ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

2014/02/24 最後のポイント利用で「トリック劇場版 ラストステージ」を観た

2014-02-24 23:59:44 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

昨日の歌舞伎座昼の部観劇後のおしゃべりの中で、映画館のポイント制度があちこちでなくなっているという話が出た。4月から消費税が8%にアップすることから収益性を考えての見直しだろうと推測している。
隣駅のシネコンMOVIXでもこれまでのメンバーズへのサービスを終了し、新しいサービスを始めると打ち出して昨年の8月末でポイントカードへのポイント付与を終了。2月末にはポイントを使っての特典への交換が終了となる。さらに個別のカードの有効期限というのもあり、娘のカードは期限が切れてしまって1回ただで映画を観られるポイントがたまっていたのにパァになってしまった。

自分のカードの有効期限が2/26だったので、急遽、本日夕方、大宮に歯医者に行った後でさいたま新都心で降りて何か観ることにした。娘は友達とコラボカフェとやらでアキバに行っているのでちょうどいい。

ところが、うーん、これはというのがない。上映時間の関係と消去法で残ったのが「トリック劇場版 ラストステージ」だった。
松竹マルチプレックスシアターズのサイトから「トリック劇場版 ラストステージ」の作品紹介はこちら
仲間由紀恵と阿部寛が共演する人気テレビドラマ「トリック」は、自称天才美人マジシャン山田奈緒子と天才物理学者上田次郎のコンビで様々なトリックを見破って事件を解決していくというものだが、私はずっと好きではなかった。あまりにもくだらないダジャレてんこもりの台詞に辟易し、自分で「天才巨乳美人マジシャン」という仲間の役を「貧乳」とからかったり、生瀬勝久のズラネタなどなど、品がないにもほどがある。

それなのになんで観るつもりになったのか?!それはラストだからであり、ポイントでただで観るのだから、つまらなくても「金返せ」状態にならないからだ。予告編で見て主題歌もいいなと思ったからだ。

堤幸彦監督作品は「20世紀少年」の最終章を観ている。浦沢直樹の原作漫画も全部読んでいるが、社会派でエンタメとしても楽しめる作品だった。
赤道直下の国の秘境でレアアースを採掘するために乗り込んだ日本企業とそこに住んでいて立ち退きを拒否している部族の人々との間に殺人事件が起こるが、その地に繰り返す自然災害から人々を守る霊能力者の果たす役割を同じ能力をもつ山田奈緒子が継承し、大団円を迎える。

なかなかラストステージにふさわしい締め括りに、鬼束ちひろの「月光」がかぶってくる。
♪I am god's child この腐敗した世界に墮とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない
突風に埋もれる足取り 倒れそうになる♪

一応、レアアースをねらって発展途上国を日本の企業がふみにじっているということへの批判もあって、笑わせながらもただのおふざけということでもなかったので、けっこう満足できた。
それとラストの曲「月光」は娘がカラオケで歌っていて覚えた。けっこう娘の声に合っていると思うので、また学園祭のカラオケ大会に出る時は絶対「月光」にしなよと言い続けている。

冒頭の写真は、私と娘のカードと余ったポイント分ということでもらったポケットティッシュ。カバのヒッポコブラザーズがMOVIXのキャラで映画が始まる前の劇場からの案内のところで出てきておなじみさん。

2014/01/04 「かぐや姫の物語」姫の犯した罪と罰に思い当った!!

2014-01-04 23:59:10 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

昨年夏の宮崎駿監督の「風立ちぬ」に続いて、11/23に高畑勲監督の「かぐや姫の物語」が封切りになっていた。2つの作品とも二人の監督の若い頃からアニメ作品に込めてきた「この世は生きるに値する」というメッセージを伝えるものだという情報を何かで読んで、それだけで泣けた。

女子高時代のお仲間がノベライズ本を貸してくれたので読んだが、キャッチコピーの「姫の犯した罪と罰」とは一体なんなのか、よくわからなかった。

そんなに気乗りのしなさそうな娘をくどき、今日ようやくMOVIXさいたまで観ることができた。
それでも観た直後は消化不良のまま。
こういう場合、私はしばらく頭の片隅で反芻を繰り返している。
そして、さきほど、ハッと思い当った!そうか、最後の月に帰る場面の違和感に意味があったんだ!!

以下、それについて書く。まずは作品全体の概要は以下のところを参照いただきたい。あらすじは省略しても大丈夫かな?
Wikipediaの「かぐや姫の物語」の項はこちら

「この世は生きるに値する」というメッセージを伝えるものだという情報は大きな手掛かりとなった。
そして最後の月に帰る場面の違和感。月の世界からの迎えがまるで雲に乗った阿弥陀如来の来迎図なのだ。どうしてここで仏様が迎えにくるのか?それもまるで、エンヤの音楽のように癒しの雰囲気ではあるが軽すぎる。茶化しているように感じてしまった。
そして、姫の台詞を耳から聞いた印象を反芻し、思い当ったのだった。

そう、彼岸の世界から此岸(現実のこの世)への憧れを抱いてしまった姫は、この世の世界に落とされた。「それでは悩みの多い現実世界に暮らしてみよ」ということだ。
「竹の子」のように異界からの姫は赤ん坊から子どもへぐんぐんと大きくなり、幼馴染の仲間のうち「捨丸にいちゃん」への思慕を抱くようになったが、翁は都に姫を移して高貴の姫君として育て上げた。姫君教育の中でやがて娘になったが、翁がそれこそが姫の幸福であると固く信じた屋敷の中の「深窓の姫君」となることを強いられる。媼には心癒やされるものの、翁には逆らえずに自由に生きることを自制してしまう。屋敷を飛び出す場面は幻。

5人の求婚者への無理難題、それぞれが失敗に終わるが、石上中納言の死は堪えた。そしてついに帝からの求婚。抱きすくめられて思わず、この世からの救済を願ってしまった姫。
そう、これこそが「罪」なのだ。「生きるために生まれてきたのに」という台詞。「生きる」とは自分で主体的に生きることであったのに、育ててもらった翁への恩義から自分を殺してしまった。そうしておいて我慢ができなくなったからと彼岸への救済を願ってしまったことが「罪」。
「罰」は、自分が安易に救済を求めた彼岸へと無理矢理と連れて帰られること。だから、来迎図のような雲に乗った如来がやってきて無言で彼女の記憶を消し去って連れ帰ってしまうという場面として描かれているのだろう。これは実は高畑勲の痛烈な皮肉なのではないだろうか。
その直前に捨丸と再会し、「一緒に逃げよう」とまで言ってもらえて二人で空中を逃避行する場面も最後には幻で終わる。姫の本音の行動はいつも幻のままというのも切なく、象徴的でもある。

以前、月の世界に住んでいた頃、地球を見て泣く天人がいたという。記憶は消されたはずのに、それでも悩み多かった此岸の世界で生きた記憶の片鱗が浮かぶとき、涙が浮かぶのだ。月に帰る姫が振り返って涙を浮かべるのも同じことなのだろう。

さてふりかえって、私はどうか。最近、救済を求める気持ちが強くなっているのではないか?そういう「罪」を重ねつつ、本格的な「罰」はまだしばらくきそうにもない。小さな「罰」が続いているのかな?
大晦日に自転車で転倒して欠けた前歯は詰め物も全部とれてしまい、重症化してしまった。どうにも痛いので市のガイドブックで休日診療所の電話番号を調べて連絡し、1/4(土)にやっている歯科医院の情報をいただいて、午前中に応急手当てをしてもらい、痛み止めと抗生剤を処方してもらった。これはもう抜かないとダメでしょうという診立てで、1/6は初出勤前にかかりつけの歯科クリニックに行かねばならない。

おせちの蒲鉾ですらガブリとやれないストレスで、映画を観る前にデニーズでふじ林檎パフェまで食べてしまった(娘と分けたが・・・)。

帰宅後は、今日も軽く晩酌。常には晩酌をしないし、歯痛を抱えながらよいのかという感じだが、おせちを並べていただきもののグランドキリンと残り物のワインを飲む。ワインの方は娘からリピート却下(苦笑)
まぁ、晩酌しながら頭の片隅で反芻していてひらめいたのでよしとしよう。

さて、明日はいよいよ年末年始休暇最後の一日だ。やるべきことをしっかりやるつもりだ。

13/08/27 映画版「科学忍者隊ガッチャマン」は報復の連鎖批判を評価

2013-09-13 23:59:19 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

1972年から1974年まで毎週日曜日の午後6時から30分はテレビの前に釘づけだった。「科学忍者隊ガッチャマン」を観るためだ。地球征服をたくらむギャラクターは最終的に地球を滅ぼす最終作戦に及び、それを科学忍者隊のサブリーダーのジョーの放った羽根手裏剣が止めるという最終回には滂沱の涙となり、翌日の中学の生徒会本部室でもその話題で大盛り上がりだった。私ともう一人の男子の副会長くんとで熱い会話をしたのを覚えている。
Wikipediaの「科学忍者隊ガッチャマン」の項はこちら
冒頭の写真は、ネット検索でみつけたDVDの「科学忍者隊ガッチャマン BOX」

シネコンのMOVIXでポイントカードが廃止になってしまうということで、8月末までしか付与されない最終ポイントをつけるべく、レイトショーで映画版「科学忍者隊ガッチャマン」を観た。

ケン役の松坂桃李やジョー役の綾野剛はかなりのお気に入りなので絶対に観ると決めていて、作品自体についてよく調べないで行ったので、オリジナルストーリーであることも観ているうちにわかってきた。
あきらかに日本人ではない人物まで日本の俳優でキャスティングしていて興ざめなことも多く、一番最悪だったのはストーリーでテレビアニメ版の格調高さはどこに行っちゃったの??状態になってしまった。
松坂クンや綾野剛の可愛い姿を見ることができたので、金を返せとは言わない。そのためにプログラムも買ってしまったくらいだからそのミーハー度は推して知るべし(笑)

しかしながら一箇所だけ「おおっ」と感心したところがあった。変身中のベルクカッツェが立てた作戦を陥れたナントカ博士に語る場面で、「人間は報復の連鎖という愚かなことをする」というようなことを言っていた。その通り!!

「報復の連鎖を断つ」というテーマで井上ひさしが9.11後の報復のための戦争に走ったアメリカへの痛烈なメッセージとして「ムサシ」を書き、蜷川幸雄の演出の舞台はニューヨーク公演まで果たしたのだった。

アメリカはイラク戦争から何も学んでいないとみえて、今度はシリアの内戦を「世界の警察」のつもりで武力介入すると言い出している。イギリスの議会は首相の武力行使参加を否決し、ロシアのプーチンにもG20でうまく仕切られて、武力行使に慎重にならざるをえなくなっているのが溜飲を下げる。
日本の対米追随の姿勢が恥ずかしい。憲法解釈の変更で「集団的自衛権の行使がゆるされる」ということになってしまったら、アメリカのこういう理不尽な武力行使にもこれまで以上に本格的に巻き込まれることになってしまう。

娘が今はやりの萌えキャラの軍艦娘のスマホゲームにうつつをぬかしているのをみると、愕然としてしまうが、そのゲームは70万人が夢中になっているという。
まずいぞ、まずい・・・・・・。

13/07/28 母娘三代でジブリの「風立ちぬ」を観て食事とスイーツ

2013-07-31 23:59:02 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

参議院選挙投票日の夜に私の神経を逆なでして激怒してしまった母をようやく赦す気持ちになってきた頃に珍しく母から電話がかかってきた。携帯は壊れていなかったからという連絡で謝るという気持ちは全くなさそう。それでもまぁいいかと思って、日曜日に天気とお互いの体調がよければさいたま新都心のシネコンでジブリの映画「風立ちぬ」を一緒に観ようということにしていたら、条件が揃った。

ついでに娘も一緒にくることになり、母娘三代が久しぶりに揃う。娘に映画の座席指定チケットを買いにやらせてデニーズで順番待ち。ランチをして、ヨーカドーものぞいて15:10からの上映回へ。観た後もまたデニーズに行って私と娘はスイーツを、母は夕食を食べて帰って行った。冒頭の写真は「風立ちぬ」のプログラムと桃のミニパルフェを欲張って一緒に撮影したもの。
 
シネコンには数種類の大型ポスターが貼りだされており、そのうちの1つが以下の画像のもの。

飛行機の残骸が単体のものと死屍累々状態のものが使われていて、ゼロ戦賛美のスタンスではないことがはっきりと打ち出されている。82歳の母にはちょっと難しかったようだが、自身が体験した3月10日の東京大空襲と重なったという場面もあった。

主人公堀越二郎の精神的な師匠であるイタリアのカプローニが「飛行機は戦争のために使われる宿命を背負った呪われた夢」というようなことを言う台詞があった。また、飛行機の残骸が死屍累々と横たわる大写しになる場面は衝撃的で、飛行機が並んで残骸になるということは滅多にないだろうから、これが人間だったらとイメージしてしまい、ゾッとした。美しく空を飛ぶというイメージと表裏一体!
しかしながら、きちんと堀辰夫の「風立ちぬ」のヒロイン菜穂子をもってきて二郎との恋愛・結婚も盛り込まれた30数年の物語は、従来のファンタジー作品とは別の次元の作品になっていた。
「大正大震災」「昭和の恐慌」「戦争」の3つが今の時代とまさに重なってくる。さすがにジブリは今の時代に合わせてきたなぁと痛感。

しばらく映画を反芻して、いろいろ考えるつもり。
さらに9月公開の高畑監督の「かぐや姫」の予告編に引きつけらた。姫の表情が凛々しい!これは絶対観ないといけない!!

13/07/15 娘の大学での面談と映画「モンスターズ・ユニバーシティ」を観てきて思うこと

2013-07-15 23:59:21 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

7/15は海の日だが、私立大学は祝日でもやっている。月曜日に祝日を移動させて連休にするようになってから月曜日の講義にしわ寄せがくるので開講日にしているらしい。
それで仕事も休まずにすむので、娘の指導教官との面談日程をとっていただいて今後のご相談をさせていただいた。先生からは学力的には問題がないとのことで、私からは娘のメンタルの病状をご説明。本人はせっかくだから続けたいと思っているけれど、鬱がひどくなると家を出る気力もなくなってさらに自分に自信をもてなくなるという悪循環に陥っているらしい。
通院しつつ、7・8月も学校のカウンセリングルームでのカウンセリングもしていただきながら、秋に向けて気持ちの準備をしていくことになった。

続けてカウンセリングルーム(談話室)につないでいただき、カウンセリングの予約を来週でお願いすることができて安堵。談話室の階下にはひとりでゆっくりできるスペースもあり、友達といることができない時はここでゆっくりさせてもらえるとのこと。
なんと隣が保健室で、常連さんになっていたのに隣の部屋の利用などは思いもよらなかったらしい。保健室で養護の先生に頭痛薬をいただいて久しぶりのご挨拶もして、励ましていただいて、母娘ともにようやくなんとか頑張れそうな雰囲気になった。

帰りにJRでさいたま新都心で下車。映画「モンスターズ・ユニバーシティ」を観てきた。「大学に続けて行ってきちゃったねぇ」と娘と二人で笑いあった。
前作の「モンスターズ・インク」も娘と一緒にて大いに楽しんだ。私は「俺はまだ本気出してないだけ」の方がよかったのだが上映回数が一日一回になってしまったのであきらめた。

結果的には「モンスターズ・ユニバーシティ」で正解。サリーとマイクが出会って親友になった学生時代を描いた続編なのだが、最後にモンスターズ・インク(会社)に就職するまでが描かれて、前作につながっている。
サリーとマイクがモンスターズ・ユニバーシティ「怖がらせ学部」に入学するが、マイクはキャラがちっとも怖くないので、どんなに頑張って怖がらせる理論と技術を身に着けても見込みなしとレッテルを貼られる。サリーは名門一族の出身の自信家で秀才肌のマイクを馬鹿にしている。二人の喧嘩がもとで学部を追い出されるが、ユニバーシティの中の最底辺の落ちこぼれ集団に加わって、「怖がらせ大会」で優勝することで面目をとりもどそうとする。
マイクが作戦を練ってメンバーの必死の努力、チームワークのレベルアップで勝ちあがり・・・・・・となる中で、サリーの抱えた問題も明らかになる。
最後の二人の苦闘の中でお互いが一気に成長し、信頼関係が築かれて・・・となっていくのが観ていて気持ちがよい。
そして最後には二人そろってモンスターズ・インクの花形職種「怖がらせ屋」になったところを見届けられるのが他愛もなく嬉しい。

サリーとマイクのように、我が娘も自分に自信をもって生きていけるようになって欲しいという願いを重ねてしまう。
それを私もちゃんとサポートする力が発揮できますように!気力体力が続きますようにと祈る気持ちで連休が終わる。
明日からまた仕事。次の週末は参議院選挙だ。
娘のような社会的弱者をきちんと包摂してくれる社会になっていってほしい。その願いの実現を促進できるように、少なくても大きく阻害するような結果にならないでほしいとそれも強く祈っている。

13/07/03 「映画 日本国憲法」上映会&監督講演会で「憲法停止」概念に戦慄する

2013-07-09 23:13:06 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
冒頭の写真は『「映画 日本国憲法」読本』の表紙だが、この画像には写っていない吉永小百合さんの推薦の言葉が載った金色の帯がついている。そこには以下の言葉が書かれていた。
「日本が世界一強力ですばらしい武器を持っていることを知っていますか。それは憲法第9条です。『「映画 日本国憲法」読本』を読んで下さい。世界一の武器の秘密を教えてくれます。」
「映画 日本国憲法」は2006年9月に一度観ているが、会場がわかりにくくて遅刻してしまい、冒頭を観ていなかった。そのため、今回の企画のお誘いをいただいた時に即決した。前回の感想はこちら
そういえば、安倍が首相になって「憲法改正」と声高に言い始めていた頃に観たのだった。その後、2007年夏の参議院選挙で惨敗して辞任。それが昨年末の衆議院選挙で民主党が惨敗した後でゾンビのように首相に返り咲いた。そして自民党に代わる政権党としての民主党に寄せられた国民の信頼が冷めてしまった後での今回の参議院選挙。その公示日前日の上映会&監督講演会となった。そして冒頭の読本も入手した。
この本については、法学館憲法研究所というところでの紹介記事がわかりやすい。

「映画 日本国憲法」を2回目に観た中で印象に残ったことの1つ目。「今の憲法は押しつけだから改正が必要だ」という改憲勢力の言い分について。
大日本帝国憲法は天皇の主権に基づくもので、アメリカ占領軍GHQは当時の幣原内閣に改正案を提出させたが、松本国務相が中心になってまとめたその改正試案は天皇に主権をおいたままのお話にならない保守的な内容だった。出演者のひとり、日高六郎さんが毎日新聞がスクープした松本試案に家族であきれた話をしていた。

そこで日本の非軍事化を強く進めようとしたマッカーサーがGHQのスタッフに1週間以内の作成を指示し、松本試案の拒否とGHQ案を提示したのだった。スタッフたちは世界の先進的な憲法の条文とともに戦後、民間組織でつくられていた憲法案を手に入る限り集めて必死に草案を作った。その様子をベアテ・シロタ・ゴードンさんが語っている。C・ダグラス・ラミスさんが語った言い方がまさにぴったりする。「日本国憲法を政府に押しつけたのは、数か月の間だけ続いた占領軍と日本国民による一種の短期同盟でした。同一の目的をもつ彼らが、政府の権力を制限する憲法を日本政府にのませたんです。だから現在に至るまで、政府の人々の立場からすると、押しつけられた、彼らの権限を制限している、と感じるのでしょう。(中略)また、これだけ長続きしているのは、日本の人々が政府に押しつけ続けてきたからです」

ジョン・ダワーの話。「1947年に日本国憲法が施行され、翌48年には中国に共産党政権が樹立されることが確実となり、東西の緊張が激化する中で1949年に中華人民共和国が誕生し1950年に朝鮮戦争が勃発。その頃にはアメリカ側も日本の再軍備を臨むという政策転換の上で、第9条の改正の圧力を明確にかけてきた」という。
元CIA顧問のチャルマーズ・ジョンソンの話。「日本人は自国の憲法にもっと誇りをもつべきです。日本国憲法は、言うまでもなくアメリカ占領軍が思いついて作成したものではありますが、1950年代の反戦運動などで日本社会に深く根ざすようになりました」
朝鮮戦争が休戦になる前の1951年、自由主義国家陣営とのみ講和するサンフランシスコ平和条約と日米安保条約がセットで締結された。この日米安保体制こそがアメリカの押しつけだということ。

ダワーの話。「問題なのは、平和主義的な政策を固守しつつも、アメリカの政策に完全に従属してしまったことです。アメリカの政策に追従するだけで、真の自治を放棄してしまった。そのことが問題なのです。」
2つ目は、憲法改正は国内問題ではなく国際問題だということ。ジョンソンは、第9条を日本の第2次世界大戦中の侵略行為への謝罪だと言う。「憲法第9条を破棄することは、謝罪を破棄することにほかなりません。そうなれば中国でも、東南アジアの華僑社会でも、朝鮮半島でも『日本はほんとうに謝罪したのか、戦争犯罪の重さをほんとうに理解する気があるのか』という問題が再燃するでしょう。」中国や韓国の出演者がまさにそのことを語っている。

そして上映会後に続いた、ジャン・ユンカーマン監督の講演が流暢な日本語で温かなお人柄が滲み出ていて実によかった。日本在住とのことでその経緯は以下のように映画のチラシの「監督のことば」にあった。
「私が初めて日本を訪れたのは1969年のことである。その頃、ベトナムのジャングルでは50万人以上のアメリカ兵が戦っていた。私は16歳だった。当時のアメリカには徴兵制があったから、いずれは自分も不当で無節操な戦争に参加しなければならないという不安を感じていた。日本の平和憲法は、アメリカにあふれ返る軍国主義と明確な対照を成す、悟りと知恵の極致のように思えた。そのことが日本にいるといつもやすらぎを感じられた理由の一つであろうし、私が長い間、日本に住み、日本で子どもたちを育てようと決めた大きな理由ともなっている。将来、私の子どもたちが、平和憲法をもつ国で子どもを育てる道を選択できなくなるかもしれないと考えると、恐ろしくてならない。」
 この映画をつくった頃の改憲の動きには、全国各地に「9条の会」ができ、その集まりで上映された。そして憲法改正反対の世論が多数派となり、政権交代もあって改憲の動きにストップをかけることができて希望をもつことができた。ところが今回の自民党の憲法改正案をみると、ゾンビどころかエイリアンというようなもっと恐ろしい改正内容が多岐にわたって盛り込まれている。
 そのひとつが「憲法停止規定」があるということ。第一次世界大戦後、ワイマール憲法という当時もっとも民主的な憲法をもったドイツがどうしてまた軍事独裁国家になったかというのは、「憲法停止規定」があったからで、大統領にその権限を与えてしまったことからだ。30数回の憲法停止があり、権力を握ったヒットラーが永久停止をしてしまった。自民党の改正案にはこんな規定まで盛り込まれている。憲法改定規定の96条を変えようとしているのは、自民党もさすがに一回の改定ですべてを変えることができないとわかっているので、今後の選挙で3分の2の議席がとれなくなっても少しずつ時間をかけて多岐にわたる改正を実現しようと考えているのだというご指摘だった。
 前回の時と異なる希望は、前回の時の上映会には50代以上の参加者が多かったが、今回は若い世代の参加者がかなり見受けられることだというお話に会場がどっと湧いた。
 監督ご自身は、続編として沖縄で映画を製作中とのことだった。やはり日米安保体制の一番のしわ寄せは沖縄にある。そこを問う作品の完成を待ちたい。
 しかしながら、「憲法停止規程」ということにはいろいろと考えさせられた。つい先だってのエジプトのクーデターで権力を握った軍部は、選挙で選ばれた大統領を拘束し、憲法停止を宣言した。大日本帝国憲法には天皇に非常大権があったが、適用されたことはなかったらしい。「国家緊急権」の概念だが、それが必要とされるのはクーデターの正当化の時くらいらしい。イギリスの名誉革命以来、国民が国家権力を制限するために「憲法」が生まれたのであり、国民に主権があるというのはそういうことだ。自民党の憲法改正の発想は国家権力に主権をもたせ、その中で国民を縛るものにするという本質がここに明確にあらわれているように思えた。
 今度の参議院選挙で、改憲勢力に3分の2を渡してはならないという思いでいっぱいである。

以下、参考情報をリンクしておく。
Wikipediaの「ヴァイマル憲法」の項はこちら

13/06/22 サイエスタでランチ、「レ・ミゼラブル」で我が家初のブルーレイ

2013-06-22 23:59:10 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

我が職場の職員寮が与野にある。そこに住んでいる後輩のMさんに先月中旬に東京方面から帰ってくる電車の中で遭遇。まったく偶然に隣席に座ってお互いにびっくりした。それがご縁で与野のお仲間としてランチでもしようということになり、日程調整の末に本日「サイエスタ」でランチ!
午後1時に待ち合わせして、娘も合流。雲がたくさん広がっていた空は晴れて、お庭の木々に陽の光が差し込んで美しい。

女性3人で座卓席でおしゃべりしながら盛り上がった。自然酵母のパンも店長さんをはじめスタッフさんたち、店内の雰囲気もみな気に入っていただいたようで、お一人でものんびりしに来てみたいとのこと。「サイエスタ」ファンが増えたようで私も嬉しい限り。
2月の親知らず抜歯前の「サイエスタ」ランチの記事はこちら

食事が終わったら娘はさっさと帰ってしまったが、Mさんと私はゆっくりまったりとおしゃべり。
我が家の前までお付き合いいただき、映画に一緒に行く約束だった娘に確認したらお昼寝中。夜にちゃんと眠れなかったらしい。生活のリズムが狂ってますなぁ(溜息)

駅前のコンビニでアマゾンから届いている、6/21発売の「レ・ミゼラブル」のブルーレイを引き取りにだけ行くことにして、Mさんを送りつつ、最後までおしゃべり。女子仲間というのはとにかく話が続くのが男子にはわからない世界らしい(苦笑)
お付き合いいただいたMさんに感謝!またの機会にランチいたしましょう。

実は我が家でブルーレイを買うのは初めてなのだ。歌舞伎等の場合、ブルーレイはなくてDVDだけだったりする。初回生産限定商品(豪華フォトブックとデラックス版サントラCD2枚(42曲収録)付き)にも心が動いたが、モノを増やしたくないという思いが強くなっていたので、ブルーレイ(デジタル・コピー付)にしたのだ。珍しく娘もシンプルバージョンでいいというし(^^ゞ

先ほどから早速ながら見しているが、さすがに画質がよくきめ細やかな映像に感心至極。昨年のクリスマスイブに映画館で観た時は、日本語字幕観賞となったが英語字幕で観ることができるのも嬉しい。
やはり歌の鑑賞だけだともの足りないが、映像と一緒に鑑賞するとトータルの魅力があるなぁとあらためて痛感させられた。
全部観ると遅くなるので、そろそろやめよう(→結局全部観てしまった!)
明日は、実家の冷蔵庫がそろそろダメになりそうと母親から一緒に買いに行って欲しいというリクエストに応える予定。北本の妹2もツレアイくんとともに付き合ってくれることになり、心強い。ちゃんと昼集合に遅れないようにしなくっちゃ(^^ゞ

(追記)
実は韓国2泊3日旅行から戻った翌日も「サイエスタ」ランチでお茶をしている。玲小姐さんのオツレアイが近所の口腔保健センターで治療を受けている間にご一緒したのだった。池田理代子が「ベルサイユのばら」の後で描いた「オルフェウスの窓」全巻を貸していただくことになっていたのもまとめて持ってきていただいた。
いろいろと読みたいものがあるのというのもいいことかなぁ。

13/05/04 実家の母と「舟を編む」を観て二人ともしみじみ感動!

2013-05-05 23:59:39 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

なんだかんだと実家の母を連休だというのに放置しすぎるのはまずいと勘が働く。介護保険のリハビリサービスは祝日はなくなるので、家で一人になると精神不安になっているだろうと電話を入れてみたら案の定だった。

ひさしぶりに映画に誘い(「東京家族」以来かな)、さいたま新都心まで出てきてもらい、この日も「相棒」が満席だったので代わりに「舟を編む」を観た。
「舟を編む」公式サイトはこちら
MOVIXのサイトより、以下、あらすじを引用。
玄武書房に勤務する馬締光也(松田龍平)は職場の営業部では変人扱いされていたが、言葉に対する並外れた感性を見込まれ辞書編集部に配属される。新しい辞書「大渡海」の編さんに従事するのは、現代語に強いチャラ男・西岡正志(オダギリジョー)など個性の強いメンツばかり。仲間と共に20数万語に及ぶ言葉の海と格闘するある日、馬締は下宿の大家の孫娘・林香具矢(宮崎あおい)に一目ぼれし……。
「映画.com」での作品情報はこちら

マジメくんとカグヤさんの不器用な恋も、西岡とその彼女(池脇千鶴)が同棲から結婚へと勢いがつく様子が「ダサイ」と表現されながらも、いずれも微笑ましくハートウォーミングなのもよかったが、辞書編纂に関わった人たちの骨太のドラマだった、長い年月をかけて一つの仕事を成し遂げる姿に目頭が熱くなった。最後の人海戦術の修羅場もよかったけど(^^ゞ
一緒に観た母にも喜んでもらったようで、最後は隣で涙をすすっていた。「相棒」を観るよりもよかったねぇと二人でしみじみした。

編集主幹の松本朋佑役の加藤剛の存在感に唸った(「日本の青空」「日本の青空Ⅱ」を思い出す)。ベテラン編集者で定年で職場を去り、妻を看取ってから嘱託で再度参加した荒木公平役の小林薫もいい。対極に不本意に異動してきた岸辺みどり役の黒木華もNODA・MAP「表にでろいっ!」を思い出す。下宿の大家の渡辺美佐子、松本の妻の八千草薫も贅沢なキャスティングだった。

冒頭の写真は、プログラムの表紙。「編む」ということで、辞書の紙と紺色の紙を編んだデザインが洒落ている。左に写っているのは、GWに片づけをしている中でみつかった娘の中学時代の美術の作品の作りかけで、ちょうど2色の紙を編み込むというのがわかりやすいので、添えてみた次第。
プログラムにシナリオが収録されているのも珍しく、読むところが充実していてこれからじっくり読むつもりだ。

(5/7追記)
Bunkamuraの方から渋谷駅方向に歩いていたら、黒木華さんとすれ違った。岸辺みどり役のような髪型だったが薄化粧だった。舞台も観ているし、NHKの朝ドラ「純と愛」で純の同僚で表裏のある女性を演じていたのを毎日観ていたので、十中八九間違いない。注目の若手女優の一人だ。

13/03/23 堺雅人主演「ひまわりと子犬の7日間」に泣かされる

2013-03-23 23:59:47 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

とにかく今日は気晴らしで映画を観に行くことにしていて、できれば本日公開の「相棒 X Day」を観ようと思っていた。娘がつきあってくれるということだったが、外出するのがおっくうのようで結局家を出たのは2回目の上映回になんとか間に合うかという時間になり、案の定売り切れ!
封切り初日は企画付き3回めの上映回が売り切れになっていて、その次だと遅くなりすぎということで、第2案にしていた「ひまわりと子犬の7日間」をデニーズランチの後に観た。

宮崎県の保健所で起こった実話に基づいた映画で、原案は山下由美の『奇跡の母子犬』(PHP研究所刊)。あらすじについてネット検索で映画情報のサイトをいろいろ探したが、けっこういい加減な内容になっているものが多くて驚く。「天神サイト」の映画『ひまわりと子犬の7日間』堺雅人さん&平松恵美子監督インタビュー記事にあるものが正確で、ライターのJUNさんに感服m(_ _)m
以下、引用してご紹介させていただく。
「2007年、冬の宮崎。保健所職員の神崎彰司(堺雅人)は、一匹でも多くの犬を助けようと、日々新しい飼い主探しに奔走していた。そんな中、とある母犬と子犬が収容された。母犬は近寄る人すべてに激しく吠え、懸命に子犬を守ろうとしていた。その母性の強さから、彰司は母犬がかつて人に飼われ、愛されていたはずだと確信する。しかし、人になつかない犬は新しい飼い主に受け渡すことができない。犬たちの収容期間は7日間だが、その期間を延長するというルール違反をしてまで、母犬の心を開こうと奮闘する彰司。その間も、犬たちの命の期限は刻一刻と近づいていた―。」

主な配役は以下の通り。
神崎彰司=堺雅人 神崎琴江=吉行和子
神崎里美=近藤里沙 神崎冬樹=藤本哉汰
神崎千夏=檀れい 五十嵐美久=中谷美紀
佐々木一也=若林正恭 安岡=でんでん
桜井=小林稔侍 松永議員=左時枝
長友孝雄=夏八木勲 長友光子=草村礼子
監督・脚本は「母べえ」「武士の一分」「十五才 学校IV」等で山田洋次監督とともに脚本を手がけ、助監督もつとめてきた平松恵美子で、初監督作品となった。

動物愛護精神が社会の中できちんと位置づけられているような国々ではペットショップで動物を売り買いすることが禁止されている。ペットを飼いたければ然るべきところできちんとした飼い主になれるかどうかを判断されてからようやく手に入るということらしい。
日本ではペットショップで流行の種類の犬や猫などに高額な値段がつけられて売られており、それをあてにしたブリーディングが行われる。生まれてから数週間が可愛いということで、それで買い手がつかなかったり、需給バランスがとれなかったりして相当な動物の命が抹殺されている。
そういう中でも飼い主がいないペットの命を大事にしようと、里親探しの運動があちこちで取り組まれているということまでは知っていた。

この作品の主人公の神崎彰司は、保健所の動物保護管理の部署で野良犬や飼い主が放棄した犬を決められた日数(それが7日間!)保護して、引き取り手が現れなければ殺処分するという仕事をしている。(プログラムによると2010年度、全国の地方自治体に持ち込まれた犬は87,119匹とのこと!)
さすがに精神的に負担が大きい仕事ということからか、管理所勤務は月単位の交代制になっている。神崎の担当の月の餌代が他の月に比べて多すぎることから殺処分までの期間を伸ばしていることが上司の桜井にバレて締め付けが厳しくなった時期に、母子の犬が収容されたのだった。
さらに家では思春期に入った娘に殺処分までしている仕事のことがわかってしまい、口も聞いてもらえなくなるという事態に直面し、悩む主人公を堺雅人が好演。

彰司の幼馴染で父の跡を継いで獣医になっている五十嵐美久が娘との間をとりもってくれる。神崎が攻撃性が強い母犬についてはあきらめていたのを、愛する子犬を守るために闘っているのだから母子を引き離さないでと懇願したのは娘だった。5年前に交通事故で亡くなった母親と母犬が重ねあわされたのだ。
そこでなんとか母犬の人間不信を解こうとする神崎と娘が「ひまわり」と名づけた母犬との間に気持ちが通うようになるのを、よくぞここまでうまく描き出したものだと感心し、涙腺が決壊する。
「ひまわり」の子どもを愛する気持ちが強いのは子どもの時に飼い主に深く愛されたからではないかと想像し、子犬の時のドラマが冒頭に無声映画のように展開するのがよく、農家の老夫婦の夏八木勲・草村礼子のお二人が台詞がないのに実に温かい。愛情にあふれる眼差しと心情があふれて「ひまわり」に注がれた涙のしずく、これを心に刻んでいたことから最後の奇跡が起きるという展開に納得させられてしまう。

仕事に腰掛け気分で臨む年下の同僚の佐々木一也(漫才コンビのオードリーの若林正恭)が一人浮いた存在で笑わせるのは、寅さん的な役回りということもあるらしいが、彼の成長も微笑ましい。
同じお笑い出身のでんでんが心優しい先輩の安岡、小林稔侍がルールに厳しい如何にも管理職の桜井という配置もうまい。
「ひまわり」とその子犬が彰司たち一家の家族になり、地元女性議員の松永(左時枝)が巻き込まれるように関わったことで、里親探しの取り組みが強められるというホッとできる結末で観終われたことに安堵・・・・・・(また泣く)。

彰司の母は先に引き取っていたプリンとココアにも冷たく、犬が好きではないのかと思われていたが、実は先に死なれるから情をかけないようにしていたことが判明。老い先短いからそういう我慢もやめたというのが可愛く可笑しかった。吉行和子は先日母と観た「東京家族」でも老いた母の役で好演しており、ちょうど今貴重な存在の女優さんなんだろうと納得した。

獣医の美久の中谷美紀は、人気TVドラマ「仁」での花魁野風の役が記憶に焼き付いているが、毅然とした美しさがこちらでも映えていた。彰司とはあくまで恋愛モードにならない設定も新鮮だったかな(^^ゞ

さて、堺雅人は私の贔屓の俳優の一人で、大河ドラマ「篤姫」でブレイクする前から舞台「喪服が似合うエレクトラ」で注目していたし、その後の映画「クライマーズ・ハイ」「南極料理人」「ゴールデンスランバー」、「武士の家計簿」、「ツレがうつになりまして」、「鍵泥棒のメソッド」、「大奥~永遠~」とちゃんと観ている。劇団☆新感線での「蛮幽鬼」もよかったなぁ。
笑うと仏様のような慈愛を感じさせるソフトさがありながら、鬼神のようにも振る舞える表現力の幅が広いのが魅力的。舞台でもよく通る声で口跡がよい。
よしながふみの漫画が原作で男女逆転の「大奥」は、八代吉宗での映画化第一作からしっかり観ているが、昨年の三代家光でのTVドラマと五代綱吉での映画版の連動企画のうまさに感心至極だった。そして昨年の方は堺雅人が時代を超えて似ているが性格の違う男の二役を演じたことで魅力が倍増したことが大きい。

そうしたら、綱吉役の菅野美穂と結婚するとのこと!菅野美穂は贔屓の女優であり、「大奥~永遠~」での共演が実によかったので、納得のカップル誕生に嬉しくなった。これでお二人がますます活躍されることも期待したいと思う。

それにしても、堺雅人が宮崎出身であることを知らないでキャスティングしたらしいが、堺のダメ出しは方言指導の先生より厳しかったという。その宮崎弁で広がる世界が実に温かかったことも書いておきたい。

12/12/24 クリスマスイブに観た映画版「レ・ミゼラブル」で目が痛くなるほど泣く(T-T)

2012-12-24 23:59:25 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

クリスマスイブに女子高仲間とのランチ会で、さいたま新都心のデニーズに集合。今日は3人となったが、家族やら仕事のことやら近況を話し込む。
娘は大学の友達と2人で先に映画版「レ・ミゼラブル」を観終わり、携帯にメールが届いた(私はその次の上映会で観るため)。
「ハンカチ忘れないようにね!」
あっ、ハンカチないかも?と騒いでいたら、玲小姐さんがお懐紙をわけてくれた。感謝!

【映画版「レ・ミゼラブル」】
ミュージカルの「レ・ミゼラブル」は、日本初演の大阪公演から長く観ていたが、20周年記念公演で封印としていた。その20周年スペシャル公演の鹿賀丈史ジャベール東京最後の公演のカーテンコールの記事はこちら←こちらに2005年公演のまとめ記事のリンクあり
「レ・ミゼラブル」の映画はリーアム・ニーソン主演版も観ていたが残念ながら満足できず、ミュージカル版の映画化を待ち望んでいた。

公式サイトはこちら
海外盤のCDを買って聞きこんでいた時期もあるので、英語の歌詞も懐かしい。
冒頭のツーロンの囚人たちの「Look Down」から目頭が熱くなってしまう。そういえば、原作でもジャン・バルジャンの強制労働の現場は船だったっけと思い出す。ヒュー・ジャックマンのバルジャンがラッセル・クロウのジャベールに仮釈放を告知される最初のやりとりの歌のレベルにホッとして、安心して観られるなぁとより深くスクリーンの世界に入り込む。
司教様は初演のバルジャンのコルム・ウィルキンソンというキャスティングを知っていたので、見覚えのある顔と声に嬉しくなる。そうか、海辺の司教館というのもビジュアルで観ると感慨深い。

その後、モントルイユ=シュル=メールで事業を成功させ市長にまでなっていたバルジャンの工場で働くファンテーヌのアン・ハサウェイ。美人の上に歌がいいのでまたまた嬉しくなる。「I Dreamed A Dream」の切なさといったらない!アンの母が長く舞台でファンテーヌをつとめたということで母娘二代で同じ役を演じるというのは運命的なものを感じてしまう。
モンフェルメイユのテナルディエ夫婦の宿屋に預けられたコゼットの配役に感心至極。原作の挿絵に使われた絵のコゼットにそっくりな子役のキャスティングだ。コゼットをいじめぬく妻役のヘレナ・ボナム=カーターの怪演にも満足、満足。

コゼットを引き取って急ぐ馬車の中で歌われる「Suddenly」は初めて聞く曲だが、孤独だったバルジャンが愛し守るべき存在を得たことで初めて味わう人生の生き甲斐をしみじみ歌い上げる。これから長く続く隠棲生活の覚悟を固めるのにふさわしい場面だと思った。

マドレーヌ市長時代に荷車の事故から救ったフォーシュルバンが寺男をしている修道院(尼寺)で、コゼットを育てるという設定を原作通りに加えていたのが最後につながるのもよい。
成長したコゼットとしてアマンダ・セイフライドが登場。マリウスとの出会いで恋に落ちた気持ちをとまどいながら独白する曲はいきなり高音を転がすように歌わなければならず、日本公演で満足できたキャストは少なかったが、アマンダは文句なしだ。挿絵のコゼットがそのまま成長したと思えるような目が大きくて可愛い美人さんだし、マリウス役はちょっと地味だったけれど、歌がよいので「Heart Full Of Love」も満足。
エポニーヌとガブローシュは原作によると姉弟なのだが、舞台でもこの映画でもそのあたりは明らかにしていない。舞台版ではマリウスからコゼットへの手紙をエポニーヌが届けてから死ぬが、この映画版では先にエポは死んでしまい、ガブローシュが手紙を届ける。原作はどちらだったか忘れてしまったが、まぁ大勢に影響はない。

アンジョルラスの俳優はけっこうカッコいい。ABCカフェの場面やラマルク将軍の棺の乗せられた馬車を占拠しての蜂起などの場面は本当に若者たちの正義に燃える昂揚感に否が応でもテンションアップ。
志願兵としてジャベールとバルジャンは砦にくるが、ジャベールは先にスパイとして捕まっている。最初の攻撃で果たした功績でバルジャンはジャベールの処分を任せてもらうが、ここの2人のやりとりもまたいい。牢獄生まれでそのコンプレックスを法の番人として生きることで自分を保ってきたジャベールという男のゆらぎをラッセル・クロウがうまく見せる。
愛するコゼットの心を奪ったマリウスという男を確認にやってきて、若者たちの心情に打たれ、マリウス自身もまるで我が子だし、コゼットを託す気持ちになって歌う「Bring Him Home」にもバルジャンの父性の深化を感じとれる。ここがあるから、被弾して瀕死のマリウスを下水まみれになって救うというビジュアル的にはかなりきつい場面も乗り切れる。
下水道でテナルディエが自分の人生観を歌い上げる場面はカット。
砦が落ちた後でジャベールがガブローシュの亡骸に自分の勲章をとってつけてやる姿に驚く。ジャベールの心がこれまで持ったことがなかったような人間らしい気持ちの芽生えに動揺している。

下水道から出てきたバルジャンとの最後の対峙で、逮捕を強行できなかった自分。これまでアイデンティティクライシスからの自殺というように捕えてきたが、今回は、もう一つの当たり前のことに気が付いてしまった。神の道を生きていると過信するくらいだったジャベールが自殺するということにはもう一つの大きな意味があるはずだ。キリスト教では自殺することは許されなかったはずだ(「ハムレット」のオフィーリアの弔いでもそういう件がある)。それをわかった上での自殺は、神による救済までを拒否するという深い絶望に落ちたということだ。
同じように「レ・ミゼラブル」=惨めな人々として生まれた二人の対照的な最後がくっきりと描かれている作品なのだ。

仮釈放中を逃走している罪人として姿を隠すバルジャンの居場所が何故わかったかが舞台では明らかになっていない。映画版ではきちんと説明があった。結婚式にきたテナルディエがマリウスに居場所をサツにたれこむというのを白状させた。
コゼットを育てた修道院だった。ファンテーヌの魂が迎えにきているバルジャンのもとに駆けつけたマリウスとコゼット。
映画版では亡骸から抜け出た魂が祭壇へと近づくとそこには司教さまがいた!
そして、「Do You Hear The People Sing?」の歌とともに砦に散った若者たちが夢見た蜂起を成功の場面へと続く。ラマルク将軍の棺の馬車を中心にしたバリケードの上で若者たちが旗を振りながら歌い、広場を埋め尽くした群衆が取り巻いている。そのバリケードには市民に化けて志願兵として加わった時の姿のジャベールがいたように思った。ジャベールも救われて欲しいという監督の願いが表現されているのではないかと思えた。

「英国王のスピーチ」も観ているが、監督のトム・フーパーの映画づくりには好感がもてる。人物の感情の動きまでも実に丁寧に拾っている画面になっているのがいい。今回もアフレコではなく、撮影現場での生録音にこだわったという。映像の方の俳優さんだと思っていたキャストの歌のレベルの高さに予想をはるかに上回る満足感を得た。
もうとにかく泣きっぱなしで、懐紙が大活躍。泣きすぎて目が痛い(^^ゞ
帰宅して娘に確認したが「DVD買わないという選択はないね」ということで一致した。映画館でもう一度観るのは体力的に厳しいかも。だってまた泣きすぎてしまうことが確実だからねぇ。