… 急流がその日の平均的最高の流力に達した時、私は普通のボルドーワインの瓶一本に最も濁っていない水を満たした。この一クォートの水から二十四粒の砂と多少細かい沈殿物を得た。私はその流れの水量を見積もることができないが、瓶を満たした細流は一分間に約二百本分か、あるいはむしろそれ以上の瓶を満たしていた。それゆえ毎分約四分の三ポンドの花崗岩の粉末を下へ運んでいた。これは一時間四十五ポンドになるだろう。しかし、その日もっとも涼しい時間のもっとも弱い流力を見越し、他方雨で増した流力を考慮に入れると、…中略… あるいは四時間毎では100ポンドと見積もれるだろう。それゆえ、この取るに足らない、およそ幅四インチとおよそ深さ四インチの細流によって、… モンブランの二十トン以上の物資が移動させられ、…中略… 毎年動かす塊はきっと八トンを見込めるだろう。…中略… 全氷河の水…八万トンの山が毎年砂に変形して、ある一定距離下流に運ばれるに違いないということを結果として理解しなければならない。…中略… 山々は生物と比べると「永久的」のように見える、が、…中略… 創造主から見れば、山域を蛾や虫と区別するのは、衰えるのにより長い年月の経過を要するという点で、区別するにすぎないのである。
ジョン・ラスキン「近代画家論」第四巻「山の美について」より*
この一節は、ターナーを世に出し英国の美学者としてまた社会主義教育者ラスキンの有名な文章のようで、ここに多くのことを読み取れる。
先ずこれを読んで驚くのは、侵食活動によって目の前に立ちはだかるモンブランを一瞬にして消してしまっている視点である。現在の我々はその登山ロープウェーの敷設や快適な運行に満足して、精々断層や氷河の流れの襞を見て悠久の動きに感嘆し、短くなった氷河の舌に差し迫る温暖化の変化に戦々恐々とするのみである。まさに反対の視座からの表現である。
そうした当時の文化的背景には、ダーウィンの進化論が与えた影響が甚大だろう。しかしそれと同時に、ここに似非自然科学のいかがわしさが汎用産業技術の暴走となりもしくははたまたオカルト宗教の素となるのを見る者が多いのではないか。それがこの作者の意図した皮肉となっているのか、またはゴシック芸術を扱ってお得意のグロテスクな夢想となっているのか、専門家の論文などを見ても話題となるところのようである。
その一方、ターナーの雲などの躍動に表わされているような本質は、旧約聖書の元始の姿とも見て取れて、ドイツのフォイヤーバッハなどを含む自然哲学的な取り組みのブリテン島での現われの一つに他ならない。それゆえに、この美学家のものを弁証法の書として読むのがよいようだ。
しかし、僅かばかりの知識ながらも、それを現在の我々から見ると、例えば紀行文の一部を読むと、その背景に敷き詰められているデモーニシッな記述には、現在の飛行機の中での「ノルウェーの森」への観念連想のただの閉じた主観では到底至らない今日の民族学的なもしくボードレールからベンヤミンのような視線も感じられる。しかし、英国のヴィッレジに比べて港町カレーがどうであろうともヴァリス渓谷のシオンの町がどうであろうとも、太古のパラダイスを追放をされた人類と地球がその流れの中で観察されている。だから、文明や科学技術を背景にして谷奥深くを訪れる文化旅行に、ツーリズムの流れに乗って大英帝国からやってくる旅行者に本人も含まれていることを自覚している。そこが今更ながら重要である。
全く、異なる喩えであるが、米国や極東からモーツァルトやサウンドオブミュージックツアーに訪れる今日の旅行者も、バッハやマーラーの音楽の一欠片を流用したミュージカルの調べや「全ての山に登る」旧約聖書の世界を知らぬ内に踏破しているのを観察すると、「ただ唯一の神の存在」を信じないと言う方がおかしい。取り分け、イスラムテロリストが悪魔の役回りを務め、対テロ活動が聖戦と呼ばれる今日の我々が生きている 現 実 世 界 を見れば良い。
そして、ラスキンが子供の頃から鉱物に関心を持ちアマチュアーの研究家として、ゴシックの建造物や彫像などのそれも素材にも並々ならぬ関心を持ち、上の生物と動物の隔ても無くなるほど、アニミズムと変わらない面があったことは、そこに神を感ずる神知論のみならず、そのもの少女趣味の性癖へと結びつくようだ。
要するに、そこでは対象と自己との関係において、ある種のエーテルのような媒介が必要となる。鉱物との交感はそのまま少女との交感になっているように、異物との接触でもあるのだが、その関係とは一方的な動が支配するものなのだろう。世界観と言うのはこうした皮膚感覚に大きく左右されているのを、この「世にも変わった人物」から知ることが出来る。
あまり馴染みない英語の語彙を厭わなければ、BLOG「A VIEW FROM PARIS パリから観る --- le savoir, c'est le salut --- 」で紹介された世界観テスト が面白い。
*笹本長敬編訳注、山 ― 西洋人のアンソロジーから引用
参照:
Of Mountain Beauty: The Modern (John Ruskin)
風景の発見……ジョン・ラスキンの赤い糸
ラスキンという人……ラスキンの赤い糸(2)
日本の山の「発見」……ラスキンの赤い糸(3)
日本の風景画……ラスキンの赤い糸(4)
装丁の世界……ラスキンの赤い糸(5完) (考える葦笛)
空と山を眺め描くのみ…ラスキン (無精庵徒然草)
15年ぶりの日本山岳会 (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
『近代画家論』1・2・3 (松岡正剛の千夜千冊)
技術信仰における逃げ場 [ 雑感 ] / 2007-11-06
エロスがめらめらと燃える [ 暦 ] / 2007-11-02
ジョン・ラスキン「近代画家論」第四巻「山の美について」より*
この一節は、ターナーを世に出し英国の美学者としてまた社会主義教育者ラスキンの有名な文章のようで、ここに多くのことを読み取れる。
先ずこれを読んで驚くのは、侵食活動によって目の前に立ちはだかるモンブランを一瞬にして消してしまっている視点である。現在の我々はその登山ロープウェーの敷設や快適な運行に満足して、精々断層や氷河の流れの襞を見て悠久の動きに感嘆し、短くなった氷河の舌に差し迫る温暖化の変化に戦々恐々とするのみである。まさに反対の視座からの表現である。
そうした当時の文化的背景には、ダーウィンの進化論が与えた影響が甚大だろう。しかしそれと同時に、ここに似非自然科学のいかがわしさが汎用産業技術の暴走となりもしくははたまたオカルト宗教の素となるのを見る者が多いのではないか。それがこの作者の意図した皮肉となっているのか、またはゴシック芸術を扱ってお得意のグロテスクな夢想となっているのか、専門家の論文などを見ても話題となるところのようである。
その一方、ターナーの雲などの躍動に表わされているような本質は、旧約聖書の元始の姿とも見て取れて、ドイツのフォイヤーバッハなどを含む自然哲学的な取り組みのブリテン島での現われの一つに他ならない。それゆえに、この美学家のものを弁証法の書として読むのがよいようだ。
しかし、僅かばかりの知識ながらも、それを現在の我々から見ると、例えば紀行文の一部を読むと、その背景に敷き詰められているデモーニシッな記述には、現在の飛行機の中での「ノルウェーの森」への観念連想のただの閉じた主観では到底至らない今日の民族学的なもしくボードレールからベンヤミンのような視線も感じられる。しかし、英国のヴィッレジに比べて港町カレーがどうであろうともヴァリス渓谷のシオンの町がどうであろうとも、太古のパラダイスを追放をされた人類と地球がその流れの中で観察されている。だから、文明や科学技術を背景にして谷奥深くを訪れる文化旅行に、ツーリズムの流れに乗って大英帝国からやってくる旅行者に本人も含まれていることを自覚している。そこが今更ながら重要である。
全く、異なる喩えであるが、米国や極東からモーツァルトやサウンドオブミュージックツアーに訪れる今日の旅行者も、バッハやマーラーの音楽の一欠片を流用したミュージカルの調べや「全ての山に登る」旧約聖書の世界を知らぬ内に踏破しているのを観察すると、「ただ唯一の神の存在」を信じないと言う方がおかしい。取り分け、イスラムテロリストが悪魔の役回りを務め、対テロ活動が聖戦と呼ばれる今日の我々が生きている 現 実 世 界 を見れば良い。
そして、ラスキンが子供の頃から鉱物に関心を持ちアマチュアーの研究家として、ゴシックの建造物や彫像などのそれも素材にも並々ならぬ関心を持ち、上の生物と動物の隔ても無くなるほど、アニミズムと変わらない面があったことは、そこに神を感ずる神知論のみならず、そのもの少女趣味の性癖へと結びつくようだ。
要するに、そこでは対象と自己との関係において、ある種のエーテルのような媒介が必要となる。鉱物との交感はそのまま少女との交感になっているように、異物との接触でもあるのだが、その関係とは一方的な動が支配するものなのだろう。世界観と言うのはこうした皮膚感覚に大きく左右されているのを、この「世にも変わった人物」から知ることが出来る。
あまり馴染みない英語の語彙を厭わなければ、BLOG「A VIEW FROM PARIS パリから観る --- le savoir, c'est le salut --- 」で紹介された世界観テスト が面白い。
*笹本長敬編訳注、山 ― 西洋人のアンソロジーから引用
参照:
Of Mountain Beauty: The Modern (John Ruskin)
風景の発見……ジョン・ラスキンの赤い糸
ラスキンという人……ラスキンの赤い糸(2)
日本の山の「発見」……ラスキンの赤い糸(3)
日本の風景画……ラスキンの赤い糸(4)
装丁の世界……ラスキンの赤い糸(5完) (考える葦笛)
空と山を眺め描くのみ…ラスキン (無精庵徒然草)
15年ぶりの日本山岳会 (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
『近代画家論』1・2・3 (松岡正剛の千夜千冊)
技術信仰における逃げ場 [ 雑感 ] / 2007-11-06
エロスがめらめらと燃える [ 暦 ] / 2007-11-02