日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ぶらり歩きの京都(2) 清水三年坂美術館の小村雪岱

2010-06-11 17:24:36 | 建築・風景

嵐山・大覚寺とか銀閣寺というバスの行き先の表示を見ると、わくわくしてくると同時に、歴史の佇まいに震撼とし、なぜか浮かれてはいられないような気もしてくる。こんなことがあるからだ。

娘が京都の大学にいたころ、僕は時折深夜バスに乗って京都に行った。
着くのは朝の6時過ぎ。娘とバスの着く京都駅で待ち合わせをし、まだまちは深閑としているが東本願寺の門が開かれていて砂利を踏んで本堂に上がり、ひんやりした京の空気を味わうのだ。
7時近くになると、講の方々なのだろうか、白装束に身を固めた30人ほどの方が現れ、本尊の前に正座をする。とお坊さんが出でて読経がはじまる。ふと気がつくと紋付の羽織で正装した数名のまちの旦那衆と思われる方々が、間をおいて回廊際に身を引いて正座しお経を唱和している。終わるといつの間にかすっといなくなる。
旦那衆の一日も始まったのだ。

京都は僕にとっては観光(非日常性)のまちだが、京都という都市文化の日常性が数百年、いや千数百年面々と引き継がれてきたのだと実感するのはこういうときだ。ジーパンの僕には厳しい京都の一面、いやその底にある凛とした文化に触れた其の時の想いが蘇る。

其の路線バスが、ウイークデイの朝なのに混んでいる。観光客だ。珍しいことに妻君が一言。タクシーで行こうか?助手席に座った娘が「三年坂美術館へ」。えっ!っと運転手に言われた娘は地図を差し出す。
好奇心を刺激された運転手からこれからどこを廻るのかと問いかけられ会話が始まった。
僕は京都のタクシーに裏切られたことがない。京都に誇りを持ち観光客を大切にしたいという気持ちに溢れているからだ。それに初乗りが570円と安く、近場で3人乗るとバスの値段と変わらなくなる。
くるくると路地を通りぬけて五条坂、そして三年坂の突端(僕には産寧坂のほうがぴんと来る)に運んでくれた。プロだ。

石段の上に降り立った娘は久しぶりだ!とうきうきしている。整った屋根の連なりが「京都だ」と僕たちに呼びかけている。

小村雪岱は明治20年(1887年)に生まれ、昭和15年(1940年)に亡くなった日本画家である。
川越に生まれたが育ったのは、三味線の音や芸者の行き交う東京八重洲河岸から入る数寄屋町と鳶が木遣を唄う檜物町。東京美術学校(東京藝大)で下村観山に学んだ。江戸の風物がまだ残っていた時代である。
泉鏡花の本の装丁を手がけたり、歌舞伎の舞台構成をやって歌舞伎役者に引っ張りだこになったり、朝日新聞に連載された邦枝完二の「おせん」の挿絵を書いて時代の寵児となった。

その「おせん」の原画と下描きが展示されている。たおやかな「おせん」の肢体が着物を通して訴えかけてきて、目がくらくらした。
下絵と本絵では背景が変わり、よりモダンになった。浮世絵が好きで其の歴史に堪能な娘は雪岱を知っており、ネットで展覧会が行われていることを検索していた。
僕はつい先ごろの「芸術新潮」やNHKの日曜美術館で小村雪岱の存在を知った。春信や歌麿とは違うモダンな筆使いは、まさしく妖しきモダニズム時代の絵描き、戦災で焼ける前の東京の面影を宿す。京都で見る雪岱もまた格別だ。

雪岱は1918年から5年ほど資生堂に勤めた。そこでこしらえた香水瓶がまたいい。
ここには展示されていないが、娘と妻君は掛川の資生堂美術館(企業資料館とアートハウス)に見に行くなどといっている。

ところで一言ご案内を!この「清水三年坂美術館」は金工、七宝、蒔絵、薩摩などの細工の細かい工芸品展示の美術館である。溜息の出るような細工物もぜひご覧あれ!

<なお小村雪岱展は8月22日まで開催中>