2014/07/25 歯医者さんで課題図書が貸し出される(笑)


7/19に左上の奥歯の詰め物の下の虫歯のご報告をしたが、7/24の居眠り時に何やら口の中に異物が・・・・・・右上の奥歯の被せ物がとれて落ちていた。きっとこちらも虫歯だ・・・。
すぐに翌25日AMで急患扱いで予約をとって、大宮ソニックシティのデンタルクリニックへ。
やっぱり虫歯になっていた。
7/19の記事に「上顎の奥歯の根元が左右交互に浮いた感じになることが多くなり(中略)両方痛くなって硬いものが噛めなくなった時は閉口した」と書いたが、やっぱりそうだった。被せ物や詰め物のある歯はその下に虫歯ができてもわかりにくいとのこと。

左の痛みは応急処置後も続いていて、食べる時に上も下も痛くてまいっている。もしかして下の奥歯も割れているってことかもしれない、と思い当ると恐ろしい。

ところが、どちらを先に治療するかを院長先生にお聞きしたら右の方とのこと。それも予約がいっぱいで来月末まで本格治療に入れないのだ(T-T)
キャンセルが出ていないかちょこちょこ電話を入れてみることにした。

左の痛みの説明に、朝食のトーストを噛んで痛かったと報告したら、「まだパンを食べてるの?」と鋭いご指摘!
以前の治療の際に、日本人の身体に合っているのは伝統食のごはんであり、いかにパン食が歯にも負担になっているかというお話を聞いたのだった。年明けに治療して保険適用外の高い高い作り物の前歯は弱いので前歯で噛み切るということを避けないと念を押された。

朝食をごはんにすると用意が面倒と言い訳したら、朝はごはんと味噌汁ぐらいでいいのだとのこと。私は前夜の残りの味噌汁もしくはスープでトーストを食べ、たまに目玉焼きがついて、時間があればもう少し何か食べる程度なんだけどね。

今回の歯のトラブルは、この頃ずいぶんとフトレス状態になっているので、ダイエットしろという天の御啓示なのかなぁ?
さらに今回は、読んでみてと本を一冊貸してくださった(冒頭がその本の表紙写真)。うーん、まるで夏休みの課題図書だなぁ(苦笑)

幕内秀夫『乳がん患者の8割は朝パンを食べている』
次回に行く前に読み終わらないとダメかなぁ
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2014/07/20 上野ミニ散策(2)蓮の花咲く季節の不忍池弁天堂


7/20の上野ミニ散策には7人が参加。ランチ終了後、「旧岩崎邸」をめざして池之端=不忍池に沿って歩いていく。
途中、「弁天堂」にも立ち寄ることにしたら、池にはいっぱいの蓮の葉の緑、中には蓮の花がちらほらと見えて予想外の楽しみとなった。さすがに朝開いた花はすでに閉じかけているので全開の花は見当たらなかった。実はこういう季節に来るのは初めてで、蓮池をお寺の中に作る意味を思い知らされた。
Wikipediaの「ハス」の項はこちら

お堂に上がって、八臂の弁天像を拝む。身体の前の一本の腕には黄金の剣を握りしめるマッチョ系の弁財天だった。天井画の龍も小さいながらも立派に睨んでいたし、周囲の花々を描いた絵も楽しめた。
今日はさすがに誰も御朱印帳を持ってきていなかったが、4人が紙でいただいた。冒頭の写真の御朱印の本尊を表す文字の「弁」の字は旧字かな?小さなお堂で迫力の字体の御朱印というのがまたよい。下に敷いてあるのは「東叡山寛永寺開運三堂めぐり」のご案内。手書きの雰囲気が親しみやすい。ちゃんと蓮の花も描いてあった。

そこにあった「不忍池弁天堂」の説明によると以下の通り。
>天海僧正が不忍池を琵琶湖に見立て竹生島弁財天を寛永初年に勧請して建てたお堂です。本尊は八臂の弁財天で特に芸能や福徳にご利益があるとされています。毎月初巳日に縁日法要を営み、特に毎年9月の巳成金(みなるかね)の大祭法要には多くの人で賑わいます。
今年の巳成金(みなるかね)大祭は9/19(金)で、年一度の秘仏御開帳と小判のお守りと福財布授与だって!行きたいかも!!
一行の1人はアーティストでもあるので芸能守りもおすすめしたら案の定お買い上げ(笑)

観劇後の茶話会でまた蓮の花の話になり、1人が「古代蓮」の花を一度は見て写真を撮りたいという思いが出て、一行に行田に住んでいるメンバーが駅までくれば車で迎えに行って連れて行くよというノリになり、私も一緒に次の日曜日に行くことになってしまった。
私は「見るべきものは見つ」と言えるようになっておこうという気分かな(苦笑)
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2014/07/20 上野ミニ散策(1)ランチ=駅前が綺麗になって今風の飲食店ビル


2ヵ月に一回の玲小姐さんの歴史散策とは別の観劇+ミニ散策企画。観劇は玉三郎の天守物語ということで七月大歌舞伎の夜の部。その前のミニ散策は、今回も私のリクエスト「岩崎邸に行ってみたい」をかなえていだたいた。
私の母の戦争体験を聞いた時に、3/10の大空襲で実家が焼け、一人っ子だった母が従兄弟たちがたくさんいる日暮里の伯父の家にいた3/17の空襲で焼け出されて岩崎邸の庭に逃げて助かったというエピソードに行ってみたいと思ったのでお願いした次第。

集合してすぐにランチ。上野駅前のお山の登り口の所にあった大衆食堂「聚楽台」(愛称?=じゅらく)の跡地は「UENO3153(さいごーさん)」になったらしい。さらに並びにあった映画館があった「上野松竹デパート」跡地に、飲食総合ビル「上野の森さくらテラス」が今年の4/26にオープンしていて、そちらのお店を玲小姐さんが予約しておいてくれた。

地下1階の「和食 個室 かまくら上野店」へ。個室=かまくらというイメージでのお店のコンセプトのようだ。
ランチセットメニューが充実。私は揚げだし豆腐と湯葉定食を注文(冒頭の写真)。湯葉はわさびのみが添えられていたが、ちょっとものたりなかった。揚げだし豆腐はドーム型の豆腐を使用。最近スーパーの惣菜で買ってくる頻度が高いが、それと比べては失礼千万だろう(笑)おいしかった。食後にドリンクがついていたことにみなで驚いて喜んだ。

今日の一行は7人。ランチでひとしきり盛り上がってから、さぁ出発!!天気はもつかな?

(夜判明のこと)
観劇後に歌舞伎座を出ると雨が降ったようだった。帰宅してからかなりの雨が降ったとわかった。ラッキーなことに私は傘を日傘としてしか使わない一日となった。

7/20上野ミニ散策(2)蓮の花咲く季節の不忍池弁天堂
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2014/07/19 身体のあちこちにガタがきている・・・+7・8月の観劇などの予定


上顎の奥歯の根元が左右交互に浮いた感じになることが多くなり、疲れたからかとしのいできたが、両方痛くなって硬いものが噛めなくなった時は閉口した。先週、左の方が痛くて寝られなくなって痛み止めを飲んでようやく眠れたという事態になり、出勤前に歯医者に予約を入れた。それが今週の月曜日の午前中で半日休みをとって行ったが目視でもレントゲンでもわからなくて、念の為に着色剤を塗って土曜日に再受診することになった。
その日の夕方は職場近くの婦人科で2週間前の血液検査結果をお聞きしたが、間違いなく更年期ではあるもののホルモン両方が不要なほどまだ頑張っているとのこと。おい、何が(^^ゞ
ガン検診とエコー検査をしてまた8月初旬に予約を入れる。
水曜日の夕方は月一回の接骨院。両手の親指の痛みはPCのブラインドタッチの角度が悪そうだと判明。左の腕はいわゆるテニス肘状態になっているとのこと・・・・・・テニスなんてやらないのに日常の動作だけでなってしまった。ストレッチのご指導を受ける。

金曜日の夜、帰宅が遅くなってぼーっとしながら小松菜と油揚げの味噌汁を作ろうとして、小松菜を束ねながら切るところで包丁が親指の爪付近をザクっとやってしまった!流血!

土曜日AMの歯医者に行く前に頭皮の皮膚炎で通っている皮膚科で指の怪我も診ていただき、縫う必要なしとされ、包帯の上から手袋をはめるようにというご指示で100円ショップでゴム手袋の下にはめる薄い軍手のようなものと毛染めの際に使うようなポリの使い捨て手袋を買ってしのぐことにした。
大宮ソニックシティの歯科で嫌な予感が当たって本格治療に!詰め物をした歯に着色の線が出ていた=亀裂が入っていてそこから虫歯になっていて麻酔で削って仮詰め物で8月のお盆明けに本格的な詰め物を入れるとのこと。亀裂が入ったのは歯ぎしりのせいかなぁ?
なんと、1週間で4箇所5回の診療を受けるはめになってしまったじゃないか?!こうして身体のあちこちにガタがきているのを騙しなだめつつ、日々を過ごしていくしかないのねぇ(溜息)

さて、以下は月半ばを過ぎてしまったが今月の観劇などの予定。
7/5(土)歌舞伎座大歌舞伎昼の部初日→娘の保育所のママ友会の暑気払いへ
7/19(土)PM:NPOでボランティアの作業グループ第2回打合せに参加
7/20(日)岩崎邸周辺散策→歌舞伎座大歌舞伎夜の部

8月の予定も決まっている分は書いておく。
8/10(日)歌舞伎座納涼歌舞伎第一部・第二部
8/14(木)母親の膝の人工関節置換手術2回目が再度延期されてお盆になった。
8/23(土)PM:NPOでボランティアの作業グループ第3回打合せに参加
8/27(水)歌舞伎座納涼歌舞伎第三部を千穐楽で!=「怪談乳房榎」NYからの凱旋公演はヒートアップするかな?
ご一緒する皆様、よろしくお願いしますm(_ _)m

(追記)
久しぶりにシアターコクーンのチケットをとった。9月の清水邦夫作品の蜷川幸雄演出の舞台「火のようにさみしい姉がいて」だ。大竹しのぶと宮沢りえの共演だし、タイトルに引きつけられてしまった。やっぱり更年期うつか(笑)
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2014/07/18 戦争ネタが並んだ新聞の夕刊一面を見て唸る


7/18(金)朝日新聞夕刊です。帰宅して一面を見て唸りました。
ウクライナ内戦は民族対立、ガザへのイスラエルの侵攻は宗教対立、ひどい世界になったものだと・・・。
資本主義対共産主義の東西冷戦構造の崩壊の後、各地の扮装を解決する祖力よりも新自由主義が吹き荒れてどこも経済優先。まじめにやれば誰もが暮らしの成り立つくらいの経済でいいのに、大暴走する金融資本。戦争で儲ける死の商人とそれとつるむ政府。人類はいつまでたっても戦争という愚行を卒業できないのか???

それぞれが絶対的正義を追求するよりも平和な世界のための知恵比べをしようという声を上げていきたいです。
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2014/07/16 談論風発の3人仕事女子会!!


昨年11月からこちら、職場の関係の歴史について学べる常設展示の作成や歴史物語冊子の作成に関わっている。年度末に常設展示がオープンし、9月発行の冊子の歴史編の原稿チェック・手直しに取り組んできた。
歴史というだけに年史やらそのダイジェスト版にもあたりつつ、OB・OGの方々へのヒアリングも行い、私の部署が資料室ということで史資料にあたって必要な部分は提供するという、実に面白くやりがいのある仕事が続いていた。

もうひとふんばりというところまできているが、渋谷の責任者の女性マネージャーSさん、実際の作成作業をしていただいている業者さんの女性担当者Iさん、私の3人の打合せを四ツ谷まで来ていただいて行い、業務時間終了。
プレ打ち上げをすることになり、「仕事女子会」となった。お隣のビル1階の美味しい焼き鳥屋さんが午後5時半ではまだ準備中で、しんみち通りまで足を運ぶ。
ふだんはお値段が高めで足を踏み入れない「四ツ谷 今井屋本店」が営業していたのでここに決めた。「焼き鳥 秋田県産比内地鶏専門店」とうたっているだけに、鶏料理を含めて美味しくいただき、美味しく飲んだ。

年が近いなぁという雰囲気だったので、お互いに生年を申告しあうと1959年が私、Sさんが少しお姉さんの1957年、Iさんが1960年ということで、やっぱりなぁということでのっけから盛り上がる。「集団的自衛権」の閣議決定についても大いに気焔が上がり、お互いのこれまでの仕事、若い人も一緒にどうしたいとかどうしなくちゃという話も含めて、談論風発!!
お二人はお酒も強くぐいぐいいっていたが、私はまぁグラスビール→黒糖焼酎お湯割り→泡盛お湯割りですっかり出来上がる。

冒頭の写真はこの店の名物の生キャベツ。丸のままに見えるが中身は空洞で一枚ずつ分けてちぎってタレにつけて食べるのがいい。手前はお通しの手羽先餃子。
この店は、2008年8月末にブロ友のかずりんさんと来て、Sさんと前に一回来て、今回で3回目。2008年にコメント欄で言及した時の店のHPがもうない。今ネット検索すると、ダイヤモンドダイニンググループの経営になっているので、途中で傘下に入ったのかもしれない。
ぐるなびの「四ツ谷今井屋本店」はこちら
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2014/07/05 七月大歌舞伎初日→お茶会→保育所のママ友会の暑気払いへ


七月大歌舞伎昼の部観劇は珍しく初日。観劇仲間で相談した時もあまりよく考えずに週末土曜日で決めてとってから初日と気がついた(^^ゞ
3階席では久しぶりに初日にはお会いできるような皆様方のお顔を拝することができた。幕間に上手の出入り口から出てすぐに長椅子のところには山川静夫さんが座っていらして、こういう日に山川さんの本を持っていってサインをしていただくんだったなどと、久しぶりの邪念(笑)が頭をよぎった。

幕間に何やら1階席をのぞく人が多くて、私ものぞきに行ったがよくわからず。後からキャロライン・ケネディ米国大使夫妻と安倍首相夫妻が来ていたとわかった。だからテレビカメラとかも入っていたんだね。
「美しい日本」とか言いながら、これまで歌舞伎を楽しんだことがあったのかと疑問に思い、なるほど早速アメリカさんを接待で来てるのかと納得。小泉も首相時代に観劇して報道されていたが、日本のトップの伝統芸能への理解のレベルはどうなんだろうねぇ。

さちぎくさんのブログの記事によると、海老蔵のブログに以下のようにあったとのこと。
「今日は昼の部の歌舞伎座をケネディーさんとご鑑賞してくだりました 私… 勇気をもって御二方にブログにでてくださりますか? と聞くと… はい。 と 本当に嬉しかったです その後にケネディーさんが刀で立ち回りしたいと笑 よって私とケネディーさんとで刀をもって立ち回り… 笑 それを見ていた総理も… では、私も… ということで… 総理とも立ち回りを笑 横で玉三郎の兄さんと香川さんのいささか冷ややかな視線を感じながらも頑張りました」
直接さがしてみたら、その記述にいきあたらないので、途中で削除したのかなぁと推測。
いささか冷ややかな視線・・・の方々の反応を教えてもらえたことには感謝しましょうね。

終演後、3人で短時間のお茶会。最近、歌舞伎座近くの「マザーリーフ」がお気に入り。ティーポットだから紅茶はお替りできるし、ワッフルで腹持ちがまぁまぁいいし。おしゃべりの友にピッタリだ。下の写真は、マンゴーとココナッツアイスのワッフル。まぁまぁ合格。

それから日比谷線から東武線直通の電車に乗ってまず実家へ。母の携帯の充電池の交換パーツが契約者の私のところに届いていたので、お届け&交換作業。
1時間ほどで切り上げて、娘の保育所のママ友会の暑気払い=飲み会に向かった。参加申し込みがきていなかったメンバーもドタ参してくれて10名でいつもより賑やか!私は自分でリクエストしなくても歌わされる2曲+アン・ルイス「六本木心中」、中島みゆき「たかが愛」などを歌ったが、みゆきは難しいね。

中学時代の同窓会名簿で連絡がとれた懐かしい同級生にも声をかけておいたら、顔を見に来てくれて話し込んでしまった。尾崎豊を1曲歌ってくれたことに感謝!
先頃4人で飲み会をした時に名前が挙がったメンバーだ。そちらにも合流してもらえることになったが、開催場所がどうなるか?埼玉県の広域にバラけているのでけっこう大変なんだよね。ま、幹事さんに連絡済みだから、そちらもまた楽しみが増えたかな。
こうして会いたい人にはそろそろ会っておかないと、いつ何があるかわからないお年頃に入ってきたっていうことです。
明日は七夕。牽牛と織女は会えない天気かな?
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2014/07/01 侵略国であったことを忘れた国になった日本・・・このままでは終われない


1945年に太平洋戦争が敗戦という形で終わり、戦後69年で侵略国であったことを忘れた国になった。日本がアジア・太平洋諸国を侵略した事実を反省して国民の歴史としてきちんと担える国民を育てない政策が実を結んだのだと思う。
戦後歴代の政権が認めてこなかった「集団的自衛権」をもつ国になると、憲法解釈を変更する閣議決定を行ったことを、日本帝国主義の犠牲になった国々はどう受けとめるだろうか。

アメリカによる占領の時代に、日本の非軍事化を途中でやめて手下の同盟国に仕立て上げるように対日占領政策が転換され、以来、属国のような同盟国になっていた。
憲法を改悪しようとする勢力は、アメリカに押しつけられた憲法だから変えるのだと言い、アメリカがそれには難色を示すと、アメリカの顔をつぶさないで実質的に改憲してしまう、「解釈改憲」という手法をとった。

マスメディアに直前まで報道規制の圧力をかけられるように、安倍首相は新聞社のトップなどを会食に招いて釘をさした。よばれる方もよばれる方なのだが断ればそれも怖かったという状況に追い込まれていたのか?さすがに直前になってからは少しずつ安倍政権の暴走を報道したが、突っ込んだ内容にするにはスタッフ陣に相当な覚悟を強いたことが推測できる。

昨日のTV朝日の報道ステーション、今日のTBSのNEWS23も気合が入っていた。今日のNEWS23では「ポイント・オブ・ノーリターン」の日になったという言い方をしていた。
澤地久枝さんのコメントは一部に言い間違いもあったと思う。「もはや戦後ではなく戦前になった」とおっしゃりたかったのだと推測できる。
半藤一利さんも戦前と同じように「自衛のために外に出るということが戦争を起こす」と警鐘を鳴らしていたが、戦前との違いは「国民意識」だと言う。悲惨な戦争を体験した人がまだいること、それによる戦争を厭う意識があるのではないかというようなことをおっしゃっていた。

まさにそこが大事だと思っている。私は今、被爆者の方々の証言をお聞きして記録として残すボランティア活動に参加している。参考になるので原爆小説も続けて読んでいるが、まさに原爆を落としたのはアメリカ政府だけでなく、戦争を起こした日本の軍閥政府だと痛感している。そしてそういう政府をゆるしてきた当時の日本の国民全体にも責任の一端があると思う。もちろん為政者の責任が大きいわけで、それを繰り返させないようにするのもピープルズ・パワーなのだと噛みしめている。

被爆者だけでなく、先の戦争で家族を亡くし戦火で傷ついたり暮らしを奪われた人たち全てが受忍するのではなく、為政者への責任を問い、それを繰り返させない決意をもてるようにしなければと思う。これはなかなか大変なことだ。大体、私の母は東京大空襲で家や財産を失い、疎開して、戦後は苦しい生活を強いられたのに、自分の生活でいっぱいで社会全体をどうこうしようという視点はもっていない。必死で生きてきたことは誉めつつ、そういう限界をもった人であることの限界を理解しているが、尊敬まではできない。それでも母の戦争体験もきちんと記録をさせてもらおうとは考えている。ここでもICレコーダーに活躍してもらおう。

「ポイント・オブ・ノーリターン」の日とはいうが、まだまだここで終われはしない。為政者が勝手に判断して協力した他国の戦争に巻き込まれてしまうことがないように、局面局面での勝負を続けなければならないと新たに覚悟を固めた次第。

冒頭の写真は、職場近くの番町文人通りで見つけた藤田嗣治旧居跡の看板。昭和12年から19年に疎開するまで住んだ所だという。戦争中に軍部の要請で戦争記録画を描いたことを戦後に叩かれた藤田はフランスに移り、帰化して日本に戻らなかったという。ネット検索してみて戦前・戦中、日本では戦争に反対すれば徹底的に弾圧され、軍部に協力すれば戦争協力の責任を戦後、有名人であればあるほど強く非難された。戦争に振り回された芸術家の生涯に思いを馳せた。
Wikipediaの「藤田嗣治」の項はこちら
そして私はあらためて戦争に振り回される人間にはなりたくないという思いを強くした。
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