06/08/29 秋風吹くと喘息の季節


今日は残暑で暑かったが、ここのところ急に秋風も吹いてしのぎやすくなってきた。ところがその風には秋の花粉も乗ってきているとみえ、喘息症状が出始めた。

胸の両側=肺のところが痛くなってきて息を吐くのがうまくできなくなってくる。吸入剤は夏場もほとんど毎日使用していたが、飲み薬再開だ。朝晩2回で処方されているが、朝飲んでしまうと昼間がつらい。死にそうにだるくなってしまうのだ。だから今のところは夜だけにしているのだが、いつまでそれでもつことやら。

だるいままでは仕事にならないので、職場に常備のりんご酢飲料やらドリンク剤やらを飲んで頑張っている。コーヒーも2~3杯。

今日は職場で献血の話が出た。一緒に働いている方は献血を恒常的にされている。血圧でひっかかるともう一度測りなおしてもらってクリアしてでもするというお方。かたや私、一度も献血したことがない。健康に全く自信がない人間なのだ。こんな私の血を使ったら人様のご迷惑になってしまうこと間違いなし。もしもヴァンパイヤがいても絶対噛みつかれないだろう(ってつまらないこと考えなくていい)。

さあ、明日は勘三郎襲名披露の全国巡業公演の夜の部を板橋で観る。「すし屋」は文楽で予習してあるが、寝ないようにしなくては~。
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06/08/24 八月納涼歌舞伎④ダイジェスト版の「南総里見八犬伝」

八月納涼歌舞伎の第三部は「南総里見八犬伝」。子どもの頃に少年少女版の本を読んだのとNHKの人形劇が懐かしい。♪仁義礼智忠親孝悌、いざとなったら玉を出せっ、力があふれる不思議な玉を~♪のフレーズを思い出す。
舞台では澤潟屋での上演も観ていないのでこの間ずっと再演を待っていたのだが、今回は歌舞伎座での上演となり時間も短いし、どんなものかと思っていた。そうしたら「発端 房州富山山中より 大詰 馬加館対牛楼まで五幕十一場」となっていて澤潟屋版と比べるとダイジェスト版らしいなとわかった。
あらすじは長いので書かないが、配役は以下の通り。
犬山道節/網干左母二郎 三津五郎
伏姫/山下定包 扇雀
浜路/犬村角太郎 孝太郎
犬塚信乃 染五郎
犬川荘助 高麗蔵
犬江親兵衛 松也
荘官大塚蟇六 源左衞門
滸我成氏 錦吾
簸上宮六/馬加大記 亀蔵
金碗大輔 秀調
犬飼現八 信二郎
犬田小文吾 弥十郎
犬坂毛野 福助

こういうダイジェスト版ではストーリーを楽しむというよりも八犬士などの主要キャストの見せ所を楽しめばいいと思ったので、そのあたりを中心に書くことにする。
人形劇で登場の度に「さもしい浪人、網干左母二郎」と紹介されていたが、三津五郎の左母二郎、実にカッコイイ!「八犬伝」からは円塚山の大きな石の前で足を組んだところの写真に絞って一枚買ったくらいだ(後は写真入の筋書で我慢)。初役でつとめる犬山道節との早替わりも嬉しくなる。六法を踏んでの花道の引っ込みも初めて観たが、小ぶりでも動きが美しいので満足度が高い。昨年の弁慶の代役もさぞ立派だったんだろうなと想像する。座頭として立派な存在感を示していたと思う。
染五郎犬塚信乃も正統派の二枚目で水際立って美しい。孝太郎の浜路とはコンビの相性もいい。澤潟屋の時の上演で信乃をつとめた信二郎の犬飼現八は実に線も太く立派。このふたりの芳流閣の立廻りも観ていて嬉しい(単にミーハー)。
弥十郎の犬田小文吾が舟に落ちて流れてきた二人を救うのだが、がっしりした弥十郎を加えて三人が揃うと実にバランスがよくてうっとりする。
ただひとり女装の福助の犬坂毛野は女田楽の朝毛野になりきっている時と他の犬士の前で男に戻る時の演じ分けがクッキリしていて私には好ましい。男声で外股歩きすると客席にも大うけだった。好きだな~こういうの。山下定包の邸で京蔵としのぶと共に白拍子の装束で踊る場面も美しく大ご馳走。「島の千歳」の時の狩衣をこの場面で着ていたのではないかと思う(紫色の狩衣姿が気に入って写真を買ったのでよく覚えていたのだ)。
高麗蔵はPARCO歌舞伎で立役の方がいいと思ったので、今回の額蔵実は犬川荘助もなかなかよかった。
孝太郎の犬村角太郎と松也の犬江親兵衛はほとんど見せ場がないが、勢揃いのみの登場ということもあるようなので今回はちゃんと台詞付。途中のだんまりや最後の全員揃うところも実に8人の個性の違いがきちんと出て◎。松也の安西景連の亡霊役も背が高く堂々としていた。納涼歌舞伎に初参加とのことだが、こういう若手の座組の中にもどんどん出てくれるようになるだろうなと思った。まずは浅草歌舞伎あたりかな。
亀蔵も二役を脇役として独特の個性的な存在感で演じてくれる。出てくるだけで期待感が高まるのもこの人ならでは。浜路に横恋慕する簸上宮六の下卑た感じと主人を裏切って山下定包をかついで栄達を図ろうとする馬加大記という敵役の二役だ。
最後に扇雀の二役こそサプライズキャストだった。冒頭の毅然とした伏姫と最後の国崩しの悪役・山下定包だ。女方でない扇雀は二枚目しか観たことがなかったが、こんな役もちゃんとできるんだなあと感心した。
秀調、源左衞門、芝喜松、錦吾などの名脇役も揃って芝居の見ごたえ十分。タテ師は三津之助ということだったが芳流閣の立廻りは梯子を使った立ち回りが面白かった。がんどう返しという装置も弁天小僧以来3回目だったが歌舞伎の醍醐味を感じさせてくれた。
最後は山下定包を八犬士が追い詰めながらも決着はつけずに場を改めてと誓い合っての「絵面の引っ張りの見得」で幕になるが、こういう錦絵のような終わり方に快感を感じるようになってしまった私。「昔なら変だよ~」と思っただろうけれど、そういうお約束だとわかれば割り切って「綺麗~」と満足して打ち出されてくればいいのだとわかってもう慣れてしまった。

初めての「八犬伝」だったし、なかなかよかったと思う。しかしやはり短時間で11場もあるという場面転換の多い舞台だったのでじっくり観るという感じはなかった。一度じっくりとスーパー歌舞伎的に澤潟屋の若手の八犬士を観てみたい気持ちがさらに強まった。

写真は今月のチラシの画像を松竹のウェブサイトより。
八月納涼歌舞伎①「吉原狐」の感想はこちら
八月納涼歌舞伎②「慶安太平記」「近江のお兼」の感想はこちら
八月納涼歌舞伎③「たのきゅう」の感想はこちら
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06/08/27 涼しい中で地元の「納涼の夕べ」、チケットとり

きのう今日は残暑がどこかに行ってしまったように涼しい。そういう中で2日続けて地元の「駅前通り納涼の夕べ」が開催され、少しずつのぞいた。
早い時間にのぞいた今日は写真のような子どもたちの「鴻沼太鼓」演奏があり、太鼓を打ちながら撥を空中に投げてくるくるっとさせてまた掴みとってまた打つというすごい技も見せてもらった。盆踊りの櫓の上で太鼓を打つのも任されているらしい。こういう伝統芸能が残っている地域に住んで小さい時から関われるというのは幸せなことだと思う。私が育ったあたりは人口急増地域だったので新旧の住民の連携があまりとれていなかったので全くそういうものに触れる機会がなかった。「まちづくり・地域づくり」という取り組みには大事にすべき点だと思う。そういう取り組みに関わっている方々には敬意を表したい。(太鼓終了直後の人が一番集まっている時間をねらって地元の県会議員が挨拶にきていたのに興ざめして引き上げてきたのだが.....。)
遅い時間にのぞいた昨晩は、近くの大学のダンスクラブがショーとダンスコンペをやっていた。ストリートダンスとかブレークダンスとか最近のものでいろいろな系統があるらしい。コンペでは個々のダンサーの個性の違いも楽しく、若者のエネルギーを感じた。盆踊りの輪の隣でやっているのもなかなかいいものだと思った。

今日は娘と映画「花田少年史」を観るつもりだったが出かけたのがギリギリすぎて満席であきらめた。代わりにカラオケに行くハメになったが、昨日も行ったので2日連続はちょっときつかった。合計5時間.....。喉が痛い(T-T)

昨日は朝からぴあに並んで「タンゴ・冬の終わりに」の千穐楽と来年1月の「スウィーニー・トッド」の平日夜のチケットをとり、家でウェブサイトから来月の「魔界転生」も3階B席をとってしまった。どれも可能な限り安いチケットにした。歌舞伎座、演舞場、帝劇などは5000円以下の席があるのが有難い。

「スウィーニー・トッド」は昔、幸四郎と鳳蘭で上演されたがあまりの物語の不気味さに見送ってしまった。今回はそれ以来の再演で市村正親と大竹しのぶの共演が話題になっている。そうなると初演を観ておけばよかったと後悔する。ティム・バートンが監督してジョニー・デップ主演の話もすすんでいてそっちも観るつもり。

八月納涼歌舞伎の最後の感想「南総里見八犬伝」の分も少しずつ書いてるんですけれどね~。カラオケ優先だからね~。私も疲れてるとかいいながら娘同様にマイクを握るとしっかり2曲交替で歌ってしまうのだ。もう少し落ち着いてきたら、やっぱり歌を習いたいな~。
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06/08/13 八月納涼歌舞伎③「たのきゅう」その意気やよし!

八月納涼歌舞伎の第一部後半の新作「たのきゅう」。大阪の小劇場で活躍しているわかぎゑふが初めて歌舞伎に書き下ろすという話題作で、彼女の作品自体初見になるので楽しみにしていた。

わかぎゑふは家族に連れられて子どもの時から歌舞伎に馴染み、高校生時代から三津五郎(当時は八十助)の追っかけだったという。夜行バスで東京の歌舞伎座までしょっちゅう観にきて、せっせとファンレターを送った。それを面白い手紙をくれる子だと三津五郎は思っていたらしい。自分も芝居を始め、紹介されて楽屋にも顔を出すようになったのだという。三津五郎も彼女の芝居を極力観てきたということで強い信頼関係で結ばれているようだ。ずっと歌舞伎を書いて欲しいと頼んできていたのが急遽実現。民話から落語になっていた「田能久」をもとにした音楽を若手がつくっていてそれを三津五郎が舞踊劇に仕立てようと思いつき、脚本を彼女に依頼。三津五郎が初の座頭をつとめる八月納涼歌舞伎の目玉となったのだ。

まずは噂のポスターに驚く。たのきゅう姿の三津五郎の顔のアップと化けた扮装の写真が何通りか載っているのだが、ウインクときたもんだ(ピントが甘いけれど写真を見てください)!まいりましたm(_ _)m

あらすじは以下の通り。
徳島の田能村に住み、芝居の一座の花形役者・久兵衛(三津五郎)は「たのきゅう」と呼ばれ、一座はとんとん踊りが人気を博している。旅先から病気の母の見舞いの知らせに夜のうちにけんきゅう(巳之助)だけを連れて村に向かう。山越えの際、人々がおそれる年老いたおろち(染五郎)がひと飲みにしようとやってくる。おろちは名前を尋ねらるので「たのきゅう」と答えると「たぬき」と勝手に聞き違える。
「たぬき」であれば化けてみせれば飲み込まないでやると言われ、たのきゅうは芝居の衣装を使って次々に「化けて」みせる。腹鼓も所望されるがに太鼓を叩かせてとんとん踊りを見せて切り抜ける。明日も化けて見せるように言い、その約束としてお互いの苦手を教えあおうという。おろちは煙草のヤニだといい、たのきゅうは金と言う。
助かって村に着いたたのきゅうは母を見舞い、元気になった母や追いついてきた一座の仲間、村人たちに頼んで煙管のヤニを集めておろちを退治する。おろちはのたうち回りながらもたのきゅうを絞め殺そうとする。一寸法師役のぽんきゅう(小吉)が小道具の針の剣を渡しおろちの眉間に突き立てると最後の力を振り絞って小判をふらして逃げていく。
その金を一座が芝居小屋を立てろということで神がくれたのだと得心し、舞台は総踊りになって幕。劇中で初舞台の小吉と名題昇進の三津右衛門の口上も入り、まさにメデタシメデタシの舞台。

若い女性脚本家の歌舞伎デビュー作品としてこういうお伽話はぴったりだった。三津五郎の魅力が活かされる本当にほのぼのした話。舞踊劇というだけに「化けて」みせるところもおかしみたっぷりの舞踊仕立てとなっている。
染五郎の老いたおろちがまたユーモラス。たのきゅうの女子に化けた姿に「萌え~」と身をよじらせたり、たのきゅうの扮装は鬘も羽子板絵のようなつくり、衣装も前半分になっているのを「狸は頭に木の葉を乗せて化けるというが木の葉が欠けていたのじゃろう」とこれも勝手に納得してくれる。そしてふたりでさりげなく下ネタ炸裂させたりもしているのだが、染五郎がそれにうなづくとこちらも勝手に納得してしまうところもあって可笑しいのなんの。いつもの二枚目がここまで喜劇味を出すから魅力的で、どちらかというと地味な三津五郎と補完しあって相乗効果が出ていて感心した。ふたりの掛け合いの他愛のない楽しさが楽しめた。

金井勇一郎の舞台装置も変わったものだった。盆の上に円錐の切ったような形の大きな台地になっていてその周りに小さい芝居小屋、おろちの住む山や母親の住む家がミニチュアで配置され、盆を回して場面を切り替える。台地の上で踊ったり、おろちが本性をあらわしてのプラスチックの薄板を切って伸ばしたような蛇体をうねらせたり、最後に歌舞伎座のミニチュアが出てきたりした。面白いことは面白かったのだが、ちょっと短期間で練り上げずに用意したような感じもしてしまった。

猿之助、勘三郎と続けてきた新しい歌舞伎の取り組みが大きな流れになってきていることを今月も感じた。歌舞伎というところは座頭がそういう意欲を持っているかどうかで大きな変化が生み出せるのだということがよくわかる。三津五郎も歌舞伎座で初めての座頭をつとめたのだと思うが、その意気やよし!と応援したくなった。しかし若い女性に新企画を任せたということであらためて三津五郎という人を見直したということも書いておこう。

八月納涼歌舞伎①「吉原狐」の感想はこちら
八月納涼歌舞伎②「慶安太平記」「近江のお兼」の感想はこちら
八月納涼歌舞伎④「南総里見八犬伝」の感想はこちら
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06/08/13 八月納涼歌舞伎②「慶安太平記」「近江のお兼」

八月納涼歌舞伎の第一部。まず「慶安太平記」「近江のお兼」の感想を書く。
1.「慶安太平記-丸橋忠弥」二幕三場
河竹黙阿弥が由井正雪の乱を描いた小説『慶安太平記』をもとに明治初年に書いた八幕の実録物。容姿も押出しもよいのに強い上方訛りのために低迷していた初世市川左團次のために、科白を少なく長所を活かすように工夫して書いたのだという。
あらすじは以下の通り。
江戸城外堀の茶屋に泥酔状態の丸橋忠弥(橋之助)が現れて酒を所望。続けざまにぐいぐいと飲む。茶屋の主人から留守を預かると寄ってきた犬に石を投げるふりをして堀の深さを測る。駿府にいる軍学者由井正雪に賛同して江戸城攻撃を任されていたのだ。そこに松平伊豆守(染五郎)が通りかかって傘をさしかけ、二人が見合うところで「堀端の場」は幕。
後半はまず丸橋忠弥の家の場面。女房おせつ(扇雀)の父である弓師藤四郎(市蔵)に幕府転覆の企てを知られてしまうところまで。その藤四郎が訴え出たために捕り方に囲まれての立廻りとなる「捕物の場」へと続き、捕えられて幕となる。

忠弥というと私の場合、子どもの頃にTVで映画か何かで見た加東大介のイメージ。それからすると橋之助の浪人忠弥はカッコよすぎ。泥酔状態といったらもう少しだらしない感じの方がいいと思うのだがまあいいことにする。染五郎の知恵伊豆はまだまだ軽い感じ。ちょっとしか出ないのだから存在感のどーんとある役者が欲しいところだが、これもまあ経験を積んでもらうということでよしとする。
舅の藤四郎に仕方なくとはいえベラベラと謀反の企てをしゃべってしまうところは見ていて馬鹿なヤツとしか思えない。ここまではあまり面白くなかった。

しか~し、「捕物の場」の迫力ある立廻りで拍手喝采状態になる。まるで1月の国立劇場の菊五郎劇団の立廻りのようだと思った。そうしたらタテ師は菊十郎ともうひとり(橘太郎だったか?)だとイヤホンガイドで説明が入って納得。大人数の立廻りで息もぴったり。縄を使って忠弥を縛り上げたと思いきやスルッと抜け出てきたり、放射線状に張り巡らされた縄に忠弥が飛び降りてきたりと難易度の高い立廻りには客席から拍手の嵐が湧く。若手も元気にとんぼをきってくれる。屋根の上からのとんぼもあり。立役が菊五郎だとやや動きが緩慢でそれはそれでいいのだが、さすがに橋之助は若くて動きがきびきびしていて捕り方とのやりとりもスピード感がある。かなり長く続く立廻りだったが、これだけ見事だと飽きない。この立廻りがあったので「丸橋忠弥」も満足した。終わりよければ全てよし状態?!

2.「近江のお兼」
松竹の公式サイトから以下抜粋。琵琶湖をのぞむ堅田のあたり。晒し盥を手に駆け出してきたお兼(福助)は、可憐な見かけによらず怪力の持ち主で、荒馬を楽々手なずけ、相撲の相手に見立てて力自慢をする元気者です。のびのびとした素朴な娘の所作が楽しく、最後は力強く華やかな布晒しで盛り上がる長唄舞踊です。

福助丈のお兼、なかなかいいと思った。五月の「道成寺」があまりいいと思えなかったのでそれとの比較しての印象。ただ荒馬を楽々手なずけるのは怪力ゆえではないような気もしてしまった。それって馬にも通じる色気ってことか、とひとりつっこみをしてしまうのだけれど、それも含めてのびのびと踊っていたような感じだった。
荒馬の棒立ちの場面は中にいる足の人は大変そうだ。ひとりがもうひとりの上で逆立ちをしているらしい。こういう見所も含めて短時間な中にいろいろと変化が多くてこの舞踊は飽きない。本来は川の中に白布を晒すのを空中でヒラヒラさせるのだから意味を考えたらなんだろうとも思うが、要は動きが美しいのを楽しむということねと理解。白布の動き重視のせいか、最後はわざわざきれいにたたんだものと後見さんが入れ替えていたくらいだ。
イヤホンガイドによるとこの舞踊は何代目かの市川團十郎の荒事を女方で見せるためにつくられたため「團十郎娘」という別名があるという。それならば是非一度、海老蔵で観てみたいと思った。五月の藤娘もきれいだったので、本来的にはこの「近江のお兼」も成田屋で頑張っていただいてもいいと思った。当代團十郎丈はもうこれはやっていただかなくていいけれど(^^ゞ

写真は「慶安太平記」絵看板の赤合羽姿の丸橋忠弥を携帯で撮影。
追記
それにしても「丸橋忠弥」の橋之助と「吉原狐」の芸者の橋之助、同じ人と思えなかった。それも今回のお楽しみのひとつ。
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06/08/13 八月納涼歌舞伎①「吉原狐」で大笑い

八月納涼歌舞伎は三部制で一回あたりのチケット代は安いのだが、三部全部観ると他の月の昼夜合計よりも高くなるという嬉しくない料金体系。また今回は第二部で舞踊の三連発があってどうにも耐えられそうにない。そこで第一部を観た日に幕見で「吉原狐」だけ観ようと決めた。順不同だがこの幕見の感想から書く。
この作品は今年の4月に亡くなった作家の村上元三が先代勘三郎のために書き下ろした喜劇。今回は齋藤雅文が補綴・演出して45年ぶりの上演とのこと。
あらすじは以下の通り。
芸者屋泉屋おきち(福助)は、父親・三五郎(三津五郎)の借金返済のために芸者になった親孝行者。吉原随一の芸者と評判だが早合点の早飲み込みで周囲を混乱させるのが玉に瑕。そして落ちぶれ男にほだされやすく狐が憑いたように惚れ込んでしまうことが多いことからついた仇名が「吉原狐」。
旗本の貝塚采女(染五郎)のお座敷で同業のおえん(橋之助)が「狐の屁」とまで言ったと食ってかかって大騒ぎを起こしたり、使い込みがばれて追われる身となった采女に惚れてしまい匿ったり。花魁誰ヶ袖(孝太郎)が年季が明けたら三五郎の所に行くと聞くと二人がいい仲と思い込み、父が仲働きのお杉(扇雀)との仲を打ち明けようとするとお杉を腹違いの妹と勘違い。そのペースにはまると誰にも軌道修正が難しく、かなり周囲を振り回す「濃い~女」おきち。采女が刀を抜いて現れた混乱の中で全てが明らかになり、その馬鹿馬鹿しさに采女はしらけて抜刀騒ぎも収まって姿を消してしまう。次に現れた落ちぶれ男にも惚れると思いきや、今度ばかりはおきちの理性が勝って幕。

おきちを先代の勘三郎が演じたのはまだまだ若くて可愛い女方ができる頃であろうから当代の勘三郎が今演じるのではちょっと薹がたった感じになるのではないだろうか。今回、おきちに福助の「濃さ」がピタっとはまった。「濃い~女」度を増すように手が入れられているのかもしれないが、こういう役をこんなに魅力的にできる女方は今は福助以外にいないのではないかと思う。早合点に気がついて「ええ~っ」と驚く姿が大仰すぎるほど大仰だが、福助のニンの濃さを楽しめる方にはもう堪らないだろうと思う。かくいう私もその一人だ。
その濃い芝居を受ける父三五郎の三津五郎は、娘の親孝行に感謝しながらも娘のペースにすぐに巻き込まれてしまうという力関係を嫌味なく出していていい。それでもまだまだ枯れずに娘よりも年下のお杉といい仲になっているという色気もある役。最後に父娘で湯屋に連れ立っていく情愛もうまく見せてくれた。何年か前の「たぬき」の主人公同様、庶民的でしみじみとさせる役に味が出るなあと今回も思う。

橋之助の芸者姿を初めて見ることができたのも今回の大きなお楽しみ。元々の声が高いせいか女方の声がきれいで感心した。顔の拵えも福助よりもノーマルな美しさを感じた。福助と橋之助の芸者のドタバタの面白さは予想以上でこれだけでも幕見で観た甲斐があったというもの。「狐の屁」とまで言った犯人は小山三演じる年増の芸者だったのだが、この役は初演時も小山三がやったのじゃないかしらと思いながら観ていた(筋書買ってないのでなんともいえず)。

お杉の扇雀もけなげな女を好演。妹に仕立て上げられたお嬢様姿で呆然としている様の喜劇味もこの人ならではという感じだった。
またこの演目でも染五郎がよかった。羽振りのいい時と落ちぶれた時の落差が大きいほどよく、ダメ男を可愛く演じられるというのにも染五郎はハマる。PARCO歌舞伎の安兵衛を彷彿とさせる。

この作品はとにかく笑えた。そして親子の情愛もしみじみと味わえた。歌舞伎座でこんな喜劇を観ることができるなんてと予想外の体験だった。たまにはこういう軽~い作品もいいものだ。
写真は伏見稲荷大社の狐土鈴。

それとエピソードをひとつ。
幕見に並んでいたら私の後ろに遠方から観にいらした私よりも年長のご夫婦が一組。手には松竹のウェブサイトでみどころなどをプリントアウトしたものをお持ちで最後尾の札を掲げた係員にいろいろ聞いていた。当日券で観ることができると思ってきたらしいが8月の日曜日だし到底無理。立ち見になりそうと言われて溜息をついていた。お話をおききすると岩手からお盆だから東京はすいていると思ってダンナさんが行きたい美術館と奥さんが行きたい歌舞伎座をハシゴするおつもりで来て最終の「はやて」で帰るのだという。次回以降の参考にと事前のチケットの取り方などの説明も思わずしてしまう。さあ幕見のチケットを買って4階までダッシュした私。なんとか席を確保。それもあと2席はとれそう。パッパッと帽子などを置いて振り返ると案の定おふたりはあきらめて立ち見モードだった。お声をかけて並んで観たのだが大喜びしていただいた。こんなに遠方からきていただいて立ちっぱなしではお気の毒だと即断して正解だった。始まるまでに秋田に旅行に行った時に康楽館でお芝居を観た時のお話もチラっと伺った。古くて小さくて風情のある劇場で団体が帰ってしまった後で残った8人のお客さんのためにお芝居をちゃんとしてくれて嬉しかったということだった。
いざ始まったら最初の方、ダンナさんはお船をこいでいたが途中で起きてちゃんと笑っていた。奥さんの方はかなりリアクションしながら観ていてちゃんと楽しんでいただいたようだった。歌舞伎もそんなに観たことがないようだったけれど、この演目で観ていただいて正解だったと思う。いい思い出を持って岩手に帰っていただけたと思う。

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06/08/19 夜店でバナナチョコ2本ゲット!

今日は起きたら12時ちょっと前だった。途中2度ほど覚醒したがそのまま寝てしまった。睡眠導入剤も飲まずに夜中の3時くらいには寝たから8時間以上眠れたようだ。うーん、これは久しぶりの快眠だ。

部屋の中の観葉植物たちをベランダに出して水が下から出るまで水をやったり、布団とベッドの間に挟む吸湿マットを干す。
休日のブランチメニューで頻繁につくるホットケーキを焼くがティファールにしてから焼き色よく焼けることが多いので気分がいい。

娘が縮毛矯正パーマをかけに出かける(次回以降の経費は自分で持ってもらうことに!やった!!)のを送り出し、私は撤去された自転車を引き取りに行く。前回のマンションの共用自転車の時は電車で最寄り駅まで行って歩いたが、けっこうな距離だったのでもう嫌。今回は掲示板に書いてあったように隣の駅から出るバスで行くことにした。その発着場でショックを受ける。土曜日の午後3時間はそのルートのバスはなかった。平日も1時間に1本だ。そんなのありかよ~。

時間の余裕がないので結局タクシー代を1140円かけて行った。引き取り料も1000円。自分のボロ自転車だから引き取りにいくかどうか迷ったけれど、今回は引き取りに行くと決めたのだからと意地になって行った。また30分近く自転車に乗って持ち帰る。

駅まで10分の往復を数日やっただけで足の裏に靴擦れの水ぶくれが3個。痛くて歩けなくなると鋏で切って消毒処置。母娘3代の遺伝体質で何度できても皮膚が硬くならない。これって皮膚が摩擦熱に弱くてすぐに火傷状態になってしまうという体質なんだそうだ。この体質だと駅まで5分のところに住まないと歩けないと思う。だからまた懲りずに自転車を出勤時に使うことになるな。どこに置こうかしら。

予約時間を少々オーバーして予約していた大宮の歯医者へ。花火宴会の日から右の上の奥歯のあたりが痛くなって左側でしか噛めなくなっている。昨年の頃にも親知らず抜歯の話なども書いたが若いけれどしっかりした説明をしてくれる先生で気に入っているS先生が担当医。レントゲン検査で虫歯でないとわかる。数年前に治療した時と同じ根元の炎症だった。100%の治癒はしない状態で体力が落ちると炎症が再発するのだという。今回は噛み合わせの改善のために金属冠を少し削って、処方された抗生物質を飲んでまずは様子見することになった。実は「気」を落ち着かせる漢方治療を始めることにしているのでそちらでも様子をみたいというのも私からお話しておいた。少し高さを調節しただけでもだいぶラクになった。ふーっ。

マックでコーヒー休憩してから実家へ顔を出す。そういえば「南越谷阿波踊り」の初日だった。今年で第22回ということで始まった当初からすると集客力が桁違いの一大イベントになっている。10万人くらい集まるのかな。「ご当地キティ」のグッズまでできていてビックリした。
可愛く変身してきた娘も合流してきて実家でご飯を食べさせてもらって夜店をのぞきながら帰ってくる。そこで娘がジャンケンで勝ってバナナチョコを2本ゲットしてくれたので1本が私の方に回ってきた。思わず嬉しくて並べて撮影。1本の時はこちらにはこないし、私も勿体ないから自分の分は買わない。だから嬉しい(貧乏性なだけ!)

ヘアカットまでは行く時間がなくなった。コーヒー休憩しなければ間に合ったけれど、まあねぇ、そこまでは欲張り過ぎというものかな?
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06/07/28 風間杜夫ひとり芝居三部作を一挙観劇

七月大歌舞伎の合間を縫って硬派の『夢の痂』だけでなく、グッとくだけた「風間杜夫ひとり芝居三部作」も観劇してきた。
趣味の落語でもアマチュアの域を大きく超えているという風間杜夫。彼のひとり芝居はけっこう面白いという評判が耳に入っていたので、今回の2年ぶりの新橋演舞場での再演を逃す手はなかった。「カラオケマン」「旅の空」「一人」の三部作の一挙上演で7/28夜の一回公演のみ。1階3列目で大接近で観劇。

あらすじは以下の通り。
1.「カラオケマン」
冒頭の幕外で始まっていた三波春夫の扮装での「俵星玄蕃」。♪~槍は錆びても 此の名は錆びぬ 男玄蕃の 心意気 赤穂浪士の かげとなり 尽くす誠は 槍一筋に~♪
団塊の世代の牛山明はサラリーマンで課長にまで昇進し、妻と娘と息子の4人で暮らしている。彼の趣味はカラオケで接待でも役立つ特技と化している。「俵星玄蕃」は次の接待での目玉曲で自宅で練習しているところだったのだ。子どものことは妻にまかせて仕事ひとすじ。
ではなく、部下の若い女の子としっかり浮気もしている。デートの場所はいつものカラオケルーム。温泉旅行にも何回か行っているらしい。彼女の同僚の女性と彼の部下が結婚することになり、仲人を頼まれる牛山。初めてだしスピーチの練習も真剣だ。ところが結婚願望が募った彼女はその結婚式で不倫を妻に暴露してしまった。騒ぎが起こりそうなところを急遽「俵星玄蕃」の熱唱でおさめる牛山。

2.「旅の空」
交番に現れた中年男。記憶をなくしているらしい。軽装で家を飛び出したままらしく手がかりになる物はなにも持っていない。捜索届けが出ていないかも確認するが該当はない。警察官にすすめられて精神科医を訪れて相談するも、いろいろと想像してみるも全くの手がかりなし。

3.「一人」
記憶喪失に陥った中年男は旅役者一座に入っていた。今日も座長にいいつけられた買い物に出て、暇をみて公園で一人で台詞の練習。老婆や子どもを練習相手に頼んでもみるが…。そこに現れた若い男は自分を父だと言う。親戚が旅公演先で見つけて妻子に知らせたらしい。息子に会っても記憶が戻らないのだが、自分はどうやら牛山明で浮気を妻になじられてカッとなって家を飛び出したのだという。そういう話を聞いても全く記憶は戻らない。息子は母親から預かってきて離婚届けを差し出す。記憶が戻らない以上、元の家族のところには戻る気にもなれず申し出を受け入れる。そうして今一番やる気になっている旅役者暮らしを続けていこうとするところで終わる。

団塊の世代の男が迎えた人生の思秋期。学生時代には♪ああインターナショナル♪と歌い、「安保反対!」とデモをしたが、それは演劇サークルの女の子と一緒に行きたいからだった。そして就職してモーレツ社員になって、夫や父親という役割を果たしてきたが、ついにぶっ飛んでしまったようだ。自分が本当にやりたいことは何だったんだという思いがはじけたらしい。いつもどこかで何かを我慢しながら暮らしていた男が全てをリセット。そして始めた第二の人生はイキイキしているようだ。
ひとり芝居というと、ひとりで何役も演じ分けるイメージがあった。ところが今回の作品は牛山明がひとりでしゃべることで芝居を成立させている。相手とのやりとりは相手がなんとしゃべったかがわかる台詞を牛山がしゃべるという作り方。水谷龍二が作・演出でその脚本がいいのだ。再演ということでその時期にあわせたネタにさしかえていて、今的な笑いも盛り込まれている。
しかし圧倒的に風間杜夫の大熱演がいい。情けない男をあんなに一生懸命熱演されて、私たちは笑いに笑える。その客席のノリでさらに風間はノッテいくのだった。最後の挨拶のハイテンションがそれを伝えている。「ひとりで3時間もやって疲れるだろうと思われますでしょうが、全く疲れておりません」うーん、ハイテンション。

「俵星玄蕃」の科白部分は何を言っているのかわからないところもあったが、それはそれで許せる範囲(何年か前の市村正親の「市村座」での同曲はもっとすごかった)。若かりし頃の「蒲田行進曲」の銀ちゃんでみた喜劇的センスを十二分に発酵させて中年パワーが炸裂したような舞台だった。風間杜夫がひとり芝居を始めて10年たつという。自分で「風間のひとり芝居は熱い」とリーフレットに書いている。その熱さを保ち続けていつまで走ってくれるかと楽しみにしていくことにしよう。

しかしながらこの作品を見て強く思ったことは、今の団塊の世代もその前の世代ももう少し社会に向き合っていてくれればということ。そうすれば現在よりももっとましな社会になっていたのではないかと思うのだ。それは言っても今さらどうしようもないこととはわかりつつ.....。

写真は劇場の2階ロビーにあった風間杜夫の写真を携帯で撮影したもの。実物はもう少し太めだったけれど、やっぱりなかなか二枚目半の優男風でよいのであった。
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06/08/16 「神宮外苑花火大会」を楽しむ職場の宴会

四ツ谷に異動になってもうすぐ一年。こちらの職場は年3回(花見と花火と年末納会)の職場での懇親会が慣例化している。
夜桜宴会の記事はこちら
今日はこちらで初めての花火鑑賞宴会。職場の窓から「神宮外苑花火大会」の花火を観ながら美味しいものを食べる(写真は花火大会チケット購入サイトより)。10年近く前に神宮前の近くにオフィスを構える仕事の取引先からそのオフィスビルの屋上での鑑賞宴会に招待されて以来だと思い出す。

天気があやしいと心配していたが、昼12時に決行かどうか発表されたのを確認。昼休みに食材を買出し部隊が買ってくる。夕方、7:30からの打ち上げ開始までに用意。ビールを片手にしゃべりながら待つと.....。神宮の照明が落ちて、始まり始まり~。
「よく見える~」!音も楽しめるように窓も開けながら室内で花火を楽しめるなんて有難いことだ。

神宮の花火は火の粉が広く散らばらないように小型の花火ばかりだが演出が凝っていているのだとか。まさにその通りで尺玉のような大型の和花火はなかった。スターマインなどの洋物の花火だが立て続けに色やデザインの効果が上がるように組み合わされていた。その色が昔の花火と違って蛍光色のような色目になっていた。参加者が皆そのように感じたようだ。なぜこういう色目が流行するんだろうという話題にまで発展してワイワイしゃべる。
前の花火の色が残っている間に次の花火が別の色や形を重ねるのを見て、「ここまで計算しているのかねぇ」とか、「花火師や演出家の毎年の工夫もいろいろ重ねられているんだろう」となどとも盛り上がる。
8:30までじっくりと楽しむことができた。片付けて撤収していい気持ちで帰宅。


駅前にあるはずの自転車がない!撤去日の表示が今日になっている。あの時間に置いて撤去されるとは~。いつも警告の赤紙を貼る時刻より遅い時間に停めているはずなのに~。お盆で台数が少なかったから警告の紙もついていない全数撤去したのではないだろうか(T-T)
もうひとつ!家に帰ったら蒸し風呂状態。温湿度計は30℃で湿度90%!!さては娘め、カップ焼きそばつくるお湯を沸かす時に換気扇回していなかったな~。当たり~。本人はさっさとエアコンをガンガンきかせた自室に移動して食べていた模様.....。


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06/07/19 東京裁判三部作完結『夢の痂(かさぶた)』


61年目の終戦記念日に合わせ、夜中に一気に書いた文章をきちんと読み直さずにアップしたために乱文の極みだった。「吉里吉里人」が「吉利吉利人」になっていたし、文章もおかしいところだらけだったのでかなり修正を入れさせていただきました。

私にとって初めての新国立劇場の小劇場。「小劇場新作連続上演」では、現代をリードする劇作家たちと集団が「時代と記憶」をテーマに作品を発表。この企画の最後が井上ひさしの東京裁判をモチーフにした「夢」シリーズ。このシリーズを知った時にはすでに第二部までの上演(「夢の裂け目」「夢の泪」)が終わっていて、最後の第三部は見逃すまいと思っていた。職場の観劇好きのお仲間を誘って3グループに分かれて観劇。私は7/19の夜の部を観た。小劇場は本当に小さく座席も硬くまさに硬派のお芝居を楽しむにはぴったりの劇場だった。
演出は新国立劇場芸術監督の栗山民也が演出。遅筆堂と名乗る井上氏のこと、今回も原稿アップは初日ギリギリになったらしい。役者さん、スタッフさんに観客としても大感謝である。キャストは「夢」シリーズ3作を通して出演された9人。
角野卓造 高橋克実 福本伸一 石田圭祐 犬塚 弘 三田和代 藤谷美紀 熊谷真実 キムラ緑子

東京裁判三部作のはずなのに裁判自体は全く出てこない。東京裁判では政治的活用を目的に起訴対象にされなかった天皇の戦争責任を問う、また国民もまたその責任について考えてこなかったことをテーマにしたドラマだった。
角野卓造は昨年の休職中に毎日のように見てしまったTVドラマ『渡る世間は鬼ばかり』でおなじみだったのだが、舞台は初見。しかしまず冒頭、大本営所属の軍服姿が決まっていることに驚き、満州にいる娘に遺書を残して自殺をはかって入り江と見立てたオケピに飛び込む。そして生き残ってしまって月日を経た次の場面、だらしなく寝ているステテコ姿をさらすという極端から極端に人間の変化を表す作劇を味わい深く体現!すごい、すごすぎる。冒頭からひきつけられてしまった。その徳次は実家の骨董商を手伝って屏風の収集家の東北の地主だった佐藤家で立ち働いていた。そこに娘がたずねてきての久方ぶりの対面シーン。井上ひさしの喜劇味あふれる変化を持たせた繰り返しの台詞にほのぼのしてしまう。人間宣言をした天皇が国民と触れ合うための巡幸の際の行在所として佐藤家に白羽の矢がたち、失敗をしないように予行演習をすることになる。徳次は大本営で天皇の姿にふれたことのある人間として天皇の役をつとめるよう依頼される。そして天皇に成りきっていくところの異常な可笑しさ。この変化の幅の大きな役をどの場面も魅力たっぷりに演じてくれた。全幅の信頼を寄せるに値する役者だと思い知る。

三田和代は『喪服の似合うエレクトラ』以来。今回は32歳の行かず後家になりそうな佐藤家の長女絹子役。年齢的にはちょっと無理があったが、真面目な女学校の国語の教師という役柄にはぴったりだった。絹子が国語の文法を通して世の中の変化を生徒と一緒になって考えていくという筋書きがまず全体を一本通している。主語が隠れてしまう日本語が持つ曖昧さ。時代の大勢に主語を置き換えることで何も考えずにすばやく宗旨替えをすることができてしまうという鋭い指摘。そうしながらも長女として天皇の行幸を成功させるための指揮をとっているようにみえる。しかしそれは天皇に戦争責任を問いたいためだということがわかる。
絹子は小作の息子を愛していた。その彼は反体制的だったために最前線の戦地に送られて餓死。そのための責任をとって欲しかったのだ。それが予行演習の中で明かされ、徳次の天皇に国民に謝罪し責任をとるように迫る場面は秀逸。ここで絹子の台詞を引用しておこう。
「天子さまが御責任をお取りあそばされれば、その下の者も、そのまた下の者も、そのまたまた下の者も、そしてわたしたちも、それぞれの責任について考えるようになります。「すまぬ」と仰せ出だされた御一言が、これからの国民の心を貫く太い心棒になるのでございます。ご決意を!」

徳次天皇は「古来から天皇は謝らないことになっている」とか最初は言っているがついに追い詰められて謝罪、その上で退位まで宣言。そして我に返ってなんというおそれ多いことをしたかとまたまた飛び降り自殺を図りまた失敗。2度も天皇のために死のうとするハメに陥っているということの愚かしさ、滑稽さ…。その徳次に絹子が思いを寄せ、徳治もまんざらでもないらしいという終わり方で救われるのだ。角野卓造も41歳という年齢設定に少々無理を感じたが(笑)。

佐藤家の次女繭子(熊谷真実)は、絵描きの道を志したが挫折してキャンバスの向こう側に行ってしまっていた。恋敵でもあり、対抗するモデルクラブ所属の高子(キムラ緑子)ともども額縁ショー出演仲間でもあった。このふたりが明るくたくましいキャラクターであるのも魅力的だ。結局最後には佐藤家の当主の爺さん(犬塚弘)を除いて4組のカップルにおさまっていく雰囲気も明るい希望を感じさせた。

それにしても私は驚いた。当時の日本人がきちんと自らの戦争責任を考えるために一番有効だった手段として「天皇の謝罪」を真正面から提示している。まさに一番有効だったろう。A級戦犯だけが裁かれることで天皇の戦争責任を不問とするという政治取引があったことは歴史的に明らかになっているのにそれは国民の共通認識になっていない、いや、ならないように情報操作されてきた日本の戦後史。それで死んだA級戦犯の合祀について昭和天皇が不快に思うということの異常さ。昭和天皇は「人間宣言」の後も最後まで元首意識を持ったままの人だったらしい。ちゃんと「人間」として育てられていないのだから仕方がないのかもしれないが。
「夢の痂(かさぶた)」というタイトル、日本社会にできた大きな傷の表面は戦争責任を曖昧にしたまま痂になってしまっている。それを剥がして膿を出す必要があるというのが今回の作品への井上ひさしの問題意識だったようだ。

また、全編を通して井上ひさし特性の合成東北弁がとびかうことで標準語では味わえない人間の泥臭さ、可笑しさが出てきている。アテルイのような反大和政権的な感覚、吉里吉里人のような中央政権からの独立意識のようなものも根底にあることが作品の支えになっていると思う。
井上ひさしの作品の中では『太鼓たたいて笛ふいて』が一番好きだが、それについでこの作品も気に入った。

新国立劇場のプログラムは安くて読むところがたくさんあってかさばらないのが気に入っていて毎回買っている。今回はさらにこの作品の戯曲が掲載されていた文芸誌『すばる』8月号もしっかり買ってきて、観劇後すぐに読んで舞台を脳内で再現。これはなかなか楽しかった。そしてあらためて井上ひさしの戯曲の質の高さを味わうことができたのだった。戯曲の一読もかなりおすすめである。

写真は、新国立劇場のHPのチラシ写真から転載。
ご参考までに、昨年の『箱根強羅ホテル』の感想はこちら
この夏は昭和天皇がA級戦犯合祀を不快に思っていたことがわかるメモが見つかったという報道もあり、元首相で後にA級戦犯で処刑された広田弘毅の遺族が「祖父の合祀については靖国神社が勝手にやられたことで承知していない」とインタビューで応えている報道も見た。さらに昨晩はニュース23で合祀をしないでいた皇族出身の宮司が亡くなって福井から抜擢された次の宮司が就任3ヶ月でさっさと合祀してしまったという報道も見た。戦争責任についてしっかり考える機会を持ってこなかった日本人という問題に向き合わざるを得ない(そこがナチスの責任をしっかりと総括し迷惑をかけて周囲の国々ときちんと付き合ってきたドイツとの大きな差だと思っているのだが.....)。
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