日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ぶらり歩きの京都(1) 旧京都電燈本社屋のモダニズム

2010-06-07 14:06:29 | 建築・風景

京都の旅は、京都駅前左手に建っている旧電灯本社屋(現関西電力京都支店社屋・1937年設計武田五一)の撮影からスタートした。今までに何度かトライしたがなかなかいい写真が撮れなかった。
連なったバスや駅前を通り抜ける車が多くて途切れたと思った途端にどこからともなく現れる車、ということだけではなく、眼の前の邪まっけな交通標識、それをはずそうとすると車道に乗り出さなくてはいけない。引きがなくてレンズのシフトに収まりきれない。
この旅は僕の好きなように付き合ってくれるという妻君と娘の好意がほのぼのと嬉しく、ちゃんと撮っておきたいと思った。

設計をした武田五一は京都市役所本館など関西を中心として記念碑的な建築をつくった建築家である。明治5年(1872年)広島県福山市(現)に生まれた。当時はまだ福山藩だったことを考えると、近代化に揺れたその時代が浮かび上がってくるような気がする。
東京大学(現)に学び、京都工芸繊維大学や京都大学の建築学科を創立し、日本の建築界、ことに関西の建築界に大きな軌跡を残したが、アールヌーボーやセセッションを日本に紹介した建築家・研究者としても知られている。

この社屋は1932年に欧米の建築視察をしてモダニズムの時代を受け止め、64歳になった五一が、装飾を排除して構造体を強調した外壁をつくった。ファインダーを覗きながら、翌年に逝去した建築界の大御所になった五一の、晩年になっても尽きない建築へかける想いに打たれた。

興味深く魅力的なのは玄関ホールの間接照明を配したドーム状の天井だ。建築家としての情念を残しながら電燈の時代を見据えた。DOCOMOMO選定建築として選定されている武田五一のモダニズム建築である。

朝の9時、新幹線「のぞみ」を降りて快晴の京都駅前にたち大きく深呼吸をした。
既に建ってから13年になってあの大空間が当たり前になった建築家原広司の京都駅、山田守の問題作京都タワー、批判が渦巻いたこの建築も建築技術の塊だ。西本願寺の大改修が終わったと思ったら大仮構で覆われた東本願寺。
京都の建築は現在(いま)に生きている。

さて、我が家の`ぶらり歩きの京都`がこの旧京都電灯本社屋からスタートした。