「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」はこれで2回観たことになる。1回目は昨年8月歌舞伎座での三津五郎の貢初役の時。実はその舞台ではあまり面白く感じなかった作品だった。結局ブログには感想を書くのをさぼったまま放置(^^ゞ
“ぴんとこな”といわれる貢の役を三津五郎は熱演していたのだが、その役の魅力がピンとこなかったのである。勘三郎の憎まれ役の万野も面白いことは面白かったのだが、襟の部分の着付けが乱れているのが気になったりちょっと今ひとつだった。
さて今回、仁左衛門の貢でようやくこの役の魅力がわかった!仁左衛門のもつはんなりした柔らかさが辛抱立役の部分や後半の妖刀「青江下坂」に操られる狂気の蛮行との対比で生きるのだ。和らかみに強みを持たせた特殊な役柄“ぴんとこな”には“つっころばし”役もうまい役者の方がやはりいいのだ。特に前半、油屋で万野にお紺と会うのを邪魔され、その意地悪に困りながらも替り妓を呼ぶのを承服させられるあたりにもその和らかみのある演技がきいている。こんな貢だったらわが身を尽くしてもいう惚れ方をする女が何人もいるだろうなと思わせられる。残念ながら三津五郎の貢にはそこまでの和らかみのある演技ではなかった。
その優しい貢があまりの愚弄のされ方にだんだん腹をたてていく様子の変化の幅の大きさになるのだ。江戸風に刀がないので鯉口を切るように扇子を裂くという演技はなく、帯に手を当てての見得になるのが上方風ということだが、これでもう十分だ。
前回お紺役だった福助が演じた万野。相当ねちっこい意地悪女として演じている。ねちっこいというよりも粘っこいレベルだが、こういう演じ方も私は嫌いではない。しかしながらこの万野の役柄だが、もう少し薹がたってしまっていて「男より金だ」という女として演じる方がいいと思ってしまった。老後のためにも金への執着が強く、だから長い間お鹿を騙してでも金をためこみ、悪人にも協力しているというような感じが漂った方がいいと思う。前回の勘三郎はそういう感じがちゃんとしていた。今回の福助はまだまだ女の色気がぷんぷんと漂いすぎ、ただただ性格が悪いだけの意地悪という雰囲気を感じた。ただし、青江下坂が刀の鞘を割ってしまって斬られて餌食になった時のエビ反りは大したものだった。歌右衛門はお紺も万野も両方当たり役だったらしいので、福助もしっかりと極めていってほしいものだ。
白い浴衣を血で染めた仁左衛門が上方方式で丸窓を破って登場しての大虐殺の立ち回り、背の高い仁左衛門のそれはそれは見栄えがして美しい。歌舞伎の残虐美のカタルシスだ。
お鹿は前回の弥十郎が可愛かった。でかい図体でブスだけど可愛げのある感じ。今回の東蔵は“おかめ”のような顔の拵えだったが、もう少し愛嬌がないと可愛くない。可愛くないと妖刀の餌食になっても悲劇性が薄い。
お紺は前回の福助もよかったが、今回の時蔵やはりいい。青江下坂の折紙を手に入れるための嘘の縁切りを貢にする場面のおさえた感じ、折紙を手に入れて貢に届けようとする時の嬉しそうな感じ...。いいねぇ。
料理人喜助の梅玉も忠義をつくす感じが自然な感じ。お紺も喜助もベタベタしない感じが共通。最後に正気に戻った貢がふたりに持っている刀の正体と折紙も手に入ったことを聞き、これで主人への忠義が果たせると満足してニッコリして三人で決まっての見得が歌舞伎らしい軽く明るく終わる幕切れに合うような気がした。
前回の幕切れはなんかご都合主義を強く感じて不満だったのだが、今回は仁左衛門のニッコリでうまく丸めこんでもらえたというのも大きい。仁左衛門のあの笑顔は矛盾があっても何もかも忘れさせてもらえるニッコリだった。
写真は「伊勢音頭恋寝刃」の看板絵。
以下、夜の部の4本をまとめるためのリンク。
①口上
②「時雨西行」
③「井伊大老」
追記
今年のNHK「伝統芸能入門」の歌舞伎入門をビデオ録画して5回分全部見ました。講師は三津五郎さんで彼の新たな魅力もわかった次第。そして鶴屋南北の資料映像で四谷怪談の直助を仁左衛門さんがやっているのを見て、喉の手術をされる前のお声を初めて聞きました。あんなに野太い声が出ていたんですね。
“ぴんとこな”といわれる貢の役を三津五郎は熱演していたのだが、その役の魅力がピンとこなかったのである。勘三郎の憎まれ役の万野も面白いことは面白かったのだが、襟の部分の着付けが乱れているのが気になったりちょっと今ひとつだった。
さて今回、仁左衛門の貢でようやくこの役の魅力がわかった!仁左衛門のもつはんなりした柔らかさが辛抱立役の部分や後半の妖刀「青江下坂」に操られる狂気の蛮行との対比で生きるのだ。和らかみに強みを持たせた特殊な役柄“ぴんとこな”には“つっころばし”役もうまい役者の方がやはりいいのだ。特に前半、油屋で万野にお紺と会うのを邪魔され、その意地悪に困りながらも替り妓を呼ぶのを承服させられるあたりにもその和らかみのある演技がきいている。こんな貢だったらわが身を尽くしてもいう惚れ方をする女が何人もいるだろうなと思わせられる。残念ながら三津五郎の貢にはそこまでの和らかみのある演技ではなかった。
その優しい貢があまりの愚弄のされ方にだんだん腹をたてていく様子の変化の幅の大きさになるのだ。江戸風に刀がないので鯉口を切るように扇子を裂くという演技はなく、帯に手を当てての見得になるのが上方風ということだが、これでもう十分だ。
前回お紺役だった福助が演じた万野。相当ねちっこい意地悪女として演じている。ねちっこいというよりも粘っこいレベルだが、こういう演じ方も私は嫌いではない。しかしながらこの万野の役柄だが、もう少し薹がたってしまっていて「男より金だ」という女として演じる方がいいと思ってしまった。老後のためにも金への執着が強く、だから長い間お鹿を騙してでも金をためこみ、悪人にも協力しているというような感じが漂った方がいいと思う。前回の勘三郎はそういう感じがちゃんとしていた。今回の福助はまだまだ女の色気がぷんぷんと漂いすぎ、ただただ性格が悪いだけの意地悪という雰囲気を感じた。ただし、青江下坂が刀の鞘を割ってしまって斬られて餌食になった時のエビ反りは大したものだった。歌右衛門はお紺も万野も両方当たり役だったらしいので、福助もしっかりと極めていってほしいものだ。
白い浴衣を血で染めた仁左衛門が上方方式で丸窓を破って登場しての大虐殺の立ち回り、背の高い仁左衛門のそれはそれは見栄えがして美しい。歌舞伎の残虐美のカタルシスだ。
お鹿は前回の弥十郎が可愛かった。でかい図体でブスだけど可愛げのある感じ。今回の東蔵は“おかめ”のような顔の拵えだったが、もう少し愛嬌がないと可愛くない。可愛くないと妖刀の餌食になっても悲劇性が薄い。
お紺は前回の福助もよかったが、今回の時蔵やはりいい。青江下坂の折紙を手に入れるための嘘の縁切りを貢にする場面のおさえた感じ、折紙を手に入れて貢に届けようとする時の嬉しそうな感じ...。いいねぇ。
料理人喜助の梅玉も忠義をつくす感じが自然な感じ。お紺も喜助もベタベタしない感じが共通。最後に正気に戻った貢がふたりに持っている刀の正体と折紙も手に入ったことを聞き、これで主人への忠義が果たせると満足してニッコリして三人で決まっての見得が歌舞伎らしい軽く明るく終わる幕切れに合うような気がした。
前回の幕切れはなんかご都合主義を強く感じて不満だったのだが、今回は仁左衛門のニッコリでうまく丸めこんでもらえたというのも大きい。仁左衛門のあの笑顔は矛盾があっても何もかも忘れさせてもらえるニッコリだった。
写真は「伊勢音頭恋寝刃」の看板絵。
以下、夜の部の4本をまとめるためのリンク。
①口上
②「時雨西行」
③「井伊大老」
追記
今年のNHK「伝統芸能入門」の歌舞伎入門をビデオ録画して5回分全部見ました。講師は三津五郎さんで彼の新たな魅力もわかった次第。そして鶴屋南北の資料映像で四谷怪談の直助を仁左衛門さんがやっているのを見て、喉の手術をされる前のお声を初めて聞きました。あんなに野太い声が出ていたんですね。