Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

テニス腕になったこと

2021-01-08 | 
漸く洗濯が叶った。洗濯機が壊れたのが暮れの29日火曜日かも知れない。すると一年越しだ。金はたまらなくても垢は溜まるだろう。

予定通りの時刻に配達があった。朝にネットで確認を入れると電話連絡の代わりになるらしい。七件ほど前からGPS地図で配達を追っていた。マンハイムからこちらに来て七件目で二時間ほどだったろうか。

こちらも前日に水抜きを徹底して、配達当日の朝には出口に近いところまでもってきておいた。回転させないでもなんとかなった。肩も痛めなかったと思う。上下水ホースの繋げ口も中にも綿棒を入れて綺麗に磨いておいた。隠れる壁や床ももう一度拭き掃除をしておいた。一度設置してしまうと動かすのも煩わしくなる。

アマゾンで購入したのは全てのサーヴィス込みで早く安く持ってきてくれることだったが、予定通りやって貰った。但し接続はあまり考えていなかった様でこちらの工具を使った。問題だったのは下水ゴム管を止める金具を持っていなかったことで、これはこちらの古いものを使ってやり直した。更にそのホースが若干短く、洗濯取り入れ口をシャワーの方に向けられなかった。必要ならば長いのを買わないといけない。しかし奥行きも小さく、窓もグラグラしないので当面はその置き方で使える。

先ずは試運転として、ドラム洗い工程をすることになっている。やってみて驚いたのは波波の水を使って滝のように降らす工程で、これはシュツットガルトかミュンヘンの人ぐらいしか思いつかないとだろう。日本人が係っているかと思えるほどで、少なくともベネルクス三国などの人には発想が出来ないだろう。日本の人からするととても気持ちが良い工程だろう。

床も真っすぐではないので足調整などしなければいけないだろうが、試運転では全く問題が無かった。その静かなことも想定した通りだが、そのプログラムに一時間掛けるのも驚いた。終ってゴムの所を見ると三つほど穴をあけてあって、細かなことに拘っている。

ジーメンスの家電では富士通ジーメンスPCしか知らないが、洗濯機の印象は東芝の感じだろうか。車で言えばアウディの感じがする。先ずは本洗前の印象である。

引き続きNDRから放送されたブレンデルの生演奏を流している。若い時のピアノは最初に日本で聴いた時の響きに近くてやはり音に元気と透明性がある。イッセルシュテット指揮でのブラームスだ。先日聴いたインタヴューでもレパートリーを絞るようになってきた裏話もあった。

既にペダルのことには触れたが、ショパンに関してはコルト―を十日ほど追いかけて聴いて、ショパン弾きになるかそれとも中欧のレパートリーを弾くかの選択が当時は必要で、さもなくば到底コルト―には追い付けないことが分かったという。同様にバッハも原典主義の問題と同時に尊敬するエトヴィン・フィッシャーのそれに近づくことは避けたという。それでもゴールドベルクなどは1970年頃に挑戦しようとしてもう遅いと気が付いたらしい。違った意味で、ラフマニノフに時間を掛けるつもりなどは無かったという。

ロ短調ソナタを弾かないようになった理由は、ベルリナーフィルハーモニカーの日本ツアーに帯同して、ブラームスを二曲弾いてリストを弾いた時にテニス腕になって仕舞ったというのだ。その後二ヶ月ほど休んで、レパートリーを変えたという。

自ら代表的な録音とする「さすらい人幻想曲」、ハムマークラヴィーソナタ、そしてロ短調を弾かないでも幾らで弾くものがあるからと説明する。その三曲は後年もアルテオパーで弾いた。最後の四半世紀は毎年一度以上は聴いていたので、嘗てのそれと直接比較することは無く、音色的な差異があまり分からなかった。確かに日本公演で聴いたころは響きも違ったと思い出した。



参照:
„Ich war kein Wunderkind“ – Alfred Brendel zum 90. Geburtstag, Peter Stieber, SWR 2011
15㎞圏内での日常生活 2021-01-06 | 生活
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