ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/07/29 四十五万アクセスの御礼m(_ _)m+暑中見舞い申し上げます

2012-07-29 23:59:31 | つれづれなるままに

本日、午前11時20分頃にアクセスカウンターを見たところ450001になっていました。gooブログにshinobiのカウンターを埋め込んでいて、連動の相性がいまひとつのせいか、gooの編集画面からみる前日のアクセス数よりも少ないような気がします。まぁシステムによって何をもってアクセスカウントするかが違うのかもしれないとも思い、大体のところで把握できればいいので、よいことにしています。
それにしても体調のこともあり、記事アップの頻度は落ちてしまっているのですが、無理せずに書きたいことを書いていきたいと思います。
あらためて皆様のアクセスに感謝申し上げ、今後ともよろしくお願いを申し上る次第です。

オリンピックも始まって、テレビ番組も中継、録画、ハイライトとオリンピック関連番組が多い。開会式前のなでしこの予選勝利以来、最低、ハイライトではチェックするようにしている。
今朝もテレビをつけてチェック!と画面を見てびっくり!台風などが接近すると切り替わる上と左に青い帯が入っていて、「高温注意報」とあった!!
Wikipediaの「高温注意情報」の項によると、
によると「気象庁が夏季の高温による熱中症の予防の観点から、2011年より導入した日本の気象の『注意情報』である」「当日、あるいは翌日の天気予報で発表される予想最高気温の統計を基として、それが35℃以上を記録すると予想された場合、気象庁のホームページやNHK・民放・新聞などのマスコミ媒体を利用して、高温注意情報を発令し、熱中症に対する備えを呼びかけるというものである」とのこと。
確かに暑い!自分の部屋のデジタル目覚まし時計の温度表示を見ると31.3℃となっていた。
私は水を飲むのが苦手なので脱水状態になる可能性が高い。7/15からこのところ体調がよくないのだが、脱水症状だったのかもしれないと思い、冷蔵庫にスポーツドリンクを常備することにしていた。今日も少しずつ飲まなくてはと努力・・・(^^ゞ

午前中に近くのスーパーに買い物に出たが、その隣にある児童公園には子どもの姿がなかった。確かに熱中症にさせないためには外遊びは用心すべきだろう。
あまりに暑くてボーっとして財布を忘れ、取りに戻ったくらいだ。買い物帰りには母と子が一組だけ、洗面器に手をつけているので何をしているのかと思ったら、手でしゃぼん玉をつくって遊んでいた。あのあと、二人は大丈夫だったかな?

暑い最中、自転車でさいたま芸術劇場に「しみじみ日本・乃木大将」の千穐楽を観に行く。保冷剤を首に巻いていった。本当に暑かった!!
冒頭の写真は、「あちぃー」としゃべるクマの団扇。JR四ツ谷駅の改築に向けた駅の利用者アンケートに回答した時にもらったものだ。昨年夏だったと思う。可愛かったので娘にとられた(笑)

12/05/16 五月花形歌舞伎「椿説弓張月」にみえた三島由紀夫の最後の美学

2012-07-28 10:27:52 | 観劇

新猿之助の襲名披露公演世代交代のコクーン歌舞伎について書いたら、五月花形歌舞伎夜の部の「通し狂言 椿説弓張月」についても書いておかなければ気がすまない。2ヵ月も経ってしまってはいるが、書きたいことだけは書いておこう。

主人公の源為朝は源為義の八男で鎮西八郎と呼ばれ、保元の乱で父とともに崇徳上皇側についたということくらいしか知らなかったが、ちょうど同じくらいの時期にNHKの大河ドラマ「平清盛」でガンダムのような頬当てをつけて強弓を引く大男として橋本さとしが印象的だった。最近の歌舞伎の演目は同時期の大河ドラマと連動させることも多いようで、歌舞伎をとっつきやすくするにはよいと思う。

Wikipediaの「椿説弓張月」の項はこちら

【通し狂言 椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)】三島由紀夫作
  上の巻 伊豆国大嶋の場
  中の巻 讃岐国白峯の場
      肥後国木原山中の場
      同じく山塞の場
      薩南海上の場
  下の巻 琉球国北谷斎場の場
      北谷夫婦宿の場
      運天海浜宵宮の場
あらすじは歌舞伎美人の「五月花形歌舞伎」の情報でご確認を。
源義経が大陸に逃れチンギスハンになったという伝説があるが、為朝についても琉球に逃れて息子が琉球王国の始祖となったと琉球王国の正史で書いているという。日本人が判官贔屓をしやすいのもあるが、琉球王国にとっての権威づけにもなったのだろう。そういう話がいろいろの物語になり、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本が大人気にもなったわけだ。
江戸時代の庶民がこういう話を面白がっていたのに、現代ではあまり知られていない。お隣の韓国では時代劇ドラマが人気で、フィクションも含めて歴史物語を楽しんでいるのと比べると日本の状況はかなり寂しいと思える。

今回の主な配役は以下の通り。
源為朝=染五郎 為朝の島の妻簓江(ささらえ)=芝雀
為朝の子為頼=玉太郎 紀平治太夫=歌六
高間太郎=愛之助 高間妻磯萩=福助
白縫姫/寧王女(ねいわんにょ)=七之助
舜天丸(すてまる)冠者後に舜天王(しゅんてんおう)=鷹之資
崇徳上皇の霊/阿公(くまぎみ)=翫雀
為義の霊=友右衛門 左府頼長の霊=廣太郎
陶松寿(とうしょうじゅ)=獅童 大臣利勇=由次郎
鶴=松江 亀=松也 武藤太=薪車

英雄流離譚を上中下の三段構成で、丸本物風、幻想物風、異国物風と大きく雰囲気を変えて見せてくれる。滝沢馬琴原作の言葉を踏まえた三島由紀夫の擬古文は徹底的で、原作に出てくる怪異な場面も徹底して舞台化していて、江戸時代の庶民が楽しんだ物語であることがよくわかった。
さらに、あぁこの場面はあの作品の名場面を踏まえたアレンジだなぁとピンとくるのが、歌舞伎を観続けていることで味わえる楽しみだ。
(古典芸能を楽しむためには、長い年月をかけて築かれた約束事を勉強しながらある程度観続けるということが必要なのに、大阪の橋下市長の文楽攻撃内容は文化というものを理解できない人でも行政のトップに立てるという今の日本社会の精神的な貧しさを痛感させられる。)

保元の乱の後、なぜ為朝は生き残ったのかとあらためて疑問に思ったので観劇後にネット検索したところ、落ち延びてある程度の期間を経て関係者の処分が落ち着いた頃に捕縛されたために斬首を免れて流罪になっていた。
その伊豆大島で簓江を娶り、為頼と島君の二人の子をもうけていたわけだ。島で実権を握り鎌倉方に従わなかったので追討されることになり、妻子を失ってさらに落ち延びることになるのが上の巻。簓江の芝雀はふんわりとした色気がある可愛い女で、玉太郎の為頼も健気でよかった。

中の巻の冒頭、讃岐国にある崇徳上皇の陵の前で切腹を図る為朝をとどめたのは烏天狗を従えた崇徳上皇、為義、左府頼長の霊。ここでも大河ドラマの井浦新、小日向文雄、山本耕治の好演を彷彿とする。
そのお告げに従い肥後の国に赴き、舜天丸をもうけた妻の白縫姫と再会する。その白縫姫は、初演時に玉三郎が演じて一躍注目された役ということで楽しみにしていた。
夫の再興のために潜伏している白縫姫は赤姫の衣装の上に黒い熊と思われる毛皮の肩にまとっている。裏切り者の武藤太が引き出され小槌の仕置きとなる。ここのところ薪車が引き締まった顔になったと思っていたら、褌姿の白い裸身は見事に美しかった。そこに侍女たちが交代で竹釘を小槌で打ち込み、仕込まれた赤い血が流れるという残虐美。その仕置き中、白縫姫が夫の愛した「薄雪の曲」を琴で奏でながら歌い、曲が終わると武藤太もこと切れる。
これを玉三郎が演じていたらさぞよかったことだろうと想像できた。七之助も硬質の美しさが活きていたが、曲がいまひとつこなれていなかった。このように精進していけば阿古屋にもつながっていくだろうと思えた。

妻子と再会できた為朝は二つの船に分乗して落ち延びていくが、嵐になる。白縫姫は、夫の難儀を救うため「ヤマトタケル」の弟橘姫のように海中に身を沈める。舞台の上に二つの大きな船が並び、一つは大きく裂けてしまうし、海中に落ちた舜天丸と紀平治太夫を背に乗せる怪魚という大道具の仕掛けは実にスペクタクル!白縫姫の魂が大きな蝶の姿になって怪魚に乗った二人を琉球に導いていく場面は、舞踊の「蝶の道行」に出てきた蝶との再会だった。

下の巻の舞台は琉球。王族の寧王女は紅型の衣装をまとい異国情緒たっぷり。世継ぎの王子の乳人として巫女の阿公が大臣利勇などと結託して国を牛耳る。邪魔になる寧王女を殺してしまうが、その亡骸に白縫姫の魂が入り込んで復活!流れ着いた為朝に助けを求め、阿公たちを一掃するというご都合主義の展開が笑える。
阿公は夫婦宿を営んで泊った夫婦を殺して金を奪うという、まるで安達原の岩手を踏まえた人物設定になっている。成敗されて死ぬ前にモドリがあるという実に歌舞伎のパターンの展開(笑)一度だけ契って娘をもうけた男が実は紀平治太夫。その娘が産んだ子が王子であり、その子も殺して道連れにして、夫の腕の中で死んでいく。翫雀が頑張っていた。

そして国王になって欲しいという頼みを断った為朝は、代わりに舜天丸を王位につけ白縫姫の魂宿る寧王女や陶松寿に後見を託し、自分はかねてからの本懐をとげるために琉球を去っていく。
海の中から姿を現した白馬に乗っての「昇天」の幕切れといえば、カッコイイが、実は切腹しにいくのだ。思い残すことがなくなったので、崇徳上皇への忠義を貫くために陵墓の前に行って切腹をして果てるための、白馬に乗って讃岐の国に飛んでいくのだ。

おお、結局は三島の最後の美学、信念を貫くために奮闘し、最後には切腹して果てるということにつながっていくイメージがこの作品にはこめられているのだと痛感させられた。この作品の後しばらくで、市ヶ谷の自衛隊本部にたてこもり、愛国心を訴えて本当に割腹自殺して仲間に介錯してもらった首が転がったのだ。
ストーリー展開は面白いし、徹底した美意識も堪能させてもらえるのだが、通底している「切腹への憧れ」のイメージが私をしらけさせた。上演頻度が高くないのもよくわかる気がする。私もしばらく観なくていいやという作品だった。
Wikipediaの「源為朝」の項を読んだら、「切腹の、史上最初の例といわれる」とあった。やはり、三島の切腹への憧れがこの作品の戯曲化の動機になっているように思われてならない。

「椿説弓張月」は初演以来、高麗屋の歴代が為朝を演じてきたようなので、染五郎の持ち役の一つになることは確実だろう。華奢ではあるが、滅びに向かって突き進んでいく悲壮感のある役はけっこう似合うのでいいのではないかと思っている。
また、三代目の猿之助も一度上演しているようなので、四代目の猿之助にも是非一度やってみて欲しいと思っている。その時は幕切れの「昇天」場面を澤瀉屋版らしく、白馬に乗った宙乗りで観て観たい。白馬に乗った宙乗りは2008年4月日生劇場での「風林火山-晴信燃ゆ-」がよかったのでそういう演出でお願いしたいものだ。それで切腹イメージが薄らぐといいなと思っている。

今朝は休みなのに早く起きてしまいロンドンオリンピックの開幕のライブオンエアも途中から観た。さすがに演劇の本場ロンドンの開会式でしゃれていた。それをながら見しながらこの記事も書きあげてしまった。
さぁ、今日は澤瀉屋団体襲名披露七月公演の前楽夜の部の観劇に出かけてきます!!
           

12/07/06 「天日坊」前楽でコクーン歌舞伎の世代交代を実感・・・(補訂あり)

2012-07-22 00:59:01 | 観劇

「天日坊」は松本公演も無事に打ち上げられ、病気療養中の勘三郎がサプライズ出演もして話題になり、その盛り上がりに遠くからよかったねぇと想いを馳せる。
そして、自分がシアターコクーンで7/6(金)前楽夜の部で観劇した感想をきちんと書いておこう。

【コクーン歌舞伎第十三弾 「天日坊」】
原作:河竹黙阿弥 脚本:宮藤官九郎
演出・美術:串田和美
以下、あらすじと主な配役を公式サイトの特集ページより引用。
主人公は、親の顔も知らない孤児として育った法策。修験者・観音院の弟子として暮らしていたが、ふとしたことから出世の糸口をみつけ、そのために運命が狂っていく。頼朝のご落胤、天日坊になりすますことにした法策は、やがて本当の自分を知ることになる。化け猫退治や、盗賊の活躍などエンターテイメント色もたっぷり。
法策 後に天日坊=勘九郎
人丸お六=七之助 地雷太郎=獅童
お三婆/赤星大八=亀蔵 猫間光義=萬次郎
北條時貞=巳之助 傾城高窓太夫=新悟
久助=白井晃 越前の平蔵=近藤公園
観音院/鳴澤隼人=真那胡敬二 ほか

1867年から上演が絶えていた黙阿弥の初期の作品「五十三次天日坊」をコクーン歌舞伎にという話はけっこう前からあったのをついに実現したという話がプログラムにあった。現代の若手脚本家のクドカンこと宮藤官九郎が新しく脚本を書いてくれと依頼されて相当頑張ったらしい。
演劇評論家 上村以和於の日本経済新聞6/25掲載の劇評に実にわかりやすく書いてあったので引用させていただく。
「天日坊とはすなわち天一坊、木曽義仲の子・清水冠者義高が下層に育って頼朝の落胤と偽り大江広元と対決する。もちろん頼朝が将軍吉宗、広元が大岡越前守の当て込みであるのが黙阿弥の立てた趣向だが、宮藤の脚本はそうした考証よりも黙阿弥の趣向をそっくり頂いた上に、身分正体を偽るうちに自分自身の正体を見失った主人公が『俺は誰だぁ!』と叫ぶところに今日的テーマを打ち出した。すなわち『自分探し』である」

冒頭の化け猫退治で北條時貞が成敗し、傾城高窓太夫を身請けして鎌倉に下り、法策の師匠の観音院は法力がないのがばれてもいくばくかの褒美金だけせしめて越前に戻る。その金をねらった盗賊が人丸お六と地雷太郎というように話は楽しく急展開する。
越前に師匠と共に戻った法策がお三婆から娘が頼朝の落胤を産んで母子ともに死んだ話を聞いてしまって魔がさす。そして落胤になりすませる証拠の品を奪って婆を殺す場面でトランペットが鳴り響く。話題だったトランペットは違和感も感じることなく、新しい時代のコクーン歌舞伎の舞台を劇的に彩った。
衣装も面白かった。法策が天日坊になった時に裃の肩をアメフト風に膨らました衣装のデザインは双眼鏡でのぞいたらドレスに使うような洋風の模様が入っていて、ひねりを感じた。一方、斬新だったお六の髑髏柄の着物は役者絵に実際にあったもののようで、現代と江戸のデザインを混在させているのだろうと思えた。

串田和美の舞台美術は毎回面白いが、今回は舞台装置を箱にしたてて黒衣が動かす手法が、蜷川演出の「海辺のカフカ」を彷彿としてしまい、カフカに比べると転換のスピードがのろく感じてしまったことと相俟ってあまり面白く感じなかったのが残念。
それとクドカンらしい台詞が随所に盛り込まれていて客席の笑いをとっていた。「マジかよ!?」とか「チコク~?」とか、私はなんとかくすりと笑えたが、若い観客の反応とのずれを感じてしまった。私はクドカンの映画「真夜中の弥次さん喜多さん」「舞妓Haaaan!!」も楽しく観ることができたのだが、あれは映画だからよいのであって、いくらコクーン歌舞伎でもちょっとやりすぎじゃないかという感覚が最後までついて回った。これは一見の価値はあったが、再演されても観なくていいやというレベル。

そういう台詞にはついていけない部分が多々あったが、話の展開は実に面白く、黙阿弥の趣向をしっかり活かしてくれている宮藤脚本の出来はよかったと思う。将軍家の落胤を名乗っていた法策が、女盗賊お六=実は木曽義仲の家臣、地雷太郎=実は義仲方の公家猫間家の家臣の二人によって木曽義仲の若君であることがわかり、将軍家の落胤になってしまうことで遺恨を晴らそうとするという大どんでん返しは予想を超えた面白さだ。
役者たちも実に生き生きと楽しそうにはじけて演じていることを楽しんだ。勘九郎は熱演、七之助は硬質な美しさが活きて魅力的。獅童はこういう現代的な作品だと本当に生き生きしてよい。型をきちんと極めることよりも勢いで演じることができる役だと爆発的なはじけっぷりがいい。ロックバンドをやっているということでクドカンとも共通性があり、実にロックンローラー的でよいのかもしれないと思い当った。

巳之助・新悟の馬鹿っぷるぶりが可愛らしく、それが後半の悲劇性を高めるのだから憎い憎い。
ベテラン勢では、いつもの顔ぶれだった亀蔵の二役が下支えになっている。コクーン歌舞伎に初参加の萬次郎だがPARCO歌舞伎「決闘!高田馬場」に出ていたのを観ているので期待していたが、眼鏡をかけて出てきたのにはびっくりした。さすがに英語で解説できる歌舞伎役者だし、現代的作品にはぴったりだった。さらに橘太郎の参加も嬉しかった。

大江広元が久助として隠密行動をとっていて法策の正体を暴くというのも驚きだったが、白井晃というキャスティングはなるほどという感じ。現代版「桜姫」の大きな十字架をしょいっぱなしのセルゲイ(清玄)で出ていたので今回の捌き役も最後に近藤公園と並んで、歌舞伎役者たちに対抗する捌き役として立派だったことを賞賛しておこう。

主人公が「俺は誰だぁ」と叫ぶというのは、今の大河ドラマ「平清盛」のマツケンと同じじゃないかとも思い当る。そうか、今の時代の若者の「自分探し」のテーマを両方の作品ともしっかり追っかけているのだなぁと納得。自分を探しすぎて迷路に入らないようにとりあえず今できることをやることを放棄しないことも大事なんだけどなぁ、などとも思いが広がったりもする(^^ゞ
勘九郎、七之助、獅童の三人が本来は渡り台詞でいうべきだろうというところを、台詞をわざと重ねてしゃべる場面があった。これはオペラやミュージカルであればよくあることなのだが、それはメロディに乗っているから成立することであって、普通の台詞を重ねてしまうと、いくら大きな声でしゃべっても、聞く方には耳障りだった。

最後は捕り方に囲まれて大立ち回りの末に「三人吉三」のように死んでいく。いつもの歌舞伎のような様式的な立ち回りではなく、ものすごいテンポの剣劇は劇団☆新感線の舞台のようだ。若い役者三人の爆発的エネルギーを十分堪能させてもらえた。七之助は立役もできる女方なので、立ち回りの切れがよいのも映える。獅童も「レッドクリフ」の武将役で出ていただけの迫力だった。
今回は、中村屋の兄弟二人に獅童が参加したことで、まさに花形三人が揃うコクーン歌舞伎となり、舞台の内容も役者も一気に世代交代したことが強く印象に残った。

コクーン歌舞伎は2005年6月の「桜姫」(福助主演)で初体験。その後、
「東海道四谷怪談」の「南版」「北番」「三人吉三」「桜姫」の現代版七之助主演の「桜姫」「佐倉義民傳」と勘三郎が出演している舞台を続けて観てきた。
昨年は勘三郎が病気療養中で「盟三五大切」を橋之助主演で勘九郎襲名前の勘太郎ががっぷり組んでいた。

そうして、初体験から7年経った今回のコクーン歌舞伎はすっかり世代交代の顔ぶれとなっていた。勘三郎も橋之助も福助も扇雀も彌十郎もいないのをあらためて確認してしまった。新橋演舞場の澤瀉屋団体襲名披露の舞台でも一門の新時代が到来したことを目の当たりにしたが、コクーン歌舞伎も新しい時代に入ったことをあらためて突きつけられた。ちょっとかるくショックを受けたことも正直に書いておこう。

でも、プログラムに対談のページで勘三郎が言っていることに安心した。
「今回の『天日坊』も台本読んだときは正直言って俺出なくてよかったと思った。でも若い彼らは案外それを越えてくるような気がしてね。二、三訊いてみたら、面白いですよ、って言ってたから。宮藤君のあの弾けるような感じには、ちょっとね、昔の定番のほうだったら、まだ俺でもいけるかもしれないけれど。『マジかよ!?』みたいなせりふをどうやって言おうかと思うものね(笑)」
私は勘三郎より若いけれど、若者言葉にはついていけないところは世代間の感覚のずれということで、ついていけないならそう言っても大丈夫ってことね。

12/07/21 戻り梅雨のような涼しさの中、私は家事に娘はビーズ細工に集中

2012-07-21 23:58:37 | つれづれなるままに

前日から気温が10℃も下がり4~5月の頃の気温になっているという。こういう天候不順時は、喘息の症状でけっこう息苦しい。頭痛が連日続いてしまうのも厄介。鼻の奥にも炎症があってそれも頭痛の原因だろうし、結局は身体の抵抗力が落ちているということだろう。

それでも暑くなく過ごしやすい週末となった。7/21(土)の午前中は通院(頭皮に炎症ができてしまったので皮膚科に通っている)。
帰宅後は久しぶりに家事を真面目にやる。風呂やトイレの掃除の後、押入れの中の蒲団コーナーを入れ替えた。羽毛の掛け蒲団、コインランドリーで洗えない厚さの洗える敷き蒲団を丸洗いに出していたのが戻ってきたので、収納袋に入れ替えて収納。その際に長いこと使っていない敷布などを処分することも決断。
不要物を捨てるという作業もけっこう手間暇がかかるので後回しにしてきたが、こうして無理せずにやれるところから少しずつ不要な物を減らしていこう。GWに業者を頼んで実家の片づけをしてもらったこともあり、私も少しずつ着手することにしている。

娘が衝動買いを繰り返していたビーズの材料を自分の部屋に放置しているのを、業を煮やした私が納戸のようになっている和室に積み上げておいた。それを使って急にビーズ細工を始め、出来上がったのが冒頭の写真の作品。私の友人がネックレスをリクエストしてくれていたのをようやく作ってくれたのと、自分用のブレスレットだ(写真の色は下の白い紙が赤みがかってしまっているので、現物はその分を割り引いてイメージしてください)。
なぜ今ごろ急に創作意欲を漲らせたのかを推測すると、要は大学のレポートからの逃避行動のように思える。まぁ、それでもいいかなぁと・・・。

明日、22(日)は実家に行く予定。7/20が母の81歳の誕生日なのでお祝いも兼ねて御飯でも一緒に食べに行こう。



12/07/15 三連休は新暦のお盆の祭り+脱原発集会に想いを寄せて・・・

2012-07-17 23:59:17 | つれづれなるままに

7/16の海の日に代々木公園で「さようなら原発10万人集会」が開かれるとわかったが、先に13(金)は職場有志の勉強会に参加、15(日)もシンポジウムに参加する予定が入っていたので、体力のことも考えて見送った。
昨年の9/19に明治公園で開催された「さようなら原発5万人集会」に参加した時の記事はこちら
東京は新暦のお盆なので、自宅のある地域のお祭りも14(土)15(日)で行われ、お祭りのお囃子やお神輿が地域を練り歩く賑やかな音が聞こえてきた。
冒頭の写真は、15(日)に東京に出かける前にJR与野駅近くで遭遇した子ども神輿。揃いの青い法被を着て、大きな子どもたちは神輿をかつぎ、小さい子どもたちは山車を引いていた。お父さんたちが世話を焼いているのが微笑ましい。

次の写真は、帰宅後に与野駅の西口通りの夜のお祭りに出ていた大人神輿。四つ辻で神輿をもんで歩き、乗ってくるとかけ声をかけて物凄いスピードで旋回させている。その旋回の時はとてもとても携帯電話のカメラでは撮影できない。もみながら四つ辻を大きく回っている時でもブレてしまうし、大きなライトで照らしだしているその光がカメラに入るとうまく写すことはできない。そこで何度も撮り直してようやくまともに撮れたのがこの写真だ。そういえば、去年も挑戦したが、時間がなくなって切り上げたっけと思い出した。


15(日)の昼は、有楽町朝日ホールで開催された「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の設立記念集会に参加し、少々お手伝いもしてきた。
公式ウェブサイトの開催概要はこちら
広島長崎の被爆体験の継承の発表では、特に首都大学東京大学院による「Nagasaki Archiive」の取り組みがテレビで紹介された時の動画や実際の「インダストリアルアートプロジェクト」の画面もスクリーンいっぱいに映し出され、記憶遺産としての情報の保管や社会で広く共有化する方法として画期的だと思われた。ネット検索すればすぐに見つかるということだったので、検索してみつかったのが以下のサイト(「ヒロシマアーカイブ」や「東日本大震災アーカイブ」もリンクもある)。
「Nagasaki Archiive」

パネルディスカッションでは、特に香山リカさんがメディアでお馴染みの精神医学の語り口で、人間がつらい体験を忘れようとする精神的な働きを解析され、しかしながらその根本的な解決のためにはつらい体験と向き合い、受けとめ、必要であれば謝罪するということが必要だとお話されたことが実に印象的だった。

香山さんは1960年生まれということでほぼ同じ世代なので、感覚もよくわかり、何冊か本も読んでいる。実は女子高のお仲間でランチ会の時にそれぞれのおすすめ本を回し読みしているが、その中にもよく登場する。中でも一番のおすすめは『しがみつかない死に方』で、皆様にもおすすめしたい。
以下がそのパネルディスカッションの時の写真。


案の定、体力の限界がきて、16(日)には微熱が出て昼まで寝ていた。広島・長崎での原爆体験、大震災・原発事故の被災体験を忘れずに継承し、地域の文化も楽しみながら継承し、人間らしく生きていけるよう、無理せず、やれることをやっていこうと思っている。

12/07/07 長唄の「如葉会」演奏会を譜本を見ながら鑑賞

2012-07-07 23:41:38 | 観劇

さちぎくさんの長唄の先生は東音の西垣和彦さん。その先生が同人になっている如葉会の第39回例会にピンチヒッターとしてお誘いいただいた。
歌詞が聞きとれないと寝てしまう自信があるのだが、さちぎくさんがお持ちの譜本を見せてくださるということで決断。前日の7/6にコクーン歌舞伎「天日坊」でご一緒した時にお貸しいただき、事前にコピーして参照することにした。

冒頭の写真が「土蜘(上の巻)」の譜本表紙と「二人椀久」の譜面。義太夫の床本は見たことがあるが、長唄の譜面は初めてだった。その説明書きのところに以下のようにあった。
「此の稽古本は・・・文句と節付と三味線の音譜と口三味線との四行から成立って居りますので数字音譜の約束を御存知の方ならば随分独習も出来ませうが成るべく専門の師匠に就きながら此の本を応用せられるが宜しうございます」
なるほど~。私たちが子どもの頃の音楽教育では西洋音楽の五線譜くらいしか見たことがない。このような複雑な譜面では、専門の先生につかないとわからないだろう。音楽教育に邦楽を盛り込んでいるということも聞いているが、このような譜面も教科書に載っているのだろうか?

【第39回如葉会】
7/7(土)午後1:30開演
於:紀尾井小ホール
紀尾井ホールも初めてだったが、JR四ツ谷駅を上智大学正門のある堤沿いにホテルニューオータニ方面に歩いてけっこう近くだとわかった。新日鉄のメセナで作った音楽ホールなんだとあらためて認識(^^ゞ
番組は、「土蜘(切禿)」「三曲糸の調」「小春狂言」「二人椀久」の四曲。
会のリーフレットの解説によると、土蜘はいろいろに変化して源頼光を襲うようで、歌舞伎で2回観た「土蜘」は下の巻に該当すると思われる。残念ながら遅くなってしまい、「土蜘」は着席したら♪赤貝馬のしゃんしゃんしゃん♪(^^ゞもう終盤だった。ごめんなさいm(_ _)m

「三曲糸の調」は「阿古屋」の三曲とのことで、琴も胡弓も使われないが三味線二丁でそれらしく演奏された。
「小春狂言」は1974年の第7回東音創作会で発表された曲ということで、なんとなく現代風な曲だとわかる。田舎住まいをしている狂言師の息子二人が都にいる父のもとで舞いたいという内容だったが、この二人は小さすぎて都に連れていってもらっていないのか、正妻の子でないからなのだろうかとか勝手に推測。どっちでもいい話かな(^^ゞ

休憩のち「二人椀久」。歌舞伎で雀右衛門・富十郎コンビで観たけれど、お二人とも鬼籍に入られた。当時は長唄が聞きとれずに勿体なかったとつくづく思う。
Yahoo!百科事典の「二人椀久」の項
さらにネット検索でみつけた歌詞を載せた「MJQ・日本文化を楽しむ会」さんの記事をご紹介
それにしても連呼されている「按摩けんぴき」の「けんぴき」とはなんだろうか。ネット検索してみたところ、肩凝りを治す按摩の術というところだろうか。
Yahoo!辞書の「痃癖」の検索結果
「お茶の口切」以降が昔の廓話で、その中に登場する按摩さんの話だろうか。「自体 某は東の生まれ」というのもそれなら納得がいく。
などと、歌詞を手に入れると情景を思い浮かべることに傾注してしまう(^^ゞ

西垣先生は「三曲糸の調」の立歌をされていたが、お声に艶があって素敵だった。それにしても人間国宝の堅田喜三久さんの小鼓は素晴らしかった。鼓の面にふれる指先の動きはしなやかで、鼓の音は実にかろやかで聞き惚れた。
かくして、長唄の演奏会デビューを堪能した。

終演後は佐千菊さん、佐汐さんとアトレ四ツ谷でPAULでお茶をしてゆっくりおしゃべりできてよかった。お誘いいただいたことに感謝ですm(_ _)m

(追記)
「赤貝馬」も気になったので検索したら、「こっとんきゃんでぃ当世故事付選怪興」さんのところで解説があった。「赤貝の貝がらにひもを通して、足にはいて乗る子供のおもちゃ」とのことでだからしゃんしゃんしゃんでいいんですねぇ。

12/07/05 職場近くの紫陽花+7・8月の観劇などの予定

2012-07-05 23:59:15 | 観劇

6月は散策や観劇の記事を頑張って書いた方でしょうと自分で自分を赦す(笑)
さていよいよ明日から7月の観劇が始まる。
6(金)シアターコクーン:コクーン歌舞伎「天日坊」前楽夜の部=苦手のクドカンだが評判もよいので気楽に観にいこう(笑)
7(土)紀尾井小ホール:さちぎくさんのお師匠さんの出演される長唄の演奏会=譜本までご用意いただけるとあれば本格長唄演奏会デビューです!
28(土)新橋演舞場七月大歌舞伎猿之助襲名披露公演前楽夜の部
29(日)さいたま芸術劇場:井上ひさし×蜷川幸雄「しみじみ日本・乃木大将」千穐楽
ル・テアトル銀座の「男の花道」は得チケが出てGETできたら観たいかも(^^ゞ

8月分も決まっている分をアップしておこう。
11(土)玲小姐さんの歴史散策:私のリクエストで江の島散策=実は島に渡ったことがないのだ(^^ゞ
19(日)国立劇場:大感謝祭「亀治郎の会」さよなら公演昼の部=都民劇場でお願いしたのがうまくとれますように!
24(金)国立劇場:第18回 稚魚の会・歌舞伎会合同公演(青年歌舞伎公演)夜の部=実はこれも初体験になるのです!!
新橋演舞場八月大歌舞伎は昼夜とも観るかどうしようか検討中・・・
ご一緒する皆様、よろしくお願いしま~す(^O^)/

冒頭の写真は、6/21に職場の近くの外濠公園に咲いていた紫陽花の一群れ。一番奥はガクアジサイ。2週間も経ったので今日あたり見たらさすがに色が褪せてきていたが。
この一群れは、6/14に千代田区役所に電話して毒性が強いからと撤去してもらったキダチチョウセンアサガオの隣のスペースに咲いている。撤去されたあと、小さな紫陽花の苗が2つ植えられていたが、まだスペースが空いている。すぐに手配できた苗がそれしかなかったのだろうか。まずはその小さい苗がうまく根付きますように!

12/06/23 澤瀉屋の団体襲名披露公演夜の部(3)「ヤマトタケル」に一門の新時代到来を確信

2012-07-01 20:36:37 | 観劇

澤瀉屋の団体襲名披露公演六月大歌舞伎夜の部の「ヤマトタケル」は、観劇のお仲間で誘い合わせて23日に観劇。(前後のオフ会の記事はこちら)。7月に入ってしまったが、しっかりと感想をアップしておこう。

三代目猿之助のスーパー歌舞伎は「新・三国志Ⅱ」「新・三国志Ⅲ」と観たのみ。「ヤマトタケル」は段治郎主演で2回観た。2008年3月の記事はこちら 2005年4月の記事はこちら
新猿之助の「ヤマトタケル」への想いは、この間の報道や「渋谷亀博」のトークショーなどでも把握しているので、いよいよの観劇で感無量!
【スーパー歌舞伎 三代猿之助 四十八撰の内 ヤマトタケル】
以下、「歌舞伎美人」の公演情報のみどころより作品の概説を引用。あらすじはそのページをご参照のこと。
「古事記」を題材に哲学者梅原猛が書き下ろし、日本神話のヤマトタケルの波瀾に満ちた半生を、雄大な構想で独創的なドラマとして構築した本作は、昭和六十一年に初演され、演劇界に"スーパー歌舞伎"という新しいジャンルを築き上げた歴史的な作品です。
以下、より今回の主な配役は以下の通り。
小碓命後にヤマトタケル/大碓命=亀治郎改め猿之助
帝=中車 ワカタケル=初舞台團子
タケヒコ=右近 兄橘姫/みやず姫=笑也
倭姫=笑三郎 弟橘姫=春猿 老大臣=寿猿
ヘタルベ=弘太郎 帝の使者=月乃助
熊襲弟タケル/ヤイラム=猿弥
尾張の国造=竹三郎 皇后/姥神=門之助
熊襲兄タケル/山神=彌十郎

宇宙から見える地球の姿、アンモナイトの化石のイラストが大写しになってから宮廷の場面になる幕開けで、久しぶりに観る「ヤマトタケル」の世界が始まると思うと嬉しさでいっぱいになる。さらにここで新猿之助と中車の二人が宮廷の高官のような衣装で出てきて二人の口上があった。
猿之助は、映像と違って舞台は役者と観客との無限のキャッチボールで盛り上がっていくもので毎日毎日違うのが面白いと二人が言うのだから間違いがないと笑いをとりながら余裕の口上(日替わりで自在に語っているらしい)。中車は猿之助を父とも師匠とも思って精進していくという決意を必死に語った。二人の対照的な口上もこの二枚看板で澤瀉屋がすすんでいくことを思わせてよい。

口上の後、役の扮装にしかえる関係もあるのでややしばらく間が開いてしまうのは仕方がない。皇后の門之助と並んで帝の姿で登場した中車が立派でさらに嬉しい。新猿之助の小碓命がみずら結いの白い衣装の姿で登場し、少年のような高い音遣いでの台詞が響くとうっとりしてしまう。
日継ぎの皇子(皇太子)の兄大碓命が父帝の前に出仕させろという父の命令で、兄を説得にやってきての双子の兄弟二役の早替り場面が鮮やかな上に魅力的。透ける幕や太い柱の陰を使って身代わりの役者も使った早替りの連続で早くも楽しくなってくる。父に献上された橘氏の姉妹の姉を我が物としながら妹も口説くという兄(黒の衣装)を低い音遣いで演じ分ける。色悪的な役柄を新猿之助が嬉しそうにやっているのが伝わってくるのがよい。母亡き後、皇后一派が自分の息子をにするための謀略を先制し父を殺してしまおうと言う兄と口論の末、剣を抜いた兄ともみあううちに誤って手に掛けてしまう小碓命。兄橘姫は小碓命を夫の仇と襲うが、小碓命の人柄にふれ命を慕うようになる。

父帝は怒り、死罪に値するところを減じて大和に従わない熊襲征伐に向かわせる。小碓命をかばった叔母の倭姫までとばっちりで伊勢の斎宮にされ、弟橘姫を伴って下向する。
熊襲では首領にタケル兄弟をいただく勢力が気勢を上げ、新しい館の完成を祝う宴の真っ最中。小碓命はそこに踊り女に変装して舞を披露。剣の舞の最中に油断したタケル兄弟を刺殺する。さすがに新猿之助のこの場面はこれまでのどの主役よりも美しく、女舞も見事。正体を現しての立ち回りも含めて動きが綺麗で見応え十分。初演と同じ彌十郎による熊襲兄タケルは堂々として立派。猿弥の熊襲弟タケルと揃うと重厚感にあふれている。弟が絶命の前に命の勇気を称えてヤマトタケルの尊称を名乗って欲しいと願い、命はその思いを受けとめる。

熊襲征服を果たし大和に帰ったヤマトタケルに父帝は兄橘姫を与えたが、3日の休養後すぐに蝦夷征伐に赴くように命ずる。吉備の大君タケヒコもつけるが、いずれも死ねば死んだでよいという思惑が明らかなので、失意のまま倭姫を訪ねるタケル。そこで倭姫はタケルを励まし神体の天叢雲剣をお守りに持たせ、タケルに想いを寄せる弟橘姫を伴わせる。叔母でなければと放ってはおかないとタケルへの愛情をほのめかす笑三郎の倭姫は艶麗でよいが、新猿之助はそう言わせるのが無理がないと思わせるほどの可愛さがある(ジャニーズおっかけの熟女の皆さんの気持ちがわかる気がしてしまう(^^ゞ)。

蝦夷のヤイレポ・ヤイレム兄弟は恭順するとみせかけてタケル一行を焼き打ちにするが、天叢雲剣で草を薙ぎ払い、それに火をつけての応戦。黒衣ならぬ赤い衣をきた大勢が赤い小さい旗とちょっと大きくて下に黄色が入った旗で両者の火力の戦を表現する迫力ある場面が舞台いっぱいに展開され、新しい火の方が力があるというちょっと理解不能の理屈で勝利(これで宝剣は草薙剣と改名される)。ヤイラムによる稲作と製鉄技術をもった大和に巻けたという台詞で、大和に従わない勢力の征伐の理不尽さも浮き彫りになるが、タケルとしては父に認められたいという思いに突き動かされている。

海上の移動では走水で嵐にあい、海神に愛するものを捧げるべきというお告げにより弟橘姫は海中に身を投げる。この海の嵐の伝統的な青い波布が火の赤い布と対照的で、大きな変化のある舞台としても素晴らしい。春猿の弟橘姫の見せ場もたっぷり。タケルが美人姉妹の二人共をめとって「心苦しさがある」と吐露する場面がまた可愛かったが、その姉妹の想いも複雑で妹は姉の夫の想い人になれても第一夫人にはなれないという苦しさから解放されるために海神の后になりたいと願うという、せつない場面を堪能させてもらった。

大和への凱旋の途中立ち寄った尾張国で、タケルは国造の娘みやず姫を献上される。笑也のみやず姫は相変わらずに可愛らしい。師匠から奇跡の50代と言われているらしいが、こういうお役には実によい。真っ直ぐに大和に向かうつもりが、さらに帰途に伊吹山の山神退治をしてくるように帝の命がくだる。みやず姫の素朴な戦嫌いの言葉から、これを最後にするという約束の証しに姫の元に草薙剣を置いたまま出発。
伊吹山の神を見くびった報いはてきめんで、白い巨大な猪に姿を変えた伊吹山の神に噛みつかれ、タケルは深手を負ってしまう。山神の彌十郎と姥神の門之助による命がけのタケルへの闘いは、天孫降臨の大和の信仰によって押さえつけられる日本の土着の神々への信仰の反逆を思わせる。征伐はしたものの、タケルの身体は衰えるばかり。父帝や兄橘姫、そして兄橘姫との間に生まれたまだ見ぬ我が子ワカタケルのいる懐かしい故郷の大和を夢に見ながら、とうとう能褒野(のぼの)の地でタケルの命は尽きてしまった。
中車の帝がタケルの夢に現れるが、全く答えてくれない。新猿之助のタケルの父を慕う想いはまさに身を切られるようにせつなく迫る。この陰影がくっきりする人物像の造形は新猿之助の真骨頂だと思う。さらに今回は新中車の父との確執の現実のドラマが重なって、タケルを無視する夢の中の帝での登場が重たく感じてしまう。
まさに「ヤマトタケル」が三代目猿之助父子の葛藤を乗り越え、再生されたことを象徴しているように思えた。

タケルの陵墓(能褒野王塚古墳)が完成し、詣でた人々の前に帝の使者が現れる。皇后もその息子も亡くなり、帝がワカタケルを日継ぎの皇子としたので迎えにきたのだという。そしてその人々を追い、先に行くようにタケルの魂が真っ白な大きな鳥となって大和に向かっていく。
墓から姿を現した新猿之助の白鳥の衣装の姿が素敵すぎだ。ジュディ・オングの1979年の大ヒット曲「魅せられて」の衣装の袖を両手に持った棒で長くひらめいたのと同様、白鳥の翼は棒によってはためく。初演時の楽屋で亀治郎は棒を振っていたというが、それが本舞台で実現したわけで、長くこめられた思いとともに白鳥の翼をはためかせ、新猿之助の宙乗りは花道の上をゆうゆうと飛ぶ。3階の鳥屋近くの左席に座る私の目の前をアップで通り過ぎていった。
至福!!!

今回の襲名披露の出演者はもちろん、澤瀉屋の一門も収まるべき位置に納って役をつとめ、澤瀉屋と共演した役者たちもしかるべきお役をつとめていた。澤瀉屋一門の新時代到来を確信した立派な舞台だった。

冒頭の写真は、演舞場の入り口の看板。福山雅治による口上特別ポスターとスーパー歌舞伎初という絵看板が並んでいる。
Wikipediaの「ヤマトタケル」の項はこちら
6/5の澤瀉屋の団体襲名披露公演初日昼の部の他の記事は以下の通り。
(1)涙、涙の「口上」
(2)新中車堂々の主演「小栗栖の長兵衛」
(3)新猿之助の狐忠信が愛おしい「四の切」