Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

技術信仰における逃げ場

2007-11-06 | 雑感
ここ暫らく書いた、その纏めた内容を読み返すと、かなり硬い事に気がつく。硬いと言うのは肩が凝ると言うか、その内容があまりにも逃げ場がないような趣があることを言う。

トーマス・マンやドイツ観念論のヘーゲルなどにその責任を転嫁するとしても、自然哲学的な考え方は、特に技術信仰をもって日々の生活を過ごしている先進工業国の人々には殆ど嫌悪されるものとなっている。

そうした捌け口として、サイエントロジーの成果どころか新興宗教のセクトによるテロリズムや恐らくイスラム過激派をも輩出しているのが近代の終焉にある現代なのであろう。

先日、誰かがおいていった岩波新書を捲っていると、その戦前戦中のヤスパース研究家らしきが書いているものに二人の面白い名前を見つけた。一つはマックス・シェーラーで、フッセールの愛弟子でもあるエディット・シュタインの師匠であり、指揮者フルトヴェングラーの義理の兄弟となっている。また、フランクフルトでエルンスト・カッシラーにも近かった彼をケルンの社会学部長に招いたのがアデナウワー市長となっている。もう一つはシュテファン・ゲオルゲのサークルにいたルートヴィック・クラーゲスである。ヴァルター・ベンヤミンはミュンヘンに彼を尋ねそこから有名なアウラの言葉を得たと言う。そして当時のオカルト的な傾向が一方では神智学やユングなどの精神分析へと至り、一方では「血」を身上とした国家社会主義に至ったことが知られている。

それは、現代人の身近な生活においても、古い言葉ではヴァンダーフォーゲルやボーイスカウトもしくはヴァンデルンゲンと呼ばれる活動や自然保護運動、自然食品運動もしくは精神分析などとして脈々として伝わっている。

そうした大きな流れにバイオワインもある。特にバイオダイナミックスで出来たワインを試す。酸が良く効いているクリストマン醸造所のリースリングである。それ以前は、硬いワインとして有名であった。ダイデスハイムの野外プールの小さな谷の上流から広がっている2006年産パラディースガルテン辛口である。長めのコルクを開けると独特の酸が揺らぐ。酢酸に近いものがある。ワインの香りもその酸と共に強く出てくる。試飲の時には、グランクリュを除いては、この醸造所の2006年産の最も素晴らしいリースリングであった。もったりとしたミネラル味に続いて果実風味が広がる。そしてそれに強い酸がフェーンのように吹き降ろす。その味覚の面白さをどのように捉えるか?このワインは時間が立つとその香りや旨味が飛んで酸だけが残る。ある意味の田舎臭さと独特の酸味の対立をどう見るか?所詮果実風味は一斉に飛び去る。高級ドイツワイン協会の理事長に収まった若旦那の醸造所であるが、このワインにどうした価値をつけるか?決して悪いワインではないのだが、現行の価格を考えると お 布 施 の二ユーロほどを高過ぎると思うのは私だけであろうか?

嘗ては、身近にある技術信仰の極点にエンターティメント家庭電化商品があった。例えばソニー社は世界をときめかしたが、その盛況を象徴したベルリンのソニーセンターが売却出来ずにいるようだ。東西ベルリンの中間にあったポツダムプラッツを嘗てのように蘇らせようとした意図があったにしても、その横のドイツ国鉄の社屋のハンブルクへの移転が進められた経緯もあり、これも民営化が進めば再び議論の対象となり、新たな市街地開発が必要となるだろう。現代における逃げ場は、必ずしも多くはないのである。



参照:
エロ化した愛の衝動 [ マスメディア批評 ] / 2007-01-04
聖なる薄っすらと靡く霧 [ 暦 ] / 2007-11-03

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