ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/07/31 泉鏡花強化月間終了!

2006-07-31 23:58:47 | 観劇

歌舞伎座の七月大歌舞伎も本日千穐楽。「泉鏡花強化月間」と多くの方が呼んでいた公演が終了した。My楽は前日30日の日曜日の夜の部。23日に昼の部を二等席で観て、夜の部は一等席という自腹で観劇した歌舞伎座では過去最高の大奮発。
高校時代以降、小説はあまり読まない生活を送っているので泉鏡花などひとつも読んだことがなかったのだが、唯一TVで昔昔に『天守物語』を途中から観たのと松竹110年祭で映画の『天守物語』を観ただけが鏡花体験なのだから無謀に近かった。友人は「あなたは多分あまり好きじゃないと思うよ」と予言されていたほどだ。
しか~し、白泉社文庫の漫画で波津彬子『鏡花夢幻 泉鏡花/原作より』の予習をした辺りから確信を持つに至る。「これはハマリそうだ」と!

予習した段階で観劇前からすでに今回の4本一挙上演のねらいなどについても書いてしまうし、23日の昼の部の感想はすでに書いた。そして昨日の夜の部だった。
28日に演舞場に『風間杜夫ひとり芝居三部作』を観にいく前に歌舞伎座に寄って舞台写真入り筋書をGET。『山吹』はそれで予習して観たが、感情移入しすぎてボロ泣き。『天守物語』は映画を観た記憶がまだあるので台詞もかなり楽しめた。
7月は14日から30日までの間に舞台を5本、映画を1本とかなり集中して観ているが、常に心の半分は鏡花の世界に飛んでしまっていたのが実態。
友人からは予想を違えたと感心されているが、人間が表に見せているのは本当に一部なんだと思う。また自分でも気づかない面が自覚されるというのもある。
私はまあ社会派を自認しているが、またかなりの恋愛至上主義者であることが露呈されてしまった今月だったと思う。自分でもあきれるほどである。まあ自分も少しは可愛げがあるな、少しは好きになれるかなとも思う。

この半月の無理がたたって今日はボロボロの一日となった。出勤の電車で座れたら寝過ごしてしまうし.....。ギリギリ間に合いましたけど(^^ゞ
明日の映画の日はどうしようかな、と懲りない人なんだけど.....。
ハイ、少し反芻してから夜の部の感想をなるべく早めに書くことにしますですm(_ _)m


06/07/23 七月大歌舞伎②海老蔵でこその『海神別荘』

2006-07-26 23:58:20 | 観劇
2.「海神別荘」
今月昼の部の2本目。あらすじは以下の通り。
海の公子(乙姫の弟:海老蔵)は美女(玉三郎)が輿入れしてくるのを待っている。美女の父親が海の宝物と引き換えにしたのだ。公子が迎えに遣わした女房(笑三郎)に伴われて人間である美女が海底深くにある御殿までやってくるにはかなりの時間がかかる。侍女たちや僧都(猿弥)、博士(門之助)らとやりとりしながら今か今かと待っている。ようやく到着した美女は公子から父親に贈られた宝物よりももっと立派な贈り物を受けて公子の深い愛情に幸せを感じる。自分の幸せな姿を陸の家族に見せたいと申し出るが、見せる必要はないと言われる。公子は驕と虚飾の心をみてとるがその美しさに免じて許してやる。さらに言い募る美女にもはや人間には蛇の姿にしか見えないという真実を告げらるが美女は信じない。海の者になった身体であっという間に陸に戻ってみた美女は今の自分の姿を恐れ銃を向ける父たち人間の態度に傷ついて海底に帰ってくる。悲しみのあまり泣き死にすると言う美女。公子はここでは悲しむということを許さないと激怒。臣下に彼女の処刑を命じるが、美女は公子自らの手で殺してほしいと願う。公子はためらいもせず剣を向けると……。
「ああ貴方、私を斬る私を殺す、その顔のお綺麗さ気高さ美しさ、目のすずしさ眉の勇ましさ、初めて見ました、位の高さ品のよさ、もう故郷も何も忘れました、早く殺して、ああ嬉しい」
その言葉に縄をとかせ、その剣で互いの腕を切ってしたたる血を酌み交わし、終生を誓う。
美女「ここは極楽でございますか」
公子「そんな処と一緒にされてたまるものか、女のいく極楽に男はおらんぞ、男のいく極楽に女はいない」

確かに釈迦は男女の愛欲による煩悩から人間を解き放つべく極楽を男女別の世界にしたのだろう。それを否定し、ここは愛する者どうしがともに老いることなく生きていく世界なのだ。鏡花の描く理想の世界はこれなのだろう。うわー、なんて耽美的な恋愛至上主義の世界なのかとたじろぐ。
また、美しいことが一番大事な世界。公子は美女の人柄も知らずに想い人と定め、実際に会って予想に反してかなりみえっぱりな女だったことがわかっても美しさに免じて許す。美女も美女で最初は贈られた宝物などで公子の愛情をはかっているが、殺されようとして初めて向き合った公子の美しさ勇ましさに心をとろかせる。こうしてお互いの美しさを認め合ったふたりは永遠の愛を誓うのだ。耽美というか唯美というかなんと美しさのみを求めた世界だろう。

さて、タイトルにも書いた通り。人間界とは全く違う価値観の海神である公子に海老蔵がハマっている。海老蔵はよく通る声なのだが台詞が一本調子というのが玉に瑕だった。それが異界の公子という役柄にとってはプラスに働く。さらに公子が知性派ではなく無邪気な勇武派という設定もちょうどいい(姉の乙姫は知性派であるらしいが)。上がり眉の勇ましい美しさで登場するとそれだけで客席から溜息がもれる。何より歌舞伎界の御曹司だけに圧倒的なプリンスの風格がにじむのだ。今この役をやれるのは海老蔵をおいて他にないだろう。

玉三郎の美女は驕っていると言われれば確かにそうであるが、自分というものをきちんと持っている。そしてこの女の喜怒哀楽は激しい。嘆くときは泣き死にするとまで言い放つ。それが美丈夫の男に惚れられていると自覚した時にはその幸福な恍惚感の中で殺されたいと願う。玉三郎は美しさと感情の幅の大きさを存分に表現する。その恍惚感が観ている私にも伝わって頭の芯からとろけていきそうになる。玉三郎という役者の麻薬度の高さを痛感する。
それと美女を案内した笑三郎の女房役の存在感が素晴らしい。公子と美女の衣装がとても洋風でタイツ姿やロングドレス姿なのにこの女房の打ち掛けを旅装のように着付けた姿、その色、質感もその演技と相俟った効果を上げていた。夜の部の『山吹』の主演の楽しみが倍化した。

冒頭の侍女たちや僧都、博士たちとのやりとりも楽しく、公子の美意識や無邪気さを浮き彫りにしているのだが、いかんせん冗長な感がある。贈り物の列挙のあたりで目をあけたまま意識が飛んでいた。『天守物語』や『夜叉ヶ池』と比べて戯曲の評価が高くないのもなんとなく理解できた。

天野喜孝の舞台装置も幻想的な海の世界を現代的に表現していたし、BGMは舞台上手に置かれたハープの生演奏。昨年『NINAGAWA十二夜』のチェンバロといい今回のハープといい意欲的な取り組みだと思う。

とにかく海老蔵がいてこその『海神別荘』だと思った。昼の部は『夜叉ヶ池』ともどもなかなか鏡花ワールドを楽しめた。7/30に夜の部を奮発した一等席で観るがきっと満足できるだろうという予感がする。
写真は今月の『海神別荘』のポスターを携帯のカメラで撮影。こんなに大きな金文字が似合うのも玉三郎座長公演ならではというべきだろう。
七月大歌舞伎①『夜叉ヶ池』の感想はこちら
七月大歌舞伎③『山吹』の感想はこちら
七月大歌舞伎④『天守物語』の感想はこちら
追記
この物語で思い出したのがナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌの従妹エーメ・デュブックのこと。エーメは海賊にさらわれたがあまりの美貌にトルコ皇帝に献上される。当初は異教徒の妾になるのを拒んでいたが周囲の説得についに皇帝の寵愛を受けて子どもを産む。その後の権力闘争を経て息子は皇帝になり、ついに皇太后として権力を握るという数奇な生涯を送った女性である。価値観の大きく異なる世界でもその美貌によって運命が開けたのだ。結局は美女だから可能になったことなんだけど.....。
エーメ・デュブックのことを書いた「道子のレポート」さんの記事をみつけたのでご紹介

06/07/23 七月大歌舞伎①春猿が期待に応えた『夜叉ヶ池』

2006-07-23 23:59:37 | 観劇
ようやく七月大歌舞伎の昼の部に行ってきた。まずは「夜叉ヶ池」から書く。
観劇前に玉三郎の鏡花作品一挙上演について考えた記事はこちら
1.「夜叉ヶ池」
話の内容は以下の通り。
越前三国ヶ岳の山中にある夜叉ヶ池にはある伝説があった。昔々高僧が竜神を行力で封じ込んだ際、竜神に戒めを思い起こさせるために山麓で鐘を一昼夜に三度撞き鳴らすことを約束したという。以来、代々の鐘楼守が明け六つ暮れ六つ丑満時に鐘を撞いてきていた。
今日も暮れ六つの鐘が鳴り響いた後、旅人の文学士山沢学円(右近)が通りかかり、鐘楼守の美しい妻百合(春猿)の親切にあずかる。茶代を辞退した百合が所望したのは旅人からの面白い話だった。学円が語り出すと奥からのぞいた人影を見て驚き、話を行方不明になった友人の話に切り替える。あわてて学円を追い出そうとした百合をおしとどめ、探していた萩原晃その人(段治郎)が現れる。晃は北国に民話採集に出かけた3年前、ここの鐘楼守の老人から夜叉ヶ池にまつわる伝説を聞いた。その直後に倒れた老人は後が心配で死に切れないと訴えるので、晃は代わって鐘を撞く約束をしてみとる。鐘撞きを村人に託して村を出ようとしても誰も引き受けずに迷信だと嘲笑う。そのまま村を出ようとした晃だが、百合の姿を見て心が変わる。その美しさを水に沈めたくない思いに鐘楼守にとどまり、百合と夫婦となって世を捨てていたのだった。
休暇の余裕がない学円が池を見るのに晃も同行。夜中に出かけてしまったふたりを寂しそうに見送る百合は心を鎮めるために人形を抱いて子守唄を唄う(人形が大好きな鏡花は人形をよく登場させる)。
同じ頃、当の夜叉ケ池の龍神である白雪姫(春猿)に恋文が届く。恋しさが募った白雪は恋しい白山剣が峰千蛇ヶ池の主のもとに飛んでいこうとする。戒めを破ると里が水底に沈んでしまい、天罰が恐ろしいと万年姥(吉弥)が止めるのも聞かず、鐘を打ち砕こうとする。そこに百合の子守唄が聞こえ、その美しい人を殺すにしのびないと思いとどまるのだった。
その頃一帯は大干ばつに襲われていた。雨乞いの贄として裸にして牛に乗せる村一番の美女として指名されたのは百合。鐘楼守の家に村人たちが押し寄せてきたところに晃たちが胸騒ぎで戻ってきた。夜叉ヶ池の鐘の伝説を信じない村人たちは晃に余所者だから出ていけと通告。代議士の穴隈(薪車)を中心に村人らは一帯の八千人の命のためで殺すわけではないからとヤクザ者にまでが刀を抜かせて百合を無理に連れ去ろうとする。晃も鎌を振り回しての乱闘になるが、思い余った百合はその鎌で自害してしまった。そしてちょうど丑満時が過ぎた。晃は撞木を切り落とし鐘を撞かないと宣言するや池の方から地鳴りの音。たちまち水は決壊、全てを押し流してしまう。その流れに百合の後を追う晃も飲まれていく。
そこには眷属たちを引き連れて戒めを解かれ喜ぶ白雪が剣が峰に向かおうとする姿があった。人間たちは全て水中の生き物に姿を変え、この新しい淵に百合たち夫婦の住まいにしてやろうという言葉を残して.....。

物語は本当にファンタジーだった。自然に対する畏敬の念を忘れてしまいやすい人間というもの。自然が時にふるう猛威について伝説や言い伝えの形で語り継がれている社会かそうでないかというのが運命を決定的に左右するというのは東南アジアを近年襲った大地震大津波で実証されているというのが記憶に新しい。「夜叉ヶ池」の伝説を軽んじた村人たちは水に飲まれてしまうが、魚や田螺に姿を変えてしまっただけというのもファンタジー。自ら死んでいった百合たちもそこに新しい命を得る。
「夜叉ヶ池」の妖怪たちにも恐れる天の神がいて、その罰で自分も滅ぶかもしれなくても白雪が恋を貫こうとしたり、百合たち人間の夫婦の愛し合う姿を妬ましく羨ましくあやかりたいと思ったりする描き方がとても魅力的だ。異界の者の方が喜怒哀楽の感情を激しく吐露するところなど羨ましいと思えてしまう。人間社会の方がよほど生きにくいという皮肉もきいている。そしてそれらを美意識にくるみこんだ物語として作り出した鏡花をあらためてすごい作家だと感心した。

これまで玉三郎がつとめた百合と白雪姫の二役を託された春猿は堂々の主演である。百合は白髪の鬘姿から楚々として美しく、一転して白雪では異界の者の妖しい美しさが全開していた。澤潟屋一門を観始めた頃からこの人には花があると注目していた私としては感慨深いものがある。これで自信をつけてくれたと思うし、これからもどんどん大きなお役が回ってくることを願っている。また今月昼の部はTVで人気沸騰の春猿のナマ舞台を観たくて初歌舞伎座という観客も多いと思うが、そういう方たちにもとても満足してもらえたと思う。TVで見る面白キャラの春猿がこんなに真面目に美しい主役を張るのを観て、歌舞伎座に親しみを感じる若い人が増えてくれたんじゃないかと思う。歌舞伎を支える人たちを一回り広げる起爆剤にもなる抜擢だ。

段治郎も初日があいてすぐは台詞でいっぱいいっぱいだったと聞いていたが、その心配を吹き飛ばすようななかなかの出来。ちゃんと情感がこもっていた。切れ長の瞳が優しげで、白髪の鬘をとった散切り頭もよく似合う。何よりも春猿とのコンビのバランスがとてもよい。
右近でいつも気になるくせの強い台詞回しも、こういう役ではあまり気にならずにすみ、なかなかいい学円だったと思う。入間悪五郎の頃はあまりにまん丸顔で台詞が口にこもってもうあきれ果てたものだ(『演劇界』でも指摘されていたくらいだ)。今回は顔もすっきりとしていたしダイエット成功ではと思った(歌舞伎界はダイエット成功者が続出。私も見習った方がよいのだけれど.....)。
薪車は最後にちょっと出てくるだけの代議士の穴隈役だったが、こういう二枚目ではない相当憎憎しい敵役もいい経験になるだろうと思う。『日高川入相桜』の赤っ面の船頭をふと思い出してしまったが(笑)。

鏡花の作品のうち、『滝の白糸』のような作品は新派に向いていると思うが、この世のものではない存在と人間がかかわっていく系列の物作品は歌舞伎役者が演じてこそ活きてくると思う。この作品でも蟹五郎・鯉七・黒和尚などという眷属などは歌舞伎風に演じるのにぴったりだ。
澤潟屋の一門は猿之助の下でスーパー歌舞伎に取り組んできたので、こういう古典的な歌舞伎ではない作品において力を発揮しやすいのかもしれないと思った。

写真は今月の歌舞伎座のチラシの画像。
七月大歌舞伎②『海神別荘』の感想はこちら
七月大歌舞伎③『山吹』の感想はこちら
七月大歌舞伎④『天守物語』の感想はこちら

06/07/22 朋遠方より来る日に4万アクセス、多謝m(_ _)m

2006-07-22 23:59:00 | つれづれなるままに

本日4万アクセスを突破しました。6/1に3万アクセスを越してから2ヶ月弱でした。皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

高校時代のクラスメイトのUさんが娘さんを連れてUSAからお里帰りで今日、1年ぶりにお会いできた。夕方までに所用を済ませてから先に集合していた同級生たちのところに私も娘を連れて合流。遅くなりすぎて結局他の方とはお話できなかったが、国内組の友人とはまた別の機会もある。
2組の母娘でカラオケに行くことになり、2時間歌ってきた。実は毎週恒例のカラオケを2時間してきた後なのである。結局それが練習になっていてまあまあの歌をお聞かせすることができたということにもなった。
私が高校時代に歌っているのを聞いている彼女が懐かしいと思ってくれる曲、ジャパンアニメの大好きな娘さんのためにもジブリの映画で使われている曲、いろいろ歌った。娘2人も歌いまくり。彼女の娘さんは日本語もうまくアニメソングも綺麗な声で歌ってくれた。土曜日の夜はけっこう高い料金になってしまったけれど、日本のカラオケを楽しんでいただけたようで嬉しかった。

また会える日を楽しみにバイバイ(^O^)/
その後、古本屋に回る私たち。
遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』をGET!11~12月に世界で日本が初演となるミュージカル『M.A』の原作だ。やはり歴史物のドラマが好きなのだ。

さて、明日はいよいよ歌舞伎座昼の部!しっかり玉さまの鏡花ワールドに浸ってこよう。なるべく感想早く書くように頑張る予定。

06/07/21 「この人にトキメキっ! 中村吉右衛門」

2006-07-21 23:59:55 | つれづれなるままに
今日もノーマークだったNHK“生活ほっとモーニング”の「この人にトキメキっ!」シリーズ。今日は中村吉右衛門で、ちゃんと最初から見ることができた!

●自ら手がけた新作歌舞伎『藤戸』
6月に歌舞伎座で上演された『藤戸』の舞台と舞台裏の映像を紹介しながら、作品に込めた平和へのメッセージ、新作を作る動機などについてきいていた。
→『藤戸』は3階西席だったため花道が全く見えなかった。番組中の映像で悪龍の引っ込みを観ることができてラッキー!1944年の生まれで全く戦争の記憶はないが体験した方の話を身近に聞く中で戦争は嫌だと思うようになったし、いつも災難にあうのは庶民。「愛と平和の3部作」は父と娘、母と息子、男と女の場合でつくったという。歌舞伎役者というのは元々古典の継承だけでなく自分なりの新しい舞台をつくっていくものと説明。
●吉右衛門の名の継承
母方の祖父(初代吉右衛門)の養子に入ったことを「戸籍を抹殺された」と表現。平日は実父母の元で週末は祖父の家で暮らすという「二重生活で二重人格になった」という表現で屈折ぶりを匂わせた。「フランス人の彼女がいてフランス文学を研究しにフランスに行って役者をやめたいと実父に言った」時の父とのやりとりなどのエピソードも出てなかなかのものだった。
●「秀山祭」にかける思い
初代・吉右衛門の生誕120年を記念する9月の「秀山祭」の会見の様子も紹介され、本人と実兄の松本幸四郎の挨拶も聞くことができた。本当にアニキと弟という雰囲気が漂っていてなんかとても新鮮な感じだった。若手の役者に自分が引き継いできたものを継承する場としていきたいという。そして毎年やることになっていると番組中で明言!毎年5月だけでなく9月も大変なことになった。跡継ぎがいないので「秀山祭」が子どもみたいなものと考えているという。あと20年か生きている限りやる強い意志をみせていた。

屈折した子どもだったことが、大人になってもあちこちに茶目っ気として出てくるような人柄を感じた。そのへんが彼の芝居の下地になっていそうな気がする。
「いつでも不安で今でも不安」という言葉も出ていたが、だからいつでも気を抜かずに不断の努力を続けているのだろう。「そういう苦労と努力を私は知っている」という旨の兄の言葉は何よりのものだったのではないだろうか。

まずは兄弟の共演が実現した。もう一人の天真爛漫な丈との共演待ち遠しいものだが、性格的に合わないのかもしれないなあと半分あきらめの境地になってきた。おふたりとも贔屓の私としてはとても残念なのだが.....。

06/07/18 玉三郎の鏡花作品一挙上演を考える

2006-07-18 23:43:47 | 観劇

当月の七月大歌舞伎に坂東玉三郎監修で泉鏡花の4作品を歌舞伎座の昼夜で上演するという画期的な企画が実現。私もはりきってチケットをとっていた。海外旅行の前にはしっかり下調べをするのと同様、7/23と7/30の観劇前にある程度の予習をしておこうと原作を買って読もうかどうしようかと逡巡。しかしながら原作の科白以外の部分の文章が難しそうなので踏み切れないでいた。

娘につきあう古本屋めぐりの中で偶然に目に入ってきたのは波津彬子『鏡花夢幻 泉鏡花/原作より』(白泉社文庫)。
今回の公演の「山吹」を除く3作品が収録されているし、絵も細かく丁寧で美しい。映画で「天守物語」を観た記憶でパラパラ見てみると鏡花の科白もかなりきちんと使われているようだったので即買い!「天守物語」を読むと映画で感じた世界が再体験できるものだった。
巻末の解説がまたわかりやすかった。金沢在住の泉鏡花研究者の妹尾真祈さんの文章から、今回の玉三郎の鏡花作品一挙上演のねらいをいろいろと考えてしまった。

作品の発表順でみると「夜叉ヶ池」(大正2年3月)→「海神別荘」(大正2年12月)→「天守物語」(大正6年発表)。戯曲の完成度からすると「天守物語」は最高傑作とされ、「夜叉ヶ池」はそれには及ばないが同様に舞台化、映画化されている。それら2作品より「海神別荘」は評価が低く舞台上演は昭和30年。平成6年の玉三郎による再演まで手がける人がいなかったのだ。
鏡花の作品のうち、この世のものではない存在と人間がかかわっていく系列の物語には能楽という下地があるようだ。鏡花は能楽と関わりの深い金沢で生まれ育ち、母親は能の囃方の家(大鼓師)の出身で伯父は能楽師になっている。
異界の者と人間とのやりとりの中で人間社会の問題をあぶり出しながら、生と死についての美学をうたい上げていくような鏡花作品への造詣の深い玉三郎。彼がこの7月に4本を歌舞伎座で一挙上演できる機会を活かし切るべく、今回の4本を並べてきたのであろう。

3本はまずは上記の作品で決まり。あと1本の「山吹」が何故選ばれたのかという疑問がわく。実際に観てこられたブロガーさんたちの感想をあちこち拝読させていただいているが、やはり一番難解のようだ。
私の仮説は主演に抜擢した役者のニンを活かせる作品を選んだのではないかということである。この間、玉三郎は若手の育成のためにかなり力を注いでいることは明らかで、その努力には敬意を表したい。
まずはこのところ「天守物語」「海神別荘」で相手役に選んだ海老蔵を今回も起用。特に「海神別荘」の主役は美女ではなく公子。再演の海老蔵の成長が問われてくる。やはりこの2作品での相手役は段治郎では及ばないだろう。
そして「夜叉ヶ池」の主役に春猿を起用。「天守物語」の富姫の妹の亀姫にも起用と昼夜の大抜擢!!私も以前から春猿の美しいだけでなく妖しい風情も漂う様子に注目していたので納得の配置だ。TVのバラエティ番組での人気だけでない歌舞伎での力量を発揮して若い観客層を広げる起爆剤ともなるだろう。
最後に笑三郎を主役に起用するために何かひとつ演目を選ぶ。それも「天守物語」との時間の関係から短めの作品になるという条件がつく。笑三郎はどちらかというと地味目な感じなのだが芝居は巧い。感情の細やかな機微もきちんと出せる。しかしながらなかなか主役が回ってこなかったのを今回の抜擢である。「山吹」の女主人公はなかなか難しそうな役である。それをきちんと演じきれているかどうかを観るのは今回の楽しみのひとつになっている。
「夜叉ヶ池」と「山吹」の主役の相手役に段治郎を配置。こうして若手を主役または主役級の役につけて育成を図る。
そうして玉三郎自らは、昼で「海神別荘」で海老蔵を立てながら一役つとめ、夜の部の最後に鏡花の最高傑作「天守物語」の富姫で主演して一日を終わる。

そうして妹尾真祈さんの解説からもうひとつ閃いたこと。「『天守物語』.....ギリシャ劇風の唐突な大団円」「人間を超越したものが突如として現れ、大団円となる」「『天守物語』では近江之丞桃六こそが.....」
そうなのだ、何かに似ていると感じていたのは蜷川幸雄による『グリークス』の一挙上演だった。一部二部三部の各3時間×3本を一日で観るか3日に分けて通うかという企画だった。その中で突然アポロンが出てきての大団円というのには驚いたものだが、『天守物語』の幕切れはまさにそれに似ていたのだった。

昨年七月の『NINAGAWA十二夜』といい、今年の鏡花4作品一挙上演といい、現代日本の舞台上演史の中でも画期的な企画が取り組まれたものだ。玉三郎は自ら役者として演じつつ、日本における世界のNINAGAWAにも並ぶ存在になりつつあるのかもしれない。

とここまでイメージが膨らんでしまった。
原作に手がなかなか出ない皆様にも今回の漫画はお勧めしたい。舞台だけでなく漫画と解説(もう1本の解説は人形師辻村寿三郎氏)の両方で皆様にもいろいろとお考えいただき楽しんでいただけると思う。

写真は白泉社文庫の波津彬子『鏡花夢幻 泉鏡花/原作より』の表紙画像。
8/23追記
観劇後の感想記事などもこちらにリンクしておきましたm(_ _)m
七月大歌舞伎①『夜叉ヶ池』の感想はこちら
七月大歌舞伎②『海神別荘』の感想はこちら
七月大歌舞伎③『山吹』の感想はこちら
七月大歌舞伎④『天守物語』の感想はこちら
玉三郎丈は海神別荘でご休養?の記事はこちら

06/07/14 国立劇場鑑賞教室「毛谷村」にも満足

2006-07-17 14:03:47 | 観劇
国立劇場の歌舞伎鑑賞教室を急遽今月も観ることにした。社会人のための鑑賞教室に行けば上演台本つきの冊子がいただけるし、直前なので当日引取りでいいし、二等席がとれて1500円だというのも有難い。
1.「歌舞伎のみかた」
これにつきあうことに躊躇してはいたのだが、男女蔵の解説の評判がよかったのでちゃんと観る。袴姿に茶髪の今風の若いパパという感じ。ゆっくりとキーワード(もそうでないものも)を繰り返しながら丁寧に説明する姿に好感を持った。「おめちゃんとでも呼んでください」には少々無理も感じたけれど(笑)
今月は国立劇場の研修風景映像もまじえながら18歳から27歳までの研修生6人を紹介。志望動機などもききだすなど、鑑賞教室の若い観客には同世代が頑張っている世界により親しみを持ってもらおうというねらいがあるようだった。
スクリーンを多用し、「毛谷村」の概説にも人物関係図などもわかりやすかったのもよかったと思う。しかし、微塵弾正を「デビルデビルデビル、デビルの3乗のような悪」っていう説明は.....さすが男の子のお父さんかも。

2.「彦山権現誓助剣-毛谷村-(ひこさんごんげんちかいのすけだち-けやむら-)」
日本には仇討ち物が多数あり、この作品の主人公の毛谷村六助は天正年間に剣術の師匠の敵・京極内匠を討ったとされている。天明6年に大坂で人形浄瑠璃芝居として初演され、翌年には歌舞伎化されて江戸でも評判をとって人気演目のひとつになっているという。見取り上演では「六助住家」のみが多い中、今回は「杉坂墓所」も加えるのでよりいきさつがわかりやすいという。あらすじは以下の通り。
「杉坂墓所」の場
豊前国彦山麓の毛谷村に住む六助は剣術の達人。領主からも仕官を望まれているが断り続けている。かつて吉岡一味斎から秘伝を授けられていた折の教えを守っているのだが、「毛谷村六助に勝った者を召抱える」という旨の高札が領内の随所に出されていた。幕開けは彦山杉坂にある在所墓で六助が亡母の墓に小屋がけをして四十九日の通夜の最中。そこに老女を伴った浪人者が通りかかり、六助と知ると微塵弾正と名乗って願い事を申し出る。死期の迫った老母のために仕官の夢をかなえたいというのだ。母への孝養の思いに打たれた六助はわざと試合に負けてやる約束をする。六助が水を汲みに沢に下りたところに一人の老人が山賊に追われてきて襲われる。六助が戻って山賊を追い払うが既に瀕死の重傷。伴っていた幼子を六助に託して息を引き取る。
「毛谷村六助住家」の場
約束通り弾正との試合にわざと負けてやる六助。うって変わって尊大な態度で六助の眉間を割る恥辱も与えて去る弾正。それでも親孝行を助けた思いで見送る六助。
そこに旅の老女がやってきてこの宿の主が六助と気づくと「休ませてほしい」と上がりこみ、さらには「母にしてくれ」と手土産の切餅(50両の包み)を投げてよこす。それを「思案させてほしい」と投げ返し、奥の一間で休ませる。
亡母の回向の念仏の鐘の音に外で遊んでいた幼子が帰ってきて「母に会いたい」と泣く。母恋しさの思いに自分も重ねてともに泣く六助。
幼子の着ていた四つ身を外に干していたのに目をつけて謎の虚無僧が現れる。偽の売僧と見破られると六助に「家来の敵」とうちかかる。編み笠をとった女姿に「伯母さま」とかけよる幼子を抱きかかえての立ち回り。六助が事情を説明して名乗ると態度は豹変。その女は六助の女房だと言い出し押しかけ女房のように勝手に炊事を始め空焚きをしたりの大失態を演じる。ようやく自分は一味斎の娘お園と名乗り、父はお園を六助と娶わせようとしていたこと、幼子は妹の子どもであることを語る。驚きながらも師が息災かを尋ねる六助に、父が同じ家中で剣術師範をしていた京極内匠に暗殺されて自分が敵をたずねて歩いていたことを打ち明ける。そこに奥から老女が現れて一味斎の妻でお園の母のお幸であると名乗り、許婚どうしの婚礼を挙げさせる。六助は師であり義父にもあたる一味斎の敵をともに討つことを約束する。
そこに同じ村に住む斧右衛門の母の遺骸が運び込まれ、微塵弾正の偽母の役目を終えて殺されたことがわかる。自らを欺いた弾正への怒りを燃え上がらせる六助。斧右衛門の無念の思いを晴らしてやると約束する。
お幸が持っていた敵の京極内匠の人相書きなどで弾正が同一人物であることが明らかになる。あらためて御前試合を申し入れ、正体を暴いた上で敵討ちを上申することにして裃姿に姿をあらため、お園からは紅梅の枝をお幸からは白椿の枝を餞に贈られて出立するという絵面に決まって幕。

梅玉の六助と芝雀のお園はそれぞれ何回もつとめているが共演は初めてだという。お二人ともくせがないさっぱりしている印象がある。梅玉は台詞もよく通って聞き取りやすいのが好き。ただ二枚目の役はどうも物足りないのだが、こんなに子どもに優しく誰からも好かれるような好人物を演じるには適役だと思った。
お園の役というのは女武道できりりとカッコよく、許婚に出会うと途端にしおらしく豹変する魅力的なキャラクター。この演じわけがきちんとできるかどうかが問われるのだと思うが、芝雀は最近父譲りの可愛らしい芸風の魅力がどんどん出てきているようでしおらしい演技がなかなかよかった。

微塵弾正役の松江はこういう悪役は初めてということだったが、なかなか堂々としていた。これも襲名による自信がついてきたためだと思う。息子の玉太郎が幼子弥三松役で出ていて可愛らしかったが、自分の為所が終わるとボーっとしていてまだまだお芝居が好きになっていない様子。梨園の子どもって大変だ。

歌江のお幸もきりりとしていてよい。切り餅のやりとりの場面などは客席がどよめいていた。立役どうしではこういうやりとりがよくあるが、老女とのやりとりは珍しいのだと思うし、剣術の名人の妻としての格を匂わせる演出なのだろう。
最後に弾正から送り込まれた忍びの浪人役で梅玉の弟子の梅之が頑張ってくれていて嬉しかった。隙をついてお園の命をねらうがあしらわれ続けて最後は成敗されるのだが、難しい姿勢からとんぼを切ったり身体の動きの良さがかわれたのだと思うが、お園の豪傑ぶりを強調するための存在なので自分を主張しすぎてもいけないし目立たなさ過ぎてもいけないだろう。そこをすっきりとした拵えと動きのよさできちんとつとめていたと思う。
今回公演の満足度もなかなか高かった。

座頭が梅玉丈ということで演目の選定もされたようだ(昼の方のプログラムに書いてあった)。鑑賞教室の演目決めはどのようにしているのだろうと思っていたのだが、やはり座頭を決めてその方が他のキャストのことも目配りしながら演目を決める権利を持つのだなあとあらためてうかがい知った次第。
芝雀丈についてはこのところの株の急上昇を今回も確認。歌舞伎座ではなかなか立女形の役が回ってこない位置にいると思うが、こうしたところで一役一役を立派にこなしていく時期なのだろうと思う。

写真は「毛谷村」のプログラム表紙より芝雀のお園の虚無僧姿。
「毛谷村」に興味が湧いた理由を書いた記事はこちら
6月の鑑賞教室「国性爺合戦」の感想はこちら
先月には資料と一緒にアンケートをいただいた覚えがないのだが、今月は提出すると粗品進呈のアンケートがついていた。字幕についての受け止め方をきく設問もあった。幕間にしっかりと書いて最後になにやらミニペンをいただいた。
終演後、3階席のロビーでharukiさんと遭遇。短時間だったがミニミニオフ会とあいなり、楽しくおしゃべりさせていただいた。またよろしくm(_ _)m

06/07/16 『ラブ★コン』で抱腹絶倒!

2006-07-16 23:59:37 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
この連休明けまでに娘のバイト給与の振込先口座を作らねばならない。印鑑とパスポートで大丈夫な銀行窓口のある渋谷へまず一緒に出かける。それからどこかで映画『ラブ★コン』を観るだけのつもりだったのだが、娘が買いたい物があるということで、さいたま新都心までとって返して映画と買い物ができるようにする。渋谷との電車の往復の移動中、私はとにかく寝てばかりだった。

『ラブ★コン』は小池徹平ねらいの娘と谷原章介ねらいの私の利害一致で選んだ作品。昨日封切りしたばかりだからいっぱいかと思いきやそうでもなく、17:40からの回はガラガラだった。
原作は中原アヤによる同名の漫画。身長差11センチの高校生の男女が両思いになるまでのコメディドラマ。舞台は大阪弁とびかう舞戸(まいど!)学園。
必要以上にデッカイ女小泉リサ(身長170cm=藤澤恵麻)と必要以上に小っさい男大谷敦士(身長159cm=小池徹平)。リサは自分より小さな男子に、敦士は自分より大きな女子に告白して身長差を理由に相手にされなかったという苦い経験をそれぞれ持っている。高校で同じクラスで席を並べていても「このデカ女」「黙れチビ男」と言い合うような仲で「オール阪神巨人」と呼ばれるほどだった。同じマイナーなラッパー海坊主(寺島進)のファンだということがわかって意気投合。しばらくはいい友達でいたのだが、彼女の方がまず好きになってしまう。リサは同じグループの友人たちが応援も得て、意を決して告白するが敦士に冗談扱いされて傷つく。
ドンカン男の敦士にようやく真意をわかってもらうが「考えさせてくれ」と言われ、気まずい日々が続く。修学旅行先で「やはりいい相棒としか思えない」とふられてあきらめようとするリサ。
3年に進学してまたもや同じクラスになったふたりの前に新任の副担任舞竹先生(マイティ=谷原章介)が登場。リサは心の拠所の恋愛ゲームのキャラに似たマイティにすっかり心を奪われ、親衛隊長のようになっている。敦士は身長の低さを根性で乗り越えてバスケット部のキャプテンにまでなっているが、なんと今年の顧問はマイティという皮肉。しかしマイティはふたりの心を見抜いていて敦士が自分の本当の気持ちに気づくよう大芝居を打つ(そのはずなんだけど)。
そしてハッピーエンド!!

コメディ漫画の味を出そうと登場人物にはどれも過剰な設定がされ、画面にはCG加工も飛び、途中解説者も画面の端に登場し.....と抱腹絶倒だった。
藤澤恵麻は2004年のNHKの朝ドラ『天花』(過去最低の視聴率をマークしたという)のヒロイン。確かに背がでかかったけど最後まで芝居が巧くならない子だな~と思いながら観ていた。今回は相変わらず台詞回しはあまり巧くなかったけれど、表情が豊かになっていたのは好感が持てた。小池徹平は今回の役でも髪をパッチン止めしてバスケの試合に出ていたり可愛さ炸裂。まるで漫画のキャラのよう。
マイティ先生の谷原章介は予告編のあまりの衝撃に観たくなった場面はもちろん、あらゆる登場シーンで期待以上の存在感を見せてくれた。漫画から抜け出てきたような気障な台詞やしぐさが全てに無理なく魅力的だった。谷原章介に興味を持つ方は皆、振りつきの「よろしQUEEN!」の決め台詞に悩殺されること間違いなし(二枚目しか見たくない方はお避けください)。
またこのところ刑事物のTVドラマなどで個性的な存在として記憶していた寺島進や田中要次がぶっとんだ役で笑わせてくれたのも嬉しかった。

娘も私もそれぞれのお目当てに満足して帰宅。
昔ユーミンが歌った『5cmの向う岸』という曲を思い出した。先日もカラオケで懐かしく歌ったばかりだが、30年ほど前は5cmの男女の身長差での別離を切なく歌ったのだ。♪若いころには見かけが大事よ~、5cmの向う岸渡れないこともある~♪今は11cmの差をもちろん紆余曲折がありつつも乗り越えてハッピーになるという話がウケルのだから、それはそれでよい時代変化かなあと思った。

今月は1日映画の日の『タイヨウの歌』に続きもう2本目。『タイヨウの歌』は今日はけっこういっぱいになっていたが、TVドラマが始まるのでその影響もありそう。私はYUIの歌い方がちょっとダメだった。声は綺麗なんだけど歌い方にメリハリがあまりなく頭の中を素通りしてしまう。台詞もけっこう単調だったし。一番よかったのは父親役の岸谷五朗で存在感が大きかった。満足度は『ラブ★コン』に軍配。

写真は松竹のサイトより。
明日は改装後初めて帝劇へ。ようやく『ダンス・オブ・ヴァンパイヤ』の1回目を観るぞ~。

06/07/15 祝!娘のバイト決定!!

2006-07-15 23:59:13 | つれづれなるままに

アニメの夜間コースの先生やクラスメイトに恵まれて、課題が描けていなくてもみんなに会いに登校するようになってきていた娘。
それ以外の日にはなかなか家を出る気力が湧かず、自分でも「馬ニンジン作戦」しかないという自覚があった。それでバイトを2箇所面接に行ったけれど不採用が続き、自信を失っていた。
それをクラスメイトや先生とご飯を食べた時に愚痴ったところ、「会話のクラスは任意なんだから来れる時だけ参加ということにして勤務可能日をもっと増やした方がいいよ」とアドバイスされ、気を取り直していた。

そして今日、歩いて12~3分のショッピングセンターに面接に行かせた。まあ面接のアポは私がとったんだけどさ~(^^ゞ
勤務可能時間も22:00までOKということにして私は店内にあるマックで待機。終わって店内を迷って携帯で「お母さん、どこ~」と電話してきた娘を誘導して着席させる。
私「結果いつわかるの?」
娘「あ、採用だって。午後4時から10時までで途中休憩1時間だってさ」
私「よかったね~。今度は大丈夫だと思ってたんだけどやっぱりね。びっくりした?」
娘「うん。なんで今度は大丈夫だって思ったの?」
私「募集の職種がいっぱいあったからだよ。それで何やることになったの。第一希望の事務はだめだった?」
娘「事務はもう4人来ていっぱいだって。化粧品売り場だよ」
私「え~っ。他にあったの?」
娘「紳士服か婦人服か化粧品って言われたから化粧品にした」
私「なんでまた化粧品にしたのさ」
娘「洋服だとズボンの丈上げの採寸とかするじゃない。それは嫌だからだよ」
私「そっか~」
娘「スカート履くんだって」
私「どうすんの、持ってないじゃない」
娘「制服だよ。あと革靴履いてくださいって。大丈夫かな」
そうなのだ、母娘3代の遺伝で靴擦れしやすい体質で学校の許可をとって指定靴ではない軟らかい革靴しか履くことができない娘。ボロボロの通学靴しか持っていない。まあそれで様子見かな。
私「いつから仕事なの?」
娘「まず手続きが18日。給与振込みだから銀行の口座がいるってさ。郵便局のじゃダメだって。お母さんどこかで作ってきてよ」
私「本人じゃないと今はつくれないからお母さんだけじゃ作れないよ」
ということでいろいろと知恵を絞った。
ネットで土日祝日で口座開設できるかどうか調べたが、もうひとつわからないので24時間対応の問い合わせ窓口へ電話してみた。TV窓口のある店で必要なものの確認だ。印鑑と身分証明でパスポートを持っていくが大丈夫かきいたところ駄目だという。TV窓口だと運転免許証しか使えないのだそうだ。多分機械の都合だと思う。有人窓口の開設されているのは渋谷か新宿とのこと。
明日、どちらかに一緒に行って作ってこよう。ついでに映画かな。娘と観るなら『ラブ☆コン』かな。小池徹平ねらいの娘と谷原章介ねらいの私の利害?一致。

今日もカラオケ2時間、古本屋めぐり3時間という充実した一日を過ごした後なのだが、この3連休も娘とつきあっておしまいになりそう。最後の日は『ダンス・オブ・ヴァンパイヤ』で打ち上げだ。

06/07/14 半分だけ観たNHK「この人にトキメキっ!蜷川幸雄」

2006-07-14 23:59:24 | つれづれなるままに

NHKの朝番組“生活ほっとモーニング”の「この人にトキメキっ!」シリーズは坂東玉三郎、中村勘三郎の時にビデオでしっかりと録画して見た。今週も月曜日の浅丘ルリ子の時は最初からちゃんと見ていて秋にテアトル銀座で上演される『伝説の女優』をやっぱり観ないといけないかな~などと思っていた。

今日は朝ドラを観てからどうしてもフラフラするので「ダメだ、9時まで仮眠だ~」とTVを消して再びベッドへ.....。
そして9時の目覚ましで起きて再度TVのスイッチオン!
「あっ蜷川さん出てる~、しまった、ノーマークだった」
NHKのサイトによると番組の内容は以下の通り。
「世界のニナガワ」として70歳を超えてもなお演出家として第一線で走り続ける蜷川幸雄さんにおいでいただき、最新作の舞台『あわれ彼女は娼婦』、今年の春立ち上げた高齢者演劇集団「埼玉ゴールド・シアター」、そして知られざる俳優時代や演出家として走り続けた足跡などについてお伺いし、家族の見た蜷川幸雄さんについても紹介しました。

私が見ることができたのは「知られざる俳優時代」のNHKのドラマの映像から。うーん大根役者だったんだな~。演出家に回って大正解。妻の宏子さん(女優・真山知子)に食べさせてもらっていた時期もあって家事は得意らしく、今も食器を洗ったり洗濯物をたたんだりするのが好きだという。洋服屋の息子だったから裁縫は奥さんよりも得意だったっていうしな。手仕事が好きな人だけに演出でも細かいところまで要求するんだろうなって思いながら聞いていた。
離れが仕事部屋になっていて、そこには机も複数あって『オレステス』のことをやる時はこの机ってグルグル使いまわすのだそうだ。確かに同時並行していろんな仕事しているから複数の机が必要なんだろうな。
仕事部屋は本だらけ。歌舞伎関係の本もたくさんあった。歌舞伎は小さい時からよく連れて行かれてみていたという。だから蜷川さんの海外公演予定の舞台にはそういうテイストがあそこまで盛り込めるのだろう。平幹二朗・栗原小巻の『仏壇マクベス』の映像を見ることができたのも嬉しかった。
昨年の7月までは歌舞伎の演出には手を出さずにきたが、『十二夜』はかなり良かったので二年に一回くらいは歌舞伎の演出をやっていただきたいと思うのだが.....。
高齢者演劇集団「埼玉ゴールド・シアター」の取り組みについては先日女性週刊誌に載っていたのを読んだばかり。予想をはるかに上回る応募があったのだという。地方にいた人が仕事もやめてオーディションを受け、合格して単身アパートに住んで参加しているという。プロをめざしてはいるが、受講中はちゃんと受講料も支払わなければいけないのだし、経済的に余裕がある人が参加するのだろうと予想していたのだが、そういう人ばかりではないらしい。
残りの人生を見据えながらいつも挑戦を続けている蜷川さんにかけたいと思った人がこんなにいるのかと感動した矢先の番組だった。
ちゃんと見ればよかったけれど、半分でも見ることができて良かったと思うことにしよう。
次に観る蜷川さんの舞台は『オレステス』。藤原竜也×蜷川幸雄のギリシャ悲劇ははずせない。