Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

美しい世界のようなもの

2016-03-28 | 
初めての合唱交響曲体験を前に胸を膨らましている。そもそも楽聖の交響曲を最後に生で聞いたのは40年以上前のことだろうか。もしかすると英雄交響曲ぐらいはなにかの序に聞いているのかもしれないが全く記憶にない。今回以下のメディアを真面目に聞いて、また1826年のショット版並びに手書きファクシミリと比較的新しい楽譜をDLして、少々戸惑い、なるほどと思った。

結論からすると、少なくともこの交響曲は近代の管弦楽演奏の心棒になっていたのだろうと認知して、なぜ演奏されるのは特別な機会に限られるのかという疑問への回答にもなるということである。ショット社と作曲家との関係など今は顧みないが、明らかに歴史と伝統の中で育まれてきた西洋近代音楽がそこにあって、管弦楽団活動にはこうした作品が特別な意味合いを持ち続けていたことが知れる。

そして、その頂点が1942年3月のベルリンでの録音に刻まれているとしか思えない。実は昨年暮れに日本のアマゾンにて丸山真男が吉田秀和と指揮者フルトヴァングラーについて対談しているのを収めている文庫本を見つけて送らせたのだが、先日漸く届いたのだった。そこに触れられている丸山の言及する指揮者とベルリンの聴衆との繋がりや、吉田が「月並みで紋きり」と自嘲しながら書いている「偉くまじめな」ベルリナーフィルハーモニカ―のパリ登場の感想の本質は、まさしくこの録音にまざまざと記録として残っていることを発見するのである。

一般的には戦後のバイロイトでの実況録音がこの曲の決定盤の一つと推されることが多い。しかし、様々な観点からこの戦中の演奏とは比較にならない。数週間後の四月には有名なヒットラー生誕記念のコンサートがあるが、その年初にはベルリンのグリューネヴァルト貨物駅からはユダヤ人が護送されている一方、管弦楽団はまだまだ戦後のバイロイトなどよりも遥かに質が高く、充実している ― そうした意味合いは含まれないが、吉田は体験した晩年の三楽章の演奏解釈は理解できなかったと素直に書いている、さもありなんである。

ソナタ形式の鳴り響くフォームがこれほどに実感されることはないのではなかろうか。恐らく現在の日本以外の指揮者でこの交響曲を最も数多く振っていた指揮者の読みつくした譜面から楽聖の叙述法が綺麗に浮かび上がる。勿論それは動機の圧縮展開や和声進行とテムポなどが有機的に組み合わされることで初めてその全容があからさまになるのだ ― その意味合いを即物主義時代のカール・ベーム博士の指揮と比べるとどちらが正しいかは議論の余地が無い。それ故に一楽章最後のコーダのリタルタンドのオーボエからホルンへの受け渡しなども手に通るように楽聖の思考の飛翔が聞こえるのである。

また二楽章の動機の連環も素晴らしいが、三楽章のアンダンテモデラートのエスプレシーヴォの主題は殆どヴァーグナー風で始まり、二度目に出てくるときにDからGへと転調されていて、そこからさらにアダージョ主題を挟んで12拍子で軽やかなステップは晩年のピアノソナタのようでもあり、やはりそれを超えてその後の音楽に含まれるに間違いない。

後年にはこの指揮者からも聞けないものがここにあるとすれば、丸山が信じるように、決して指揮者の健康とかの問題とは異なる世界がそこにあったとするのは間違いない。勿論、丸山が言うようにナチ政権があのようなものだとはヴァイマール共和国の保守的な知識階級は分からなかったのかもしれないが、少なくともこうした合唱付交響曲が演奏されている数キロも離れていないような貨物駅からユダヤ人が「最終処分」のために輸送されて行ったことは皆知っていたのである ― これは誤魔化してはいけないところで、ユダヤ人亡命者のアドルノが語るような「遠くのアウシュヴィッツ」とは違って、ベルリンの町の中からユダヤ人が一掃されて行ったのは周知の事実であり、その先に何があるかは少なくとも権力に近いところにいた者はある程度の情報は得ていた筈である。誰も身近なベルリン近郊の強制収容所よりも快適なところとは思っていなかっただろう。二月には、ヴェルナー・ハイゼンベルクが「ウランからのエネルギー確保」を講義しており、共産党員は判決後直ぐにブランデンブルクで処刑されている。

丸山は、彼の学問的な立脚点からこうした芸術と社会主義リアリズムの芸術や社会を同距離で同じように捉えている。ヴァイマール共和国文化の仇花は第三帝国のそれであったのと同じく、戦後の東西の文化も同じように左右のイデオロギーの中に存在したというの正しいだろう。

つまり、ここではデカルトからホッブスへの科学的な知性と、この指揮者が恐れていた科学主義への懐疑との認識の混濁などが、ナチの反知性主義の土壌の一つになっていたと丸山の言及を確りと読み取りたい。そこで「1918年の『革命』と33年のナチ『革命』との理念の本質的な違いを象徴的に示して…、つまり単純化して言えば、同じく平等化といっても、文化水準の上昇要求から出た『革命』と、ルサンチマンから発するところの引っ張り下ろす『革命』という風に対照出来るでしょう。」と丸山は言い直しており、そしてこの指揮者が大切にしていた公衆共同体が大衆社会へと移行していたことに気が付いていなかったことを、その免罪符としているかのようだ ― 丸山のフルトヴァングラー擁護は贔屓の引き倒しのようなものではなくて同時代を生きた自らへの語り掛けであったとしても間違いではなかろう。余談ながら今回発見した当時のニュース映像にはヒトラー生誕式典での在ベルリン大日本帝国の外交官が舞台に居座っていて、陸軍大島浩全権大使であると思われ、更に若い外交官を引き連れて第九を聞いていたことになる。

またハイエクの「奴隷への道」を挙げて、ナチの「フライツャイトゲスタールテュング」つまり「余暇の活用」こそが ― 当然ながら時間の認知と再構成こそが作曲構造そのものだ、その自由でない社会の典型として、現在においてはマスメディアの洪水がそれに相当しているとしている。なるほどフルトヴァングラーにはある種の神秘主義への傾倒からそれを反知性主義の一つとして観察できるのだが、丸山の言及によりこの指揮者がベルリンで求めていたものが明白になる。

今回虫干しとして手元にあるメディアを一通り流した。CDは昨年購入したヴィーナーフィルハーモニカ―を最晩年にカール・ベーム博士が振ったもの、LPではフルトヴェングラー指揮の二種類、カール・ベーム指揮のヴィーナーフィルハーモニカー盤、フォン・カラヤン指揮のベルリナーフィルハーモニカ―の最初の全集盤、そして先日エアーチェックしたバーデンバーデンでのサイモン・ラトル指揮のものである。

その中で例えば戦前はフルトヴァングラーと変わらないエロイカの演奏をしているフォンカラヤンは、戦後にはそのアンティをモットーとして演奏していて、そのあまりにもクールでありながらスタイリッシュなそのあり方に、同世代はある種懐かしさと恥ずかしさのようなものを感じるかもしれない。要するに今からするとレニングラードやクリーヴランドなどで行われていた交響楽団活動と同じようにとても極端なイデオロギーの立場を演じていたということになる。その時代を同時代性を以って記憶がある人は、この指揮者がそこで描いている世界は二十世紀後半のビーダーマイヤー風文明の三種の神器の世界観であったと実感出来る筈だ。そこには、もはや楽聖や楽匠が生きた世界から連なる、欧州の伝統的な世界はなかったということである。



参照:
反知性主義のマス高等教育 2016-03-21 | 歴史・時事
ハリボ風「独逸の響き」 2015-07-27 | 文化一般
東京の失われた時の響き 2016-03-06 | マスメディア批評

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