Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

生でのキッチンワイン

2021-01-17 | ワイン
少し出が遅れた。駐車も間一髪でが入り込んだので、遅れた親仁は頭を入れ乍ら家に戻って行ったようだ。椅子取りゲームのようだ。それでもパン屋の外には五人程並んでいたので、車内で少し待っていた。列が二三人の時に参戦したら直ぐに先頭になった。

まっさらの靴下を下ろしたので暖かい。ポリウレタンが入っているために吸湿性が悪く滑りやすいので夏には向かないが、夏になると洗濯で落ちていてからからになる。二度と買わないでおこうと思ったが、こうして冬に履くのは気持ちが良い。一週間に三回走って洗濯して一週間休ませる。冬場に下ろしてよかったと思う。

相変わらず足は遅いが楽に走れた分21分台で峠についていたので、自己最高の18分台にそれほど遠くはない。今はこの程度だと思う。南側の斜面に綿菓子の様に雪が残っていて驚いた。一本の小さなモミの木で木陰になっているところだった。

零下が続くので出かける前に不凍液を流しておいた。2対1で零下十度まで不凍なので、5lタンクに1lではあまり期待できないが、2月に零下二桁になる日があるかどうか、あっても続かないだろうと思っている。何分間駐車しておくかに依るが、精々一時間ぐらいなので、エンジンがある程度温まっていれば問題が無い筈だ。完全にタンクは水になっていたので洗浄液に色が付いただけでも安心である。

金曜日は貝を食した。普段はボンゴレにしてしまうのだが、前日にヌードルを食して、更に切れてきているので、ジャガイモを添えた。イタリア風にせずに出来るだけニュートラルな味にした。一番良かったのは鍋が空いて、短く早く蒸せたので味が良くなった。

いいワインを開けるほどのものでは無いので、キッチン用に購入したジルファーナーを飲んでみた。これの為に選んだようなところもある。リットル瓶で3ユーロしないぐらいだから文句は言えない。それでも2019年産のジルファーナーの味は出ていて、普段は買わない品種なので一回だけでも生で飲めて良かった。

造っているのはダイデスハイムのワイン街道からすると低地にある隣町ニーダーキルヘンの農協さんで、名門バッサーマンヨルダンと仕込みを同じところでやることになってから品質も上がっている。最低のこのようなワインでも生で飲んでイタリアのソアヴェなどよりも良いというのは中々である。12.5%のアルコールでリッター瓶だ。醸造技術や設備が近代化して、更にワイン山に手間をかけているからに違いない。一部石灰土壌の地所を使っているのだろう。

ベルリンからのストリーミングを観た。最初のインタヴューから「ロミオとジュリエット」が一部飛んでしまった。再放送で確認しないといけない。ラフマニノフの「死の島」も想定以上に内容が詰んでいて、いつもの死のテーマを取り囲むように沢山のテーマが見え隠れした。チャイコフスキーの「フランチェスカディルミニ」も予想以上に盛り沢山の作品で、詳しく聴き返してみないと駄目だ。

しかし、これを復活祭日曜日にやろうとしているのか。フランスから影響を受けたシムボリズムでスクリャビンまで出していたから、繋がりが明らかになってくるのだろう。聖金曜日はモーツァルトのレクイエムだったので、それはお決まりとしても、元々のプログラムであったラフマニノフのオペラの方にしても、ダンテのそれが出てくるとなると、中々一筋縄でいかないプログラミングをしていたことになる。二年間の復活祭でギッシリとロシア文化と音楽を紹介するに充分なプログラムのようだ。



参照:
作品中の人生即ち芸術 2019-03-20 | ワイン
ヌーヴォーパーティー2011 2011-11-18 | ワイン
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とても革新的な響き

2021-01-16 | 
アルフレード・ブレンデルの古い実況録音が流れた。ザールブリュッケンで地元の放送交響楽団と演奏したベートーヴェンの協奏曲一番だった。先日も言及したベルリンでの1983年のフィルハーモニカーとのツィクルスに続いて、ここでもラッセルデーヴィス指揮の伴奏で演奏している。

演奏は忘れていた80年代のブレンデルを思い出させて呉れるようなとても激しい演奏である。疾風怒涛のベートーヴェンで、詳しくベルリンでの録音共比較して聴き返してみなければいけないが、管弦楽が荒れている分だけに余計に激しく感じる。丁度ロンドンでセントマーチンオンザフィールドで録音した其れのようで、兎に角遊びが多い。ベルリンではもっと異なった演奏をしていた記憶がある。

こういう激しさの突飛推しの無いアイデアを体験するとブレンデルが試しに録音した最初のソナタ全集も聴いてみたくなる。そのVOXレーベルとソニーの差は、現在のレヴィットのそれなどとは比較にもならないほどの革新性があった。

確かに楽団は下手であるが、60年代から80年代ぐらいはドイツの放送交響楽団はこうした面白い事をやっていたのかと改めて思う。今はこのような革新性は交響楽団には求めようがない。

番組は楽団のオーボエ奏者が想い出の演奏会のアーカイヴ録音を紹介するというようなもので、ブレンデルとの逸話が面白かった。この週のある日ラッセルデーヴィスが会場に乗り遅れて、協奏曲を最初に回して指揮者無しで穴埋めしようとしたらしい。

先日のインタヴューでも指揮の事を話していたが、リズムを打てないのでやらないとしたらしいが、この時も到底できないという事で腕では指揮はしなかったのだが、いつもの顔芸で見事に振り切ったというのである。

どうもこの放送交響楽団と共演した最初で最後の機会の実況録音だった様だ。リストがアンコールとして演奏されている。

月曜日夜に発注した靴下がドレスデンから届いた。嘗てシューズを発注したかどうか覚えていないが業者はネットで見ていた。最初の注文かも知れない。20ユーロもしないものだから試してみた。同じ靴下は何回か購入しているが、これが最も好都合なオファーだった。ペイパルで払っていたので問題が起こればなんとかなったが、無事届いた。

平時のランニングには夏冬二足を履き替えていたが、もう一足が夏用でそれも穴が開くぐらいで薄くなっていて冷たくて仕方がなかった。もう一足も同様な状況で昨年購入した。土曜日早朝も零下四度ほどまで下がりそうなのでさらを下ろそうかと思う。それだけで大分暖かい。



参照:
フラマン人の誇り 2020-08-01 | 文化一般
15㎞圏内での日常生活 2021-01-06 | 生活 

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引き延ばされる冬

2021-01-15 | 
ベルリンでは4月4日復活祭日まで劇場やホールを閉鎖するという。早い対応である。背後にはフィルハーモニーやらの計画の為の要請があったのだろう。少なくともそこまで閉鎖するのはある意味仕方がない。昨春とは異なり圧倒的に市中に感染が広がっているのでワクチンの効果無しには距離を空けても空気感染の可能性が強くなる。

例え共産主義者が政権に入っていても教会歴に拘るのは休暇などでそこまでは皆を動かせない為であるが、その裏を張っている復活祭音楽祭などは影響を受ける。バーデンバ-デンの復活祭は昨年はその日まで公演をさせてくれとしたが通らなかった。今からすると症状を持った人に遠慮して貰えば満員にしても全く問題が無かった。恐らくクラスター化も無かっただろう。

そして今年はその一週間前から再開が出来るかどうかである。ベルリンとバーデンヴュルテムベルクでは十万人中の陽性者指数が199と154と大きく開いていて、バーデンバーデンなどは既に88と東京などと逆転しようかという指数になっている。今後も50以下へと落ちていくことは想定される。ワイン街道周辺でもスパーヤーのようなホットポイントとなったところでも87へと低下している。

アビテュアー筆記試験などもあるが、通勤通学を抑えれば50以下へと多くの地域で感染を縮小させて行ける。懸念されているのは一件見つかっている英国株だが、猛威を振るうにはある程度の期間が必要であろう。兎に角ドイツ全国で毎日1000人もつまり飛行機が数機以上毎日墜落する状況を克服しなければ催し物どころではなくなる。

ベルリンでは新たにベルリンの壁が建造されるように十五キロ以内に移動を限って大ベルリンを閉鎖する予定になっている。こちらでも基本的な外出禁止へと更に強く規制をして行くしか対処方法は無いとされている。

少し遅めに沢沿いを走りに行くと昨年の春とは異なり爺婆がグループになってハイキングにしているのを何件も見かけた。四夫婦程が一緒に活動するのは禁じられている筈なのだが守られていない。ああいうのは罰が当たっても仕方がないと思うが、それが決して少なくないので毎日千人も死ぬのである。林道なども警察などがもう少しパトロールしても良いと思う。

本当は金曜日からミュンヘンに宿泊する予定だった。オパーフェスト初売りの日を兼ねてと思っていたが、その発売も遅れて、大人数が並ぶなんて言う事は有り得なくなった。宿をキャンセルしたのは12月であるが、指揮者ズビン・メータの演奏会にも出かけるつもりだった。そのBR交響楽団演奏会は月末に行われて、序でにミュンヘンの歌劇場でも振って、双方ともストリーミング中継されることになった。

その代りフィランソワ・サビエロート指揮の演奏会がストリーミングされた。予想通り、無観客のヘラクレスザールから中継は聞きものだった。その音響が綺麗に捉えられていた。フランスからの二人の独奏者も中々独特の歌いまわしで、また管楽器陣にも不満もあり、引き延ばされたヴィーナーヴァルツァーの趣とは全く異なる演奏だったが、それでも楽器群の扱いと絡みは良く表現できていたと思う。管楽器群もそれに徹して演奏していたことになる。

指揮者も一昨年の楽団デビューの時からすると大分慣れてきた感じで、ラトルが監督になるとロンドンの時の様にムジカヴィーヴァなども振り分けることになるのかもしれないと感じた。

シェーンベルクの五十歳の誕生日への献呈作品で、アントン・ヴェーベルンとアルバン・ベルクの三人の名前が音名として組み込まれている。フィルハーモニア版に解説をしているのはピエール・ブレーズで、管弦楽のため作品op. 6の発展形としている。



参照:
茹で過ぎにならない実力 2019-04-07 | 料理
儚くなって来る期待 2021-01-13 | 生活
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禁じられたあそび

2021-01-14 | 雑感
モデルナの冷却輸送が問題となったようだ。ベルリンで輸送中に穴があったようだが、使えるという事になったらしい。日本の開業医らが冷凍温度が零下70度という事でビオンテクノワクチンは使い難いと表明していた。しかしそちらでは問題が起きずに僅か零下20度保存のモデルナワクチンで問題が起こった。発砲スティロールを使わずに段ボールで梱包していたらしい。

そもそも接種センターにまで運ぶならば専門的な輸送がなされるので問題が起こらないが、適当な輸送で問題が起きることはたとえ零下20度でも起きうる。特に夏場になると温度調整は大変だと思う。外気温は摂氏7度まで上がったが、冬場ならば容易いと考えたのだろう。勿論ビオンテクの方が凍ってしまったというのがあって、それでも問題は無いという事になっていた。

木曜日にミュンヘンのヘラクレスザールからベルク作曲13楽器室内協奏曲が放送される。小振りな編成であっても今迄今回のコロナ禍で聞かれることは無かった。やはりソリスツも必要で間隔を置いた編成では演奏が難しいのだろう。その反面昨年のベルリンの音楽フェスティヴァルではぺ―ターツィムマーマンの独奏でベルクの協奏曲が見事に演奏された。それは同じように楽器間の繋がりや重ね合わせが複雑な曲だった。間隔があってこその演奏だったという感想もある。今回もそこに期待すると同時に注目してみたいと思う。恐らくヘラクレスザールは理想的なホールではないかと思う。

管弦楽団は後任指揮者にサイモンラトル卿を選抜したが、デビューから二回目のフランソワザビエー・ロートが指揮する。後半にバルトークの「弦と打楽器とチェレスタの為の音楽」で、これまた特別な効果が期待できないかと思う。

暮れのジルフェスタ―コンツェルトの録音を再び流した。やはり見事な演奏でレオノーレ三番の柔軟性とその後の曲も素晴らしかった。大ヒット作映画「禁じられた遊び」のナルシソ・イエペスの演奏で 世界的にヒットした「ロマンツェ」もアフランフェス協奏曲と並んでその編曲もとても気が利いていた。
Narciso Yepes - Romance - Jeux interdits - Guitare

映画『禁じられた遊び』予告編

日曜洋画劇場 「禁じられた遊び」 解説:淀川長治

The End of Forbidden Games (1952)

Pablo Sáinz Villegas : Romance espagnole (Jeux interdits) - Berliner Philharmoniker -




参照:
先が見えぬ今日この頃 2021-01-12 | 歴史・時事
想いが詰まった演奏会 2021-01-01 | 音
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儚くなって来る期待

2021-01-13 | 生活
車中のニュースはドイツが入国を厳しく制限して行くというものだ。その内容は二日前の検査の義務や携帯電話へのソフトのインストールの徹底とかのようだ。中にいると注意していないが、英国以外にもより危ないウイルスを持ち込まれると危ないという事だろう。多くの地域や国が危険地域であるから仕方がない。

メルケル首相は大衆紙に復活祭まではこの状況が続くだろうと語ったようだが、大まかな状況分析よりもお得意の教会歴ごとの区切りを考えているのも事実である。今回の11月のロックダウンライトもクリスマスに自由になるようにと設定された。結果はクリスマス前に強化されて床屋までが急遽閉店となって、それが現在も継続している。

これで来週から通学が増えると感染は広がる。買い物とかの感染どころではない筈だ。ここ暫くはクリスマス後の増加が表れているが、このまま進めば目標の指数50に達する傾向は見えていた。今後は二月の空気感染などが活発になるので、八週間から十週間と継続される事は想定内である。

バーデンバーデンの復活祭のプログラムの一部が既に変更されたことはこの土曜日のベルリンからの無観客演奏会中継プログラムの変更で明らかになった。予定では復活祭の日曜日にはチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」序曲に続きラフマニノフのフランツェスカダリミーニがコンサート形式で演奏される筈だった。合唱も歌謡も問題なのでそれがチャイコフスキー作曲の管弦楽に代わり、その代りその前に「死の島」が演奏される。復活祭にこのプログラムとなるのか。

メインの「マゼッパ」のオペラ上演は更に困難である。既に演出のチェルコフスキーは六月のパリでの「スペードの女王」を断念したようで、その前の二月のミュンヘンでの「魔弾の射手」も流れるのは必至である。

身近になってくると全ての希望は儚くなって来た。今後はワクチン接種の効果とそれを絡めた新たなコンセプトしか期待出来なくなってきている。その集団免疫には期待するなという声も聞こえている。しかし重病者は減り死者もあまりでなくなる筈なのだが、どうなのか?

少なくともワクチン接種やテストで何かの自由が獲得できるというものでは無い筈だ。少なくともワクチンに関してはそこまでの供給の余裕が無いことも分かっている。



参照:
先が見えぬ今日この頃 2021-01-12 | 歴史・時事
来夏を夢みたい気持ち 2020-12-02 | 生活
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先が見えぬ今日この頃

2021-01-12 | 歴史・時事
無事に朝のお勤めを果たした。氷点下4度はやはり寒い。地面の湿気が地中から凍っていて、表面が氷化して滑るのよりも硬い。更に放射冷却で乾いていて身体は軽く感じる。跳ね返りは大きいがそれなりに靴のグリップは効く。ゆっくりと走る癖がついていて行けないのだが、それ以上求めても仕方がない。パン屋と肉屋でも予定通り買い付けて、漸く新年の仕事始めのような感じである。

就寝前からミュンヘンのBR放送交響楽団の死亡した指揮者ヤンソンスの後任人事の話題が流れていた。元ベルリナーフィルハーモニカーの芸術監督で現ロンドン交響楽団の指揮者サイモン・ラトル卿が就任のようだとあった。情報源が怪しかったので信用出来なかったが、昼前に正式発表となった。

昨年から最も後任として下馬評にも挙がっていたのだが、長年のファンとしては今更ミュンヘンで何をするのだろうかという印象だった。実際にそこでの共演の放送などを聴いていても新天地というだけの期待は全くなかった。その点秋にデビューしたオクサーナ・リニヴにはとても大きな期待が掛かった。勿論新ホールを建設予定のミュンヘンとしては今迄の流れを一新するだけの衝撃が必要だった。

結果、工期が遅れている新ホール建設を当初の計画通り進めるにしてもビックネームを必要としたというのも頷ける。ラトルならば文化などに興味の無いゾーダー知事でもこれならば使えると思うからだ。そういう政治的な動きで嘗てはフィルハーモニカーにチェリビダッケを冠して新会場ガスタイクを人で埋めた。それ以上にベルリンに対してミュンヘンが同等若しくは上であるような顔をするのがミュンヘンの政治だった。今回もそうした背景があったことは間違いない。キングメーカーとなったバイエルン放送協会の支配人ヴィルヘルムはメルケル首相の片腕だった人物でその辺りの目利きはしっかりとしている。

さて我々音楽芸術に係る者としての視点はまた別の所にあって、ミュンヘンでのコンサートが大きな芸術的な意味をもってベルリンをも刺激するだろうかどうか。嘗ての捻者とは違いラトルは世界中にメインストリームとして君臨できるスターであるから、勿論ベルリンへの影響も大きいと思われるが、その芸術的な意味合いに関してはとても疑問である。

同様なことはこの間ロンドンで行っていたプロジェクトなどにも明らかで、こちらの大きな期待には応えてはくれなかった。それどころかロンドンでの新コンサートホール建設も宙に浮いているらしい。新コンサートホール周辺の地域文化構想と共にハッキリしたコンセプトが交響楽団にも求められる。

今迄の情報からすればラトルがベルリンでやったような大衆化が一つであるのだが、その音楽的なコンセプトと上手にマッチするかどうかは疑われるところで、その点は国立オペラにおける新支配人ドルニ-と音楽監督ユロスキーとの方が劇場を使って広く語り掛けるだけのコンセプトを持ち合わせていると思われる。

就任は2023年のシーズン開幕からであるからまだ二年半以上あるので、地区開発の話しと共に具体的な話しは出てくると思われる。今回の調印後の談話においても、BR交響楽団の過去の指揮者クーベリックを挙げて、更に今まで使っていたヘラクレスザールというボックスシュー型の話題が出てくるところに、ラトル自らもこの大きなプロジェクトに自らのあまりにも高いコミュケ―ション能力を行使しているのが明らかだ。

ルツェルンからメールが来た。内容は二月十九日になって夏の音楽祭は初めて注文の作業を始めるという事である。最初は一月には夏の情勢が分かると考えたのかもしれない。しかし、到底無理で、一月延ばす、そして一般発売とならないだろう。満席で売れるような状況は到底計れない。先ずは限られただけ売って、余裕があればという事にしかならないだろう。夏のマスクだけは御免だ。



参照:
壊れた30年物ミーレ洗濯機 2020-12-30 | 生活
コロナ陰謀論の非合法化 2020-12-04 | 歴史・時事
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敵失で決定のカラヤン

2021-01-11 | 
承前)昨日に続き、フィルム「フィルハーモニカー、我々の歴史」を期限のある無料券を使ってデジタルコンサートホールで部分的に再確認した。

ここまで拘るのは新制作を、そしてこれをフィルハーモニカ―やキリル・ペトレンコがどのように観ているかに興味があるからだ。今歴史を振り返ることは先に活かされるからだ。掻い摘んだ内容よりも現場にいる人は更に何倍もの情報をその枝葉と共に得ている筈だが、ここでの内容だけでもとても沢山事を語っている。

旧フィルハーモニーの建築や音響に関してはとても重要な話題で、管弦楽が今後も存続するとすればやはり現在のカラヤンサーカスからボックスシュー型の最新ホールへの道が議論にのぼる筈だからだ。その中で興味深いのはよく知られている様にフルトヴェングラー指揮の時は旧フィルハーモニーでも独伝統的楽器配置よりも現代的な右側にヴィオラとその奥にコントラバスの配置が取られていた写真が沢山残っている。

また1944年1月30日での空爆での焼失後のティタニアパラストでの音響も話題になっていて、様々な角度からのフィルハーモニカーの記憶が集められている。そして愈々フォンカラヤンの登場である。出演しているのはカラヤン楽団の奏者で主観的な話しも多いが、チェリビダッケとカラヤンの間での選抜の話しが出る。チェリビダッケに関しては信者のそれはあまりにも過剰だがとしながらも、古顔三分の一も辞めさせようとしたことが最大の問題で、当時は楽団年金の機構も無かったから駄目になるのは当然だったとしている。ナチ党員であったことも考えれば、余程のアドヴァンテージがあったと思っていたが明らかな敵失となるとそれ程背後関係は無いと考えるべきなのだろう。

カラヤンの登場で興味深いのは、その早いテムピや運動性はトスカラヤンとして知られているもので、個人的に目に入って来たときはまだまだ初回のベートーヴェン全集でそのダイナミックス差があり、録音も教会で録られていた。そしてフルトヴェングラー時代からボーイングなどは一切弄っておらず、それはバスが証言していて伝統的とある一方、そのテムピの影響と指揮が全てだったとも言える。確かに66年の新世界の指揮でも魅せる以前にきびきびした感じは明らかだ。

その当時抜かれるか心配だったというのがフィルチャイ指揮の放送交響楽団だったとあり、その視座は無かったので、なるほどと思う。そもそも現在のフィルハーモニカーに比べたら上手いと言ってもも技術的には二三級下で、特に戦時下では教育が充分でなかった団員が多かったとされる。それに関してはカール・ライスターが採用試験を受けて何も出来ないのを悩んでいたら、楽団で学べばよいという事でカラヤンにも直々に教えて貰ったという。アバドの時などには到底想像できなかったと。

個人的にシュピラーラなども感銘を受けていて、個人的に話せるという事ではフルトヴェングラーの権威とは異なったとある。一緒にプールに入ったり、少人数では親しみのある人物だが、大勢の前ではボスを主張しなければいけなかった孤独な帝王だったと語られる。

音楽の話しは個人的にはしないが車や飛行機の話しにでは、日本旅行の節にブラウが始めていた操縦で日航に誘われたので、養成所で747を一緒に操縦士に入ったが、全てとても知り尽くしていたらしい。

ブラームスなどは誰でも弾けるもので名人には退屈で仕方がない曲であるが、合奏をするのが管弦楽団でそこに全てが注がれ伝統となっているとされる。そして、カラヤンは練習で締め上げるが、コンサートでは自由にやらせてくれたとされる。逆に言うとそれだけ指揮の実力があったという事になるのだろう。実際は千歳飴の様に演奏させるだけの力量が指揮者にも楽団にもあった。(終わり)



参照:
想いが詰まった演奏会 2021-01-01 | 音
楽では無く響のカラヤン 2020-07-18 | 音
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曙からの伝統の継続

2021-01-10 | マスメディア批評
最後の頂上往復が出来て心身ともスッキリとした。月曜日からは普通のルートへと戻る。すると長く標高差のあるルートは走る余裕が無くなる。

朝の目覚めが良かったので、それでも二時間ほどベットで温まってから出かけたので、鬼の形相とはならなかった。しかし走り始めようと思うと上からマウンテンバイクが下りて来た。曙で上がったのかそれとも短絡ルートを走っただけかは分からないが、ただの近所の親仁だった。

駐車場は地面が凍てついていて想定外だった。何とか坂道を超えると、雪が付き出した。すると後ろからマウンテンバイクが抜いて行った。今度は本格的な身なりの若い人だったが、結構苦しそうだった。こちらは完走のみを考えているが、足元も悪いと言っても本格的な積雪程ではない。マウンテンバイクが嫌に多いのは試したくて仕方がないのだろう。こちらはトレイルランニングシューズの薄い履き使い古したものだが、氷河でも同じようなものを履いているので全く気にならないが、グリップが良くない。

途中から眼鏡が曇って来てさらにスピードが落ちたと思う。その割には36分ほどで満足なところを41分しか掛かっていなかった。しかし下りに時間が掛かったようで下りてくると30分以上経過していた。往復50分を目指したところを75分も掛かっていた。

デジタルコンサートホールからお知らせのあった「フィルハーモニカー、我々の歴史」第一部を観た。旧年中に亡くなったコントラバス奏者のハルトマンを偲んでの新制作の様で、フルトヴェングラー時代を知っている楽員としてのインタヴューが要になっていて、カラヤン時代までの元奏者が勢揃いである。

アレクサンダー・ヴェードフ(チェロ、62-92)
ヴォルフラム・クリスト(ソロヴィオラ、78-99)
エーリッヒ・ハルトマン(バス、48-85)
ハンスディーター・シュヴァルツ(トロムボーン、70-91)
トーマス・ブランディス(コンツェルトマイスター、62-83)
ルドルフ・ヴァツェル(ソロバス、68-09)
ゴェッツ・トオィシュ(ソロチェロ、70-06)
ディートリッヒ・ゲルハルト(ヴィオラ、55-93)
アンドレアス・ブラウ(ソロフルート、69-15)
レオン・シュピラー(コンツェルトマイスター、63-93)
カール・ライスター(ソロクラリネット、59-93)

最初にニキシュ指揮の「運命」を聴きながらコメント、五弦のコントラバスの伝統やオーボエのヴィブラートの掛け始め、そしてヴィーナーのチャルメラのような音などが話題になって、フルトヴェングラー指揮「未完成」の練習風景。その漂うようなバスの低弦からの音とチェロよりも強く響くようでなければいけないことなど、そして嘗てはイタリア製でなくドイツのコントラバスを使っていたこと、しかし今日までの合奏の基礎になっていること。

コリオラン序曲の最初の三つのテュッティの尻上がりの緊張の掛かり方、その前提としての楽団の遅れて出るアインザッツをして、講演会でフルトヴェングラーが語っている。

「アインザッツが出ないのはニキシュからで、それは楽団の伝統で、皆は僕の指揮から来るというけど」と大笑いを誘う。

これはミュンヘンの座付管弦楽団で話題になるが、アメリカの楽団では無いことをしてヴェルサーメストは「歌を歌う時の一呼吸で、座付の伝統」としていたが、ベルリナーフィルハーモニカーはここで自らの伝統としている。

そしてカラヤンが打拍と同時に音を出そうとして何回も練習して、本番では遅れる。そして楽員が緊張感がその方があるというと、膝を叩いて「その通りだ」と認めたというのである。

そして1942年の第九の演奏へと移る。後にも先にもない演奏だが、その自由度をカラヤンも真似しようとしたが出来なかった。しかし管弦楽団の燃え方というのは今も同じで伝統的なものだとしている。(続く



参照:
聖像破壊者と伝統回帰者 2020-11-02 | 文化一般
美しい世界のようなもの 2016-03-28 | 音
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40度から60度のエコ

2021-01-09 | 生活
前夜にジャガイモを食して備えたが、頂上往復を断念した。未明に足がコブラ返りになった。カルシウムだけでなく水気も不足していたかもしれない。なにか夢で坂を走りながら足を突っ張った印象もある。運動不足である。そして予想通り雪が降った。

こうなれば、明日はパン屋が始まる前の最後の機会なので鬼の形相で先ずは駐車場まで適当な時刻に乗りつけよう。幸い天候は回復する。山の上には雪が着いているかもしれないが、完走だけが目標だ。それ以前に一時間でも運動が叶えばいい。

予報によると月曜日の朝は氷点下五度へと冷えそうなので、短く誤魔化すとすれば余計に週末に運動をしておかないと体調を壊す。そして月曜日には洗濯をしたい。なぜならば、手洗いしたものは一部生臭くなっていて、新しい洗濯機で早めに洗いたい。アイロンをかけても駄目だった。

新洗濯機で洗濯をした。先ず思っていたよりも通常の洗濯量が多いことが分かった。7kg対応を購入したが8kgでもよかったと思う。嘗ての様に別けて選択する程のことも無くなったので、追々一回の洗い物が多くなる。最近日本に居るドイツに所縁のありそうな者が熱湯洗いの事を自慢げに話していたが、とても昔の話しだ。成程喜んで綿を熱湯洗濯する場合もあるだろうが、通常の洗濯では意味を失っている。なによりも環境にやさしい洗濯が最先端の技術革新である。

兎に角、雑巾から下着からスポーツ衣料まで一気にエコモードで洗濯して仕舞えるのが一番先端である。ジーメンスの洗濯機ではエコモードで40度から60度までのお湯洗いとなる。現在の売れどころの洗剤では40度でも充分な結果が出る。あとは水の硬度だけで、ワイン街道の様に砂岩層の山が近ければ湧水をそのまま使えるので、とても柔らかく洗剤が溶けやすく、洗剤消費も抑えられて、下水への負荷を軽減できる。そもそも加熱洗濯の意味はそこにある。

まだプログラムの解析はしていないが、エコモードで3時15分ほど掛かる。ミーレと比較すると遅いが、少なくとも出来上がりは大分いい。洗剤臭も殆ど残っていない。回転数が1400へと上がっているので、脱水効果も53%とされる割には中まで乾いていて、明らかに乾燥が早い。ミーレは1100回転だった。

騒音も75dbで抑えられていて、水を回しても52dbである。実際の感じはリヴィングで音などを出しているとあまり気が付かなく、ドアを閉めてしまうと全く分からない。振動も横では流石に伝わるが、隣の部屋からは全く分からない。音作りはしてあって、ドイツの地下鉄のあの籠ったモーター音の様になっている。だから高回転もジェットタービンというよりはボッシュのモーターの割にはジーメンスのモーターも様な音だ。それどころか使い初めにモーターが温まると潤滑油が焦げるのかそのもの地下鉄のような匂いがした。ポーランド製だと思うが、徹頭徹尾ドイツ的な家庭電化製品である。

一部には生地が傷むという駆除があったが、下着や雑巾以外は洗濯ネットを使うようになってから何倍も長持ちするようになっていて、全く心配はいらない。干す時にも撚りよりも中までの脱水においても透過を感じたので決して悪くはない筈だ。

先日のアルフレード・ブレンデルの2011年におけるインタヴュー内容で、ピアノの種類についても一通り触れていたが、より興味を引いたのはヴィルヘルム・ケムプの演奏についてだった。その1950年代の演奏を頂点としていて、演奏会のどこかで20分ほどでも完璧にとても強い影響を及ぼす演奏をしたという事である。正直晩年の技術的云々の話しばかりをされる様子しか思い浮かばないので、それはなかなか分からない。



参照:
テニス腕になったこと 2021-01-08 | 音
持続性を考えて判断 2021-01-07 | 歴史・時事



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テニス腕になったこと

2021-01-08 | 
漸く洗濯が叶った。洗濯機が壊れたのが暮れの29日火曜日かも知れない。すると一年越しだ。金はたまらなくても垢は溜まるだろう。

予定通りの時刻に配達があった。朝にネットで確認を入れると電話連絡の代わりになるらしい。七件ほど前からGPS地図で配達を追っていた。マンハイムからこちらに来て七件目で二時間ほどだったろうか。

こちらも前日に水抜きを徹底して、配達当日の朝には出口に近いところまでもってきておいた。回転させないでもなんとかなった。肩も痛めなかったと思う。上下水ホースの繋げ口も中にも綿棒を入れて綺麗に磨いておいた。隠れる壁や床ももう一度拭き掃除をしておいた。一度設置してしまうと動かすのも煩わしくなる。

アマゾンで購入したのは全てのサーヴィス込みで早く安く持ってきてくれることだったが、予定通りやって貰った。但し接続はあまり考えていなかった様でこちらの工具を使った。問題だったのは下水ゴム管を止める金具を持っていなかったことで、これはこちらの古いものを使ってやり直した。更にそのホースが若干短く、洗濯取り入れ口をシャワーの方に向けられなかった。必要ならば長いのを買わないといけない。しかし奥行きも小さく、窓もグラグラしないので当面はその置き方で使える。

先ずは試運転として、ドラム洗い工程をすることになっている。やってみて驚いたのは波波の水を使って滝のように降らす工程で、これはシュツットガルトかミュンヘンの人ぐらいしか思いつかないとだろう。日本人が係っているかと思えるほどで、少なくともベネルクス三国などの人には発想が出来ないだろう。日本の人からするととても気持ちが良い工程だろう。

床も真っすぐではないので足調整などしなければいけないだろうが、試運転では全く問題が無かった。その静かなことも想定した通りだが、そのプログラムに一時間掛けるのも驚いた。終ってゴムの所を見ると三つほど穴をあけてあって、細かなことに拘っている。

ジーメンスの家電では富士通ジーメンスPCしか知らないが、洗濯機の印象は東芝の感じだろうか。車で言えばアウディの感じがする。先ずは本洗前の印象である。

引き続きNDRから放送されたブレンデルの生演奏を流している。若い時のピアノは最初に日本で聴いた時の響きに近くてやはり音に元気と透明性がある。イッセルシュテット指揮でのブラームスだ。先日聴いたインタヴューでもレパートリーを絞るようになってきた裏話もあった。

既にペダルのことには触れたが、ショパンに関してはコルト―を十日ほど追いかけて聴いて、ショパン弾きになるかそれとも中欧のレパートリーを弾くかの選択が当時は必要で、さもなくば到底コルト―には追い付けないことが分かったという。同様にバッハも原典主義の問題と同時に尊敬するエトヴィン・フィッシャーのそれに近づくことは避けたという。それでもゴールドベルクなどは1970年頃に挑戦しようとしてもう遅いと気が付いたらしい。違った意味で、ラフマニノフに時間を掛けるつもりなどは無かったという。

ロ短調ソナタを弾かないようになった理由は、ベルリナーフィルハーモニカーの日本ツアーに帯同して、ブラームスを二曲弾いてリストを弾いた時にテニス腕になって仕舞ったというのだ。その後二ヶ月ほど休んで、レパートリーを変えたという。

自ら代表的な録音とする「さすらい人幻想曲」、ハムマークラヴィーソナタ、そしてロ短調を弾かないでも幾らで弾くものがあるからと説明する。その三曲は後年もアルテオパーで弾いた。最後の四半世紀は毎年一度以上は聴いていたので、嘗てのそれと直接比較することは無く、音色的な差異があまり分からなかった。確かに日本公演で聴いたころは響きも違ったと思い出した。



参照:
„Ich war kein Wunderkind“ – Alfred Brendel zum 90. Geburtstag, Peter Stieber, SWR 2011
15㎞圏内での日常生活 2021-01-06 | 生活
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持続性を考えて判断

2021-01-07 | 歴史・時事
洗濯機が来る準備とか、NASのファイルの関連付け修正とか時間が掛かる。面倒だが仕方がない。

首都圏に緊急事態宣言が出て、音楽会が如何だとかあるので、今迄の経験や知見から纏めておこう。東京都は既に新陽性者指数54になっていて、100を超えて200へと近づいて来ると思われる。因みにベルリンでは既に山を越えて150である。

ベルリンで音楽会が出来なくなったのは11月3日のロックダウンからだとするとその時の指数は204で、それまでの延べ陽性者数は十万人中1226人、死者9人だった。東京は其々495人、4人。

ざっと陽性者数は三分の一ぐらいだろうか。つまり会場に千人寄れば0.8人程が陽性者である。しかし日本の検査数は一桁異なるので当時のベルリンの状況と変わらないと思う。そして人数制限で五分の一ぐらいでも公演を続けようとドイツでも試みられた。しかしロックダウンライトでシャットダウンとなった。

その時に国内ツアーを前にしたベルリナーフィルハーモニカーのキリル・ペトレンコは、催し物禁止に対してお門違いとコメントを出した。我々も直前のキャンセルに泣いた。しかし、客観的に考えれば春の公演とは比較にならないほどの危険性はあったのは事実である。アンチョコマスクなどでは空気感染は防げない。N95では息苦しくて音楽どころではない。

都内の状況はとても悪く催し物どころではなくシャットダウンが必要な状況だと思われる。医療崩壊が進めばそれどころではない。一方で、ここで無理にでもやっておかないと、先はとても長い。夏以降学校などが感染の温床とされていて、実際にドイツでも冬休みを挿むことで実証され、引き続き休校となる。繰級までが議論されるほどだ。

感染が広がれば広がるほど収束は遠くなる。ドイツにおいても二月、三月は催し物は厳しいと思われる。メルケル首相が目標とする指数50に近づく地域も増えている一方、50以下で催し物を五分の一以下で再開するにはワクチンによる収束の工程表が必要になって来る。

日本政府は非常事態宣言は指数35程を目標にしているというが、通勤通学が無くならない限り難しい。特に二月は日本も欧州と変わらない様に乾燥して空気感染が盛んになる。首都圏での催し物は遅かれ早かれシャットダウンを余儀なくされる。首都閉鎖されない限り、感染は全国津々浦々へと広がって、再び戻って来て長い月日を必要とするようになる。

お別れにミーレの洗濯機の写真をもう一度。1990年当時から環境を前面に出していたのがドイツの家庭電化だと分かる。四点の水の減量、プログラムに合わせた水の使い方、洗い物によって入れ時、洗剤の減量など現在当然の様に思われている事が書かれている。そしてそれらのことは制御が変わっただけで今でもベーシック製品の売り物となっていることに違いない。

ミーレは車で言えばメルセデスベンツのようなもので老舗とその時代に遅れないのをモットーとしているのがよく分かるあり方だ。何年使うかだけが、考えもので、車もやはり高価なものはそれだけ長持ちする。



参照:
壊れた30年物ミーレ洗濯機 2020-12-30 | 生活
疑わしいロックダウン 2020-10-29 | 歴史・時事
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15㎞圏内での日常生活

2021-01-06 | 生活
メルケル首相を中心に今後のロックダウンの扱いが議論されたようだ。課題は学校で、最早休校しか道は無くなった。また今迄は家族以外と五人までの寄り合いが許されていたが、僅か一人となる。五人は多過ぎたので価値があるだろう。

更に指数200を超えると自宅から15㎞圏外には出れないようになる。幸い一時は危なかったがここワイン街道でも150を切っているので、一先ず大丈夫だが、距離を調べてみた。車では往復13㎞ほど走っているところが多くて、場所によっては超えるかと思ったからだ。

実際に調べてみると、スーパーとかパン屋とか走りに行っているところは数キロ以内に収まっている。走る距離も往復10㎞走らないので全く問題が無い。次に遠いのはボルダーや石切り場でこれも10㎞以内である。移動した新しい貸金庫も10㎞程だ。協会のクライミング人工壁が15㎞以内で歯医者が超えるが、後者は例外になる。マンハイムの車屋の支店は予約さえ取れていたら問題が無いであろう。その他で出かけるところは催し物なので現時点では関係が無い。ワインを試飲どころか簡単に取りに行けないというのもある。

少なくとも前回タイヤ交換した時はマンハイムは200を超えていて、危ないと思っていたが、今後は感染法上のより危ない地域に指定される。現在は150以下に落ちている。

こういう状態になるので、飲食業や催し物でたとえクラスターが出ていないでも閉店や禁止などになって来たが、それでも効果が出なかった。理由は職場や学校でうつり家庭内で更に感染させていたからだ。子供の罹患と更なる感染が確認されたのは最近だがこれも実証されたことになる。

ピアニストのアルフレード・ブレンデルが九十歳になったので様々な特集番組が組まれている。車中で聴いたインタヴュー番組が良かったが聞き手はシュティーバー氏乍とても内容が豊富で全編聴いてから纏めようと思う。

前夜にはNDRから三曲アーカイヴから放送された。三曲ともNDR交響楽団との協奏曲で、三人の指揮者で時代を網羅していた。一曲目が楽団創立時の指揮者イッセルシュテットとの楽団最後の演奏会での1971年4月26日ライツハーレでブラームスの一番二短調。二曲目は三代目シェフのテンシュテットの指揮で1980年6月9日に同所でベートーヴェンの四番ト長調、三曲目に客演のビュシュコフ指揮で11月10日にリューベックでシューマンイ短調となっている。

イッセルシュテットの指揮はそれほど聴いてはいないがここでのブラームスは悪くはない。但し管弦楽団の能力も限られていて、勿論創立時の指揮者の責任である。LPになっていたのは1973年死の年のアムステルダムでの制作であり、ライヴ中継放送録音で音楽的にはブレンデルのやろうとしていることもよく分かっていい。

テンシュテット指揮のベートーヴェンも聴き甲斐がある。制作録音しているものはラトル指揮とレヴァイン指揮ともあまり興味が湧かなかったので聴いたことが無いが、手元にはベルリンでのエアーチェックが残っている。それと比べてもとても良い。

関連したことをラディオで話していた。つまりペダルの使い方を非難される一方、タッチだけで綺麗に揃えるピアノは聴こうとも思わないグループのピアノ演奏に含まれるという話しだ。アンドラーシュ・シフなどが典型的な聴くに値しないピアニストだろう。曇も濁りもあってこその音楽がそこにあるのも現代的なピアノを弾く意味でもあるだろう。



参照:
ロックダウンの延長 2021-01-05 | 生活
天下の副総理の含蓄 2020-02-11 | 文化一般

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ロックダウンの延長

2021-01-05 | 生活
ここ暫くは冷えそうである。雪も降る。幸い運動は一度ぐらい山登りコースを完走できれば十分である。パン屋は例年と異なり一週間しか休まないので、来週には肉屋と並んで始まる。朝食も最大五回ぐらいの問題で、ピザなどを組み合わせれば何とかなりそうである。

水曜日にロックダウンの延長が議論されるが、月末まで延長が多数で、東ドイツのザクセンやテューリンゲンのあまりにも感染の激しいところでは休校となるのだろう。外出を許可している限りは減少は儘ならない。

問題はワクチンの接種速度で、数が足りないことから先ずは一巡目を進めて、二巡目はそれからという方針が考えられていて、十二週間掛かる。モデルナのワクチンも加えて兎に角準備すると言い出した。その背景には現在のロックダウンでは指数140から目標値50に至らなく、クラスター潰しが可能となる25には甚だ遠いのでロックダウンは終わらない。もう少し引き締めて行こうという意見はそこから出ている。

最終段階に入っていることは分かるのだが、ドイツではまだ殆ど見つかっていない英国株の影響まで考えると、もしかの更なる爆発的な感染迄考えておくべきだろう。そうなると基幹産業の火まで止めないと医療が救えなくなるために、やはり外出禁止をするならば早めにしておいた方がよい。

ベルリンは一月の「フランチェスカディミーニ」を演奏するようだ。無観客で中継されるが、これは復活祭でも同様にコンサート形式で演奏される予定になっている。まだ情報は確認できていないが、兎に角復活祭で同様に上演して、観客数を絞る。そして中継されると思われる。つまり入場人員を減らしても少なくともストリーミングするという体制作りをしているのだろう。

昨年の「フィデリオ」もあとからすればそのように上演して寄付などを募ることで実施が可能だったかもしれない。今回もオペラ上演に関してはまだ先が見えないが、少なくとも4月にコンサートは500人収容ぐらいは計算可能なので、幾晩かは演奏されるだろう。

芸術的にも経済的にも考え抜かれて復活祭の計画は出揃ったようなので、正式な発表は二月の第二週迄に待たれる。1月16日に上のベルリンからの中継がある予定なのでそれは一つの目安になる。新制作「マゼッパ」がどのようになるかどうかである。

その前に昨年のキャンセルになったティケットやら資料を片づけておかないといけない。溜まりに溜まっていて、手を付けられなかった喪失感が一杯に散らばっている。昨年と全く同じようにキャンセルとはならないが、少なくとも復活祭に満員の聴衆でという事にはならないだろう。

年末年始二本目のグランクリュワインはラインガウのグレーフェンベルクの2014年物だった。谷の標高のあるところの気持ちの良い2014年産なので期待と半分、飲み頃を過ぎない内にと思って開けた。求めていた新鮮さは適当にあったが、土壌にスレートが入っているので若干とろみというか旨みがあって、清澄感やシャープさは無い。ミントのスパイシーさも出るが今一つ広がりも深みにも欠ける。

食事には万能であるが、熟成したリースリングとしては矢張り物足りない。培養酵母を使っている限りこの傾向は変わらない。食事の小牛肉にトリフが入ったミニザウマーゲンには全く文句はなかった。又リースリングの煮凝りにはそれを打ち抜けるだけのグローセスヴェックスらしい寄付けなさも無かった。



参照:
暗黒に射す一条の光が 2020-12-23 | 暦
ラインガウへの途上で 2015-09-27 | 試飲百景

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間隔の合奏への影響

2021-01-04 | マスメディア批評
気になっていた新聞記事を読む。クリスマスイヴの記事だが時間が無かった。今年は始めて、二日が土曜日だったこともあって、丁度日本のような年始休みとなった。そこで漸く時間が出来た。

文化欄第一面だが、要は管弦楽が間隔を空けることでどのような事が起きるか、若しくはなにか失うものがあるのかという内容だった。記事中でコメントが触れられているのはベルリナーフィルハーモニカーの二人で、ホルンソロのシュテファン・ドールとチェロの団長クヌート・ヴェーバー、先にインタヴュ―の載っていたイヴァン・フィッシャー、そして既に談話を出していたダニエル・バレンボイムとキリル・ペトレンコらの言葉を借りている。

先ずは、フルートとクラリネット間でも離れると、指揮者頼りで、指揮台で代わりに聞いて司令塔とならないと駄目だとなる。同じ楽器間においても合奏する感覚が得られずに、例えばブラームスの交響曲四番の終楽章のトロムボーンのコラールでも交ぜられて充足した音響は得られないという。

だから正しく合わせようと思えばフィルハーモニカーの注意深い様子は決して責められるべきものでは無いとしている。それどころかそもそもこうしたことに対応できるのがフィルハーモニカーの強みであって、どんなに強くも弱くも極端に吹ける金管群などは、編成が小さくても対応するものだとしている。

弦楽群においてはプルトを組まないことで単独となり、トーンマイスターのフランケに言わせると、フィルハーモニカーに座っている奏者は一人一人の音が取り出されて聞こえても当然のようなもので問題は無いとしている。しかしヴェーバーは、それをして自分の周り三四人しか聞こえない状況になって、合奏している気持が得られなく感興を欠くことになると。それをしてシュターツカペレのヴィオラ奏者ヴォルフガンク・ヒンツペーターは室内楽的な技量を求められるので、感情移入とは中々ならないとしている。これが座付楽団の特徴をよく表した表現とはならないか。

指揮者のフィッシャーは、奏者は一割しか指揮者を見ていないもので、九割は周りとの情報の交換にあるとしていて、所謂有機的な演奏とはならないことを説明している。つまり、ヴェーバーの言では、プルトのパートナー同士が無意識にフレージングや音色を合わせることで、それが更に大きな細胞となって管弦楽独自のパワーともなって音響の波となるので、若い奏者が入って来たときはそこで同化して行く過程があるらしい。それをして伝統の継承となる。

ドールに言わせると本格的に管を大管弦楽に合わせる機会が無いと勘が鈍るというような発言もしていて、弦楽陣と共通した懐疑点となる。そのようなことからフィルハーモニカーの弦楽陣はプルトを組んで1mへと、管楽器は1.5mへと間隔が縮まり、フィルハーモニーの強力な空調がこれを可能にとしたと、そしてその先には中断再開後の客席の問題となってくるとしている。

ムジークフェストでのフランク・ペーターツィマーマンとのベルクの協奏曲への言及もあって、まさしくこれこそが2020年に上げた音楽界の大成果の一つだと思う。主線、複線の指定の絡み合いだけでなくソロと管弦楽の絡みが明らかになったのも管弦楽が間隔を空けていて定位感もはっきりしたソロの集まりとしての合奏が出来たからである。なぜか今まで音楽評としての言及は見られなかったが、ここに初めて「記憶に残るもの」としてのまともな記載があった。勿論指揮者が司令塔を果たしていたからなのだが、ベルリナーフィルハーモニカーとの音楽作りが一段と進んでいたのが明らかになった演奏会だった。

奇しくもベルリンでの年末、ヴィーンでは年始に、客席の聴衆の重要性が改めて、両楽団から伝えられることになった。楽団員の多くはそれに十分に気が付いていなかったというのである。中立的な人間からすれば今更と思うのだが、少なくとも芸術におけるインターアクティヴな関係と同時に経済的にも客が入るという事の意味をもう一度再認識することになっている。



参照:
Organismus der Kontaktlosen, Clemens Haustein, FAZ vom 24.12.2020
間隔のある受け渡し 2020-09-19 | 音
要らないと思っていた 2020-09-12 | 雑感
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日本旅行での自主隔離有無

2021-01-03 | 文化一般
ノイヤースコンツェルトの休憩時の番組にヴィーナーフィルハーモニカーの社長でバシストのブラデラーがインタヴューに応えていた。楽団長のフロシャウワーが象徴的に外交的な存在であるに対して事務的で実質的な決定権もあるそうだ。だから二人体制の間での若干の表現の相違などにも留意してもう一度聞き返した。

最も興味深かったのは、楽団の伝統を下から支えて音色として高域成分と考えている氏が、アカデミーを始めて、二年一期生12人が本年卒業するという事だ。システムとしては何処の楽団もやっているようなものだろうが、劇場では無くヴィーナーフィルハーモニカーのアカデミーという事のようだ。全員を総勢148人のフィルハーモニカーとして受け入れることはできないが既にアメリカのトロムボーン奏者が入団試験に合格したらしい。そうした世界的な人材を集めることで初めて管弦楽団としての水準を維持できると考えている。

ムーティと自身の関係で五弦の楽器でザルツブルクから使ってもらえるようになったりと後進の指導に熱心な指揮者だと後で知ったという。イタリアでの活動も言及していた。

日本旅行での「悲愴」の後の鎮魂のことや前日から合宿泊りがけで飛行機に乗って、福岡でもし誰かが陽性ならば引き返していたという。そして旧年中の演奏会のハイライトを五月の再開からザルツブルク、日本公演へと挙げていった。元旦前も抗原検査を練習前にしたという。

そして、昨年55公演が没になって収益が落ちたことを示唆。ヴィーナーフィルハーモニカーは国立劇場の準公務員としてなんと2割の減給で、ベルリナーなどの4割よりは大分影響が少ない。その分劇場を開けて感染拡大の後押しをしたことは否めない。

フランクフルトでの2011年新制作「こうもり」のヴィデオが期間限定で劇場から提供されている。アクセス集中しているようで先ずはDLしてしまった。元旦の食事後にゆっくり観ようと思った。ゲルハーハーやナジとか魅力的な歌手が出ていて、なんといっても演出がザルツブルクで「コシファンテュッテ」を演出したロイだったからだ。

先ず序曲を聴いて、現在も音楽監督のヴァイクレが指揮をしているが、思っていたよりも悪い。日本で読売の交響楽団を振りに自主隔離までするだけのことがある。もう少しこなれた指揮をするかアンサムブルを作って行く指揮者かどちらかと思っていたが、及第点に至るかどうかとても疑問だ。

要するにドイツの劇場指揮者の平均的な実力なのだろうが、たとえ楽団は悪いと言ってもドイツ語圏で頂点に近いオペラ劇場の音楽監督である。勿論器用な指揮者は何処にでもいるのでなにもそれがいいわけではないが、ここまでキャリアを詰めれたと驚きである。

音楽家庭の出身ではライヴァルのシュトッツガルトのマイスターなどもいるが、大分落ちそうだ。もう一人を並べるとヴィーンのヨルダンぐらいだろうか。ヨルダンの方が何かやっているだけまたやろうとしているだけ良い感じはする。しかし先日流れていたパリの「指輪」は酷かった。アンサムブルなんとかいう割に最後の総決算の仕事があれだからヴィーンでも多くを期待できないだろう。

さてロイの演出は、オルロスキー男爵を男のカウンターテノールに歌わしたのはいいが、何たる歌手を呼んで来ていたのだ。これも音楽監督の責任だ。この十年程なら幾らでも上手な人がいた筈だ。

肝心の演出は、コシファンテュッテと同じ手法を使っていて、女中に泡立てをもたせて回らせたり、ディアローグなどでも体の向きなどの動かし方は明らかに芝居の緊張感がある。ゲルハーハーの声も演技も上手く、舞台装置も劇場の形状を印象させる舞台も全く悪くない。

フランクフルトから寄付のお誘いが来るほど何回も出かけた。とても不思議な劇場だと改めて思う。アスミク・グレゴーリアンとかの素晴らしい歌手を引っ張って来たりだけでなく、キリル・ペトレンコやヨアナ・マルヴィッツで新制作をしたりと画期的であり、且つ演出を含めての水準が取り分け高い。しかし奈落を含めてのアンサムブルがそれほど良くはない。指揮者の責任も大きいが客演指揮者に求めらることは多くはないだろう。それ故に、ペトレンコ指揮のCDなどが残っているところでの音楽監督の指揮振りはとても都合が悪い。



参照:
第三波までの再計画 2020-10-30 | 文化一般
女声につける女性指揮者 2020-09-11 | 女
ダポンテの最後の啓蒙作品 2020-08-07 | 文化一般
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