13/09/18 男女の愛についての釈迦の言葉に思わず納得(^^ゞ


私のよく訪問させていただいているブログに「リベラル21」がある。
「2007.03.15 発刊にあたって」に以下のようにあるように、趣旨に賛同した方々が共同で運用しているブログ。
「私たちが求める社会は護憲・軍縮・共生をキーワードとするリベラルな社会です。そうした社会の実現を目指して、幅広い人たちによるさまざまな意見や主張、情報を発信してゆきたいと考えています。」

9/11付けのもと高校教師という阿部治平さんの記事で、実に納得したことがあるので書いておきたい。
阿部さんが中国青海省で日本語を教えていたときに、多くのチベット人がゲンドゥン・チュンペルを尊敬しているのを目の当たりにして、いろいろ調べられたという。
その伝記からすると想像できないような業績としてジェフリー・ホプキンス解説の『チベット愛の書』があり、いわゆる性愛の書であった。

その中で釈迦の言葉として紹介されている以下の言葉に、いたく感心してしまった。
「世尊(すなわちシャカ)も男は女を美しいと思い女は男の声を快く聞く、とおっしゃっているではないか」

やっぱり、私が声フェチであり、女性の友人から贔屓になる男性は声にまず惹きつけられるという話がよく聞くのは無理もないのだとやたらと納得した次第。

歌舞伎役者は「一声、二顔、三姿」というが、江戸の昔から女性の観客は多かっただろうし、やっぱり女は男の「声」に魅力を感じるということを「お釈迦様でもご存じあるまい」ではなく、もとい「お釈迦様はご存じだった」ようだ。


ジェフリー・ホプキンス解説の『チベット愛の書』(春秋社 1998)
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13/09/06 宮崎駿監督引退「この世は生きるに値するんだ」と子どもたちに伝えたい


スタジオジブリの「風立ちぬ」封切り前の6月末にNHKの「仕事ハッケン伝」という番組を偶然に見た。漫才コンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦がジブリに1週間入社して鈴木敏夫プロデューサーのもとで「風立ちぬ」の新聞広告のキャッチコピーづくりにチャレンジするものだった。番組の内容自体にもひきつけられたが、最後に採用された「人間・宮崎駿、72歳の覚悟」というコピーにハッとさせられた。そうか、もうそんなお年なんだ!と。

「風立ちぬ」を観て、宮崎駿の渾身の作品だと痛切に感じ、思い出しながら反芻していたところ、ベネチア国際映画祭のコンペティション部門出品の公式会見で星野社長から宮崎監督の引退発表があった。予感的中・・・・・・。

9/6の宮崎駿ご本人による引退会見は13ヵ国から600人を超す報道陣が集まったという。私もこの日の会見は大注目していた。
「何度もやめるといって騒ぎを起こしてきた人間なので、またって思われているんですが、今回は本気です」と言っての笑顔に、人生にひと区切りをつけた清々しさが伝わってきた。
各国の記者からの質問にどんどん答えていかれたが、心に残ったのは以下のようなことだった。ネット検索の一問一答情報等から、かなり引用(それにしても一問一答といってアップされている文章が情報元によってけっこう違うことがわかった)。
宮崎駿監督、引退会見の一問一答まとめ
東京新聞:宮崎駿監督引退会見 「生きるに値する」伝えた

「『風立ちぬ』は『ポニョ』から5年かかった。その間、シナリオを書いたり漫画を書いたり、いろんなことをやっていましたが、やはり5年かかる。今、次の作品を考え始めると、5年じゃすまないでしょう。この年齢ですから。次は6、7年かかるかもしれない。僕はあと3カ月で73歳。(作品完成までに)80を過ぎてしまう。この前、83歳の半藤一利さんとお話をして、本当にいい先輩がいると思った。僕も83歳になってこうなれたらいいなと。だから(創作を)続けられたらいいと思いますが、今までの仕事の延長線上にはない。僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わった。今後、やろうと思っても、それは年寄りの世迷言だと」

僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間ですので、基本的に子どもたちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。それは今も変わっていません。
→ここで、どっと目頭が熱くなってしまった。「生きることへの肯定感」がもてない今の時代に、だから宮崎作品は貴重だったのだと痛感する。

アニメ監督にもいろいろな方がいるが、アニメーター出身の僕は自分で描かないと表現できない。どんなに体調を整えて節制しても、集中できる時間が年々減っていく。「ポニョ」に比べると、机から離れるのが30分早くなった。加齢によって発生する問題は仕方がない。僕は僕のやり方を貫くしかない。長編アニメーションは無理だという判断をした。

東映の労働組合で(←ここがカットされてしまう)高畑勲と出会って、いろんな話をしました。それで『ハイジ』をやったとき、まったく打ち合わせの必要がなかったんです。考えていることが分かる。監督はスケジュールが遅れると怒られる。高畑勲は始末書をいくらでも書いていましたけれども、そういうのを見るにつけ、監督はやりたくないと思っていました。しかし、ある時期がきて、監督をやれといわれたときは途方に暮れたんです。僕は、監督や演出をやろうという人間じゃなかった。僕は監督をやっている間も、アニメーターとしてやってきた。それについてはずいぶんプロデューサーが補佐してくれました。そういうチーム、腐れ縁があったおかげでやれてこられたんです。

ジブリをつくったころ(1985年)は、日本が浮かれ騒いでいる時代だったと思います。経済的にもジャパン・アズ・ナンバーワンなんてやっていた。そういうことに、僕は頭にきていました。経済はいいけれど心はどうなんだ。頭にきていないとナウシカなんかつくりません。その後、バブルは崩壊。ソ連も崩壊してもう二度と戦争は起きないと思っていたのにユーゴスラビアでは内戦が起きてしまうというようなことになってしまった。今までの作品の延長上に作れなくなって、僕や高畑監督は豚や狸を主人公にして切り抜けた。そこから長い下降期に入った。バブル崩壊とジブリのイメージは重なっているんです。

「僕は文化人になりたくないんです。僕は町工場のおやじ。それを貫きたいと思っています。」
ジブリの冊子『熱風』で「憲法を変えるのはもってのほか」と発信したことも、「自分の思っていることを率直に話した。ただ、それを発信し続けるかというと、僕は文化人じゃない。その範囲でとどめたい」とのこと。
→なるほど、町工場のおやじさんなんだ、勝手に文化人扱いしてはいけないんだと納得。

半藤一利さんと話をされたことへの言及で書店で対談本が出ていたことを思い出した。手に取ってみたのだが、その時はあまりぴんとこなかった。さっそく紀伊国屋書店に立ち寄って買ってきて読み始めたが、実に面白い。冒頭はその表紙の写真。
半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義 (文春ジブリ文庫)

お二人とも漱石ファンだということでたちまち意気投合し、半藤さんの軍艦野郎ぶり、宮崎さんの飛行機野郎ぶりなど、70~80歳代の当時は普通に小国民だった男の子の感覚などもわかっての昭和史をたどる談義に引き込まれた。「持たざる国・日本の行く末を思料する7時間余にわたる対談」をこれから読んでいくことになる。
歴史を学んでこれからのことは考えていかなければならない。また、実践だ。
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13/08/14 「レ・ミゼラブル」のユゴーの小説を読んでいます


「レ・ミゼラブル」は、小学生の時に少年少女版の「ああ無情」を読み、ミュージカルにはまっていた頃に鹿島茂著『レ・ミゼラブル百六景』(文春文庫)も読んだ。
ユゴーの原作の小説も古本屋でまとめてGETしてあったが、一巻の冒頭で投げ出してしまった。それが冒頭の写真の新潮文庫版だ。
表紙になっているのはバルジャンをリーアム・ニーソン、ジャベールをジェフリー・ラッシュが演じた映画版のものだ。娘と一緒に観て、ジャベールが自殺してバルジャンが解放されたことを喜んだところで終わるという演出に二人して怒ったものだった。

ミュージカル版の映画化作品を昨年末に観てから、またこの作品を深く味わいたいという気持ちが強くなった。
自宅の収納庫の奥深くしまいこんでいた文庫本5冊を引っ張り出した。(現在の新潮文庫版はこちら)
友人が便利だと教えてくれた東急Bunkamura地下のミュージアムショップで買ったホールマークの防水紙でゴムバンド付きのブックカバーをこの読書から使用開始。歌舞伎座こけら落し公演の「京鹿子娘二人道成寺」のブックマークも使いながら読み進めている(いずれも冒頭の写真に一緒に写っている)。

『レ・ミゼラブル百六景』でも省略されてしまっていたユゴーの緻密な物語展開に圧倒されている。
たとえば、ミリエル司教について。彼はフランス大革命でイタリアに亡命して聖職者になってその後の王政復古で戻ってきた方で、革命議会議員の最後を看取る時には1793年のルイ16世の処刑にこだわった話をしてしまい、死にゆく人が最後の力を振り絞った反論に考え込まされ、スタンスを変えることはなかったが、より貧しい人にやさしくなった。
日本の私たちは、フランス革命後のフランス社会の紆余曲折をよく知らない人が多いと思う。私も「ベルサイユのばら」「マリー・アントワネット」などで革命の光と影を知っていたような気になっていた。
ジャコバン派による恐怖政治、ナポレオンによるクーデターと帝政、その後の復古王政と激動する中に「レ・ミゼラブル」の世界はある。権力を握る勢力がころころと変わり、掌返しのようにそれに迎合する人々、排斥される人々のいずれも必死に生きている。
その中でもとにかく貧しい人々のためにすべてを捧げようとする司教の姿に圧倒され、革命議会議員とのやりとりのくだりでまず涙腺決壊!

第1章が「ファンチーヌ」とされるほどで、学生たちとのグループ恋愛と遊んで捨てられた様子も丁寧に描かれるし、工場をやめさせられる場面、亡くなる場面などはミュージカル版とは全く違っている。話をずいぶんと変えることで長い物語を極端に短くしていることもわかった。
司教によって生まれ変わるように諭されたバルジャンが心を決めるまでの葛藤、人違いで自分として重罪に問われてしまう男を救うために自首するかどうかの苦悶苦闘のもの凄さ!
第1巻だけでも3回くらい泣けてしまった。フランスの近現代の歴史をきちんと踏まえた作品だなぁと感心しながら読み進めている。こんなに左右に大きくぶれた歴史的体験をしたフランス人がシニカルな民族性をもつのか、感覚的にもよくわかってしまった。

悩み多い時期には、これくらい真面目な大作とがっぷり四つに組んでみるのもいいなぁと思いつつ、あと4冊頑張ります!!

Wikipediaの「レ・ミゼラブル」の項はこちら
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13/08/06 職場の大先輩の広島原爆ドームの水彩画のご紹介


被爆68年の8月6日、テレビで広島の「広島平和記念式典」(正式には原爆死没者慰霊式・平和祈念式)を見てから出勤。広島市長は原爆は「非人道的な絶対悪」と言っていたぞ。

職場の大先輩が描かれた広島原爆ドームの水彩画をご紹介したい。
我が家にはその方に描いていただいたフィレンツェのドゥオモの絵も飾られている。ご自分の作品はチャリティに出され、その売上金は東日本大震災の現地支援のボランティアグループへのカンパに使うということだったので、その希望価格に上乗せさせていただいたものだ。

退職後もOB会の役員活動や絵のサークルの指導や求められれば私たち後輩の勉強会でレクチャーをしてくださるなど、大活躍されている。
私は絵はあまり描けそうにないが、仕事の他に趣味だけでなく社会的にも役立つようなことでやれることを少しずつやっていきたいと思っている。そうした生き方を励ましてくれるような先輩の方々の存在が有難い。

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13/07/17 『植木枝盛選集』→「映画 日本の青空」憲法研究会の鈴木安蔵につながる


職場の友人に岩波文庫の『植木枝盛選集』をすすめられ、お借りして読んだ。
なんと編者は教科書裁判で有名な家永三郎氏。母校中央大学で私のお隣の政治学科の教授に着任された時に、一度授業を傍聴しにいった。マンモス私大の大教室がいっぱいで、いかに話題の人かを痛感したものだ。申し訳ないがお話の仕方はあまりインパクトがなかったので、それっきりになってしまったが、『植木枝盛選集』の巻末の解説の文章を読んで30数年ぶりに後悔した。あまりにも面白い文章で一気読みした。

戦前、憲法学者で法制史家の鈴木安蔵が植木枝盛を研究し、終戦後に民間の有識者で結成された憲法研究会に参加。研究会が1945年12月に発表した「憲法草案要綱」で、鈴木安蔵は植木の憲法案を参考の一つにしたと明言している。
鈴木安蔵は「映画 日本の青空」の主人公だっけと、映画を観た記憶とつながった。高橋和也が好演していて、高野岩三郎役の加藤剛も存在感があった。

Wikipediaの「植木枝盛」の項はこちら
戦後は家永三郎によって研究が進められたということで、この選集も家永氏による。解説文を読むだけで「いい仕事をしていますねぇ」と唸らされた。

本文を読まずに解説だけで感想をアップされている「amamuの日記」さんの記事に共感。
この本全体については、「法学館憲法研究所」の水島朝穂さんの紹介記事がわかりやすい。

植木枝盛は、人間の生きる目的を幸福になることとしており、そのために必要なのが自由であり、その自由は何者にも保障されるべきだと考え、民権を主張する。立憲民主主義の根底にその思想がある。身分や納税額や男女などあらゆることでの不平等もなくし、教育をきちんと受けて主体的に生きる人間がそれぞれ幸福になることを追求しながら、皆の参加で力を合わせてつくりあげる社会を描き出す。地方自治を徹底し、地方の組織を調整するために中央政府が必要と考えられる。

世界の国々の関係についても同じように発想され、世界公法のもとに無上政府(国連のような組織?!)を組織し、大国と小国も対等平等に関係を結ぶという論を展開する。それぞれの国民の幸福のためには大国もどんどん小国に分割して運営していく方が主体的に関わっていきやすいという考え方にはびっくりさせられる。国家というものが不要になる時代の到来もイメージされている。

家永氏の解説に触発され、植木枝盛本人の著作を読み進む。さすがに明治時代の文章ですいすいと読めるというわけではないが、自由民権運動の演説の口調という風な文章もあるし、「民権数え歌」というものも付記されていて、リズム感に乗ってしまえばなかなか快感だった。
家族制度からの個人の解放論も婦人参政権を含む男女同権論は、今からすると当然すぎるが、敗戦によってようやく実現したのだとあらためて感慨深い。

本文を読み終わって、家永氏の解説を読み直している時に、他の本を買いに東急百貨店本店にある「丸善&ジュンク堂書店」に行ったら、岩波文庫のコーナーで見つけてしまった。これは自分でも持っていようとしっかり買い込んだ。
「映画 日本国憲法」上映会&監督講演会の記事とともに、歴史的な参議院選挙の前に書いておかなければ一生後悔しそうなので、頑張ってアップした次第。
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13/05/03 女子高仲間のランチ会→うらわ美術館展覧会「魯山人の宇宙」


皆様、励ましのコメントやご連絡を有難うございます。友人、妹たち、皆様が寄り添っていただくのを力に少しずつ元気を出せるようになってきました。感謝申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

5/3(金)、GWの後半初日は女子高仲間のランチ会。さいたま新都心のデニーズに5人が集まり、それぞれの抱える家族の問題、職場の問題の近況が報告され、お互いの感想・意見・アドバイスなどが交流される。かなりつっこんだ議論になったりもして、触発されお互いにまた違った視点も獲得できるのが楽しいのだ。おすすめの本やらCD・DVDの貸し借りもあり。
都合がつく時間で出入りしてよいというゆるやかなランチ会というのもよくて、数年という長さで継続している。

今回は、Iさんは娘さんとスーパーアリーナのグレイのライブへ、Nさんはツレアイさんと映画へ、Tさんは宝塚の夜の部観劇へと皆さん充実の休日だ。
私もまだ観ていない「相棒-劇場版-LAST DAY」を観ようと思っていたが、先にチケットをとっていなかったのが失敗で満席。あきらめて、Aさんが予定されていたうらわ美術館展覧会「魯山人の宇宙」にご一緒させていただいた。
私の魯山人へのイメージは、漫画「美味しんぼ」の海原雄山が孫弟子であるとの設定からの延長でしかなかった。それをちょっと真面目に勉強できそうだというのと、地元なのにこの美術館に行くのは初めてなので、いい機会だと即断した。

うらわ美術館展覧会「魯山人の宇宙」
以下、上記のサイトより引用。
 美を愛し、食を愛して偉才をふるった昭和の巨人・魯山人(ろさんじん)(1883-1959)。
(中略)
 魯山人(本名・北大路房次郎)は、明治16年に京都で生まれ、はじめ書家として、後に、篆刻、絵画、古美術鑑定、料理、陶芸、漆芸と、多方面においてその美的手腕を発揮します。古典、風流に学びつつも、鋭敏な感覚で独自の作品を生み出し、特に陶芸において大きな足跡を残しました。また、食及びしつらえに対し独特の美学を持ち、その総合的な演出で多くの人を魅了しました。様々な逸話に彩られながら、昭和34年、76歳で横浜にてこの世を去ります。
 本展覧会では、魯山人の旧居「春風萬里荘」を移築公開している笠間日動美術館で所蔵する陶磁器をはじめとした約90作品を展示し、併せて魯山人語録、著名人との交流を示す写真資料なども紹介します。

はじめに書家として身を立てたということは、文字をデザインのようにして焼き付けられた陶芸品から納得した。そこからいろいろな芸術へと発展したというのが、私には贔屓の役者の当代猿之助に重なる。筆を自在に操れるということは全てを自在にすることにつながっていくと思える。

そして、自らの料理を盛り付けるために必要だということで料理用の器を自ら作るということになったので、食に関わる器が多いというのも納得できた。
しかしながら、展示されていた「魯山人語録」でも垣間見られたように傲岸不遜なまでに自分の主張を貫くため、「星ヶ岡茶寮」は従業員や共同経営者に追い出されたという。
この協調性のなさはいくら芸術家とはいえ、ただごとではない。激しい生き様の中で叩きつけるように表現されたものは、もの凄い迫力を帯びていた。

Wikipediaの「北大路 魯山人」の項を読んだら、壮絶な人生がそこにはあった。

さて、ネット検索で全国の美術館に移動して開催している企画のようだとわかったが、ここでちょっと今回のチラシについて見つけてしまったことを指摘しておこう。
冒頭の写真は裏面だが、左上の「辰砂竹雀俎板鉢」の写真は、左右が反転してしまっている。チラシをもちながら、展示物をみていて、照合していて気がついてしまった(^^ゞ
祝日ではあるが、土日ではないので、閉館時間が午後5時と早くてあわてて退出したので、スタッフさんにそのことをお伝えする時間がなくなった。
しかしながらそういうこともあるのかなぁと笑える。さいたま市の美術館であり、チラシではあっても、それはやはり稚拙でしょうと書いておきたい。
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13/03/31 安斎育郎著『原発事故の理科・社会』を読む


東日本大震災による福島第一原発事故の後、安斎育郎さんの『家族で語る食卓の放射能汚染』を読んで、こちらで紹介している。3.11直後に出版ということもあり、チェルノブイリ原発事故の後に出された著書に手を入れて増補改訂版ということで出された本でもあり、その後の状況変化を踏まえた安斎さんの本が読みたいと思い、ネット検索してみた。そこで、新しいし簡単に読めそうだしということで決めたのが、以下の本だ。

セブンネットショッピングの安斎育郎著『原発事故の理科・社会』の情報はこちら
さいたま市図書館で借りて読むことにしたが、既存図書になかったので、仕事帰りにJR浦和駅で途中下車して中央図書館でリクエストして買い入れて案内がくるのをじっと待った。図書館と同じ建物の中に紀伊国屋書店もあり、その本の在庫が1冊だけあってブックレットタイプで実に読みやすそうですぐに読みたくなったがあえて待つことにした。中学生からでも読めそうだし、公共図書館に備えてもらって多くの方に読んでもらいたいと思ったからだ。

メールで連絡をもらって借りてきて読んだ。ちょうどレンタル中のRC SUCCESSIONの『カバーズ』を聴きながらというタイミングだったし、忌野清志郎の『瀕死の双六問屋』も借りているのでそちらを延長して一緒に返すことにしたので、脱原発モードを高めながらあっという間に読んだ(どうでもいいかな?)。

amazonよりセブンネットショッピングの方が情報が詳しく、以下の情報も引用してご紹介。
<本の内容>
いま脱原発へ、日本の原発推進政策のからくりを学ぼう
原発事故以来、高まる放射線への不安。放射線の健康へのリスクを小さくすることと、なぜ日本で「安全性軽視で、経済開発優先主義的な」原発政策が進められてきたのかを考え、この国の主権者として、国のエネルギー政策のあり方をしっかりと見定めて行動するために、40年来の原発開発批判を続ける著者がおくるテキストです。
<目次>
第1章 福島原発事故の「理科」
(福島原発事故は、何をもたらしたか?
 放射線の影響と防護の基本-2種類の影響
 どうやって放射線のリスクを減らすか?)
第2章 福島原発事故の「社会科」←この章の中の節の部分を加筆してご紹介。
(1)原発開発の歴史を見直す大切さ
(2)広島・長崎の核被害が知られなかったわけ
(3)アメリカとソ連のしれつな核軍備競争
(4)ソ連による初の原発実用化とアメリカの対応
(5)ブルックヘブン報告が示唆した原発事故の影響
(6)原子力損害賠償法で国が電力会社を庇護した
(7)日本の原発開発を推し進めた中曽根康弘氏
(8)原子力の平和利用を宣伝した正力松太郎氏
(9)日本が水力→火力→原子力と推移したわけ
(10)田中角栄内閣がつくった「電源開発促進法」
(11)住民も原発推進に巻き込まれた
(12)国民総動員原発推進体制?
(13)大切な主権者としての私たちの主体的行動
第3章 私たちはどうすべきか?
(電力のつくり方を選ぶ時の考え方
 代替エネルギーの開発・普及への課題と展望
 節電型の生産・流通・消費・廃棄)
終章 40年来の原発批判活動から思うこと

「理科」の部分のコラムで「ガレキをどうするのか?」という問題に2ページを割いている。放射性物質を含む宮城県や岩手県のガレキを地方分散の広域処理がすすめられ、世論が分かれたことについてどう考えればよいかということに確信がもてた。
高レベル汚染地帯と低レベル汚染地帯とで分けて考える方がよく、高レベル汚染物は集中管理型で処分するのが好ましい。低レベルの汚染物を「広域処理」と称して各地に分散することは、市民の間に無用の混乱と対立を生み出すとともに、長距離輸送処分に膨大な費用を要するので「ミニマム廃棄物マイレージ」の考えからしても、できる限り発生地の近隣地域で処理処分することが基本とのこと。その上で、速やかな被災地の復興のためにはどうしても他地域に移送して処理処分することが不可欠と考えられる場合には、放射能やアスベスト濃度に関する正確な情報を公開した上で、「送り出し側」と「受け入れ側」の合意を形成し、限定的に「廃棄物マイレージ」の少ない地域に移送処分することもあり得る、とあった。

危険危険と騒ぎ立てて被災地復興に協力しないというのは非人道的だとばかりに受け入れをすすめたり、莫大な補助金付きで受け入れさせるように誘導していることはあまり報道もされないという、ガレキ処理をめぐる闇の部分をもっと明るみに出さなければならないと思う。

「社会科」の部分で、原発開発の歴史のところで、米ソの核軍事競争の中で遅れをとったアメリカが原子力潜水艦に使っていた原子炉を急遽、発電用に転用したのだ。原発は安全性を一歩一歩確かめながら技術の発展段階を踏まえて十分な時間をかけて開発されるという経過をたどったものではないので、いきおい、安全性は二の次となったとあった。
安斎さんは1962年、日本に原子力発電所がなかった時代に東京大学工学部原子力工学科第一期生になり、卒業して3年後ぐらいから日本の原子力政策に疑問をもち、徐々に失望の度を深め、やがて絶望するようになったという。
それから40年来の原発政策批判を通じて、日本の政治・経済の病根の根深さを感じ、だからこそ福島原発問題を「理科」の側面だけでなく、「社会科」の側面からも徹底的に検討すべきだと確信しているとのことだった。
そして第13節で「大切な主権者としての私たちの主体的行動」となり、第3章で「私たちはどうすべきか?」と論じられていく。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」にならないよう、リメンバー・フクシマ!ともあった。

日本人は嫌なことは忘れようとするような考え方が強く、そして国民には物事をきちんと考えないようにさせる政策(愚民化政策)が成功してきていると思うので、私は気がついた人から声を上げ、そのような声を大きくしていかなければならないと思っている。
今回の原発事故を忘れずに、脱原発社会を実現していくために、この本は大いに役立つと思う。図書館に返却した後で、マイテキストとしてやっぱり買っておこうかなぁ。

(4/4追記)
安斎さんのサイトのリンクをつけておこう。タイトルのイラストにお人柄が現れています!
「安斎科学・平和事務所」
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13/03/13 ノートの裏表紙に描いた絵が本に載ってる忌野清志郎


「猫と薔薇、演劇、旅ファン」のhitomi様の記事でご紹介されていた忌野清志郎の『瀕死の双六問屋』(小学館文庫)をさいたま市図書館のHPでネット予約し、中央図書館に回してもらっていたのを仕事帰りに浦和駅に下車して借りてきて読み始めている。

Wikipediaの忌野清志郎の項はこちら
私の洋楽歴はカーペンターズ→クイーン、キッス、レッド・ツェッペリンとすすんでいき、ディープ・パープル、ジャニス・ジョプリンなども聞いていた。しかしながら、あまり日本のバンドは聞いていなかったので、RCサクセションもほとんど聞いていない。
1980年頃の「雨あがりの夜空に」の頃は「変な歌を歌うヤツ」くらいにしか思わなかった。ところが、洋楽のヒット曲に日本語詞をつけたアルバム『COVERS』の発売中止以来、面白いミュージシャンだと思うようになった。反原発の歌詞がついた曲があったため、発売元の東芝EMI(親会社が原子炉メーカーでもある東芝)がきちんとした説明もなく発売できないとしたのだ。
その後、「君が代」法制化の頃にはロックの曲調で歌い、またまた話題になっていたものだ。

2006年に喉頭癌を切らずに治し、2008年に日本武道館の『忌野清志郎 完全復活祭』で元気な姿が報道されて嬉しかったものだが、その後再発して2009年に亡くなってしまった。

映画やTVドラマに俳優として出演したのも観ている。2005年の「妖怪大戦争」のぬらりひょん役、2008年の「たみおのしあわせ」の変な男役(笑)ホント、変な存在感が活かされた男の役だったっけ。

さて、『瀕死の双六問屋』は雑誌『TVブロス』に隔週で連載したコラムをまとめたものだった。
一話は文庫本で3ページ、毎回1つずつお気に入りのアルバムの紹介がついている。

第18話「五十年以上も戦争の無かった国に生きている」から、以下を引用。
「人びとはかくも過去の史実に翻弄されるものなのであろうか。しかも百年以上も法制化されていなかった旗や歌をなぜ今法制化しようとしてるのかもわからん。五十年以上もの間、戦争の無かった国は世界でも珍しいのだ。その点だけでも日本はすばらしい国ではないか。百年でも二百年でも戦争なんかするべきではない。そろそろ戦争で儲けたい奴が出てきているのか?なにしろ不景気だからな。軍需産業はそうとう儲かるらしいからな。なぜ今法制化したいのだ?俺が歌ってやろうか?」
実にまっとうだし、最後の感覚がロックンローラーらしくて実にいい。私は野中広務を尊敬しているが、国旗と国歌の法制化をしたことについては残念にも浅慮にすぎたと思っている。
アルバムの『COVERS』、聞いてみようかなぁ。

この本にはコラムだけでなく、本人の書いたイラストや4コマ漫画も掲載されていて、それがまたうまいのに驚く。
Wikipediaの記事によると「小学生時代は漫画に熱中し、自作の漫画を近所に住んでいた吉田竜夫(タツノコプロの設立者)に見てもらったこともあったという。納得。サイケデリックな衣装も漫画をやる人のセンスだと思うとよくわかった。

そして、冒頭の写真。一番最初に出てきたイラストの右端だが、なにやら文字やらマークやらがあるのでよく見て驚いた。「CO・OPリボンノート」とあり、生協の環境マークと「再生紙(古紙パルプ70%)使用」とあった。

中学の頃に聞いたとのだと思うが、フォークソングにこんなのがあったのを思い出した。
♪「大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを書いたの (中略)でも鉛筆で書いたからいつの間にか消えたの (中略)もう会えないの もう会えないの 二度と会えないの」♪
うーん、キヨシローもノートの裏表紙なんかに絵を描くんだ。それも埼玉県浦和市に本部があった生協のノートだよ。うーん、ご家族が生協の配達かお店を利用していたのを使って描いたのかなぁ??イラストの中に妻子が登場していたりするんだよね。

同じく生協の利用者で「CO・OPリボン」シリーズ商品を使ったことがある私にとって、急に親近感が増してしまった。「リボン」は「reborn」(再生)っていうことだったっけ。もうこの「CO・OPリボン」シリーズは改廃されてしまったけれどねぇ。
よし、やっぱりアルバムの『COVERS』、今度TSUTAYAで見つけてみようかなぁ。
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13/01/26 八代目勘三郎の若き日の写真展に行き図録を買ってきた


私の高校時代のスクラップブックから八代目勘三郎の若き日の舞台のグラビア写真が見つかったこととあわせて林義勝氏の作品展「中村勘三郎―1975~1982―」情報のことも1/12の記事に書いた。
1/7から本日2/3までJCIIフォトサロンで開催されていて、当初は1/14の新橋演舞場昼の部観劇後に都営バス「都03」に乗って半蔵門まで回って観てくる予定だった。しかしながら大雪のために断念し、玲小姐さんとご一緒した1/26の国立劇場観劇後にリベンジで行ってきた。
英国大使館の素敵な建物のお隣の敷地にあるJCIIフォトサロンの一角の展示コーナーに観にきている人はけっこういてご盛会。ひとつひとつ丹念に見ていったら、まさに私たちの高校時代に見たテレビドラマなどに出ていた若々しい姿の写真もたくさんあった。
残念ながらその頃の歌舞伎でのお姿は現実には観ていなかったので、立役の姿が当代の勘九郎に女方の姿が七之助にそっくりなものも少なくなくてびっくり!DNAを痛感。

最初から1500円の目録を買うつもりで来たが、林義勝氏ご自身もいらしていて見学しているお客様に説明をされている。1部買ってサインをお願いしたところ、表紙裏に万年筆で素敵に書いてくださった。冒頭の写真が、その目録をフォトサロンの封筒の上に置いて撮影したもの。
その表紙になっている大河ドラマの「元禄忠臣蔵」の大石主税役での楽屋での写真(1975年)が一番好きだということと、写真の説明に林氏ご本人が会心の一枚とあった「鏡獅子」での毛が逆立っているところを捉えた一枚も本当に素晴らしいとお話しさせていただいたら、「鏡獅子は30回は撮っていて、この一枚が撮れた」というようなことを本当に嬉しそうにおっしゃっていた。
写真展でその写真家さんのお話を聞くことができるのは、本当に有難いものだ。

勘三郎の写真集といえば、襲名披露興行直前の2005年3月に出た写真集『新しい勘三郎~楽屋の顔』を買ったものだ。そのことに言及した記事はこちら
今回の図録、林義勝作品集『中村勘三郎1975-1982』は通信販売でも買えるとのことで、ご紹介。
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12/06/26 姜尚中の青春総決算の本を読む


2008年7月に「姜尚中の本を読む」という記事を書いた。
2007年12/13の夜、新宿サザンシアターで姜尚中×小森陽一トークショー&サイン会「2008年、日本はどうすべきか」のトークで、あぁ本当に金大中氏を尊敬しているんだなぁという話しぶりだったことをよく覚えている。大学時代に韓国の民主化を求めて運動に明け暮れていた姜さんにとって、金氏は「たった一つの青春のシンボル」とでもいうべき存在だったという。

6/24(日)、久しぶりにゆっくりした私はBOOKOFFの105円コーナーで掘り出し物はないか探していると、姜尚中著『リーダーは半歩前を歩け──金大中というヒント』(集英社新書)を見つけた。字も大きいので一気読み終了。
2005年5/23、東京大学は金大中元韓国大統領を安田講堂に招いて講演会を開催。金氏の招聘に一役買った姜さんは、2009年2月に思い切って面談を申し込んだところ念願がかない、4/7にソウル市内の金氏の自宅で1時間半ほどの対話が実現したという。その記録が第4章だが、出版準備をすすめている中、金氏は体調を崩されて8/18に逝去された。この本はその翌月22日に出版されている。
以下、ウェブでの紹介の文章を引用。
政治も経済も未曾有の混迷期にある現在、私たちは「リーダーシップ」という古くて新しい問題を、問い直す必要がある。安全保障の激変期における政治家とは? 金融崩壊後の市場で持続可能な成長を実現し得る経営者とは? 明確なビジョンを示す上司とは? 本書は、古今東西の政治家や歴代の日本の首相に言及しつつ、悩める時代を突き抜ける「7つのリーダー・パワー」を提言する。韓国元大統領にしてノーベル平和賞を受賞した金大中氏との対談も収録。指導者不在が叫ばれる日本社会で、現代を代表する政治学者が思い描く、理想のリーダー像とは?

金大中氏との対話の中で、ここはと思ったところを以下、抜粋してご紹介する。
姜 先生のお話の中で私がいつも感銘を受けるのは、「フランス革命」と「イギリス名誉革命」の比較についてです。先生はこの2つの革命のうち、「イギリス名誉革命」の方を評価していらっしゃいます。というのもフランス革命では、ロベスピエールによって、王をはじめとする旧体制の人びとが粛清されました。これに対して、名誉革命は妥協的だったけれども、新旧の勢力が歩み寄ろうとしました。先生は「革命とは血が流れるものである。しかし、どんな場合でも、流血はできるだけ避けて、新旧双方が宥和する道を探るべきである」と一貫しておっしゃってきたように思います。そのようなお考えは、いつごろからお持ちなのでしょうか。
金 先ほどあなたが名前をお出しになったトインビーの『歴史の研究』を読んで多くを学んだと思います。
(中略)
姜 先生から日本の政治家に、──韓国の政治家に対してでもよろしいのですが、歴史に学ぶときに何がいちばん重要かということを提言していただけませんか。
金 いちばん重要なのは、長い歴史とよく対照して、自分たちがやった誤りを見つめることです。そして、反省して、それによって新しい歴史を再生していくことです。ドイツはそれをやりましたよ。敗戦ののち、世界に謝り、ユダヤ人に対していろいろな償いをしました。ドイツの学生は、子供のときから過去に対する教育を受けます。ドイツはあちらこちらにあるユダヤ人虐殺現場や収容施設を遺跡として保存しました。そのような反省をしたから、周辺の国々もドイツを信頼するようになったのです。
 ドイツはいまEUの一員として活動しているでしょう?北大西洋条約機構(NATO)の加盟国です。東ドイツが西ドイツと合併すると言って立ち上がったとき、かつては「ドイツの統一など、ぜったいに許さない」と言っていたイギリスやフランス、それからソ連も賛成しました。それは、ドイツの戦後の反省態度を認めたからです。
 同じように、日本も歴史に学んでください。そうすれば、われわれも日本をもっと愛するようになるのではないでしょうか。いまでも中国や韓国ではときどき反日デモが起こりますが、そういうこともなくなると思います。過去に日本に侵略されたアジアの国々には、いまだに日本に対する恐怖が、多かれ少なかれ残っています。不信感を拭いされていないから、日本がこれ以上強くなるのを恐れて、国連安保の常任理事国入りにも反対しているのです。
(中略)
姜 日本では過去と向き合うことがなかなかできづらい面があるようです。その根っこはどこにあると先生はお考えでしょうか。
金 そうですね。日本の民主主義はマッカーサーが来て、プレゼントしてくれたようなものではないですか。だから民主主義の基盤が、いまひとつはっきりしないのかもしれないですね。風が少し吹いただけで揺らいでしまう。日本の人たちは、私たちのように「民主主義を勝ち取るために、血を流して闘った」という思いがないのではありませんか。何となく手に入れてしまったから、あまりありがたいと思わない。だから「昔もよかった」などと言う。昔を懐かしんだり、戻ろうとしたりする。そのせいもあって、あんなに経済的に貢献しているのに、国際的にはあまり評価されないのです。歴史をきちんと見ないからです。損ですよ。
 民主主義はタダではないのです。民主主義を勝ち取っても、それを守るために積極的に努力していかないと、逆戻りすることがあります。ですから、私は日本の友人として、どうぞドイツに学んでくださいと、重ねて言いたいですね。そうすれば、私たちも日本を信用して、本当の友人になりたいと思うでしょう。私は一度、小渕首相と話し合って、ずいぶんとよい雰囲気になったのです。ところが、それからいくらもたたないうちに、また過去を美化するような動きが出はじめてしまいました。
 いま、戦後64年です。日本人の中でも、終戦時に10歳以下だった方は、当時のことをよく知らないはずです。ですから、教育で教えていかないと、彼らの子供、孫の世代は過去にどういうことがあったのか理解できないでしょう。とくに、いまの若い人などは、悪意があるわけではないのだと思います。意味がわかっていないのです。なぜ戦後何十年もたっているのに、いまだに罪人みたいに言われるのか、わからないのです。もう謝ったじゃないか、なぜいつまでもしつこく言うのか──と、たぶんそういう気持ちなのでしょう。彼らを悪いとは言えません。なぜなら、ちゃんと教えられていないからです。
 日本は、国民に対してきちんとした教育をしてください。過去の歴史に対して、真実を学んでください。そうすれば、日本は世界から愛される、偉大な国になる。私はそう思います。
(中略)
姜 それでは、そのようにグローバル化が進んだ世界になるとすると、その中でのリーダーはどうあるべきでしょうか。
金 政治家は、目の前の状況をよく見ながら、国民とコミュニケーションをとらなければいけないでしょう。
(中略)
 だから、リーダーは国民と一方では手を握りながら、その手を離さないで半歩前に行く。もし国民がついてこないようなら、ちょっと立ち止まって、手を離さないで説得をする。そして国民の声を聞く。そうして意見を合わせる。そのようなやり方が、いま、成功する秘訣ではないかと思います。

金大中氏は、軍事政権によって死刑宣告を受け、長く刑務所に入れられたり軟禁生活を送らされたが、その中で多くの読書をしたのだそうだ。それが理念や思想を形づくったと語っていることに感銘を受けた。

日韓両国で歴史教育の内容を検討する機関をつくろうということになって、ようやくドイツが周辺国と取り組んできたことに日韓は手をつけることができたという思いを抱いたものだが、それは確か小渕首相と金大中大統領が会談した時の合意ではなかっただろうか?

私が子どもの頃の韓国は軍事独裁政権の時代だったが、それがいつの間にか日本よりも民主主義が進んだ国になっている。やはり国民的な運動で闘って勝ち取ったという歴史的経験のためかと納得する。韓国の経済危機が深刻になり、現在も若者の失業問題は日本よりも深刻だと聞いているが、そこへの対応の試みは、日本よりも進んでいる面がかなり見受けられる。アジアで初の「社会的企業育成法」をつくったことなどに注目しているところだ。
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また、私は『ベルサイユのばら』以来、フランス革命が好きだったが、ミュージカル『M.A.』(マリー・アントワネット)では、革命の理想と流血の問題が心にのしかかってきたものだ。民主主義の模索の道について、イギリスの状況について、少し真面目に追及してみようかという気持ちが強くなってきた。ちょうど同じく105円コーナーで山口二郎著『イギリスの政治日本の政治』(ちくま新書)も買ってきたので、しっかり読もうと思う。

(追記)
今日、衆議院で消費税増税案が可決されてしまった。この間の消費税増税が企業減税や金持ち減税とほぼ同じ規模であり、後者を元に戻すのが先だと思っているが、そういう勢力は小さいままだ。マスコミ報道はすぐに政局問題に流れてしまうのが問題だ。
この年になって、仕事も観劇も読書も忙しい日々となってきた。しっかりと自分の頭で考えて声を上げていきたい。
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