Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

現代オカルトのビオ思想

2007-05-24 | 文学・思想
先週の新聞にバイオダイナミック農法に関する記事を見つける。ベルリンのカフェー・アインシュタインで、元国務大臣レナーテ・シュミット女史が女性代議士たちを集めて、これについてお話をしたと言われる。

この新聞記者は、「まあまあ、そこで驚愕もされることもなく、シュタイナーに言及されることとなり、これで、迷い道へと進む怪訝もなくこれがドイツプロテスタント勢力の土台となった」と語る。

この農法は、先頃カッセルの大学でドイツで初めて講座が持たれることになり、そのオランダ人教授をして、そこで農学を教えるのではなくてシュタイナーのアントロポゾフィーのオカルトを教えているだけではないかと強い批判が挙がっている。

しかし、この記事にあるように、我々都会生活者は土いじり等とも縁遠く、農業など知らない者が殆どで、バイオ、バイオと二言目には口に上らせるだけなのである。バイオ商品に高い金を払い、喜んで健康なものと信じて、変わらぬ不健康な生活を続け、経済活動に貢献するのである。

プロテスタント信仰者にとって、反省することも無く、これほど魅力的な逃げ道はないと思うのは私だけだろうか?

その逃げ道の一つとして、陰陽の二元論的世界観もしくはグノーシス的世界観が、罪滅ぼしを願う工業先進国から、または根本的に西洋化出来ない極東のアジア主義者から生まれている。

特に胡錦濤主席のハーモニー(和谐)社会政策は、我々の知っているマオ思想も、小平の楽天主義も、江沢民の三大主義思想論をも批判せずにすべてを多極化の中で抱擁しようとする思想である。

学而 12
有子曰:“禮之用,和為貴。先王之道斯為美,小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。”

子路 23
子曰:“君子和而不同,小人同而不和。”

そこでは、中庸と言う言葉を使うことなく、ジャコバン派の過激を諌めて、陰陽のバランスの中で調和させようとする思考があるのだろうか。

それとも、このように見てくると、哲学思想文化の世界で進んでいたポストモダニズムの影響が、今頃になって政治社会の主導的な思潮になってきている気配すらある。それが、二元論的なそもそも仮想である二大政党制の衆愚政治でありポピュリズムである。細分化して専門化した近代科学が、または象の鼻に触れて判断を下すような短絡が、こうしたカルトを生みだす温床を育てているだけなのかもしれない。



参照:
イエス家の三つ以上の棺 [ マスメディア批評 ] / 2007-03-01
求められる明快な宇宙観 [ マスメディア批評 ] / 2006-05-25
活字文化の東方見聞録 [ マスメディア批評 ] / 2006-05-12
二元論の往きつく所 [ 文学・思想 ] / 2006-04-16

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2 コメント

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スピリチュアリティーの欠乏? (モモリーネ)
2007-05-24 17:11:46
再び興味深く読ませていただきました。哲学は私の専門でもありませんが、日々西洋社会に生きて、最近は特にこの記事の内容を実感しておりますので、コメントを残したく思いました。
プロテスタント信仰者にとって、これ以上素晴らしい逃げ道はないというご意見には納得します。最近の、教会離れはプロテスタント教会の大きな問題で、先日興味本位にEKDのTextに目を通しましたが、どうも教科書的で本当の問題に焦点を当てていない気がしました。カトリックと違って、プロテスタント教会には、五体の喜びといった感覚に欠け、人間として自然や大地との一体感を実感できるスピリチュアリティーが実感できないものになってしまいました。それを補うがごとく、オカルトやカルトなものが求められていくのでしょうか?マテリアルがここまで満たされると精神性を見失い、更なる真実をこうしてグノーシス主義のようなかたちに求めていってしまうのは、西洋社会でのプロテスタント教会のあり方がもう一度問われていると実感せざるを得ません。
ポストモダニズム時代もそうかも知れませんが、どうも分割(Spaltung)の文化である西洋は「すべてを多極化の中で抱擁しようとする思想」というのをなかなか築けずに、結局二元論的になってしまう宿命にあるのでしょうか?その辺に、手堅い弁証法を使って学問の育つ基盤や政治思想の発達する土台を見たりするのですが、東洋人である私には、西洋人の新しい精神性を求める方向が、何か浅薄な気がしてなりません。そういう意味で、様々な点を象徴的に包括したこの記事は、大変興味深く思いました。
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意外に脆い西洋思想 (pfaelzerwein)
2007-05-25 03:31:02
最近フランスの情報も新聞等に良く出るようになって、それらと比べたりしています。フーバー氏の談話などを聞いていても、そこの肝心のところはある意味、逃げてしまっていますよね。

対立から止揚する形は、例えば政治では異口同音に緩やかな経済成長が政策の基礎となるのですから、求めようがありません。

今述べたフランス新右翼の人気者は、欧州の「寛容と人権」の一押しでは駄目だと主張して、アンチキリスト時代が今始まったとか発言しているようです。これなども、グローバル化の中での旧世界の困難な事情を示しているのではないでしょうか?

上の現代中国の思想問題への深い関心も根は同じなんですね。グローバルな世界で土俵は皆同じなので、イスラム世界を含めて本当に共存出来る方法はあるのか?

今回のエコ思想を考えていて、嘗ての西海岸などの東洋趣味を思い出す反面、全然違う事情をここに見て、ご指摘のように意外に脆い西洋思想に気がつくのです。社会の表にあまり出ない範囲で、大分揺らいでいる世界観のようなものを感じます。

サイエントロジーもどきへの流れを食い止められないような社会構造になっているのが事実ではないでしょうか。
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