ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

13/10/28 「亀治郎ギャラリー」、舞台写真展「お梶とシャイロック」、勘三郎一周忌前イベント録画を観る

2013-10-28 23:45:51 | 観劇

「亀治郎の会」の第5回以降のプログラム等の作成をしてきたデザイン会社の事務所(原宿にあった)の中に「亀治郎ギャラリー」ができていて、一度、観劇帰りにさちぎくさんとご一緒したことがあった
その事務所ビブリオテックが御茶ノ水に移転し、エスパス・ビブリオとなり、ブックカフェに「亀治郎ギャラリー」も併設されてリニューアルオープンとなった。50㎡のギャラリー エスパス・ビブリオというスペースも設けられ、そのこけら落としとして市川猿之助ふたつの舞台写真展「お梶とシャイロック」(撮影 齋藤芳弘)が、10/19~29で開催された。

最終日前日、娘がお友達の家に泊りに行ったのをこれ幸いと、仕事帰りに御茶ノ水へ。先日歌舞伎座でご一緒したあいらぶけろちゃんさんが先に行かれていたので地図をいただいて、その地図を見ながら行ったのだが見事に迷子状態・・・・・・。
明治大学のリバティタワーの守衛さんにお聞きして御茶ノ水駅に戻る方向でとちのき通りにあるエスパス・ビブリオにようよう到着(^^ゞ

冒頭の写真が地下への階段の入り口にあった写真展の案内。時間が時間だけにギャラリースペースには私ともうお一人だけ。謎の「お梶」は、今年8月大阪の国立文楽劇場での竹三郎の会での「夏祭女団七」のお役とわかった。「夏祭」の書替狂言で芸者のお梶が義母のおとらを殺すという筋立てで、お梶を猿之助、おとらが竹三郎で演じられている。団七格子などを踏襲した柄の着物で、粋な芸者姿から殺しの場面までの表情に惚れ惚れする。
9月彩の国さいたま芸術劇場で私も観た「ヴェニスの商人」のシャイロックのアップの表情に猿之助怪演の舞台が彷彿とした。
市川猿之助公式サイトの最新情報:市川猿之助ふたつの舞台写真展はこちら

リニューアルの「亀治郎ギャラリー」の書架には猿之助コレクションの面白そうな本が並んでいる。私が2005年に浦和の古本市で買ってしまった『歌舞伎名舞台』という大きな本もあって、嬉しくなってしまった。次に来るときはゆっくり閲覧したい。
黒手組の天水桶に入った時の舞台写真のポストカードを2枚買ってきてしまった。そのうちの1枚は「渋谷亀博」で使われていたもの。ホント、水もしたたるいい男、というか役者!!


帰宅して、昨日の築地本願寺で行われた十八世中村勘三郎を偲ぶ「一周忌メモリアルイベント」のNHKでの報道番組の録画を観た。「偲草鶴競猿若舞(しのびくさつるくらべさるわかまい)」で、孫の七緒八くんが父勘九郎、叔父七之助とともに立派に舞台をつとめたのを観ていたら目頭が熱くなってきた。
最近の報道で「ポスト勘三郎」ということで、勘九郎、染五郎、猿之助、愛之助と4人の名が挙がっていて、今日ちょうどその二人に所縁のものを観ることになった。こうして伝統芸能である歌舞伎の芸は、しっかりと後の世代が継承していってくれるんだなぁと頼もしい思いになった。

しかしながら現在、日本の社会全体はいい方向に向かってはいない。先人たちの何を継承し、みんなが生きやすい社会をどうつくっていったらいいのか考えながら、多くの人たちと一緒に手探りででもやれることをやっていかなければいけないという思いも強くしている。

13/10/27 哀しいことが続くので「調神社」へ→御朱印の2つ目!

2013-10-27 23:48:34 | おでかけ、旅行

家でも職場でも哀しくつらいことが続き、かなり気鬱な毎日を送っていた。ブログをしばらく放置してしまったが、台風一過の晴天の今日、「調神社」に行ってきて気分を一新させてみた。いろいろありすぎた近況をご報告m(_ _)m

まず、職場でのある一件。
上のフロアのある職場に派遣職員できていた女性が5年で雇止めとなった。私の方が長くいるので彼女が働き始めてから辞めることになるまでを知っている。そのうちに毎日昼休みに私のフロアの窓際の資料閲覧コーナーに休憩しにくるようになっていたので、おなじみさんになっていた。庶務・会計的な事務をされていたが、しっかりしたお仕事ぶりだった。そこでなんとかと本体の人事にかけあう人もいてくれたのだが、組織的にいろいろ面倒なことになるために、雇止めということになったとお聞きした。
今年、何十年ぶりかで会えた小中時代の友人のひとりがやはり派遣で働いていると聞いた。そこで派遣で働くことについての当事者の気持ちを友人ということで忌憚なく話してくれるのを聞かせてもらっていた。
そのお二人の話が重なって、どうにも重い気持ちになってやりきれなかった。退職のご挨拶に部署の人数に合わせた菓子折りを持ってきていただいたが、「早くいい職場が見つかるといいね」とか「お元気でね」と言って別れたが、目頭が熱くなってしまった。
働く人たちのうち、非正規が4割を超しているという今の日本、やっぱりおかしいよ。労働組合組織率が2割という国は、民主主義の先進国とは到底いえないな。

そして、もう一件。
我が職場で人事制度改定が経営側から申し入れられている。先日、労使共催の学習会に参加した。大きな変更点は「職能資格制度」に「役割業績給制度」を組み込むことだ。幹部やその候補になるような職員をもっと増やそうとニンジンを大きくして、他は切り下げるというのが骨子になっている。私もこの提案のままだとかなり減給になるのは確実だ。
労組はけっこう頑張っている。現在の人事制度になった経過や、その問題点、改善を申し入れていた経過も踏まえて、経営からの提案を分析して問題点を提示した学習会も積み重ねている。私の職場が分室なので本部での学習会に参加しにくくて歯痒い。アンケートに意見を記入しながら気鬱になってたまらなかった。

妹2の手術は22日に腹腔鏡手術で無事終わったが、その前日に家に空き巣が入ったという。誰もいない時間が多くなっているのを泥棒にチェックされてしまっていたのだろう。お隣の家と続けて窓枠をはずして侵入する手口だったらしい。昨日26日に退院したと連絡がきたが、荒らされた家の片づけもしないといけなくて大変だ。週明けには名古屋の妹1が来てくれるとのこと。私はそういう時に役に立たない人種なので、邪魔をしないことが一番大事。それにしてもこの禍が福に転じて欲しいと祈るばかり・・・・・・。

娘は大学に行かない日もあり。私が一人で納戸部屋になっている和室を片づけていたら、娘の買い物依存症のグッズが買ってきた袋のまま放り込まれているのをいくつも見つけてげんなりした。娘は「オークションに出すから処分しないで」と言うのだが、その手間に嫌になって二度くらいしかしてくれない。場所をとっている一番くじのクッションを社会福祉法人への物品提供に出すぞと脅すと、二度目をやってくれたが結局は私が提供した漫画しか売れない。クレジットカードは解約させたが、それでももう一回は請求がくるらしいことが判明。製造物責任はずっと負っていかなければならないのか・・・・・・?!

10/6に大宮の氷川神社に妹2の「病気平癒」の祈願に行ってきて、その時に初めて「御朱印」をいただくことにした。この間、玲小姐さんの歴史散策で神社仏閣参拝もかなりしてきたが、さちぎくさんの「御朱印帳」にメンバーの関心が寄せられていた。それでも信仰心のない者がという遠慮をしてきた私だが、妹2のこともあり、御祈祷をしていただいた氷川神社で始めてみようという気になっていた。
そこで、地元浦和の「調神社」で2つ目の御朱印をいただくことを考えていたが、今日のよいお天気の中、決行した。

冒頭が、氷川神社と調神社の御朱印が並んでいるところ。いただいた時にも感じたが墨のいい匂いがする。開くと下の写真は氷川神社の2つの御朱印帳のうち、白地に瑞雲を散らしたもの。


続けて今日の散策について記事を書きたいと思っている。

13/10/15 やなせたかしさんを悼み、「捨身飼虎」「忘己利他」を考える

2013-10-15 23:59:09 | つれづれなるままに

やなせたかしさんの最初の認識は、月刊『詩とメルヘン』の編集長で不思議な絵でなかなか風変わりな世界の描き方をされる方だということだった。その頃は今ほど世に知られていなかったように思う。
「詩とメルヘン絵本館」のHPはこちら

その後、絵本では「あんぱんまん」としていたのが、アニメ版で「アンパンマン」シリーズが始まり、日本中で誰もが知っている漫画家のおじいさんになってしまわれた。

冒頭の写真はオリジナルの「あんぱんまん」で、普通の人間の身体のバランスで頭だけが「あんぱん」なのだ。ジャムおじさんというパンづくりをするおじさんが焼いたあんぱんから生まれたヒーローなのだ。アトムの生みの親の天馬博士、育ての親のお茶の水博士の両方の役割を果たしているように思う。
あんぱんでできた頭をお腹が空いて倒れている人に食べさせて助ける。そして頭のあんぱんがかじられたりすれば力を失う(といっても頭なしでも空を飛ぶくらいの力はある)、強くないヒーローなのだ。
自分を食べさせて人を救うとは、まさに仏教でいう「捨身飼虎」の考え方に基づいていると驚いたものだ。けれど、あんぱんまんは再生する。それも自分の力ではなく、ジャムおじさんが新しく焼いてくれたあんぱんの頭でリフレッシュする。
niftyの「捨身飼虎」はこちら

瀬戸内寂聴さんの本を2冊続けて読んだが、その中で天台宗伝教大師最澄の教えに「『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』という言葉があるとあったことに重なる。
「忘己利他」だけでなく、そういう人も周囲の人に支えられているという姿こそ理想的だと思う。
そういう難しいことを、「あんぱんまん」の物語は子どもにもわかるように伝えてくれる。
アニメではもっと三頭身くらいの幼児に好まれる体型にされ、○○マンシリーズにならってカタカナにされてしまったと思われる。
敵キャラとしてバイキンマンとドキンちゃんも可愛いし、毎回毎回の楽しいキャラクターが登場し、困った事件を解決するための戦いをくり広げるという、人気シリーズになった。それでもアンパンマンが自分を投げ出して人を助けるという本質はきちんと伝わっていると思う。
アンパンマンミュージアムのサイトはこちら

お子さんがいなかったやなせさんは自分の生み出したアンパンマンの人形に囲まれて元気で長生きしてくださった。
体調を崩して引退をされることになっていたのを、3.11で被災した方々を励ますために「引退を撤回」され、最後までご自身が「忘己利他」を貫かれたように思う。
ご冥福を祈りたい。

天台宗の「法話集」の「忘己利他」はこちら
大谷大学の「生活の中の仏教用語」の中の「忘己利他」はこちら=こちらには「捨身飼虎」のエピソードとの関連もわかる

13/10/14 歌舞伎座昼の部観劇後、銀座を歩いてからくり人形の演奏に遭遇

2013-10-14 23:59:23 | おでかけ、旅行

歌舞伎座昼の部を観て、いつもの顔ぶれ4人でドリンクバーのあるジョナサンへ。デニーズ銀座店が歌舞伎座こけら落としにあわせてリニューアルしてからコーヒーしかお替りできなくなってしまったので、最近のお気に入りはジョナサンかな(^^ゞ

いつも歩く晴海通りをジョナサンのある側に早々と渡ってしまってから有楽町方面に向かったところ、「安藤七宝店」のからくり人形のケースの前で一人が足を止めた。

「確かジャストの時間にからくり人形の演奏があるはず」と私が説明したところ、なんと演奏が始まって人形が動き出したした。2時間おきに演奏があるのだが、ちょうど15:30からの回に遭遇したらしい。

「安藤七宝店 東京支店」のHPはこちら
「銀座からくり時計」というのが本当のようで、人形作家の夢童由里子作「悠久の翔(つばさ)」と台座の銘にもあった。
冒頭の写真では大きな人形が手前に写っているが、徐々に後ろに下がっていって、下から現れた人形が一瞬で仮面をかぶるようになっている。それが下の写真。


HPの「からくりモニュメント 悠久の翔」のバナーをクリックすると詳しい説明が出てくる。
飾り台に、安藤七宝店の七宝細工が施されているというが、人形ばかり見ていてちっとも気がつかなかった(^^ゞ次回、通った時には人形だけでなく、飾り台の七宝細工の方もじっくり見てみようと思っている。

13/10/13 母と一緒に妹2のお見舞い、その後一人でゲキ×シネ「シレンとラギ」

2013-10-13 23:59:17 | つれづれなるままに

8月末から入院中の妹2だが、週末に外泊許可がおり自宅に戻ってくるというので、大宮の氷川神社でもらってきた病気平癒のお札を届けに行くことにした。
急遽、母親も連れてきてくれるといいなぁということになり、連絡をとって待ち合わせることにして、集合し慣れているJRさいたま新都心駅の改札前で集合にした。

ところが、前日よく眠れなかったらしく、朝早くから用意をして朝の9時半頃には「これから家を出るからね」と電話がかかってきた。
乗り換えがスムーズだったということで、かなり前倒しの時間で移動してきて、私が家を出る前に与野駅のホームのベンチにいるとまた電話。

合流して新都心駅で高崎線に乗り換えて北本駅へ。
妹2夫婦で車で迎えに来てくれて、まずはランチへ。
韓国旅行の打ち合わせでGWに来た時に私が気に入った「ボンドール 北本店」に行ったら、ちょうど混みあう時間帯だったので少々待つものの、それでも限定メニューが尽きる前に着席。

冒頭の写真はその料理が並んだところだ。その限定20食の牛フィレ肉ステーキは母が、金目鯛のポワレは私の注文(^^ゞ
といいつつ、ミディアムでと頼むのを忘れたら焼きすぎで硬いだの、付け合せの野菜も硬いだの文句をいい、全部食べられないと私に回ってくる。ま、毎度のことだから予想して魚にしたんだけどねぇ(苦笑)
ベーカリーレストランなのでパンが食べ放題なのだが、「サンマルク」にあるようなシンプルなパンが少ないのも不満だったらしく、あとで私に言っていた。

その後、妹2の家に少しだけ行って、氷川神社のお札と娘から預かってきた『ナルニア国物語』全7巻セットを渡してきた。本は入院中の必需品だが、韓流のムック本にも飽きたようで共通の好みを持つ娘にファンタジー本のリクエストがきたというわけだ。
お札は出窓にある神社のお札コーナーにさっそく鎮座してもらい、一緒にいただいてきたお守りの方を病院にもっていってもらうことにした。

母はかなりのハイテンションでレストランでも妹2の家でもずっとしゃべっているので、あまり長くなると妹2が疲れるので、午後3時には引き揚げてきた。母親は「今日は会えてよかったし、思ったよりも元気そうなので嬉しかった。連れてきてくれて有難う」と心底喜んでいた。
しかしながら、母にはこれからおなかの方の検査があるので再入院するのだと説明してあるのは姉妹3人が相談の上だ。手術日も22日と決まっていて、ツレアイくんが今回は立ち会ってくれることになっている。
姉妹3人はそれぞれが大変な状況を抱えているけれど、やはり妹2が一番頑張っている。これまでも「日々が生きるための闘いなんだからね」と言ってきたが、今もめげることなくテンションを高く保っている姿には頭が下がる思いだ。見習わなくては・・・・・・!。

さいたま新都心駅で、母が京浜東北線に乗り換えるまで送って、私はコクーンモールへ。
MOVIXさいたまでゲキ×シネ「シレンとラギ」の座席指定券とプログラムを買って、あらすじや中島かずき・いのうえひでのりの文章に目を通した後、つっぷしてしばし休憩。

16:10から19:25まで途中休憩15分を挟んでしっかりと観た。いのうえ歌舞伎のシリーズでオイディプス王をやりたかったとあったが、まさにその世界。しかしながら主人公の二人は不幸な結末を迎えない。これは切ないラブストーリーであり、生きる希望を捨てないでというメッセージがはっきり伝わる作品になっていて、何か所かでしっかり泣かされた。
企画の段階で東日本大震災、原発事故があったことを踏まえた内容にもなっていて、骨太のドラマだった。ゲキ×シネ10周年にふさわしい、一見をおすすめしたい作品だと思う。

連休初日は急遽、渋谷UPLINKで映画「朝日のあたる家」(10/18まで上映延長になっている)を観てきたし、明日は歌舞伎座昼の部観劇予定。なんだかんだと3連休は忙しい。ゆっくりぼーっとすることができない性分なので仕方がない。

13/10/07 秋の日は確かに短くなっているが昼はまだ暑かった

2013-10-12 22:59:20 | つれづれなるままに

9月の後半になってやっと涼しく秋らしくなってきたかと思ったら、10月に入って真夏日が続き、台風が気温の高い気団を連れてきたという。その気温の乱高下に桜が勘違いしてあちこちで咲いたとTVのニュースになっていた。

10/7(月)は週末の疲れもあり、珍しく午後5時半には職場を出た。夏場にはもっと明るいのにこんなに暗くなっている。気温は高くてもやっぱり日が短くなっているということに秋を体感した。
四谷駅前外濠脇の信号を渡ろうとしたら、夕空に桜の樹木のシルエットが黒く浮かび上がり、信号機の色が赤と緑の2色が灯って美しい。しばし見惚れてから、そうだ撮影しておこうと撮ったのが冒頭の写真。

ここの路上の信号機の入れ替えられたのは8/29で、朝の出勤途中に作業をしているところに遭遇。滅多に見ることのできない現場だと思い、携帯で撮影したのが下の写真。

特にアップしていなかったが、関連でアップしておこう。それにしてもなぜ入れ替えたのかなぁ。LEDにでも変えたのかしら。理由はよくわからない。

それにしても、こういう気温の高低の差が大きい陽気は身体にこたえる。「秋バテ」というのがTVの特集になっていた。ここ数年、通常の季節がめぐってこなくなっているような実感がある。日本は地球の「温帯」にあると昔習ったが、いまは「亜熱帯」になってしまったようだ。あらたな風土病が加わりそうであることもうとましい。
福島原発事故後の放射能の垂れ流しは続いているし、日本人はこれからどんどん寿命が短くなっていくと思われる。
そんな中でもとにかく、最大限自衛しながら生きていくしかない。
妹2は闘病中ではあるが、テンションは高いまま維持しているのがすごい。私も見習わなければと思う。3連休のどこかの日にまた顔を見にいこう。


13/10/05 港区歴史散策(4)ついに高輪の「泉岳寺」!

2013-10-10 23:59:10 | おでかけ、旅行

10/5、港区歴史散策の最終地は予定外の「泉岳寺」!
(1)愛宕神社、雨の石段
(2)愛宕山NHK放送博物館で「あまちゃん」グッズGET
(3)「江戸開城西郷南州・勝海舟会見之地」の碑→区立郷土資料館

Wikipediaの「泉岳寺」の項はこちら
4人中2人が初めてで、赤穂浪士討ち入りの日の12/14が誕生日の私が来ていないのが意外に思われた。
「吉良邸跡」だって昨年の3月に玲小姐さん散策で初めて行ったのだしねぇ。一人で歴史散策する人なんてよほどの歴史オタクだよ~(^^ゞ
冒頭の写真は、山門の「泉岳寺」の額を中心に撮影したもの。奥に本殿がうっすら写っている。
お寺はこじんまりとしていて、やはり「赤穂義士墓所」がメインのみどころのようだ。吉良の首級を供えた浅野内匠頭長矩の墓、妻の瑤泉院の墓とともに大石内蔵助ら四十七士の墓がある。お参りした時、雨はほとんど上がっていて、二人のお爺さんが墓所内を掃き清めていた。その熱心なお姿に赤穂義士への思いの深さを感じてしまった。
足軽の身分で討入りに加わることを許されながら泉岳寺への引き上げ時にはいなかった寺坂吉右衛門は切腹をまぬがれ、後日こちらに墓が建てられたためか、石の種類が異なっていた。そして寺坂以外の浪士の戒名はすべて最初の文字が「刃」となっていたが、あっぱれ主君の仇を討って切腹したということからだと思われる。

さて、お土産タイム。寺の入り口にはベタなお土産屋さんが3軒並んでいて、軒先には討ち入りの日に大石が打ったという山鹿流の陣太鼓をもじった右二ツ巴入りの太鼓がたくさんぶら下げられていた。

その店頭で赤穂からの銘菓ということで、売っていたのが「しほみ饅頭」。泉岳寺常連のhappydoragonさんが来ると必ず買って帰るというくらい美味しいと太鼓判を押すので、私もしっかり買ってみた。
播州赤穂の「総本家かん川」のHPはこちら
「自然の恵みを銘菓へと昇華させた名匠 藤治郎親子の秘伝の技を今に受け継ぎ、三百余年の歴史とともに研鑽を重ねつつ日本の菓子文化に貢献する老舗」とのこと。
「かん川本舗」というのもあるらしい。名物になると本家争いというのはつきもののようだ。

職場の皆さんへのお土産にしていただいたら、皮は不思議な感触で、赤穂産の塩を配合したというこしあんが絶妙な甘さで上品なお味。説明書には浅野内匠頭が茶道にも通じていて御用菓子師に工夫させた菓子を江戸参勤の折、土産として将軍家に献上したとあった。なるほど~。

皮の正体をつきとめるためにネット検索し、落雁風の皮であることがわかった。落雁は米などの粉に砂糖や水飴を加えてつくるが、「しほみ饅頭」の皮にはもち米を焼いて粉にした「寒梅粉」を使っているようだ。
娘にも食べさせたが、味の評価は「ビミョー」とのこと。この上品な美味しさがわからないヤツにはもうやらないよ~(笑)

11、12月の歌舞伎座は2ヵ月連続で「仮名手本忠臣蔵」というちょっと変な興行。ちょっと勘弁してくれと思っていたら、松竹歌舞伎会の会員で2ヵ月連続で昼夜チケットをとった人には特別にポイントを加算するという販促がかかってきた。修行のように観ている私としては辛いものがあるが、今回の「泉岳寺」参りで少しは気合が入った、ということにしよう。

13/10/05 港区歴史散策(3)「江戸開城西郷南州・勝海舟会見之地」の碑→区立郷土資料館

2013-10-08 23:59:45 | おでかけ、旅行

今回の港区歴史散策企画の発端は、大河ドラマ「八重の桜」で西郷隆盛と勝海舟の会見の回を観たことだ。
NHK放送博物館見学の後、東京慈恵会医大病院前を通って都営浅草線三田駅まで歩く間に近くに碑があるという話になった。大河ドラマの最後の5分間で紹介されていた「江戸開城西郷南州・勝海舟会見之地」の碑だ。
見逃してはならじと記憶を総動員して、「確かくるまやの前にあった」とひとこと。森永エンゼル街を通り過ぎ、三菱自動車工業本社がある第一田町ビルを見つけたら、あった!
「エンゼル街 情報サイト」の周辺スポットナビの中の情報はこちら
「京急で行く歴史の旅」の中の情報はこちら

冒頭の写真がその碑を写したもの。薩摩藩の蔵屋敷跡に建てているようだ。銘が西郷吉之助とあったので本人の筆かと勘違いしていたら、玲小姐さんが隆盛の孫の政治家だと教えてくれた。なるほど~。

碑を観ながら4人で「八重の桜」のその場面について盛り上がる。吉川晃司の隆盛と生瀬勝久のいずれもがよかった。(お二人の経歴をWikipediaでみたら、あらためて見直してしまった)
江戸は焼かれずにすんだが、「振り上げた拳のおろし場所」として会津がスケープゴートになってしまったという悲劇がいたましい。さらに明治維新で武士という身分をなくしてしまったことへの反発を全て背負って西南戦争で死んでいく西郷の生き様は、匿名で東日本大震災へのボランティアに参加した吉川の生き様が滲み出ていたように思えた。

再び慈恵医大側に出て、地下鉄に乗るのも面倒なのでタクシーで区立郷土資料館に向かった。
港区立図書館に併設されている。かなり古い建物で、壁のタイルが剥がれ落ちているのは東日本大震災の被災の跡かもしれないと思い当たる。ネットで落ちても大丈夫なように覆われていた。
「港区立港郷土資料館サイト」の「常設展」のページはこちら
伊皿子貝塚遺跡の貝塚から直接剥ぎ取った貝層の断面が壁面に展示されているのに圧倒された。この地は早くから人が住みつき、開かれて各時代の遺跡が堆積されているのが発掘されているのだとか!
さらに江戸時代は大名屋敷もあったわけで、そういう土地の郷土資料館の面白さがよくわかった。

そして、ここにあったチラシコーナーの散策コースの情報で、泉岳寺まで近いことがわかってしまった。そうなったら一行の4人は行かなければと即決!京浜急行電鉄の三田駅から一駅で泉岳寺だ。羽田と成田を結ぶ車内の椅子のデザインまで飛行機模様だった。

13/10/05 港区歴史散策(2)愛宕山NHK放送博物館で「あまちゃん」グッズGET

2013-10-07 23:59:57 | おでかけ、旅行

10/5港区歴史散策(1)愛宕神社、雨の石段
愛宕山にきたのだからやっぱり「NHK放送博物館」にも立ち寄ることになり、ろうということになって、もう一度坂を上る。本日の4人組のうち無理をしない(できない?!)2人は女坂を上った。私も女坂組(笑)

Wikipediaの「NHK放送博物館」の項はこちら
うーん、こちらだけではよくわからないので、下記の情報もあわせてご紹介。
Wikipediaの「NHK東京放送会館」の項はこちら

日本初のラジオ放送局として当時の社団法人東京放送局が、1925年(大正14年)3月22日に東京芝浦の東京放送局仮放送所から仮放送を開始。同年7月、同区愛宕山の本局舎に移転して本放送は始まった。
1956年、その愛宕山の本局舎内に世界初の放送専門博物館として「NHK放送博物館」が開館し、現在は博物館だけになっているということのようだ。

入ってすぐのミュージアムショップにまず釘づけになる。大河ドラマ「八重の桜」と9月末で終わった朝ドラ「あまちゃん」グッズがいっぱいだ!帰りにしっかり買うことにして展示をしっかり見て行った。

1階:放送のはじまり
2階:放送の歴史.......あとからパンフレットと照合すると4階まで全部見たわけではなかったが、順路に沿ってけっこう楽しみながら見学できた。

ラジオ放送開始の部屋の再現から歴史的に使われてきた放送機器の現物の展示が楽しい。日本初のテレビの復元機が数少ない「走査線」で映し出された筆文字の「イ」の字の映像などにはそういえばTV番組で紹介されていたっけ。昭和30年代半ば生まれの私たちはそれぞれのテレビの記憶などを披瀝しあったりして、ワイワイと見ていった。
「放送体験スタジオ」では磯村尚徳キャスターのニュース番組の映像を自分たちがキャスター席で座って映し出される映像にも感心至極。

予想以上に嬉しがって楽しんでの見学となり、最後のグッズショッピングでは悩んだ末に「あまちゃん」のクリアファイルとキャラメルを買ってしまった。
お会計の際に受付台にあった「八重の桜」のリーフレットの江戸編、明治編、ハガキをいただき、「あまちゃん」のハガキはないですかとおたずねしたところ、奥の方からみつけて一人一枚分をくださった。感謝m(_ _)m

道に出るのに楽なエレベータの案内に従い、しっかり乗った。3階分の高さがあった。
(3)「江戸開城西郷南州・勝海舟会見之地」の碑に続く。

13/10/05 港区歴史散策(1)愛宕神社、雨の石段

2013-10-07 00:37:50 | おでかけ、旅行

大河ドラマ「八重の桜」で、官軍による江戸城総攻の直前、西郷隆盛と勝海舟が会見して無血開城を決め、焼かずにすんだ江戸の街を愛宕山から見下ろしたというエピソードが出てきた。俄然行きたくなった私が玲小姐さんにリクエストして今回の港区歴史散策企画が実現。

我がグループの歴史散策企画は何故か雨になることも多く、さらに石段を上がるような日に雨にたたられるというのが池上本門寺の最初の散策と同じになった。本門寺の時は横殴りの雨になったのでそれとは比べ物にならない弱い雨ではあったが、石段はやはり濡れると滑るのが怖い。

冒頭の写真は愛宕神社で名物の「出世の石段」(男坂)を下から撮影したもの。左右にある狛犬というよりは唐獅子の阿形の像の金属の肌が雨で光っている。徳川家康ゆかりの愛宕神社の急な石段で、3代家光が芝増上寺への墓参の際、「誰か馬で駆け上がって梅の花を手折って参れ」という命令に志願して見事に応えた丸亀藩の曲垣平九郎が恩賞に預かったことから「出世の石段」と呼ばれていて、例大祭では男たちが神輿をかついで上がるとのこと。

実は、私たちの散策のコース決めはいつもテキトー。地下鉄日比谷線神谷町駅で集合して向かったところ、愛宕トンネル側に出たので裏側の階段を上ることになり、私は「出世の石段」は登らなかった(笑)

愛宕山は山手線内では珍しい自然に形成された山で、その山頂にあり、徳川家康が江戸の防火のために京都の愛宕神社から勧請してつくったという。
Wikipediaの「愛宕神社(東京都港区)」の項はこちら

さらに丹塗りの門の前には、桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達もここで成功を祈願してから江戸城へ向かったことの記念碑が建っていたし、社殿の中に飾られた奉納の絵には馬で駆け上がる曲垣平九郎の絵とともに、水戸浪士の終結の場面のものもあった。
その大きな絵の額は松下電器の幸之助社長や他の役員が奉納したもので、港区にある企業も氏子としてささえているらしいことがよくわかった。
愛宕神社の公式サイト
男坂を下り、次に行く場所の相談となって、やっぱり愛宕山にきたのだから「NHK放送博物館」にも立ち寄ろうということになって、もう一度坂を上る。本日は4人、男坂を上ったのはhappydragon21さんとsakuramaruさん、無理をしない玲小姐さんと私は女坂を上った。以下の写真が女坂を上から撮影したもの。登る際は、男坂と女坂と入り口が並んでいるので、どちらでも体力にあわせてお選びいただけます(笑)

男坂の方は傾斜が急なだけでなく、一段一段の高さがかなりあるので、降りただけでも膝への衝撃を強く感じた。日頃の鍛錬をしている方にはそれほどでもないのでしょうが、私はねぇ(苦笑)
(2)NHK放送博物館に続く。