日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

全身を翔けようと想う8月15日が来る

2012-08-14 22:43:19 | 建築・風景

今年も8月15日が来る。
いままで感じたことがなかったが、お盆と終戦の日の重なりが今年は妙に気になる。悲喜こもごもだったロンドン・オリンピックが終わったが、そのどれにも、一人ひとりにも、国々にも、登場できなかった全てのアスリートにも、それぞれが多彩な物語を持っていることに思いを馳せることになった。
当たり前のことだと言えば当たり前のことだ。
その当たり前のことを考えている。

終戦の日を明日に迎えるこの時間、この一文を書きながら聴いているのは、ベーシスト金澤英明の「ベース・パースぺクティブ」である。
1966年にリリースされたこのアルバムの、日野皓正のトランペットの一瞬不協和音とも受け取れるアドリブには鳥肌が立つが、このコラボレーション「慕情」と、ブルースシンガー近藤房之助の天に向かって叫ぶようなバラードとのコラボに、ここに「人」が居るのだとため息が出るのだ。
中本マリとケイコ・リーも歌う。
そして冒頭の東原力哉のドラムスとトのデュオと、最後の金澤のベースソロとその後の、ラフマニノフのピアノコンチェルト2番の第2楽章をモチーフにしたストリングスとの競演によってこのアルバムは閉じられるが、人の生きることの悼みと祈りを僕は感じ取ることになった。
全身を翔けると人の営みへの祈りになるのだ。

26年前、母と僕は、従兄弟に案内されて父が没したルソン島のモンタルバンに行った。疎開先の柏に、同じ部隊にいて帰国して訪ねてくれた同僚がいたそうだが母は生前そのことを言いたがらなかった。部隊は全滅したとの報があったが、生還した人も居たことが、没して67年にもなるのに僕のどこかに引っかかっている。

昨朝の朝日新聞の「俳壇・歌壇」には、15日を控えて思わず瞑目したくなる歌と句が幾つも掲載された。その中での投稿句を一句を記載させていただく。
「雲の峰父の戦死の島知らず」(吹田市・小井川和子)。
選者、大串章氏の評がある。太平洋戦争中、多くの島々で尊い命が失われた。「戦死の島知らずが切ない」。

父の遺骨はない。野に埋もれているのだろう。`父の戦死の島知らず`と書く同年代と思われる小井川さんの一句は、明日を迎える僕にも重いのだ。被災し帰らぬ人を待つ東北の人々を想う。

<写真 2012年の夏の日>


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