ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

13/01/26 国立劇場初春歌舞伎観劇、写真展観賞後は保育園の母グループ新年会へ

2013-01-31 23:59:30 | つれづれなるままに

1/26の国立劇場初春歌舞伎観劇後、JCIIフォトサロンの林義勝氏の作品展「中村勘三郎―1975~1982―」に行き、夕方から越谷へ娘が保育園の時の母グループの新年会へ参戦(笑)

沢田研二やら山本リンダやらいろいろと歌わされるのが恒例だが、今日は久しぶりにお会いできたメンバーが3人もいて嬉しかった(話し込んでいて思わず泣いてしまうこともあった)。人生、みんないろいろとつらいことを抱えながら生きてきているねぇ。ゾマホン・ルフィンの極まり文句「人生あまくない」は本当だねぇ。

しかしながら2つのびっくりがあった。
その1!
幹事をいつも引き受けていただいているYさんの娘さんができちゃった結婚でママになっていた。結婚式の写真と赤ちゃんの写真を見せてもらったが、ダンナはイケメンだし、女の赤ちゃんは何やらパパ似かなという感じ。うーん、Yさんもおばあちゃんかぁ。
もう一人のYさんは孫が3人だというから別に遅いということはないしねぇ。私はまぁ孫に恵まれるということがあるのかどうかは全く見えてこないけれど・・・・・・。

その2!
久しぶりにお会いできた3人目(仕事の合間に抜けてきてくれたのだった)のTくんママ。Tくんが大衆演劇の役者をやっているという話は以前聞いていたのだが、その写真を見せてもらい、芸名もお聞きした。小さい頃から美男タイプだったが、まぁホントにイケメンになられたようで、感心至極。
芸名は「龍皇成」で、所属事務所のタレント一覧から龍皇成くんの欄はこちら
ご本人のブログもあるのがわかった。
埼玉に巡業でくるとお祖母ちゃんもたくさんのお札を用意してかけつけるという話も聞けて、なんか嬉しかったなぁ。





13/01/23 新しい歌舞伎座は旧観を踏襲しているが3階B席数、激減!(怒)

2013-01-29 23:59:57 | 観劇

冒頭の写真は、23日に新橋演舞場夜の部に行った時に撮影した新しい歌舞伎座の工事現場。右側の小屋根の上に作業員が乗っていて瓦葺の作業中。正面のブルーシートもはずれて、内装もかなり進行していることがうかがえた。先日、1階ロビー絨毯の敷き込みが報道されていたっけ。
歌舞伎座と歌舞伎座タワー(オフィスタワー)から成る複合施設の名称を「GINZA KABUKIZA」と洒落た感じにしつつ、ファサード部分は旧観をよく踏襲してくれていると感心至極。

しかしながら、こけら落し公演のチケット申し込み方法の説明リーフレットを演舞場でもらってきて、座席表が大きく出ていて3階席が大きく変わっていることに驚いた。
両袖が左右ともA席になってしまっている。B席がかなり少ないと思い、家でPCを開いて演舞場の座席表と数えながら比べてみた。
新橋演舞場の3階B席の数=96席

新しい歌舞伎座の3階B席の数=80席

前の歌舞伎座から新橋演舞場での公演になった際も、3階B席の数はかなり減っており、新しい歌舞伎座ができるまでの我慢と思っていた。そうしたら、少ない演舞場よりもさらに減ってしまうのだ。激減といってよい!(怒)

一幕見席は設けてくれたようだが、3階B席を多くしてそちらが売れて高い席が残ると収益を上げる妨げになるとばかりの露骨な席割政策だ。能などと違って歌舞伎は江戸時代にも経済的に豊かな人からそうでない人までが楽しめる娯楽的要素の強い芸能だったはずだ。歌舞伎がこれからも伝統芸能として、さらに時代の変化の中でも生き残れる芸能・芸術であるためには、安い席もきちんと提供して、観客層の裾野を広げていくようにすべきだろう。

松竹は私企業であり、そんな役割は国立劇場が果たせばよいとでもいうのだろうか?
国立劇場も独立行政法人化した後は、採算重視ということになったせいか、大劇場の一番安い席は最上の1列だけになってしまった。そしてその列はやたらと前の列との間が狭くなっている(先日もその列で観たから確かだと思う)。
大学の授業料も官民格差を高い方に揃えてならしたという日本はひどい国だが、文化行政のレベルも先進国の中ではひどいと思う。
「そうだった、もう日本は先進国ではなくなりつつあるのだ」と自虐的に言いたくなる。いろいろと考えると頭にきて眠れなくなりそう・・・。
ここできちんと怒りを表明しておく。こうして電脳社会の中でも声をあげておくことが大切だと思うから。

13/01/25 【謹告】テレビ東京で花粉症患者として映る予定です

2013-01-23 23:59:59 | 医療・介護・福祉など

今週金曜日=1/25夜、テレビ東京の報道番組「ワールドビジネスサテライト」の花粉症特集のコーナーの冒頭で患者として映る予定です(滝汗)
職場の近くの小川耳鼻科で気管支ぜんそくの減感作療法を続けているが、小川先生は何回もテレビの取材を受けているということで、確か一昨年も花粉症特集でテレビに映っていたのを私も偶然見ている。
一昨年2011年も花粉の飛散量が多いという予測で、そういう報道に力が入っていた。ところが3/11の東日本大震災で日本全国、花粉症どころではなくなってしまったという記憶が強く残っている。

現在、日本では減感作療法も保険適用になるのは注射による方法だけで、アメリカで普通に採用されている舌下療法については、大きな医療機関での治験が続いているらしい。確か一昨年もそのような情報を紹介していたと思う。

さて、今回は私が患者として映ってしまうことになってしまった。映りもよくないと思うので恥ずかしいし、無理して見なくていいですしということではあるが、皆様に謹んでお知らせ申し上げる次第。
しかしながら何か大事件等が起これば、予定は変更になるかもしれません。その時はその時で・・・・・・(汗)

テレビ東京の報道番組「ワールドビジネスサテライト」は毎週月曜日~金曜日夜11時から。
公式サイトはこちら
(オンエア後の追記)
「花粉症特集」の冒頭にチラッと患者らしく大人しく映っただけですんでホッとした。見ていただいた方にコメント、メールなどをいただいた。
名古屋の妹、大阪のコメント常連さま、職場には九州からの閲覧来室者までご覧になったとのことで、テレビ東京とはいえ、全国に提携局のネットワークが広がっていて全国的に映ってしまったことがわかった(^^ゞ
まぁ、お世話になっている小川先生への義理が果たせたということで、安堵した。
皆様、有難うございましたm(_ _)m

13/01/16 KISSの日本武道館ライブのチケットも見つかった!

2013-01-22 23:59:22 | つれづれなるままに

高校時代のスクラップブックから、八代目勘三郎の若き日の舞台のグラビア写真が出てきたという記事を書いた。そのスクラップブックのページをめくっていたら、1978年のKISSの日本武道館ライブのチケットも見つかった!

昨年末の12/29にロック関係写真集等にサヨナラの報告という記事に書いているが、ロックグッズ専門店の店長さんに買取りをお願いした際、ライブコンサートのプログラムにその時のチケットの半券も残っていると価値が上がるとのことだった。その時にプログラムをめくって挟まれていないか確認したらなかったのだが、お芝居のチラシや半券を貼っていたスクラップブックの方に残っていた。

今のチケットは扱い業者の統一用紙でプリントアウトされていることが多いが、昔のチケットは特製のデザインでつくられていることに価値があるのだそうだ。
冒頭の写真のように、日によって色も変えてつくられている。3/29の妹が観たオレンジ色の方は半券だが、3/28の私の黄色の方は半券がついたままだ。確か私が3/28に入場する時にもぎりのスタッフに手渡らないまま、人の流れで押し込まれてしまったという記憶が蘇った。
写真に写っていない裏側は、AGFのブレンディの広告になっていて、入場税課税の検印まで押してあった。

そこで、先日の店長さんに普通郵便でよければ送りますとメールでお知らせしたところ、送って欲しいとのことだった。そして送ったところ600円で買い取ってくれるという返信がきたので、それでお役に立てていただくことにした。

冒頭の写真は、KISSのチケットがUDO音楽事務所のチケット袋に入っていたページの上で並べて撮ったもの(1/16に郵送する前に撮影)。
「左隣はSさん、右隣はM先生(フフフ、歴史の先生がロック好きだったのだ)。近くからナイロンを裂くような美声にマイッタ!」とメモ書きされていた。絹を裂くような声って書きたくなかったんだっけ。けれど実際は絹もナイロンも裂く音を聞いたことはない(笑)

ところが今、この記事を書くためにスクラップブックをひっくり返していたら、1979年QUEENジャパンツアーの4/14のチケット(黄色で「バイシクル・レース」のイラスト入り)も変なところから落ちてきた!挟み込んだ何かの新聞切り抜きに挟まっていたらしい。もういいや、これは買い取りに出さなかったQUEENの本に挟んでおこうっと。

13/01/12 恒例の散策(3)総持寺でも川崎大師でも「末吉」

2013-01-20 23:55:27 | おでかけ、旅行
1/12恒例の散策のランチは、曹洞宗大本山総持寺の後になってしまい、鶴見駅前の大戸屋となった。これがどうしてどうして馬鹿にできない美味しさと店の居心地のよさに一同びっくり。新しいテンポの大戸屋はけっこういけるというのが共通認識さとなった。

欲張りな私たちは川崎大師にも足を伸ばすことにし、京急大師線乗り換えで川崎大師駅に着いたら午後4時半を過ぎていた(^^ゞ総持寺と違って川崎大師は駅前からはっきりと参道がわかる。
この間、池上本門寺散策の時など午後5時を過ぎると参道の店も閉じられてしまっていた。ところが川崎大師は違っていた。まだまだ参道を多くの参拝客が歩いているし、店も活気があった。
2012年正月三が日の参拝者数をもとに作成された「おすすめ初詣スポット2013」で第3位にランキングされているだけのことはあると感心至極。

ここでも久寿餅の店がたくさんある。寺参りの土産として古くからある菓子なのだろう。
駅からの道を曲がって大山門に続く通りは「仲見世」となっており、「仲見世通り」が浅草の専売特許の名称ではないとわかる。その仲見世通りは店頭で飴を切る包丁の音が響き渡っており、その名もまさに「とんとこ飴」とのこと。

境内には警察の詰所のプレハブもまだあって、さすがに人出ランキング第3位の「川崎大師」だと再認識。12日でも昼間だったらかなりの混雑だったかもと推測。
山門をくぐって左手の五重塔は八角形で珍しいねぇと撮影。日が暮れかかる中でようやく撮影できた。これ以降の写真は暗すぎてうまく写らなかった(^^ゞ

さすがにしっかりとお賽銭の入りがよいらしく、「ご自由に」とあったA6版16ページのパンフレット(下の写真)がカラーで立派だった。
境内のおみくじコーナーは番号の棚から自分でとるタイプだが、棚が何個もあって人が群がっていた。禅宗の総持寺ではおみくじには力が入っておらず、自分で箱に手をつっこんでとるタイプで小さく畳まれているもので、いかにもおみくじ印刷業者から汎用タイプを仕入れた感じだったことに比べると、ちゃんと「霊場川崎大師おみくじ」と印刷されていて、満足度が高い。
2ヶ所のお寺のあり方がこんなところからもわかって実に面白い。

そして、総持寺でも川崎大師でもおみくじの結果はいずれも「末吉」と一致したのがなんともいえなかった。「願望:先に障あるも後叶ふべし」とあったから、まぁ幸先よしと思うことにしよう。



川崎大師は通称で、正式には「真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺」。そのパンフレットにあった略縁起によると以下の通り。
崇徳天皇の御代に平間という武士の親子が無実の罪により生国を追われ、流浪の末に川崎の地で漁師となった。その子の兼乗は弘法大師を深く信心しており、夢のお告げのあった翌朝、網を投じると大師の尊像が引き揚げられたという。なにやら、金龍山浅草寺の由来と似ている。

「お護摩の功徳」のところでは、「お護摩とは、梵語でホーマといい、<焚く><焼く>などの意味をもつことばで、仏の智慧の火をもって煩悩を焼きつくすことを表します」とあった。護摩という言葉の由来も知りたいと思っていたので、ちょうどよかった。

「境内案内マップ」のページをみると、けっこう広い境内にいろいろな堂宇があるようなので、昼間のうちにゆっくりもう一度来たいと思った。
戻る途中、甘酒を一杯買って飲みながらお土産屋さんをのぞく。松屋総本店で5種類の飴のアソートを、川崎大師駅前の「福嶋屋」で久寿餅1枚入りを買った。飴は職場への、久寿餅は娘へのお土産。2回目の池上本門寺散策で買った久寿餅より美味しかった。
これで1/12の散策の報告は終了!

たかえみちこさんの川崎グルメぐりの「福嶋屋さんの久寿餅」の記事はこちら
「川崎大師Webサイト」はこちら

13/01/12 恒例の散策(2)曹洞宗大本山総持寺は観光ずれしていなかった

2013-01-19 23:59:29 | おでかけ、旅行

曹洞宗大本山総持寺に行く前、偶然に成願寺に参拝し、ようやくメインの目的地の総持寺!しかしながらここまででランチができる店も見つからず、総持寺をきちんと観終わるまでお預けとなった(^^ゞ

Wikipediaの「總持寺」の項はこちら
ネットで「鶴見 総持寺 石原裕次郎 墓」で検索したところ、「元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】」さんの記事が詳しいのでご紹介したい。
總持寺は元々は能登にあり、福井の永平寺ともども大本山として隆盛を極めていたが、明治31年(1898)に不慮の火災で、伽藍の大部分が焼失してしまった。その後その地で再建せず、明治44年(1911年)に現在地に移転してきたとのことで、堂宇の大部分は近代の建立。一部、移築されてきた建物は近世末期のものがあるとのこと。
冒頭の写真は迎賓館の「待鳳館」。東京千駄ヶ谷の尾張徳川家旧書院を移築したものとのことで、尾張家の派手好みな感じが玄関の透かし彫りからも偲ばれた。

総持寺が能登から移転して最初に法要が行われた「放光堂」。安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立されたものを移築しているという。その入り口の上の飾りの透かし彫りがまた見事だった。

下の写真は「向唐門」で、こちらは1925年の建造だが、唐門の屋根の構造を真横から見るのは一同初めてで、面白がってぐるっと回って両方から見てしまった。

「宝物殿」も入館料を払って見学。けっこう面白かったがあまり古いものはなかった。以前、仏殿に置かれていた中国の清代の釈迦如来座像は、漆塗りの上に衣紋が金色の針金が貼り付けられているという造られ方が珍しく美しかったのが印象的だった。
巨大な鉄筋コンクリートの切妻造の「三松閣」は、檀信徒の道場・宿泊、葬儀・通夜の会場とのことで、売店もあった。しかしながら、棺が車に乗せられて僧侶や参列者が見送っている家族葬と思われる御一行にも遭遇。まさに葬儀の会場だった。

三松閣の左奥が下の写真の「香積台」。

さちぎくさんは集印をされているので総受付のあるこちらにも入った。こちらの売店の方は「三松閣」の売店と違って僧侶の着る物も売っていた。僧侶が身につけるものから、さまざまな素材の作務衣やらTシャツ・トレーナーもあった。
木彫りの大黒天が祀られていたが、僧侶たちの起居している建物にも続いているようで、廊下に掲示物があって、内容が面白く、みんなで見入ってしまった。
着るものが華美にならないようにという風紀委員会の通達のようなもの。お風呂の掃除当番表には、ボディソープを補充するともあって、笑えた。

境内には初詣の参拝者という感じの方は多くなさそうで、観光ずれしていないお寺だという印象をもった。
(3)へ続く。

13/01/12 恒例の散策(1)鶴見の総持寺に行く前、偶然に成願寺

2013-01-19 23:58:28 | おでかけ、旅行

いつものお馴染みの散策グループで、これまで芝の増上寺、池上本門寺と散策したので、「京浜四大本山巡り」のチラシに乗せられて残りの本山も行ってみようということになった。
今回は曹洞宗大本山の総持寺へ行き、時間があれば川崎大師に回る予定で、JR鶴見駅西口改札で集合。玲小姐さん、Aさん、私の女子高3人組にさちぎくさん、けろちゃんさんで5人が揃う。
駅前に総持寺への案内板などがないので、おそらくこっち方面だろうと歩いて行った。そして今回も失敗(^^ゞ裏側の方に回ってしまった!裏口参りが得意な一行なのだ(笑)

総持寺の入り口を探しながら歩くうち、由緒のありそうなお寺に遭遇。曹洞宗の成願寺だ。門の前にあった由来を書いた板碑には天正3年に創建され、三転して今の地にあるとあった。薬師三尊と十二神将は鎌倉末期の作とあり、講中が来て参籠したと武蔵風土記や江戸名所図絵に明らかだと書いてあった。
うーん、これはお参りせねばなるまい。


境内に入ると一本のそれなりに大きな木に花が咲いている。この季節に花?そうか、寒緋桜(カンヒザクラ)だろうということになった。梅も期待していない時期に花咲く木に遭遇したら、幸先がいいねぇという雰囲気になった。
冒頭の写真が本堂。左にある薬師堂のご本尊は秘仏のようだが、両脇にある十二神将には彩色もよく残っているのが見えた。下の写真は本尊の左側の十二神将の半分。

山門を出る時に左右の阿吽の仁王像を見たら、こちらは彩色部分が浮き上がっていて傷みが激しかった。残念~。
ネット検索すると「猫のあしあと」さんの成願寺についての記事がみつかった。「明治39年に、寺地を大本山總持寺移転建設地に献納して、大正元年当地に移転したといいます」とあり、総持寺の敷地は元々は成願寺のものだったことがわかった。なるほどねぇ。

たどりついたのは総持寺に裏側から入るための階段。やっぱり大きなお寺は高台の上に造るんだなぁと納得しつつ、頑張って登っていったら、墓地のエリアだった。石原裕次郎のお墓も総持寺にあるらしいという。やたらに派手な献花がある立派なお墓も見えたが、それがそうかはわからない。別にそんなにファンではない私たちはそこまで調べには行かなかった。

(2)へ続く。

13/01/17 阪神・淡路大震災から18年、その犠牲者の死を無駄にしてしまっていないか(追記あり)

2013-01-17 23:59:58 | 観劇

NHKの朝ドラ「純と愛」で主人公の兄が「今日は1/17じゃないか」と言って合掌する場面にハッとした。そうだ、阪神・淡路大震災の日だ。
女主人公の兄はもうどうしようもないダメンズという設定なんだが、主人公一家が大阪に住んでいた頃に三人きょうだい一緒に大震災を体験し、長兄であるその兄がこわがる妹弟を励ましてくれたという記憶から、主人公が兄を見直すという展開になった。
さりげなく、盛り込んでくれた作家の気持ちが嬉しい。

阪神・淡路大震災から18年、日本人はその犠牲者の死を無駄にしてしまっていないだろうか。国がもっとちゃんとやらなかったのが悪いという言い方はあるが、国にそこをやるようにできなかったのは世論が盛り上がらなかったせいだ。
資本主義国の基本的価値観=私的財産は国家として補償する必要がない、というところを突き崩せなかった。だから一昨年の東日本大震災でも同じことになる。

「人と人との絆が大事」と言われているが、「絆」という言葉は情緒的すぎて積極的な意思が弱い気がする。望んでいないのに地縁や血縁で縛られるという「しがらみ」的な側面もあるように思える。
マイケル・ムーアのドキュメンタリー映画「SiCKO(シッコ)」で、医療費無料化のカナダで、その制度を支える税負担の高さを受けとめるのは何故かとムーア監督が一般市民に突撃取材をしていたが、「連帯のためだから当然さ」というような答えをしていたのが心に残っている。
「連帯」というと、「連帯保証人」になって身を滅ぼしたという嫌な使われ方もあるが、それだって、きちんと自覚的に自分の意思で判を押しているのだ。

そういえば、社会主義国のポーランドを民主化する先頭に立ったのが「自主管理労組『連帯』」でその委員長だったワレサ氏が、のちに大統領までつとめたんだっけ。

だから、単に「絆」というよりも「連帯」という市民意識を共有化していきたいなぁと私は考えている。

(1/18追記)
『ビッグイシュー日本版』206号(2013.1.1)の特集「『縮小社会』を生きる」で哲学者の萱野稔人さんと雨宮処凛さんの対談の中で、「萱野さんの本の中で、『自力で生きていけない人たちを国や政府が助けるべきか?』という調査で、助けるべきと答えた人が日本で一番低くて15%、ヨーロッパでは50%を超えているんですね。なぜ日本は自力で生きていけない人たちにこんなに冷たいのか、謎なんですけれど」と雨宮さんがしゃべっていて、その意識の大きな差に驚いた。

ネット検索してみたら、逆の設問に対しての回答の方がもっとシビアで、秋原葉月さんのブログの記事によると以下のようなデータだった。
自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わないと言う人が日本では三人に一人以上もいることがアンケートでわかりました。
日本 38%
アメリカ 28%
イギリス 8%
フランス 8%
ドイツ 7%
中国 9%
インド 8%
日本はなんという生きにくい国なのでしょうか。「人様に迷惑をかけるな」という日本的な美徳は、度が過ぎれば他人に冷酷であることの裏返しでもあります。

「情けは人のためならず」という諺が間違って解釈する人が多くなっている時代である。新自由主義経済によって、既得権でちょっと恵まれた条件にある人をバッシングする風潮とも根はひとつだろう。
Wikipediaの「情けは人の為ならず」の項はこちら

萱野さんへインタビューの最後のひとことのなかにヒントがあった。
「資本主義に代わる経済システムをつくるのは難しいですが、資本主義経済のものでも、拡大しない状況に耐え、そしてバブルのような不確実性にも耐えられるようなシステムをつくりだすことは不可能ではありません」

そのような修正資本主義の現代的なシステムをつくりだすためには、弱者(どんなに人間的に壊れているようにみえてもそうなったのはその本人だけの問題ではない)に厳しくあたるのではなくともに生きていく存在として社会的に包摂していこうという意識をもてる人が多数派にならなければならない。
少しでもそういうお仲間が増えていくようにお互いに啓発しあっていきたいと思っている。

13/01/15 大雪の翌朝のJR与野駅架橋の上から・・・雪がなかなか融けない

2013-01-15 23:32:09 | つれづれなるままに

1/14の首都圏の大雪は天気予報を大幅に上回り、かなりの積雪となった。鉄道も止まったり間引き運転になっていたので、平日だったら相当な数の帰宅難民が出たことだろう。

15日の朝はよく晴れあがったが、道路の雪がかなりひどい状態だったので歩いて出勤。滑らないよう神経を張りつめて歩いていたが、駅の近くまできて一度ひやっとした。

JR与野駅は橋上駅舎になっていて、線路の上が架橋されているが、その窓越しに隣のさいたま新都心駅方面に向かって撮影したのが冒頭の写真。
線路に積もった雪の中に黒々とレールが続いていく光景は珍しかったので撮影。線路の上に見えるアーチ型の橋は、線路を超えて車を渡す橋で、その向こうに新都心のビルが見える。

京浜東北線しか停車しないが、宇都宮線(東北線)、高崎線、湘南新宿ライン、貨物線と並行しているエリアなので、この線路の脇の道路からは鉄道マニアの「撮り鉄」さんたちがねらい定めた列車が走る姿を撮っているところに遭遇したりする。

JR与野駅は、昨年11月で開業100周年を迎えたということで、浦和区の広報誌にも紹介があった。その前の10月末には下の写真のような展示コーナーも設けられていたが、撮影はしたがこちらにアップできていなかったので、ついでにご紹介しておこう。


WikipediaのJR与野駅の情報もリンク

13/01/14 成人の日、大雪で難儀する

2013-01-14 23:59:03 | おでかけ、旅行

天気予報的中!今年も成人の日は雪となった。朝は雨だったが、新橋演舞場昼の部観劇のために家を出ようとすると雪になっていて、すでに廊下の手すりや周囲の木々に積もっているのが見えた。

疲れのせいか一演目目はパスモードだったが、雪が激しかったためさらに意欲が低下してしまい、結局到着したら二演目目も終わるところだった(^^ゞ
地下鉄東銀座駅の地上出口付近で吹きこむ雪のため、傘を広げようともたついていたら、後ろから若いお兄さんに声をかけられた。
「ひどい降りになりましたねぇ。気をつけて」

後ろからみたら、おばあさんに見えたのかしら???
先に行く長く黒いマントの後ろ姿に長髪を後ろで束ねたお兄さんはちょっとカッコよかった。滑らないように気をつけながら劇場に向かうと、なんとお兄さんも演舞場に到着。同じくらいの世代の男性二人と待ち合わせしていて、お仲間が揃うのを待っていた。もしかしたら役者さんのお友だちで、その人の出演の演目に間に合うように来たんじゃないかと推測。
なんか、ちょっと楽しい気分になった。

4本立ての昼の部の後半2つを観たが、けっこう面白かった。終演後、ご一緒したさちぎくさんと勘三郎の若い頃の写真展に行くつもりだったが、予想を上回る雪模様で取りやめにした。私は1/26に国立劇場に行くので、その後にでも行こうと思う。

デニーズでおしゃべりした後、東銀座駅から地下鉄で上野へ出た。愛用していたラテックスの湯たんぽが未明にお釈迦になってしまったので、どうしようと思っていたら、JRへの乗り換え途中に丸井のビルの中に無印良品の店があるのが掲示でわかり、飛び込んで買ってきて安堵。こんな寒い日に湯たんぽがダメになるなんて、間が悪いったらなかった。ポリエチレンの硬いものしかなかったが、これでなんとかなるかなぁ。

JR上野駅のみどりの窓口に大行列ができていてびっくりしたが、中央口の改札の上の電光掲示板をみてようやく列車運行の大幅な乱れに気がついた。首都圏はこのくらいの雪でも大混乱になる。もう少しなんとかなるとよいと思う。公共事業に力を入れるならば、東北の復興や地震対策、生活関係のインフラの安定化に重点を置いて欲しいものだ。

京浜東北線は特に大きな遅れはなかったので助かった。与野駅に降りたら雨になっていたが我が家までの道は雪がシャーベット状になっていて、滑らないように歩いたがけっこう難儀した。深夜には凍結するだろうなぁ。
明日は自転車は無理だろうから、歩きで出勤予定!!