聖母受胎の日が過ぎて、一度この辺りで触れておかないといけない。W.G.ゼーバルト作「目眩」の最後の章「帰郷」のエピローグに、ピサネロの幼子を抱えたマリア像の『聖母子と聖アントニウスと聖ゲオルギウス』が描かれる。
これはゼーバルト本人の故郷帰りが土台となる最後の章で、作者はそこで都合12月初めまでの丸々「死の月」の11月を過ごす。
1987年、ベローナ、南チロルからブレンナー峠を越えてインスブルックで乗り換える情景に始まり、終景で夏から過ごした大陸での日々を振り返りながらのロンドンからイーストアングリアへの列車の風景まで、数多に余る言葉の観念連合で綴られる。
故郷での昔話を真ん中に挟む形で、またその中に壁画や回想などの中間構造を挟み入れる。その効果の程は、しかし残りの三章を読まないと判断出来ない。
ロンドンをまるで旅行者のようにナショナルギャラリーからリヴァプールステーションの方へとふらつき、そしてチューブに乗る。人構わずに唐突に繰り返される「マインザーギャップ」の警告アナウンスの響く地下構内から、あの古い作りの煤まみれの駅舎 ― 先日のブレアー発言で奴隷による成果として挙げられた ― へと登ってくる。そこのシャルターに座る黒人女性を観察して、重くゆっくりと動き出すブリテッシュレールの列車の人となる。そして、誰もが一度見ると忘れ得ない、線路脇のロンドンのレンガ造りの光景に、しっかりと都市の時をみて、草原や垣根の広がる郊外の景色が見え出すと、再びアルプスの奈落の光景へとトリップする。
早朝の中小大都市インスブルックのターミナルの風景は、イン河沿いを走行した後、幾ばくかの広い谷間を耕した牧歌的な車窓の景色となって行く。折りからの天候に藁は濡れ、実りの薄かった夏を、交通量の少ない山の中を走るバスの同乗者の生活に見る。バスは、険しい山肌を回りフェルンパスへとかかる。子供の頃にメルセデス・ベンツD170 で家族と走って馴染みの湖を通過して、ガレ場の落ちる断崖絶壁の広い谷に挟まれるような緑の耕作地に牧畜を見る。バスは、途中次から次へと乗り込んできていた多くのチロルの女たちを、漸く昼前に到着したロイッテで下ろして、方向を変えて再びタンハイマーの谷へと入って行く。
英国の風景もフェルンパス越えも、各々を知っている者にとっては人事のように思われない光景である。そして、幾つも差し込まれる具体的な情景の数々は、読者に必ずしや特定の記憶を呼び起こし、そのエピソードを遥かに越えた物語が自ずと溢れ出すに違いない。
それはまた、故郷を後にしてヘックファンホーランド経由で英国への帰路に付く作者が、ライン平野の色づいたブドウ畑を描いて、ここから北へと「北海道の北の端」を越えるのだと、またはハイデルベルクで若い女が列車に乗って来てプァルツ伯への若いエリザベスの嫁入りが語られる叙述に、偶々そうした地名の記号を乱用しているのではなくて文化の記号を持った数多の用語が選ばれ且つ散りばめられているのだと理解出来る。
また故郷での中間部分には、シュナップスや土地の風習の記載だけでなく、シラーの「盗賊」の上演を挙げて、さらに謂わば ― たとえ其れが作者自身の家族についてだとしても ― インサイダーにしか分からない土地の事情が語られるのを読むと、突然前後のプロローグとエピローグの一見旅行記のような部分がそれらに関連して意味を持ってくるのが解る。
僅か一章を簡単に目を通したのみで、この作品の若しくはこの作家の価値は判断出来ない。しかし、これほどまでにページからページへと読者の観想を掘り起こすそのエピソードの数々を一々挙げていくと、簡単に「失われた時を求めて」の量感を越えてしまうのではないかと思う反面、一体何をどのように綴れるかと問う時、いかにも危うい観想に気が付くのである。まさにそれが、観念連合の正体であるのだ。
この作家が、自宅のある あ の ノーリッジで交通事故で2001年に亡くなると言うのも、どこかに挟まれるエピソードの一つのようで、この作家と作品自体が本当に実在したのかと疑わせるだけの不思議さがある。
なんと、この章、つまりこの作品の終わりには次のように年号らしき数字が記されている。
- 2013 -
1990年の作品であった。
参照:
最近読んだ本, 続き - Eine bequeme Reise
ゼーベルト『目眩まし』を読む - 時空を超えて
マイン河を徒然と溯る [ 生活 ] / 2006-02-24
これはゼーバルト本人の故郷帰りが土台となる最後の章で、作者はそこで都合12月初めまでの丸々「死の月」の11月を過ごす。
1987年、ベローナ、南チロルからブレンナー峠を越えてインスブルックで乗り換える情景に始まり、終景で夏から過ごした大陸での日々を振り返りながらのロンドンからイーストアングリアへの列車の風景まで、数多に余る言葉の観念連合で綴られる。
故郷での昔話を真ん中に挟む形で、またその中に壁画や回想などの中間構造を挟み入れる。その効果の程は、しかし残りの三章を読まないと判断出来ない。
ロンドンをまるで旅行者のようにナショナルギャラリーからリヴァプールステーションの方へとふらつき、そしてチューブに乗る。人構わずに唐突に繰り返される「マインザーギャップ」の警告アナウンスの響く地下構内から、あの古い作りの煤まみれの駅舎 ― 先日のブレアー発言で奴隷による成果として挙げられた ― へと登ってくる。そこのシャルターに座る黒人女性を観察して、重くゆっくりと動き出すブリテッシュレールの列車の人となる。そして、誰もが一度見ると忘れ得ない、線路脇のロンドンのレンガ造りの光景に、しっかりと都市の時をみて、草原や垣根の広がる郊外の景色が見え出すと、再びアルプスの奈落の光景へとトリップする。
早朝の中小大都市インスブルックのターミナルの風景は、イン河沿いを走行した後、幾ばくかの広い谷間を耕した牧歌的な車窓の景色となって行く。折りからの天候に藁は濡れ、実りの薄かった夏を、交通量の少ない山の中を走るバスの同乗者の生活に見る。バスは、険しい山肌を回りフェルンパスへとかかる。子供の頃にメルセデス・ベンツD170 で家族と走って馴染みの湖を通過して、ガレ場の落ちる断崖絶壁の広い谷に挟まれるような緑の耕作地に牧畜を見る。バスは、途中次から次へと乗り込んできていた多くのチロルの女たちを、漸く昼前に到着したロイッテで下ろして、方向を変えて再びタンハイマーの谷へと入って行く。
英国の風景もフェルンパス越えも、各々を知っている者にとっては人事のように思われない光景である。そして、幾つも差し込まれる具体的な情景の数々は、読者に必ずしや特定の記憶を呼び起こし、そのエピソードを遥かに越えた物語が自ずと溢れ出すに違いない。
それはまた、故郷を後にしてヘックファンホーランド経由で英国への帰路に付く作者が、ライン平野の色づいたブドウ畑を描いて、ここから北へと「北海道の北の端」を越えるのだと、またはハイデルベルクで若い女が列車に乗って来てプァルツ伯への若いエリザベスの嫁入りが語られる叙述に、偶々そうした地名の記号を乱用しているのではなくて文化の記号を持った数多の用語が選ばれ且つ散りばめられているのだと理解出来る。
また故郷での中間部分には、シュナップスや土地の風習の記載だけでなく、シラーの「盗賊」の上演を挙げて、さらに謂わば ― たとえ其れが作者自身の家族についてだとしても ― インサイダーにしか分からない土地の事情が語られるのを読むと、突然前後のプロローグとエピローグの一見旅行記のような部分がそれらに関連して意味を持ってくるのが解る。
僅か一章を簡単に目を通したのみで、この作品の若しくはこの作家の価値は判断出来ない。しかし、これほどまでにページからページへと読者の観想を掘り起こすそのエピソードの数々を一々挙げていくと、簡単に「失われた時を求めて」の量感を越えてしまうのではないかと思う反面、一体何をどのように綴れるかと問う時、いかにも危うい観想に気が付くのである。まさにそれが、観念連合の正体であるのだ。
この作家が、自宅のある あ の ノーリッジで交通事故で2001年に亡くなると言うのも、どこかに挟まれるエピソードの一つのようで、この作家と作品自体が本当に実在したのかと疑わせるだけの不思議さがある。
なんと、この章、つまりこの作品の終わりには次のように年号らしき数字が記されている。
- 2013 -
1990年の作品であった。
参照:
最近読んだ本, 続き - Eine bequeme Reise
ゼーベルト『目眩まし』を読む - 時空を超えて
マイン河を徒然と溯る [ 生活 ] / 2006-02-24
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