芸術家の実体に触れることは多い。その実体とは、字の如く肉体を持った存在と言う意味合いである。その実体が朽ちても百年先も五百年先もその芸術が語られると言う存在もそこには含まれる。
ヴァーチュアルな世界におけるデジタル芸術を、その世界で呼びかけて、様々な形で展示したのが今回の催しであった。その仮想世界をネットに求めるのみならず、「オタクの誇り」と題したシリーズに「仮想のアニメキャラクター」を描いたのがフリッツ・アイヒャーである。
氏は、一時は年間12本以上のプロジェクトを三人もの女性アシスタントを使ってこなすほど忙しかったというが、最近は仕事を絞っているという。「年5%の利子」の貸与「印税システム」を採用しているその作品の多くが企業に貸し出されている。70年代には、公的なレセプションに正装でお得意の鹿の角をつけて現われるなど、TVなどで著名人として扱われたという。
その芸術家のここ二年ほどのプロジェクトと現在の作品を垣間見ると、ざっと二十世紀後半とここ数年の芸術動向の一端を覘くことが出来る。
今回の「ヒッチハイクで行く複世界のネット反逆者達」と題した展示に1984年に没した哲学者ゴッタルト・ギュウンターの宇宙の表象が描かれる。
そこに言われる「宇宙の多岐に渡る断裂」に、この芸術家が呼びかけ世界中から 寄 せ ら れ た 作品群が放り込まれて、且つ表象を為すことになるのだ。
例えば、アフリカ原住民の胸をあらわにした女の体に「革命の赤」で描かれるパターンは、欧州ルネッサンスの唐草模様であり、それはヘーゲルの指すような文明の区分をもはや意味しない。それをブーデュー教の体とすると、シュリンゲンジッフ監督がバイロイトにて演出したパルシファルの世界観となる。
VIDEOによる展示においては、米国の学生が反中国プロパガンダとして制作した中共軍のお色気画像を集めたものが紹介された。中国のパロディーとはなりきらないポップアートの扱い方などは、ここでも紹介したジーモンス氏のFAZ記事に詳しい。それを、イロニー交じりに扱う米国の政治プロパガンダ芸術の位置付けが面白い。それは、多和田葉子朗読会の記事でも扱ったとおりなのである。
同様に中国人と日本人のヴァーチャル世界への、其々悲観的と楽観的な感覚が紹介されている。その問題も特殊な日本人のロボット・サイボーグ信仰と陰陽の世界観として興味ある所である。これを氏は、ノイ・コンフォンチャニズムと定義する。韓国人女性の三年間に渡る正面顔面画像定点観測VIDEOがその間に流れる時を相対化する一方、東京の若者アーティストが一週間で壁画を描き消し描く繰り返しは、まさに日本の文化土壌を示していて面白い。
そこで地面に脚のついていない順応のみの日本文化を指し、それのみならずそこからエッセンスを抽出して再構築する手腕は、日本画をはじめ浮世絵の構図を借りた作品に観られる。その一つが、上の写真で示すように氏の仕事部屋の入口に飾られた作品である。
入口で観た時は、そのはじめて見る噂の評判の悪い二千円札に目が行き、その写真の丸い作りもののような女の尻に目が行った。一通り観覧して、そこへと戻ってくるとどうしてなかなか印象に残る「歌麿」と名付けられた作品で、芸者とある日本人歌手にお捻りとして挟まれた偽札如き札が、この企画の全体像を眺望させるかのような趣があることに気がついた。
許可を得て写真を取らせて頂き、ここに紹介した。このサイトを本人にもリンクとして知らせて、写真の確認をして貰う。
その他、ここ十年ほどの公館などへの作品以来の業績と作品にも見るべきものが多く散見されたが、創作初期のギリシャ神話への傾倒や壷のファームへの執着が、こうした多様世界への視野とその再構築を、非常に中庸な方法で実践している人格が見られるのである。
余談であるが、上の貸付制度にも係わるが投機的な骨董美術の市場価格とその本来の美術価値への見解に、そのあまりにも未知な価値基準の変動を前提としていたのは興味深かった。さもなければ創作活動など出来ないのは当然のことで、そこではその市場価格などは束の間のことでしかないのだろう。
こうして、出来うる限り先入観を持たないようにまたその生きた実体が作品の前に立ちはだかることのないような接し方を心がけて展示を鑑賞したのは、そうした注意深い方法によってのみ浮かび上がる芸術家像が意味を持つと考えるからでもあるのだ。
写真:日本で手に入れた重い木戸
参照:
Fritz Eicher,1998 „Utamaro" Digitalprint auf Holz, Schellack; 2003, Aus der Serie „Nomadenmuseum II – Setsuko 1"; 2007 Serie „Revolution Red"
Fritz Eicher „Netzrebellen per Anhalter durchs Pluriversum", Katalog € 10,00
Internetportal: www.fritz-eicher.de
ヴァーチュアルな世界におけるデジタル芸術を、その世界で呼びかけて、様々な形で展示したのが今回の催しであった。その仮想世界をネットに求めるのみならず、「オタクの誇り」と題したシリーズに「仮想のアニメキャラクター」を描いたのがフリッツ・アイヒャーである。
氏は、一時は年間12本以上のプロジェクトを三人もの女性アシスタントを使ってこなすほど忙しかったというが、最近は仕事を絞っているという。「年5%の利子」の貸与「印税システム」を採用しているその作品の多くが企業に貸し出されている。70年代には、公的なレセプションに正装でお得意の鹿の角をつけて現われるなど、TVなどで著名人として扱われたという。
その芸術家のここ二年ほどのプロジェクトと現在の作品を垣間見ると、ざっと二十世紀後半とここ数年の芸術動向の一端を覘くことが出来る。
今回の「ヒッチハイクで行く複世界のネット反逆者達」と題した展示に1984年に没した哲学者ゴッタルト・ギュウンターの宇宙の表象が描かれる。
そこに言われる「宇宙の多岐に渡る断裂」に、この芸術家が呼びかけ世界中から 寄 せ ら れ た 作品群が放り込まれて、且つ表象を為すことになるのだ。
例えば、アフリカ原住民の胸をあらわにした女の体に「革命の赤」で描かれるパターンは、欧州ルネッサンスの唐草模様であり、それはヘーゲルの指すような文明の区分をもはや意味しない。それをブーデュー教の体とすると、シュリンゲンジッフ監督がバイロイトにて演出したパルシファルの世界観となる。
VIDEOによる展示においては、米国の学生が反中国プロパガンダとして制作した中共軍のお色気画像を集めたものが紹介された。中国のパロディーとはなりきらないポップアートの扱い方などは、ここでも紹介したジーモンス氏のFAZ記事に詳しい。それを、イロニー交じりに扱う米国の政治プロパガンダ芸術の位置付けが面白い。それは、多和田葉子朗読会の記事でも扱ったとおりなのである。
同様に中国人と日本人のヴァーチャル世界への、其々悲観的と楽観的な感覚が紹介されている。その問題も特殊な日本人のロボット・サイボーグ信仰と陰陽の世界観として興味ある所である。これを氏は、ノイ・コンフォンチャニズムと定義する。韓国人女性の三年間に渡る正面顔面画像定点観測VIDEOがその間に流れる時を相対化する一方、東京の若者アーティストが一週間で壁画を描き消し描く繰り返しは、まさに日本の文化土壌を示していて面白い。
そこで地面に脚のついていない順応のみの日本文化を指し、それのみならずそこからエッセンスを抽出して再構築する手腕は、日本画をはじめ浮世絵の構図を借りた作品に観られる。その一つが、上の写真で示すように氏の仕事部屋の入口に飾られた作品である。
入口で観た時は、そのはじめて見る噂の評判の悪い二千円札に目が行き、その写真の丸い作りもののような女の尻に目が行った。一通り観覧して、そこへと戻ってくるとどうしてなかなか印象に残る「歌麿」と名付けられた作品で、芸者とある日本人歌手にお捻りとして挟まれた偽札如き札が、この企画の全体像を眺望させるかのような趣があることに気がついた。
許可を得て写真を取らせて頂き、ここに紹介した。このサイトを本人にもリンクとして知らせて、写真の確認をして貰う。
その他、ここ十年ほどの公館などへの作品以来の業績と作品にも見るべきものが多く散見されたが、創作初期のギリシャ神話への傾倒や壷のファームへの執着が、こうした多様世界への視野とその再構築を、非常に中庸な方法で実践している人格が見られるのである。
余談であるが、上の貸付制度にも係わるが投機的な骨董美術の市場価格とその本来の美術価値への見解に、そのあまりにも未知な価値基準の変動を前提としていたのは興味深かった。さもなければ創作活動など出来ないのは当然のことで、そこではその市場価格などは束の間のことでしかないのだろう。
こうして、出来うる限り先入観を持たないようにまたその生きた実体が作品の前に立ちはだかることのないような接し方を心がけて展示を鑑賞したのは、そうした注意深い方法によってのみ浮かび上がる芸術家像が意味を持つと考えるからでもあるのだ。
写真:日本で手に入れた重い木戸
参照:
Fritz Eicher,1998 „Utamaro" Digitalprint auf Holz, Schellack; 2003, Aus der Serie „Nomadenmuseum II – Setsuko 1"; 2007 Serie „Revolution Red"
Fritz Eicher „Netzrebellen per Anhalter durchs Pluriversum", Katalog € 10,00
Internetportal: www.fritz-eicher.de
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