ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/12/27 悪夢のような喜劇NODA・MAP「ロープ」

2007-04-12 23:59:55 | 観劇

この3ヶ月を振り返ったら観たものは全て感想をアップしてたのに、年末の「ロープ」だけ書いていなかった。一月の半ばに一度書こうとしたのだが、最後がどうしても思い出せなくて挫折。真聖さんがお持ちの戯曲(『新潮』1月号に掲載)をお借りできたので、読もうと思っていたのだが、なかなか手が出ずにツンドク状態。コワイのだ。
かずりんさんのところでWOWOWのオンエアがあったことを知って、ツンドクだった戯曲を手にとった。私の読書は通勤の電車の中と一人のランチの食後の時間。

読みすすんでミライの村がヘリコプターでやってきた兵隊に4時間で全滅させれらた場面が記憶の底から甦ってきた。そうだ、ベトナムのソンミ村大虐殺のことだと気づいてボロボロ泣いて泣きすぎたのだった。あまりのショックにその後の記憶を奥深く沈めてしまっていたようだ。だから書けなかったんだ(T-T)
昨日は今の日本の現状を憂えた記事を一本書いてしまった。今のこの国のキナ臭さからどうやって逃げようかとばかり考えてしまう。しかし、逃げてはいけないのだ。正面から向き合うことが難しくても、しっかりと眼を開けておかなくてはいけない。その力を戯曲を読んでもらうことができた。

年末も押し迫った12/27の仕事帰りにシアターコクーンへ。野田秀樹の作品の観劇はこれで3回目。どちらかというと私には難しい。ハイスピードなのと言葉遊びが過剰すぎて疲れる感が強い。初期の作品よりは新作はわかりやすくなっているという評判だが、果たしてどうだろうと思いつつ.....。
これまで観た野田秀樹の舞台の感想はこちら→「走れメルス」「贋作・罪と罰」

舞台には『ロープ』が張り巡らされたプロレスリングがデンとあった。その前にはヘラクレス・ノブナガ(藤原竜也)というレスラーが引きこもっている部屋が四角柱状にある。試合が近づいているというのに食事をとらない。同じ所属のカメレオン(橋本じゅん)とサラマンドラ(松村武)が食事を四角いトレイにのせて下から差し入れてもそのまま差し戻してくる状態。
放置されたその食べ物をガツガツ食べにくるのは、引きこもりレスラーを隠し撮りにきた弱小TV番組制作会社の3人(野田秀樹・渡辺えり子・三宅弘城)。
リングの下にはタマシイと名乗る女(宮沢りえ)が棲みついていて、その3人と出くわしてしまう。彼女は未来からやってきたコロボックルだという。タマシイに仲間だと思わせて人類観察官に任命してつけたバッジは隠しマイク。観察したままを実況中継させようというのだ。
ノブナガは「プロレスは決して八百長ではない」と思いつめて引きこもっているが、サラマンドラが設定した試合にカメレオンとタッグを組んで出る。悪役レスラーはグレート今川(宇梶剛士)。レスラー北(明樂哲典)、南(AKIRA)と愛人の明美姫(明星真由美)とともに引退前に愛されるレスラーになりたいと思いながらやってきている。
今川は悪役らしく悪態をつきながら挑発。ノブナガは正義のために戦い、今川を半殺しにする。「正義」のためなら常軌を逸した暴力も許されるという。また、それはロープを張ったリングの中だから。これは「あったことをなかったことに」フィクション化してしまう装置だ。
入国管理局のボラ(中村まこと)がタマシイをつけまわす。ノブナガと偽装結婚することで乗り切ろうとするが、不法滞在者であることがあばかれていく。
負けた今川は、サラマンドラに希望がかなえられると囁かれて覆面レスラーになって再び戦いを挑む。ノブナガは正義のための暴力をどんどんエスカレート。覆面した人間は顔が見えないから個々の人間と思わずにできるのだ。
ついにリングの中は戦場と化していく。聞こえてくるのはヘリコプターの爆音。タマシイの過去が呼び覚まされた。ベトナムのミライの村が4時間で恐怖心で狂気に陥った米兵たちに全滅させられた場面の再現。降り立ったのは迷彩服を着たノブナガとカメレオン。ここで笠をかぶった多くのベトナムの村人たちのアンサンブルが登場し、逃げ惑い殺されていく。タマシイの実況のリアルさに泣けて泣けて仕方がなかった。これは過去のことではないという強烈な野田秀樹のメッセージ。今もイラクで、世界のあちこちで起きていること!
弱小TV番組制作会社の隠し撮り実況中継は、暴力のエスカレートとともに視聴率がアップし、通常0.02で弱視並みだったのが2.0遠視並み、20.0火星人並みとうなぎ上り。スポンサーはもっともっと上げろと要求。
しかしどんどん数字が上がっても100%にはならない。それが理性を持った人間がいなくならないということか。それは希望なのか。
タマシイは大虐殺の生き残り。その赤ん坊を拾って戦場を逃げ出したひとりの米兵が沖縄→東京と流れてきて、人目を忍んで暮らし、そして死んでいった。その男が育てたのがタマシイ。
最後にタマシイは姿を消し、ノブナガのもとには誰もいなくなった。ノブナガはタマシイの魂を抱きかかえて旅出っていく。その魂を育てていく約束とタマシイとの再会を願う言葉が悪夢を締めくくる。
姿を消したはずのタマシイにトレイにのせた食事を差し入れして出かけると、果たしてトレイは付き返されてきた。タマシイは確かにいるのだ。

前提として、私はプロレス・ボクシングなどの相手が倒れるまで戦う格闘技は嫌いだ。それなのに悪役3人組はAKIRAがそもそも元レスラーだし、あとの2人も体格が立派。橋本じゅんも劇団☆新感線の筋肉派。藤原竜也も動きの敏捷さは活かしつつ、アマチュアレスリングのユニフォームから片方の肩のストラップだけなくしたような(流行のエプロンみたいだけど)衣装で立派ではない身体を隠し、迫力の戦闘シーンを見せる。まぁなんとか許容内におさまる。
野田秀樹のディレクターとその恐妻である渡辺えり子のコンビが最高。うまいアテ書きだ。スポンサーのいうままに節操もない番組づくりをするという風刺がきいているが、それどころではなくエスカレート。イラク戦争からマスコミを統制することに成功したアメリカの姿まで投影している。
情報操作されたマスコミこそ、フィクション化装置そのものである。「リアルでない戦争」。それも徴兵制ではなく職業として軍隊にいる兵士だけによる戦闘。これはお仕事なんだから、口出ししなくてもいいという距離感がある。ベトナム反戦運動から学んだアメリカ政府は徴兵した兵士を海外に送ったりはしなくなった。しかしこの職業軍人とはいっても将校クラスではない、下級兵士は貧しさからの入隊者が多くを占めている。貧しい者が兵士になるしかなくてなって海外に送られて危険手当をもらって戦い、死んだら殉職だ。こうして反戦運動は中流以上の階層では盛り上がりにかけるものとなってしまった。
さて日本の反戦運動。年配の方が「赤紙」を持ち出すのはあまり説得力がないと思ってきた。日本でも徴兵制はまずないだろう。それよりも自衛隊。お仕事でアメリカに同調して派遣されている。反対する人は多数派になっていない。
その実態に合わせて「憲法」が変えられようとしている。外堀がどんどん埋っていっている。このまま行ってしまうのか。
岸信介首相の信念を幼い時から叩き込まれた孫が今の首相。岸内閣を打倒した世論は今はつくれないのか。
「ロープ」はこういう時代に野田秀樹が産み出した作品。この悪夢のような喜劇を観ていったん記憶の底に沈めてしまった私。しかしやはり思い出した。暴走を止めるのは「理性」だ。そしてその「理性」はまだなくなってはいないはずだというメッセージ。ちゃんと思い出せた。
さぁ、その理性を眠らせずに、きちんと見守っていかなければと思う。

写真は今回公演のチラシ画像を公式サイトより。
この冬のNODA・MAP『ロープ』のプログラムに掲載された野田秀樹と中村勘三郎との対談に2008年冬NODA・MAPに勘三郎出演という話があった。そのことは観劇直後にアップしてある(こちらをご参照ください)。