13/02/24 さいたまネクスト・シアター第4回公演「オイディプス王」千穐楽、蜷川さん待っているよ!(追記)

さいたまネクスト・シアターの公演は第1回「真田風雲録」、第2回「美しきものの伝説」、第3回「ハムレット」を観て、今回の第4回公演は「オイディプス王」。
「ハムレット」に続き、「蒼白の少年少女たちによる」とつけているのはなぜだろう。少年少女というのはちょっと言い過ぎのような気がするが、過去に何回も演出している作品をネクスト・シアターの若手役者たちで上演するということの強調だろうか?

【2013年・蒼白の少年少女たちによる「オイディプス王」】
公式サイトの公演情報はこちら
蜷川の「オイディプス王」は高校時代に1976年の当時の染五郎主演の舞台、2000年代の野村萬斎主演の初演の舞台を観ている(2005年にTVでアテネ公演のオンエアを観た時の記事はこちら)。
劇場のサイズは日生劇場→シアターコクーン→さいたま芸術劇場大劇場インサイドシアターとどんどん小さくなり、コロスの人数も20数人まで絞り込まれている。ところがその小さい空間で若者たちがぎりぎりまで追い詰められて爆発させたようなエネルギーに満ちた舞台は、ものすごい迫力で迫ってきた。

昨年さちぎくさんから長唄の三味線さんが蜷川さんの役者さんたちに教えにいっているという話を聞いていたので、おそらく「オイディプス王」のコロスで使うのだろうと予想した。洋の東西を超えて、古典劇ということで日本の古典芸能の楽器を弾かせることで、若手の役者たちへ重量パンチ級の負荷をかけたのだろうと推測したが、まさに的中。
20数人の若者たちが津軽三味線のような情念をたたきつけるように細棹の三味線を弾じている。コロスなら太棹の低音の方がよさそうだが、さすがに太棹三味線では大きすぎて邪魔になるし、弾きこなせるようになるのは難しすぎだろうなぁと納得した。この人数で揃わなかったらただ煩いだけになってしまうのに、よくぞここまで揃えたなぁと感心至極。死病が広がり、若い王がなんとかしてくれることを必死に嘆願するテーバイの民の渦巻くようなエネルギーが立ち上っていた。

それを受けとめる王オイディプスはクレオンと入れ替わるダブルキャストで、千穐楽は小久保寿人だった。上半身がさらけ出されるような衣装。小久保は美男タイプではないが、全く無駄な脂肪がなく筋肉が浮き出て、台詞をしゃべるたびに腹筋が大きく動く身体は汗で光っている。まるで磔刑の十字架の上のキリスト像のような身体に見える。不吉な神託から逃れるために故郷を離れ、テーバイに禍をもたらしたスフィンクスの謎を解いて先王の死後に新しい王に迎えられたというこれまでの波乱に満ちた日々を、勇気と誇りをもち、若さからの短慮で血気にはやることもあってここまできたらしいというイメージがすんなりと重なる。さらに、赤ん坊の時に捨てられた時、両足は穿たれて革のひもで縛られていたというイメージも十字架のキリストにつながるかも・・・・・・などとイメージが広がっていく。

対する王妃イオカステの弟クレオンの川口覚は、前回のハムレットであり、憂いに沈む二枚目が似合う美男だが、突然の義兄の猜疑心に振り回される苦悩がよく出ていた。そして最後に破滅したオイディプスに変わってテーバイを治めていく王になるのにふさわしい気品があった。

そして、王妃イオカステは予想通りの土井睦月子。前回はハムレットの母のガートルード。若手ながら大人の女の業をぷんぷんと漂わせる。この3人が、20数人のコロスの迫力に伍して、神の運命に翻弄される王族の悲劇を際立たせた。

三方を階段状にした客席で舞台奥に対面する階段部分は客席であっても王宮の階段に見立てられ、具体的な装置は何もない。それでも圧倒的に状況が湧きあがるイメージで迫ってくるという舞台に圧倒されてしまった。
そして神に弄ばされながら必死で生きている存在である人間を描き出すドラマのギリシャ劇の高揚は流血でしめくくられた。小久保の見事な上半身が自らつぶした両目からあふれる血で染まるという様式美!血が滲んだ包帯を巻いたミイラのような人形をコロスの何人かの男に背負わせていたのもその運命の暗示だったのだろうか?

みごと、ネクスト・シアターの今回の企てにもしてやられた!演出補の井上尊晶が引き継いだそのバトンタッチも見事だったと思う。素晴らしい師弟だね。

前回公演の「ハムレット」で、第20回読売演劇大賞優秀作品賞、最優秀演出家賞、優秀スタッフ賞を受賞したと話題になったのに、蜷川幸雄ご本人は入院して手術を受けられ、千穐楽のカテコにも姿がなかった(吉田鋼太郎さんがいち早くスタオベしていたけど)。
おーい、蜷川さん、絶対元気になって戻ってきてくださいよ。同じ埼玉県人として誇りに思うし、次の舞台も楽しみだし、私の力の大きな源だし、本当に元気になってくれなくては困ってしまいますからね。その願いをこめて、書きだしたら、一気に書いてしまった次第。

彩の国さいたま芸術劇場1階ガレリアで開催されていた「蜷川幸雄×ギリシャ悲劇 舞台写真展」も堪能した。
そして、最後にひとつ。昨年12月の「日の浦姫物語」では近親相姦で生まれた娘は最後に幸せになっていた。かたやオイディプスの2人の娘はいったいどうなるのだろうとちょっと気になった。その一人アンティゴネについてはギリシャ悲劇の物語があるという。
ネット検索したらWikipediaの「アンティゴネー」の項がみつかった。やっぱり悲劇だった(T-T)

(2/28追記)
第20回読売演劇大賞授賞式に蜷川さん復活!今回の入院手術を自ら語ったが、記者から今後の仕事のセーブについて聞かれると「ない、ない、絶対にない」と答え、これからも若いもんと競っていくと意気軒昂の様子だったとか。泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのようだねぇ。ハイ、役者もスタッフも引き連れて長く泳ぎ続けてくださいね。
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13/02/23 勉強会の最中に母の呼び出し→実家泊→ネクストシアター「オイディプス王」千穐楽へ


親知らず抜歯後の不調は続き、さらに月曜日から仕事でストレスが加わって首から両肩がバリバリに張ってしまってモーラステープを貼って寝るがどうにもならない。21(木)の仕事帰りに接骨院に回って受診。ほぐした上で首の歪みを治してもらってようやく氷解。

金曜日から土曜日にかけてなんとか少し長めに寝られたので、ずっと参加してみたかったNPO法人の勉強会(午後2時から)に顔を出し、講演をお聞きしていたら私の携帯が鳴ってしまった。
エレベーターホールまで飛び出して電話に出てみると実家の母からで、「午後から具合が悪くてふらふらして立って歩けなくなっちゃった」という。
ベッドで横になって安静にしていてと言って切り、講演終了までちゃんと聞いてから退席。電話を入れてみたが、ちっともよくならないというので3時半頃には会場を出て実家に回って様子を見に行った。

実家に着いて様子をみると、血圧が高めになっていたが血圧の薬はちゃんと飲んでいるという。妹2人に電話で状況を報告し、脱水のおそれがあるからお水でもお茶でも少しずつ飲ませてとか、主な訴えを書きとってとかのアドバイスもあり、この間の状況を聞き取った。

水曜日の銭湯の老人のお風呂の日で嫌な光景を見てしまい、それ以来、夜に変な夢ばかり見て寝た気がしないという。これはまた精神不安定が身体に影響している可能性が大きいと、看護婦の資格をもつ妹2のアドバイスで、精神安定剤が心療内科で処方されているはずだから飲ませてとのこと。案の定、持っていたので飲ませて様子をみること40分。ベッドに横になりながら「地震じゃない?揺れてない?」と騒いでいたのがおさまった。精神不安定による自律神経失調だなぁ、こりゃ。これで救急車を呼んだら「もう少し様子を見てからにしてください」と言われ、すぐに帰されるのがオチというものだ。以前も精神不安定になって過呼吸になって救急車騒動をしたしなぁ。
ナイス!妹2!

夜中に変になるんじゃないかと心配だから泊ってと言われ、まぁ用心して泊ることにしたら、落ち着いてきて、母の指示のもとに冷蔵庫にあるもので食事の用意をしたらしっかりと食べてくれる。
元気が出てくると母はとにかくしゃべるしゃべる。自分が死んだ後の家の使い方まで私に住めとか押し付けてきて、迷惑千万・・・・・・。いくら子どもが心配だからと言って押しつけがましいので妹二人は敬遠するのだ。

先週のTVドラマ「とんび」で和尚の息子がヤスに「自分の寂しさを子どもに押し付けるな」と叱責していたっけと思いだし、私も母にびしっとその話を言って聞かせた。人間は一人で死んでいくのだから寂しさに向き合うのがまた修行というものだと私は思っているのだが、80歳すぎてもそういう覚悟ができない母の姿にはいろいろ考えさせられる。母も以前私にくれた手紙に「貴女はいつのまにか私を超えてしまいました。これからもよろしくお願いします」とあり、わかってはくれてはいるのかなぁと思いつつ、子どものままお婆さんになってしまったような人を目の前にして私は心の中で溜息をつく・・・・・・。

マンション暮らしに慣れた私には、一戸建ての実家では何年かに一度の寒波の夜をしのぐのがつらかった。早めに電気アンカを入れて蒲団に入ったが部屋が寒すぎてエアコンを入れた。かけっぱなしで寝ればよいと母は言うが、室外機の振動が壁に伝わってうるさくて眠れやしない。
エアコンを止め、睡眠導入剤をガッツリ飲んでやっと寝つけた。

24(日)は、午後2時からさいたま芸術劇場ネクストシアター「オイディプス王」なので帰宅。あまりに強風なのでご一緒する北西のキティさんに車で迎えにきていただいて劇場へ。そこでまずびっくりしたのは、配布物の目立つところに蜷川さんが狭心症で入院していて演出補の井上尊晶さんにバトンタッチしたというメッセージが入っていたこと!

ネクストシアター公演は4本とも全部観ていて、「ハムレット」には号泣させられた。今回も迫力満点。初めてだったキティさんにも満足いただき、お誘いしてよかったと安堵。
しかしながら、千穐楽なのにカーテンコールに若者たちに舞台に呼ばれるはずの蜷川さんの姿はやっぱりなかった。井上ひさしさん無き今、蜷川さんまで連れていかないでおくれと強く念じてしまう。
母もまだ元気でいてもらわなくては困るし、別になんの縁者でもないけれど蜷川さんも元気でいてくれなくては私は大いに困ってしまう。
天界なのかなんなのか、とにかく、私の支えになってくれる人が続けざまにいなくなるのは困るのです!!

あとで妹に聞いた話・・・・・・私が母の様子を書きつけたメモを持って月曜日のリハビリ(脳神経外科併設の施設)に行って、必要ならば受診するように約束してきたのに、母は私のメモが詳し過ぎて恥ずかしいので持っていかないと豪語しているという。母の羞恥心はあまりにも普通の人の感覚からずれているので、全く共感はできない。そういう人もいるのかと人間の多様性のサンプルとして認識するにはいいが、妹二人はつきあいきれない状態。それにしても「世にはばかる」タイプの人だからきっと長生きするんだろうと思ってしまう姉妹3人だった。
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13/02/17 朝あこがれの切腹最中を食し、夜「必殺仕事人 2013」に切腹~!!と憤懣やるかたなし


2/14の菊之助の結婚の記者会見は歌舞伎界の久々の明るい話題に嬉しくなって、その関連で1月の国立の初春歌舞伎の感想を書こうとしているが、どうにも風邪っぽい。
2/15は出勤前に親知らず抜歯後の確認の受診。「抗生物質はもう飲まなくていいけれど、治りが遅いので2週間後にもう一度診せてね。それで大丈夫だったら終わりにしましょうと」とS先生に言われた。それでもたまに痛くなるので鎮痛剤を頓服的に飲んでいる。

2月は半月も空けていた観劇予定だが、2/16に昼の部夜の部をハシゴ。
日生劇場二月大歌舞伎昼の部で染五郎復帰の舞台を観て、新橋演舞場で二月喜劇公演へ。合間は昼の部をご一緒したあいらぶけろちゃんさん、夜の部をご一緒する玲小姐さんと銀座のジョナサンでお茶をして、それぞれ夜の部に散会。

その新橋演舞場の売店で買ったのがあこがれの切腹最中!最中は餡と皮のバランスの関係で私の好みではなく、よく見かける5個入りの箱などは私には気軽に手が出せるものではない。それでも一度食べてみたかったのだ。それが2個入りのパックで山積みされて売っていたのでこれなら手が出せると喜んで1パック買ってきた。玲小姐さんは2パックお買い上げ~。

寝る前には喉が痛くなってしまい、案の定、2/17の日曜日はとにかく寝てばかりいた。ブランチは娘がしっかり食べたいというので、年越し用に買って余分が残っていた甘露煮を使って「にしんそば」にした。その後に「切腹最中」をついに食べる!
冒頭の写真がその切腹最中。後ろに写っているのがプラスチックのパックを巻いていた紙。そこに最近の受賞実績も書かれていた。『メトロガイド』100号記念読者投票の「東京うまいもの大賞」において第1位。全国ANA空スウィーツ第1位。
そして笑えるのが次だ。『R25』「お詫びの品」第1位!申し訳に切腹するくらいのお詫びの気持ちをユーモアたっぷりに表すのにちょうどいい手土産ということなのだろう。本当にクレーム対応ということでお持ちしたことがあるのは「福砂屋のカステラ」だが、まぁ、お詫びといってもいろいろなニュアンスがあるしねぇ(^^ゞ
切腹最中の皮にはおへそのようなへこみがあり、いかにもお腹というイメージでけっこう硬めなのがいい。餡の中には求肥まで入っていてけっこう美味しかった。満足、満足。
新正堂のHPはこちら

ブランチの後はまたまた午睡。喉が痛いのは治ったからよいことにしよう。
夜は中村獅童が出るということでテレビ朝日の「必殺仕事人 2013」を観る。主だったキャストがジャニーズのメンバーで占められているというのが売りなのだろう。さらに里見浩太朗が人生初の悪役ということも話題だった。最初は獅童の芸者姿もあってニカニカしていたが、そのうちにあまりにもおそまつなドラマの設定と物語の展開にだんだん馬鹿馬鹿しくなってしまった。
里見浩太朗主演の「水戸黄門」を最後にテレビの民放の連続ドラマから時代劇が姿を消した。お隣の韓国では時代劇ドラマの視聴率も相当程度に高いが、それはきちんと民族の歴史と文化をきちんと教えているのが基礎になっていて、面白いドラマ作りができているせいだと思う。
一方、日本では独自の歴史や文化を教育課程にきちんと組み込んでいないので、時代劇を楽しめる人がどんどん減っているというのがまずある。大河ドラマと違って民放ドラマはお気軽に見られるのがまたいいのだと思うが、それでもこんなレベルの台本しか作れないのでは、時代劇全体が衰退してしまうと憂慮の念にとりつかれる。

これはもう製作陣に対し、ギター侍の波田陽区(はたようく)ではないが、「切腹~!!」と言いたくなるほど憤懣やるかたなしの気分だった。

Wikipediaの「波田陽区」の項はこちら
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13/02/11 團十郎追悼番組から新春浅草歌舞伎千穐楽第1部をふりかえる


2/11の午後、NHKEテレでの「市川團十郎さんをしのんで」を見た。ゲストの菊五郎さんが映像を見たり、桜井洋子アナや山川静夫さんの話を聞いたりしている時は涙をこらえるような終始つらそうな表情だった。話を向けると飄々とした話しぶりになるのはいかにも菊五郎さんだったのだが・・・・・・。
私も皆さんのお話を聞き、代表的な役々の映像を観ていたら喪失感で泣けてきた。

菊五郎さんが最後の方で「海老蔵くんもしっかりしてきましたし、成田屋の芸を継承していってほしい」というようなことを言っておられ、前半におおっと、と反応してしまった。

1/27にふぶきさんに譲っていただいて観た新春浅草歌舞伎千穐楽第1部で海老蔵が予想外のよい出来だったので感心し、父の病気ということもあり神妙につとめているなぁと思っていたら2/3の父團十郎の訃報。父の病状がかなり悪かったことで相当の覚悟で気を入れていたということが背景にあったのかと思い当たっていたので、訃報以来それも悲しかった。
せっかくなので、その舞台の感想をふりかえって書いておくことにする。

【新春浅草歌舞伎第1部:「お年玉<年始ご挨拶>」】
千穐楽は孝太郎の当番だった。浅草公会堂へは16年ぶりの出演ということで、若手に混じって頑張ると丈のブログの初日の記事にもあった。
「父は有名な人ですが、5歳で私が初舞台となった時に孝太郎と書いてタカタロウとコウタロウのどっちの読みにしたいと聞いたんです。当時、走れコータローが流行っていたのでコウタロウと答えると、孝夫の息子なんだからタカタロウだろうって言うんです。だったら聞かなきゃいいんじゃないかと思うんですが・・・。俵孝太郎、小泉孝太郎という人もいてコウタロウって読まれることも多いのですが、私はタカタロウですので、よろしくお願いします」ということも言っていた。ご本人は緊張してのご挨拶ということだが、なかなかどうして好感度アップのトークだった。

【寿曽我対面】
以下、みどころと配役は「歌舞伎美人」の公演情報より
「江戸歌舞伎では初春に上演することが吉例となっていた曽我兄弟の仇討物語の人気の場面です。様々な役柄が勢揃いする豪華な'歌舞伎絵巻'をご堪能ください。」
工藤祐経=海老蔵 鬼王新左衛門=亀鶴
曽我五郎=松也 曽我十郎=壱太郎
近江小藤太=種之助 八幡三郎=隼人
化粧坂少将=梅丸 大磯の虎=米吉
小林妹舞鶴=新悟

海老蔵の初工藤がとにかく立派でよくて驚いた。猿之助襲名披露公演の「将軍江戸を去る」の高橋伊勢守も抑えめに神妙でよかったっけと思い出す(團十郎の徳川慶喜の存在感の大きさを思い出すとまた涙・・・)。
それとこの立派な五郎は誰だっけとよく見ると松也だった(とにかくアタフタと観にきたのがバレバレだが(^^ゞ)!!壱太郎の十郎も上品で祖父の藤十郎のやわらかみを継承してくれている。大磯の虎の米吉もふんわりした女方ぶりがよい。
こんなに若手が揃ってこの舞台を楽しめるとは思ってもみない嬉しい驚きだった。
松也の五郎の舞台写真が何枚も売り切れになっていて、十郎とのツーショットをしっかりGET。
      
【極付幡随長兵衛 「公平法問諍」】
「河竹黙阿弥作の『極付幡随長兵衛』は、俠客の元祖といわれる長兵衛のダンディズムが心揺さぶる名作です。敵する水野との息詰まる応酬、妻子を思う切なさ、湯殿での立廻りなど見どころもたっぷりに、町奴と旗本奴の争いをいきいきと舞台に写します。」
幡随院長兵衛=海老蔵 水野十郎左衛門=愛之助
女房お時=孝太郎 唐犬権兵衛=亀鶴
出尻清兵衛=松也 極楽十三=壱太郎
雷重五郎=種之助 神田弥吉=米吉
小仏小平=隼人 坂田公平=市蔵
御台柏の前=新悟 伊予守頼義=吉弥
近藤登之助=右之助

冒頭の劇中劇の「公平法問諍」、市蔵、吉弥の芝居がいいので見応えがあったのが嬉しい。白柄組の乱入に舞台の上があわてふためくのを見るのも楽しい。
海老蔵の幡随院長兵衛も若手の子分を兄貴分として束ねる若々しい侠客としてカッコよかった。孝太郎の女房お時も肝がすわっている侠客の妻らしい。
前の演目で曽我五郎をやっていた松也が三枚目の出尻清兵衛で場を和ませていい出来。大磯の虎だった米吉が子分の神田弥吉。大勢の若手に見せ場がある演目ということで「幡随長兵衛」はいい選択だとつくづく思った。

冒頭に書いた團十郎追悼番組でも「幡随長兵衛」の映像があったが、敵役の水野で組んだ菊五郎が「本当は殺したくないなぁ」と思えるような團十郎の長兵衛だったと言っていた。
愛之助の水野も長兵衛に一目置きながら、意地ずくで殺さざるをえないという芝居になっていたと思う。

團十郎逝去の直後、海老蔵は自分をやんちゃで我が儘でわんぱくなところがあると言い、それを父が太陽のように大きく包み込んでくれていたと話していた。同じような性格になってくれるということはないだろうが、それでももう少し大きな人間になって、荒事を見てああ楽しかったと思えるような役者になってほしい。
平成中村座での「暫」でガッカリさせられたのだが、劇場中に響くような声はよいが台詞に聞こえないとか、変な節回しになるとかを克服すべく、義太夫の稽古をしっかりする努力もしてほしい。追悼番組で住大夫(当時は文字久大夫)に稽古をつけてもらう團十郎の映像を見て、その思いを強くした。
頑張れ、海老蔵!生まれてくるという男の子に恥ずかしくない成田屋になれ!!
               
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13/02/07 新しい歌舞伎座こけら落とし公演4月分を確保!+2月3月の観劇などの予定


松竹歌舞伎会のゴールド会員をキープしてきているが、新しい歌舞伎座こけら落とし公演をより早く先行予約できるボーナス会員になるのは大変だった。
1年間で28ポイントでゴールド会員になれるが、毎月昼夜と観て24ポイント、さらに松竹主催の他の劇場の公演で4ポイントをGETする必要がある。
ボーナス会員になるには2年半で75ポイント必要だったので、1万円以上の席しかない平成中村座もなるべく観るようにして頑張った。
昨年12月に松竹歌舞伎会から届いた「ボーナス会員・ゴールド会員」のご案内が冒頭の写真。これに黒い手帳もついている。2012年の案内の時から手帳に加えて一筆箋がいただけるようになったが、ボーナス会員記念品としてオリジナル絵葉書もついてきた。真ん中に写っているのがそれだ。歌舞伎座杮落興行のシンボルマークの鳳凰が金であしらわれているのが1枚、あとの2枚は一筆箋と同じ会報『ほうおう』の表紙画を配したものだ。今年の手帳の表紙は黒で、右上の金文字の年号の「2013」の上にも金色の鳳凰のマークがあった。

さて、2/7は4月公演のボーナス会員の先行予約日で、散策でご一緒する女子高仲間のAさんが歌舞伎観劇に力を入れたいということで、2枚ずつ3等B席を確保した。14日に第一部第二部を続けて観て、第三部は平日でも2人とも職場が東京なので問題ないということで25日を確保。いずれも3等B席の最前列がとれたが、舞台の見え方はどんなだろうか?
2/3の團十郎の急逝で出演を予定していた5演目の代役はまだ発表になっていない。松竹のサイトではこのような情報が出ているのみでの発売となった。それでも若手の奮起を期待してしっかり観るからいいけれど、追悼、追悼のこけら落としになってしまったのはやはり寂しい。

さて、以下は今月の観劇などの予定。
1(金)口腔外科センター:親知らずの抜歯
2(土)同上:消毒→9(土)同上:抜糸
7(木)ポレポレ東中野:ワーカーズコープのドキュメンタリー映画「Workers」=職場の勉強会仲間と観てきた。
16(土)日生劇場:二月大歌舞伎昼の部=染五郎の復帰公演!
→ハシゴで16(土)新橋演舞場:二月喜劇公演夜の部
24(日)さいたま芸術劇場:さいたまネクストシアター「オイディプス王」
26(火)赤坂文楽夜の部=映像と実演によるトークと実演が興味深いシリーズ!

3月分も決まっている分をアップしておく。
9(土)玲小姐さんの散策企画:池上本門寺のお庭リベンジ+目黒方面!
20(水)新橋演舞場:三月花形歌舞伎昼の部
26(火)新橋演舞場:三月花形歌舞伎千穐楽夜の部
30(土)シアター1010:浜木綿子主演公演「人生はガタゴト列車に乗って」=2/4に抜歯後の予後が悪くて休んでたまたま見た「徹子の部屋」でゲストが浜木綿子さんだった。対談を聞いて涙し、井上ひさしのお母さんの物語だということで玲小姐さんをお誘いして観ることにした。
ご一緒する皆様、よろしくお願いしま~す(^O^)/
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13/02/09 親知らず抜歯後の予後が悪いとのことでめげる


2/9(土)の午後、親知らず抜歯後1週間で抜糸に行って来たら、担当のS先生に瘡蓋が一部はがれてしまっているので治りが遅くなっているとお聞きした。本当はこの日で終わる予定だったが、来週もまた診せてくださいとのこと。抗生物質と鎮痛剤の処方が続く。来週もまだ予後が悪いようであれば、別の抗生物質に変えて続けるとのこと。
午前中は皮膚科に行ってきて、1日で2ヶ所の医療機関に受診したらもうそれで疲れてしまって、帰宅後は夕寝してしまった。

そうしたら、家の中の処分したいが手がつけられない物の山の中で途方にくれるという夢を見てげんなりして目覚めるという状況に・・・・・・。

そういえば、実家の母がテレビで片づけのコンサルタントを頼んでタレントが部屋をすっきりさせる番組の悪口を言っていて共感したことを思い出した。
「若い女の子が片づけのコンサルタントだって出てきて、なんでもかんでも捨てれば人生すっきりっていうのよ。ひとつひとつの物にいろいろな思い出とかがあるのに、それをそんなに簡単に思いきれるもんじゃないわよ。頭にきてテレビ消しちゃったよ」

いろいろと思いがあるのを整理するのに時間がかかるというのは、こりゃあ遺伝だなぁと思い当ったものだ(苦笑)

10(日)も朝簡単に食べてから薬を飲み、昼まで寝て昼食後に薬を飲み、隣駅のヨーカドーまで行ってきた。3日連続の5%引ハッピーデイの最終日でもあるし、気晴らししつつ充電できる単4電池を買ってくるのが目的だった。我が家の充電できるタイプは単3しかなかったので、テレビとデッキのリモコンの電池が弱くなってきたこの際、使い捨てから切り替えることを決断した。
ところが、家電売り場をいくら探しても見つからない。イオンで買った充電器を持っていったので、通りかかった店員さんに「これに使える電池の方はないですか」と聞いてみたら、「当店では扱っていないです」とのこと!それってどうよ!!

「品揃えしておくべきだと思いますよ。担当部門に伝えてね」としっかり要望しておいた。ま、私の大き目サイズのカットソーを買って帰ったけどね。
充電できる電池の方は♪「20日30日5%オ、フ!」でイオンに行って買おうかなぁ。それにしてもイオンの20日30日は平日の日中でもものすごくお客さんが多いんだよね。ある時、平日に半休した時に何気なく買い物に行ってびっくりした。売り場の棚もガラガラになっているところもけっこうあってさらに驚く。年金暮らしのご家族や、平日に休みがある夫とともにきている若い世代の夫婦などで混みあっていて、少しでも安く買い物したいという庶民の暮らしを垣間見た。
これで消費税8%とか10%にしたら、内需が冷え込んでどうしようもないと思うんだけどな。
とか、連想はすすむのであった・・・・・・。
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13/02/08 頭の左半分のどこかが痛むのに苦しむ(T-T)


2/1(金)に左下の親知らずを抜いてから1週間、鎮痛剤が手放せない状態が続いている。
患部に痛みを感じるのではなく、直近に神経を抜くような治療をした歯のあたりが上も下も痛くなったり、鼻の奥が痛くなったり、ズキンズキンと拍動に合わせて頭が痛んだりする。耳の奥が痛んだりもする。
鎮痛剤が切れてくると、頭の左半分のどこかが痛むのだ。抜歯の翌日に消毒に行った時に、もう既に上下の顎や鼻の奥や頭痛がしていて、その症状を担当のS先生にお話したら、「関連痛でしょう」と言われた。
Wikipediaの「頭痛」の項の中に「関連痛」の説明あり

月曜日から出勤の予定だったが、痛みで目覚めるような状態で仕事は休むことにし、朝食をとって鎮痛剤を飲んで昼過ぎまで寝てしまった。予約は入っていなが診ていただこうと行ってみたら休診日でダメ。

火曜日は朝から出勤したが、みぞれ模様の水曜日は駅までの道の途中で引き返して口腔外科に駆け込んだ。担当の先生がお休みで別の先生が診てくださったが、抜いた個所は特に大きな問題なしとのこと。抗生物質と鎮痛剤を追加処方していただいた。
水木と頑張って仕事に行ったが、夜には肩がバリバリに貼ってしまい、金曜日はモーラステープを貼ったまま出勤(^^ゞ
鎮痛剤が切れる頃には、今度はどこが痛くなるのかなぁと憂鬱になる。

12月に親知らずが腫れた時には2週間も鎮痛剤の力を借りる状態だった。今回もそのくらいかかるかもしれない。
明日は抜糸に行ってくる。
なんとか早めに痛みから解放されたいと願うばかりだ。

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13/02/03 十二世團十郎まで逝去とは・・・・・・


先月の国立劇場の初春歌舞伎と昨年8月の亀治郎の会の舞台のBSでの夜中のオンエアの録画予約を確認し、お風呂から出てきてうろうろしていたら、ただならぬ声で娘に呼ばれて訃報を知ってびっくり。つけっぱなしのテレビのNHKの速報の音に画面を確認にきて母に急いで知らせたわけだ。うーん、娘もたまには役に立ったわけだ。

2004年5月の歌舞伎座での海老蔵襲名披露公演で体調不良で入院し、「急性前骨髄球性白血病」と診断されて休演。闘病を経て2006年に「外郎売」で復帰した時の歌舞伎座に響き渡った客席の拍手は忘れられない。2008年には妹さんから骨髄移植を受け、ひと安心と思っていた。
しかしながら、無理はできないはずで出演の月の講演でも一日1つの演目での出演というペースが続いていた。荒事の隈取のお役での稚気あふれる姿は、当代無類のものだった。
昨年7月の弟子筋の澤瀉屋の襲名披露公演では口上の引き合わせ役を予定時間オーバーで張り切って饒舌につとめていた姿は嬉しかった

10月の七世幸四郎追遠の公演では、幸四郎と團十郎の2人で昼夜の弁慶と富樫を替わってつとめるというハードな企画に心配し、團十郎の弁慶と幸四郎の富樫で観た昼の部があまりによくなかったので心配が現実になった。その翌々月の12月南座の途中から体調を崩しての休演となり、10月の無理がたたって肺炎になってしまったのではないかとかえすがえすも残念至極。

休演が続いていた先月のはじめ、かかりつけの小川耳鼻科の先生に白血病での骨髄移植でも免疫抑制剤を使うかとお聞きしたら「当然使うよ」とのことで、肺炎はこれは大変な状態だと危機感を強くしていた。
さらに先月の浅草歌舞伎千穐楽の昼の部で観た海老蔵の初工藤が実によかったので、父の入院中でもあってより神妙につとめているのだろうと推測していた。
そして今日を迎えてしまった・・・・・・。團十郎丈のご冥福をお祈りする。

昨年12月の勘三郎、今日の團十郎。先に逝かれていた人間国宝のお三人はお年もお年だったのでと思えるが、実に残念至極としかいいようがない。
歌舞伎座のこけら落とし興行の4~6月のチラシを並べてあらためて眺めてみる。團十郎のお役は4月5月はあまり大きなものはなく、体調を整えて6月で「助六」ということにしてあったのだろう。
追悼、追悼のこけら落し興行になってしまうが、いやがおうでも観客も伝統芸能の継承の場に立ち会うことになりそうだ。

(追記)
3月誕生予定の海老蔵の第2子は男の子であるとのことで、楽しみにされていたという報道があった。後継の孫の顔がみられなかったのは残念だったことだろう。父團十郎の芸を子にしっかりと受け渡すべく、海老蔵が精進してくれることが一番の供養となるはずだ。
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13/01/26 八代目勘三郎の若き日の写真展に行き図録を買ってきた


私の高校時代のスクラップブックから八代目勘三郎の若き日の舞台のグラビア写真が見つかったこととあわせて林義勝氏の作品展「中村勘三郎―1975~1982―」情報のことも1/12の記事に書いた。
1/7から本日2/3までJCIIフォトサロンで開催されていて、当初は1/14の新橋演舞場昼の部観劇後に都営バス「都03」に乗って半蔵門まで回って観てくる予定だった。しかしながら大雪のために断念し、玲小姐さんとご一緒した1/26の国立劇場観劇後にリベンジで行ってきた。
英国大使館の素敵な建物のお隣の敷地にあるJCIIフォトサロンの一角の展示コーナーに観にきている人はけっこういてご盛会。ひとつひとつ丹念に見ていったら、まさに私たちの高校時代に見たテレビドラマなどに出ていた若々しい姿の写真もたくさんあった。
残念ながらその頃の歌舞伎でのお姿は現実には観ていなかったので、立役の姿が当代の勘九郎に女方の姿が七之助にそっくりなものも少なくなくてびっくり!DNAを痛感。

最初から1500円の目録を買うつもりで来たが、林義勝氏ご自身もいらしていて見学しているお客様に説明をされている。1部買ってサインをお願いしたところ、表紙裏に万年筆で素敵に書いてくださった。冒頭の写真が、その目録をフォトサロンの封筒の上に置いて撮影したもの。
その表紙になっている大河ドラマの「元禄忠臣蔵」の大石主税役での楽屋での写真(1975年)が一番好きだということと、写真の説明に林氏ご本人が会心の一枚とあった「鏡獅子」での毛が逆立っているところを捉えた一枚も本当に素晴らしいとお話しさせていただいたら、「鏡獅子は30回は撮っていて、この一枚が撮れた」というようなことを本当に嬉しそうにおっしゃっていた。
写真展でその写真家さんのお話を聞くことができるのは、本当に有難いものだ。

勘三郎の写真集といえば、襲名披露興行直前の2005年3月に出た写真集『新しい勘三郎~楽屋の顔』を買ったものだ。そのことに言及した記事はこちら
今回の図録、林義勝作品集『中村勘三郎1975-1982』は通信販売でも買えるとのことで、ご紹介。
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13/02/02 市報に我が母校の懐かしい校舎の写真が載った!


2月のさいたま市報の裏表紙=浦和区版の方の表紙に、「浦和区懐かしの一場面-浦和区の今昔-」ということで我が母校の写真が掲載された。
そこの紹介文を引用して以下、ご紹介する。
「浦和第一女子高等学校の発祥は、明治33年に設立された埼玉県高等女学校で、現在の埼玉会館の地にあった鳳翔閣を校舎としました。翌年、浦和高等女学校となり、県内女子教育の中核を担います。
 現在の高地に移転したのは明治43年ですが、この当時は良妻賢母が女子教育の国家理念とされていました。
 昭和23年、浦和第一女子高等学校と改称して『浦和一女』と呼ばれるようになり、現在は、自由や個性を重視した次代を担う女性の育成が教育目標となっています。
 正門から浦和駅に向かう坂道は、おしゃべりをしながら楽しそうに歩く一女生の姿から『あひる坂』という愛称がつけられています。」

上の方のセピア色の写真は、国立国会図書館蔵の大正10年発行の『埼玉県写真帖』にある埼玉県立浦和高等女学校とある。
実は、私の1年生の時のクラスの部屋はこの校舎にあった。当時は1学年9クラスで、本校舎からはみ出た1学年の3クラスだけこちらの旧校舎にあったのだ。窓は上下に開く通称「ギロチン窓」だったし、掃除の時も床が木だったのでやりにくかったのであまり嬉しくはなかった。また生徒会本部室や一女祭実行委員会室、いろいろな部室もあって、卒業まで高校生活の多くの時間を過ごしたものだ。

その後、この旧校舎は取り壊され、正面玄関の屋根になっている部分だけが移築されて残された。
娘が私立高校で不登校になり、浦和一女の定時制に転校し、私も休職していた4~7月の4カ月を付添登校していた時、あひる坂を上っていって見えるモダンな校舎は、私にとっては寂しさを感じさせた。

2005年7月に保護者の負担で冷房を設置するというPTA総会に参加して意見を述べたこと2006年3月の卒業式も記事アップしている。
公立高校の共学化について、県に諮問委員会を置いて共学化の答申が出たのに、共学化反対の署名用紙がPTAから来た時は署名しなかった。上記のPTA総会で会長が保護者がみんな共学化に反対しているかのような挨拶をし、当時の県知事(やはり母校のPTA会長経験者)が共学反対運動を激励しているというようなことまで言及されたことにも批判の発言をしておいた。
しかしながら、娘は同じクラスの男子にいじめられたことから不登校になっているので女子高の定時制だったからこそ通えたのであり、一律に共学化をすすめるというのも違うと思っていた。反対運動が起きていない女子高もあったので、そういうところから共学に移行すればよいとも発言しておいたが、その後も共学化の答申は黙殺されたままだ。なかなか日本のジェンダー問題の面での改善はすすまないのが歯がゆい。

しかしながら、やはり女子高時代の仲間は今も有難く、ランチ会やら散策企画や観劇企画などで近況を報告し合い、励まし合って力をもらっている。
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