかってしまった。22日はケーキのセール日だという掲示に目が吸い寄せられてしまったのだ(^^ゞ
「なんでもない日」に滅多にケーキを買う人間ではないのに、季節のケーキのメロンが美味しそうでさらに半額というのにやられ、エイッと買って、ポコちゃんストラップまでもらってきてしまった。
帰宅したら娘が驚き、喜んで夕食前にコーヒータイムになってしまった。二人で1回で食べてしまおうというのを翌朝と2回に分けるように説得に成功して安堵(笑)

12/04/21 蜷川シェイクスピア「シンベリン」の赦しの想いが五輪のロンドンに届きますよう

2012-04-21 23:59:41 | 観劇

彩の国シェイクスピア・シリーズ第25弾「シンベリン」の千穐楽に自転車ですっとんでいき、開演に間に合う(^^ゞ
舞台の上には大部屋の楽屋風に化粧前の鏡台が並び、役者たちが浴衣やガウンで開演を待っている雰囲気。一同が舞台の前にずらっと並んで挨拶かと思いきや、ここで引き抜き!一気に物語の登場人物に変わったことに度肝を抜かれた。あぁ、間に合ってよかった!!

松岡和子訳『シンベリン』による初演であり、しっかりそれを読んできたが、豪華な配役の役者陣の演技や蜷川ワールドの舞台の素晴らしさに完全にやられた。
Wikipediaの「シンベリン」の項はこちらだが、ヒロインの名前が松岡訳ではイノジェンとされている。「nn」と「m」の誤植という説があるのでヒロインに「イモ」は避けたというのが女性の翻訳家らしいこだわりだと納得。

主な配役は以下の通り。
シンベリン=吉田鋼太郎 王妃=鳳 蘭
イノジェン・変装してフィデーリ=大竹しのぶ
ポステュマス・リオナータス=阿部 寛
クロートン=勝村政信 ヤーキモー=窪塚洋介
ピザーニオ=大石継太 ベラリアス=瑳川哲朗
ギデリアス=浦井健治 アーヴィラガス=川口 覚、他

ブリテン王国はシンベリン王の伯父の時代にシーザー率いるローマ帝国との戦に敗れ、年貢を納めなければならない関係にある。そのブリテンの場面では、背景のパネルに冒頭の今回の公演チラシのバックにあるような水墨画風の絵が使われていた。
ポスティマスは戦功のあった家臣の遺児で、王が引き取り王女の遊び相手として育ち、二人の間に愛が育った。それなのに再婚した王妃の連れ子クロートンとの結婚を強要するというところからタイトルロールのシンベリン王の愚かさが際立つ。その王の吉田鋼太郎も可笑しいが、勝村政信のクロートンの馬鹿っぷりがこの芝居の喜劇性の頂点にある。また、鳳蘭と勝村の二重で大きな目がよく似ており息子を妄愛する母、母に依存する息子という関係が印象的だ。

王族に準じて紳士扱いのポステュマスはローマに追いやられ、そこに動いてきた背景のパネルは何やら日本の王朝絵巻の金地に描かれた絵のようだと思い、全てが並んだ時に源氏物語絵巻の「雨夜の品定め」の場面だとわかって興奮した。その社交界場面が実にジャパネスク!
そこここに金色の分厚い座布団が置かれ、寝そべる男たち。ローマの男たちがガウン風に着ているのは歌舞伎でよく見るような打掛だ。清家栄一などは「雪持ちの笹」が描かれたものを羽織っている。ヤーキモーの窪塚洋介が退廃的な雰囲気いっぱいで煙管で煙草をふかしている。スペイン人はマタドールが着るような上着の背には金色の刺繍。ポスティマスは黒い衣装。国際色豊かなローマは極彩色で、辺境の地のブリテンは黒いイメージという対照がきいている。

男が集まって女についての艶話で盛り上がって意地の張り合いをするというのはどこの国にもあることらしい。ヤーキモーがイタリア男の意地をかけてポスティマスをやりこめたい一心でついた嘘から「オセロ」のような嫉妬のドラマが展開していくのだが、イアーゴーと違ってヤーキモーには後悔の念が強く湧いてきて動揺するというのまた人間くさい。ポステュマスは高潔な人物のはずが、これくらいのことで脆くも嫉妬の激情に振り回されるという一面があるのも人間の複雑さを描いてよい。多面的な人物造形が憎らしい。女をこき下ろす場面にはシェイクスピアの女嫌いの実感がこもっているのかもと思うとそれもまた可笑しい。

この男女の愛のもつれとともに、滞った年貢の請求で二つの国の関係は悪化し戦争へとドラマはすすんでいく。要所要所で舞台の効果音として大鼓の高い音が台詞との間も絶妙に響き渡り、舞台にスピード感を増している。楽隊の奏でるギターに小鼓が重なるなど和洋の音のコラボも効果的。
また、愚かな王は過去に忠臣を誤解して領地を取り上げて追放し、仕返しとして息子二人を攫われていた。その忠臣ベラリアスが息子として育てた王子二人の浦井健治と川口覚がまたいい配役だ。イノジェンが身の危険を避けるために変装して小姓姿になり、彼らに助けられ、愛される。「ロミジュリ」のジュリエットのように仮死状態になる薬を飲んで死んだと思われた時に鎮魂のために浦井が歌うのもよし、川口の嘆く台詞がよい(ネクスト・シアターの「ハムレット」主演が見事だった)。

イノジェンとポスティマスが密会するだろうと追ってきたクロートンは、ギデリアスを侮辱し、斬り捨てようとして反撃されて殺される。仮死からめざめたイノジェンがとりすがるその首なし死体がこの芝居で唯一の流血場面となるが、「馬鹿は死ななきゃ治らない」的に笑えるキャラ設定でそれほど悲惨には見えないのが救いだ。

シンベリン王と旧知のカイアス・ルーシアスを将軍としてローマとの開戦となるが、戦に入る前は旧交を温めあい、そうしてあらためて正々堂々と戦を始めるという関係が面白い。歌舞伎の敵同士が戦場まで決着を預けての幕切れと同じだなぁと思う。
戦の場面はブリテン軍の黒、ローマ軍の白の衣装でスローモーションの激突の立ち回り。ベラリアス父子とポスティマスの活躍のそれぞれをしっかり目で楽しめる。イノジェンは自分の命令でピザーニオが殺してしまったと思い込んだポスティマスは死に場所を求めて奮戦したが捕虜となる。その夢に琵琶を奏でながら登場する父をはじめとした家族の霊が現れて嘆き、ジュピターに抗議すると大鷲の背に乗った大神が現れて救いを約束。まさに「デウス・エクス・マキナ」=ギリシャ劇的大団円へと向かう(このジュピターも白い面をつけ白い和風の衣装の袖を腕に巻くように振り回していた)。

ブリテン軍の勝利。そこで息子の失踪で錯乱死した王妃の告白で王室内の謀略が明らかになり、捕虜となったヤーキモーの懺悔、クロートンの死の真相から二人の王子のことについても次々と明らかになる。ベラリアスは王に不当な扱いへの復讐の赦しを得、ポスティマスはヤーキモーを赦す。
王は婿の寛容さを見習い、死刑にするはずのローマ軍の捕虜を「赦そう」と言った。
私はここで、復讐の連鎖を断ち切ることをテーマにした「ムサシ」を思い出した。井上ひさし×蜷川幸雄の「ムサシ」のニューヨーク公演は9.11以降の復讐の連鎖を断ち切ってほしいというメッセージを伝えるものだった。
そうか、この「シンベリン」もロンドン五輪に連動した文化企画のシェイクスピアフェスティバルに招致されている作品だ。「平和の祭典」であるべきオリンピックに「お互いに赦しあって戦争という復讐の連鎖を断ち切る」というメッセージを届ける舞台になるのではないかと思い当った。アジアンテイストの舞台もロンドンでは喜ばれることだろうし、このメッセージはしっかり届くと確信した。

戯曲を読んだだけではわからなかった、「赦し」がいくつも入れ子になった舞台を堪能し、このメッセージにいきあたった私は千穐楽のカーテンコールを見ながら涙があふれてきてしまった。ネクストシアターの「ハムレット」でも滂沱の涙にくれたが、2作連続で泣かされてしまった。蜷川の舞台を今観られることが私の人生の幸せであり、生きる力になっていることを痛感させられた。

主演二人についても書いておく。
ポスティマスの阿部寛は初のシェイクスピアだったようだが、見事だった。蜷川作品に出た「新・近松心中物語」「道元の冒険」「コースト・オブ・ユートピア」のいずれも観ているが、舞台俳優として着実に成長しているのが嬉しい。全出演者の中でも頭ひとつ飛び出るほどの長身全体から大きな感情表現が爆発しているのを見るとロンドンでも見劣りしないだろうと確信した。
イノジェンの可愛らしい王女ぶりと男装の小姓への変わり身をここまで瞬時に見事に堪能させられる女優は今のところ大竹しのぶしかいないだろうと思う。「NINAGAWA十二夜」の菊之助と比べてもいい出来だ。訓練された歌舞伎の女方と違い、声の出し方の変化を安定的にできる女優はほとんどいないだろう。男優に演じさせた「メディア」を大竹しのぶの女優としての成熟を待って主演させた蜷川ならではだと納得至極。実の年齢が問題にならないのが舞台のよさで、阿部寛の長身にからむ小柄な大竹が可憐だった。
恋敵役の勝村をカーテンコールの最後にひっぱって出てきて3人で挨拶するようにしていたのも微笑ましい。そう恋敵が二人の純愛を一層引き立ててくれたのだからね。勝村の恋敵の存在感も魅力的だった。

12/04/15 平成中村座観劇前に浅草寺「大絵馬・寺宝展と庭園拝観」+襲名ストラップGET+ミニオフ会

2012-04-17 23:59:42 | おでかけ、旅行

今月の平成中村座は、第二部「通し狂言 小笠原騒動」を観劇。その前にさちぎくさんと待ち合わせて六代目勘九郎襲名祝の特製ストラップをGETしにいく。浅草寺境内の江戸町「奥山風景」に平成中村座の半券をもって行くともらえるというチラシを先月の観劇時に入手していたのを今月実行(笑)それにしても観光客が多い仲見世通りを通るのは大変。

さらにその前に浅草寺境内に入ってすぐ、ポスターを見て通常は非公開の伝法院の庭園公開をしていることに気づいた(1/14に伝法院の鎮守「鎮護堂」から覗き見た時の記事はこちら)。

先日TVでオンエアしていたのを見て、庭園から浅草寺の五重の塔とスカイツリーが並んでいるのを観ることができるとやっていたことを思い出し、時間があまりないながらも急遽行くことを決定。五重の塔の裏側の入り口に回って入る。入場料は300円だったが、「本展の収益は東日本大震災の義援金とさせて頂きます」とのことだった。
浅草寺「大絵馬・寺宝展と庭園拝観」
この寺宝展は大いに見応えがあった。山王権現として弁才天のような女神の姿でも描かれたものが展示されてちょっと驚いたが、21の姿をもっていてその一つということだった。なるほど、変化自在ということかと納得。

大絵馬と「大」がつけられているだけあって、本当に大きいものがたくさん展示されていた。昔はあった絵馬堂が震災や火事などで亡くなってしまい、避難させておいたものが秘蔵されていて、特別展示の際に公開されるとのこと。徳川将軍家の庇護もあって秀忠・家光寄進の神馬像の絵馬があり、またそれより古い時代の神馬の木像も展示されているのをみると、像から絵馬に変化したことが伺われる。ヤマサ醤油のヤマサのマークを観音様の夢のお告げで感得したところを描いた絵馬の説明にも驚いた。観音菩薩を表す梵字は「サ」と読むのだそうで、創業者の名前からではないのだという。商売人の信仰心というのがこんな風に残っているのかと感心至極。
芝居町でもあり、歌舞伎役者の寄進の絵馬(二代目勘三郎の猿若人形絵馬、五代目菊五郎初演時の「茨木」の絵馬等々)、八代目團十郎の木灯籠など、予想以上に楽しめた。

昨年9/21に国指定名勝に指定された「伝法院庭園」も周遊。寺宝展会場出口を出てすぐに五重の塔とスカイツリーが並ぶスポットあり(写真をとりはぐったのが残念)。桜の季節は盛りを過ぎていたが、まだ咲いている木もあった。浅草寺本坊伝法院の建物は派手さはないが、開け放たれた障子の間から見える畳敷きの部屋の欄間の彫刻などもあり、兼帯していた法親王がここで休んだりしていたのかなぁとイメージを膨らませた。1月に柵越しに見えた建物と池の前に立つことができたと思うとかなり嬉しかった。お茶の無料サービスのお茶をいただきながら、池の向こうの植え込みも見渡す。木々が周囲の建物をうまく隠してくれて都会の中でも庭園を楽しめるのがよい。

池の周囲をめぐって、反対側から伝法院の建物をみると、ここでも五重の塔とスカイツリーが並び、携帯のカメラでぎりぎりにおさめることができた(冒頭の写真)。今回の特別公開のチラシにある写真と同じような場所からだが撮影の高さと角度が違う。けれどチラシにある写真は工事中のスカイツリーを合成で入れ込んだものだろうとわかった。だって、枝垂桜が咲いている写真のバックのスカイツリーにクレーンまで写っているもの(笑)
この特別公開はGW中まで続くので、おすすめである。

開演時間ぎりぎりになり、隅田川沿いの道を急ぐが、何やら人通りが多い。さらに「W」と「K」を白抜きした応援の小旗を持つ人が多く、そういえば「早慶レガッタ」という看板があったっけ。まさに隅田川の両国橋スタートで桜橋がゴールでボートの早慶戦があり、応援を終えた人たちがちょうど帰るところだと思い当る。今日は本当に人の多い日に当たったわけだ。まぁそれも賑やかでよいか。

さて絵馬といえば、平成中村座ロビーにもこの間の襲名披露公演で飾られていた「和菓紙の飾り絵馬」の説明あり。江戸時代からの和菓子の木型(鶴・鯛・打出の小槌)に和紙を貼り付けて成形している。その最後には寄贈した本人に記念に差し上げるともあった。なるほどと思ったが、それでは一枚いくらだったのかの説明はなかった。もう募集していないからだろうか。


平成中村座であいらぶけろちゃんさんと合流。観劇後、送迎バスで浅草駅に向かい、雷門前のデニーズでは玲小姐さんが待っていてくれてミニオフ会。玲小姐さんは劇団四季の「オペラ座の怪人」観劇後の合流だ。コクーン歌舞伎や猿之助襲名のスーパー歌舞伎観劇も打合せる。さて、それぞれチケットがうまくとれるますように!だ。

12/04/16 「六番町 魚鷹」で職場の歓送迎会、それともう一つの送別(T-T)

2012-04-16 23:59:26 | つれづれなるままに

今晩は職場の歓送迎会。幹事のMさんがお昼休みの散策で美味しそうなお店を見つけておいてくれたという嬉しい情報が入っていた。
事前にネット検索したところ、下記のブログで詳しい紹介がされているのが見つかり、期待がより高まる。
「四谷・市ヶ谷で美味しいランチ♪」さんの「原始焼 六番町 魚鷹(うおたか)」

午後6時に1階ロビーで集合し、職場と同じ町内にあるお店へ。予約した奥のコーナーに通されて、壁にはお店の名前の「魚」と「鷹」の書の額が掛けられていた。(冒頭の写真が「鷹」の額)
「原始焼」とは、入り口にある備長炭を立ててその熱で焼く炭火焼きのことのようで、お刺身の後に4種類の魚=鮭、縞𩸽(シマホッケ)、むつ、鯖が塩焼きで出てきたのが圧巻だった。荒おろしの大根に少し味がついたものが一緒に出てきて、醤油は不要。
お酒は魚料理との相性重視の品揃えで、ワインは白しかない(笑)本格的な魚料理であればやはり日本酒だろうと、職場の相棒になっているAさんのおすすめの青森の「田酒(でんしゅ)」にして、何もいわなければ冷やででてきた。なかなか美味しかった。

昨年度末で定年を迎えたNさんのお疲れ様&激励会(再雇用で残っていただけるので)、Aさん・Yさん・Tさんの歓迎のための会費制企画だった。座席は抽選でひいた番号に座る。主賓の「他己紹介」コーナー(私がAさんをご紹介)、ご本人からの一言もいただいて、歓談。
本日は大満足の企画でありました。幹事さんに感謝!!

それともうひとつの送別について書いておきたい。
先週金曜日の朝のTVのニュースでも報道されていたのだが、引き逃げ事故で職場のOBが亡くなっていた。定年後の再雇用で嘱託でいらした頃、その方の昔のお仕事の関係で2回ほど教えていただき、お世話になったことを思い出す。昨日がその方のお通夜で、同じフロアの方が行ってこられたので今朝お話を聞いた。まだ64歳。奥様がずっと泣いていらしたということで、せつない思いでいっぱいになった。
ご冥福を祈りつつ、生きている私たちはやれることをやっていくしかないという思いを噛みしめた。

12/04/12 立ち読みどころか座り読み歓迎の書店

2012-04-14 23:58:01 | つれづれなるままに

4/12(木)渋谷に行ったついでに東急本店7階にある「丸善&ジュンク堂書店」に立ち寄る。21日に蜷川シェイクスピア「シンベリン」をさいたま芸術劇場で観る前に戯曲を買って読んでおこうということだ。松岡和子訳での初演になるので出版が4/10ということで、上演にあわせてぎりぎりのタイミングで訳出したのだと思う。
ちくま文庫シェイクスピア全集22「シンベリン」

昨年「ミシマダブル」を観る前に「サド侯爵夫人」「わが友ヒットラー」の戯曲を同店で買った時以来だ。その時もそうだったのかもしれないが、書架のエンドの部分に木の台が置いてあるのが今回目にとまった。そこここで台に人が座って本を読んでいるのだ。その書架のところの本を並べる作業の前で積んであったりもする。作業台にも椅子にもなるという台がたくさんある書架のエンドにあって、通路が十分に広いので全く邪魔になっていない。なかなかいいなぁと感心した次第。

冒頭の写真は理工の書籍が並ぶ書架のエンドにあった台。分野が分野だけに座る人が少ないのだろうか(笑)図書カードの宣伝のポスターもいい感じ。

12/04/08 国立劇場さくらまつりと仁左衛門の悪の華

2012-04-11 21:44:29 | 観劇

国立劇場の昨年3月公演が震災のために中止になったしまった「絵本合法衢」。今月、劇場開場45周年記念公演の掉尾を飾っての再上演である。
チケットをとる時には意識していなかったが、3月の歌舞伎公演を観た時に「さくらまつり」のチラシをもらい、観劇日がさくらまつり最終日だとわかった。

4/8はよく晴れて絶好のお花見日和!さっさと早く家を出て国立劇場の桜を堪能するはずが、前日の実家の片づけの疲れが出て結局はお芝居も遅刻するという残念さ(T-T)
それでも2回ある幕間に3階席からダッシュで降りてきて、劇場前庭に咲く桜の花をしっかりと見てきた。最初の長い幕間には箏曲の実演もされていて、無料のほうじ茶とハート型の小さいお煎餅のサービスもあり、野点の赤い傘の下の床几に座っていただいた。
さくらまつりにだけ来ているお客さん向けに、「途中からでも9200円の席を3000円でご覧いただける特別チケットも販売中です」とアナウンスがあったが、「途中からでも十分お楽しみいただけます」くらいを付け加えればよいのに老婆心ながら思ってしまった(笑)

桜といってもソメイヨシノはなく、珍しい10種類の木が植えられているとのことで、それぞれの説明と庭どこにあるかの配置図がチラシの裏側に印刷されていた。それと照合してチェックしながらしっかり観て歩く。
今年は3月に團十郎が主演した熊谷陣屋にちなんで、熊谷市から「熊谷桜」を寄贈され、植樹式もあったということもチラシにあり、どの木か探したら入り口の正面に細くて小さな一本の樹があった。豆桜ということでピンクの小さな八重桜がぽっちりぽっちりと咲いていた。

冒頭の写真は、道路まで出て劇場側を振り返って撮影。大勢の人が写真を撮ろうとカメラを構えている。ちょうど手前にさくらまつりの看板まで写っていい感じだ。大きく写っている桜は「仙台屋」という種類で、下の写真はその花のアップ。薄紅色の花で葉も赤味がかっている。

ちょうど「麹町界隈さくらだより2012」にも同じ日の撮影の写真がアップされていた。

校倉造りを模した劇場をバックにして白く咲く桜の絵葉書になっているのは「駿河桜」で、その種から生まれた新品種まであるというのにびっくり。「関山」という八重桜は開花が遅くまだ蕾状態だった。デジカメも使って短い時間ではあったけれど、お花見気分を満喫した。

そして、舞台では仁左衛門の悪の華の二役がたっぷりと堪能できた。昨年の初演をさらに洗い直したということで通し上演好きの私にも楽しめた「絵本合法衢」。そちらの感想はまたあらためて書くことにしたい。

(4/12追記)
実家の父の書棚から持ってきた藤沢周平の短編集『花のあと』(文春文庫)をさきほど読み終わった。タイトルになっている「花のあと」では、お城の二の丸の花見で主人公が初恋の相手に出会うのだが、その桜の描写が美しい。映画版でもそのロケシーンが実によく、小説を読んでその映像も彷彿とした。
映画版「花のあと」の敵役は亀治郎だった。映画版「武士の一分」の敵役は三津五郎。時代劇の敵役を歌舞伎役者がやると重厚感があっていい。

12/04/10 ねがわくば花のもとにて春死なん

2012-04-10 23:38:24 | つれづれなるままに

「ねがわくば花のもとにて春死なん その如月の望月のころ」西行法師
ここ数年は暖冬続きだったが、今年は久しぶりの寒い冬となり、桜の開花時期が娘の入学式にも父の命日にも間に合った。

ところがここ数年、職場の親睦の夜桜宴会がなく寂しいという声が上がった。さらに昨年の震災で、四ツ谷の土手の街灯もつかなくなったし、今年は開花の時期に職場の食通のメンバーが揃わないしで、夜桜宴会は見送り。
2008年の職場の夜桜宴会の記事はこちら

しかしながら、今日の上天気のもとで満開の桜を楽しまないのは実にもったいない。出勤してすぐに有志で昼休みにお弁当をもってのお花見ランチをしようと呼びかけ、都合のついた5人で決行!ロッカーに常備してあるレジャーシート、PETボトルのお茶と紙コップ、いただきもののお菓子も持って四ツ谷の土手へ。街灯がないというのに夜桜宴会のための場所取りのシートがあちこちに広げられていた。その一角をお借りしてお花見ランチをさせてもらう。
桜の楽しめる期間1週間ほどの昼休みに毎日散策しているという方もいたし、ご家族と今日の夕方待ち合わせ、上智大学の側の道の桜を堪能しながらホテルニューオータニへと散策してお食事を計画しているというお話もお聞きできた。
私は6年も四ツ谷に通っているのに昼休みに散策やら仕事の後の散策やらは未体験(^^ゞ今年は無理でも少しは見習ってみようかなぁという気にもなった。
さっそく今日の夕方は上智大学のグランドに沿って歩いてみようかとも思ったが、やっぱり暗くなるまで仕事が終えられず・・・・・・。まぁ、来年以降の課題としよう。

真っ暗になってから、また土手の上に行ってみた。本格的なグループは座卓を並べた上にランタンも並べてお弁当を食べていたが、やっぱりちょっと暗いよねぇ。その後JR四ツ谷駅に向かうと、四谷見附橋の橋灯でライトアップされた大きな桜の1本がとても見事なので携帯で撮影することにした。
冒頭の写真は、新宿通りの横断歩道を渡る途中で立ち止まって撮った一枚。
電灯のライトアップを望むべくもない時代、西行法師の旅の夜の桜は月光の光の中に浮かび上がったのだろうか。夜の闇の中に浮かび上がる桜花はやはり日本人の心を引きつけてやまないのだと思う。

下の写真は、先の桜の下に立って撮影したもう一枚だ。やはり携帯のカメラでは夜の撮影はなかなかはっきりと写せないのが残念。

(4/13追記)
TV朝日の「報道ステーション」で埼玉県小川町の小川小学校の旧・分校の雨中の夜桜中継をやっていた。古い木造校舎の屋根が雨で濡れてライトアップに光り、雨の中だからこその美しさだろうと感心至極。
さらに昔の子ども達が桜にどのように親しんだかという女性キャスターの言葉に反応してしまった。「花笛」という言葉を私は初めて聞いたと思う。そこでネット検索をして理解した。桜や椿のように花びらがバラバラにならずに落ちる花で鳴らして遊べるらしい。YouTubeで「花笛」の映像も見つけたのでご紹介しておこう。

12/04/10 両親の結婚記念日は父の命日

2012-04-10 00:59:29 | つれづれなるままに

この写真は先日来の実家の片づけで掘り出したもの。私が9歳の時、1969年(昭和44年)4月10日付けで、姉妹3人の連名で作った両親への結婚10周年記念日の感謝状。ひと目見て、何かの感謝状の額を見ながら文面を真似し、また金色の鳳凰の縁取りのデザインを真似しながらも極彩色に塗ってしまってちょっと変になっちゃったなぁと思いながら描いていた記憶が蘇ってきた。うーん、字のバランスは悪すぎるし、文面は実にこまっしゃくれているしでめちゃくちゃ面映ゆいが、せっかく見つけたのでアップしておく。
他にもいろいろと娘3人のものが箱に入れてとってあった。確か捨てたとおもっていたような物までしまい直されていたりする。子どもを3人育てたことへの両親の思い入れの深さを見せつけられる。

そう、両親の結婚記念日は4月10日で、今の天皇夫妻のそれと同じ日である。あやかろうということでわざわざ同じ日に結婚式を挙げたので、東京都内にいながら御成婚パレードは見ていないという。それを自慢げに話していたっけ。

そして、今から4年前の2008年4月10日に父は亡くなった。両親の結婚記念日は父の命日にもなってしまった。通夜・告別式の会場の入り口には、父の描いた絵の作品とともに結婚式に二人で撮った白黒の記念写真も飾ったものだ。

市営霊園の一時納骨堂に収めてあった父の遺骨は、同じ市営霊園でようやく墓地を確保できたので、5月5日に納骨できることになった。
墓石彫刻のデザイン画の2案のうち、姉妹が推す第1案の方で母も合意し、ようやく大野屋さんにOKの連絡をした。墓石が据え付けられたら、霊園の基準通りで出来上がっているかのチェックを受けて合格したら引き渡される。違反があるとその部分は修正しなくてはいけないのだという。何事もなく5/1引き渡し完了になりますように!

12/04/7 今月も大変そう・・・+4月の観劇などの予定

2012-04-07 14:23:33 | 観劇

娘の入学式の翌日4/3は台風並みに発達した低気圧の影響で暴風雨となり、職場では早く帰宅するようにという指示が出た。昨秋の台風15号では帰宅途中に電車が動かなくなってファミレスで籠城するはめになり、今回は午後3時過ぎには職場を出た。同様の職場が多かったようで既にJR四ツ谷駅が混雑していたので、地下鉄南北線の方がよかったかと思ったが、面倒なのでJRで買えることにして、頑張って混みあう電車に乗り継いで帰宅。今回は無事に家にたどりついた。深夜に窓の外では風がごうごうとなっていたが、早く帰って正解だったとしみじみ思った。
冒頭の写真は、嵐がくる前の4/3の出勤前に与野駅までの途中のお宅に咲いていた椿の木を携帯で撮影したもの。大ぶりの赤い花がびっしりと咲いている見事な一本だ。春だから椿だと思うが、山茶花との違いがよくわからないのでネット検索したら、同じツバキ科で交雑種もあるので見分けるのはなかなか難しそう。
「花暦」さんの「椿とサザンカの違いは?」のコーナーをご紹介

さて、以下は今月の観劇などの予定。
8(日)国立大劇場:四月大歌舞伎「通し狂言絵本合法衢」=さくら祭りの最終日!
15(日)平成中村座四月大歌舞伎第二部
21(土)さいたま芸術劇場:蜷川シェイクスピア「シンベリン」
22(日)新橋演舞場四月花形歌舞伎昼の部
25(水)新橋演舞場四月花形歌舞伎千穐楽夜の部
4/29には実家の業者による片付けも予定しているし、今つくってもらっている墓石も完成して5/5には市営霊園で父の納骨をするしで、実家にいろいろな打合せで通わなくてもいけない。
今日も実家に向かったらJR武蔵野線の線路で発煙があり運行見合わせでいったん帰宅。この記事を書いている。墓石の彫刻のデザイン画が大野屋さんから届いているのでそれを母に確認してもらうため、もう一度出かけます!

観劇等でご一緒する皆様、よろしくお願いしま~す(^O^)/