Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

吹かされる黒い森の心理

2022-10-14 | アウトドーア・環境
承前)ロマン的な跳躍というものも存在するだろう。偶々乍ら、ベルクの歌劇などの後の作品としてヒンデミートによる「ヴェーバーの主題によるメタモルフォーゼン」が浮かび上がった。この曲には昨秋再び巡り合えた。その演奏に関しては既に纏めたのだが、その時に調べた原曲の民謡風のものにも想いが向かった。そしてメタモルフォーゼン、まさしくこの制作におけるそのヴェーバーの音楽の本来持っている危険性とその後のナチズムにおける「黒い森」の心理がここではパロディー化されている。ヒンデミートの創作の場合は反ロマン主義と反ナチズムとしての基本コンセプトであったのだが、それがこの制作ではまた今日的な視座からあらゆる社会的な関心事としてここでは扱われている。

バーゼルの「魔弾の射手」は長期ランで好評のようだ。どうも12月まで10回ほどの公演が計画されていたようで、結構入っている。そこで新たな批評なども出ていて、大成功している証拠でもある。恐らくチューリッヒなどのスイス国内だけでなく、遠方からもマルタ―ラーファンが駆けつけている様だ。つまりターゲットはオペラファンだけでなくて、芝居ファンも多いのだろう。

ホームページには一週間ほど前にティーテュス・エンゲル指揮の新たな音源がアップされていた。流してみると其の儘劇場の装置で簡単に録音されているに過ぎない。いつものようだがこうした録音を簡単に出している劇場も可也の度胸だと思う。元々その音楽的に高度な表現とかで売っている劇場ではないから可能なのだろう。

このような短い音源だから参考程度にしかならないのだが、とても面白かった。初日に聴いたものとの違いははっきり分からなかった。しかし序曲に於いても既に述べたような奈落のリフトアップをどうしても頭に受かべてしまう。実際によく録れている高音質再生ならば楽器の響き方が全く異なってくるので、その響きから上下動が見えるように聴こえる筈である。

其れでも批評にある様に緊張感もあり、尚且つ古楽奏法の殆どラフな音が出ていたとされる通りだ。なによりもこうして再聴すると、その一拍目のアクセント付けからの強調は可也のもので、基本コンセプト其の儘だろう。

アガーテのアリアは、歌手の実力に合わせて最大限にその歌を引き出している。特にフランス人の歌唱だと思うが、ドイツ語のアーティキュレーションをみっちり付けたようで、実際にそうした指揮をしている。序曲に於いてもああした歌い口はフルトヴェングラーとかそうしたドイツの指揮者に通じるもので、その様な面も高評価に繋がっているのは当然なのだ。

逆に、もう一つの大きな基本コンセプトであった「狩人の歌」がいいアクセントで歌われた後は、ガス抜きの様にホルンの独奏を女性奏者が舞台上で吹かす。もう一つのパターンが、管弦楽団がビールマグを口にあてながらハモるのである。その時舞台上で合唱団はブロイライの机を囲みながら各々がケースからヴァイオリンを取り出して音無しに弓を動かす。(続く)



参照:
録音を出してしまう度胸のあるバーゼルの劇場 (pfaelzerwein@pfaelzerwein_en)
独墺核レパートリー 2021-12-02 | 音
独墺交響楽の響き 2021-11-24 | 音

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プロパガンダの管弦楽 | トップ | ミュンヘン行の代わりに »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿