Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

得体の知れない石碑

2007-11-16 | 
11月として天気は良いのだが外気は冷たくなった。朝晩は氷点下に達している。更に珍しく雪もちらついた。夜中も時折風が吹いたりしていたのでヒータを利かして床に入った。朝起きると、外は白くなっていた。

ワイン畑に残るアイスヴァインの収穫ももう少しだろう。午後は天気も良く、白いものは消えたが、今晩当たりは更に冷えそうである。

寒さでサボっていたので、久方ぶりに巡回の散歩に出かけた。数箇所アイスヴァイン用の葡萄が残されていた。流石に試食してみる気は起こらなかったが、触ってみると思っていた以上に水気があり柔らかい。確かに乾し葡萄ではワインは出来ない。

暫らく行くとあれだけ歩いている地域に係わらず、足を踏み入れたことのない区画があるのに気がついた。森に近い上部斜面なので下から見ていると、傾斜が落ちるその上部の様子が分かり難いからである。二重の十字架があり、その先も道が繋がっていることが知れた。

車を停めるとき以外は出発点と終着点が決まっているので、どうしても同じような方向を目指してしまう。途中、道沿いに忘れたようにある得体の知れない道祖神のようなも石碑を見つけた。根元が埋まっている様でもあり、かなり古いものには違いないが、文字などは読めなかった。

邑の土地境界石にしては細工が立派過ぎる。ワインの区画としては斜面の最上部にあるので、それほど重要な場所ではない。郷土史家に尋ねてみないと分からないだろう。

斜面の上に風が吹きつけ、日が落ちてくると急に寒くなってきた。
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硬い皮膚感覚の世界観

2007-11-15 | 文学・思想
… 急流がその日の平均的最高の流力に達した時、私は普通のボルドーワインの瓶一本に最も濁っていない水を満たした。この一クォートの水から二十四粒の砂と多少細かい沈殿物を得た。私はその流れの水量を見積もることができないが、瓶を満たした細流は一分間に約二百本分か、あるいはむしろそれ以上の瓶を満たしていた。それゆえ毎分約四分の三ポンドの花崗岩の粉末を下へ運んでいた。これは一時間四十五ポンドになるだろう。しかし、その日もっとも涼しい時間のもっとも弱い流力を見越し、他方雨で増した流力を考慮に入れると、…中略… あるいは四時間毎では100ポンドと見積もれるだろう。それゆえ、この取るに足らない、およそ幅四インチとおよそ深さ四インチの細流によって、… モンブランの二十トン以上の物資が移動させられ、…中略… 毎年動かす塊はきっと八トンを見込めるだろう。…中略… 全氷河の水…八万トンの山が毎年砂に変形して、ある一定距離下流に運ばれるに違いないということを結果として理解しなければならない。…中略… 山々は生物と比べると「永久的」のように見える、が、…中略… 創造主から見れば、山域を蛾や虫と区別するのは、衰えるのにより長い年月の経過を要するという点で、区別するにすぎないのである。

ジョン・ラスキン「近代画家論」第四巻「山の美について」より*

この一節は、ターナーを世に出し英国の美学者としてまた社会主義教育者ラスキンの有名な文章のようで、ここに多くのことを読み取れる。

先ずこれを読んで驚くのは、侵食活動によって目の前に立ちはだかるモンブランを一瞬にして消してしまっている視点である。現在の我々はその登山ロープウェーの敷設や快適な運行に満足して、精々断層や氷河の流れの襞を見て悠久の動きに感嘆し、短くなった氷河の舌に差し迫る温暖化の変化に戦々恐々とするのみである。まさに反対の視座からの表現である。

そうした当時の文化的背景には、ダーウィンの進化論が与えた影響が甚大だろう。しかしそれと同時に、ここに似非自然科学のいかがわしさが汎用産業技術の暴走となりもしくははたまたオカルト宗教の素となるのを見る者が多いのではないか。それがこの作者の意図した皮肉となっているのか、またはゴシック芸術を扱ってお得意のグロテスクな夢想となっているのか、専門家の論文などを見ても話題となるところのようである。

その一方、ターナーの雲などの躍動に表わされているような本質は、旧約聖書の元始の姿とも見て取れて、ドイツのフォイヤーバッハなどを含む自然哲学的な取り組みのブリテン島での現われの一つに他ならない。それゆえに、この美学家のものを弁証法の書として読むのがよいようだ。

しかし、僅かばかりの知識ながらも、それを現在の我々から見ると、例えば紀行文の一部を読むと、その背景に敷き詰められているデモーニシッな記述には、現在の飛行機の中での「ノルウェーの森」への観念連想のただの閉じた主観では到底至らない今日の民族学的なもしくボードレールからベンヤミンのような視線も感じられる。しかし、英国のヴィッレジに比べて港町カレーがどうであろうともヴァリス渓谷のシオンの町がどうであろうとも、太古のパラダイスを追放をされた人類と地球がその流れの中で観察されている。だから、文明や科学技術を背景にして谷奥深くを訪れる文化旅行に、ツーリズムの流れに乗って大英帝国からやってくる旅行者に本人も含まれていることを自覚している。そこが今更ながら重要である。

全く、異なる喩えであるが、米国や極東からモーツァルトやサウンドオブミュージックツアーに訪れる今日の旅行者も、バッハやマーラーの音楽の一欠片を流用したミュージカルの調べや「全ての山に登る」旧約聖書の世界を知らぬ内に踏破しているのを観察すると、「ただ唯一の神の存在」を信じないと言う方がおかしい。取り分け、イスラムテロリストが悪魔の役回りを務め、対テロ活動が聖戦と呼ばれる今日の我々が生きている 現 実 世 界 を見れば良い。

そして、ラスキンが子供の頃から鉱物に関心を持ちアマチュアーの研究家として、ゴシックの建造物や彫像などのそれも素材にも並々ならぬ関心を持ち、上の生物と動物の隔ても無くなるほど、アニミズムと変わらない面があったことは、そこに神を感ずる神知論のみならず、そのもの少女趣味の性癖へと結びつくようだ。

要するに、そこでは対象と自己との関係において、ある種のエーテルのような媒介が必要となる。鉱物との交感はそのまま少女との交感になっているように、異物との接触でもあるのだが、その関係とは一方的な動が支配するものなのだろう。世界観と言うのはこうした皮膚感覚に大きく左右されているのを、この「世にも変わった人物」から知ることが出来る。

あまり馴染みない英語の語彙を厭わなければ、BLOG「A VIEW FROM PARIS パリから観る --- le savoir, c'est le salut --- 」で紹介された世界観テスト が面白い。



*笹本長敬編訳注、山 ― 西洋人のアンソロジーから引用



参照:
Of Mountain Beauty: The Modern (John Ruskin)
風景の発見……ジョン・ラスキンの赤い糸
ラスキンという人……ラスキンの赤い糸(2)
日本の山の「発見」……ラスキンの赤い糸(3)
日本の風景画……ラスキンの赤い糸(4)
装丁の世界……ラスキンの赤い糸(5完) (考える葦笛)
空と山を眺め描くのみ…ラスキン (無精庵徒然草)
15年ぶりの日本山岳会 (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
『近代画家論』1・2・3 (松岡正剛の千夜千冊)
技術信仰における逃げ場 [ 雑感 ] / 2007-11-06
エロスがめらめらと燃える [ 暦 ] / 2007-11-02
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頭脳ダイエットの勧め

2007-11-14 | 
妻帯者のイタリア人が「あと二年したらお前と結婚する」と言ったらしい。先月に23歳になったばかりの娘である。「子供の時は何になりたかった」かと聞くと、「婦人警官」と答えるのがなるほどと思わせる娘である。

仕事場で娘の仕事振りを怒ってばっかりいると言うから、「それは、ほら学校の時に、妙に虐める男の子はいなかったか?」と尋ねた。どうもそのイタリア人は当方と同年輩であるようで、初めからなんとなくその心理が解っていたのである。

娘は、「ちょっと、私には年過ぎる」と、冗談で返したらしいが、それを、途中で言いそびれながら、こちらに気を使ったのが可愛らしかった。

流石にイタリア人である「良いプロポーションしてるよ」と言ったらしいが、余計なお世話である。こちらは、セクシャルハラスメントにならない関係を築きながら、正直に度々褒めているのである。

「やはり、想像して通りだったじゃない。気になって怒っていたんだよ」と、同年輩の男のことを哀れむのである。

「ダイエットしないと」と言うので、「お腹周りも、ちっらと見るところ問題ないけど、一体何処を?」と尋ねると、腰から下の足周りと言う。

これはいつも繰り返している持論に沿っているのだが、「ダイエットよりも足腰を運動で使ったりして、上体のバスト周りを付ける方が良い」と言うと、「充分でないから」と言う、顎の下で腕を組む、胸を隠すポーズがコケットでまた良かった。

そこで、最近学んだヘーゲルの美学やファウストュス博士の含蓄を傾けながら、本人が好んで使う「魔女」に対して「ニンフ」への見解を宣う。そして、「一番大切なのは、毎日頭を使って勉強することだね。あれだけの血流の消費するエネルギー量が違うから」と説教をたれる。

「そうかしら」と半信半疑な様子なので、その実証を想い、親戚の理論物理学者が論文作成に過度の栄養補給をして太ってしまった面影が血潮漲る脳に浮かんだが、急いでそれを頭の中から打ち消した。
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保守的な社会民主主義

2007-11-13 | 歴史・時事
外相シュタインマイヤーによって、メルケル首相の外交政策が批判されている。中国政策におけるダライ・ラマ受け入れのみならず、ロシアに対する強硬姿勢などである。

これはメルケル外交のアドヴァイザー・ホイスゲン博士などの政策に注文をつけたことになる。政党色からすればCDUから更にFDPの自由主義陣営に近く、同時にEUのハビエル・ソラナの下でのスタッフであった者への反論でもあるのだろうか。

10月下旬には、ワシントンではドイツのロバート・レッドフォードと呼ばれる内閣スポークスマン、ウルリッヒ・ヴィルヘルムが、映画"Lions for Lambs"の封切りでベルリンを訪れたレッドフォード本人とトム・クルーズのスイーツルームで面談した。更にモデルともなるフィッシャー元外相や歴史家ヴィンクラーも、試写会を終えて米国の政治情勢を議論した。

こうした、ショウ効果のある政治談義が、ベルリン政府外交担当者の一角をも巻き込み様々なメディアを通して繰り広げられる意味はどうなのか?それに対して、SPDの前首相シュレーダーを初めとする、更に今回の外相の連合政権への牽制は短い声明でしかなく、レッドフォードが敢えて子ブッシュの名前を挙げずに語ったことよりも、有権者になにかを訴えるのだろうか?

社会民主党の前首相シュレーダーの外交こそ、ロシアの天然ガスや中国経済利権を自らが現在関与するロットシールト財団や基幹産業の声を代弁するだけで、有権者に何一つ具体的な選択を問いかけない。メルケル首相は、その理念に凝り固まった原子力エネルギー政策ゆえに、中国から何十億ユーロもの注文が必要なのだとSPDを非難する。

外相や外務省は、地道な外交交渉は女首相のTV前のポピュリズムなどよりも重要で、外交は従来からそのようなものだと主張する。「女首相が北京で内密にしていたダライラマ招待はこちらも腹立たしい」と、大変外交が遣り難くなったことを糾弾する。そして「第三者のサルコジが漁夫の利を占めている」だけとする。

黙って付いて来れば、上質の国内労働市場が堅持されて良い職場を失わない。外交は伝統と経験の社会民主党の専門家に任せて置きなさいと言うことだろう。それでいて、シュレーダー前首相の短いセンテンスで、「対中経済協力等の成果と重要性」をアジテートするポピュラリズム政治としかなっていなかったのではないか?シュレーダーがはじめた中国法曹界へのSPDの学術的支援交流会議は北京の抗議を以って今回初めてお流れとなった。しかし、世論を背につけた世界的な圧力の方がこうした学術的な支援よりも遥かに効を奏するのを我々は知っている。

メルケルはドイツ首相として半世紀振りにつまりルトヴィッヒ・エアハルトがリンドン・B・ジョンソン大統領にテキサスに招かれた以後、はじめて大統領の私邸に招かれた。これを以って子ブッシュは独米関係の修復を内外に示したが、多くの点で認識の一致を見た以外は、重要な政治課題「経済優先の環境保護」、「武力によるイランへの圧力」などは、ベルリンは受け入れられないと二十時間の滞在を終えた。常任理事国に継ぐ準常任理事国設置への意向などワシントン側もある程度の譲歩を見せたようだが、EUのイランへの経済制裁への決断に対しても、米国のイランへの軍事強行体制は崩さなかった。

子ブッシュ政権とそのトロッッキスト的世界統一への21世紀の歴史は、反面教師としての国際政治における国民世論の国際世論化でもあり、今後は世界連邦化へゆったりとした流れのなかで、一進一退しながら自由民主主義が国際政治に活かされる方法が模索されるのだろう。

ドイツの社会民主主義は、基幹職別労働組合をベースにしながらの保守社会主義が党内左右の両派を含めて蔓延り、現在の大連立第二位政党SPDの次期選挙での惨敗への予想に慄いている。ブラント外相以来である社会民主主義者の外相であるシュタインマイヤーがその自らの政府の外交方針を非難するにはそれなりの政治戦略があるのだろが、首相との確執は、ベルリン外務省を含めて、その政治戦略を越えていると言われる。

いずれにしても保守政党よりも、大企業つまり労働組合の声を背に、保守的な国益重視の政策を推進したい社会民主主義者が、有権者不在の民主主義体制を維持しようとする傾向は顕著なのである。

保守政治家ショイブレ内相の常軌を逸した対テロ対策に、個人情報の保護を犠牲にしてまでより管理された堅牢な民主主義体制を構築しようとするのが社会民主主義なのである。大連合与党の発案で、何れ電話・コンピューター通信の記録が半年間保存されることになり、コンピュータースパイソフトが官憲の手でばら撒かれる。

言動に気をつけなければいけないドイツ民主主義共和国体制でのトラウマが、2001年にベルリンでプーティンの演説を聞いて、「KGBが語っている、トリックだ」と言わせた野党メルケル議員の言葉になっている。

こうした首相の態度をベルリン外務省は「リアルポリティックをしばしば困難にする、ある種の東独市民運動家の見解だ」としている。FAZ新聞は今後もこの二つの基本的外交姿勢の確執は続くと述べている。



参照:
Ein lauter Streit über die leise Diplomatie“, Wulf Schmiese, FAZ vom 12.11.07
Grillen und Rasseln“, Berthold Kohler, FAZ vom 12.11.07
原発を考える(下)」 (関係性
小沢代表辞任会見民主党
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蓄積に養われる直感

2007-11-12 | 雑感
文化庁が後援している日本将棋連盟の将棋普及活動のお手伝いをした。ヘボ将棋の腕前でなにが出来るかと不安でもあったが、引退したとは言え連盟の棋士に触れて大変楽しませて貰った。

個人的にはチェスと将棋の差異に興味を持っているが、プロフェッショナルな指導や思考態度に直に触れて啓発された。ドイツ側も欧州の級持ちであるが、様々なタイプがいるようだ。詰め将棋に優れているものや先読みの優れたものなど、矢倉や定石に余り拘らない風が大変好感を持てた。

そうした初心者から中級者までに対して、誠実に我慢強く対応する本間博6段の文化庁文化交流使の態度にも感銘を受けた。そして、その対局面での判断材料などを口移しで聞くと納得することばかりである。また奥さんが素人の立場で絡んでのそのコンビネーションが、上手く初心者に安心感を与えていた。

戦局面の見方やそれに対応する防御と攻撃の位置取りなどは、ある程度子供の頃から聞いてはいたのだが、最も興味ある疑問点を明快にして貰うことが出来て、またプロフェッショナルのお墨付きを得たと言う大変有り難いアドヴァイスとなった。

その他の挙手の選択肢からどれを選んでいくかなどは、まさに確率論におけるその局面での選択方法を定義されて、我々のように精々先四手まで読めれば上々な出来な素人にもハッキリとした鉄則を与えられたのは大収穫であった。

上の二点だけを組み合わせるだけで、少なくとも戦略的にかなり筋が通りそうである。それに定石としての駒の交換法則や打ち合いが判れば、ある程度ヘボから抜け出せる気がするのである。早速、フリーソフトボナンザを使って対局すると流石に試合時間が延びた。

先を読むことはある程度定石が頭に入ると出来てくるものであろうことは、一手一手を最初から回想して繰り返すことにも知れる。そうした、通常は言葉では示されない棋士の対局を追っていくだけでは判らないプロフェッショナルな思考が手に取るように見えてすこぶる面白かった。チェスがもう一つ飲み込めれば、この辺りを次ぎの機会には議論して見たいものである。

これは将棋に限らないが、無駄な一手や誤りが勝敗を決するのは常で、それを避けるための戦略的コンセプトと局面を開いていく直感が経験の蓄積によって養われるのは当然のことなのである。
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吹雪から冷気への三十年

2007-11-11 | 
「魔の山」の「雪」の章は最も重要なエピソードに他ならないが、「ファウストゥス博士」における二十五章の「悪魔との会話」は、全体の折り返し点に位置してここに主題が詰め込まれている。

ラジオ放送で第六回目の最初半分はこのディアローグに費やさされている。その放送プログラム故、原文二十四章からのイタリアのパレストリーナへの男友達との旅が1912年夏と加えられている。その年度の示すものは、充分に分らないが、少なくとも「魔の山」の創作開始とその後の展開を結びつける数字として重要に違いない。

それは、その「魔の山」自体が日本などを筆頭に世界的ベストセラーとなり、ドイツにおいても多くの愛読者をナチス内に抱えていた事実は無視出来ない。その原因の多くは、「教養小説」と呼ばれるものをパロディー化しながらも、主人公の青年をドイツェ・ロマンティックの世界から第一次世界大戦の土豪へと運命的に引き摺り出した終幕を以って、ショーペンハウワーなどの宿命論から逃れられない愛国心を認めてしまったからである。

第二次世界大戦後にも中部ドイツで演説を残している亡命作家トーマス・マンであるが、筆記者が1943年の日付を以って1912年を顧みるこのディアローグに、その経過への見解が全て語られている。

このディアローグの中で、その小さな体と赤毛で薄白い顔をした、トリコロールの横縞の半そでのシャツとチェックのジャケットを羽織り、薄汚い黄色の靴を履き、短めのズボンとスポーツ帽子を耳まで深く被った悪魔との体面風景が、イタリアンカソリック圏におけるものと特記されて、ヴィッテンベルクやヴァルトブルクのことでないと、態々強調されている。19世紀プロテスタンティズムの二項対立化させることで、罪からの贖いと慰めを得る小市民的もしくはデーモンに取り付かれるキルケゴールらの姿勢が暴かれる。つまり、マルティン・ルターにとって悪魔との対決が必要であったように、生粋の古いルターのドイツを母国語とする悪魔なのである。

「そして健康な馬鹿者が、麻痺した文化的エポックである時間を打ち破り、その打ち破られるエポックとカルトが 二 回 も の 野 蛮 に蠢いているのである。なぜならば、野蛮と言うものは、人道とありとあらゆる根本的治癒や市民的洗練の後に来るものであるから」と悪魔は言明して、「そもそも神学と言うものがカルトから離脱した文化であり、その文化は宗教においては、ただの人道や逆説や神秘的な情念と言う徹頭徹尾非市民的な大胆な試みでしかない」と近代の神学に迫る。

この悪魔の見解は、音楽における情緒の見せ掛けは、音楽そのものの自己完結ではなく、過去四百年に渡って存在して来たしきたりでは対応出来なくなったことを並列して、それを踏襲した貴族趣味のニヒリズムに置けるパロディーでしかない事を重ねて言明する。ここで主人公は怒り心頭これを否定するが、これをして、「魔の山」の主人公ハンス・カストロップの悪夢とそこからの覚醒を、改めて作者の自虐的な贖罪としている。

この章の特徴は、上で示されたように将来から過去を見ていて、前の章よりもその前に起こっていることが語られていることである。こうした時間による挟みこみの技法は必ずしも感心するものではないが、現実の時と創作における時を考える場合に効果を発揮するかも知れない。そして、ここだけをとり出すと、まるでアドルノの否定弁証法の記述となっている。

金曜日は79年目のクリスタルナハトであった。政治的な社会的な贖罪は進んでいるが、「魔の山」に代わってもしくは重ねてこうした作品が読まれるようになるのかどうか、それまでは本質的な問題は積み重ねられていくだけなのである。

ついでながら付け足しておくと、この前の五回目の放送では二十三章のミュンヘンでの社交界が描かれている。その親交関係が後半にここでの悪魔とのディアローグの中身を具体的に見せて行くことになる。



参照:
親愛なるキーファー様 [ 文学・思想 ] / 2007-11-09
自由の弁証を呪術に解消 [ 文学・思想 ] / 2007-11-05
八月の雪のカオス [ その他アルコール ] / 2006-08-22
ファウスト博士の錬金術 [ 音 ] / 2006-12-11
オカルト団ミュンヘン宇宙 [ 文化一般 ] / 2007-08-18
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
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それは、なぜ難しい?

2007-11-10 | 
パロディーとか、ユーモアとかが理解し難い場合は多い。そうしたものの中に、プロテスタントの音楽を凝縮したような大バッハの作曲を加えて見ると良い。なぜ、それが難しいかを考えてみるが良い。

待降節に纏わるカンタータを幾つか聞いて来た。一番と呼ばれる最後のコラールカンタータで二度目のライプチッヒでのトーマスカントライのための受胎告知のもので始まり、サミュエル・シャイトの八声の「いざ来たれ、異教徒の救い主を」に続いてバッハの同じカンタータ61番を演奏して、休憩後にはカンタータ36番「喜びて、舞い上がれ」に続き再びハインリッヒ・シュッツのモテットとバッハのカンタータ62番の「いざ来たれ、異教徒の救い主を」と大変凝ったプログラムであった。

既にこの演奏団体は良く知っていて、ゲントの古楽演奏者に期待するものは全くなかったが、それゆえか五割にも至らない集客率で、寒かった雨交じりの水曜日で定期会員が多いとはいえ、常連客の評価も同じようなものなのだろう。

現代においてバッハのカンタータなどがエンターティメントになるのか、音楽体験になるのか、芸術鑑賞になるのか、文化活動なのかはたまた宗教的活動なのか、多くの疑問が浮かび上がる。シュトッツガルトのプロテスタント教会での指揮者リリングらの音楽礼拝などはその意味から参加することが肝心でもあり現在においてもある意味を持っているが、演奏会場や教会においてなんらかの宗教的な意味を持ったり、「ファウストュス博士」のクレッチマーが言うような「神の居ない時代に音楽は宗教に代わる形而上の活動となる」かと言えばどうにも疑わしい。

そうした意味合いを、ソリストを含めて12人に刈り込まれた合唱団コレギウム・ヴォカーレを指揮したヘレヴェッヘの演奏実践は強調していた。つまり、それは大バッハが生きた時代の日常のお勤めや音楽活動を今日最も反映しているバッハ演奏であるように思わせた。

その理由が、些かルーズな演奏にだけあるのではなく、その演奏解釈にあるのは言うまでもない。また声楽のソロや合唱の秀逸さを競うならば他の演奏団体に分があるのだが、ある種の好い加減さが大変素晴らしい時代を思わせてくれる。例えば、カンタータ62番の旋廻する音形やあっちこっちへと貼り付けたり流用したりしているその「創作活動」の結果と、お仕事としてこなしている大作曲家の手腕を、ユーモアを持たせて提示すると、殆ど後年のハイドンなどとも変わらない音楽の妙味を現代の我々に示すことになる。

同様な例は、カンタータ61番冒頭の合唱とフランス組曲の組み合わせに、本来ならば王がロージュへと進み出るところを、イエスの待降に置き換えるパロディーと読み取らせる。また、その歌詞こそが、作曲の1741年にここフランクフルトで音楽監督ゲオルク・フィリップ・テレマンのもとノイマイスターの手によって、黙示録などからのルターのドイツ語が編纂されて礼拝用に出版されたものである。

つまり、大バッハの子カール・フィリップ・エマニュエルの洗礼名親でもあるテレマンと大バッハはこのごろ親しく、当時の大作曲家テレマンがヴァイマールへと最新の文化情報を伝えたと予想される。先取りの気風を持った啓蒙主義思想に影響された都会から颯爽とやってくるこの作曲家と、その前の中央ドイツと言う地方に立つ大バッハの姿を想像すると面白い。

そして、バッハもケーテンなどでの仕事を得て再びライプチッヒで活躍して多くのカンタータを作曲するが、自己の世俗カンターターを改変した教会カンタータ36番などは何度も手を入れなくてはならなかった事情がある。そうしたところにも、現場の上演状況などを思わせる仕事の痕跡を見つけるにつけ、またその職人的にも秀逸したその腕前を振るう大作曲家の実像やユーモアがあることを思い浮かべれば良いのではないか。

歌手陣の中ではソプラノのドロテー・ミールト嬢がその美声で目立っていたが、その好感の持てる生真面目な歌いぷっりの子供っぽさは、きっと12月に共演する鈴木との相性の方が、今回の「困難を紐解く」随分と大人のバッハ実践よりも間違いなく合っていることだろう。

シュッツも悪くはないがシャイトのモテットはより以上印象に残ったことを備忘録としておく。



参照:
ABENDPROGRAMM
地域性・新教・通俗性 [ 音 ] / 2006-12-18
大バッハを凌駕して踏襲 [ 音 ] / 2006-02-22
滑稽な独善と白けの感性 [ 歴史・時事 ] / 2005-03-10
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親愛なるキーファー様

2007-11-09 | 文学・思想
クュスナハト(チューリッヒ)26.X 33、シースハルデンシュトラーセ33と始まる手紙は、去る月末ベルリンの国立図書館で公開された183にのぼる手紙の一つである。差出人は、1933年亡命中の作家トーマス・マンで、存在の知られなかったものである。

その全文がフィッシャー出版社の友好的承諾を得て新聞に掲載されている。この作家の日記帳や手紙などは系統的に研究対象となっているのみならず世界中で出版されているが、この該当の手紙ほどナチへの第一印象が明白になっているものはないようである。

何よりも国会放火犯人の裁判に注目して、その忌々しさと有害さを語っている。それはあくまでも、この作家の美学であって、確立したモラルの問題ではなかった。

それをして、15年前の「魔の山」における「政治的嫌疑が掛かるもの」は、「ロマンティックな音楽」そのものであった。しかしこのときには「嫌疑が掛かる政治」が問題となっているとしているのは、FAZに書くエドー・レーンツである。政治が情動的で性的なものである事をここでも示している。

作家は、このライプチッヒの公判にドイツの人道的孤立と宿命的な終焉を見ているが、それはそのもの「ファウストゥス博士」の主題であり、その二つがこの手紙に解を得ているとしている。

一つは、ショーペンハウワーの言う宿命論で、破局への処方とそこからの再生を個人個人の弱さから望んでいないとして、その運命から逃れられないのを、愛国心と人道主義が両立しないことで判ったからである。

もう一つが、文化芸術にドイツの罪を象徴的に置き、それを語り手ツァイトブロムに代表されるもしくは「魔の山」の贅沢三昧のペーペルコルンのモデルともなるノーベル文学賞者ゲルハルト・ハウプトマンや追随作曲家リヒャルト・シュトラウスの孤立と内向化にみている。

更にそれを具体的に解いていく事とは別に、この手紙の宛名である出版者キーファーは、同じくバーゼルにゆかりのあるヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュの奥さんによってナチのエージェントとされたことも付け加えておく。

もちろん、我々にとってもっとも関心があるのは、愛国保守主義者トーマス・マンがその財産や取得すべき新たな印税を徴収没収され収監命令が出てからのこの手紙の内容と、また初めて反ナチをノイエ・ズルヒャー・ツァイトュングにて公に表明する1936年2月3日の公開文書までの流れと、それを通して見る世界の心理的な流れでしかない。



参照:
„Das kann nicht gutgehen mit Deutschland“, Edo Reents, FAZ vom 30.10.07
吹雪から冷気への三十年 [ 暦 ] / 2007-11-11
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銅メダルの栄冠のために

2007-11-08 | 生活
ドイツ自動車協会ADACに、今年のご当地クイズラリーの回答を提出した。過去に金メダルを一個、銀メダルを二個、銅メダルを六個の栄誉に輝いている。勿論お手伝いがなければメダル確保は難しいが、流石に実力は銅メダルレヴェルに近づいていると自負している。

今年の回答では、写真を見ただけでどこの土地か分かるものが、三つほどしかなかった。四つ目はその文章で場所が判る。それを元に現地に行けば五点づつ計20点が稼げた。しかし、燃料費高騰の折り、現地に行っての回答は教えて貰う事となった。今回も25点以上の銅メダルの栄誉にクリスマスプレゼントとして輝く予定である。参加料8ユーロは、来年も問題の冊子が自動的に送られて来ることを保障する。

誘われて始めた頃には、常連参加番号二千六百台の最後尾にいたのであるが、高齢参加者が死去していくと、番号が上がって行き今や二千番台を切っている。もし今後も続けて、二桁になればお迎えが近いのだろう。年長の友人の番号を確かめたい。

問題は、因みに次のようである。例えば問い15番には、教会の写真があり、その下に文章が続く。「私達は足下におります。、当然の事ながらドイツワイン街道で最も大きい町の、中心地にあるマルクトプラッツです」。教会の外観の説明に続いて、「40メートル高方に吊るされた、14トンの鉄の鋳造鐘として、世界一重いものです。ボッフムで1949年にされて、1923年のケルンドームのザンクト・ペーターの24トンの大砲を熔かして作られたカイザーグロッケンに続いて共和国内二番目の重さです。かつて最も重い鐘はモスクワの高さ6.14メートル、直径6.6メートルの200トンを越える銅製の鐘ですが鳴らされたことはありません。ウエストミンスターのビックベンの96メートル上の塔の本鐘が凡そ14トンです」と、このようにお国自慢が続く。なるほど今年の課題タイトルは「プフェルツァーお国自慢」。

このような按配で、カイザーになりそこねたプファルツ候三世の話に続き「自動化された後も1995年まで塔の上部の鐘突きが住んでいた。1952年に始めて給水完備した。」とか想像力を駆り立てる面白い話が綴られる。

問いかけは、何処の町でしょう?文中で触れた鐘の重量に関する銅版に記されている重量は?噴水の説明板に記載されている12列目のプファルツの幻の動物は?回答は、其々ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ、350ZENTNERN、トラットシェと、難易度が最も低い質問はこうしたものであった。

そのノイシュタットからの帰りにギメルディンゲンの醸造所に立ち寄り在庫や発売予定などの様子を伺う。一月の下旬には2007年産のグーツヴァインなどが出るそうである。更に寄ったダイデスハイムでは、お気に入りのヘアゴットザッカーの在庫が僅か22本と知って、六本を確保しておいた。来週には近隣農家から買い付けたリースリング葡萄で醸造されたリッターヴァインが発売される。12月にはグーツヴァインが出るというので楽しみである。前日に立ち寄ったフォルストの醸造所では1月に自前の葡萄によるリッターヴァインが瓶詰めされるそうである。
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観られざるドイツ文学

2007-11-07 | 文学・思想
文学TV番組は人気がないと言う。なるほどモニターの前に座り込んでこうしてものを書いたり、ものを読んだりしている者は今更TVなど見まい。

作家W.G.ゼーバルトのトーマス・ホーニッケル制作の番組は独仏共同文化放送のARTEでさえ手を出さなかったようで、ただ一つドイツではバイエルン放送のローカルでそれも日曜の13時からと誰も見ない時間帯に放送された。その前には、ティーレマン指揮のミュンヘンフィルのベートーヴェンのリハーサル風景と言うなんとも文化の足しにもならない番組が流れているのである。明らかに、我々の社会の文化バランスが壊れている。

ゼーバルトは、ドイツでも文学賞に輝き、2001年のクリスマス前に事故死さえしていなければ間違いなくノーベル文学賞を獲得していた作家であるが、戦後のタブーを破った「Luftkrieg und Literatur」での戦闘表現は「チューリッヒでの戦闘爆撃機乗り論争」で文筆家グループ・グルッペ47により叩かれるなどの不幸も重なり、ドイツ国内では今でも特に愛されている作家ではないようだ。しかしある意味、先日大統領に激励されたそのギュンター・グラスとの立場は入れ替わっているかもしれない。

その反面、今回の実のお姉さんを初め数多くの友人や専門家のインタビューを交えたフィルムにおいても示されているように、その19世紀のドイツ文学の伝統に則りながら大変現代的な文学を展開したその業績は揺るぎないものがあるようだ。特に、二十世紀の戦後ドイツを内外から独自の形で文章化した成果は、今後まだ評価される余地はありそうで、まさにその文体ともども欧州文学としてのノーベル賞の価値はあった。

今回、バイエルン放送のHPでさえ何一つ広報されていないという冷遇がFAZに載っているのを、はじめて日曜日の朝風呂の桶の中で見つけて、その偶然の出会いにこの文学の不思議さを改めて感じることになる。またその不思議な繋がりに、このBLOGにおいても二人の紹介者を得て、またお二人との不思議なつながりらしきものが加わる。そしてそこに文学の中の土地などに関わる不思議さが重なり合っているのである。

新聞ではそれを「19世紀風の稀なるメランコリー」としているが、45分間のフィルムでは、人々の苦悩の普遍化と各々の主観への訴え掛けの力強さの技法のような話へと集約されていくのであった。イーストアングリアのノーリッチでの心臓麻痺での対向車への正面衝突場所や住まいの映像などが手短に挟まれて、本に使われている作者によって撮られたユダヤ人墓地のスナップ写真の現場や報告をユダヤ人達のインタヴューに見るにつけて、やはり作者が猛烈に批判していた故郷ドイツ連邦共和国では今でもなかなか受け入れられない要素が多いのに気がつく。その点では三十年ほど前以上の連邦共和国でのトーマス・マンの不人気に近いものがある。

因みに映像作家ホーニッケルは、既にゼーバルト文学のゆかりの地を三万キロに渡り走破取材して、これ以外に一時間の映像化をなしているようで、放映などの要望を待っていると言うがなかなか実現しそうにないようだ。嘗てのマンのように、外国にてその人気がじわじわと高まってくることも考えられる。

友人にはマックスと称するこの作家が、当時の風潮を体現していて、嫌ドイツ、嫌連邦共和国を貫きながら、ドイツ文学を探求していたのは面白い。元々少年時代からフォークナ-やシュタインベックやヘミングウェーを熱心に読んでいたと言う。ドイツ脱出後の英国においてもサッチャリズムの兵糧作戦によって影響を受けた左翼と見做された大学での居心地が悪くなり、創作への道を歩むことになる。当時の同僚は、その成功を信じられなかったと言う。

第三帝国においても連邦共和国においても冴えない職業軍人であった父親への感情が、祖国嫌悪(ドイツ語では母国ならず父国である)に繋がり、それでいて持ち得た複雑な故郷への愛惜は、ある時は殆ど慟哭のような姿を取って、排斥そして故郷や親族を失ったユダヤ人の姿などを描き、一般化・客観化するプロセスがその文学となっているようである。

「アウステルリッツ」にて扱われているドイツより救援移送されたユダヤ人の子供達の見知らぬ英国での自己の生涯を手短に語った女性*のものは、今回のインタヴュー映像の中で最も印象的であった。まさに、作家が死の直前に準備していた詩集の意味深いタイトル「語られざる」であったようだ。改めて、この作家の作品を精読しなければいけない。


*Susie Bechhofer



参照:
"The last word" on Friday December 21, 2001 The Guardian
"Wenn nicht diese Weltschmerzanfälle wären!" Von Hannes Hintermeier, FAZ
マイン河を徒然と溯る [ 生活 ] / 2006-02-24
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技術信仰における逃げ場

2007-11-06 | 雑感
ここ暫らく書いた、その纏めた内容を読み返すと、かなり硬い事に気がつく。硬いと言うのは肩が凝ると言うか、その内容があまりにも逃げ場がないような趣があることを言う。

トーマス・マンやドイツ観念論のヘーゲルなどにその責任を転嫁するとしても、自然哲学的な考え方は、特に技術信仰をもって日々の生活を過ごしている先進工業国の人々には殆ど嫌悪されるものとなっている。

そうした捌け口として、サイエントロジーの成果どころか新興宗教のセクトによるテロリズムや恐らくイスラム過激派をも輩出しているのが近代の終焉にある現代なのであろう。

先日、誰かがおいていった岩波新書を捲っていると、その戦前戦中のヤスパース研究家らしきが書いているものに二人の面白い名前を見つけた。一つはマックス・シェーラーで、フッセールの愛弟子でもあるエディット・シュタインの師匠であり、指揮者フルトヴェングラーの義理の兄弟となっている。また、フランクフルトでエルンスト・カッシラーにも近かった彼をケルンの社会学部長に招いたのがアデナウワー市長となっている。もう一つはシュテファン・ゲオルゲのサークルにいたルートヴィック・クラーゲスである。ヴァルター・ベンヤミンはミュンヘンに彼を尋ねそこから有名なアウラの言葉を得たと言う。そして当時のオカルト的な傾向が一方では神智学やユングなどの精神分析へと至り、一方では「血」を身上とした国家社会主義に至ったことが知られている。

それは、現代人の身近な生活においても、古い言葉ではヴァンダーフォーゲルやボーイスカウトもしくはヴァンデルンゲンと呼ばれる活動や自然保護運動、自然食品運動もしくは精神分析などとして脈々として伝わっている。

そうした大きな流れにバイオワインもある。特にバイオダイナミックスで出来たワインを試す。酸が良く効いているクリストマン醸造所のリースリングである。それ以前は、硬いワインとして有名であった。ダイデスハイムの野外プールの小さな谷の上流から広がっている2006年産パラディースガルテン辛口である。長めのコルクを開けると独特の酸が揺らぐ。酢酸に近いものがある。ワインの香りもその酸と共に強く出てくる。試飲の時には、グランクリュを除いては、この醸造所の2006年産の最も素晴らしいリースリングであった。もったりとしたミネラル味に続いて果実風味が広がる。そしてそれに強い酸がフェーンのように吹き降ろす。その味覚の面白さをどのように捉えるか?このワインは時間が立つとその香りや旨味が飛んで酸だけが残る。ある意味の田舎臭さと独特の酸味の対立をどう見るか?所詮果実風味は一斉に飛び去る。高級ドイツワイン協会の理事長に収まった若旦那の醸造所であるが、このワインにどうした価値をつけるか?決して悪いワインではないのだが、現行の価格を考えると お 布 施 の二ユーロほどを高過ぎると思うのは私だけであろうか?

嘗ては、身近にある技術信仰の極点にエンターティメント家庭電化商品があった。例えばソニー社は世界をときめかしたが、その盛況を象徴したベルリンのソニーセンターが売却出来ずにいるようだ。東西ベルリンの中間にあったポツダムプラッツを嘗てのように蘇らせようとした意図があったにしても、その横のドイツ国鉄の社屋のハンブルクへの移転が進められた経緯もあり、これも民営化が進めば再び議論の対象となり、新たな市街地開発が必要となるだろう。現代における逃げ場は、必ずしも多くはないのである。



参照:
エロ化した愛の衝動 [ マスメディア批評 ] / 2007-01-04
聖なる薄っすらと靡く霧 [ 暦 ] / 2007-11-03
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自由の弁証を呪術に解消

2007-11-05 | 文学・思想
連続ラジオ「ファウストゥス博士」第五話は、原作二十一章から始まる。1918年秋の第一次世界大戦の敗北に、プロシアの勤勉と近代技術の粋を集めた帝国主義に、大量の市民を犠牲にした潜水艦の魚雷攻撃やヴェルダンの戦いなどを手短に纏めて、ドイツ帝国の終焉の時を描く。

しかし、なんと言ってもこの回の軸は、近代知の基本にある「神なき世界の秩序への認知」としての「十二の音を使った音楽技法」の発明にある。システムの構築による自由の獲得は、数学・理論物理体系における宇宙の構築であり、認知の限界を築くことによる自由の獲得なのである。

社会文化学者アドルノの知恵を得て、トーマス・マンはそのシステムの価値を少しづつ解明して行く。先ず、ベートーヴェンに見るような技術的秩序によって、主観性が音楽的構造を強化するソナタ形式の展開部を挙げている。その形式のその部分が、つまり主観的ダイナミズムとハイライトの自由圏が、次にブラームスによって客観性へと変化している歴史的構造を言う。

楽聖の変奏は古代芸術の名残りであり、形式の新たな創造の素材となったことを、恐らくその楽聖の後期の作品に示そうとしている。また新古典主義においては音楽は、従来の美辞麗句や形式や残渣であることを断念して、作品の統一がどの部分においても新たな自由を獲得することになるとして、音楽が決して偶然生じたのではなく同素材への固執から多様性へと発展するあらゆる面での経済を齎す秩序となる自由を指し示している。

こうして、「十二の音を使う音楽」のシステムが語られるのだが、魔法陣のように組み合わされるその音のシステムをして、充分に認知出来ない音の動きをして、宇宙の摂理と比較される。当然の事ながら、認識出来る閉じられたもしくは開かれた限界に数学自然科学の分野が広がるように、「未知の芸術的弁償に目覚めること」が認識であるとする。

1940年代前半の執筆であるこの時期にトータルセリアルなシステムが示唆されていて、それはアドルノの実際の文章と比較してみる必要があるが、少なくともモデルとされる作曲家アーノルト・シェーンベルクが1921年の散策中にヨゼフ・ルーファーに語ったものとは大きく異なる。

そして、トーマス・マンは、こうした観念的な思考を、前々回の放送分にあたる原作十二章の登場人物の一人、アナクシマンドロスのイオニアの自然哲学やアリストテレスの影響を受けたピタゴラスの世界観を講義するコロナート・ノンネンマッヒャー教授の思考から伏線を引いていて、間接的ながらそのドグマティックな色合いを、「音楽の呪術的存在を人間的な理性に解き放つ」さらに「むしろ人間的な理性を呪術に解決する」として言い直させる。

この記述は、実際の作曲家シェーンベルクの歴史的実践に基づいた音響学的な自然から逃れられなかった事実とは相反する。しかし、遠からずのこうしたイメージが現在まで生きていることも事実であり、この原作二十二章におけるアードリアン・レーファクューンとゼレニウス・ツァイトブロムの散策風景は、秋の郊外の夕刻の美しい風景に、悪魔の冷気を忍ばせながら、来るべき進展と現実の歴史の破局を準備するに充分な変奏となっている。
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パフォマー心理の文化性

2007-11-04 | 
BLOG「Ganze Lieben, Ganze Freuden」にてパフォーマーの心理としての示唆を得た。そこでは本番前の「ソルフェージュ」が話題となっているが、その視点は、大きな示唆を与える。故ジョルジュ・リゲティは、経験豊かな作曲家としても有名であるが、二十世紀後半に頻出したパフォーマンスを表に打ち出し、決して伝統的な美意識を無視した前衛派の創作家ではなかった。

アイン・ドイツェス・レクイエムは、新古典主義作家ブラームスの出世作として、ルターの訳によるドイツ語のレクイエムとして知られている。オーケストラ演奏だけでなく、合唱を主としてピアノ源譜のみならずオルガンなどを使った演奏も共同体の合唱団などで演奏されているものと思われる。

そのドイツ語の歌詞は、管弦楽を使った名演奏では部分的には良く聞き取れないが、先輩ヴァーグナーが劇場の奈落構造を変えてまで、声を通るようにしたのとは異なる意味で、ブラームスは声を充分に巧く扱っている。

声と言う楽器は、熱を帯びたり硬直したりするもので、そこが無機的な楽器と異なるとしているのはヘーゲル教授である。「肉体的で性的」として、マンの「ファウストュス博士」における主人公の性格つけで、ヴァーグナーにおける人の声のヌーディティに比して、古楽の声楽における頭を捻らした「形式」が補うそれも何ひとつ処女的なものでない事が挙げられる。

つまりここにおいても、ルターの教会音楽の単純とは正反対の意味で、歌い手の生理が良く考えられているようで、その音楽の、歌詞の進む方向が、まさにベートーヴェンなどでは心理として扱えたものが、パフォーマーの逡巡、躊躇や当惑であったり、迷いであったり、確信であったりする。そのような仕掛けは、ネットで見つけたシェンカーシステムによる楽曲分析でも明らかになっている。そしてその仕掛けにただ二重や多重の意味を持たせるのではなく、それを弁証法的な話法としている。

そこではウアリニエーなる概念で、ミクロの変化が大きな枠組みを用意しているかのような解析がされるのだが、まさにそれは上で言う「形式」を取り去って有機的な関連を齎す理由つけとなっているようだ。因みにハインリッヒ・シェンカーのこの分析法は英米でこのように今でも盛んに使われているらしい。このブルックナーの弟子であるユダヤ人に従った者には、作曲家ヒンデミットと指揮者のフルトヴェングラーが挙げられる。更にシェーンベルクは、第一次世界大戦敗戦の痛みにあった1921年のドイツでの有名なルーファーヘの語りかけのなかでも、シェンカーの試みについて触れている。

こうした分析法が伝統的な演奏実践の場を固定化した、要するにシェーンベルクが指す「今後百年間のドイツ音楽の優位性」の土台であり、第三帝国における人気指揮者の野蛮な演奏行為への場を保障した罪悪と出来よう。そこにて失われたパフォーマンスとしての場への配慮と文化行為としてのパフォーマンスをブラームスのこの作品にみるのも強ち誤りではないであろう。

二十世紀後半においてもそうした文化的なパフォーマンスは、必ずしも前衛的な井手達のボイスなどの非伝統をモットーにしたもののみに存在したのではなくて、それこそ頭を捻らした違う装いの中でも存在したことを指摘しておけば充分だろう。

余り重要ではないことであるが、ドイツ音楽を得意としていた故カルロ・マリア・ジュリーニの実況録音を聴くと、そのアウフタクトが大変おかしなことになっている。アーティクレーションに拘る音楽家となっていたが、その真意は全く理解不可能である。この指揮者のブラームス演奏も人気がある筈なのだが、まるでヴェルディーのドン・カルロスのように響かすヴィーンの音楽家達は怯え当惑していたのだろうか?
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聖なる薄っすらと靡く霧

2007-11-03 | 
ホタテ道が話題になっている。何やら映画やらベストセラー本やTV放送について、BLOG「ケルン、るんるん♪」で知った。映画に関してはBLOG「Bonjour, c'est veronique」の記事を読んでいた筈なのだが、コキールとはなっていなかったのでヤコブスヴェークとは結びつかなかった。

少なくとも、今年の六月と先週の日曜日には、この聖ヤコブに纏わる道を巡礼する二人のご婦人と行動を共にした。昨年出会ったスペインに移住して戻って来た人もその事を語っていたようであった。

六月には、道中に使うリュックザックを試しに担いだご婦人と、ライン河沿いを二日間ご一緒した。現地スペインへ飛んで本格的に目的地を目指すと語っていたが、無事サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着しただろうか。二本ストックを進めたが、巡礼に突く一本杖があるとかだった。

先週のご婦人は、ドイツ国内の道からスペインへと近づいて行く巡礼を分断して行なっている。そのリュックザックにはホタテの貝殻が付けられていて、これで水を飲めるのよと語っていた。

そのような按配で、ドイツ国内では大ブームのようである。それも女性が多いようだ。巡礼の目的は、どうも贖罪と精神の浄化にあるようで面白い。

「裸体」の参考にした古い記事に貼ってあるリンク先のベネッサ・ビークロフト女史のサイトを久しぶりに訪れ、新たにアップロードされていたVIDEOを鑑賞した。どれも思っていたよりも良質で、話題になる集団ヌードがスキャンダラスに捕らえられるのとは反対に、政治・社会的なのは当然ながら、かなり内省的なパフォーマンスのようである。ベルリンにおけるそのVIDEOをみると、まさにドイツ人向けの殆ど瞑想の精神状態を裸の演者に求めているようである。

先日のご婦人もシュヴェービッシュ訛りで話し、その話を聞いているとシュトッツガルト周辺で盛んなようなカトリックの座禅などを思い起した。巡礼グッズをみながら、ほたて貝を焼きその殻で飲む酒を空想して、日本の札所巡礼の話をした。ネットで知った野党党首が頭を丸めて白装束での巡礼パフォーマンスをしたのと、保守党政治家の似非神道イズムでの禊を比較しながら、ホタテの道での巡礼を説明したのである。

万聖節から万霊節へと連なる。蝋燭の光は、墓地で輝き続ける。バルコンの向こうに万聖節の夕暮れが広がり、山の中腹を煙のように霧がこちらへと漂い出した。煙なら匂いがするが、しない。これを見て我慢がならなくなった。LPから急いで針を下ろし、ズボンを履き替え、厚手のセーターに着替え、防寒チョッキを来て、カメラを片手に急いで外に出る。

ブラームスのアイン・ドイチェス・レクイエムが、全く異なって鳴り響くことに今日初めて気がついた。ルターの響きのドイツ語によって、チューリッヒ、バーデンバーデン、カールツルーヘと各々の土地で、上の意味からも至極ドイツ的なこの曲が創作されている。



参照:アメリカにもあった「癒しの道」(時空を超えて)
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エロスがめらめらと燃える

2007-11-02 | 
肉体とエロスは今年のこのブログのテーマでもある。BLOG「TARO'S CAFÉ」で裸とポルノが話題となった。イン河の橋の欄干の男性器をされけ出したキリスト像の設置が物議を醸し出している中、オーストリアのカトリック原理主義者が、春のザルツブルクの裸のモーツァルト像*ペンキ事件に続いて再び抗議行動を起した。事件に関してはカトリックのメディアは関心を持って伝えているが、一先ずその町から遠く離れている我々にはどうでも良い。

興味あるのは、ポルノ反対派と呼ばれる原理主義者の行動原理であり、我々の社会が持つ「裸とポルノ」に対する考え方ではないだろうか。裸の彫刻と聞いて誰もが思い浮かべるのはギリシャ神話の神々の古典の裸像である。そして、それにキリストの腰に捲いた襤褸布を比較するのである。

古典芸術をして、ヘーゲル教授は裸について簡素に的確に語っている。つまり、神々は完璧で隠すものがないのであって、衣服を纏ったり性器を隠すのは人間的なこととしている。そして、ギリシャの美神のヴィーナスなど限られた女性しか充分に肌をさらしていなので、もしギリシャ人がより以上に裸に寛容であったなら美意識は変わっていただろうと大変残念がっている。

なぜならば、精神的な部位と言うのは頭とか手の動きとか仕草を考え、それ以外の部位は動物的で感覚的な必要悪と一般的には考えるからである。つまり、隠されていると言うことは、動物的な感覚が嫌われて、慎み深い人間の精神が動物的な生を恥じていることを示すと語る。要するに、古代においてもパラス像などが余りを肌を曝していないことを挙げ、人間のそのような部位の美は感覚美であって、精神美ではないと断言する。

当然、アダムとイヴの楽園追放の経緯が原罪となることに対応している。キリストがギリシャの神々のような肉体を持っていないことは確かで、罪を背負っていることが大切なのである。

またFKKと呼ばれる肉体賛美や解放がナチズムもしくは唯物主義やマルキズムの文化であるように、一方アニミズムに類似する即物的肉体の商品化と神格化によるフェティシズム**、その中間帯のヴィクトリア期の美学者ラスキンやルイス・キャロルらのペドフィリアや作家オスカー・ワイルドなどの同性愛者の存在、また画家ターナーの変態ぶりなども文化宗教的背景を無視しては考え難い。

反面、性の倒錯は観念的なもしくは目的論的な考察のなかでこそ倒錯と言われるのであって、ヘーゲル教授の説のように肉体はそもそも不死ではないので不完全としても、そしてそれらが浄化されて美が存在するとする精神の普遍性にも疑問が投げ掛けられる。

本日は霧がたち込める万聖節となった。ドイツ語の「ALLERHEILIGEN」は「All Hallow’s Even」つまりケルトのハロウィーンと同じ語彙であると最近はその米国文化の一般化から説明されるようになっている。肉体が朽ちた後のその精神が、蝋燭を添えられて、めらめらと光り輝く。その光を微かに跳ね返す対象こそがエロスへと導かれる。


*モーツァルトの非聖人化は、娯楽映画などよりもこのような方法の方が効果がある。
**資本主義の物神崇拝論としての用例が有名なようだが、寧ろここでは未発達な宗教や世界観によるアニミズムが重要である。



参照:
純潔は肉体に宿らない [ 文学・思想 ] / 2007-10-28
素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21
民主主義レギムへの抵抗 [ 文化一般 ] / 2007-08-25
ミニスカートを下から覗く [ 文化一般 ] / 2007-09-17
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