Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

明けぬ思惟のエロス

2007-01-01 | 文学・思想
旧年内にトーマス・マン著「ファウスト博士」に目を通すことが出来た。本年を以って、そのスェーデンのベルマン・フィッシャー出版社による初版から60年になる。今更この古い文芸作品に何かの意味を求めるのは不可能かも知れないが、少なくともこのブログで扱っている話題の多くに係わっている。その逐一を紐解いていくには、ここでまた幾日にも別けて折りにつけ小まめに書き出していくしかない。

読み終えた文庫本は、1997年2月にフィッシャー出版社が1990年4月初版の完全版を再版したもので、フランクフルトの店頭で購入した覚えがある。購入してから十年は経っていないだろうが、マルクで買っているので少なくとも六年は経過している。

読み始めてからも同じぐらいの時間が経っている事は間違いなく、一年前にもまだ前半のどこかの頁を思い出したように開いたりして、積読としていた。その間、このブログ上において、間接的ながら思い浮かべる内容はあったが、特に急いで読破する必要も感じなかった。

しかし、最近になって同作家の「魔の山」を手元に取り寄せた経過もあり、またその大部を何度も読破しているBLOG「無精庵徒然草」のやいっちさんがこの「ファウスト博士」を読み始めたと知り、丁度良い機会と負けずに読破した。

後半は、速読を期して読み飛ばしたが、大きなめくるめくクライマックスに向かう筋立てと、その後のフィナーレへの筋運びではどうしても同じような速度で読破出来ない事が判り、改めて何年にも渡り遅々として読みきれなかった前半の記述をもなるほどと思った。

読破後、当初から特別に印象に残った第三章を読み直すと、後半のクライマックスを別とすると、そこには唯一極度のエロスが満ち溢れており、なかなかこうしたものは性的偏向のある作者でないと書けないであろうと改めて思う。

またそれに先立ち、第二章を読み直すと、第三章の主人公の父親への記述に対応して、語り手で主人公の友人であるゼレネス・ツァイトブロン哲学博士の自己紹介から、主人公の環境を間接的に説明している。

そこで、ルター派の居城である中部ドイツの架空の共同体(ニッチェの故郷ナウムブルクと云われる)の中での、カトリック教徒である語り手から見え隠れするユダヤ人が暗喩として描かれる。この反転させて浮き彫りにする手法は、この全編音楽文化を通して描かれる個別作品の詳細において、結局指摘されなかった、「明けぬ思惟」なのである。

繰り返し再読の必要を自己弁護とするが、陽の当たる部分を排除して行く事で影の部分を反転させる方法は、そもそも「ファウスト博士」の骨格である事には間違いない。

直接間接的に俎上に上がり、もしくは本質的興味を起こさせ、読書の間特に注意を向けた楽曲とその演奏録音をリストアップしておく。この文学作品の1951年版から、作曲家アーノルド・シェーンベルクとの関連が後書きとして明記されている。その作曲家自身も、亡命先のカリフォルニアのサンタ・バーバラ校等で、「ファウスト博士論争」を講義の題材として、自作の普及に務めていたのだろう。(続く


音楽:
ベートーヴェン作
四重奏曲イ長調 ラサールカルテット
後期ピアノソナタ マウリツィオ・ポルリーニ、アルフレッド・ブレンデル
ミサソレムニス

シェーンベルク作
ピアノ曲 グレン・グールド、マウリツィオ・ポルリーニ
ピアノ協奏曲 アルフレッド・ブレンデル、ピーター・サーキン
ヴァイオリン協奏曲 ピエール・アモワイヤル
管弦変奏曲 ピエール・ブーレーズ
ヤコブの梯子 ピエール・ブーレーズ

デュファイ作、オケゲム作、ジャスカン作、ラッスス作
各ミサ曲

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18 コメント

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帰省ボケ (やいっち)
2007-01-01 23:55:52
覗いたら小生の名が。
悔しいけど、小生、この一週間、帰省していて、ファウスト博士の世界からは遠ざかってしまった。バッグに忍ばせるには重すぎて。
今夜一晩寝て、こちらのペースに戻す積もり。
確かに前半は遅々として読むしかない。小生も、「魔の山」を読んでマンへの信頼があるし、長編なんてこんなものというそれなりの経験があるので、ワインを嗜みように読んできた。
そして、いよいよ佳境へというところで帰省。
多分、明日から再開しても、一気にマンの世界へ入れるはず。
pfaelzerweinさんには先行されちゃったけど、ま、それは織り込み済み。
じっくり読んでいきます。
今年もよろしく!
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スロットル全開 (pfaelzerwein)
2007-01-02 04:07:17
途中経過30章と聞いて、これは抜かれたと思いスロットル全開としました。その御蔭で下り坂には加速出来、上り坂には減速する醍醐味を味わうことが出来ました。

何度も要らぬことを書きましたが、読書の邪魔にならなかったことを願っています。そして、感想文を期待しています。

私自身は、もう一度部分的にも繰り返さないと十分に読みきれそうにありません。翻訳本は訳者注が付いていると思うのですが、かなり問題が多いものと想像します。作者を越えて解説しなければいけない箇所も多々ありそうです。

その辺りの感じも感想文を頼りにしています。しかし、競争相手無しではブレーキをかけ続けてましたね。まあ、「魔の山」のように三十年近く掛からなかったことだけでも良かったです。それも摘み読みして「雪の章」もいづれ再読します。

良い年でありますように。
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Unknown (まったあり)
2008-11-25 12:46:58
アマゾンドイツより、Doktor Faustusの本が届きました。
先週、ドイツ語の先生より、CD22枚を頂きました。
DVDと日本語訳もあるので、これから年末に集中して読んでいきます。半年がかりのプロジェクトになりそうです。
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次から次へと好奇心が沸いてくる (pfaelzerwein)
2008-11-25 15:09:37
ドイツェグラモフォン盤ですね。22時間?映像は写真しか見たことがありませんが、なかなか映像化の難しい作品ですね。ハリウッド並みにお金をかけないと。

まあ、「魔の山」ほど長くはないので、目を通して行くのはむしろ早いかと思いますが、内容は、そうですね半年の遣り甲斐がありますね。まったなしに、次から次へと好奇心が沸いてくること請け合いです。

内容に関してここに書いてあることなどと重なりましたらまたコメントください。適当に読み返す契機にさせて貰います。

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/e86065acde653d71821bdb4c15d2bb81
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Unknown (まったあり)
2009-01-05 12:11:50
年末年始は結局、”ヨセフとその兄弟”を読むことに決めて、12月25日より読み始めて、1月3日に読了した。感想は今までで読んだ本で最高であった。とは言いながら、最初のHoellenfahrtの部分は大変だった。年明けに、CD30枚を聞きながら、定年前の親爺には老眼で大変だが、ドイツ語を読み始めた。家族が娘の大学受検のため日本に行っているので、読書には最高であった。そして、2日はドイツ語の先生であり、友人である、名前も同じ、Mann氏とJosephについて2時間ほど感想を述べ合った。ということで今年の前半はこれに集中することにしました。
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この辺りの書籍も読み返さなければいけない理由 (pfaelzerwein)
2009-01-05 20:57:16
全千三百ページを一週間となると日平均、二百ページですね。要領よく速読しても私の限界を越えてます。

重要な三部作であるとは知りながら到底手を付けられないです。なるほどCDを流しながらも一つの方法なのでしょう。

ファウストュス博士も全テキスト朗読して聞かされてもなかなか飲み込めないので、これはこれで大変です。

時節柄やはりこの辺りの書籍も読み返さなければいけない理由は幾らでも見つかりそうです。
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Unknown (まったあり)
2009-03-02 14:16:16
土曜日に先生とDie Geschichte Jaakobsの最初の方でJaakobがLabanの長女のLeaを押しつけられる場面について雑談でした。ギリシャ、中東では依然として、長女を差し置いて、次女が先に結婚することはあり得ないとのことでした。その意味でも、このお話は今も現実的かと納得した次第です。
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バビロン的な文化や知恵 (pfaelzerwein)
2009-03-02 15:32:05
順調に読み進んでいるようですね。なるほど物語の背景からすると、そこにバビロン的な文化や知恵などが凝縮されているようです。
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Unknown (まったあり)
2009-03-03 08:28:53
魔の山には、面白い発見がありました。
フロイトの言い間違えの影響か、”Erotika”von Beethoven gespielt werden muesseとか”Geld-Magneten"(Magnat!)がありました。また、マーラーのことが念頭にあったのか、Ich bin der Welt abhanden gekommenがありました。
先生によると、Madam Chauchatはフランス語であるが、英語に訳すとHot Catと言う意味とか。
会社の秘書(オーストラリア人)に聞いてみると、Hot Catという言い方はしないが、多分、セクシーで少し危険な感じの女性ということではないかとのことでした。
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言葉遊びとパロディー化 (pfaelzerwein)
2009-03-03 10:46:54
言葉遊びの面は頁毎に数えきれないと言うか文学的な重要な要素になっていると思います。このキルギス風女性への説明は不要かと思いますが、それへの関心は作者が同性愛者である事を表わしているでしょう。

駄洒落でもあり、言い間違いと言うよりも、埋葬の場面での教養の無い女性とセッテムブリーニの対比は、この大作が教養小説のパロディーである所以ですね。「葬送行進曲」でもあり、ヴァーグナー風の「生と死の対比」をパロディー化していますね。

因みにこの教養の無い女性のモデルと言われ女性は、確かご主人のヌードモデルとしてカメラの前に立っていた「発展的な女性」でもあったようです。

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/f396e0baa69ca3ba57ae2d66be5c9a85

「この世に忘れられ」はリュッケルトですから、これもパロディーですね。どこに挿入されてますかね。
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