日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

広島港から、呉の軍港に立ち寄り松山港へ

2015-05-23 10:18:25 | 建築・風景

建築家梶本尚輝さんに建てた建築を案内してもらい、ヒヤリングするために新幹線`のぞみ`に乗って広島を訪れた。晴天に恵まれた5月17日、日曜日だった。
久しぶりの広島は、かつて何度か訪れた時のイメージが色濃く僕の中に留まっていることに気がついた。同時に山に囲まれた街の姿に驚くことにもなった。若き日、建築そのものしか視ていなかったのかしれない。

丹下健三の建築、平和記念公園の要「平和記念会館」の一階ピロティの、修復した打ち放しコンクートの腰から上の部分が網に覆われているのと、その間近まで数多くの観光バスが乗り付け、そこがバスの駐車場になっていて、丹下の理念、この建築の全体像と共に、中央から軸線を通してみる平和アーチと慰霊碑、その先の被災した「原爆ドーム」の姿が捉えにくい。
 
重要文化財になった記念会館は、免震工事が行われることになっているので、仮の姿として市は意に返さないのかもしれないが、沢山の海外からの見学者を見るにつけ、彼らにとっては一期一会かも知れず、被爆地としての細かい気遣いが必要なのではないかと痛感した。

その夕刻、同世代の梶本さんとは懇親の意を込めて酒を酌み交わした。翌早朝、車に同乗させてもらって、広島港から松山港へ、フェリーに乗って瀬戸内海を横断した。A・レーモンドの設計した愛媛県鬼北町(旧広見町)町役場の、保存改修のための委員会に出席するためだ。梶本さんは若き日、レーモンドに学んだ建築家である。

ANAの窓から観る瀬戸内の移り行く島々の光景を見るのが好きで、いつも窓際を取るが、海面から観たのは初めて、本州と四国の大地の区別がつかないままうつらうつらしながらの凪の瀬戸内海の島々は、まるで夢の中の景色だった。このフェリーは、一港だけ立ち寄る。呉港だ。そしてショックを受けることになった。
造船所にIHIの文字が大きく描かれていてこれが呉港かと思ったもったものの、海面に係留しているのはグレーに塗られた海上自衛隊の軍艦だった。呉港は軍港だった。軍艦群の姿は気味が悪い!
僕の思いをよそに、フェリーは粛々と松山港に接岸、近年政界でよく言われる「粛々」というコトバが胡散臭く思えたものだ。

<写真 瀬戸内海に浮ぶ軍艦>