日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ぶらり歩きの京都(3) 石塀小路をぶらぶらと

2010-06-13 21:36:25 | 建築・風景

陶器店やおみやげ物屋を覘きながら、3年坂(産寧坂)から2年坂をぶらぶらと歩いた。外国から来た観光客や、石段に座ってまちなみのスケッチをしている人もいる。例年なら梅雨時の6月4日、初夏の日差しが眩しいが思ったより人が少ないと妻君と娘が喜んでいる。こんなに人がいて!と僕は思った。

案内役の娘が立ち止まった。前方の連なる屋根の向こうに伊藤忠太のつくった祇園閣の奇妙な形の塔が見える。学生時代に登ったことがあるのだという。へー!上れるんだと思わず吐息が出た。上ってみたい?といわれたが今日はねえと、「石塀小路」に入った。

狭い路のことを小路というが、人家の間の狭い通りを路地という。路地は露地とも書き茶庭を指したりもする。石塀小路もそうだが京都では路地というコトバは使わないようで、名前のついた小路が多い。こんなところにと思わず疑う狭い小路がある。「ぎおん小路」だ。
タイルを外壁に貼ったコンクリートのビルと木造家屋の4尺(1,2メートル)ほどしかない隙間を工夫して通り抜けるようにし、家屋の表をデザインして料理屋などが連なる魅力的な通りにした。小路をつくるのも`まちづくり`だと言いたくなる一例だ。建築法規の接道がふと気になるが、野暮は言わぬことにする。

2年坂側から石塀小路に入ると、石塀ならぬ板塀に囲まれた瀟洒な料理屋や旅館が連なっている。だが突き当りの塗り塀を曲がると、石垣の上に建つ塀に囲まれた小路になる。観光客のあまり通らない味わい深い路だ。不思議な細い門形の石のゲートをくぐると、3尺ほどしかない町屋の真中を潜り抜け、弁天町の通りに出た。
妻君と娘は何度も歩いているようだが、振り返りながらこちらからは通りにくいねえという。細いしなやかな文字で書かれた「石塀小路」という扁額が掲げられてはいるものの・・知らないと町屋の庭に入り込んでしまうのではないかと思ってしまいそうな気がするからだ。

日が落ちるとほんのりと灯され料理屋の電飾看板の、細いはんなりとした文字が浮かび上がってくる。そこで取り交わされる男と女の会話が聞こえてくるようだ。これが京都という都会の、僕を捉えてはなさない風情なのだと思う。

<写真 左・石塀小路の出口 右・ぎおん小路>