7/9昼の部の感想
23日に夜の部を鑑賞。
30分の短い演目「吉例寿曽我」の鶴ヶ岡石段の場のがんどう返しの後の大薩摩が終わる頃にようやく着席(八幡三郎の猿弥と近江小藤太の右近は見ていない)。
大磯曲輪外の場でちゃちな富士山の背景に大ゼリに乗った登場人物が上がってきて、簡単なだんまり。最後に梅玉の工藤祐経が赤い布も端を広げて山型にした二段に乗って脇に一同が絵面に極まる。
曽我五郎=松江、曽我十郎=笑也、朝比奈三郎=男女蔵、秦野四郎=弘太郎、喜瀬川亀鶴=梅丸、化粧坂少将=春猿、大磯の虎=笑三郎
あまりにもちゃっちい幕切れに、梅玉を上置きにして澤瀉屋一門の弟子たちを一応出しましたというアリバイ演目だねぇという印象。
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【新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子】
小姓弥生後に獅子の精=海老蔵
家老渋井五左衛門=市蔵 用人関口十太夫=亀鶴
胡蝶の精=玉太郎 同=吉太朗
局吉野=右之助 老女飛鳥井=家橘
2010年1月の花形歌舞伎で海老蔵の「鏡獅子」を観ている。今回はさらに身体を絞っていて、なかなか美形の小姓の弥生になっている。緊張が切れることなく、伏し目がちな表情で神妙に踊っているように見える。ただ、差し金の胡蝶が舞い飛ぶのを目が追うところなどは目が怪しい感じがして、狂うのはまだちょっと早いんじゃないという気がした。
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弥生が獅子頭の妖力で花道を引っ込んで行き、胡蝶の精が連れ舞う二人は玉太郎と吉太朗。ふっくら顔の吉太朗がしっかり踊るのに負けじと細面の玉太郎も頑張っていて、なかなか見応えあり。
後シテの獅子となった海老蔵の花道の七三からの引っ込みは三階上手席からは見えない。左席のモニターを双眼鏡で見ている人がいて、そうすればいいと気づいても遅し。次回からは同様にさせてもらおうっと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
目を大きく見開いた獅子の海老蔵は本当に立派で、荒事役者としての存在感を十分に感じることができた。しかしながら、毛振りが歌舞伎舞踊の範疇を超えていた。あまりにも高速に回すので、これはかなりの回数をいく気だなと最初からわかった。50回を超し、最後はものすごい超高速という感じで動体視力のよくない私にはカウントがつらくなるくらいだった。92回?と思ったらお隣席で94回とか言う声が聞こえたのでそんなものだろう。
胡蝶の二人もかがんで二人で回り続けることをしていなかった。これはつきあわせるのも可哀想だから、最初からその振り付けはなしにしたんじゃないかと推測。
しかし、今回の毛振りは海老蔵の身体能力の高さを見せつけてくれはしたが、別にそんなものを観にきているんじゃないのだが。私は一応、歌舞伎舞踊としての毛振りが見たいのであって、そういう幕切れになっていなかったのはまぁ、海老蔵だからそんなものかという感想。獅子の毛振りといえば、勘三郎が2009年1月の歌舞伎座で100回振った時も見ているが、その時とは全く違う。
私は海老蔵の「鏡獅子」はあまり見たくないが、やるのであればもっと研究してもらいたい。
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【江戸の夕映(えどのゆうばえ)】作:大佛次郎 演出:團十郎
以下、あらすじと作品概説は「歌舞伎美人」より引用、加筆。
江戸幕府は瓦解し、新政府となった明治元年の夏。直参旗本の本田小六(海老蔵)は、許嫁の松平掃部(左團次)の娘お登勢(壱太郎)を残し、幕府軍へ加わり軍艦に乗り込んで函館へ旅立ってしまう。一方、同じ旗本でも小六の友人である堂前大吉(團十郎)は、柳橋芸者のおりき(福助)と夫婦になり町人として暮らし始め、あれから音沙汰のない小六の身を案じているが...。
数々の新作歌舞伎を残した大佛次郎の代表作。激動の幕末を生きた市井の人々を主人公に、江戸の人情味や粋を巧みに描く。(以下、略)
他の主な配役は以下の通り。
徳松=男女蔵 黒岩伝内=亀鶴
網徳娘お蝶=宗之助 吉田逸平太=市蔵
松平妻おむら=家橘 おきん=萬次郎
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何年か前にやはり團十郎の演出で平成の三之助が揃った「江戸の夕映え」の上演があり、評判がよかったが見逃している。その時に松緑と菊之助がやった大吉夫婦を團十郎と福助がやるので、同世代の大吉と小六の対照的な生き方のドラマにはならなかったようだが、今回の配役は配役で面白かった。
このところ、壱太郎が一途な若い娘の役が似合って美しい。そのお登勢が小六という美形の直参旗本の許嫁から去り状がきても思い続け、父の掃部も娘の思いを支持して「待ってやれ」という。
そのお登勢を見初めてわがものにしようとする薩摩出身の吉田逸平太を市蔵が「ひげゴジラ(ご存知「ハレンチ学園」!)」のような顔で執拗に迫るのが可笑しい。明治新政府の高級役人となって自分をふったお登勢の一家への意趣返しも大家に圧力をかけて追い出すという陰湿さ!
最後の蕎麦屋の場面。橘太郎、芝喜松の蕎麦屋夫婦の前で萬次郎の住職の妾おきんが世間話をするところに聞き惚れる。その後、團十郎の大吉が小六をみつけ、待っていたお登勢に会ってやれと言ってきかすところは、台詞回しの上手下手ではなく、熱い気持ちをぶつけているのを聞くのが気持ちがいい。
函館の戦いで死ねずに抜け殻のようになった小六に海老蔵がハマっている。その閉ざした心をこじあけるような大吉の言葉と、かけつけたお登勢の必死の眼差しに、小六の目が目の前の自分を愛し続けた女をとらえ、身体が彼女に向かって動き出すところでの幕切れ。
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この遠回りも、薩摩の官軍隊長黒岩伝内(亀鶴)をはずみとはいえ斬ってしまった小六が受けなければならない罰ともいえるが、許嫁のお登勢が巻き込まれたのは実に不幸なことだった。時代の激変の中で権力を失っていく武家の運命をどう受け入れるのか、一人一人に問われたことだろう。その中で、必死に前向きに生きている人間のドラマとして、見応えのあるものになっていた。
最後の演目がなかなかよかったので、気持ちよく打ち出されることができた昼の部だった。海老蔵にも娘さんが誕生したとのこと、これでまた親としての修行が役者としての成長につながることを信じたい。
23日に夜の部を鑑賞。
30分の短い演目「吉例寿曽我」の鶴ヶ岡石段の場のがんどう返しの後の大薩摩が終わる頃にようやく着席(八幡三郎の猿弥と近江小藤太の右近は見ていない)。
大磯曲輪外の場でちゃちな富士山の背景に大ゼリに乗った登場人物が上がってきて、簡単なだんまり。最後に梅玉の工藤祐経が赤い布も端を広げて山型にした二段に乗って脇に一同が絵面に極まる。
曽我五郎=松江、曽我十郎=笑也、朝比奈三郎=男女蔵、秦野四郎=弘太郎、喜瀬川亀鶴=梅丸、化粧坂少将=春猿、大磯の虎=笑三郎
あまりにもちゃっちい幕切れに、梅玉を上置きにして澤瀉屋一門の弟子たちを一応出しましたというアリバイ演目だねぇという印象。
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【新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子】
小姓弥生後に獅子の精=海老蔵
家老渋井五左衛門=市蔵 用人関口十太夫=亀鶴
胡蝶の精=玉太郎 同=吉太朗
局吉野=右之助 老女飛鳥井=家橘
2010年1月の花形歌舞伎で海老蔵の「鏡獅子」を観ている。今回はさらに身体を絞っていて、なかなか美形の小姓の弥生になっている。緊張が切れることなく、伏し目がちな表情で神妙に踊っているように見える。ただ、差し金の胡蝶が舞い飛ぶのを目が追うところなどは目が怪しい感じがして、狂うのはまだちょっと早いんじゃないという気がした。
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弥生が獅子頭の妖力で花道を引っ込んで行き、胡蝶の精が連れ舞う二人は玉太郎と吉太朗。ふっくら顔の吉太朗がしっかり踊るのに負けじと細面の玉太郎も頑張っていて、なかなか見応えあり。
後シテの獅子となった海老蔵の花道の七三からの引っ込みは三階上手席からは見えない。左席のモニターを双眼鏡で見ている人がいて、そうすればいいと気づいても遅し。次回からは同様にさせてもらおうっと。
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目を大きく見開いた獅子の海老蔵は本当に立派で、荒事役者としての存在感を十分に感じることができた。しかしながら、毛振りが歌舞伎舞踊の範疇を超えていた。あまりにも高速に回すので、これはかなりの回数をいく気だなと最初からわかった。50回を超し、最後はものすごい超高速という感じで動体視力のよくない私にはカウントがつらくなるくらいだった。92回?と思ったらお隣席で94回とか言う声が聞こえたのでそんなものだろう。
胡蝶の二人もかがんで二人で回り続けることをしていなかった。これはつきあわせるのも可哀想だから、最初からその振り付けはなしにしたんじゃないかと推測。
しかし、今回の毛振りは海老蔵の身体能力の高さを見せつけてくれはしたが、別にそんなものを観にきているんじゃないのだが。私は一応、歌舞伎舞踊としての毛振りが見たいのであって、そういう幕切れになっていなかったのはまぁ、海老蔵だからそんなものかという感想。獅子の毛振りといえば、勘三郎が2009年1月の歌舞伎座で100回振った時も見ているが、その時とは全く違う。
私は海老蔵の「鏡獅子」はあまり見たくないが、やるのであればもっと研究してもらいたい。
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【江戸の夕映(えどのゆうばえ)】作:大佛次郎 演出:團十郎
以下、あらすじと作品概説は「歌舞伎美人」より引用、加筆。
江戸幕府は瓦解し、新政府となった明治元年の夏。直参旗本の本田小六(海老蔵)は、許嫁の松平掃部(左團次)の娘お登勢(壱太郎)を残し、幕府軍へ加わり軍艦に乗り込んで函館へ旅立ってしまう。一方、同じ旗本でも小六の友人である堂前大吉(團十郎)は、柳橋芸者のおりき(福助)と夫婦になり町人として暮らし始め、あれから音沙汰のない小六の身を案じているが...。
数々の新作歌舞伎を残した大佛次郎の代表作。激動の幕末を生きた市井の人々を主人公に、江戸の人情味や粋を巧みに描く。(以下、略)
他の主な配役は以下の通り。
徳松=男女蔵 黒岩伝内=亀鶴
網徳娘お蝶=宗之助 吉田逸平太=市蔵
松平妻おむら=家橘 おきん=萬次郎
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何年か前にやはり團十郎の演出で平成の三之助が揃った「江戸の夕映え」の上演があり、評判がよかったが見逃している。その時に松緑と菊之助がやった大吉夫婦を團十郎と福助がやるので、同世代の大吉と小六の対照的な生き方のドラマにはならなかったようだが、今回の配役は配役で面白かった。
このところ、壱太郎が一途な若い娘の役が似合って美しい。そのお登勢が小六という美形の直参旗本の許嫁から去り状がきても思い続け、父の掃部も娘の思いを支持して「待ってやれ」という。
そのお登勢を見初めてわがものにしようとする薩摩出身の吉田逸平太を市蔵が「ひげゴジラ(ご存知「ハレンチ学園」!)」のような顔で執拗に迫るのが可笑しい。明治新政府の高級役人となって自分をふったお登勢の一家への意趣返しも大家に圧力をかけて追い出すという陰湿さ!
最後の蕎麦屋の場面。橘太郎、芝喜松の蕎麦屋夫婦の前で萬次郎の住職の妾おきんが世間話をするところに聞き惚れる。その後、團十郎の大吉が小六をみつけ、待っていたお登勢に会ってやれと言ってきかすところは、台詞回しの上手下手ではなく、熱い気持ちをぶつけているのを聞くのが気持ちがいい。
函館の戦いで死ねずに抜け殻のようになった小六に海老蔵がハマっている。その閉ざした心をこじあけるような大吉の言葉と、かけつけたお登勢の必死の眼差しに、小六の目が目の前の自分を愛し続けた女をとらえ、身体が彼女に向かって動き出すところでの幕切れ。
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この遠回りも、薩摩の官軍隊長黒岩伝内(亀鶴)をはずみとはいえ斬ってしまった小六が受けなければならない罰ともいえるが、許嫁のお登勢が巻き込まれたのは実に不幸なことだった。時代の激変の中で権力を失っていく武家の運命をどう受け入れるのか、一人一人に問われたことだろう。その中で、必死に前向きに生きている人間のドラマとして、見応えのあるものになっていた。
最後の演目がなかなかよかったので、気持ちよく打ち出されることができた昼の部だった。海老蔵にも娘さんが誕生したとのこと、これでまた親としての修行が役者としての成長につながることを信じたい。
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