ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/03/10 両国・深川散策企画(3)深川の富岡八幡宮→永代橋を通って帰るもよし

2012-03-24 20:34:01 | おでかけ、旅行

03/10両国・深川散策企画(1)ちゃんこ鍋ランチ、回向院詣での記事 (2)開創310年の深川不動堂の記事はこちら
深川不動尊から富岡八幡宮へはほんのすぐ近く。お隣という感じで隔てる小道を渡ればすぐに本殿脇の入り口から八幡様の境内。ご一緒しているさちぎくさんが昔、富岡八幡宮でご親戚が結婚式を上げた時に本殿にも上がったとお聞きした。その途中に「富岡斎場」という建物もあり、神葬祭がここでできるようになっているようだ。なるほど、深川八幡では、結婚式もお葬式もできるのかとちょっと驚く(これまで知っている神社は慶事対応のみをしているところが多かった)。
「富岡八幡宮」の公式サイトはこちら

冒頭の写真のように本殿が二層構造になっていて、かなり立派なので驚いた。また、元准勅祭神社である東京十社を巡拝する「東京十社巡り」というのがあって、それに因んだ十社の小さな記念絵馬が可愛かったので、富岡八幡宮の分を買ってしまった。

こちらにも横綱力士碑や大関力士碑があった。八幡様は戦勝を祈願する神様であり、相撲とりの信仰も厚かったことがしのばれる。
また、境内には17社におよぶ末社があるらしいが、全部きちんとお参りする時間はなかった。婚儀殿の裏手にあるお社には松尾芭蕉命が御祭神というのもあって、へぇ~と感心(生涯で最も長く深川に住んだことかららしい)。
八幡様ができる前からの地主神の七渡弁天を祀る七渡神社は池の中にあった。なるほど、弁天池というのが弁天様を祀る時にはセットになっているらしいと今回初めて気がついた。水と弁天の関係について、機会があったら調べてみようっと。

Wikipediaの「富岡八幡宮」はこちら
深川八幡祭は、山王祭、神田祭と並んで「江戸三大祭」の一つで、深川は特に大小の神輿が繰り出すのが特徴のようで、境内の「神輿庫」にはガラス越しに「日本最大の神輿」が見える。きんきらきんで立派だ!!一回くらいお祭りを見に来てもいいかもしれないと思えるが、人混みが苦手なので無理かもしれないなぁ(^^ゞ
正面の大鳥居に向かって進む逆廻りでのお参りになったが、大鳥居横に伊能忠敬の銅像があった。測量の旅に出かける時は毎回この八幡様に参拝していたことによるらしい。

その像の近くに「深川めし」を出す店があり、ちょうど夕方の開店時で、私たちが見ている前で開店を告げる暖簾を店内から持って出てきた。下の写真には伊能忠敬の銅像とそのお店が写っている。次に来る時は、「深川めし」を食べて散策するというのがいいなぁ。


今日は、門前仲町駅からの参道にあったジョナサンで軽食やらスイーツとお茶やら各自のお腹と相談して食べて散会。帰りは都バスで永代橋を通って東京駅に出ることにした。
暗くなってライトアップされた永代橋も風情たっぷり。橋の上からは川下に月島の高層マンション群、川上にはこれまたライトアップされた東京スカイツリーが見えて、散策の最後も満足、満足。


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6 コメント

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時間短縮のために (茲愉有人)
2012-03-25 01:16:19
手許にある本での受け売りをしましょうか。

『日本の神様読み解き事典』(川口謙二編著、柏書房)

弁才天(弁財天)は仏神の一つ。梵語のサラスヴアテイの訳。妙音天、妙音楽天とも訳される。

その本源はインドの河神で、これはインド神話の河川を神格化したもの。一説にはインダス川の神格化ともいわれている。後に仏教に取り入れられ、吉祥天と同一視されるようになった。
この神は人の汚れを払い、富貴・名誉・福寿・食物と勇気、それに子孫を恵む神であるといわれ、一方、学問と伎芸の神でもある。さらに雄弁の知恵と保護神でもあるという、結構づくめで信仰されてきた。

ヒンズー教ではブラフマン神の配偶神とされているが、日本では宇賀神と夫婦神として信仰されている民俗もある。

弁才天はチベットでも同様の信仰があり、中部のヤムド湖には、弁才天の浄土があると信じられているほどにである。

金光明経で説く弁才天は八臂(8本)の御手
天台、真言などの密教で説く弁才天は二臂(2本)の御手

日本では七福神の一人として民間の信仰を集めてきた。
民間信仰としては、竜女あるいは宇賀神そのものの化身とする信仰もあり、この弁才天の頭に白蛇を冠した像を作ったりしている。蛇すなわち弁天様という信仰もあった。
 古川柳 弁天様だ殺すなと母はとめ

水を司る神として農民に信奉されていた。←水辺、用水、小川の水辺に弁才天の石像

江ノ島神社の裸弁天は琵琶を弾く二臂像、しかし同じく八臂弁才天もあるようです。
鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の社宝は、二臂弁才天だとか。

『図説 歴史散歩事典』(山川出版社)には、
天部の仏像として分類されています。吉祥天、大黒天などと同じ。八部衆、十二神将なども同じ。
インドのサラスバティーという河の神で、水神・農業神として尊崇された。弁才天の祀堂が多く池や河のほとりにあるのはそのためである。

と、同様の記述です。

尚、鎌倉時代以降は弁財天とも表記されることになったようです。


弁才天
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A9

こんなところでしょうか。

当方の頭の整理を兼ねて、シェアしましょう。
返信する
Unknown (玲小姐)
2012-03-25 08:19:02
茲愉有人さんが、ほとんど書いて下さっていますが、ワタシの手元にある「仏尊の事典(帝塚山短大助教授関根俊一先生編)」では、凡名サラスヴァティー、サラスヴァティー河を神格化して豊穣をもたらす農耕の女神となった。弁舌の神ヴァーチと習合され恵みを与える福徳神の性格に学才、音楽の神としての性格が加わる。弁才天の名前はヴァーチの性格を寄り強く反映したものといえる。弁財天という表記は、福徳神の性格が強調されていく室町時代以降に用いられる当て字。

日本の三弁天は、近江竹生島、江ノ島、厳島。いずれも水の側に祀られる。

頭に蛇を抱く宇賀神(蛇)を頂く像があるが、これは、同じく福徳神の茶吉尼天(だきにてん)信仰との習合と考えられる。


もともとが河の神様なので、水辺におまつりする、ということでよろしいのではないでしょうか。
返信する
興味の波紋として (茲愉有人)
2012-03-25 13:02:00
玲小姐様、当方の手許の本に記載のない事項、参考にさせていただきます。(茶吉尼天関連)

ちょっとマニアックな補足を・・・

弁才天像の形姿、その御手についてふと興味をいだき、ネット検索してみました。
三大弁才天はどんな御手の像なのか?

滋賀県の竹生島神社のHPには、
御祭神は
 市杵島比売命いちきしまひめのみこと (弁財天)
 宇賀福神うがふくじん 
 浅井比売命あざいひめのみこと  (産土神)
 龍神りゅうじん
と記されています。

ここの弁才天について、
あるブログで、http://www.genbu.net/data/oumi/tukubu_title.htm
「招福弁財天には、「日本五弁天」として、
安芸国 厳島大神、大和国 天川大神、近江国 竹生島大神、
相模国 江島大神、陸前国 黄金山大神
と記されていた。」と書かれています。
写真が載っていますが、ここも、二臂の像のようです。

社殿に祀られた御祭神が神仏習合していて、境内の西側に具象化した弁財天が祀られているということなのかもしれません。(大昔に一度竹生島に行った記憶があるのですが、その頃はほとんど意識しなかった・・・・あらためて訪れてみたい)

厳島神社 ウィキペディアから
宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀る。市杵島姫命は神仏習合時代に弁才天と習合し大願寺として、大願寺は・江島神社(神奈川県江の島)・都久夫須麻神社(滋賀県竹生島)と共に「日本三弁天の一」ともされている。

大願寺 http://www.miyajima-wch.jp/jp/shrines/01.html#a03
真言宗の古刹です。明治の神仏分離令までは嚴島神社の普請奉行として寺院の修理・造営を一手に担い、・・・・・
この寺の秘仏厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つ。
神仏分離令によって嚴島神社から遷されたこの厳島弁財天・・・・

そして、厳島弁財天のご開帳を拝観した人のブログ記事に
「大願時へ厳島弁財天を見に行ってきました。撮影が禁止されていたため弁財天の写真はありませんが、穏やかなお顔をした黄金の仏像には、千手観音のようにたくさんの手があり、頭の上には宮島の大鳥居を模ったものなのか鳥居の形をしたものを付けていらっしゃいました。」と記されています。
http://blogs.yahoo.co.jp/hirolin_m7/62025239.html
また、
「十七日午前八時。厨子(ずし)の扉が開かれた。暗がりから浮かび上がる大願寺の厳島弁財天。待ちかねた人々が、深々とぬかずく。
 福徳、生産、智恵、海運、音楽、弁論…。さまざまな願いをかなえる「日本三弁天」の一つに数えられる。すべてを受け入れてくれるかのような柔和な表情。朱の衣をまとう小ぶりな木像は、高さ約六十センチ。煩悩を断ち切る智(ち)剣、願いをかなえる宝珠などを八つの手に持つ。 」
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/miyajima/34.html
とあります。

厳島弁財天は八臂の像ということになりますね。
 
あらためて、江ノ島神社のHPにアクセスしてみました。
http://www.enoshimajinja.or.jp/gosaijin/gosaijin.html
御祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた神で、三人姉妹の女神様です。 奥津宮の多紀理比賣命、中津宮の市寸島比賣命、辺津宮の田寸津比賣命、この三女神を江島大神と称しています。古くは江島明神と呼ばれていましたが、仏教との習合によって、弁財天女とされ、江島弁財天として信仰されるに至り、 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれています。

辺津宮の境内の奉安殿には、八臂(はっぴ)弁財天と、 日本三大弁財天のひとつとして有名な裸弁財天・妙音(みょうおん)弁財天が安置されています。

と記されていますので、ご祭神と像は別になっているということでしょう。

日本への仏教伝来とともに仏像が将来され、仏像が国内で多く造られていった。
それまであった神道も神像を作る方向に歩み出し、また神仏習合の形で仏教世界との習合を行っていった。
その結果、「市杵島比売命」が弁才天と習合し、弁才天像が祀られるようになった。
祭神を具象化したものが弁才天/弁財天像として、人びとの信仰対象になる。人びとは形の見えるものの方がわかりやすい。間接的に無形(?)のご祭神が結びつく。

明治の廃仏毀釈の神仏分離で形としては分離したというところでしょか。

改めて、富岡八幡宮のHPを参照してみました。
七渡神社のところに、「御祭神 市木嶋姫命・・・七渡弁天と親しまれる八幡様の地主神」
と記されていますね。

ということは、弁才天像はないのかな?
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皆様、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2012-03-26 07:38:52
★茲愉有人さま、玲小姐さま
いつも有難うございます。お二人に調べていただいて、よくわかりました。
「市杵島比売命」についてネット検索したところ、コトバンクで以下のようにありました。
http://kotobank.jp/word/%E5%B8%82%E6%9D%B5%E5%B3%B6%E5%A7%AB%E5%91%BD
宗像大社の祭神でもあるとのことで、宗像水軍の神様ということはやはり水の神様なのでしょうか。同じ水の神様どうしで弁才天と融合したのではないかと推測できますね!
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推測はアタリ! (茲愉有人)
2012-03-27 11:04:07
手許にある『「日本の神様」がよくわかる本』(戸部民夫、PHP文庫)によれば、

もともと北九州を基盤とした海人集団(通説、宗像君)の信仰する地方神としての海の神が、『古事記』の中に集約されていったようですね。(本文からそう理解します)

こんな文が記されています。
「イチキシマヒメ命と弁才天の結びつきは、両方ともとびきりの美人であり、水(海)の神であるという共通性が考えられている。」(p41)と。

ピンポン!です。
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凄い (りひと)
2018-11-23 22:55:18
皆さまの考察とても納得出来ました。
ありがとうございます。5700
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