実家の母親が名古屋の姪っ子2の結婚式への出席を見送ったために、しっかりと割り切って前後の散策を楽しむことにして、一人になってゆっくりと行けたのが「名古屋市徳川園」「徳川美術館」。最低その散策についてだけでも書いておこう。
冒頭の写真は、明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の遺構の「黒門」。昭和20年(1945年)の大空襲による消失を免れたのはこの門と続きの長屋と塀だけということで、登録有形文化財になっている。門からのぞいて見える白い建物が「徳川美術館」。
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「徳川美術館」は尾張徳川家に伝わる「大名道具」を収めたものということで、ガイドブックに紹介されていた黄金の調度品や国宝の源氏物語絵巻を観ようと意気込んでいったが、甘くなかった。源氏物語絵巻の展示は模造品で、本物の展示は1年間のうちでもほんの数週間だけ。黄金の調度品も展示品が入れ替えが頻繁なので展示の時期ではなくて観られず...。
それでも十分に展示品の充実ぶりはうかがえた。それにしても尾張徳川家の気風が豪奢だったことがよくわかった。八代将軍吉宗は紀伊徳川家出身で、倹約倹約と言っていたが、それに対抗して贅をつくした暮らしぶりをしていたという尾張徳川家の大名道具の内容は文化財としてもレベルが高い。倹約も大事だが、対極もあってよしという気がした。
現在では公益財団法人になっていて、寄付も広く募っているとのこと。
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「名古屋市徳川園」は尾張藩二代目藩主光友が隠居所として元禄8年(1695年)に造営した大曽根屋敷が起源で、その後は家老職の邸宅となっていたのを明治に入ってから尾張徳川家の邸宅となり、昭和6年(1931年)に名古屋市に寄付したものとのこと。
戦災でほとんどの建物や樹林が焼失してしまったのを整備して今のようにしたということを初めて知った。滝が2箇所も設けられている池泉回遊式庭園は実に立派だった。
ガイドブックの名古屋の観光名所は主には熱田神宮、名古屋城と徳川美術館などで、メインの特集は「名古屋めし」になってしまっている。それでも2010年の開府400年記念イヤーから名古屋城の復元整備がすすめられ、復元された本丸御殿が公開されているが、そちらに回る余裕はなかった。もっと整備がすすんでからでもいいかなと思っている。
やっぱり「尾張名古屋は城でもつ」というから、きちんと整備して観光の目玉にしていただきたい。