ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

2014/10/12 名古屋市徳川園・徳川美術館は立派だった

2014-10-26 23:59:57 | おでかけ、旅行

実家の母親が名古屋の姪っ子2の結婚式への出席を見送ったために、しっかりと割り切って前後の散策を楽しむことにして、一人になってゆっくりと行けたのが「名古屋市徳川園」「徳川美術館」。最低その散策についてだけでも書いておこう。

冒頭の写真は、明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の遺構の「黒門」。昭和20年(1945年)の大空襲による消失を免れたのはこの門と続きの長屋と塀だけということで、登録有形文化財になっている。門からのぞいて見える白い建物が「徳川美術館」。
Wikipediaの「徳川美術館」の項はこちら
「徳川美術館」は尾張徳川家に伝わる「大名道具」を収めたものということで、ガイドブックに紹介されていた黄金の調度品や国宝の源氏物語絵巻を観ようと意気込んでいったが、甘くなかった。源氏物語絵巻の展示は模造品で、本物の展示は1年間のうちでもほんの数週間だけ。黄金の調度品も展示品が入れ替えが頻繁なので展示の時期ではなくて観られず...。

それでも十分に展示品の充実ぶりはうかがえた。それにしても尾張徳川家の気風が豪奢だったことがよくわかった。八代将軍吉宗は紀伊徳川家出身で、倹約倹約と言っていたが、それに対抗して贅をつくした暮らしぶりをしていたという尾張徳川家の大名道具の内容は文化財としてもレベルが高い。倹約も大事だが、対極もあってよしという気がした。
現在では公益財団法人になっていて、寄付も広く募っているとのこと。

Wikipediaの「名古屋市徳川園」の項はこちら
「名古屋市徳川園」は尾張藩二代目藩主光友が隠居所として元禄8年(1695年)に造営した大曽根屋敷が起源で、その後は家老職の邸宅となっていたのを明治に入ってから尾張徳川家の邸宅となり、昭和6年(1931年)に名古屋市に寄付したものとのこと。
戦災でほとんどの建物や樹林が焼失してしまったのを整備して今のようにしたということを初めて知った。滝が2箇所も設けられている池泉回遊式庭園は実に立派だった。

ガイドブックの名古屋の観光名所は主には熱田神宮、名古屋城と徳川美術館などで、メインの特集は「名古屋めし」になってしまっている。それでも2010年の開府400年記念イヤーから名古屋城の復元整備がすすめられ、復元された本丸御殿が公開されているが、そちらに回る余裕はなかった。もっと整備がすすんでからでもいいかなと思っている。
やっぱり「尾張名古屋は城でもつ」というから、きちんと整備して観光の目玉にしていただきたい。

2014/10/13 台風が来る前に母に姪っ子2の結婚式の報告をしてきた!

2014-10-13 23:59:05 | つれづれなるままに

10/10(金)の昼の新幹線で娘と名古屋へ。東京駅で買ったそれぞれの駅弁に満足したのに、名古屋駅のカフェで休憩してしまった。ガイドブックに「るるぶ名古屋2014年版」を買って、往きの新幹線の中でじっくり研究して付箋を貼っておき、車中を寝ていた娘と相談。

夕方から名古屋テレビ塔に登って茜雲と夜景を楽しみ、大須観音、大須の商店街散策へ。偶然見つけた萬松寺でご朱印をいただくともできた。味噌煮込みうどんを食べてホテルへ。
10/11の御前中は姪っ子1と隣の敷地にある八事山興正寺散策。
披露宴の後泊で栄のホテルに移動し、娘と姪っ子1と手羽先を食べに行き、2時間カラオケで御前様。
10/12は、結局、ノリタケの森で3人姉妹、3人の従姉妹が揃ってしまった。ランチで散会したあとは、一人で周遊バス「メグール」に乗って徳川園と徳川美術館に行き、駅地下「エスカ」できしめんを食べて帰ってきた。

母親が行かないということになって、これはしっかり自分の行きたい所に行ってしまおうと頭を切り替え、結局いつもの欲張り旅行のようになってしまった。3日間の充実していたこと!

冒頭の写真は、北本の妹2が姪っ子2に頼まれて描いたウエルカムボード。さらに指輪交換の指輪を乗せるトレイ、増築している家の表札まで描いてプレゼントしていたので、姪っ子2は感激して泣いていた。
その妹2はサプライズでお色直しの新婦退場の付き添い役を頼まれて、「ウエルカムボードを描いてくださった叔母様」と紹介されて、嬉しそうに誇らしげに白無垢姿の姪っ子2の手を引いていた。こういうことが彼女の生きる力になるんだよね。

カラオケに行った3人組=私と娘と姪っ子1は皆、長女!
「長女連合も頑張ろう!!」
と気合を入れておいたが、人に寄り添い励ますことで、自分も励ましているんだと思う。

娘はオフ会に行ってしまって一人の今日、実家の母に名古屋の土産とデジカメを持って行って結婚式の報告に行ってきた。珍しく昼過ぎに到着したのは台風19号が関東に来る前にと頑張ったから。デジカメのファインダーが大きいのでそれなりにわかったようで、喜んでもらえた。結果的には母にはちょっと無理だったと思う。名古屋駅からの乗り換えも多かったし、80人規模の披露宴で人が多いところに行くのは何より精神的に負担が大きすぎた。
月曜日はお掃除のヘルパーさんがやってくる日で、ご挨拶もできたし、夏の終わりに妹1夫婦が来て新しく買ってあげた扇風機を解体して箱に格納するのを私がやってきた。
さすがにここまで頑張ったら、気が抜けた。
自宅の最寄駅からは強い雨の中を帰宅。台風の本格的来週前に行ってこれたが、さすがに疲れた。
夜中になって風も鳴ってピークになっている。薬を飲んで寝てしまおう。
お疲れ様、自分!!!

2014/10/10 姪っ子2の結婚式で名古屋へ

2014-10-10 11:51:29 | つれづれなるままに

ついに姪っ子2の結婚式で名古屋に行く日になった。
冒頭の祝儀袋は平将門所縁の散策で神田明神で買ったもの。尾上菊之助の挙式も神田明神で、掲示板にはその時の新聞記事などもたくさん貼りだしてあった。お土産ショップに将門煎餅の近くに祝儀袋のコーナーがあって、そこに素敵なデザインのものがたくさんあったので、娘とその友人にも見てもらって今風の洒落たデザインを選んだ。

ぎりぎりまで母の気が変わるのを待ったが「行かない」というので、見切り発車して行ってくる。こういう神経戦もかなり疲れるが仕方がない。

北本の妹2から地元の銀行のATMであればキャッシングの後で新札への両替が機械で簡単にできると教わったので、そちらに立ち寄って中身を用意する(^^ゞ
妹2は今晩の人工透析があるので、明日=当日朝早く出かけてきて午後1時半からの親族記念撮影、挙式、3時半からの披露宴で合流する。彼女らは1泊。
娘と父親で前泊、祖母のピンチヒッターで姪っ子1が代わりに私と相部屋になって2泊。

11(日)午前中にノリタケの森とランチの後、妹2夫婦が帰り、娘はオフ会の方に行ってしまう。私は姪っ子1とどこに行こう。第一期工事が終わった名古屋城がいいかもね。地元の人の方がけっこう行ってないからね。

台風19号も近づく中、それでは行ってきます!!

(10/13追記)
祝儀袋の表書き用のペンを忘れていったがホテルのフロントで貸してもらえた。こんな立派なのに手持ちのボールペンで書きたくないしねぇ(^^ゞ

2014/09/28 お江戸の平将門所縁の散策・・・・・・ごく一部ですが

2014-10-09 23:59:05 | おでかけ、旅行

ブログ更新が滞っていたところに突然ですが、備忘録のように9/28の散策について少々書きとどめておきます。

昨年の九月花形歌舞伎夜の部で新作歌舞伎「陰陽師 滝夜叉姫」を観て、平将門の首塚をはじめとした所縁の地への散策意欲が高まったいつものお仲間たち。その後、11/4に歌舞伎座昼の部観劇後、ご一緒したメンバーで大手町の将門の首塚だけタクシーに乗って行ってみた。
その時の記事がこちら
そこで玲小姐さんにリクエストしてプランを練っていただき、9/28(日)に半日コースの散策が実現。お仲間5人とうちの娘とその友人の7人で東京駅丸の内口に集合して出発。
以下のように回った。
(1)平将門の首塚=大手町
(2)兜神社=兜町の東京証券取引所の隣
(3)神田明神、隣の「神田の家」
(4)湯島の聖堂=ここだけはついで(^^ゞ
(5)築土神社=津久戸神社だったのに江戸城築城の際に動かされ改名したらしい
(6)神楽坂で夜ご飯=ここも津久戸八幡宮のお神楽との関係で命名された坂とのこと

昼食は各自すませて集合だったので、神田明神のあたりで休憩するはずが周囲のお店が1店をのぞき休業していたのにはおそれいった。娘とその友人はそこでアキバの方に回るからと別れたが、スイーツ休憩させてあげられなかったのはちょっと可哀想だった。

そうそう、娘のそのお友達は霊感が強くて、私も以前オーラカラーなどを見てもらったことがあるが、今回、将門の首塚のあたりの様子をお聞きしたところ、今の時間はいいけれど、夕方以降はヤバイので行かないでと釘をさされた。将門の霊を感じるというわけではないが、そういう存在が集まりやすいスポットなんだそうだ。ということは、昨年11/4のような時間に行ってはいけなかったのね。

今回は冒頭の写真のように晴れあがった空の下で首塚に行ったので大丈夫。将門に贈られた「蓮阿弥陀仏」の法名を刻んだ板碑の字もよく見えた。