Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

親愛なるキーファー様

2007-11-09 | 文学・思想
クュスナハト(チューリッヒ)26.X 33、シースハルデンシュトラーセ33と始まる手紙は、去る月末ベルリンの国立図書館で公開された183にのぼる手紙の一つである。差出人は、1933年亡命中の作家トーマス・マンで、存在の知られなかったものである。

その全文がフィッシャー出版社の友好的承諾を得て新聞に掲載されている。この作家の日記帳や手紙などは系統的に研究対象となっているのみならず世界中で出版されているが、この該当の手紙ほどナチへの第一印象が明白になっているものはないようである。

何よりも国会放火犯人の裁判に注目して、その忌々しさと有害さを語っている。それはあくまでも、この作家の美学であって、確立したモラルの問題ではなかった。

それをして、15年前の「魔の山」における「政治的嫌疑が掛かるもの」は、「ロマンティックな音楽」そのものであった。しかしこのときには「嫌疑が掛かる政治」が問題となっているとしているのは、FAZに書くエドー・レーンツである。政治が情動的で性的なものである事をここでも示している。

作家は、このライプチッヒの公判にドイツの人道的孤立と宿命的な終焉を見ているが、それはそのもの「ファウストゥス博士」の主題であり、その二つがこの手紙に解を得ているとしている。

一つは、ショーペンハウワーの言う宿命論で、破局への処方とそこからの再生を個人個人の弱さから望んでいないとして、その運命から逃れられないのを、愛国心と人道主義が両立しないことで判ったからである。

もう一つが、文化芸術にドイツの罪を象徴的に置き、それを語り手ツァイトブロムに代表されるもしくは「魔の山」の贅沢三昧のペーペルコルンのモデルともなるノーベル文学賞者ゲルハルト・ハウプトマンや追随作曲家リヒャルト・シュトラウスの孤立と内向化にみている。

更にそれを具体的に解いていく事とは別に、この手紙の宛名である出版者キーファーは、同じくバーゼルにゆかりのあるヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュの奥さんによってナチのエージェントとされたことも付け加えておく。

もちろん、我々にとってもっとも関心があるのは、愛国保守主義者トーマス・マンがその財産や取得すべき新たな印税を徴収没収され収監命令が出てからのこの手紙の内容と、また初めて反ナチをノイエ・ズルヒャー・ツァイトュングにて公に表明する1936年2月3日の公開文書までの流れと、それを通して見る世界の心理的な流れでしかない。



参照:
„Das kann nicht gutgehen mit Deutschland“, Edo Reents, FAZ vom 30.10.07
吹雪から冷気への三十年 [ 暦 ] / 2007-11-11

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