日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

ソウル駅の改修と、視察に訪れたプロジェクトチームとの交流

2010-02-11 15:16:16 | 建築・風景

ソウル駅は、僕たちが東京駅を愛するように多くの韓国の人に愛されている。
改めてそう思ったのは、来日したソウル駅改修プロジェクトチームの方々と銀座`梅の花`で会食した(2月4日)ときに、通訳をしてくれた徐東千さんの一言だった。
「(子供のときから)ソウル駅に来ると僕はソウルに来たのだと実感した」、大都会に来た喜びと誇りを与えてくれたソウル駅は、徐さんにとって掛け替えの無い建築なのだ。
徐東千(ソ ドンチョン)さんは東大生産技術研究所村松研博士課程に留学している若き建築史の研究者である。

そういうソウル駅は塚本靖の設計により1922年から25年にかけて建てられた。建ってから既に85年を経ている。新しい駅舎が出来てから閉鎖されているが、使い方について様々な論議が交わされてきた。僕は何度もここを訪れたが内部を見る機会が無く、時には近辺に浮浪者がいたりして気になっていた。

僕の手元にソウルの歴史的な建築と共に最新の建築も含んで集大成したARCHITECTURAL GUIDE TO SEOULというハングルと英語で書かれた427ページにわたる2003年に発行されたガイドブックがある。そこに書かれたソウル駅の項には、この駅舎が建てられた経緯などと共に、リノベーションをして鉄道博物館(Railway Museum)にして欲しいと述べられている。この駅舎の存続は韓国の建築界の想いでもあるのだ。
そしてコンペを行い、文化施設として使うために改修することになった。国の事業である。

今回の来日は、文化体育観光府(日本の文部科学省のような組織)の李容旭さん、オーセンティシティを検証するDOCOMOMO Koreaの副代表安昌模(アン チャンモ)Kyonggi大学教授や設計者と工事を監修する建築家など4名で、工事中の東京駅(設計辰野金吾)、復元されたレンガ造の三菱一号館(J、コンドル)、そして大阪の中央公会堂(岡田信一郎)、綿業会館(渡邉節)などを視察して改修工事に関わった関係者にヒヤリングをする。会食には僕に声をかけてくれた清水建設技術研究所のMさんと東京駅の復原に関わっているTさんが参加した。

安教授とは昨年のDOCOMOMO Japanの総会でお話ししていただいて以来9ヶ月ぶり。僕は「アンニョンハセヨー」安さんは片言っぽい日本語で「ほんとに久し振り」と硬い握手をする。このプロジェクトに好奇心を刺激されて僕は、李さんや安先生に質問を連発しちょっぴり困らせた。
その一つはコンペの概要で、もう一つは構造などの改修計画である。コンペでは文化施設に使うということで提案させたが、この分野での経験者が少なくて応募者は3名、当選案も必ずしも万全ではないので参考案として対処することにして改修計画をしている。まだ具体的に何の文化施設にするとは決まっていないので、階段を新しく設置するとかフロアを増設することはしない。

韓国には地震がほとんど無く、物心がついてから震度3程度のものが数回感じられた程度とのこと、特に耐震についての配慮の必要は無いのだと、これは徐さんのコメントだ。
ソウル駅の柱と床は鉄筋コンクリートだが、壁のレンガや石も構造耐力を担っているようだ。
ちなみに東京駅舎は鉄骨とレンガの両方で支えられており、レンガ造三菱一号館の美術館として使われる復元と共に、この建築群の改修状況や工事の視察は大変役に立つと考えての来日なのだ。

話しは弾み、朝鮮総督府問題などの諸問題にも及んだが、ビールや浦霞を酌み交わしながら両国の酒の話になったり、DOCOMOMO Koreaの会長交代のことや、5月のJapan総会時に行う「鉄」をテーマにして、築地の市場と東京芸大を会場にして行う国際技術委員会のワークショップにも及んだ。
話を交わしながらDOCOMOMO Koreaが、ソウル駅を改修して使い続ける提案をさせる学生コンペを数年前にやったことを思い出した。

今度はソウルで会いましょうと僕は一人一人と硬い握手を取り交わした。
まだ「アンニョンハセヨー」としか言えないが、そのときは片言でもいいからハングルで語り合いたい。

<ソウル駅改修やコンペのことと、今回の視察の件をブログで紹介することは、李容旭氏の許可を得た。魅力的なこの駅舎の姿を、その使われ方をも含めて見守りたい。写真2003年撮影:左・新ソウル駅 右・旧ソウル駅>